今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、小峰隆夫ほか『スマートシュリンクへの道』(中央経済社)では、現在の日本の人口減少に対して、抑制したり反転させて人口増加を目指すのではなく、人口減少を受け入れて適応した上で、どのようなシュリンク=縮み方が望ましいのかを議論しています。ただ、処方箋は今後の課題かもしれません。東田啓作[編著]『グリーンウォッシュの経済分析』(中央経済社)では、「環境パフォーマンスが低いにもかかわらず、それについて肯定的なコミュニケーションを行う」グリーンウォッシュについて、第1に環境への意識高い消費者の選択を歪め、第2に高コスト負担を強いるデメリットが議論されています。イアン・ゴールディン『移民は悪か?』(プレジデント社)では、序に続く第1部で英語の原題タイトル通りに移民や移住の歴史をポジティブな面から概観した後、第2部で移民や移住の経済効果ほかを分析しています。移民や移住に関しては賛否ありますが、多様化だけをとっても悪くないとの結論です。方丈貴恵『矛と盾』(角川書店)では、罪を犯した者を必ず捕らえて有罪にし、絶対に逃さない探偵と助手、逆に、事件を隠蔽・捏造して犯人を確実に逃がす仕事人の3人が、密室トリックやアリバイトリックによる殺人事件をめぐって対決します。小塩真司『「数値化」中毒』(PHP新書)では、単一の指標にはバイアスがつきものであり、多様な見方による評価を重視するとともに、グッドハートの法則やそれを補完するようなキャンベルの法則について議論し、バイアスが避けられない指標による判断に代替する方法を提案しています。榎本博明『すぐに「できません」と言う人たち』(PHP新書)では、興味がないと言って仕事を断る、自分には「できない」と言う権利があると思っている、管理職になるのを避けようとする、好き嫌いを仕事にもち込む、といった職場での対応に関して心理学的な観点から分析を加えています。
今年2026年の新刊書読書は、1~5月に合わせて126冊、6月に入ってから先週の6冊と今週の6冊を加えて合計138冊となります。たぶん、今年2026年も250冊から300冊くらいレビューするのではないかと思います。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のtwitter)、あるいは、mixi、mixi2などのSNSでシェアしたいと予定しています。なお、カツセマサヒコほか『もふもふ』(新潮文庫nex)については、すでにSNSでシェアしていますが、本日のレビューには含めていません。

まず、小峰隆夫ほか『スマートシュリンクへの道』(中央経済社)を読みました。著者は何人かいるのですが、うち小峰教授は私の役所の先輩であり、研究所勤務の折には上司としてお仕えした経験もありますが、ほとんど接点はなかった気がします。本書は、中曽根康弘世界平和研究所における経済社会研究グループの成果が土台になっているようです。タイトルから容易に理解できるように、人口減少に対して抑制したり反転させて人口増加を目指すのではなく、人口減少を受け入れて適応した上で、どのようなシュリンク=縮み方が望ましいのかを本書では議論しています。まず、日本経済の実績として、人口が減少しているにもかかわらず、GDPで計測した経済規模は拡大しており、決して人口減少がそのまま経済規模の縮小につながるわけではないと強調しています。その上で、1人当たりGDPやウェルビーイングの観点から、スマートにシュリンクする方向を目指す重要性が強調されています。さらに、人手不足への対応、企業経営、社会保障の持続性の維持、地域のスマートシュリンク、気候変動などのチャプターごとに専門家が議論を展開しています。私自身は基本的に同じ考えであり、人口減少を抑制することはともかく、反転させて人口増加を目指すのは、むしろムダが多い可能性が否定できないと考えています。ただ、冒頭のp.8では人口減少や少子化を構造改革のきっかけにすることを考えていて、3点上げています。第1にメンバーシップ型からジョブ型へのの雇用の転換、第2と第3で男女の役割分担の見直しや女性参画の拡大などですが、これらについては本書では取り上げられていません。実は、同じ著者による小峰隆夫『地域と人口減少の経済学』(中公新書)という本があるのを知り、大学生協で注文したところなのですが、ソチラで扱われているのかもしれないと期待しています。取りあえずの評価としては、現状分析は十分なされており、政策の方向性も私は大いに同意できるものと受け止めています。ただ、本書は書籍としてはボリューム的に十分ではなく、政策の詳細を分析した処方箋がそれほど充実しておらず、今後の課題という面は否定できません。ですから、第3章のウェルビーイングと経済の課題を考えている部分でも、p.76からの生産性向上のために基礎的成長率の引上げ、なんていわれても、「何それ」あるいは「トートロジー」という受け止めは少なくないものと私は想像しています。もうひとつは、経済学的分析に基づいていますので、結局、超長期の対応の部分はできていない、と考えるべきです。超長期の対応、というのは、人口減少に適応的に対応するとしても、全国レベルで考えるとしても、何らかの地域レベルで考えるとしても、私はどこかに最小限維持すべき人口規模があると考えています。極端な見方かもしれませんが、おそらく100万人くらいまで人口が減少すると、国防や産業など、国家としての活動は維持できなくなると私は考えていて、根拠はありませんが、おそらく、2000-3000万人のあたりに critical value がありそうな気がしています。ですから、どこかで人口減少を食い止める必要があるわけで、「適応戦略」が未来永劫に有効なわけではありません。ただ、経済学のスキームでこういった超長期の分析をするのはムリがあります。別の学問分野の課題だという気がします。
![東田啓作[編著]『グリーンウォッシュの経済分析』(中央経済社) photo](http://pokemon.cocolog-nifty.com/dummy.gif)
次に、東田啓作[編著]『グリーンウォッシュの経済分析』(中央経済社)を読みました。編著者は、関西学院大学経済学部教授であり、本書は、関西学院大学産研叢書として出版されています。タイトル通りにグリーンウォッシュについて経済学的に分析を加えています。本書でも何度か指摘されているように、グリーンウォッシュは、通常、Delmas and Burbano (2011) "The Drivers of Greenwashing" で定義されているように、"poor environmental performance and positive communication about environmental performance" 「環境パフォーマンスが低いにもかかわらず、それについて肯定的なコミュニケーションを行うこと」とされていて、要するに、環境負荷の低い企業活動をしている、あるいは、そういった製品やサービスを提供しているという誇張された広告宣伝などを行っている、という意味です。どうして困るのかというと、第1に環境への意識高い消費者の選択を歪め、第2に環境配慮という名の高コスト負担を強いる、ということです。もちろん、これら以外にも弊害はあります。逆に、環境配慮について過小にコミュニケーションを取る、あるいは、まったく公表すらしないというグリーンハッシュも、EUのグリーンクレーム指令 Green Claims Directive から生じるようになっていると、本書では指摘しています。また、本書は、割合と短めの10章ほどのチャプターから構成されていて、グリーンウォッシュについて、いくつかのチャプターで定量的な評価と数理モデルによる解析的な評価を試みています。第1章は序章的な位置づけで、いわゆるエディトリアルを提供しています。最初の方の2-4章では、グリーンウォッシュほかの環境情報の認知、さらに、環境意識について分析しています。特に、第4章で消費者が環境配慮行動を取ったことによるウォームグロー効果の分析が私には興味深かったです。ウォームグロー効果とは、何かいいことをしたという内面的な報酬を指します。このウォームグロー効果が存在する場合、価格上昇が生じて消費量と消費効用がともに減少し、これがウォームグロー効果を上回ることから逆に消費者の利得が低下する可能性がある、という結果を数理モデルで示唆しています。5-7章では、企業がどうしてグリーンウォッシュ行動をするのか、という核心部分の分析をしています。第7章では、EUのグリーンクレーム指令によって生じたグリーンハッシュについても数理モデルにより分析しています。8-10章では、グリーンウォッシュについて、かなり突っ込んだ発展モデルを考えています。規制に対するロビー活動、循環型社会におけるグリーンウォッシュの位置づけ、国際間の認証問題がグリーンウォッシュに及ぼす影響などです。私自身の環境経済学の理解度はまだまだだと認識しているのですが、正面切っての環境問題ではなく、こういったニッチなグリーンウォッシュも少し勉強してみたい、という気になりました。

次に、イアン・ゴールディン『移民は悪か?』(プレジデント社)を読みました。著者は、英国オックスフォード大学教授であり、ご専門はグローバリゼーション、開発学のようです。本書の英語の原題は The Shortest History of Migration であり、2024年の出版です。英語の原題に比較して、どうしてこういう邦訳タイトルになったのかはまったく不明ですが、基本的に、移民の歴史をポジな観点から振り返っています。ボージャス教授の議論などとは違います。全体で370ページほどのボリュームの2部構成になっており、序に続く第1部で270ページほどを費やして本来のタイトル通りに移民や移住の歴史を概観した後、第2部で100ページ足らずながら、移民や移住の経済効果ほかを分析しています。まずそもそも、人類がアフリカから out of Africa したわけで、それが移住の始まりであることは確かです。ギリシア・ローマの古典古代から移住はありましたが、本格的には中世後期から始まるという本書の見立てには、どこまで同意するかは歴史の見方によります。本書では、中世後期のセファルディの追放によるユダヤ人のディアスポラあたりを念頭に置いているようで、その後のアフリカから米州大陸などへの黒人奴隷の強制的な移住、あるいは、流刑先への移住なども視野に含めています。ただ、そういった宗教的観点や経済的インセンティブあったとはいえ強制的な移住はともかく、エコノミストとしての私の観点からは、やっぱり、本書の第7章の19世紀半ばからの米州大陸への集団移住以降が重要と考えています。南北米州大陸への集団移住と同時期に、中国人の海外移住も大規模に始まっており、本書ではそれほど大きく取り上げてはいませんが、日本語の「華僑」という言葉に示されているように、世界のいくつかの都市でチャイナタウンが出来たりしているのは広く知られている通りです。そして、本書でも指摘しているように、20世紀初頭の第1次世界大戦まで国境という概念はそれほど強いものではなく、国際法に基づくパスポートは一定普及していたとはいえ、国境を越境する移動や移住への制限はかなり緩やかであったと考えられます。それが、20世紀初頭の第1次世界大戦で一変したことは本書でも強調している通りです。第2部では第12章と第13章の移民と経済の問題がどうしても中心的なトピックとなります。私自身も remittances の問題を "An Essay on Remittances Effects to Economic Development: A Survey" と題する紀要論文を取りまとめたことがありますが、本書でも、古代中国の送金システムである「飛銭」を紹介したりしています。いずれにせよ、移民や移住に関してはいくつかの観点から賛否あることと思いますが、多様化が進むことだけをとっても経済的に悪いことではないと本書では指摘しており、私も同意します。その移民や移住の歴史を本書はコンパクトに取りまとめています。

次に、方丈貴恵『矛と盾』(角川書店)を読みました。著者は、我が母校である京都大学のミス研ご出身のミステリ作家です。デビュー以来この作家の作品はだいたいの作品は読んでいると私は自負しています。本書は、タイトル通り、というか、何というか、どちらが矛でどちらが盾かはさて置き、罪を犯した者を必ず捕らえて有罪にするという意味で、絶対に逃さない探偵である草津、そして、その草津を助手としてアシストする霧島、逆に、事件を隠蔽して証拠すら捏造して犯人を確実に逃がすという意味で、必ず無罪にする仕事人のヒミコこと氷見の3人が主たる登場人物です。3人は一時期同じ中学校の同級生だったことがあるという設定です。長編というよりは、短編から中編くらいの連作中編集といった構成で、3章から編まれています。第1章では本書全体のプロットも案内しつつ、雪山の別荘で置きた殺人事件の密室トリック、第2章が健康食品会社の社長の殺人事件で、東京と大阪という距離的に離れた場所をめぐるアリバイトリック、第3章が東京西部の山奥の閉鎖的な集落における密室かつアリバイトリック、となっていて、それぞれに趣向を凝らしている点は評価できると思います。ただし、同じ学校に在籍した同級生が犯罪者と探偵で対決するという趣向は、例えば、青崎有吾「ノッキンオン・ロックドドア」のシリーズもあって、それほどめずらしいわけではありません。しかも、論理的に犯人を探るwhodunnitや手法を推理するhowdunnitではなく、草津が早々に犯人を指摘した後、お互いに探偵サイドでは証拠を捏造したり、あるいは、逃がす方では証拠を隠滅したり、といったアクション合戦に重点が置かれている気がします。ですので、探偵サイドの草津が自らを知の領分、助手の霧島を暴の領分とうそぶいていますが、決して「知」の占める比率がそれほどでもなく、「暴」の方もそれなりに重要なポイントとなっています。ミステリではハードボイルドなんかでそういうのがありそうな気がします。ただ、論理的なパズルとしては物足りません。そして、明確にシリーズ化はしないという作者の強い意志が最後に表明されています。コナン-ドイルによるライヘンバッハの滝と同じです。また、第3章の出来事は推理題材としてはいいのかもしれませんが、近代国家日本の首都近くの事件としてはいかにも異質な気がして、到底ありえない違和感を感じました。ギリギリ及第点の60点は稼いでいるかもしれませんが、論理性に欠けたストーリー展開である点が難点であり、それほどの高評価は差し上げられないと感じました。私はこの作家のファンですから読んでおきましたが、そうでなければ、私からオススメするのは少し躊躇します。

次に、小塩真司『「数値化」中毒』(PHP新書)を読みました。著者は、早稲田大学文学学術院教授であり、ご専門はパーソナリティ心理学、発達心理学だそうです。本書のタイトルを見て、いわゆるグッドハートの法則、すなわち、「ある指標が目標となると、それはもはや良い指標ではなくなる」(p.69)という経済学の領域だろうと私は思っていて、心理学の専門家が論じている点を疑問に思っていました。第6章が、そういった私の疑問を少し解消してくれて、要するに、単一の指標にはバイアスがつきものだから、多様な見方でもって評価しましょうね、という結論なんだろうという気がします。ですので、大学の合否判定や偏差値による評価など、学力に関する測定がそれなりの割合を占めています。加えて、第3章ではグッドハートの法則を補完するようなキャンベルの法則、すなわち、定量的指標が重視されればされるほど、不正行為や歪んだ行動を引き起こしやすい、という見方です。これも、全国学力テストにおける不正行為や歪んだ行動とあわせて引き合いに出されています。ただし、他方で、何らかの指標が必要なケースも有り得る、と考える読者が多いことを考慮し、本書のきわめてすぐれた点として、計測して数値化した指標による判断に代替する方法を提案しています。それが、多様な人物を選抜する方法としてp.168以降で論じられているくじ引きです。はい、ランダムサンプリングによる選抜です。ただし、無条件にくじ引きで選ぶのではなく、一定の条件を満たす範囲からくじ引きで選ぶ、という主張です。ただし、そうすると、イタチごっこで、その一定基準を満たすかどうかが、またまた、本書で指摘しているような指標になりかねない恐れがあると私は思わないでもないのですが、私はこのくじ引き方式はかなり重要な指摘だと考えています。反対意見が多いであろう点は理解していますが、例えば、選挙なんかにも有効と考えていたりします。また、人物選抜だけではなく、何らかの選択をする場合に、くじ引きが有効かどうかはケースによると考えるべきです。例えば、人物選抜のカテゴリーで考えれば、大学入学者や新規採用者などは一定範囲内でのくじ引きによる選抜が妥当な場合がありそうな気がしますが、結婚相手であれば熟慮に熟慮を重ねる必要があるのは言うまでもありません。

次に、榎本博明『すぐに「できません」と言う人たち』(PHP新書)を読みました。著者は、MP人間科学研究所代表だそうですが、これだけではよく判りかねます。ご専門は心理学で、博士の学位もお持ちのようです。本書では、主として、タイトルの「できません」は職場での発言や態度として考えているようで、私の勤務する大学で学生が示すものはスコープ外なのかもしれません。本書ではいくつか例が上げられており、興味がないと言って仕事を断る、諦めずに何とかするという気力がない、自分の頭で考えずに、すぐに人に頼ってくる、自分には「できない」と言う権利があると思っている、管理職になるのを避けようとする、キャリアに傷がつくのを恐れ、予防線を張る、好き嫌いを仕事にもち込む、実力不足なのにクリエイティブな仕事しかしたがらない、といった例です。私は少なくとも多様化した選択肢の中で、仕事を進める上でこういった選択をするのは、十分理由のあることで、そういった選択を自己責任でする限り、職場では許容する必要があるのではないか、という考え方もできると考えています。私が今の立命館大学の前に教員経験がある長崎大学では、教授になるのを嫌がっていた准教授がいたりしました。教授になると学部の役職を引き受けねばならず研究時間が減る、という理由だったと記憶しています。したがって、今の立命館大学で准教授も副学部長をやっているのを知って、私は驚愕したりしました。ですので、自分の人生でウェルビーイングを向上させるために、そういった選択は可能にするような経済社会の方がむしろ望ましいとすら私は考えています。その意味で、本書は令和の若者に昭和の仕事のやり方を押し付けているような気がして、少し違和感あります。もうひとつの違和感は、社会的に、あるいは、経済全体で解決するべき課題を個人で解決しようというムリが出ているような気がしてなりません。いつも私が例として引き合いに出すのですが、交通事故を減らそうとすれば、信号を設置して、横断歩道を引いて、速度制限や何やといった規制を導入することで達成できるわけで、個人の努力だけで交通安全が達成できると考えるのは、私は楽観的に過ぎると見なしています。本書は経済社会全体の変化を企業の管理職が個人で何とかしようと努力する方向を指し示しているような気がしてなりません。ただ、1点だけ私が同意したいと思うのは、自分から見た主観的な自分自身の能力と客観的な能力のギャップの存在なのですが、それは今に始まったことではありません。昔から「夜郎自大」という言葉もあるように、自分自身の能力は客観的な評価よりも過大評価してしまうものではないでしょうか。
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