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2005年11月30日 (水)

おしゃべりな子はさらに用心に育てる

9月8日のブログで、我が家の小学3年生と1年生の子供達は、外国で育てたが故に臆病に育ててあると書きましたが、今日の夕刊トップで広島のお子さんの事件の容疑者が逮捕されたとあるのを見て、またしてもこれを思い出しました。
ところで、我が家の子供達は臆病なだけではなく、なぜか、おしゃべりでもあります。実によくしゃべります。下の子は特にそうです。上のおにいちゃんも下の子ほどではありませんが、平均的な小学3年生の男の子よりもしゃべる方だと思います。
そこで、今日から心配になったのは、小学校からの帰り道などで知らない人から声をかけられた場合に、ついついおしゃべりしてしまう可能性です。別に仲良くおしゃべりする訳ではなく、「こっちへいらっしゃい」とか、「お菓子上げようか」とか声をかけられた場合に、「学校の先生がいけないと言った」とか、「おかあさんが寄り道しないで早く帰りなさいと言った」とかの反論をしている間に、犯人のペースに乗せられたり、言い負かされてしまう可能性が怖いと思いました。
このため、今日からは、「知らない人から声をかけられたら何もしゃべらずに一目散で走って家に帰る」を決めごとにして、子供達によく言い聞かせるようにしました。もちろん、道路にいるネコやイヌと遊んではいけないとも、厳重に言い渡してあります。
広島のお子さんの事件のように、小学生を標的にした卑劣な犯罪が今後とも続くようであれば、我が家の子供達を勇敢にするのはもっと遅らせる必要があるのかもしれません。

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2005年11月29日 (火)

財布がボロくなると時計が狂う

私は財布と腕時計はどちらも2種類使っています。
まず、財布ですが、小銭入れと札入れの2種類です。札入れの方には各種カードも大量に詰め込まれています。小銭入れには少しの枚数であれば札を2つ折りにして入れることが出来るスペースもあります。
この小銭入れがかなりボロくなって、四角い形をしているので角が擦り切れてきたため、そろそろ買い換えようと思っていると、先日、DKNYのマネークリップが目について、安かったこともあり、買ってしまいました。マネークリップといっても、裸のままの2つ折りの札を磁石でバインドするタイプのものです。
このマネークリップを使い始めて、各種カード入れに成り果てた札入れの財布とボロい小銭入れと3種類の財布を使い分けていたのですが、先週あたりから腕時計が狂い始めました。マネークリップの磁石の影響です。
次に腕時計です。私はもともとクォーツの腕時計は、スポーツ用のスウォッチだけで、平日には機械時計を2つ使い分けています。通勤用と執務用です。どちらもオメガなんですが、通勤用は手巻きのスピードマスターで、オフィスに着くと自動巻きのコンステレーションに付け替えます。
従来より、コンステレーションは少し遅れがちで、スピードマスターは少し進み気味で、毎週末に適当に調整していたのですが、今までは週に1分足らずの狂いだったのが、どちらも1日に5分ほど進むようになってしまいました。2つある腕時計の使わない方をマネークリップとともにカバンに入れていたので、マネークリップの磁石の影響で狂い始めたものと考えられます。
腕時計は機械式ですので、ジャカルタにいた時にもスマトラ島のアルミ精錬工場を見学した時には外した方がいいと言われた記憶がありますし、昨年オーバーホールに出した折りにも、ノートパソコンのスピーカーに使われている磁石に注意するように忠告されたのですが、我ながら不覚でした。
先週からマネークリップを使わなくなってカバンに入れないようにしているので、1週間余りでようやく進み具合が目に見えてマシになった気がします。札入れには、少ないながらもお札が戻ってきました。小銭入れを早く買い換えたいとアチコチを探しています。

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2005年11月28日 (月)

親孝行で始めたホームページ運営なのでアクセスダウンを目指す

昨日のブログでも書きましたが、子供達の画像中心の我が家のホームページは2001年にジャカルタにいたころに始めました。1998年以来デジカメの画像がかなり貯まっていたこともありますが、きっかけは親孝行です。
ホームページを開設するまででも、時折、子供達を写したデジカメ画像を京都の私の両親にメールで送ったりしていたのですが、2001年になって京都の実家とジャカルタの我が家が相前後してブロードバンドを導入し、常時接続となったので本格的なホームページを開設しました。
京都の両親から見れば私は子供ですし、子の義務として孫の写真をじいさんとばあさんに送るのは親孝行になると考えたからです。
当時は、そろそろ、50MBのホームページを無料でホスティングしてくれるサービスが始まり、早速、それを使いました。最初に使った業者さんはinfoseekに吸収されてしまい、別の業者さんで再開したのですが、一昨年に日本に帰国し、昨年から本格的に独自ドメインを取得してホームページを運営しています。このブログのおすすめリンクにあるのがそれです。
その後、私の父も我が家が帰国した直後の2年前に往生し、先月、三回忌を営んだばかりですが、我が家のホームページは何となく続けています。
ですから、我が家のホームページはもっぱら親戚向けで、アクセスアップはまったく目指していません。むしろ、アクセスは余りない方がいいとさえ思っています。それなのに、11月14日のブログでも紹介しましたが、Googleのページランクチェッカーによると、我が家のホームページはそこそこのランクを取っているらしいです。私も確認しましたが、「松戸、吉岡」でGoogle検索をかけるとトップで出て来たりします。2番目以降は松戸競輪で活躍する吉岡選手に関連するサイトが多いです。いったい誰が見てくれているのか知りませんが、ホームページを開設した本来の趣旨ではありませんので、アクセスを落とすために次の更新ではドメインを変更しようかとすら考えています。次のドメインの更新はまもなくです。
年賀状は昨日撮った紅葉の写真で印刷に出す予定ですが、その年賀状に入れる我が家のホームページのアドレスをどうしようかと、ドメインの空き状況を調べたりして、真剣に悩んでいる今日このごろです。

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2005年11月27日 (日)

松戸本土寺での紅葉狩り

本土寺その1  本土寺その2

今日は午前中のうちに常磐線で北小金駅から本土寺を訪ねました。
6月はあじさいで、今の季節は紅葉で有名な松戸のお寺です。しかし、今朝の朝日新聞の記事にもありましたが、紅葉の季節がものすごく遅くなっているらしくて、もう少し待った方が紅葉はきれいだったかもしれません。まあ、写真はきれいになっているところだけ撮っておけばいいんですし、来週の週末は我が家は土曜日も日曜日も予定があり、そろそろ年賀状の印刷も出さねばならないので、今週末で妥協しました。
私は子供達の写真も何枚か撮って、すでにホームページにアップロードしてありますが、今回の主目的である年賀状用の写真はアナログで撮りました。我が家のデジカメはホームページ用と割り切って60KBくらいの雑な画像ですが、アナログのフィルムでしたら4-5MBくらいのきれいな画像が撮れます。アナログの方が情報量が多くて解像度は格段に優れています。もちろん、デジカメでも4-5MBくらいの写真が撮れるのですが、ホームページへのアップロードには余り耐えられそうもありません。アップロード自体はブロードバンドの世の中ですから十分出来ますが、ホスティングでシロートがリーズナブルに借りられるのはせいぜい200MBから500MBくらいの容量でしょうから、4-5MBの画像ならば50枚から100枚余りくらいしか写真をアップロードすることが出来ません。
振り返って見れば、我が家は1998年に初めてデジカメで写真を撮り始めたのが、小学1年生になる下の子のお宮参りでした。そのころは杉並区にある公務員住宅に住んでいて、その後、ジャカルタ、松戸と引越しして来ました。それから7年かかって1600枚近いデジカメ写真をホームページにアップロードしています。ホームページを開設したのは今世紀に入ったばかりの2001年でした。ジャカルタ在住のころでした。

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2005年11月26日 (土)

平凡でゆったり過ごす土曜日

今日はいつもの通り、平凡でゆったり過ごした週末の土曜日でした。
午前中は子供達が女房に連れられてテコンドーのお稽古に綾瀬に行き、我が家の4台のパソコンはノートンでいっせいにウィルスチェックです。
昼食は綾瀬駅前のマクドナルドです。マクドナルドの子供向けのハッピーセットのオマケは、ここ何年か年末には必ずポケモンになるので、我が家の子供達はとても楽しみにしていたのですが、今日はまだポケモンではなく残念でした。
午後から松戸に帰り、来月の昇級試験を前にテコンドーでエネルギーを使ったためか、何となく外出する元気もなく、家でパソコンでゲームしたり、私と子供達がポケモン・カードバトルをしたりして遊びます。
テコンドーのお稽古もポケモン・カードバトルも今までに大量に写真を撮りましたので、今日は写真までお休みです。明日は松戸の近場で紅葉を見に行く予定です。ついでに年賀状向けの写真も撮ろうと思っています。

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2005年11月25日 (金)

おしゃれなレストランから大学経営を考える

少し先の話ですが、来月になってから慶応大学の先生と会う予定があり、北館2階のファカルティ・クラブなるレストランでランチでも、ということになったので、早速、慶応ボーイの同僚に場所などを教えてもらいました。私は地方大学の出身なので、東京の大学はよく知りません。松戸駅前にある聖徳大学のように知らなくて当然(関係者のみなさま、失礼します)の大学もありますが、有名どころの大学も余りよく知りません。
それはそうと、我が母校の京都大学も少し前の建学100年を記念して、いろいろと変わりました。慶応大学のファカルティ・クラブに対抗している訳でもないのでしょうが、時計台記念館にラ・トゥールなるフレンチ・レストランが出来たり、学部の入り口にカンフォーラというカフェレストランが出来たりしています。昨年2月だか、3月だかに訪ねた折りに見て来ました。ちなみに、見ただけで、食事はしてません。もちろん、私の在学中にはありませんでした。学内で食事をするといえば生協の食堂か、せいぜい、ややおしゃれなところで西部講堂のエスポワールくらいしかありませんでした。
少子化の波をまともに受けて、私立大学は当然ながら国立大学も法人化されてから経営に力を注ぎ始めています。学生をひきつける魅力ある大学作りが求められているといえます。大きな要素は教育の結果としての就職と研究なのでしょうが、レストランなどのアメニティも重要です。

(最後に、少し不幸だった大学時代の通学を振り返ります)

しかし、1年半余り前に母校を訪ねた時には、レストランのせいでもないのでしょうが、今の大学はとても建物がいっぱいで、私の在学時のような駐車スペースが不足しているような気がしました。昔は学内は無法な自動車の運動場といった感じでしたが、今では自動車はかなり厳しい乗入れ制限でもしているような印象でした。
なぜか、私は公共交通機関の谷間の時期に大学に通っていましたでの、生意気にも3回生から自動車通学でした。実は、私が大学に入学した年の9月限りで京都の市電が廃止され、私が卒業した年の6月に地下鉄が開通しました。私の通学を狙い撃ちにしたような京都市交通局のやり方に強く怒りを覚えたものです。そんな訳で、自動車で通学していた訳です。そして、やや記憶が不確かながら、3回生までは自由に自動車を学内に乗り入れることが出来たのが、4回生からは抽選制の入構許可証がなければ自動車の乗入れが出来なくなりました。幸いにして、私は抽選を通って許可証をゲットしましたが、もしも、ダメだったら買ってしまった自動車はどうしようかと、親にムリして買ってもらったただけにとても心配になった記憶があります。
そんな訳で、ムダになるとダメージが大きいので、我が家ではいまだに自動車購入に踏み切れません。

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2005年11月24日 (木)

無意識下の阪神ファンとしての矜持で消費生活に歪み?

昨日の勤労感謝の日の午後に子供達と出かける時、毛糸の手袋を探しているうちに、とても古いガムが出て来ました。干からびていたので、それはそのまま捨ててしまったのですが、それを思い出して、今日は役所の地下の売店でガムを買いました。とても久し振りではないかと思ってしまいました。
かれこれ1ヶ月くらいもガムをかんでいない気がします。元来、私はガムが好きで、我が家の子供達もキシリトール入りでノンシュガーのガムを与えていたりしますが、かなり長い間ガムを買い求めていなかったのは、日本シリーズの前からだったような気がします。
別に、私がガムを買わなかったからと言って、ものすごくロッテに不利になって阪神に有利だとも思わないのですが、ひょっとしたら、阪神タイガースを応援する余り、無意識のうちにガムを断っていたのかも知れません。ヘンなところで消費生活に歪みを生じてしまっていた可能性があります。しかし、ガム断ちの効果もなく阪神タイガースは日本シリーズでロッテにボロ負けしてしまいました。
もうひとつ考えられる原因は先週まで続けていた歯科治療の影響です。歯科治療中は、やっぱり無意識下にガムを止めていたのかもしれません。しかし、歯医者さんに通い始めた8月中旬以降や9月頃まではガムをかんでいました。9月初旬の人間ドックの後に歯医者さんに行った時には歯にガムが詰まっているとおこられた記憶があります。歯医者さんにおこられたのが、やっぱり無意識にガムから遠ざかっていた原因とも考えられます。
ウーン。結局、よく分かりません。

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2005年11月23日 (水)

松戸駅前のゲーム喫茶に遊びに行く

午後からは松戸駅前のゲーム喫茶に遊びに行きました。
我が家は松戸駅までとても遠いので、歩いて駅に向かう際には何かで遊びながら行きます。今日は、行きも帰りもポケモンに関する東京フレンドパーク・クイズをしながら歩きました。東京フレンドパーク・クイズとは、TBSで月曜日にやっている東京フレンドパークのアトラクションのひとつで、得意の分野の何かについて5個くらい答えさせるものです。ポケモンについてのクイズなら、「ロケット団の持っているポケモンを10匹言って下さい」とか出題して、子供達が答えるものです。
下の写真はこの東京フレンドパーク・クイズをしながら歩いて、6時前ですでに暗くなってから団地に帰って来た子供達です。

帰宅した子供達

ゲーム喫茶ではおにいちゃんはプレステ2を借りてドラクエで遊び、下の子はゲームキューブを借りてスマッシュブラザースで遊びます。ゲーム室は今日は我が家の貸切りだったようです。私はゲームとは別室のインターネットで遊んだ後、個室風の部屋にこもってマンガを読みます。
適当なタイミングで切り上げて、駅前のゲーセンに立ち寄って恐竜キングで遊びます。このところ、我が家の子供達はムシキングよりも恐竜キングの方に夢中になっているのですが、今日は水曜日ですので、12チャンネルでアニメのムシキングがあり、突然、ムシキングのことも思い出したりします。3年生のおにいちゃんが「そろそろ11月下旬だから、ムシキングの新しいシリーズのカードが出る」と言い出したりすると、1年生の下の子は「下旬って何?」と聞き返したりします。

今日も元気で愉快な我が家の子供達でした。

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子供は風の子

おにいちゃんのボーマンダ

今日は、朝の早いうちは雲が広がって、やや肌寒かったので、家の中で遊びました。
下の子がパソコンで遊んでいる間に、上のおにいちゃんとポケモン・カードバトルをしましたが、連戦連敗で負け続けました。上の写真は、おとうさんに勝って得意顔のおにいちゃんです。

最後に私が勝って、悔しがるおにいちゃんがもう1回と叫んだ直後に、玄関のドアがピンポンと鳴って同じ公務員住宅の団地のお友達がお外遊びのお誘いに来ました。野球をしようとのお誘いです。もちろん、我が家の子供達もグローブを持って家を飛び出します。下の写真は野球をし終えた後に記念写真風に撮らせてもらったものです。

野球

それから、我が家の子供達がいったん家に帰って来たのですが、今度は自転車に乗って飛び出して行きます。団地内を自転車で遊んだ後、今度は公園のジャングルジムです。楽しそうに元気よく遊ぶ子供達でした。

ジャングルジム

午後からは何をして遊ぼうかナ?

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日銀の金融政策変更に関する論争は勝負あった・・・・・かナ?

全銀協前田会長が「金融政策の変更は経済実勢の後追いで」と発言したそうです。
NIKKEI NET ではここにあります。日経新聞以外でも何社か報道しているようです。
要するに、日銀の金融政策変更に対するタイミングが早すぎるとして、日銀にビハインド・ザ・カーブの政策運営を続けるべきとの提言です。早期の金融政策変更を支持した経済同友会の意向とは真っ向から反対の意見ですが、経済同友会よりも全銀協の方が出来がよくて、明らかに市場の正直なマインドを反映しているように思います。私のような官庁エコノミストと違って、マーケット関係者が日銀に「モノ言う」のは少し躊躇される雰囲気があるのではないかと想像しますが、それだけに、この全銀協前田会長の発言はインパクトがあったと思います。自民党の中川政調会長や小泉総理大臣までも日銀の政策変更を牽制する発言がありましたが、ひょっとしたら、日銀にはこちらの方がより衝撃的だったかもしれません。
蛇足ながら、私はコーポレート・ガバナンスの観点から株主がもっと経営陣に「モノ言う」ことが必要だと思っています。村上ファンドのように。

さてさて、先日も引用した本石町日記でも「勝負あったかな」と考えていらっしゃるようです。私も同感です。
なお、本石町日記では「ビハインド・ザ・カーブの解除が安全である」と書いていらっしゃいますが、これは「ビハインド・ザ・カーブ に従ったゼロ金利政策 の解除が安全である」の趣旨であり、「ビハインド・ザ・カーブの解除 そのものが 安全である」との趣旨ではないと私は解釈しています。イタリック体の部分は私が付け加えました。間違っていたらゴメンナサイ。

一部のブログには日銀の独立性を神聖視して、日銀の金融政策変更を強く牽制した自民党中川政調会長の発言を無条件に批判した記事も出て、私もトラックバックやコメントを付けたりしましたが、マスコミやマーケットのプロは日銀 VS. 中川のバトルも静観していたようですし、収まるべきところに収まりつつあるので、私も安心しました。この一連の議論の中で、経済ネタを扱うブログの質が向上してくれることを、エコノミストとして願って止みません。

今後は、やや記憶が不確かなのですが、今月末から来月初めにかけて、武藤副総裁と岩田副総裁の地方での講演会が予定されているようですから、この内容が注目されます。どちらも官僚出身の副総裁ですが、武藤副総裁が財務事務次官をお勤めになったバリバリの官僚出身者であるのに対して、岩田副総裁は経済企画庁にいた官界経験よりも東大にいた学界経験の方が長いエコノミストですから、少しニュアンスの違いは出るかもしれません。しかし、いずれにせよ、日銀が反省(?)して舵を切り直すのか、そのまま金融政策変更に突っ走るのか、マスコミやマーケットは息をひそめて注目していることと思います。多分前者なんでしょう。少なくとも私は前者であることを強く願っています。

これで、私のブログにおける日銀・金融政策シリーズは小休止とし、今日は祝日ですし、2日出勤すればすぐに週末になりますので、親バカ日記に戻ります。

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2005年11月22日 (火)

金利が上がると何が起こるのか?

一応、念のために申し上げておきますが、タイトルを分かりやすくするために、最初の「短期」を意図的に抜いてあります。金融政策当局が操作できるのは短期金利であると考えられているからです。

日銀のタカ派的な発言から量的緩和の時間軸効果は吹っ飛んだと思いますが、それでは、実際に日銀が短期金利を引き上げたら、何が起こるのでしょうか。
まず、長期金利が上がります。しかし、現在のようなゼロ金利下では長期金利は短期金利の上げ幅ほどは上がらない可能性が高く、イールドカーブは寝てくると予想されます。現時点では米国をはじめとして、世界的にイールドカーブは寝ています。
ここまでは容易に想像できます。

昨夜のブログで、民間シンクタンクを取り上げましたので、ここから先、今夜は政府の研究所を取り上げます。内閣府に設置されている経済社会総合研究所です。
今年の7月に ESRI Discussion Paper Series No.152 として、「(研究ノート)短期日本経済マクロ計量モデル(2005年版)の構造と乗数分析」が発表されていますので。この計量モデルではどうなっているでしょうか。なお、このペーパーはここにあります。ペーパー本体もPDFでダウンロードできます。
本当であれば、日本単独モデルよりも世界モデルの方がより一般均衡的なのですが、多大のコストを要する大規模なモデルは最近では見かけなくなったので、ここではこの日本モデルで考えてみましょう。
こ計量モデルのシミュレーション結果として、短期金利1%ポイントの引上げケースの乗数は以下の通りです。この画像は先ほどのWEBサイトから取りました。

モデル

影響を受ける大きさ、つまり、マグニチュードについては小数点第2位までの精度を求めるのはどう考えてもムリそうな気がしますので、取りあえず、プラスの影響か、マイナスの影響か、符号だけを見てみましょう。
まず、利子所得が増える影響からだと思いますが、確かに、消費にはプラスと出ています。しかしながら、実質も名目も成長率もGDPにはマイナスの影響となります。これは設備投資や住宅投資が消費以上にマイナスになるからです。絶対値の大きさはともかく、このGDPコンポーネントの動きの方向は常識的だと思います。
輸出入ともにマイナスの影響ですが、輸出は金利差に感応的な資金流入により円高となるためで、輸入は国内需要が減少するからです。これもとても素直に受け入れやすい結果だと思います。ただし、輸出入の動きの結果としての経常収支については、円高の価格効果が輸出に与える影響の方が所得効果の輸入より大きいらしく、マイナスの影響となっています。この経常収支への影響はモデルの方程式のパラメータの大きさによって符号は一定しない可能性があります。
賃金・物価については、消費者物価の代理変数である民間消費デフレータにマイナスの影響となり、単位時間あたり賃金も同じ影響が出ます。失業率は逆サイクルですので上昇します。これまた当然の結果です。
注目される財政収支への影響は明らかにマイナスです。つまり、財政赤字が増える方向に影響が出ます。GDPへの下押し効果で税収にマイナスとなり、金利上昇で直接的に国債利払いがプラスになるからです。これもとても分かりやすい結果です。

要するに、経常収支への影響を別にすれば、計量モデルを持ち出すまでもなく、短期金利引上げがもたらす影響の方向は明らかだと言うことです。もっと言えば、現時点で見通せる範囲内の1年から1年半先くらいの期間における金利引上げは明らかに景気や物価にマイナスの影響を与え、デフレを長引かせ、景気後退につながる可能性があります。逆に、金利引上げはネガティブな影響を与えるべき経済状況で発動することが重要になります。つまり、景気過熱とインフレです。
そこで、もう1点、景気過熱ついて日銀はとても「トンデモ」の見方をしています。即ち、日銀は潜在成長率を1%程度と見ていることです。詳細は失念しましたが、1.5%成長について、「潜在成長率を上回る」と表現したことがあり、日銀は潜在成長率を1%と見ていることについて、市場でコンセンサスがあるように見受けられます。逆に言えば、現実の経済成長率が潜在成長率の1%を超えると景気過熱と判断していることになります。国民経済の観点からこれは議論のあるところだと思います。

結論です。
昨夜お示ししたように、消費者物価(CPI)前年比上昇率が来年度後半でも0.4-0.5%程度との民間シンクタンクの経済見通しが支配的な状況で、日銀が金利政策を発動する状況にはないと思います。

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2005年11月21日 (月)

日銀金融政策変更の見方

先日11月17日のブログに書きましたように、日銀と政府・与党との間で政策変更に関するバトルが交わされています。
私は官庁エコノミストとして、日銀の政策変更、つまり、量的緩和の解除や、ましてや、金利引き上げは現段階では疑問符を付けるものですが、もう一度、思いつくままに私の考えを述べると以下の通りです。

第1に、オープンな議論はいいことだと思います。発言者の過去の実績を考慮することは価値があることかもしれませんが、自分と意見の違う発言者にヘンなレッテルを張って、それで議論に勝った気になるのは空しいです。意見の中身を検討することが重要です。

その意味で、論者が景気の循環要因をどのように考えているかを私は知りたいと思っています。今週号の「エコノミスト」104ページのコラムのように、能天気に景気は一本調子で拡大を続けるんでしょうか?
いくつかの民間シンクタンクで先日の7-9月GDP速報後の来年度予想を見ると、総じて慎重なような気がします。民間シンクタンク予想の副題を取り上げると、まず、楽観論の典型は、UFJ総研「いざなぎ景気越えが視野に」、野村證券金融研究所「企業と家計の好循環でデフレ克服へ」、東京三菱銀行「来年以降、安定経済成長軌道を辿ると予想」、などです。ただし、能天気な副題から楽観論に分類しましたが、UFJ総研は日銀が来年2006年5月から徐々に量的緩和を解除し、10月にはゼロ金利政策も放棄してコールレートを0.25%にすると予測し、実に的確にも、2006年末には景気はゆるやかな後退局面に突入する、としています。次に、慎重論として、大和総研の副題は「収益を左右する商品市況と景気の持続力」ですが、これでは何のことやら分からないのでよく中身を見ると、2006年度は景気のモメンタムは弱まる方向、とのことです。また、日本総研も「底堅いものの、加速感は生じず」、電力中研は「企業部門を中心に経済成長は鈍化」とのことです。最後に、もっとも悲観的なのが日本経済研究センターで「消費主導の回復、望み薄」としており、来年半ばからは再び消費者物価(CPI)前年比がマイナスのデフレに逆戻りするというものです。これは私でもややどうかナ、と思います。
日本経済研究センターの短期予測は先週の日経新聞の経済教室でご覧になった方も多いと思います。他方、先週金曜日の同じ日経新聞のコラムで、日銀が金利を引き上げて、たとえば、国債金利が4%になれば、家計の金利収入が22兆円増えて、これが消費に回ればGDP4%の押し上げ、といった「トンデモ経済学」が披露されていました(なお、モノを見ずに記憶で書いていますので、細かい計数の記憶違いがあったらゴメンナサイ)。
何だかコメントするのも空しいですが、住宅ローンを背負った家計はどうなんですかねエ?また、4%で22兆円なんてしみったれたことを言わずに、「欽ちゃんのドーンといって見よう」じゃないですが、ドーンと金利10%とか、20%ならもっとGDPの押し上げ効果があるんでしょうか?そんなことは誰も言わない訳で、謎ですねエ。ちょっと前にあった「よいデフレ論」とともに、とても笑える「トンデモ経済学」だと思います。

さて、お待ちかねの私の経済見通しですが、これもいつもの通り政府の公式見解ならざる私見とお断りした上で、先のシンクタンク予想のカテゴリーで言うと、慎重論からほんの少し悲観論に近いです。景気はゆるやかにスローダウンし、場合によってはピークアウトして2006年度中に調整局面を迎える可能性もあります。論拠を書いているととても長くなりますので、一言で言うと、在庫循環がピークを超えたと思っているからです。「それだけか」と言われそうなんですが、誤解を恐れずに短くいうと、在庫循環図のグルグル線が45度を超えているのがひとつの論拠です。もうひとつは、そろそろ米国の住宅バブルが弾けると考えているからです。ただし、この寄与度は小さいと思います。心理的影響の方が大きいでしょう。
なお、先ほど紹介したシンクタンクの経済見通しで、来年のCPI前年比上昇率がマイナスに再び突っ込むとしたのは日本経済研究センターだけですが、他のシンクタンクは0.1%から0.4%くらいの幅で、これくらいのCPI上昇率でコールレートをつけるとすれば、短期の実質金利が現時点のプラス0.1%から0.2%を上回らないのか、少しだけ心配になります。

第2に、日銀の独立についてですが、まず、前回のブログで犯罪者が基本的人権を奪われることと、間違い続ける中央銀行の独立性を対比させたのは、やや筆が滑ったとお詫びします。特に、お気に触った方々にはゴメンナサイ。ただ、無条件で中央銀行の独立性を支持するのもどうかと思います。国民主権のあり方を十分考えることが必要でしょう。私としてはこれ以上は発言する気はないとだけ申し上げます。ただし、これは私自身の考えであって、無条件に中央銀行の独立性を礼賛する方はご自由にどうぞ。何度も申し上げますが、形式ではなく、政策の中身が重要だと思います。

日銀の実績との関係で、1998年の新日銀法施行については、みなさんよく覚えていらっしゃるのに、2000年8月のゼロ金利解除の失敗に言及されないのは不思議だと思っています。時事通信の窪園編集委員が書いていらっしゃる「本石町日記」でも、「日銀が間違えたら二度目となり、法改正論議が浮上しても仕方ない」とのコメントがあり、さらに、総選挙で大勝した現在の与党勢力は強いから、本当に改正されるかもしれない、とまで付け加えていらっしゃいます。官庁エコノミストの私としても、そんなことはイヤですから、日銀にはそれだけ慎重にお考えいただきたいと思います。なお、「そんなこと」とは日銀法改正ではなく、日銀が間違えることですので、念のため。

(余談)

日銀の独立を無条件で支持するのは大いに結構ですが、私のオススメはその前に日銀の評価を知るためにアマゾンで検索してみることです。「日銀」で検索して出て来た本の書評を読んでみましょう。本を書くような有識者が日銀をどのように評価しているか、一端がうかがえると思います。

(余談終)

第3に、日銀に限らず、経済政策当局はもっと金融政策における期待の役割を重視すべきだと思います。たとえば、日銀は量的緩和については、これにより日銀が相当長期に金融緩和を継続するとの「時間軸効果」があると称していましたが、今回の一連の騒動で日銀がビハインド・ザ・カーブを本当に続けるかどうか、市場の期待は吹っ飛んだように思います。もっとも、現時点で市場がこれを織り込む動きは見せていません。これは幸いですが、速水前総裁のころに、ゼロ金利政策はとても変則的で異例の政策であると、ことあるごとに強調して、市場の期待をヘンな方向にもって行ってしまったと私は考えています。

1日の仕事を終えて、家でブログを長々と書いていると疲れてきました。明日は朝食会があって、朝が6時起きなのも思い出してしまいました。
ということで、最後に、
日銀の出口政策について、とても的確そうなコメントを田中秀臣先生が「ノーガード経済論戦」で書いていらっしゃいます。「的確そうな」と言ったのは、まだその1しか見ていないからです。先週の第1回目のその1は安達誠司氏の「デフレは終るのか」(東洋経済新報社)を大幅に引用しつつ、「出口政策採用への日銀の現状の早すぎるコミットへの懸念は募るばかり」で終わっていました。私も実はこの本はだいぶんと前に読んでおり、先週11月17日のブログの米国FEDの大不況脱出時の準備率引上げの失敗などを勉強させてもらっています。しかし、今週に入って、今日のブログは出口政策その2に進まずに「アイドル・エコノミックス」になってしまって、ややガッカリです。

私も明日のブログは親バカの子供と遊ぶシリーズに戻ろうか・・・

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2005年11月20日 (日)

午後からは昨日の科学技術館で教わった空気砲の工作で遊びます

午後からも、やっぱり、親子3人が自転車で外出します。100円玉を何枚かつかんで、空気砲の工作のための材料を買い求めに行きます。まず、100円ショップに行き、20個入りの風船を買います。次に、コンビニで500mlのペットボトル入りの飲みものを買い求めます。
家に帰ってオヤツにし、ペットボトルの飲料を飲みます。
ペットボトルを軽く水洗いし、底をカッターナイフで切り取り、風船も2つに切ったのを、このペットボトルの底にビニールテープで張り付けます。切り取られた風船が少したわむくらいです。
これで空気砲の完成です。
昨日の科学技術館では、ペットボトルの空気砲もあったのですが、カートン箱で作る空気砲が主だったです。しかし、日本の住宅事情を考慮して、我が家ではペットボトルで空気砲を作りました。

空気砲くらいなら安全上からは何ら問題ないのでしょうが、子供達の遊び方の基本として、こういったものは人を狙ったり、人に向けて打っちゃダメと教えてありますので、新聞の折込みチラシを切って的を自作します。空気砲で倒されるようなとても軽い的ですから、女房が洗濯物の取込みのために窓を開けると、風が入ってなぎ倒されるので子供達が文句を言います。

下の写真は新聞チラシで自作した的を自分の周りにぐるりと配置して空気砲を打ち始める下の子です。

下の子の空気砲

おにいちゃんの空気砲

上の写真は廊下に的を配置して腹ばいで狙うおにいちゃんです。

その後、ひとしきり遊んで空気砲に飽きたら、当然のように、ポケモン・カードバトルになります。今日は下の子には負け続けましたが、おにいちゃんには適当に勝ったり負けたりでした。下の写真は私に勝った時に活躍したレックウザやボーマンダなどのカードをかざすおにいちゃんです。ヒザ元にあるのは昨日の科学技術館のお土産の自作のスーパーボールです。

おにいちゃんのレックウザ

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午前中は自転車で和名ヶ谷の温水プール

今日はお天気がよく、下の子が先日買った自転車乗りたさ半分に、和名ヶ谷スポーツセンターの温水プールに行きたいと言うので、私と子供達が自転車で行きました。
10時前に着くと、まだ入場者数のカウントが31人で、子供達が小学校のクラスの人数よりも少ないと言って喜んでいました。ここの温水プールは定員が400名で、夏場なんかにこれを超えると入場制限をされます。この季節は入場制限のおそれはありません。市役所のする事業なんて、こんなものです。
おにいちゃんは小学3年生ですし、もともと自転車は上手に乗りこなしていて、心配は下の子だったのですが、松戸の人なら自動車で行きそうな片道2キロ余りの道のりを、往復ともしっかり自転車を操縦しており、我が子ながら成長を実感しました。ついこの間まで補助を外しただけの幼稚園自転車に乗っていたのに、今では24インチの小学生自転車を乗りこなして、2キロ余りの道をおとうさんやおにいちゃんと遜色なく往復できるのですから大したものです。
下の写真は和名ヶ谷スポーツセンターから帰る時に撮ったものです。

和名ヶ谷プール

家に帰って昼食を終え、ポケモン・カードバトルが始まります。
下の写真は、おとうさんに勝って得意の顔でスピードボールの技を繰り出したレアコイルのポケモンカードを見せる下の子です。
午後からもいっぱい遊びます。

下の子のレアコイル

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2005年11月19日 (土)

北の丸公園にある科学技術館に行きました

科学技術館

この週末は年賀状向けの写真撮影を兼ねて、どこかに紅葉狩りに行こうと考えていたのですが、先週の寒さにもかかわらず、まだ紅葉が十分に色づいていないようでしたので、今日は急遽予定を変更して、皇居北側の北の丸公園にある科学技術館に行きました。上の写真は科学技術館の正面をバックに子供達を写したものです。
科学技術館には昨年9月にも来たことがあり2度目となります。昨年来た時は、5階のステンレスボールをてこや滑車を使って斜面を転がして行くのが面白いらしく、科学館に来ていながらまるで体育会系の遊び方でしたが、今回は実験教室や体験教室にも参加し、いっぱしの科学館遊びをして来ました。

まず、そうは言いながらも、今回もやっぱり5階のステンレスボールから始めます。誰もいなかったので、2つの巨大なステンレスボールを子供達で2-3周ほど転がします。これだけでヘトヘトになります。その後、11時からアミノ酸の体験学習に出席しました。味の素の提供です。このようなイベントで企業が科学館を後援することはとてもいいことだと思いますので、私も企業名を上げて感謝の気持ちを表現しておきます。ついでながら、お土産に甘味料をもらいました。

昼食後、ガスクエストでベルヌーイのボールやボイルの魔法椅子で遊びます。面白いことに、小学1年生の下の子くらいの力ではマクデブルグの吸盤を外すのにとても苦労することを発見しました。次いで、消しゴムにレーザーで名前を焼いてもらうデモを見たり、いつものプラズマ・ボールで遊んだりします。2時過ぎから、メディア・スタジアムで自分の顔を画像に写した上で変形させる遊びをして、プリントアウトもしてもらいます。

それから、屋上に上がってシャボン玉で遊びます。風も弱くて、おもしろいようにシャボン玉が出来ました。小学1年生の下の子くらいでしたら、シャボン玉を作るだけでなく、追いかけて遊んだりします。2人がかりで大きなシャボン玉を作る仕掛けもあり、子供達でこれに挑戦していると、私だけでなく、どこかの外国人のおじさんもカメラで撮ったりしていました。下の写真がそれです。

シャボン玉

空気砲

3時半から空気砲の実験教室に参加しました。上の写真は、空気砲で私を狙う子供達です。カートンボックスやペットボトルで作った空気砲で大いに遊びます。子供達にはこの空気砲の実験教室が一番面白かったようで、その次が屋上のシャボン玉だったようです。最後に1階のミュージアムショップでお土産を買いました。スーパーボールを自分で作るキットで、家に帰って早速作って遊びました。

ブログでご紹介した以外の画像については、おすすめリンクにある「松戸在住吉岡家一同ホームページ」でご覧下さい。あるいは、ここをクリックして下さい。

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2005年11月18日 (金)

久し振りのウィルスメールからジャカルタ生活を懐かしむ

今夜、お風呂から上がった後、プライベートのメールアドレスを開くと、実に半年振りくらいでウィルスメールを受け取りました。Norton AntiVirus がさっさと削除してしまいました。
2年前の9月にジャカルタから帰国して以来、さすがに日本は先進国だけあってウィルスメールがほとんど来ないと感激したものでした。ジャカルタではほぼ毎日2-3通、多い時では10通以上のウィルスメールを受け取っていました。サッサーやバッドトランスなど、世界的にもウィルスが蔓延していた時期に当たっていたのかもしれません。私は知り合いからウィルスメールをちょうだいすると、必ずその旨をお知らせしていたのですが、ほとんどはウィルスメールを発信した自覚がなく、私に対して「失礼なヤツだ」とばかりに怒り出す人も少なくなかったです。
そのウィルスメールが日本に帰って来てピタッと止まりました。

(余談開始)

なお、余談ですが、私のこのブログのおすすめリンクにある TSQ Homepage は私のジャカルタ時代の活動成果を取りまとめたものですが、いまだにインドネシアのプロバイダさんのWEBスペースに開設しています。2003年の5月だか6月だかに料金支払いをストップしたのですが、なぜかまだWEB上に残っています。私から特に削除して下さいとも連絡していません。要するに放置してあります。
これまた、蛇足の蛇足ですが、WEBスペースと同じ時期に支払いをストップした同じインドネシアのプロバイダさんのメールアドレスもまだちゃんと使えています。
このせちがらい世の中に、有り難いことです。

(余談終了)

ウィルスメールがとても少なくなった一方で、官舎住まいになったもので、トイレも少なくなりました。ジャカルタのころはトイレが3つあり、夫婦と子供2人の4人家族ではトイレ不足に陥ることはありえませんでした。現在では朝の忙しいタイミングで、ちょっとしたハプニングのためにトイレに行列が出来ることがあります。「行列の出来る○○○○」なるものは、本来、評判がよくて待ち行列が出来るものをほめる表現なのですが、我が家のトイレは違います。
もちろん、トイレだけでなく、家族みんなでジャカルタ生活を懐かしむ時もあります。広い部屋と毎日入れるプールのあるマンション、運転手さんやメイドさん、毎日早く帰って来るおとうさん。そして、10月31日のブログに書いたハロウィーンのようなちょっとしたイベントも楽しかったです。しかし、とても辛かったのは上の子が小学校に通う通学バスがとてつもなく朝早くに起きないと間に合わないことでした。一番日本に帰りたがっていたのは、ジャカルタで小学生になってしまったおにいちゃんかもしれません。

何はともあれ、ウィルスメールから思い出したジャカルタでした。

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大学の同窓会名簿

大学の同窓会名簿が届きました。大学の全卒業生ではなく、経済学部だけの卒業生名簿です。我が母校に経済学部が出来たのが80年くらい前ですから、卒業生は大正のころから始まっています。しかし、さすがに大正の卒業生はお亡くなりになっていらっしゃる先輩が多かったです。同じゼミの仲間が掲載されていないので不思議に思って探すと、その人は公認会計士を目指して留年したので、私より後の卒業年次のところに掲載されていたりしました。それで、ふと思ったのですが、卒業年次でソートされた卒業生名簿ですから、卒業せずに中退した人達はどうなっているのか?やや不思議でした。
私はこのテの同窓会などの年会費はきちんと支払っていて、住所や電話番号もちゃんと登録してあるので、こういった名簿やお知らせは我が家に必ず届きます。高校の同窓会には我が家のホームページも登録してあります。また、名簿だけでなく、数年前に大学が建学100周年を迎えて小額ながら寄付をした折には、記念のネクタイピンをもらって、今でも大事に使っています。実は、最近発見したのですが、役所の同僚で私と同じように、この大学創設100周年記念ネクタイピンを愛用している後輩もいたりします。
しかしながら、名簿には私の自宅住所や電話番号まで、すべての情報が掲載されていましたが、個人情報保護の観点からはもう少し注意するべきだったのかもしれません。特に、我が家の電話番号が堂々と掲載されていたのでやや心配になりました。関西にある地方大学ながら、それなりの歴史と伝統のある大学の経済学部で、私の勤務先の役所名まで掲載されているので、ダイレクトメールや電話勧誘用と考えれば、この名簿はそれなりの価値があると考える業者さんがいるように思います。

(ここで、僭越ながら悪質電話勧誘に対処するアドバイスです)

興味を持てないダイレクトメールなら黙って捨てればいいのですが、電話勧誘、特に節税目的と称するワンルーム・マンションの電話勧誘には、時折、とてもしつこくて悪質なものがあります。
悪質電話勧誘への対処なのですが、私は必ず電話をかけてきた相手方の人の個人情報を得るようにしています。氏名、勤務先の部署、職場の電話番号、などで名刺に書いていると考えられる程度の常識的な情報を言ってもらいます。
名刺に書いてある程度の個人情報も教えてくれないのであれば、信頼できる情報とはとても思えないので、その旨を断って電話を切れば失礼にならないですし、中には、自分の名前すら言いたくなくて先方から自発的に電話を切ってしまった人もいます。2年ほど前に職場に電話をかけてきた女性でした。職場の仲間にはそれと分かったらしく、みんなで大笑いした記憶があります。
連絡先の電話番号を控えておくと、それだけで相手に対して一定の抑止効果を持ちます。

大学の卒業生名簿が送られて来ただけで、ここまで発想が飛んでしまうのも、少しイヤな時代なのかもしれません。あるいは、私がイヤなヤツなのかもしれません。

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2005年11月17日 (木)

政府・与党はどうして日銀の金融政策を牽制するのか?

初めにお断りしておきますが、今夜はエコノミストとして誤解を恐れずかなり思い切ったことを書いてしまいました。正々堂々の論戦はいくらでも受けて立ちますが、非難中傷に終始しているものや表面的で中身のない反論はご遠慮下さい。

本題です。
政府と日銀の政策運営に関して、政府・与党から日銀の金融政策を強く牽制する発言が相次ぐ中で、注目の日銀政策委員会・金融政策決定会合が今日から明日にかけて開催されています。結果は、明日の午後3時に基本的見解が公表されます。

私も官庁エコノミストの一人として、政府・与党と日銀との間の先行きの金融政策、即ち、デフレ脱却後の出口政策をめぐる動きには大いに注目しており、ここで私なりの意見を申し述べたいと思います。
まさか誤解する人はいないと思いますが、念のため、官庁エコノミストとはいうものの、意見や見解に及ぶ部分はあくまで私の個人的見解であり、政府の公式見解ではありません。事実関係は調べたつもりですが、間違っていたらゴメンなさい。

まずは、事実関係のおさらいです。
第1に、日銀の方の動きです。先月10月31日に日銀から展望レポートが発表され、今後の経済見通しに日銀はかなり楽観的であることが明らかになりました。さらに、先週金曜日の共同通信主催のきさらぎ会で福井日銀総裁が講演し、現在の量的緩和政策の解除とそれに続くゼロ金利政策の解除、つまり、金利政策の復活を強く示唆しました。この福井総裁の講演要旨はじっくり読むに値すると思いますので、ここにリンクを張っておきます。
第2に、これに対する政府・与党の動きです。先週末の11月13日に自民党政策調査会の中川会長が京都において「日銀法改正」までちらつかせながら、強い調子で日銀のこの動きを牽制しました。中川政調会長は日経新聞記者出身で、小泉総理の側近中の側近です。続いて、11月14日に小泉総理大臣本人が金融政策については日銀が独自で判断することとした上で、まだデフレ状況にあるとして日銀に慎重判断を求めました。

要するに、日銀は量的緩和もゼロ金利も早く放棄して、通常の金利のある金融政策運営に戻りたいのですが、政府・与党はまだデフレが続いている中で、日銀が金融政策を引き締めるなんて、とんでもないと反論している訳です。

以下は私の意見です。
まず、日銀が早めに金利のある政策運営に戻りたがっているのは、景気がこの夏には踊り場を脱して順調に推移している中で、必要準備を大幅に超える大量の流動性がいわゆるブタ積みされているとの危機感があり、デフレの脱却による一定のプラスの物価上昇と景気拡大が確かなものと見なされるのであれば、このブタ積みされている流動性がインフレにつながる前に処理する必要がある、との意図からであろうと推測されます。やや下がって来たとは言うものの、原油価格もまだまだ高いと考えられることから、これは基本的に正しいです。問題はタイミングです。
過去の例を見れば、1929年10月の暗黒の木曜日に始まり、1930年代まで続く大恐慌からの回復期の出口政策にも同じ問題がありました。米国のFEDは単純に必要準備率を引き上げれば、このブタ積みがそのまま必要準備に転換されるだけだから、と考えて必要準備率を引き上げました。しかし、現在の経済学では必要準備率の操作は金融政策の中でもっとも激烈な効果を持つものとされていることから容易に想像されるように、結局、この準備率引上げは強烈過ぎて、インフレ抑制の目的を超えて、逆に、デフレに再突入する結果に終わってしまいました。

政府・与党は日銀が1930年代の米国のFEDと同じように、早過ぎたり、強過ぎたりする出口政策を採用するのではないかと心配しているのです。なぜなら、日銀の金融政策は失敗続きだから、今回の出口政策のような節目の政策変更時には、日銀は政府の意見も十分に考慮すべきである、ということに尽きると思います。私が官庁エコノミストだから、やや政府・与党にバイアスを持っていることは否定しませんが、これはそれなりに正当性のある要求です。
私が考えるだけでも、日銀の大きな失敗は以下の通りです。私よりも日銀に批判的な人なら、もっと数え上げるかもしれません。
(1) 1980年代末にバブルを発生させた
(2) 1990年代初にバブルをハードランディングさせた
(3) 1997年に金融危機をもたらした
(4) 1990年代後半からデフレに陥らせた
(5) 2000年夏にゼロ金利を解除しデフレを長引かせた

まず、1980年代末のバブル経済の発生については、当時の財政政策は景気拡大の中で税金の自然増収から、結果として引締め気味に運営されており、誰も信じていなかった「増税なき財政再建」を達成してしまったくらいなのですから、緩和され過ぎた金融政策が引き起こしたものです。それならそれで、ダメージの大きくないソフトランディングさせてくれればよかったのですが、急速な金融引締めによりバブル崩壊を招きます。
その後の1993年の冷夏・長雨による日本経済の底割れについては、もちろん、日銀に天候に対する責任はないですし、むしろ、景気の底入れ宣言を早まった政府の方が判断ミスをしていたと言うべきでしょう。
1990年代後半には、1997年に三洋証券、山一證券、北海道拓殖銀行と大型破綻が相次ぎ、そこに、タイを発信源とした東南アジアの金融危機が発生したため、1997年から98年にかけてはシステミックリスク直前の状況まで発生してしまいました。そして、日本経済はデフレに突入します。もちろん、他方で政府を見ると、橋本政権の下で1997年4月から消費税が3%から5%に引き上げられたことには景気抑制の効果がありましたが、金融を危機的な状況に陥らせないようにするのは中央銀行の役割ですし、すぐれて貨幣的現象であるデフレについても通貨当局に責任があると考えるのが常識でしょう。
前世紀末には、橋本政権を引き継いだ小渕政権は、総理大臣自身が「世界一の借金王」とやや自嘲気味に称するほど、大量の国債発行による減税や公共投資を行い、デフレと不況の克服に取り組みます。この政府の動きに合わせて、日銀もゼロ金利で景気を支えていました。さらに、米国を中心とするITバブルによる好況が現出し、日本経済もデフレ脱却が近い状況にあると思われていましたが、1998年から施行された新日銀法の下での初代の日銀総裁である速水前総裁が2000年8月にゼロ金利を解除し、日本のデフレはさらに長引く結果になりました。この時、政府から日銀の金融政策決定会合において1ヶ月の決定延期請求がなされましたが、日銀はこれを拒否してゼロ金利を解除したのです。この最後の日銀の失敗は決定的に政府の日銀への信頼を落としました。

今日明日の金融政策決定会合で量的緩和の解除や、ましてやゼロ金利の放棄が議題になるとはとても思えませんが、今後の金融政策決定会合でこれらが議題に上れば、タイミング次第では、政府は再び決定延期請求を出す可能性が十分あると思います。政府が決定延期請求を出すと言うのは、罵り合って殴り合いのケンカをしているのと同じです。即ち、刃物や拳銃を持ち合って相手を抹殺する可能性のあるケンカではないですが、紳士的にテーブルについて穏やかに話し合っているのとは大違いです。中川政調会長の「日銀法改正」発言は拳銃で相手を抹殺することをチラつかせたものと言えます。

現時点では「中央銀行の独立性」を尊重する立場から、政府・与党の牽制を問題視する向きもありますが、政府・与党から見れば、過去の経験に照らして、失敗続きの日銀の独立性を尊重していれば、さらに失敗が続きかねないと心配している訳です。もっと極端な例を言えば、基本的人権が尊重されるべきなのは当然ですが、重大な犯罪を犯した犯罪者は死刑や懲役刑に処せられて、基本的人権を尊重されなくなる訳ですから、失敗続きの中央銀行には独立性を付与するべきではない、とすら考える人がいてもおかしくありません。いくつかの前提付きながら、このまま、速水前総裁に続いて福井総裁も同じように、政府から決定延期請求にもかかわらず、それを拒否して量的緩和やゼロ金利を解除し、それがデフレへの再突入につながったりすれば、日銀を懲役刑に処する、即ち、中央銀行としての独立性を剥奪することが国権の最高機関で決定されてしまう恐れがないとは言えません。

もともと、1998年に施行された現在の新日銀法は、住専処理やノーパン・シャブシャブ接待などの問題を中心に、当時の大蔵省バッシングがピークにあった時に可決成立したものです。これとほぼ同時に金融監督庁(現在の金融庁)が分離独立したりして、当時の大蔵省の巨大な権限を殺ぐことに国民のコンセンサスがありました。日銀が中央銀行として政府からの独立を果たしたのはタナボタのオマケだったと言う人もいます。逆に言えば、さきほどのいくつかの前提が満たされて日銀バッシングが強まれば、中川政調会長のチラつかせた「日銀法改正」が国民のコンセンサスを得る可能性も皆無ではありません。

私は官庁エコノミストとして研究や調査と名の付く部局にいた経験が長くて、それなりに官庁や日銀、あるいは、民間シンクタンクなどのエコノミストの知り合いもいます。私から見ると、日銀に設置されている研究所の所長さんは、どんなに批判が強い政策変更であれ、日銀の政策の正当性について必ず擁護する立派なペーパーを書ける能力の持ち主です。また、日銀で景気判断をする部局の局長さんは、かなりの期間にわたって景気判断を間違い続けているのではないかと疑われています。実は、この2人の組合せは少し怖いものがあります。ちなみに、何の関係もありませんが、政府の景気判断を行う部局の局長さんは現時点で民間のエコノミストが登用されています。先代もそうでした。

要は、日銀や政府・与党のメンツや政策上の主導権争い、あるいは、過去の失敗の言い訳などではなく、デフレの本格的な脱却と景気回復のさらなる継続のために、日銀が過去の経験に学び、政府の意見も取り入れて、金融政策が正しく運営されることが何よりも重要です。中川政調会長の発言は、総選挙で大勝した政府・与党が日銀の独立性に対して力任せの不当な介入を試みているのではありません。そんな表面的・形式的なことではなく、中身を見る目を養う必要があります。

最初にも書きましたが、堂々の論戦は歓迎します。

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2005年11月16日 (水)

インフルエンザの予防接種は少し遅めがいいのか?

先日のブログでも書きましたが、先週11月10日(木)の小学校の授業参観があって私が仕事を休んだ日の夕方に、我が家は一家4人そろって松戸駅前のクリニックにインフルエンザの予防接種に行きました。
2年前の2003年9月に常夏の南の島ジャカルタから帰国して、その冬は高をくくっていた訳でもないのですが、予防接種をしなかったために、これまた一家そろって仲良くインフルエンザに罹患して苦しめられた経験があるので、昨冬とともに今年もインフルエンザの予防接種は早めに受けています。

しかし、なんと腹立たしいことに、我が役所で今週に入ってインフルエンザの予防接種が格安で受けられると連絡が回って来ました。役人になって20年余り、今までこんなサービスは記憶がありません。それだけに、この冬のインフルエンザの流行が懸念されているのかもしれません。職場の同僚みんなは、「こんなの初めてだよネ」とか言いながら、私以外はせっせと予防接種を希望していたようです。
すでにタッチの差で予防接種を受けてしまった私は希望しませんでした。こんなのは早めに知らせてくれなければ、と怒りまくってしまいました。ランチを腹いっぱい食べた後に、昼飯をおごってやると言われたようなものです。例えが意地汚いかもしれませんが。

我が職場ながら、やっぱりお役所仕事は遅れ気味にやって来るようです。

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勉強熱心なフリーターは公務員試験に合格するか?

10月14日のブログにも書きましたが、私はキャリアの公務員で、国家公務員I種試験の試験委員をした経験もあります。公務員試験に関連して、昨日のブログの最後のに触発されて、メールをくれた友人があり、フリーターが公務員試験を目指してブログを開設している人が結構多い、と教えてくれました。適当にヒマがあるので、勉強熱心なフリーターが合格する確率は決して低くないように思います。大いにエールを送りたいと思います。

フリーターはともかく、特定の集団でI種の国家公務員試験に合格するグループと言えば東大生です。特に、東京大学法学部です。
よく、国家公務員の仕事は何かと聞かれますが、それは、東京大学に限らず、なぜ法学部出身者が多いのか、という質問に対する答と同じで、国家公務員は法律の案を作成しているからです。どうして案かというと、法律を策定するのは国会の権能であり、行政府の政府は法案を提出する権能しか持たないからです。日本は法治国家ですので、法令は国家運営のもっとも基本となるものです。ですから、ついでながら、私のような経済学部出身のエコノミストはキャリアの国家公務員の中では傍流と見なされます。

話を戻しますと、私が国家公務員試験の試験委員をしていた時には、東京大学出身者が多いことが問題視されており、これを是正すべきだと言われていました。私は試験委員の立場から、そんなことは試験作成の段階で何とかなるものではないし、そもそも私自身が東京大学の卒業生ではないのでよく分からないし、で、東大生の合格比率を操作することは放棄していました。
ついでながら、最近、国家公務員I種の官庁への採用者数が発表されましたが、女性の割合が2割を超えているそうです。私が試験委員をしていた時にも、女性合格者の比率を上げることが課題の一つとされていましたが、これは、ひょっとしたら東大生の合格比率を操作するよりも難しそうな気がします。

すでに退官者が出始めているので時効になりつつあるかもしれませんが、公務員の採用で特徴的なのは1974年の入省者が突出して多いことです。この前年の1973年は第1次石油危機があり、民間企業の採用では内定取消しが発生したために、公務員の方で採用を確保したと言われていますが、実はこれにはウラがあります。1973年入省の人数がとても少ないので、その穴埋めに1974年入省者が多いのです。1973年採用が少ないのは、その4年前の1969年に70年安保に関連して東大紛争があり、安田講堂の火災などの影響により東大入試が中止になり、1969年の東大入学者がゼロだったためにその4年後の1973年の東大卒業生が極端に少なかったためで、中央官庁のキャリア入省者がこの1973年にガタ減りしたのです。
私がまだ大学生にもなっていない大昔の話を伝聞で聞いただけですので、どこまでホントかウソか、定かではありませんが、真実であるとすれば、公務員試験の合格者から東大生の比率を減らそうとする努力にも一定の理解を示すべきかもしれません。

フリーターの公務員試験合格から話が始まって、結局、東大生の合格比率で終わってしまい、申し訳ありませんでした。

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2005年11月15日 (火)

黒田さんと紀宮さまのご結婚から公務員のブランド価値を考える

今日の午前中に黒田さんと紀宮さまのご結婚式があり、夕方から披露宴がありました。
おめでとうございます。
結婚式・披露宴どちらも帝国ホテルだそうで、10月15日に私がお招きいただいた結婚披露宴があったのと同じホテルです。

1993年6月の皇太子殿下のご成婚の時に、私は在チリ大使館勤務の一時帰国で日本に帰国していて、京都の実家で一部始終をテレビで拝見した記憶があります。皇太子殿下のご成婚のお相手と言うか、現在の皇太子妃殿下は旧姓小和田さんで、外務省のキャリア公務員でした。私は1989年の夏に外務省北米第2課のカウンターパートが夏休みに入ったので、当時の小和田さんと電話でお話ししたことがあります。電話で「小和田と申します」と言われた時に、「大和田さんですか」と間の抜けた受け答えをした記憶があります。
それはさて置き、秋篠宮殿下とご結婚された紀子様は別として、今回の紀宮さまがご結婚された黒田さんは東京都庁の職員で、要するに、地方公務員です。ちょっと別にしておいた紀子さまも大学教授の娘さんで、団地からご結婚式に向かわれました。

かつては、皇族のご結婚相手は皇族の中ではないとしても、旧大名家に連なる島津家や池田家、あるいは、茶道家元など、一般庶民からかなりかけ離れた存在でした。皇后陛下は大企業のオーナー経営者の一族ご出身です。

皇太子妃殿下になられた小和田雅子さんも、紀宮さまとご結婚された黒田さんもどちらも公務員でしたので、公務員を20年余りもやっている私も誇りに思います。エコノミスト的に言うと、公務員のブランド価値が高まるでしょう。公務員試験のブログがいっぱい出来るのも当然かもしれません。

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2005年11月14日 (月)

長者番付の発表中止からインターネット上での匿名性維持対策について考える

国税庁は来年から多額納税者の長者番付の発表を発表を取り止めるそうです。個人情報保護との関係だそうです。確かに、長者番付にのっていれば、犯罪被害にあいやすかったりするような気がします。もっとも、公務員である私が高額納税者になるハズもありません。

個人情報保護法とは別に、インターネットは匿名性が高いことも従来より指摘されています。「なりすまし」が簡単に出来るのです。しかしながら、逆に、別の情報を開示してしまう危険もあります。
我が家では4人家族で3つのプロバイダから7つのメールアドレスを取得しています。その他にもフリーのメアドが山ほどあります。その中で、子供達のアカウントに猛烈にスパムメールが来るので困っていて、理由が分からなかったのですが、先日着たスパムでようやく理解しました。そのスパムメールは冒頭に「男の方ですよね」と書き出していたのです。つまり、我が家の子供達のアドレスは名前そのままにしてあったので、男が使っているメアドだと分かってしまって、スパムがワッと押し寄せているらしいのです。

私は割合と自分自身の個人情報についてはルーズで、例えば、このブログのおすすめリンクにある「おとうさんのお仕事のページ」をたどれば、私の本名は簡単に分かります。現職のポスト名はないと思いますが、前職や前々職のポストはすぐにバレてしまいます。もちろん、電話番号は厳重に管理していますし、細かいフルの住所はダメでしょうが、千葉県松戸市に在住していることは明らかです。他の方々のブログを拝見する機会も多いのですが、どこに住んで何をしている人が書いているのかが全く不明の人もいますし、せめて地域か勤務している産業か職種が分かればトラックバックも出しやすいのにと思うことがあります。

(ここで話題が微妙に方向転換します)

私の知り合いに旅行記などのホームページを運営している人がいます。旅行先の画像などを公開していて、アフィリエイトで稼いだりしているようです。風景写真などは本当にきれいによく撮れているのですが、驚いたことに、その人のホームページの人物写真には顔にお面がかぶされており、さらに驚いたことに、その画像をローカルに保存して、別のグラフィックビューアで拝見すると、とても歪んだ画像になっているのです。
Exif情報が壊れるので、私は画像のレタッチはよほどのことがないとやりませんが、やっぱ、個人情報の保護に熱心と言うか、匿名性を強力に維持しようとすれば、これくらいはやらねばならないんだ、と感銘を受けました。私のように、我が子や自分自身の画像をホームページやブログでホイホイ世界中に露出してしまうのは、犯罪なんかに巻き込まれやすいのかもしれません。

(ここで話題が大幅に方向転換します)

ちなみに、つい2-3日前、この同じ知り合いからメールでページランクチェッカーなるものを教えてもらいました。ここで調べると、我が家のホームページはランク3で、この知り合いのはランク2でした。ランクというからにはベストが1で、それから順に下の方に行くと悪くなって行くように思うのですが、この数字とランクの関係についてはイマイチ理解出来ていませんので、今度機会があれば誰かに教えてもらおうと思っています。

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2005年11月13日 (日)

今日は松戸の聖徳大学大学祭に行きました

今日は、松戸駅前のイトーヨーカ堂の裏手にある聖徳大学の大学祭に行きました。
私は関西の人間なのでよく知らないのですが、もともとは女子大で、女子大らしく幼児教育学科や食物学科などがあるようです。我が家の小学校3年生と1年生も校門のところから歓迎され、プレイルームのような部屋に連れて行かれました。折り紙や工作などで遊びます。
ジャカルタから帰国した2003年以来、ここの大学祭の訪問は今年で3回目になります。昨年はまだ忘れていないだろうと思って、英会話のクラブに子供達を連れて行って、英文カルタで女子大生を相手にボロ勝ちし、豪華な景品をせしめた記憶があるのですが、今年はもうダメだろうと考えてヤメにしておきました。その代わり、今年はクイズラリーに挑戦しました。10ヵ所余りのクイズを答えて、最後にくじ引きをします。
まったく理由が分かりませんが、なぜか、下の子はくじ引きにめっぽう強いのです。例えば、ムシキングのカードは300枚以上持っていて、こうなると大数の法則がはたらいて、結局、平均的な結果に終わるのですが、1回限りのくじ引きでは下の子はとてつもない強さを発揮します。今回のクイズラリーのくじ引きも、私と上のおにいちゃんが参加賞のキャンディで終わったのに、下の子だけはキッチンタイマーをゲットしました。本人もくじ運の強さは自覚していて、自分でもとても自信を持っています。くじ引きがあれば、我が家を代表してくじを引くのは最年少の下の子なのです。
下の写真は聖徳大学の大学祭から帰るところです。 下の子はポット型のキッチンタイマーをしっかり持っています。

聖徳大学大学祭

なぜか、聖徳大学の大学祭はスーパーマーケットみたいに時間制で、10時から3時と決まっています。ですから、夕方前には大学を出なければならず、帰り道でイトーヨーカ堂に立ち寄って恐竜キングで遊びます。夕方前に家に帰ってからは、当然のように、ポケモン・カードバトルをせがまれます。昨日のブログで下の子の写真をのせましたので、今日はおにいちゃんとプレーしている写真を置いておきます。

ポケモンバトルおにいちゃん

なお、本日の聖徳大学大学祭の写真は、すでに、我が家のホームページにアップロードしてあります。おすすめリンクの松戸在住吉岡家一同ホームページをクリックしてくだされば、トップページが別ウィンドウで開きます。手っ取り早く開くにはココをクリックして下さい。聖徳大学大学祭のページが別ウィンドウで開きます。

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2005年11月12日 (土)

今日は寒いので家の中でゴロゴロしてポケモン・カードバトルで遊ぶ

今日は土曜日ですので、子供達のテコンドーのお稽古の日ですが、下の子が少し風邪気味で咳や鼻水が出るので、私は下の子といっしょに家でゴロゴロしていました。来月には昇級試験があるそうで、上の子は女房が綾瀬にお稽古に連れて行きました。私よりも女房の方はテコンドーには熱心なのです。私はどちらかと言うと、テコンドーよりもスイミングスクールに通わせたいのですが、昨年まで通っていたところが倒産して以後は水泳の方はやらせていません。
午後からはお天気もよくなりましたが、風も強くなって私と下の子は引き続き外出を控えました。その分、家の中で相変わらずポケモン・カードバトルをしました。写真は下の子のポケモン・カードバトルに臨む姿です。

ポケモンバトル下の子

下の子には最初勝った後は負け続けましたが、上の子にはかなり勝ちました。上のおにいちゃんは今日は運が悪くて、強いカードが山札の最後の方に固まっていたりして、分が悪かったようです。
下の子の風邪の具合もかなりよくなりましたし、明日の日曜日は、風も弱まるとの天気予報ですので、松戸駅前にある女子大の大学祭にでも遊びに行きたいと思っています。

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2005年11月11日 (金)

今日は結婚記念日

今日は結婚記念日でした。
日々の仕事と生活に追われて、特に何かお祝いをしたり、プレゼントを買ったりした訳ではありませんが、せめて、結婚記念日を忘れていない証拠としてブログに書き残します。
世の中では少子化がとてつもない勢いで進んで、その背景として、晩婚化だけでなく、非婚化までが進んでいます。あるいは、子供がいる・いないだけで負け組みや勝ち組を決めたりする風潮もあります。離婚率も昔に比べて高まっています。このように、いろいろな世相がある中で、我が家は何とか結婚生活を維持して、小学校3年生と1年生の2人の男の子を育てています。また、これから先は行革の嵐で「公務員 冬の時代」とも言われていますが、現時点では何とか私は雇用を確保しています。
ささやかながら、女房に感謝し、我が家の結婚記念日を心の中でお祝いした今日の私でした。

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2005年11月10日 (木)

今日は子供達の小学校の授業参観に行きました

昨日今日明日と3日連続で、子供達の通う小学校の自由参観日でしたので、昨日の女房に続いて、今日は私が仕事を休んで小学校に行って来ました。小学校がオープンになるのはいいことですし、私も出来る限り応援したいと思っています。
我が家の子供達は3年生と1年生で、何の変哲もない一番近くの松戸市立の小学校に通わせています。思い起こせば、2年前の2003年9月にジャカルタから帰国し、上のおにいちゃんが小学校に通うのに必要なランドセルを大変な苦労をして買い求めた記憶があります。とても季節外れだったので、ほとんどのお店でランドセルは取り扱っていなかったからです。
昨年から松戸でも自由学区制が始まり、市内の小学校を自由に選択できるようになりましたが、大きな違いもないだろうからと言うことで、下の弟も上のおにいちゃんと同じ小学校に通わせています。

今日も、2時間目から4時間目までが自由参観だったので、私も2時間目から4時間目まで、アチコチの教室をウロウロしました。上の3年生のおにいちゃんの教室はさすがにそれなりに秩序だって授業を進めていて、学校らしい雰囲気がありましたが、下の1年生の下の子の教室はひどいものでした。これは担任の教師の力量不足だと思います。下の子のクラスは別の1年生のクラスよりもレベルが低いように感じたからです。

まず、前後の同じ1年生の教室に比べて廊下に張り出してある絵が情けなかったです。他のクラスは市川動物公園に遠足に行った時の人や動物を描いた絵なのですが、下の子のクラスの絵は「グルグルかくとお花になったよ」と称するグルグル絵で、上のおにいちゃんがジャカルタに行く前に杉並にある幼稚園の入園試験で描いていたようなシロモノでした。
授業ではおしゃべりしたり、中には立ち上がって教室内をウロつく子供もいたりして、先生がロクに注意もしないものだから、授業の体をなしていませんでした。我が子の下の子がちゃんとお利口に机に座っておしゃべりもしていなかったのが、せめてもの慰みでした。「女王の教室」まで行くと行き過ぎでしょうし、幼稚園を終えたばかりの1年生だから幾分は仕方がないのかもしれませんが、先生にはもう少し威厳を持って授業を進めていただきたいと思います。

どうしても、おにいちゃんが入学したジャカルタ日本人学校と比べてしまうのですが、上の子が入学した海外校の極め付きのレベルの高さと、おそらく松戸市立小学校の中でも最低に近いレベルの現在の下の子のクラスとでは差が大き過ぎて哀れを感じてしまいました。

これに比べて、おにいちゃんの3年生のクラスは学校らしい雰囲気の中で授業が進められていました。また、廊下から5-6年生のクラスの授業も観察しましたが、これはもっとしっかりと授業が進められていました。親としては大いに安心しました。

先日のランチで「役人なんて、事務次官でも官舎に住んでいるものだ」とうそぶいた私ですが、本省の参事官となって、官舎を移り住むこともある程度の自由度が増しています。ですから、来年の我が家のアジェンダのトップは夏休みの海外旅行だったのですが、「孟母三遷」に倣う訳ではありませんが、子供の教育のために、春休みの引越しについても、いずれかのプライオリティでアジェンダに加える必要があるのかもしれません。

この後、今日は夕方に家族そろってインフルエンザの予防接種に行きます。ジャカルタで死者が出ている鳥インフルエンザにも効くのでしょうか?

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2005年11月 9日 (水)

松戸駅からの帰りの夜道で携帯電話について考える

今夜の帰り道で怖いことがありました。夜道で携帯電話を操作する女性の白っぽい顔がボウッと浮かび上がって、まるで幽霊のように見えたのです。

いまさらですが、私は松戸市に在住しています。役所の定時が朝は9時半に始まって、夕方は5時45分までですから、どんなにがんばっても家に帰り着くのは7時を過ぎます。私の歩くのが遅いせいもありますが、松戸駅から30分近く歩かねば我が家に帰り着きません。途中には街灯もほとんどないような暗い道もあります。
私は決して小さい方ではなく、タテもヨコも十分あります。特にヨコは不必要なくらい十分あります。もちろん、中年の男性で、極端に臆病とも思いません。それでも、携帯電話を操作する女性のお化粧した白っぽい顔が、暗い夜道で突然浮かび上がるとゾクッと恐怖を覚えました。ちょうど、肝試しで怖い話をする時に、懐中電灯で下から顔を照らしたようなカンジ、と言えば分かりやすいでしょうか。お月さんも(祝)ラマダン明けの新月を終えたばかりの半月くらいで、まだ薄い月明かりの下では、道が暗くて人影も十分には認識されないくらいの時刻でした。

現時点で、私は携帯電話を持っていませんが、8月の定期人事異動までは職場の携帯電話を持たされていました。業務上必要だったからです。忙しい時には、1日に10回以上も携帯電話を利用せねば仕事が進まないこともありましたが、ヒマな時には、1-2週間くらいまったく使わないこともありました。
職場の携帯電話を持たされるまでは、携帯電話なんて外回りのセールスマンの持つもので、公務員のエコノミストには関係ないと思っていましたが、確かに、公務員でも仕事によっては必要なこともあるのだと知らされました。ですから、携帯電話に対して、使ったこともないクセに、闇雲に否定的な意見を持っている訳ではありません。

今でも電車に乗ると、女性が多いのですが、1両に1人や2人くらいは一心不乱に携帯電話を操作している人がいます。他方で、諸外国と比べて、我が国は携帯電話のマナーがとても厳しいと思います。
電車に乗るたびに、優先席付近では電源を切って、それ以外でもマナーモードにするように、しつこく車掌さんが呼びかけますし、レストランで食事中に携帯電話を使うとボーイさんに注意されます。日本以外の国ではレストランでの携帯電話の会話は全然ヘッチャラだと思いますが、日本では異常に厳しいです。高齢化が進んでいるとは言うものの、日本だけが心臓のペースメーカーを付けている人の割合がとても高いとも思えないのですが、マナー向上の圧力がとてつもなく高いことは確実です。

当然ながら、便利なものは便利に使うのが得策で、携帯電話も便利に使いこなすことにより、大きな精神的及び経済的厚生につながると考えるのですが、周囲の人に迷惑をかけないマナー面については、電車の車内やレストランでしつこく圧力をかけるのだけでなく、暗い夜道で携帯電話のライトに顔を照らし出されると、私のような者でも恐怖を覚えてしまう場合もあることを知っておいて欲しいと思います。

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2005年11月 8日 (火)

ラテンアメリカ諸国とローマ法王の関わり

今夜は、在チリ大使館に駐在していた時の思い出をもうひとつ。
ほとんどのラテンアメリカ諸国はポルトガル語国であるブラジルを除いてスペイン語国で、すべてカトリック国です。カトリックの法王とラテンアメリカ諸国との関係で思い出すのは国境と列聖の2点です。

まず、ラテンアメリカは1492年にコロンブスによって発見された後、ロ一マ法王の示唆によってスペインとポルトガルのアメリカ大陸領有を調整することになり、1494年6月に両国はトルデシリアス条約を結び、大西洋のベルデ岬西方の西経48度に境界線が引かれ、スペインはそれより西を、ポルトガルはそれより東を領有することになりました。その後、1506年にはこの境界線は西経50度まで少し西に移動され、ローマ法王の勅許を得ました。
ですから、国境線の確定にローマ法王は深く関与しています。
実際に、私が在チリ大使館にいた1990年代前半においてすら、チリとアルゼンティンの間の国境紛争にはローマ法王庁が仲介に入ったりしています。

次に、列聖については、聞きなれない言葉ですが、キリスト教で聖人に列せられることです。キリスト教と言っても、カトリックとギリシャ正教だけで、プロテスタントにはないそうです。
当然ながら、ラテンアメリカ諸国も、国民の大部分がカトリックなのですから、適当な候補者がいれば、国威発揚のために自国から聖人を出したいに決まっています。私がチリに駐在していた時もそうで、大統領夫人が先頭に立ってローマ法王庁に陳情に行ったりして、チリの国を上げてマザー・テレサを聖人に列聖する運動をローマ法王庁に対して繰り広げていました。もちろん、マザー・テレサと言っても、例のオリビア・ハッセー主演で映画になり、1979年にノーベル平和賞を受賞した後も1997年に亡くなるまでインドで活動を続けられたマザー・テレサとは別人のチリ人の聖職者です。
徳と聖性を示していた人に関しては、死後に列聖の申請が行われて、調査が始められます。この調査では、まず地域司教の管轄下で調査が行われ、聖人にふさわしいと判断されるとローマ法王庁の列聖省で調査が開始されるのですが、チリを管轄する地域司教は甘めに調査を進めるに決まっていますから、本当の調査や審査はローマ法王庁に委ねられることになります。
列聖の申請に対する調査においては、その人物の取次ぎによる奇跡(超自然的現象)が必要とされますので、「マザー・テレサはこんな奇跡を行った」と、しょっちゅうチリのマスコミで取り上げられていましたが、私は仏教徒のエコノミストなので、フフンと鼻で笑っていました。それはさておき、これらの厳しい調査や審査を終えて、ローマ法王庁において聖人に加えるのがふさわしいと判断されると、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂において法王によって列聖が宣言されます。
マザー・テレサは見事にローマ法王庁の厳しい調査と審査にパスして列聖され、サンタ・テレサとなりましたが、その当時で、チリからの聖人は3人目でした。他の2人は知りませんが、私は何人かのチリ人から半ば自慢げに「チリでは3人目だが、日本ではキリスト教の聖人は何人いるのか」と聞かれました。私は調べが済んでいたので「20人」と答えると、カトリックでもない仏教国の日本の方がチリより多いのか、と言うカンジでびっくりされました。実は、カラクリがあって、殉教者は奇跡の何のと言わずに、ローマ法王庁も割合とホイホイと列聖してくれるのです。日本では、豊臣秀吉時代に長崎で殉教した日本26聖人のうちの20人が日本人でしたので、それらの方々が聖人として列聖された訳です。しかし、この部分は仏教徒のエコノミストにはとても難しいスペイン語でしたので、特に詳しくは説明しませんでした。
サンタ・テレサが列聖されてから、サンティアゴ東北部をアンデス山脈に向かって走る大きな道路の名前をJ.F.ケネディからサンタ・テレサに変更しようではないか、との話が一部で持ち上がりました。しかし、少なくとも私がチリを離れる1994年4月までは、聖人とは余り関係のないプロテスタント国の米国に遠慮してか、道路の名称変更はなされませんでした。今ではどうなっているか、私は知りません。

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フジモリ元ペルー大統領@サンティアゴからチル・ペルー関係を考える

一つ前のブログの最後に書いたように、昨夜の9時過ぎにサンティアゴ在住の友人からメールをもらって知りましたが、ペルー元大統領のフジモリ氏がサンティアゴで身柄を拘束され、警察学校で事情聴取を受けているそうです。
メールで知らせてくれたのは、私が1991-94年に在チリ日本大使館で経済アタッシェをしていた時に、毎晩のように夕食に行っていた日本食レストランの板前さんです。
警察学校はサンティアゴ市内の東部にあり、少しアンデス山脈の方に上っていったところにあるアレだろうと思います。サンティアゴ駐在時に近くのディスコに行った記憶があります。ほとんど照明のない真っ暗なディスコでした。もっとも、違っているかもしれません。

私がいたころのサンティアゴには日本の新聞記者が駐在しておらず、日経新聞のリオデジャネイロ支局の記者が時折サンティアゴに来ては、私に対するインタビューも含めて取材をしていました。私がいた1990年代前半に、日経新聞は支局をリオデジャネイロからサンパウロに引越ししたように記憶しています。今回は読売新聞の記事を参照していますが、読売新聞はブエノスアイレスに支局を置いているようで、そこの記者さんが取材して記事を書いているようです。

それにしても、フジモリ氏はどのような意図でチリに入ったのでしょうか。事情聴取が進められている現段階では憶測でしかありませんが、やっぱり、チリはペルーと仲が悪いので、やや油断していたのではないでしょうか。これが私の推測です。

現時点でも、チリとペルーは太平洋上の国境線でもめているようですし、歴史的にも、チリはペルー・ボリビア連合軍と太平洋戦争を戦って勝ち、北部の赤道近くのアタカマ砂漠を両国からぶん取っています。「太平洋戦争」といっても日本が前世紀にやった「大東亜戦争」ではなく、19世紀の末、1879年から83年までチリとペルー・ボリビアの間に戦われた、別名「硝石戦争」のことです。詳細は後述します。この太平洋戦争の結果、ボリビアは海への出口を失って、いまだにチリを目の敵にしていたりします。

歴史的に見れば、15世紀終わりのアメリカ大陸発見とその後のスペインによる植民地支配の中で、ペルーはチリよりは言わば「格上の国」でした。銀が出ていた時代にはスペイン国王の弟が副王としてペルーに駐在していたり、銀が出なくなってからも海岸部のグアノの輸出で大きな富を蓄えたりしていました。グアノとは、海鳥のフンが化石化したもので、19世紀半ばに発見されました。窒素肥料として大量に輸出され、「グアノ・ブーム」と呼ばれる好景気を呼び、この輸出により約5億米ドルの外貨を獲得したと言われています。

しかしながら、太平洋戦争でチリに負けたあたりから、ペルーの転落が始まります。太平洋戦争は当時の3国の国境地帯のアタカマ砂漠に産出する硝石をめぐる戦いで、ペルー・ボリビア領内で早くから操業していたチリ企業が有償ながらもペルーに国有化されたり、ボリビアから不当な高課税をされたりした結果、戦争になってしまったものです。いかにも19世紀的な帝国主義戦争です。結果はチリのボロ勝ちで、ペルーは2年間にわたって首都のリマをチリ軍に占領されたりしました。

この影響だと思うのですが、私がチリに駐在して肌で感じたところによると、ペルー人は少なくとも軍事的にはチリをとても脅威に感じています。もっと言えば、チリに対して劣等感を感じているとすら言えます。

だから、フジモリ氏はチリに入国し、チリでうまくやって行ければ、ペルー政府はチリ政府に強くは出られないだろうと高をくくっていたのではないかと思います。しかしながら、フジモリ氏はチリでうまくやって行けず、チリはフジモリ氏を政治的な邪魔者としてしか見ていなかったフシがあります。フジモリ氏が自分自身を過大評価してしまったとしか私には思えません。

これが、今回の「フジモリ騒動」に関する私の見方ですが、今後、チリでの事情聴取が進めば真相は明らかになるでしょう。

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2005年11月 7日 (月)

今日から衣替え

このところ、特に朝夕がめっきり寒くなって来たので、今日から衣替えしました。見た目には変わり映えしないですが、背広は冬物にしています。
私は松戸在住ですから、霞ヶ関の官庁街までJR常磐線から地下鉄の千代田線を乗り継いで通勤しています。今朝、駅に着くまでは冬物の背広で快適でしたが、電車の中は人がいっぱいでそれなりに暑く感じます。今日は、山手線の事故があり、普段は下りる人の方が多い西日暮里駅で人が減らないばかりか、かえって乗って来る人もいて、車内の蒸し暑さが増したような気がします。

2000年から2003年までの冬のないジャカルタ生活の後、2003年秋に帰国してから3度目の冬を迎えて営業服も一部には買換えを要するものもあり、今日の帰り道では伊勢丹の紳士服売り場をのぞいてみました。ワイシャツ売り場でタッターソールの柄を探して、ブルックス・ブラザースで見つけました。私のワイシャツはオックスフォード・クロスのボタンダウンが多くて、普通のダービータイをプレーンノットで結んでいるのですが、売っていたのはピンポイントのオックスフォードでした。ピンポイントでない普通のざっくりしたオックスフォード地のが欲しかったのですが、無地ものはざっくりしたオックスフォード地のがあるんですが、タッターソールなどの柄ものはピンポイント・オックスフォードが多いと店員さんに言われて、布地を取るか、柄を取るかで迷った末に、ピンポイント・オックスフォードのタッターソールを買いました。

ついでに、スーツも見ました。見ているうちに、先日、役所の先輩に聞かれた質問を思い出しました。「君の上着は無地のしかないのか」と聞かれたのです。その時は、とっさに「鋭い観察力ですね」とか言ってゴマカしましたが、実は、そうなんです。私の上着は、夏物も冬物も、スーツもブレザーも、無地しかもっていません。ストライプやチェックの上着は、営業服としては10年以上も着たことがありません。もちろん、普段着としてヘリンボーン柄の上着を着たりしますし、ズボンはブラックウォッチのタータン・チェックをはいたりします。私が無地の上着しか着ないのは、実に単純に柄を選ぶのがメンドウだからです。

衣替えとは何の関係もありませんが、
ペルーの元大統領のフジモリ氏がチリに到着したところまでは朝日新聞の夕刊で知っていましたが、先ほど9時過ぎに、チリの日本人の友人からメールが来て、フジモリ氏がチリのカラビネーロ(日本の警察に相当)に身柄を拘束されたそうです。チリには大使館の経済アタッシェとして3年間住んでいましたので、とても興味があります。

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2005年11月 6日 (日)

午後からは松戸駅前に歩いて出かけて恐竜キングで遊ぶ

昼食の後、午後からは松戸駅前に出かけました。東京ガリバーなるゲーセンに行き恐竜キングで遊びます。大きなゲーセンなのに、恐竜キングのマシンは1台しかなく、少し待たされましたが、子供達はヤル気満々でしっかりと遊びます。

エジソン展

それから、伊勢丹9階のアートスポットまつどで開催されているエジソン展を見に行きました。上の写真は入り口で撮ってもらったものです。学芸員さんに解説してもらって展示場内をくまなく見て回りました。おにいちゃんは少し前にエジソンの伝記を読んでいたので、エジソンが電灯に使った京都の竹の実物に接したりして、それなりに興味を持ったようでした。でも、おとうとの下の子は学芸員さんの説明が難しくて、とても退屈したと言っていました。

松戸では午後から雨が降り出しましたが、本降りになる直前の3時に家に滑り込みで帰り着きました。家ではポケモン・カードバトルで遊びました。今日は負け続けでした。

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買ったばかりの自転車でお出かけしてムシキングで遊ぶ

公園で自転車

今日の午前中は、早速、団地の中の公園に行って、買ったばかりの自転車で少し練習をした後、近くのスーパーに行きムシキングで遊びました。上の写真は子供達が公園で自転車に乗っているところを撮ったものです。

その他にも、ポケモン・カードバトルもします。おにいちゃんにも下の子にも1回ずつ負けました。これが午前中の戦績でした。

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2005年11月 5日 (土)

ポケモン・カードバトルと恐竜キング

昨日のブログではありませんが、セガがムシキングと恐竜キングなるゲームをタイトーのダイノキングにマネッコされたと東京地裁に仮処分申請を求めて訴えたそうです。今朝の朝日新聞にのっていました。
新聞にムシキングのカラー写真があるので、我が家の子供達も注目していましたが、恐竜キングなるゲームは聞いたことがあるだけで、実際にプレーしたことがなかったので、今日の午後のテコンドーの帰りに、松戸駅前のイトーヨーカドーでプレーしてみました。
恐竜キングのゲーム機もありましたが、ムシキングのゲーム機ハードはそのままに中身のソフトだけを入れ替えて恐竜キングを営業していました。
我が家の子供達は一目で気に入ってしまい、ムシキングの次はこれに目をつけたようです。

他方、相変わらずで、ポケモン・カードバトルの相手はよくせがまれます。今日も、午後からは自転車を買いに行った他はヒマで家にいたので、2人ともタップリと相手をさせられました。
おにいちゃんとは2勝3敗で、以前はホロンの研究塔シリーズに入っていたサンダースなどにやられることが多かったのですが、今日は、カビゴンに負けてしまいました。下の子には2勝2敗でしたが、最初に私が2回勝ってしまい、下の子の機嫌が悪くなりました。とうとう泣き出してしまい手こずりましたが、最終的には2回連続勝ちして機嫌がよくなりました。ズバットのさんばいどくにやられました。


明日はどんな日曜日でしょうか?

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今時の小学生の自転車を買い与える

今日はいつもの平凡な土曜日でした。
午前中は子供達は常磐線で綾瀬に行き、綾瀬小学校の体育館でテコンドーのお稽古でした。
午後からは私と下の子が外出して、近くの自転車屋さんに行きました。先週の和名ヶ谷のスポーツセンターに行った時に、幼稚園自転車のスピードが出なくて下の子が苦しそうだったので、今時の小学生が乗っているような、おにいちゃんと同じスタイルの自転車を買い与えました。下の写真がそうです。

下の子の自転車

今日、自転車を買ったのは2年前に我が家がジャカルタから帰国した際に、私がママチャリを買ったのと同じ自転車屋さんでした。おにいちゃんの自転車は団地の人からもらったもので、今時の小学生の乗っている24インチの自転車です。今までの古い下の子の自転車はジャカルタで買い求めて、日本まで持ち帰った16インチの幼稚園自転車でしたが、ようやく、今時の小学生が乗っているのと同じ24インチのに買い換えました。
おにいちゃんの自転車が6段変速で、下の子のが7段変速です。私のママチャリには変速ギアはありません。我が家は松戸ではめずらしく自動車のない家族で、団地の管理人さんに驚かれてしまいましたが、これでますます自転車での外出が多くなり、(祝)自動車購入が遠のきそうな気がします。

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2005年11月 4日 (金)

飛び石連休のお休みに著作権を考える

まだ有給休暇が30日以上も残っていたので、昨日の文化の日と週末の飛び石連休で今日はお休みにしました。
朝に子供達を小学校に送り出した後、クリーニング屋さんに行き、ワイシャツとともに夏物の背広も出して、来週の衣替えに備えました。後は、家や駅前でウダウダして過ごしました。

今まで入ったことのないインターネット喫茶に入ってみたのですが、WinMXに最適化済みと強調してあるパソコンを置いてあり、しかも、CD-Rなどのメディアをフロントで販売しているなど、著作権的にどうかと心配してしまいました。

私もこのブログのおすすめリンクにリンクを張ってあるホームページをいくつか運営しており、エコノミストとして取りまとめた英文のペーパーをPDFで置いていたり、1500枚を超える子供達のJPEG画像をアップロードしてあったりと、それなりに、ダウンロード出来る素材をWEB上に有しています。もちろん、そんなに他の人にとっても羨ましがられる、と言うほどのモノではありません。私のペーパーをリファレンスにしているらしいエコノミストがごくまれにメールをくれたりしますが、我が家の子供達の写真をパソコンの壁紙にしている人がそんなにたくさんいるとは思えません。

WinMXと同じようなP2Pのファイル交換ソフトであるWinnyについては、東京大学の助手が著作権法違反のほう助罪で起訴され裁判中です。キャノンは使用済みのインクカートリッジを利用したリサイクル品が元の製品の特許権を侵害しているとリサイクル業者を訴えて、一審では敗訴して知財高裁に控訴中です。キャノンのリサイクル品については私もよく分かりませんが、WinMXやWinnyなどを使ったP2Pのファイル交換については、ファイル交換用ソフトそのものの違法性についてはともかく、ファイルが著作権を侵害した形で交換されている疑いはかなり大きいと思っています。

ジャカルタにいた時の記憶でも、途上国では著作権の概念がとても希薄で、日本でも著作権に対する認識はまだまだの感があります。しかし、著作権が守られないと、発明者が先発利益を得られないために、イノベーションに対するモチベーションが高まらず、イノベーションに対する資源配分が過小となる結果、世界全体の経済厚生が高まらないことは認識しておく必要があると思います。


著作権は遵守しましょう。

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2005年11月 3日 (木)

茅ヶ崎のおばあさんの古希のお祝い

古希プレゼント

今日は、茅ヶ崎のおばあさんの古希のお祝いでした。上の写真はおばあさんにお誕生日のプレゼントを渡す子供達です。
我が家の子供達にとっては、8月31日のブログに書いた鷺沼のおばあさんが母方のおばあさんで、今日の茅ヶ崎のおばあさんが父方の、つまり、私の方のおばあさんです。
茅ヶ崎のおばあさんは今年で70歳になり、古希のお祝いでしたので、横浜の中華街でいっしょに昼食をして来ました。本当は明後日土曜日の11月5日がお誕生日なのですが、70年も生きて来たのですから、2日くらいは誤差範囲です。
下の写真はバースデーケーキの月餅にローソク代わりの花火を立てたお祝いの記念写真です。

古希祝い

中華街での昼食の後、子供達の関心は急速にポケモンに向かいました。茅ヶ崎のおばあさんと横浜駅で別れた後、桜木町に引き返して、ランドマークタワーにあるポケモンセンター横浜を訪ねます。いろいろと見て回ったあげくに、下の写真のようにしっかりと拡張パックをゲットした子供達でした。

ポケモン横浜

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2005年11月 2日 (水)

市場との対話

米国の中央銀行であるFEDの議長は来年1月にグリースパン氏からバーナンキ教授に交代するようです。ブッシュ大統領の指名で、上院で承認されれば本決まりになります。
グリーンスパン議長が有名なのは、市場との対話で金融政策を運営した、と言われていることで、日銀の速水総裁がゼロ金利解除を急ぎ過ぎたのと対比するエコノミストもいます。1990年代半ばの早めの引締め政策の発動、今世紀に入ってから米国経済がデフレに陥らないように思い切った金緩和を進めたこと、などが評価されています。
日銀が通貨価値の安定を唯一の政策目標にしているのに対して、米国のFEDは通貨価値の安定とともに完全雇用の達成も政策目標として掲げています。2つの政策目標に対しては、ティンバーゲンの定理から2つの政策手段を駆使する必要があり、その意味からもグリーンスパン議長のポリシーミックスの手腕が高く評価されている訳です。

翻って見るに、我が国経営者の市場との対話能力のなさが浮き彫りになります。ニッポン放送、阪神電鉄、TBS、などなどの経営者は特にそうなんでしょう。市場で自由に売買されている株式をライブドア、村上ファンド、楽天などに買われて、事後的に敵対的な対応しか取れないようでは経営者としての資質がないと言わざるを得ません。
私は一方的にライブドア、村上ファンド、楽天などを支持するものではありませんが、楽天の三木谷社長が言ったように、「市場で売っているものを買って、何が悪いのか」とはその通りで、これに対して、TBSの経営陣からは感情的な反応があるだけで、何の説明もありません。
私の目からすると、株を買い占められた会社の経営陣が株主に対して敵対的になればなるほど、やっぱり、経営者は株主をだましているんだろうなあ、としか見えません。

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2005年11月 1日 (火)

内閣改造と官庁の大臣への対応

昨日、内閣改造がありました。
私はこの夏の定期人事異動まで役所の中で大臣をサポートする役目をおおせつかっていたので、それなりに内実も知っています。しかし、いろいろと差し障りもあるでしょうから、今日のところは一般論を書き進めます。

役人にとって内閣改造はきわめて重要なイベントです。事務次官以下のエラい役人は内閣改造の当日は遅くまで役所に残らねばなりません。皇居での認証式や初閣議を終えて、夜の9時とか、10時とかに新大臣を初登庁をお迎えしなければならないからです。新大臣は初登庁の後、記者会見をしたりもします。事務次官ほどエラくない役人の中にも、それなりの働きを必要とする場合もあります。典型的には秘書官で、入省15年くらいの管理職になったばかりの優秀な若手が秘書官に任命されて、大臣のカバンを持って行動をともにします。
役所の私の後任者は、昨夜は大臣就任後の記者会見が11時半までかかってしまった、と言っていました。朝刊締め切りに間に合わないと新聞記者さんからさんざん文句を言われたそうです。閣僚名簿の公表が夕方の4時過ぎだったのに、役所における内閣改造当日のすべての行事が終わるのは真夜中近くになってしまうのです。

明日以降は、副大臣や大臣政務官の発令もあり、大臣ほどではないものの、それはそれで丁重に対応しなければならないことになります。もちろん、副大臣と大臣政務官にも秘書官がつきます。
その後は、年末の政府予算案策定の際の財務省との折衝や年明けの通常国会での論戦に向けた大臣へのご進講も計画的に進めなければなりません。

私は役人ですので、新内閣の顔ぶれに関する感想めいた論評は差し控えますが、新しい内閣を支えて、新大臣を支える役所の方も、それなりに水面下でタイヘンな役割を果たしていることを知ってもらいたいと思います。

最後に、内閣改造の時だけではないのですが、役所と役人はトップの大臣を支えて、ハードワークをしています。もちろん、大臣とは何の関係もなくてラクチンな部局もあるにはあるのですが、大臣をトップにいただく役所としては、なんらかの意味で大臣との関係はどうしても生じます。
大臣の側から見ると、役所のサポートは手厚く、多くの国会議員が「大臣病」になるのもムリはないと言う人もいます。役所の側から見ると、インプットした割にはアウトプットの少ない大臣もいますし、アウトプットは大きいけれども、インプットもそれなりに必要な大臣もいます。奥歯にもののはさまったような言い方をしてしまいましたが、要するに、大臣によっては当たり外れが大きい訳です。

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