ラテンアメリカ諸国とローマ法王の関わり
今夜は、在チリ大使館に駐在していた時の思い出をもうひとつ。
ほとんどのラテンアメリカ諸国はポルトガル語国であるブラジルを除いてスペイン語国で、すべてカトリック国です。カトリックの法王とラテンアメリカ諸国との関係で思い出すのは国境と列聖の2点です。
まず、ラテンアメリカは1492年にコロンブスによって発見された後、ロ一マ法王の示唆によってスペインとポルトガルのアメリカ大陸領有を調整することになり、1494年6月に両国はトルデシリアス条約を結び、大西洋のベルデ岬西方の西経48度に境界線が引かれ、スペインはそれより西を、ポルトガルはそれより東を領有することになりました。その後、1506年にはこの境界線は西経50度まで少し西に移動され、ローマ法王の勅許を得ました。
ですから、国境線の確定にローマ法王は深く関与しています。
実際に、私が在チリ大使館にいた1990年代前半においてすら、チリとアルゼンティンの間の国境紛争にはローマ法王庁が仲介に入ったりしています。
次に、列聖については、聞きなれない言葉ですが、キリスト教で聖人に列せられることです。キリスト教と言っても、カトリックとギリシャ正教だけで、プロテスタントにはないそうです。
当然ながら、ラテンアメリカ諸国も、国民の大部分がカトリックなのですから、適当な候補者がいれば、国威発揚のために自国から聖人を出したいに決まっています。私がチリに駐在していた時もそうで、大統領夫人が先頭に立ってローマ法王庁に陳情に行ったりして、チリの国を上げてマザー・テレサを聖人に列聖する運動をローマ法王庁に対して繰り広げていました。もちろん、マザー・テレサと言っても、例のオリビア・ハッセー主演で映画になり、1979年にノーベル平和賞を受賞した後も1997年に亡くなるまでインドで活動を続けられたマザー・テレサとは別人のチリ人の聖職者です。
徳と聖性を示していた人に関しては、死後に列聖の申請が行われて、調査が始められます。この調査では、まず地域司教の管轄下で調査が行われ、聖人にふさわしいと判断されるとローマ法王庁の列聖省で調査が開始されるのですが、チリを管轄する地域司教は甘めに調査を進めるに決まっていますから、本当の調査や審査はローマ法王庁に委ねられることになります。
列聖の申請に対する調査においては、その人物の取次ぎによる奇跡(超自然的現象)が必要とされますので、「マザー・テレサはこんな奇跡を行った」と、しょっちゅうチリのマスコミで取り上げられていましたが、私は仏教徒のエコノミストなので、フフンと鼻で笑っていました。それはさておき、これらの厳しい調査や審査を終えて、ローマ法王庁において聖人に加えるのがふさわしいと判断されると、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂において法王によって列聖が宣言されます。
マザー・テレサは見事にローマ法王庁の厳しい調査と審査にパスして列聖され、サンタ・テレサとなりましたが、その当時で、チリからの聖人は3人目でした。他の2人は知りませんが、私は何人かのチリ人から半ば自慢げに「チリでは3人目だが、日本ではキリスト教の聖人は何人いるのか」と聞かれました。私は調べが済んでいたので「20人」と答えると、カトリックでもない仏教国の日本の方がチリより多いのか、と言うカンジでびっくりされました。実は、カラクリがあって、殉教者は奇跡の何のと言わずに、ローマ法王庁も割合とホイホイと列聖してくれるのです。日本では、豊臣秀吉時代に長崎で殉教した日本26聖人のうちの20人が日本人でしたので、それらの方々が聖人として列聖された訳です。しかし、この部分は仏教徒のエコノミストにはとても難しいスペイン語でしたので、特に詳しくは説明しませんでした。
サンタ・テレサが列聖されてから、サンティアゴ東北部をアンデス山脈に向かって走る大きな道路の名前をJ.F.ケネディからサンタ・テレサに変更しようではないか、との話が一部で持ち上がりました。しかし、少なくとも私がチリを離れる1994年4月までは、聖人とは余り関係のないプロテスタント国の米国に遠慮してか、道路の名称変更はなされませんでした。今ではどうなっているか、私は知りません。
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