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2006年3月31日 (金)

子供の自立と親の特権

松戸から青山に引っ越して1週間がたちました。
家に中にはまだまだ開けていないカートンボックスが目立ちますが、それでも、かなり整理されてきましたし、昨日のうちに、ADSLが開通してインターネットも使えるようになりました。これに先立ってパソコンを出しましたので、引越しのお知らせハガキの印刷も終え、宛名を書いて、この週末ころから投函し始めるつもりです。

子供達に個別の勉強部屋を与えるのが引越しの最大の眼目であったわけですが、個室を与えられて子供達の意識も少しずつ変化してきたように思います。特に、おとうとの下の子の方が個室で自分1人で寝たいといい出しています。おにいちゃんの方は1人で寝るのはそんなに乗り気ではありません。
よくよく聞いてみると、引っ越す前の松戸の同じ団地にいた下の子のクラスメートで、小学1年生から1人で勉強部屋で寝ている子が割合といたそうです。先週の3月23日のブログの写真で下の子とツーショットしたお友達なんかも、一人っ子なので勉強部屋を与えられて、そこで1人で寝ているそうです。少子化が進む中で、このようなお子さんも結構いるのかもしれません。下の子本人は自分がおとうとであって、おにいちゃんと共同の勉強部屋しか与えられず、二段ベッドでも置かない限り子供部屋で寝るのはムリだと、子供心に考えていたようなんですが、引っ越して個室が与えられたからには、是非とも、個室で自分1人で寝てみたいと思い始めたようです。ですから、下の子は女房の通信販売のカタログを引っ張り出して、ベッドの品定めを始めたりして、かなり本人はその気になっています。もっとも、最大の問題は先月2月15日にこのブログでも取り上げた寝相の悪さです。しかし、これは時間が解決してくれるんだろうと私は楽観しています。
これに対するに、おにいちゃんの方はそんなに乗り気ではありません。これは、子供部屋で1人で寝ているお友達が身近にいなかった、というのが最大の理由だろうと思います。親や学校の教師もさることながら、友達の影響力の大きさを実感させられます。しかし、今度2年生になるおとうとが1人で子供部屋に寝るのに、4年生になるおにいちゃんが親といっしょに寝るのもカッコ悪い、と思い始めているようです。もっともでしょう。
結局のところ、せっかく、子供部屋を個室で確保できるところに引っ越したのだから、私や女房も今年の夏休みくらいから子供達を子供部屋で1人で寝かせようかと思っています。

我が家は今まで、いわゆる、川の字で家族みんながいっしょに寝ていました。ジャカルタでも大きなベッドをくっつけて、みんなが同じ平面で寝ていました。模範的な家族というつもりは毛頭ありませんが、まあ、平均的かつ一般的な家族の寝方なのではないかと思っています。絶対的な多数派ではないかもしれませんが、とてつもない変わり者の一家でもないつもりです。
我が家は私だけでなく、女房も親バカですから、子供達をかわいいと思っています。比喩的な意味だけでなく、文字通りに見た目もかわいいと思っています。中でも、学校の先生にも見せたことがない子供達の寝顔はとてもかわいいです。子供の寝顔を毎日のように見られるのは、親だけが享受できる特権だと思っています。
子供達に個室の勉強部屋を与えるというのは、当然、その先に個室で1人で寝るというのがほぼ確実に予見できる将来像であり、親としてそのことを受け入れるのが当然であるのは十分に理解しているつもりですし、まさに、そのために多大なコストをかけて引っ越したわけですが、少しずつ、本当に少しずつなんですが、私や女房から自立していく子供達には頼もしさとともに、ほんのちょっぴり寂しさを覚えます。

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2006年3月30日 (木)

どうして法学部と経済学部には差があるのか?

今週4月1日号の「週刊東洋経済」のThe compassなるコラムで、我が母校である京都大学の橘木教授が「入試の弁当代にも表れた法学部優位」と題して、入試の試験監督の弁当代が、法学部は700円で経済学部が500円だった、と紹介されています。もっとも、橘木教授は経済研究所の教授ですので、厳密にいうと、法学部でも経済学部でもありません。たぶん、学部の授業は受け持たずに、大学院生だけを教えていらっしゃるような気がします。私の学生時代の経済研究所の先生方はそうでした。なお、経済研究所の先生方の中でも、橘木教授は経済格差の問題などでいろいろと発言されています。

やや面白おかしく書かれているコラムなのですが、要するに、法学部は入学時の偏差値が経済学部よりも高く、さらに、官庁や企業の昇進においても経済学部よりも法学部の優位が明らかで、日本ではどの学部を卒業したかが重要である、との観点から、法学部優位は中央官庁で法学部が優位になっていることの表れ、とのお説を展開されています。民間企業でも経済的規制の強かった日本では官庁との関係で、やっぱり、法学部が優位となっている、とのお考えのようです。もっとも、コラムの結論は法学部や経済学部ではなく、理工系の人材をもっと登用すべきである、ということになっています。
橘木教授が指摘されているように、官庁では法律案や政令案を作成するのが重要な業務ですから、法学部優位になっているのが現実です。私も、何度か、公務員は官庁で何をしているのか、と聞かれたことがあります。その際には、「日本は法治国家ですから、法案や政令案などを作成しています」と答えた記憶があります。ですから、昨年2005年11月16日付けのブログに書きました通り、キャリアの公務員であっても私のような経済学部出身のエコノミストは傍流と見なされます。例えば、今は知りませんが、私が採用された20年余り前には、キャリアの国家公務員試験の合格者は法律職が300人を超えていたのに対して、経済職はわずかに90人だったと記憶しています。
しかし、民間会社では法律案を作成しているわけでもありませんし、法学部出身者が経済学部出身者よりも昇進しているのは、経済社会で規制緩和がこれほど進んだ今となっては、橘木教授のコラムように、規制のために官庁とのお付き合いが必要だった、とする説には私は同意しかねます。もちろん、今でも規制がとても強くて、MOF担と呼ばれるような官庁との折衝担当者を置いている金融業界であれば、橘木教授のような説も成り立ちますが、これは産業界の中でも少数派ではないでしょうか。

私の説はあくまで仮説なんですが、2つの考え方があると思っています。ひとつは、やっぱり、法学部を目指す、あるいは、法学部に入学した人の方が経済学部よりも優秀だ、という説です。やや偏ったサンプルながら、我が母校の京都大学では法学部と経済学部では一部の授業を両学部の学生が受講するシステムだったんですが、この共同授業の折には、法学部の学生は前から座り始めて、経済学部の学生は後ろから座り始める、という明らかな傾向がありました。京都大学だけにいえることなのかもしれませんが、それだけ、法学部の学生の方が経済学部の学生よりも勉強熱心で優秀である可能性は十分あると思います。優秀な人の方が企業でも昇進するのは当然でしょう。
もうひとつの仮説は、優秀さに大きな差はないけれど、法学部の出身者が名を取って、経済学部の出身者が実を取っている、という説です。先月の2006年2月21日付けのマーケット・エコノミストについてのブログに書きましたように、エコノミスト業界に限った話なんですが、銀行や証券会社などの金融機関に勤務するマーケット・エコノミストはかなりの年収を得ているのではないか、と私は考えています。もちろん、これら金融機関の役員や社長さんはもっと年収が高いんでしょうが、中堅どころのマーケット・エコノミストでも相当なもんです。経済職国家公務員試験をとても優秀な成績で合格して、ある官庁に就職した後で金融機関のマーケット・エコノミストに転職した、この業界で著名な方と私は面識があるんですが、優秀なマーケット・エコノミストは凡庸なガバメント・エコノミストの2-3倍くらいの年収ではないかと想像しています。ただし、根拠はありません。なお、ガバメント・エコノミストの業界においては、優秀であろうと凡庸であろうと年収に差はありませんので、念のため。ですから、法学部出身者は昇進することを選択し、経済学部出身者は高い年収を選択している可能性があると思います。もっとも、マーケット・エコノミストがすべて経済学部出身者と決まっている訳ではないので、この点には留意する必要があります。

私の2つの仮説は何とも検証しがたいのですが、理由は何であれ、橘木教授のおっしゃる通り、法学部と経済学部の間には入試の試験監督の弁当代の700円と500円くらいの差は十分にありそうな気がしてなりません。

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2006年3月29日 (水)

官庁街における桜事情と我が家におけるインターネット事情

東京と横浜の桜が満開になったと気象庁から発表がありました。そういえば、土曜日に家の近くの青山霊園に子供達を連れて行った時にも、かなり咲いていたような気がします。
霞ヶ関界隈の桜では、外務省の桜が有名です。歩道と車道の間の並木ではなく、歩道から役所に敷地に入ったところに見事な桜がたくさんあります。
昔は愛宕山や千鳥が淵に職場から花見に行ったりしましたが、公務員への風当たりが強くなってからは、職場で花見に行くことは少なくなったような気がします。
今日は総理大臣官邸の近くに行ったんですが、官邸脇にも何本か桜が植えられていました。しかし、外務省の桜と比べると、さすがに、つい最近完工したばかりの総理大臣官邸の桜はとても若いというか、細くて、花もちょっとしか咲いていませんでした。やっぱり、官庁街では外務省の桜が一番見事です。

(ここで話題が変わります)

我が家では、引っ越してからも、やっぱり、ソネットでインターネット接続をすることに決めました。昔からメールソフトにポストペットを使っているのが大きな要因ですが、現時点では期間限定で、モデム進呈プランなるものがあって、接続料金がお安いのも魅力でした。いろんなプロバイダさんをチェックしましたが、モデム代で月に800円も取られるコースもあり、モデムを無料で使えるとランニングコストがとても安くなるので、結局、ソネットのモデム無償プランに決めました。今日、家に帰るとモデムが届いていました。明日、NTT局内のADSLの工事だそうです。
ちゃんとモデムの接続が出来れば、明日から本格的に新しい我が家でインターネットが利用可能になります。明日の夜はかなり溜め込んだメールを見ることになりますが、私のメールアドレスには1日に20-30通のスパムメールが届くので、この中から、本当に必要なメールを選び出すのがタイヘンです。

ということで、今夜は短めのブログでごまかして、明日から本格的にブログを再開したいと思います。と、いいつつ、実は、結局、日付をごまかして、結果的に、ブログに毎日エントリーを投稿していたりします。

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2006年3月28日 (火)

引越しお知らせハガキから再び個人情報保護を考える

引越し後の家の中の整理を着々と進めつつ、引越し先を親戚や友人・知人などに知らせるべく、お知らせハガキの準備も始めました。一応、前の松戸の住まいの電話番号に電話をかけると、今の青山の方の電話番号を案内してくれるようにしてあるので、緊急の連絡は取れるようになっているので、少しゆっくりとお知らせハガキを準備しています。もっとも、ADSLが開通するまでメールをほとんど見ていないので、少し不安は残ります。
昨年11月18日のブログで我が母校の京都大学の名簿が届いたことを取り上げましたが、大学のゼミナールの同窓会にこの引越しお知らせハガキを送ると、まず、確実にすべての個人情報を同窓会名簿に掲載されると考えられますので、お知らせハガキに盛り込むべき情報を熟慮しています。

最初の書出しは時候の挨拶で、この部分はありきたりの内容となります。挨拶の最後は、ホントはそんなことは思ってもいないのに、「お近くにお越しの折はお立ち寄り下さい」で締めくくります。今まで住んでいた松戸と違って場所がいいので、ひょっとしたら、本当に来る人がいるかもしれません。表参道ヒルズからもギリギリ徒歩圏内ですし、我が家の子供達と同年代のお子さんがいる知人にもこのハガキを出すので、青山こどもの城のついでに、といったことも考えられないわけではありません。
時候の挨拶の後は個人情報になります。さすがに、家族全員の氏名と郵便番号・住所は必須でしょう。子供達の4月以降の新学年もいっしょに書き加えます。それから、我が家はホームページを開設していますので、そのURLも書き込みます。不特定多数の人にオープンにしているブログにおいてすら公開しているURLですから、親戚や友人・知人に出す引越しお知らせハガキには当然入れるべきでしょう。

やっぱり、迷ったのは電話番号とメールアドレスです。電話番号については、昨年11月18日のブログにも取り上げました通り、節税目的と称するワンルーム・マンションの電話勧誘には、時折、とてもしつこくて悪質なものがありますので、能天気な公開にはやや慎重にならざるを得ません。メールアドレスについては、ハガキという印刷物に書くので、インターネット上で公開する場合よりは被害は少なそうな気もしますが、それでも、スパムメールを呼び込みやすいのはいうまでもありません。
結局、電話番号については、親戚や友人・知人に出すハガキには記入することにしました。しかし、大学や高校など何らかの名簿を作成しそうな人には、電話番号を抜いたバージョンを作成しました。昔のように年賀状を印刷屋さんに注文していたのと違い、パソコンでハガキに直接印刷するのですから、極端に言えば、1枚ごとに違う文面にすることも可能です。特に、先に書きました通り、私の母校の京都大学経済学部のゼミナール宛てのハガキからは電話番号を抜くことに決めました。
メールアドレスについては省略しました。なぜかといえば、ホームページに画像ファイルで貼り付けてあるからです。メールアドレスについてはホームページを見てくれ、と書くのもどうかと思って、ホームページのURLから類推してもらうことにしました。もっとも、年賀状にもこのホームページのURLは書き込んでいるので、見ない人は見ないのだと思いますが、そういう人はメールを出すこともないのでしょうから、デジタルディバイドの現状を考慮して、デジタルなスキルがなくてアナログで連絡をくれる人には少し親切めにして、デジタルなスキルを有する人とは、ちょっとした差をつけます。
最後に、ムダかもしれませんが、注意書きとして「名簿などへ掲載する際は、ご面倒でも、ご一報下さい」と締めくくります。

明日は女房が渋谷に行きますので、プリンターのインクカートリッジを買ってきてもらって、週末をメドに親戚や友人・知人にハガキを出したいと思っています。

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2006年3月27日 (月)

役所に近くて感激する

先週末に引越しを終え、本日より、引越し先の青山から官庁街に通い始めました。現在、出向中の役所はやや官庁街の外れにあるとはいうものの、やっぱり、青山からはとても近いです。前の住まいは松戸から30分近く歩かなければならなかったので、通勤は格段に便利になりました。電車に乗っているのが10分ほどで、駅から家までが、やっぱり、10分くらいですので、あわせて、40-45分くらい通勤時間が短縮されたように思います。当たり前ですが、定期券代も安いようです。

家の整理は遅々として進みませんが、私も帰ってから、浴室のタオル掛けを取り付けたり、トイレの便座を暖房便座に取り替えたりと、それなりに男の仕事があり、引越し主任の女房にこき使われています。

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2006年3月26日 (日)

表参道ヒルズに自転車で行く

今日は、表参道ヒルズに行きました。引越し先の今度の住まいがある青山からは目と鼻の先で、ギリギリ何とか徒歩圏内なんですが、私と子供達は自転車で行きました。でも、近いことは近いのですが、表参道は人がいっぱいで、自転車で行ってもそんなに早くは進めません。
いろいろと表参道ヒルズの中を拝見し、子供達の部屋の壁掛け時計を物色しましたが、さすがに、高級ブティックばっかりで、ほとんどがご予算オーバーで諦めました。家に帰る時は、表参道のヒルズ側とは反対側の南側を自転車で走りました。さすがに、ヒルズ側の北側よりもちょっぴり人が少なかったような気がします。

なお、余り知られていないことだと思うんですが、表参道ヒルズにも自転車置き場があります。本館正面から少し西館の方に行ったところに目立つように自転車置き場の目印があります。そのまま行けば、裏側に抜けられるような感じの通路のようなところを入って行って左側にありました。まるで物置のような室内自転車置き場でした。しかし、せっかく、自転車置き場があって、さらに、白線で自転車を置くべきスペースを表示したりしてあるんですが、私と子供達の3台の自転車を置く前は、たった1台しか置いてありませんでした。その1台がとてもカッコいいマウンテンバイクで、子供達の自転車はそれなりに見られるんでよかったんですが、私の実用本位(?)のママチャリが少し恥ずかしかったです。なお、自動車のパーキングは有料だと思うんですが、自転車はもちろんタダでした。

下の写真は、左側のが表参道ヒルズの正面をバックに記念写真の子供達で、右側のは表参道ヒルズにある自転車置き場の子供達です。

表参道ヒルズ正面で子供達  表参道ヒルズ自転車置き場にて子供達

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2006年3月25日 (土)

引越し荷物の荷解きで大忙し

昨夜のうちに荷物を運び込み終えて、最低限必要な荷物は出しましたが、今日から本格的に荷解きを始めます。
午後にはIBMのデスクトップパソコンを引っ張り出します。インターネット接続はまだできませんが、スタンドアロンで遊べるゲームはいくつかできます。戦力にはならないくせに退屈を極めている子供達のご機嫌を何とか取り結びつつ、親の方は作業を進めます。夕方にはDVDレコーダとDVDソフトも取り出します。
いいお天気で暖かでしたので、引越し作業の主役の女房の作業を進めてもらうために、午後からは私が子供達を外に連れ出して、青山霊園で散歩をしたりします。あちこちで桜が咲き始めていました。

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2006年3月24日 (金)

引越し荷物は女房に任せて子供達とともに青山に移動する

今日は引越しです。
荷物の方は女房に任せて、私は小学校から戻った子供達とともに、昼過ぎに松戸を出て電車で移動します。引越し先は青山です。途中、私のオフィスのある官庁街で途中下車して、総理大臣官邸や国会議事堂をバックに子供達の記念写真を撮ります。
都心の小学生となるのですから、我が家の子供達もそのうちに国会議事堂の見学に来たりするのかもしれません。私は京都で小学生時代を過ごしましたので、さすがに、国会議事堂の見学には来ませんでした。

下の写真は、左側のが総理大臣官邸をバックに記念写真の子供達で、右側のは国会議事堂をバックにした子供達です。

総理大臣官邸をバックに子供達  国会議事堂をバックに子供達

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2006年3月23日 (木)

秘密基地とクロノスで遊ぶ

昼前に引越しのためにブログ小休止といったのもつかの間で、早速、前言撤回でブログを書いたりしています。

女房が引越し先の掃除に出かけ、私が荷物の梱包をしていても、子供達には関係ありません。おとうとの下の子はお友達と自転車で遊びに出かけ、おにいちゃんはパソコンゲームのクロノスで遊んでいます。先ほど、下の子が家に戻って、「おとうさん、見て見て」とうるさくいうので、ややヒマにしていた時だったこともあって出かけると、お友達といっしょに団地の中で秘密基地を完成させたのだそうです。割れ竹で雨樋から水をペットボトルに流し込むのだそうです。明日になれば引っ越してしまうので、たぶん、この団地の秘密基地で遊ぶ機会は二度とないんでしょうが、そんなことはお構いなしに無邪気に遊ぶ子供達を見ていると、私まで何だか楽しくて幸せな気分になってしまうから不思議です。

松戸から引っ越す記念に写真も撮っておきました。
下の写真は、左側のが完成した秘密基地で、右側が自転車でお友達と記念写真の下の子(左)です。お友達より大きいタイヤの自転車に乗っているのが自慢です。

秘密基地  下の子とこはく君

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ブログ小休止のお知らせ

明日、引っ越します。
今日の午前中は女房が引越し先に出かけてしまったので、私が年休を取って、小学生の子供達を家で待たなければなりません。もうすぐ、あと30分ほどで帰ってきます。
子供達が帰ってくるまでに、小学校の給食費を引き落としてもらっていた京葉銀行の口座を解約し、クリーニング屋さんからワイシャツを引き取ってきました。最後に、つい先ほど、先日来練習に練習を重ねてきた食器洗い乾燥機の配管を外しました。子供達が帰ってきて昼食に出かけ、午後からは荷物の梱包に励む予定です。

ということで、
引越し先でADSLが開通するまで、しばらくの間、ブログをお休みするかもしれません。もっとも、ダイヤルアップで接続して、時折、何か書くかもしれません。遅くとも、4月1日ころには本格的に復帰する見込みです。引越しの折に写真は何枚か撮りたいので、もしも、可能であれば、日付や時刻をゴマカシて、何日分かさかのぼってブログを後付けするかもしれません。毎日ブログを書くのが目標でしたので、何とか、ゴマカシてでも続けたいと思う気持ちはあります。なお、インターネット接続に関係なく、私は日記をつけていますので、その日記から適当にコピペしてブログの日付をゴマカシて後付けするのはカンタンです。

それでは、しばしのお休みを。

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2006年3月22日 (水)

Windows Vistaが待ち遠しい

米国時間の昨日、MicrosoftがWindows Vistaのコンシューマー向け発売開始を来年2007年1月に延期すると発表しました。asahi.comではここにあります。日本語版は3ヶ月くらい遅れるので、来年春の発売なんでしょうか。ひょっとしたら、1年以上も先のことになってしまうかもしれません。
何でも、セキュリティ対策などの品質確保に時間がかかり、年末商戦向けのパソコン搭載に間に合わなくなったらしいです。これで、パソコンメーカーの販売戦略も変更を迫られるとの見通しです。でも、ビジネス向け製品は予定通り今年11月に発売するそうで、年末商戦・クリスマス商戦にあんまり関係なさそうなビジネス向けOSを先行販売しても意味あるんですかねえ。でもまあ、Windows Vista上で動かすソフトを開発する会社もあるわけですから、コンシューマー向けよりもビジネス向けが先行するのはやむをえないんでしょうか。

私の方では、新しいOSの発売をチャンスに新しいパソコンを買おうと予定していただけに、とても残念です。我が家のパソコンは昨年9月16日のブログでご紹介したように4台体制ですが、もっとも古いWindows 98を搭載したNECのLa Vieノートはほとんど使わなくなっているので実質的に3台体制となっています。世間のパソコンのスペックがとてもよくなっていて、CPUが700MHzくらいの我が家の古いパソコンでは、子供達のゲームを買ってきてインストールしようにも、最新のゲームでは動作最低スペックを満たしていないのでムリがあるような状態ですので、今年は何とか新しいパソコンを購入する予定だったのですが、我が家の夫婦間の力関係からして、これは見送りになる公算が高いのではないかと観念しています。
我が家で買った、買ってないは別として、また、オフィスユースのものも含めて、昔のWindows 3.1の時代から、95、98、2000、ME、XPと一通りのWindows OSを経験してきた中で、確かに、今のWindows XPはとても完成度が高くて、この5年間でほとんどバージョンアップがなかったのも理解できないでもないのですが、でも、さすがに5年もたてば新しいOSをリリースしてもいいんではないかと思います。シロートながら、Microsoftの方で、ひょっとしたら、XBoxにリソースを割き過ぎたんじゃあないのか、と邪推したくもなります。
AppleはMacOSを次世代にバージョンアップしましたし、ゲーム機はニンテンドー、ソニーなどが次々と新しいマシンを開発して売り出しており、それぞれのソフトも大量に出回っていたりしています。私の知人もFinal Fantasy XXIIを買ってプレーして感激してたのがいたりしましたが、Windowsパソコンの方がMacやゲーム機に追いついていないのではないでしょうか?
もちろん、インターネットに接続するパソコンか、スタンドアロンで遊ぶゲーム機か、で求められる性能、特に、セキュリティ面では大きな開きがあるんでしょうし、世界のウィルスがいっせいにWindowsを標的にしているのは確かで、MacOSよりもセキュリティ面でより完璧を期す必要があるんでしょうが、MacOSは次世代バージョンになったとはいえ、パソコンOSで一人勝ちして独占状態に近くなったMicrosoftの怠慢もあるのではないでしょうか。マーケット占有率が高まると、利益率は上がるのでしょうが、高まり過ぎるとかえって、技術開発のためのインセンティブが落ちることから、技術開発力が落ちそうな気がしないでもありません。エコノミスト的には独占がもたらすひとつの弊害のような気がします。

昨今のWinnyのウィルスで情報流出が新聞に掲載されない日はなく、インターネットに接続したパソコンのセキュリティ向上が重要な課題であるのはいうまでもありません。でも、5年近くも使い続けたWindows XPパソコンをいまだに愛用している我が家としては、新しいWindows Vistaが待ち遠しいのもホンネです。

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2006年3月21日 (火)

引越し準備を進めつつ、WBC決勝戦を拝見する

今日は、いよいよ指折り数えてあと何日かに近づいた引越し準備を進めます。
先日、剥離剤を購入しておいたので、壁にくっ付けたフックなどをはがしにかかります。しかし、壁の塗装ごとはがれるのもあって苦労させられます。ねじを抜いて、壁掛け時計なども取り外してしまい、腕時計を持っていない子供達から時間が分からなくなった、と文句をいわれたりします。カレンダーも外したのですが、こちらは何とかなるようです。
午後からは梱包も進めます。子供部屋のおもちゃ類は女房に任せて、私はパソコンや周辺機器を購入した時のカートンボックスに詰め込みます。先日、バックアップを取った外付けのハードディスク、MOドライブ、プリンタなどを家庭内LANからディスコネクトし、ついでに、現在はほとんど使っていないNECのLaVieパソコンもコード類とともに箱詰めしてしまいます。ただし、デジカメだけは自分で運ぶつもりなので、空の箱だけを詰めることにします。
現行で頻繁に使っているソニーのVAIOノートと子供達のゲーム用IBMデスクトップは、もうしばらくギリギリまで出したままにしておきます。私のサプのモバイル用のVAIOのC1はもともとカートンボックスがないので、取りあえず、出したままにしておいて、当日、自分で運ぶことにするかどうか、全体の量を見て判断することに決めます。

引越し準備を進めつつも、昼前から放送されたWBCの決勝戦も拝見します。
王ジャパンのWBC優勝おめでとうございます

WBC優勝

1回表に4点先制したのが大きかったですね。先発の松坂をはじめとして、投手陣もキューバの強力打線を相手によく投げましたし、打撃陣も合計10点を取る奮闘でした。
でも、私が一番印象に残ったのは、8回裏にキューバのツーランで6対5と追い上げられた後の9回表の7点目の川崎選手のホームインです。土壇場でのダメ押しということもありますが、やっぱり、ホームベース上でのクロスプレーほど面白いものはないと思います。
もちろん、野球の楽しみ方はいろいろあると思います。豪腕投手がバッタバッタと三振の山を築き上げるのを面白いと感じる人もいるでしょうし、すごい飛距離のホームランを打った打者が悠然とベースを一周して帰ってくるのもいいでしょう。しかし、私はホームベース上のクロスプレー、いや、クロスプレーにならなくても、ホームベース上のプレーにもっとも野球らしい醍醐味を覚えます。
私のようなシロートが申し上げるまでもありませんが、野球はたくさん点を取った方のチームが勝ちとなるゲームです。その意味で、ホームベースをめぐる攻防がもっとも面白いと思っています。塁上を走者がにぎわして打者が打ち、走者は必死の形相で三塁をけってホームに走り込みます。守る野手からボールが転送されキャッチャーがホームベースをがっちりとブロックし、ホームベースに駆け込む走者とタッチに行くキャッチャーと、さあ、アウトかセーフか。野球でもっともスリリングな一瞬です。おしゃべりもビールも忘れて、ファンの目がホームベースに釘付けになる一瞬です。野球の醍醐味をたっぷりと味わえる瞬間といえましょう。
今日の9回表の川崎選手のホームインはすばらしかったです。テレビで見ている時には、ライトからの返球もまずまずの上に、キャッチャーのブロックが完璧で、川崎選手は吹っ飛ばされたように見えました。私の目には、キャッチャーもランナーにタッチ出来ていなんですが、川崎選手もホームベースに触れていないように見えました。しかし、両者が一瞬の間の後、動き始める前に、アンパイアは大きくセーフを宣しました。後で、テレビでスロービデオを見せてもらうと、確かに、川崎選手の走り込む逆の右手がホームベースを払っているのがハッキリと分かりました。米国戦でのタッチアップの疑惑の判定で、米国審判の評判を大きく落としましたが、今日のアンパイアはさすがにちゃんと見ていたんですねえ。キューバのキャッチャーも監督も誰も抗議に出ませんでした。

私のブログですから、ここで脱線するんですが、私が生涯にとても印象的なホームベース上のクロスプレーを見たのは、今回のこれを別にして、過去に3回あります。
第1に、いつのことだかすっかり忘れましたが、V9時代の巨人と阪急の日本シリーズで、巨人の土井選手がキャッチャーの股間に足を差し込んでホームインしたことがあります。阪急のキャッチャーは西本監督とともには猛烈に抗議し、確か、退場になったのではないかと記憶しています。これも、今日と同じで、土井選手はキャッチャーのブロックに吹っ飛ばされて、ホームベースに触れていないように見えたのですが、翌日のスポーツ新聞で、確かにキャッチャーの股間から足がホームに触れている写真が大きく掲載され、話題になったことを覚えています。
第2はマンガのドカベンです。マンガですから、架空の出来事なのですが、ランナーの殿馬選手がアンパイアのアウトの宣告に対して、確かにホームベースに触れた証拠として、ホームベース上に脱げたスパイクを指差してセーフを主張しました。しかし、判定は覆らなかったと記憶しています。もちろん、マンガの世界のお話ですが、私の大好きなホームベース上のクロスプレーでしたので、とても印象的でした。
第3は、1985年の我が阪神タイガースと西武ライオンズの日本シリーズの第1戦か第2戦で、西武ライオンズの攻撃の時、三塁ランナーの俊足の秋山選手が小技のうまい辻選手の一塁線へのプッシュバントのセーフティスクイズでホームに突入したんですが、阪神タイガースのバース一塁手が素手で取ってバックホームし、木戸捕手が見事にブロックしてアウトにしたのを記憶しています。これで、序盤の日本シリーズの流れが出来たような気がしたことを記憶しています。

WBCに戻ると、私にとっての心残りは、我が阪神タイガースの藤川投手が打たれてばっかりのを見せつけられたことで、久保田投手もほとんど出番を見たことがなく、WBCでのタイガース選手の活躍がイマイチだったことです。その分をレギュラーシーズンにぶつけてほしいと思います。


今年こそ日本一だ、タイガース

今日のブログは無理やり「阪神タイガースの日記」にしておきます。

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2006年3月20日 (月)

受験シーズンはほぼ終わりか?

今日はちょっと帰りが遅くなったので、軽い話題でひとつ。
先日1月17日のブログで「小学生の受験シーズン」と題して、少しだけ受験を話題に取り上げましたところ、今日の午後に、これまた偶然なんですが、1月17日のブログでも言及した同期の人事担当参事官と顔を合わせて、交差点のど真ん中でお子さんの受験の結果を聞いたら、志望校に合格とのことでした。
おめでとうございます。

先週から今週にかけての新聞系の週刊誌は軒並み大学合格者の高校別一覧を取り上げています。逆にいえば、そろそろ2月1日の中学受験から高校受験・大学受験までの一連の受験シーズンが終わったような気がします。もっとも、我が家は小学1年生と3年生ですから、いわゆる「お受験」と呼ばれる小学校の受験にはまったく興味も関心もないので、こちらの「お受験」の方のスケジュールについてはよく知りません。上の子が小学校に上がる時にはまだジャカルタ住まいで、ほとんど選択肢なくジャカルタ日本人学校に入学してしまいましたので、その良し悪しは別として、「お受験」をやりたくても、どうにもこうにもやりようがなかったのが実情です。なお、新聞系の週刊誌では、東京大学や私の母校の京都大学などの国立大学とともに、今週あたりから早稲田大学・慶応大学の合格者数も掲載し始めたようです。
私の高校の方の母校もそれなりに健闘していました。東京大学の方はベストテンには入りませんでしたが、関西の学校ですので京都大学の方は上位入賞というカンジでした。でも、私が大学受験したのはもう30年近くも前の話ですから、まったく知らない高校もたくさんありました。東京大学については、私が受験生だったころから、開成高校、麻布高校、灘高校なんてのは常に大量の合格者を出していましたが、我が母校の京都大学については今年の上位2校は、トップが奈良の西大和学園で、その次が京都の洛南高校となっていました。失礼ながら、どちらもあんまりよく知りませんでした。洛南高校については京都の学校ですし、その存在自体は知っていたのですが、少なくとも、私が高校生をしていた当時には、重ねて誠に失礼ながら、京都大学に大量に合格者を出すようなタイプの高校であるとは認識されていなかったような気がします。でも、役所の後輩に洛南高校出身で東京大学卒業の人がいたりして、何か、やや違和感を覚えつつも、詳しく聞くのがはばかられていた面もあったりします。トップの西大和学園については奈良の学校でもあり、全然知りませんでした。知っている人に聞くと、最近20年くらいに設立された学校らしいので、私が知らないのも無理はないとのことでした。

少し前から「ドラゴン桜」がはやったりして、少子化の中で受験競争がむしろ激化しているような印象を私は持っていましたが、久し振りに、このテの大学合格者の記事を週刊誌で見るにつけて、やっぱり、親の役割の重要性を再認識させられました。どこの週刊誌かは忘れましたが、「東大に合格するためにはピアノの習い事が必須」なんて記事もありました。ピアノから遠く離れた、もう一方の極端にありそうなテコンドーなんてやらせている我が家の子供達はダメなんですかねえ。
それにしても、我が母校の京都大学の週刊誌での扱いは小さいですねえ。東京の人からすれば、どうしても、東京大学と早稲田大学や慶応大学が中心になってしまって、やっぱり、京都大学は地方大学と思われているのでしょうか。役所のキャリア公務員の世界のような、ある意味で、極端に東京大学出身者の多い職場で働いていると、京都大学なんてマイナーな大学なのかもしれないと実感させられる場面もあったりしますが、ここ1-2週間のように、週刊誌においてポジティブ・インプレッションで、高校や大学の我が母校の名前を見るのは、それなりに悪くはありません。後輩たちをとても誇りに思います。

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2006年3月19日 (日)

今日は留守番でWBCにかじりつき

お出かけの子供達

今日はジャカルタのころのお友達と遊ぶために、子供達が青山のこどもの城に女房に連れられて行ってしまいました。上の写真は我が家の玄関でお出かけの子供達です。
子供達はこどもの城の遊具やビデオルームなどで遊び、奥様方はおしゃべりです。男親の出る幕はなく、私は家で留守番です。風が強かったので、自動車のない私は外に出かけるのもおっくうで、家の中で引越しの準備などをしていました。

まず、少しだけ、水道栓を止めて食器洗い乾燥機の配管を外すのを試してみます。昨日もやったんですが、今日も試してみて、何となく出来そうな気がしてきました。人件費の高い日本ではエコノミストも水道配管をいじらねばなりません。それから、パソコンのバックアップを取ります。引越しの輸送途中でのハードウェア的なエラーは保険でカバーできるとしても、データの復活は望めません。思い出の画像データなどをしっかりと外付けのハードディスクにバックアップします。3台分のハードディスクをバックアップするので3時間近くかかってしまいました。

バックアップを行いつつ、正午過ぎからは野球のWBCを拝見します。実は、今までWBCの試合を通してみたことはなく、ニュースなんかでハイライトしか見ていなかったので、今日は一人で留守番という好条件もあり、チャンネル権を持たない私でも自由に番組を選択できましたので、久々に野球の試合をテレビ観戦しました。ただし、オヤツをバクバクと食べ過ぎて体重が気にかかったりします。

何はともあれ、
王ジャパンのWBC決勝進出おめでとうございます
6回までの白熱した投手戦で印象深かったのは、球場が広い、ということです。テレビ桟敷でシロートの私が見ているのですから、かなりいい加減ではあるのですが、打った瞬間にはホームランではないか、と思えるような打球が割合と平凡な外野フライだったりして、球場が広いんだろうなあと感じさせられました。その昔に、阪急ブレーブスなる球団があった当時、スペンサーなんて選手が大リーグから(?)入った時に、その当時に阪急がフランチャイズにしていた西宮球場を見て、「これはリトルリーグのスタジアムか?」と尋ねたという逸話を聞いたことがあります。ホントかウソか知りませんし、スペンサーが大リーグから来たのか、マイナーリーグから来たのかも知りませんが、当時の日本の球場が大リーグに比べてとても狭かったのは事実だろうという気がします。もちろん、スペンサーなんて選手は現役生活33年の「あぶさん」の初期の作品に出て来るかどうかくらいの選手ですから、事実であったとしても、大昔のお話ではあります。でも、両翼350フィートあるようなことをアナウンサーさんがいっていましたので、軽く100メートルを超えるのはすごいと思います。
それから、7回のジャパンの攻撃なんですが、先制ツーランを打った福留選手はもちろんすごいのですが、その直後の打者にいきなりデッドボールをお見舞いした韓国の投手には、ちょっとどうかなと思いました。確かに、ジャパンがこれまで2回とも負けたんですから、とても強くていいチームなんでしょうが、故意でないとしても、たとえ故意でないとしてもですよ、ホームラン直後のあのデッドボールで野球のレベルが問われるのではないかと心配しています。私は、日本では、特に、高校野球なんかが教育の一環であることを強調し過ぎて、きれいごとの、やや窮屈な野球になってしまっているような気がしないでもないのですが、逆に、日本くらい「教育」しておくと、あんなデッドボールはないように思います。
最後の9回裏は大塚投手が見事に締めくくりました。何だか、見ていて、打球が前に飛びそうもない感じがしました。フォアボールは出しましたが、あとは3人とも三振だったのですから見事なもんです。我が阪神タイガースの藤川投手は出してもらえませんでした。キューバとの決勝戦に期待します。

最後に、シロートの私が冷静にこんなこというと、熱狂的な野球ファンから袋叩きにあいそうな気もしますが、王監督って、日本人でしたっけ?

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2006年3月18日 (土)

落ち着かない土曜日

今日は土曜日でしたので、我が家ではパソコンのウィルスチェックとテコンドーのお稽古の日です。しかし、おとうとの下の子の体調がすぐれなかったので下の子はパスで、テコンドーのお稽古はおにいちゃんだけが女房に連れられて綾瀬に行きました。
私と下の子は松戸駅前のイトーヨーカ堂に行って、たっぷりとカードゲームで遊んだ後、遅れて昼食前に綾瀬に着いて、駅前のマクドナルドで一家そろって昼食です。

暖かいことは暖かいので、外で遊ぶこともできたのですが、さすがに、おにいちゃんはテコンドーで疲れていましたし、下の子は体調不良でしたので、外で遊ぶことはしませんでした。ただし、おとうとの下の子がテコンドーのお稽古を休んだにもかかわらず、イトーヨーカ堂でたっぷりとカードゲームで遊んだと聞きつけて、さらに、下の子からカードを見せ付けられたので、おにいちゃんも私がワイシャツをクリーニング屋さんに持って行く時にくっ付いてきて、近くのスーパーでカードゲームを遊びます。このあたりは親として、兄弟でバランスを取る必要があります。

しかし、家では落ち着きません。来週末に控えた引越しのため、家の中にはカートンボックスがアチコチに積み上げられていますし、部屋によっては天井の照明のカバーが外されていたりします。基本的には、女房がしっかりと働いてくれているのですが、今日は私も走らされました。
我が家は食器洗い乾燥機を使っているのですが、この水道配管を外せるかどうかをチェックしたのです。ジャカルタ暮らしの経験があると、日本では人件費がとてつもなく高いことに敏感になってしまいます。ですから、出来る範囲の荷造りや電気・水道回りのことは自分でやろうという気になります。食器洗い乾燥機の配管については、まず、スパナではサイズが合わないため、近くのホームセンターで自在レンチを買い求めます。しかし、中くらいの自在レンチを買ったのですが、最大サイズのに取り替えてもらわねばなりませんでした。水道管は巨大だと実感させられました。
エコノミストはこのあたりの工具類にはとても不慣れなんです。特にパソコンについてなんですが、私はソフトウェアについてはメーカーさんのサポセン並みのことは出来るのではないかと自負していますが、ハードウェアはさっぱりです。ですから、話題を引越しに戻すと、水道管の配管や照明の取外しなんかも、実は、不安があります。しかし、書籍をカートンボックスに詰めるくらいは何とかなりそうな気がします。腰痛が悪化しないように気をつけたいと思います。

3月も中旬を過ぎ、飛び石連休の初日で、プロ野球のオープン戦なんかもやっていたんではないかと思いますが、どうも、家の中が落ち着かなくてテレビを見る気にもなれません。我が愛する阪神タイガースはどうなっているのでしょうか?

家に中が落ち着かないながらも、子供達のお相手はしっかりします。実に勝手なんですが、子供の相手をするのは大好きです。おにいちゃんとはポケモン・カードゲームの相手をしましたし、おとうとの下の子は突然チェスをやりたいといい出し、駒の動かし方を教えながらチェスで遊びました。しかし、とても困ったことに、私は負けてしまいました。ひょっとしたら、下の子はチェスの天才なのかもしれません。でも、たぶん、そうではないと思います。子供達は最後はパソコンゲームです。しかし、クロノスは今週3月14日に完全無料化されてから、サーバのメンテが延々と続いて、ちっともプレーできないとおにいちゃんが文句をいっていました。

下の写真は、左がチェスをする下の子で、右がパソコンゲームで遊ぶ子供達です。先週末はなぜか下の子の写真ばかり撮っていたので、ここでもバランスを取るため、右の写真はおにいちゃんメインで撮ってみました。後方はカートンボックスが積み上げられています。

チェス  パソコンゲーム

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2006年3月17日 (金)

2006年3月17日の日々の雑感

今日は風がとても強かったです。
朝の常磐線は飛来物により少し遅れてしまいました。昼休みに昼食に出ると、アチコチでカンバンがバタバタと倒れて、少し危険を感じたりしました。別の話ですが、今日は子供達の小学校では卒業式で、私より少し早く8時に子供達は小学校に出かけて、8時20分からホームルームがあるそうなんですが、8時45分には終業になってしまうそうです。卒業生の6年生と在校生代表の5年生だけが卒業式に出席して、3年生と1年生の我が家の子供達は早々と家に帰ってくるようなことをいっていました。強風で飛来物があったりするので、家でじっとしていた方が安全そうな気がします。
私が就職して京都から東京に出て来たのは20年以上も前のことで、やっぱり、3月下旬だったのですが、その時の一番の印象は風が強い、ということでした。からっ風は北関東の方の名物で、東京は違うんではないかと思っていたんですが、京都のように盆地で山に囲まれた土地柄と違って、だだっ広い平地が続く関東平野では「とても風が強い」と感じたことを覚えています。特に、今日も昼食から役所に戻る時には、首から下げたIDカードがぐるっと一周してしまいました。今までこんなことはなかったので、とてもびっくりしてしました。

役所ではウィルスメールの注意喚起の連絡が回ってきました。昨年11月18日のブログに書いた通り、その日に久し振りにウィルスメールを受け取ったりしていたんですが、今日は、役所の中核たる内閣官房からの緊急のお知らせ、と送信者を詐称してメールが来て、何と、シマンテック、トレンドマイクロ、マカフィーなどの並み居るウィルス対策ソフトベンダーでも引っかからないので、絶対にメールの添付ファイルを開いてはいけない、とのお達しでした。
もしも、私のところにこのウィルスメールが来たら、フロッピーにでも取っておこうと思っていたのですが、今日のところは来ませんでした。実は来週に期待していたりします。11月18日のブログに書いた時のウィルスメールは我が家のノートン・アンチウィルスがさっさと削除してしまったのですが、実は、その前にウィルスメールが来た時のSoberについては、いまでもフロッピーに取ってあります。利用するチャンスはないと思っていますが、記念にとってあります。趣味が悪いことは正直に認めます。

今日の最後は、昨日に続いてWBCの話題です。何と、米国がメキシコに負けて、失点率なる概念で日本が韓国とともに準決勝に進出したそうです。
失点率なんて初めて聞いたんですが、ちなみに、私はまだ防御率を理解していません。ぼんやりと、低い方がいいピッチャーなんだということは分かっていますが、どのように算出されるのかは十分に理解しているとはいい難い状況です。打点やホームランは非常に単純で分かりやすいのですが、打率になると少し難しくなります。普通に考えるとヒットを打数で割るだけなんですが、フォアボールは打数に入れないのでともかく、エラーや犠打の場合にどうカウントするのかは、かなり最近になってから理解しました。防御率はいまだに細かい点で理解できていません。
取りあえず、防御率は後で取り上げるとして、WBCでジャパンが準決勝に勝ち上がれたのは喜ばしいことです。我が阪神タイガースからただ一人、ジャパンに選ばれている藤川投手も、いつもいつも決勝点を奪われているばかりではなく、次の韓国戦では3度目の正直で、日本チームに勝利をもたらして欲しいと思います。

先月2月16日付けのブログでエレガントな論理構成を取り上げましたが、プロファイルに書いてある通り、私は単純な数式も好きです。最も単純な数式はE=MC2であるといわれています。エネルギーは質量かける光速の二乗に等しいとする式です。
ここで、再び防御率の話に一瞬だけ戻りますが、防御率の計算式も単純で美しいのでしょうか?

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2006年3月16日 (木)

オープン戦とWBCから占う今シーズンの阪神タイガース

今日はWBCで日本が韓国に負けてしまいました。
残念です。しかも、打たれて決勝点を取られたのは、米国戦に続いて藤川でした。
経過はよく知らないんですが、テレビのニュースなんかで報道されている限りの情報で、8回にロッテの今江が三塁のタッチプレーで落球してワンアウト二塁三塁になり、我が阪神タイガースの藤川がリリーフしたんですが、左中間にヒットを打たれて2点を献上し、9回西岡のソロホームラン及ばず惜敗した、とのことでした。でも、藤川が打たれた球をVTRで見る限りは、ほぼど真ん中でした。コントロールミスというか、何というか。藤川は米国戦でもサヨナラヒットを打たれていますし、まだ昨年の疲れが残っているのかもしれません。

目を国内に転じて、オープン戦についても、阪神タイガースはジャイアンツに1勝1分けの後、昨日は西武に完敗でした。それから別件で、前にパドレスにいたオクスプリングっていうピッチャーが入ったんですか?実は、よく知らなかったりするんですが、昨日の鳴尾浜球場での2軍教育リーグの対中日戦に先発したそうです。5回を投げ6安打を許し2失点を喫して、イマイチだったらしいです。初回以外すべての回で先頭打者に安打を許し、ストレートも最速で144キロとやや不足気味で、先発ローテーションに入れるかどうかを見極めるために、もう一回どこかでテスト登板させるとのことでした。
昨日の西武戦に話を戻して、オープン戦4度目の登板となった江草投手が5回で3失点を喫して、練習試合・オープン戦を通じての初失点となったものの、岡田監督の評価は引き続き高く、先発ローテーション入りが期待されています。また、今岡選手も昨日の西武戦で5番サードでフル出場し、5試合連続安打と開幕に向かって調子を上げているようです。桧山・浜中らのライトのポジション争いも面白くなってきました。

私は阪神ファンといいつつも、実は、そんなに野球のことは詳しくなかったりするんですが、春も間近まで感じられるようになり、それこそ「球春」を迎えて、やっぱり、私は、


がんばれタイガース

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2006年3月15日 (水)

春休みの子供向け映画のレビュー

今日は、昼休みに新橋駅前に行き、チケットショップで映画の券を物色しました。春休み映画です。
我が家の子供達が大好きなクレヨンしんちゃんがあったので、ハッとしたのですが、封切りが4月15日だそうで、春休みが終わってからゴールデンウィークをターゲットにした映画のようで、取りあえず、私の物色対象からは外しました。
そんなこんなで、先日来、インターネットで春休み映画を探していたのですが、先日のブログに書きました通り、県庁の星とナルニア国物語を外して、今日は春休み子供向け映画のレビューです。

まず、ドラえもん・のび太の恐竜2006が我が家の強力な候補と私は考えていました。過去25年間に毎年1作ずつ劇場版の映画を出し続けてきたドラえもんシリーズですが、なぜか、昨年は出ませんでした。いわゆる充電期間であったともいわれていますが、今年の作品はその意味でも楽しみではあります。
ストーリーは、次の通りです。
のび太が恐竜の卵のような物を発見して、その卵を孵化させてみると、白亜紀の日本にいたというフタバスズキリュウが生まれてきました。のび太はその恐竜をピー助と名づけて、ないしょで飼い始めてしまいます。そうすると、いろいろと事件が起こるわけです。

次の候補は、ウォレスとグルミット・野菜畑で大ピンチ!です。ハウルの動く城を制してアカデミー賞の長編アニメ部門賞を受賞した作品です。広く世界中にファンを持つウォレスとグルミットのシリーズの初の長編映画だそうです。ウォレスは発明家でグルミットはとても賢い犬です。
ストーリーは、次の通りです。
年に一度のお祭「巨大野菜コンテスト」を目前に、畑を荒らすウサギが大発生します。発明家ウォレスとその相棒グルミットは野菜を守るべく奔走していましたが、ある夜、今までにないほど畑が荒らされてしまいます。これは巨大ウサギの仕業ではないかということになって、ウォレスとグルミットが解決に乗り出します。

次に、毎週日曜日の7時からフジテレビでやっていて、我が家の子供達も熱心に見ているワンピースもあります。ONE PIECE ワンピース THE MOVIE カラクリ城のメカ巨兵というタイトルです。海賊ルフィとその仲間が繰り広げる海洋アドベンチャーを描く、大人気アニメの劇場版第7弾だそうです。
ストーリーは、次の通りです。
沈没寸前の海賊船に乗り込んだルフィたちは大きな宝箱を発見しますが、中から出てきたのは財宝ではなく入歯のお婆さんでした。伝説の宝物「金の冠」と引き換えに、お婆さんは自分を島へ送り届けてほしいといわれて、大冒険が始まります。

さらに、やや死語となってしまいましたが、文部省推薦モノでは子ぎつねヘレンも考えられます。竹田津実のベストセラー「子ぎつねヘレンがのこしたもの」を基に描かれる感動作で、目も耳も不自由な子ぎつねを必死で世話する少年の物語です。
ストーリーは、次の通りです。
少年の母親はカメラマンで海外にいるため、母親の恋人で動物診療所の獣医の元に預けられます。毎日、寂しい思いをしてる少年は、ある日、一匹の子ぎつねと出会うことから物語が始まります。

最後に、ドラえもんといい勝負だと思っていたのですが、結局、我が家の子供達がもっとも見たがったのが、怪傑ゾロリとケロロ軍曹の2本立てです。ちゃんとタイトルをいうと、子供向けなのでとても漢字が少なくて、平仮名ばかりになってしまうんですが、まじめにふまじめ かいけつゾロリ なぞのお宝大さくせん・超劇場版 ケロロ軍曹の2本立てです。我が家の子供達は怪傑ゾロリもケロロ軍曹もとても楽しみにして毎週テレビで見ています。典型的な小学校低学年だと思います。怪傑ゾロリの方は1993年に30分の短編で映画化されたことがあるのですが、本格的な長編は初めてですし、ケロロ軍曹も最近になってテレビが始まったばかりで、これも映画化されるのは初めてです。
ストーリーは、次の通りです。
「いたずらの王者になる」と「自分のお城を建ててきれいなお姫様をお嫁さんにする」というふたつの夢をかなえるため、ゾロリはイシシとノシシとともに修行の旅を続けています。そんなある日、ゾロリは海賊に襲われていたひとりの少女テイルを助けます。彼女の持つペンダントにあった地図の謎を解き明かしたことで、ゾロリのお宝さがしの冒険が始まります。
宇宙から地球侵略にやって来たハズのケロン星人のケロロ軍曹なのですが、いつのまにか地球での暮らしにすっかり慣れてしまい、居候先の日向家の長男の冬樹と今日も大好きなガンプラ三昧でのんきにやっていましたが、突然、地球滅亡の危機に遭遇し、地球の命運を賭けた壮大なスケールの闘いが繰り広げられることになります。

番外編で、先日、少しだけ紹介したシムソンズもトリノ五輪のカーリング人気に乗って、かなり入りがいいようです。ただし、我が家の子供達向きではないと思って、候補からは外しました。

今まで我が家は映画を見る時は有楽町マリオンに行くことが多かったのですが、春休みには引越しをしますし、ゾロリとケロロの2本立ては渋谷でやっているようですので、渋谷まで見に行きたいと思います。でも、ギャク映画で楽しく過ごすのもいいのですが、我が家の子供達ももう少し大きくなって、子ぎつねヘレンなんかを見て、感動の涙を流すようになる日は来るのでしょうか?

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2006年3月14日 (火)

戯曲トゥーランドットについてのメモ

昨夜はプッチーニが作曲したオペラのトゥーランドットについてのトリビアでしたが、今日は、その原作となっているカルロ・ゴッツィ(1720-1806年)による戯曲トゥーランドットやその元ネタについてのトリビアです。

ゴッツィはイタリアの劇作家で、ヴェネツィア生まれです。 トゥーランドットのほかは、『三つのオレンジへの恋』(1761年)や 『鹿の王』(1762年)などがよく知られています。前者はプロコフィエフによって、後者はヘンツェによって、それぞれ、20世紀に入ってからオペラ化されています。また、ワグナーの処女作である妖精の原作もゴッツィの『蛇女』だったりします。ゴッツィのトゥーランドットはドイツの文豪シラー(1759-1805年)も強い興味をもったようで、シラー自身が1801年にドイツ語に翻訳して、ドイツ語圏にもこの物語を広めています。
ゴッツィは劇場やホテルにその名を残すカルロ・ゴルドーニ(1707-93年)の演劇改革に反対し、イタリア演劇の伝統を擁護する立場をとるような、まあ、反動的とはいわないまでも、いわば、保守的な反啓蒙主義的思想の持ち主でしたが、トゥーランドットや三つのオレンジへの恋の2作などを含めた10編の寓話劇シリーズは、シラーが翻訳したことにも示されている通り、イタリア以外のドイツやフランスなどのロマン派の作家に大きな影響を与えたといわれています。作家だけでなく、ロマン派の音楽家にも多く取り上げられているのは先に書いた通りです。

昨夜のブログで、トゥーランドットのもともとのお話は、ペティ・ド・ラ・クロワが1710-12年に出版した『千一日物語』の中の「カラフ王子と中国の王女の物語」に出ていると書きましたが、さらに、もともとは、有名な『千一夜物語』の中の「九十九の晒首の下での問答」であるともいわれています。どちらも、謎かけ姫の物語で、この謎かけ姫の物語はペルシアが起源であって、もともとの舞台は中国ではないとするのが通説のようです。謎かけ物語は日本ではスフィンクスが有名でしょう。

さて、その3つの謎とは、『千一日物語』については、以下の通りです。ゴッツィの戯曲とは微妙に違っていて、さらに、プッチーニのオペラとは大きく違っているのですが、この3つの謎がオリジナルに近いのではないかと考えられています。
第1の謎は「世界中のすべての人の友達で、自分と同等の者に我慢できないもの」
第2の謎は「子供達を産んで、大きくなると、彼らをむさぼり食う母親」
第3の謎は「表が白、裏が黒の色の葉をもっている木」
これらの答なんですが、『千一日物語』では、第1の謎の答は太陽、第2が海、第3が1年とされています。第1の謎の答である太陽については何となく理解できそうな気もします。第2の海については、川は海へ流れ込みますが、もとは海から生じたものだからだそうです。第3の1年については、1年は昼と夜から成り立っているからだそうです。
ゴッツィのトゥーランドットでは第1と第2の謎に対する答は『千一日物語』と同じ太陽と海なのですが、第3は謎自体がそもそも違っていて、謎が「海洋と陸地を支配する強大な動物」を問う謎となっており、答はアドリアの獅子となっています。アドリアの獅子はヴェネツィアの市の紋章であり、ゴッツィにとっては世界最強のシンボルであったヴェネツィア市のアドリアの獅子を第3の謎の答とすることで、自分の故郷への栄誉を讃えたものと理解されています。
プッチーニのオペラでは恋物語に仕上げるためなのでしょうが、これらの謎と答がさらに変化し、第1の謎が「毎夜生まれては明け方に消えるもの」で、答は希望。第2の謎は「赤く、炎の如く熱いが、火ではないもの」で、答は血潮。最後の謎は「氷のように冷たいが、周囲を焼き焦がすもの」で、この答が、何と、トゥーランドット姫自身なのです。もちろん、カラフ王子がすべての謎に正解します。この謎かけと謎解きはプッチーニのオペラでは第2幕に相当します。演出の違いにもよるのかもしれませんが、第3の答を待つ間にトゥーランドットはヴェールを上げて輝くばかりの美貌を明らかにし、カラフ王子にプレッシャーをかけるそうです。でも、コスチュームやお化粧がやや勘違いしているような気がするのは、昨夜のブログで取り上げた通りです。それから、ラストでハッピーエンドの第3幕に続いていくわけです。

以上が、荒川選手がフリーのBGMに使ったトゥーランドットについての2夜にわたるトリビアな日記でした。

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2006年3月13日 (月)

オペラのトゥーランドットについてのメモ

いろいろと考えた末に、新しいカテゴリーを立てることにしました。その名も「トリビアな日記」です。日常生活や社会で何の役にも立たないが、それなりに心豊かになる雑学を、私の知る限りでご紹介します。もちろん、私がオリジナルで調べ上げたものではありませんので、他の先学が取りまとめられたのをご紹介します。著作権は尊重しておりますが、先学と似たような表現があるのはお許し下さい。

最初のトリビアな日記はトゥーランドットです。
実は、恥ずかしながら、ミラノの冬季オリンピックで荒川選手がフィギュアスケート女子で金メダルを取ったフリーの曲がトゥーランドットだったとは、私は知りませんでした。多くの人と同じように、イナバウアーの方ばかりに目が行っていました。

トゥーランドットはジャコモ・プッチーニ(1858-1924年)の最後の作品です。プッチーニのオペラといえば、日本では長崎を舞台とした蝶々夫人が有名ですが、中国を舞台にしたこのトゥーランドットも東洋趣味のものです。トゥーランドットについては、正確には未完のままプッチーニが他界してしまったので、残りの部分はプッチーニのスケッチなどを参考にしてフランコ・アルファーノが完成させました。アルファーノに依頼したのは音楽出版社として有名なリコルディ出版社とプッチーニの息子の意向だったそうです。当時、手堅い作曲と旋律美に定評があり人望も厚かったことから、アルファーノに白羽の矢が立ったらしいです。もちろん、アルファーノはプッチーニの友人であり、弟子でもありました。
アルファーノは残された草稿などをもとに一所懸命に取り組んだんですが、トゥーランドットは未完のままであるべきだとの主張も一部にありましたし、また、プッチーニの友人で指揮者としても有名なアルトゥーロ・トスカニーニがなかなか首を縦に振らず、アルファーノはかなりの労力を費やしてしまったようです。一説には、3度の改訂を経てようやくトスカニーニのOKが出たともいわれています。そのためアルファーノはかなり感情を害してしまい、自分が完成させたにもかかわらず、死ぬまでトゥーランドットの舞台を見に行かなかったらしいです。
トゥーランドットは1926年4月25日にミラノ・スカラ座でトスカニーニの指揮で初演されました。初演の初日にトスカニーニはプッチーニ自身が書いた第3幕の「リューの自殺」の場面まで演奏し、「先生はここまで作曲されて亡くなられました」と言って指揮を止めてしまったため、残りの全曲演奏は翌日の公演になってしまったそうです。もっとも、第3幕でいったん終わるのはプッチーニの遺言だったという説もあります。

トゥーランドットは蝶々夫人と同じように、ある意味で東洋趣味の作品で、架空の時代の中国の王朝、その首都の北京を舞台にしています。トゥーランドットはこの王朝の姫の名前で、アルファベットではTurandot、中国式の漢字では杜蘭朶と書きます。もともとは、ペティ・ド・ラ・クロワが1710-12年に出版した『千一日物語』の中の「カラフ王子と中国の王女の物語」に出ているようで、さらに、その物語を基にヴェネツィアの劇作家カルロ・ゴッツィが1762年に戯曲として著しています。プッチーニのオペラはこのゴッツィの戯曲を原作としています。
ストーリーを簡単に紹介すると、氷のように冷たい心を持つトゥーランドット姫が求婚者に3つの謎を解くことを求め、解けない者の首をはねてしまうんですが、最後にダッタンの王子カラフがみごとに謎を解き、トゥーランドット姫の心を開くというものです。
なお、私はオペラそのものを見たことはないのですが、CDのジャケットなんかで見る限り、中国や東洋・アジアについて、とても誤解したコスチュームやお化粧になっている気がします。

今夜はこれまでとし、ゴッツィの原作、特にトゥーランドットの3つの謎については、明日のブログで詳しくご紹介します。

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2006年3月12日 (日)

今日も下の子の子守りで過ごす

昨日は、昼食をおにいちゃんととった後は、おとうとの下の子を迎えに行って、亀有の両津勘吉像を見に行ったりしましたが、今日も、ほとんど1日、下の子の子守りでした。

怪傑ゾロリから始まる午前中の一連のテレビを見終えて、おにいちゃんは勉強です。おとうとの下の子はさしたる勉強もなく、宿題はお手伝いで、小学校の先生がサボっているとしか思えないホッタラカシです。引越し先の小学校に期待します。
おにいちゃんは昼前から女房に連れられて出かけますので、私と下の子も一足先に9時半過ぎから出かけます。2人で自転車のタンデムで和名ヶ谷の温水プールに行きます。10時から正午までたっぷり2時間遊びます。今日はかなり暖かだった一方で風が強かったので、屋根と壁に囲まれた室内の温水プールには絶好のお天気でした。
下の写真はプールを終えた下の子です。

和名ヶ谷プール

昼食を終えて、下の子は外でバドミントンをしようといい出しましたが、あまりにも風が強いので諦めました。私の方は往復30分ほどの自転車と2時間のプールでヘトヘトになり、運動不足を実感させられます。私が休憩している間、下の子はパソコンゲームで遊びます。これはいつもと変わりありません。私が休憩を終えて、3時のオヤツも食べ終えた後、下の子が学研の科学を発見します。どうも、学研の科学は私と下の子が出かけた後に届いたようで、先週ブログで紹介した小学館の小学生向け学年雑誌と同じで、今月3月発売の4月号から小学校より一足先に進級していました。おにいちゃんには「4年の科学」が、おとうとの下の子には「2年の科学」が届いていました。
下の子の取り出した「2年の科学」の付録がロゾボウくんでした。要するに、乾電池で動くモーターで下から風を吹き上げる仕掛けで、ポリスチレン製のボールをベルヌーイのボールとして遊べるものです。さらに、ベランダに出て、せっけん水でシャボン玉を作ったりして遊べます。
下の写真は下の子がロボゾウくんでベルヌーイのボールで遊んでいるところです。

ロボゾウくん

最後に、今日は夕方のテレビで甲子園球場のオープン戦を観戦しました。最後にホームランを打たれはしましたが、ジャイアンツ相手にタイガースが完勝したので、とても気分がいいです。


がんばれタイガース

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2006年3月11日 (土)

テコンドーのお稽古の後、亀有駅前の両津勘吉像を見に行く

今日は土曜日で、子供達のテコンドーのお稽古があります。子供達は女房に連れられて綾瀬に行きます。私はワイシャツをクリーニングに出して、我が家のパソコンにウィルスチェックを始めてから、昼食に合流すべく出かけます。

今日は想定外の出来事があり、まず、おにいちゃんといっしょに綾瀬駅前のマクドナルドで昼食を済ませてから、おにいちゃんには松戸までの切符を買って、我が家の鍵を持たせて、先に1人で帰らせます。切符をなくしたら自動改札を強行突破するように、鍵をなくしたら家の前で待っているように、それぞれいいつけます。小学3年生にもなれば、乗り換えもない常磐線3駅くらいの距離はちゃんと家に帰り着いてもらわないと困ります。もっとも、安全にだけは十分注意しなければならないので、ヘンな人がいれば逃げることと自動車には気を付けることを確認します。
おにいちゃんを帰してから、次に、綾瀬から常磐線で亀有に出て、おとうとの下の子を迎えに行きます。私が迎えに行った時点で下の子はまだ昼食を食べておらず、吉野家の牛焼肉丼を食べたいといいだします。亀有駅まで行き南口交番のお巡りさんに聞くと、この近辺に吉野家はないといわれてしまい、仕方がないので、マクドナルドにします。私は何となくホッとしました。すでにおにいちゃんといっしょに綾瀬駅前のマクドナルドで昼食を済ませているので、吉野屋に入ってお茶だけで下の子の食事を待つのはツラいと思ったのですが、マクドナルドであればシェークを飲みながら下の子が食べ終わるのを待つことができます。
下の子の食事を終えて、マクドナルドからイトーヨーカ堂の前を通って亀有駅に行こうとすると、街灯に小旗がかかっていて、両津勘吉像ができたと書いてある、と下の子が言い出します。小学1年生のくせに、よくも「両津勘吉」なんて難しい漢字が読めたものだと感心してしまいました。少し前まで日曜日のフジテレビでこち亀をやっているのを見ていたので覚えていたのだと思います。それにしても、こち亀を見ていなくて、できの悪い中学生だとしたら読めないのではないかと思ってしまいました。
下の子がどうしても見たいというので、亀有駅北口に回って両津勘吉像を拝見しました。何人か、携帯電話やカメラで写真を撮っている人がいました。もちろん、子供達の写真をデジカメで撮ることを趣味にしている私は、すかさずデジカメを取り出して写真を撮ります。
下の写真は両津勘吉像と記念写真の下の子です。

両津勘吉像

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2006年3月10日 (金)

日銀の量的緩和の解除

昨日の金融政策決定会合で量的緩和が解除され、道しるべというか、目安というか、福井総裁の言葉を借りると「理解」として、ゼロから2%までであれば物価安定とみなす、との今後の金融政策運営の目安が示されました。ただし、ゼロから2%については、物価安定に関する「理解」として持ち出されたもので、金融政策運営の「目安」や「道しるべ」ではない、とされています。

私の感想を数点あげると、以下の通りです。

私の解釈の第1は、「理解」と呼ぼうと、何と呼ぼうと、数字を出してしまった以上、インフレターゲティングと同じと考えられることです。みずほ証券の上野さんなんかの見方によれば、日銀ではこの数字は有名無実のものにしてしまいたいと考えているフシもあるが、それはムシがよすぎる、とのことで、私もまったく同感です。どのような呼び方をしても、政治的には、この数字は日銀総裁のクビをかけたコミットメントと同じとみなされるでしょう。世間はそこまで甘くないと思います。このあとの第2点で申し上げるように、実態は何も変わらないにもかかわらず、政府からも市場からもレジームが転換したと受け取られることは間違いありません。

第2に、さはさりながら、この目標値は何とでも読めるものであり、日銀も政府もどちらも不満を抱きつつ、結局、痛み分けに終わった可能性が高いことです。日銀の福井総裁も政府・与党の竹中大臣や中川政調会長も、ひょっとしたら、どちらも「勝った」と思っているかもしれません。
さらに、この第2点目に含まれる含意を敷衍すれば、実態は何も変わらないことです。ごくごく一般的にいって、政府エコノミストはある程度長期的な構造改革、ある意味ではサプライサイドを重視して、5年とか10年とかの先を見ているのに対して、中央銀行のエコノミストは需要サイドを見て、比較的短期の景気の1循環くらいの2-3年をタイムスパンとしていると、私は考えています。そうだとすれば、中央銀行エコノミストのタイムスパンである2-3年、もっといえば、福井総裁の残された任期のあと2年を考えれば、物価が2%を超えることは考えにくいです。むしろ、日銀がヘマをしてゼロ以下に、もう一度日本経済をデフレに落っことすことの方が、あくまで可能性ですが、後者の可能性の方が高いと思います。景気の現状を勘案すると、再びデフレになるのには日銀がよほど大きなヘマをする必要があり、これも可能性は低いと考えられます。だとすると、この先2-3年では物価は少々のことをしてもこのゼロから2%のレンジに収まってしまう可能性が高いと考えられます。とすると、金融政策の実態は何も変わりません

第3に、福井総裁の発言などを精査したわけではないのですが、何も変わらないといいつつも、それを正直に市場と対話できないことです。前任の速見前総裁がゼロ金利について、自分で決定した政策であるにもかかわらず、効果がないことをしきりと強調しましたが、現在の福井総裁が同じように今回の政策変更について、実は変更ではないとか、実態は変わらないといい出せば、速見前総裁と同じ轍を踏むことになり、任期を2年残して日銀プロパーの総裁としての末期症状を呈することになります。そうならないように。

第4に、私がとても興味があるのは、日銀がコールレートのニュートラルな水準をどこに置くかです。物価をゼロから2%の間といい、潜在成長率が1.0-1.5%とすれば、きちんとした計測はしていないのですが、テーラールールに従えば、常識的には2%前後のオーバーナイトレートがニュートラルな水準ではないかと想像されます。しかし、コールレートの引上げに従ってイールドカーブはややフラット化するとしても、その場合、長期金利は3%を越える水準となる可能性が高いです。これを政府が許容するかどうか、許容するとしてもどのような条件をクリアしなければならないのか。傍観者的ながら、私はとても興味があります。

第5に、新聞やマスコミの論調がコロコロ変わりました。少し前まで、政府・与党の中川政調会長などが日銀を牽制したりすると、したり顔で、日銀の独立性を言い立てて政府を批判していた新聞各紙なんですが、今日の社説ではコロッと態度を変えました。日経を除いて「量的緩和を解除しても日本経済は大丈夫か」の一色になっています。要するに、責任を取らずに何かを批判してればいいのか、と疑い深くなってしまいかねません。その点、日経新聞は首尾一貫しているように見受けられます。ただし、日経の中でも太田編集委員だけはやや論点がボケをかましているように見えます。今日の日経金融新聞の第2面の解説もちょっとどうかな、と思いました。

第6に、実は、今回の決定とは何の関係もなくて、私のゲスの勘ぐりに属することなのですが、2000年8月に当時の速見日銀総裁がゼロ金利を解除する大失敗をしたにもかかわらず、政府、というか、小泉総理が辞任させずにさらし者にしたのは、今回の例のメール事件で民主党の前原代表をさらし者にしているのと、とてもよく似ている、と考え始めています。ややはしたない考えかもしれませんが、実によく似ていると思います。「本石町日記」さんなんかでは、2度目の失敗はシベリア送り、なんてとても抽象度の高いことをいっていますが、私は再びさらし者説を取ります。私の説が当たっているとすると、物価のゼロから2%の「理解」についても、日銀は総裁のクビをかけたコミットメントではないと主張するでしょうから、外れても総裁を辞めさせないという点では、結果的な責任の取り方は政府と日銀は妙に一致したりします。

最後の点と関係して、私は現在の福井総裁は最後に金利を正常化して、それを花道にご勇退とのシナリオが考えられると思っています。長らく量的緩和が続いて、さらに、福井総裁がそれを積み増したりして、とうとう30-35兆円となりました。福井総裁に残されたあと2年間で金融政策を正常化し、何だかワンポイントリリーフみたいな感じになった福井総裁は、エースの武藤副総裁に引き継ぐんでしょうかねえ。でも、武藤さんなら期待できそうな気がします。

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2006年3月 9日 (木)

中年になるとブッフェランチもそんなに食べられない

日銀が昨日今日と続いた金融政策決定会合で量的緩和の解除を決定しました。道しるべ、というか、金融政策運営の目安は、インフレがゼロから2%であれば、物価安定と見なすというものらしいです。ゼロはデフレにとても近いと思いますけどねえ。いろんな解釈ができてしまうので、市場の期待が安定化するかどうかは不明ですが、もう少し考えを整理して、明日のブログででも取り上げたいと思います。

ということで、今日は食べ物のお話です。
今日のランチは久し振りに銀座に出ました。同業者の友人のエコノミストと2人で、西五番街にあるマレンマに行きました。ピザのランチブッフェのお店です。
このお店が少し変わっているのは2点あって、第1に、まるで職場の職員食堂のように、地下2階のメインダイニングにイスとテーブルがズラッと並んでいることです。第2に、私がシュラスコ方式と呼んでいるピザの配り方です。
マレンマは地下1階のパーティールームと地下2階のメインダイニングの2フロアで、お料理はピザ中心のイタリア料理なんですが、地下1階はコースメニュー、地下2階はブッフェとなっています。しかし、地下2階のメインダイニングで、私なんかがお目当てにしている売り物のピザはブッフェのコーナーには並んでいません。ブッフェのコーナーに並んでいるのは、スパゲティなどのパスタ類、野菜やサラダなどの前菜類、スープを含めた飲み物、デザートなどです。では、お客さんはどのようにピザをゲットするかというと、店員さんが運んできてくれるのです。ピザが焼け次第、だと思うんですが、1皿、あるいは、2皿のピザを持って、店員さんがお客さんのテーブルを回ってきてくれます。レストランに入店してランチブッフェを選んだ時に、グループの人数にもよりますが、今日のように2人であれば1枚の大きなお皿をお店の入り口でくれます。テーブルを回ってくる店員さんがこのお皿にお客さんのグループの人数分のピザを切ったのを乗っけてってくれます。ピザを持った店員さんが回ってきた時に、積極的に手を上げて要求する私のような人間もいれば、店員さんから聞かれて初めて答える奥ゆかしい人まで、お客さんもさまざまです。もちろん、店員さんが運んでくるピザにもいろんな種類がありますから、こちらのピザは欲しいが、あちらのピザは要らない、とかの要望にも応えてくれます。数年前にはやったシュラスコでは、店員さんが串に刺さったりしている焼き肉の塊をテーブルを回って切り取ってくれたりしていましたが、これと同じような方式ですので、私はシュラスコ方式と呼んでいます。もっとも、ちゃんとした正しい呼び方があるのかもしれません。
お値段はランチブッフェで税込み1260円ですから、銀座のほぼど真ん中のロケーションを考慮すると、それなりにリーズナブルではあります。イタリア料理、特に、ピザがお好きな向きにはとてもオススメです。時間制限についてはよく分かりません。ないような気もします。ともかく不明です。

ここで今夜のブログのお題になります。
いつもいっていますが、私はエコノミストを自称しています。だからというわけでもないのですが、限界的にタダのものは大好きです。当然ながらランチブッフェは限界的にはタダで、いくら料理を追加しても代金には反映されません。ですから、ブッフェのお店に足繁く通っていると、私の場合は食べ過ぎて醜く太る羽目になります。体重オーバーはそろそろジーンズなどの年齢層の若い人向けの洋服の既製サイズの限界に達しつつあります。まだ、背広なんかは大丈夫ですが、この限界を超えてしまうと、オッサン服しか着られなくなってしまいかねません。まあ、もう40代の中年ですから、それはそれで仕方ないんでしょう。
しかし、幸か不幸か、ここ数年、中年になって、そんなに量を食べられなくなりつつあります。と言うか、食べるには食べられるのですが、食べ過ぎるとその後で猛烈な下痢に襲われて、結果的に、入りと出を勘案したネットでそんなにはおなかに残っていないような気がします。20代のころはいくらでも食べられましたが、もうそんなマネはできません。これ以上太るのはよくないと、誰かにいわれているような気がしてなりません。

大げさに言えば、食べることは人間が生きている証であり、人生の大きな楽しみのひとつと私は考えているのですが、中年になって若いころほど食べられなくなったのは寂しくもありますが、ひょっとしたら、とても不思議な小宇宙といわれる人体の自己防衛本能からきている有り難い働きのひとつなのかもしれません。

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2006年3月 8日 (水)

科学計算用ソフトウェアの発掘と販売

昨日の朝日新聞の夕刊に大学で忘れ去られたソフトウェアを発掘してビジネス化する試みの記事が掲載されていました。科学実験などのシミュレーションの技術計算を行うソフトウェアだそうです。結構、売り物になるんでしょうか?

実は、私もジャカルタで1本だけソフトウェアを開発しました。一応、科学実験のシミュレーションの際の技術計算をするソフトです。一時、WEB上で公開されていましたので、一応、私はオンラインソフト作家ということになっています。ごく一部ながら、EmEditorのアカデミックライセンスをちょうだいするなど、オンラインソフト作家としての恩恵も受けていたりします。もちろん、エコノミストが作成したソフトですから、流体実験とか土砂崩れとかのシミュレーションではなく、計量経済モデルのシミュレーションをするソフトです。
開発言語はBASICでMicrosoftのVisual BASICを開発言語としてプログラミングをしました。Excleからデータを読み取って、シミュレーション結果もExcelに書き出すようになっていました。ただし、計量モデルの方程式の推計は外部アプリケーションであるTSPで行い、その方程式をBASICの文法に合致したコードに書き直すことにしていました。このモデルの方程式コードをガウス・ザイデル法でbackward-lookingに解きます。シミュレーションの方法も、ゼロレベルチェック、トータルテスト、ファイナルテストが選択できるようになっています。
モデルのシミュレーション結果はExcelに書き出し、グラフ化したり、タイルのUを算出したり、2つのシミュレーション結果から乗数表を作成したりする機能もあります。もう少しいろんな付加的機能を考えていたんですが、だんだんと面倒になり放棄してしまいました。
いうまでもありませんが、私が使いやすいようにカスタマイズされていますし、方程式の推計は外部アプリケーションに頼っていますし、計量経済モデルのシミュレーションに特化したプログラムとなっています。さらに、残念なことに、Visual BASICでコンパイルした実行ファイルはジャカルタのパソコンに置いてきてしまい、手元にはソースコードを基にリビルドしたExcelのVBAマクロのバージョンしか残っていません。日本に帰国する際に、ジャカルタ時代のWEBサイトからも削除してしまいました。
BASICに初めて接したのは1989年に米国のFEDでリサーチアシスタントをしていた時で、メインフレームのコンピュータしか知らなかった私には、パソコンでプログラミングする言語として開発されたBASICは大きなショックでした。Fortranに比べて、とても安直でいい加減な開発言語だとの印象がありましたが、それだけに、私のように「水は低きに流れる」を信条にしている人間には、とてもやさしいプログラミング言語として手放せなくなりました。おかげで、BASICからCに移行するのに失敗してしまい、私はいまだにCのプログラミングができません。ただし、一時、ボーランドがDelphiのパーソナルバージョンを無償提供していたことがあり、私も少しこれで遊んだ経験がありますので、ほん少しだけですがPascalも理解します。Pascalの方がBASICよりも論理的で厳密だと思います。その分、ファンが多いのも理解できます。私のようなアバウトでいい加減な人間はBASICの方が性に合っているのではないかとと思っています。

なお、開発言語ではなく、計量経済ソフトウェアのパッケージとしては、先ほどのTSPEViewsなどにしても、汎用のソフトであれば数百ドルが相場です。大規模なシミュレーションを行う自然科学や工学系のソフトであれば、特に、汎用でなくて個別開発された特注ソフトなら、おそらく、汎用の計量経済ソフトと価格が2桁くらい違いそうな気がします。ひょっとしたら、モノによれば3桁ぐらい違う可能性もあるかもしれません。それだけに、自然科学や工学系のシミュレーションソフトウェアは転用がきけばビジネスになるのかもしれません。

私の経験からして、ビジネスに乗せる最大の障害はマニュアルの整備だと思います。なにしろ、自分でプログラムを組んで自分で使うわけですから、ほとんど、マニュアルなんてものは要りません。ソースコードの隅々まで自分自身で把握している場合がほとんどでしょう。しかし、逆に、それでは開発者以外のユーザを想定していないわけですから、ほかの研究者にとっては使い勝手が悪かったり、極端な場合には、そもそもソフトウェアを動かすことすら難しかったりする可能性もあります。
もうひとつの難点は、やっぱり、著作権の問題です。私がジャカルタでプログラミングしていた時も、前任者のコードを大いに参考にしましたし、大学の研究室などで開発されたソフトウェアも以前の諸先輩のコードを参考にすることも大いにありえることだと思います。ですから、埋もれたソフトウェアを発掘してビジネスにするのも大いに結構なんですが、これらのソフトウェアのうちで汎用性のありそうなコードをどこかで管理して、オープンソースで以後の開発を進めるのもひとつの考えられる案だと思います。

いずれにせよ、埋もれて忘れ去られたソフトウェアに光を当てて、もういちど発掘してビジネスにする試みはすばらしい着眼点だと思います。
私が開発した計量経済モデルのシミュレーションソフトも売れないかなあ。誰か買ってくれないかなあ。

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2006年3月 7日 (火)

日銀の市場との対話は円滑か?

明日8日(水)から明後日9日(木)にかけて、日銀の金融政策決定会合が開催されます。マーケットの予想では50%以上の確率で量的緩和が解除されるだろうとのことです。現在、日銀は当座預金残高が30-35兆円程度となるよう金融市場調節を行っているのですが、この当預残高を10兆円くらいまで徐々に引き下げるのではないか、といわれています。所要準備が6兆円といわれていますから、10兆円くらいでも所要準備からすれば多いくらいなんですが、超のつくような金融緩和が終わることには変わりはありません。
従来からの私の主張なんですが、この所要準備を大幅に超えた当預残高は銀行などの金融機関の危機を回避するための流動性供給であり、2002年3月末とか、2003年3月末のように、実際に銀行危機が噂されていたような時期には必要な措置でしたが、昨年いっぱいでデフレギャップは解消し、株価も昨年夏以降でかなり上昇しましたので、もう必要性はほとんどありません。これ以上続けるとモラルハザードを助長しかねないとの意見もあります。私はモラルハザードとまでは思いませんが、日銀で量的緩和を不要と判断するのであれば、それはそれでひとつの見識だと思っています。

従って、一般の報道でも取り上げられているように、量的緩和を解除した後の金融政策の方向性を示す指針が問題となります。
なぜならば、日銀がグリーンスパンの基にあったFEDと同じように、すべてのフリーハンドを確保して、自由な裁量により金融政策を運営するのは、申し訳ないながらも、能力的に疑問が残るからです。「神様」とまで称えられ、市場との対話の点でとても的確にマーケットにシグナルを送り続けたグリーンスパンのFEDに比べて、福井総裁の日銀はどこまでできると考えているのでしょうか?

今回の量的緩和解除の時期についても、一時、市場の予想が4月末の政策決定会合に集中していたことから、「集中した期待を散らせる」との目的意識を持って、いろいろといい始めたところ、結局、3月上旬の決定会合に予想を集中させてしまったわけで、振り子がある一端から逆の端に振れるように、とても稚拙なマーケットとの対話といわざるを得ません。口の悪い人私の友人の中には、「バカ丸出し」という人すらいます。まあ、ここまではいい過ぎでしょうが、「集中した期待を散らせる」ことには大失敗して、期待の集中を4月末から3月上旬にスイングさせただけの結果で終わりました。明らかに日銀は市場との対話に失敗した、と私は考えているんですが、日銀やマスコミなどはほとんど意識すらしていないのではないかと、密かに心配しています。

失礼ながら、グリーンスパンのFEDと同じことを福井総裁の日銀が出来ると、大いなる自信をお持ちなのであれば、もしそうなのであれば、少し考えを改めるべき余地があるのかどうか、現在の前のめりの姿勢ではなく、もう少しバランスの取れた見方をした方がいいように思います。バーナンキ新議長は、グリーンスパンのような市場との対話ができない可能性がある、あるいは、自信がないから、だからこそ、インフレターゲットを設定した方がより透明性が高くなると考えているわけです。福井総裁がバーナンキ議長と違って、とても前のめりで自信満々なのは、想像力の貧困な私にはとても理解できません。
福井総裁の日銀が余りに自信過剰に陥らないように、自信過剰に陥った結果として、国民からのガバナンスを回避したエントレンチメントの状態にするために、「中央銀行の独立性」をヘンな使い方をしないように、切に祈るばかりです。2代続いた日銀生え抜きの総裁が、2代続けて大失敗では、福井総裁に続く次の総裁がやりにくいと思います。これは想像力貧困な私でも容易に想像できます。

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2006年3月 6日 (月)

「現場を知らない」との批判

もう何度も主張していますが、私はエコノミストを自称しています。おそらく、かなりナイーブなエコノミストであって、経済学の原理原則に忠実にいろんな現象を見ているような気がします。
ですから、私の意見に対しては、「現場を知らない」との批判がよく聞かれます。よくある総論賛成・各論反対のひとつの変種で、私の述べる総論はそれはそれとして異論はないが、各論で現場に目を向けると各論には賛成しかねる、といったカンジでしょうか。
基本的にはその通りで、私が現場を知っているわけではありません。いろんな現場を勉強しなければならないことも、その通りかもしれません。しかし、だからといって、現場を知っているから何なんだ、という気がしないでもありません。現場を知らないひがみかもしれません。

閑話休題。
日本の製造業では、工場の生産の現場が強くて、本社機能がさえない、といった場合も散見されますし、「強い工場」と銘打った本もあります。なお、どうでもいいことですが、同じ著者で「勝つ工場」なる本もあるようです。詳細はアマゾンででも検索してみて下さい。なお、本社機能がさえないために、海外進出する場合には総合商社のマルチな機能に頼りがちになる、といった傾向も見られないわけではありません。私の勝手な解釈によれば、本社機能が弱いことを集中的に体現している悪い例が金融機関ではないかと思っています。もっとも、違う解釈もありえます。

まあ、それはともかくとして、要するに、私がかなりナイーブなエコノミストとして原理原則に則った本社的な意見や見方を示すと、現場を知らないとして、実際の運用の場からの反論がありえるわけです。
誤解を恐れずに2つの例を持ち出したいと思います。まずひとつめは、あまりいい例ではないんですが、私がこの道路のスピード制限は40キロだから40キロ以下で運転すべきだと発言すると、現場の意見として、それは現場を知らない意見だと称して、他の車が全部40キロを超えて運転しているのだから、少しくらい制限速度の40キロをオーバーしても他の車との関係で、全体の流れに乗って運転した方が安全ではないか、と反論されるのがそうです。この例は現場が「みんなで渡れば怖くない」方式で原理原則を破っている例です。ちょっと違うといったのは、この方式だと被害者がいない可能性があるからです。
もうひとつの例は、エコノミスト的な例でいえば、みんながただ乗りをしたくなるような例です。自由貿易が経済的な構成をもっとも高めるのは百も承知だが、我が産業は○○で(××でもいいんですが)とても影響が大きいので、これこれの財には関税をかけるべきである、といったたぐいの議論です。あるいは、関税ではなく、補助金ちょうだいでも趣旨は同じことです。これは現場が「フリーランチが欲しい」方式で原理原則を破っている例です。これは先の「みんなで渡れば怖くない」方式と違って、被害者がいます。関税をかけられた財を購入する企業や人は関税分を上乗せされた価格で買うことになり、被害が生じていると見るべきでしょう。補助金であれば、その税金を負担させられた企業や人がいるハズです。

もちろん、「現場を知らない」ことを論拠にする、原理原則に対する現場からの反論は、これらの2類型だけでなく、いろいろとありえます。しかし、基本的には、私は「現場を知らない」観点から批判されると、論争をしている場合であれば、「勝ったな」と思ってしまいます。特に、被害者を生ぜしめて、原理原則を破って、現場のやり方を通そうとする意見の場合は絶対にそうです。現場を知っている人が論争に敗れる典型例ではないかと思います。
もちろん、繰り返しになりますが、現場を知らないエコノミストに対する反論の例はこれら2種類だけではありません。実にごもっともで、傾聴すべきご意見もたくさんあるのはいうまでもありません。しかし、もしも、原理原則から外れることの論拠に「現場を知らない」ことが利用され、特定の現場だけに当てはまる特殊な内容を含んでいる場合には、それを通すことによって被害者が生じるかどうかをよく見極めた上で、しっかりと判断することが必要だと思います。
いずれにせよ、良くも悪くも、私はナイーブなエコノミストとして、青臭い書生論かも知れませんが、原理原則に則った、現場を知らない意見を発言し続けたいと思います。

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2006年3月 5日 (日)

小学生向け学年雑誌では一足早く進級

我が家では子供達に小学生向けの学年雑誌を買い与えています。小学館から発行されている「小学3年生」をおにいちゃんに、「小学1年生」をおとうとの下の子に買っていましたが、今月3月に発行される4月号から、おにいちゃんに「小学4年生」、下の子に「小学2年生」を買うことになりました。
もちろん、春休みに引越しをして、引越し先の区立の小学校で手続きをして、4月の新学期から、おにいちゃんが4年生、おとうとの下の子が2年生に進級するのですが、小学校での進級よりも一足先に小学生向けの学年雑誌の方で進級してしまいました。

小学生向けの学年雑誌といっても、なかなかあなどれません。小冊子でドラえもんやムシキングなどのマンガが付いてきますし、付録もいっぱいです。小学生になる前の「めばえ」などはこの付録を目当てに買っていて、結局は私が付録を作らねばならずに苦労していたのですが、小学生になった今では、自分で何とか作れます。それから、付録だけでなく、ちゃんと雑誌の中身を読みこなせるように成長してきています。私も開放されて大いに助かっています。
今日買ってやった今月号の「小学4年生」と「小学2年生」に共通するのは、春休み公開のドラえもんやディズニーの映画の紹介や夏休み公開予定のポケモン映画の紹介、ムシキングのムシカードやわざカードの一覧表と小学館の雑誌に付いてくる特別ゲストのカード、などです。ムシキングの特別ゲストのカードはどちらもキングでした。なぜか、角に絆創膏を巻いているカブトムシです。
我が家で買っている小学生向けの学年雑誌にはドラえもん、ポケモンやムシキングのほかにも、小学生に人気のあるキャラクターで、たまごっち、名探偵コナン、デュアルマスターズ、キーボッツなどの情報が満載になっています。もちろん、学年により情報のレベルの差はありますし、勉強に役立ちそうな記事もたくさんあります。我が家は2人とも男の子ですので、男の子に人気のありそうな記事に目が向きますが、当然のことながら、オシャレ魔女などの女の子向けの記事もいっぱいあります。さらに、親が読むべき記事や広告などもありそうな気がしますが、私はそんなに熱心には目を通していません。女房は読んでいるのかもしれません。

我が家の子供達がもう少し大きくなれば、コロコロコミックもおもしろいと思えるような年頃になりそうな気がしますが、今のところは付録についてくるムシキングのカード狙いが見え見えなので、あんまり買いはしません。それよりも、科学雑誌の方に興味を持って欲しいものだと思っています。朝日新聞の週刊「かがくる」は親子で楽しめますし、学研の「1年の科学」や「3年の科学」は付録がとても充実しています。まだ、我が家の1年生はおもちゃとしてしか使いこなせませんが、3年生の方はかなり科学的な実験に近い使いこなしを見せています。

先生や親が十分に反応を確かめながら、子供達にいって聞かせるのはもちろん重要ですが、雑誌を読んだり、インターネットで検索したりと、自分から進んで能動的に情報を収集しようとするのは、小学生であっても私はそれなりに大切だと考えています。親や先生に言われないで、勝手なことをしているわけではないんです。

下の写真は小学館の小学生向けの学年雑誌を持つ子供達です

小学生学年雑誌

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2006年3月 4日 (土)

たまごっちのお世話に励む優しい心

今日は土曜日でしたので、テコンドーのお稽古があり、朝から子供達は女房に連れられて綾瀬に出かけてしまいます。私もクリーニング屋さんに行ったり、我が家のパソコンにいっせいにウィルスチェックを始めたりしてから、昼食に合流するように出かけます。

いつもの通り、お稽古場の体育館を出たところで子供達に合流し、マクドナルドに入って昼食にしようとしたら、おとうとの下の子がたまごっちが心配といい出しました。どうやら、下の子は、遅れて合流する私にたまごっちを持ってくるのを頼むため、家に電話するように女房にいったらしいのですが、女房が家にいた私に電話するのを忘れたようです。
下の子はたまごっちのことが心配になり、昼食どころではなくなってしまいます。他方、おにいちゃんはたまごっちを冬眠させて家を出たのでへっちゃらです。むしろ、おなかを空かせて、早く昼食にしようといい出します。
仕方がないので、綾瀬駅前で二手に別れることにしました。おにいちゃんは女房とともに綾瀬駅前のマクドナルドで昼食を済ませることにし、私は下の子を連れて松戸まで戻り、松戸駅前のマクドナルドに立ち寄ってテイクアウトでハンバーガーを買って、大急ぎで家に戻ることにしました。幸い、私は自転車で松戸駅前まで来ていましたので、無理やりに小学生になった下の子を自転車の後ろに乗せて、家まで自転車で大急ぎで帰りました。ここは自転車の価値(勝ち?)です。
家に帰り着くと、下の子のたまごっちは病気になっていましたが、何とか必死のお世話で死なずにすみました。死んでしまうと、また1代目から育てなければならないとかで、せっかく3代目まで育てたのだから、死なせたくないのだそうです。気持ちはよく分かります。今日の下の子の帰宅騒動は、擬似的ながらも、それなりに、生き物に対する心優しい気持ちから出たことなので、ほめこそすれ、叱ることはできませんでした。

実は、私自身は子供時代に京都で猫をよく飼っていました。母親が猫好きだったものですから、犬を飼うよりは猫を飼っていた方が断然多かったです。ですから、まったくどうでもいいことですが、私は猫のノミ取りができたりします。役所からどこかに天下りして、さらに、完全に職業生活からリタイアして年金生活に入った暁には、どこか、猫の飼えるところに引っ越して、日当たりのいいところで老眼鏡をかけて猫のノミ取りをして過ごすのが私の老後の夢だったりします。実現するかどうかは分かりません。無理そうな気もします。まあ、どちらに転んだところで、私以外の善良な日本人にはほとんど何の関係もないことでしょう。

春休みに引っ越しても団地住まいが続き、なかなか生き物を慈しむことができるような環境を子供達に与えてやれないのが申し訳ないのですが、学校の成績ばかりに重きを置くのはやや偏りがあると思っていますので、我が家の子供達には、人間だけでなく動物も含めて命を大切に考えたり、小さな生き物も含めて他者に優しく接したり、いろんな観点から立派な人間になり、そしてできることであれば、社会に貢献するような人間になってほしいと考えています。まず、自己の確立、それから社会への貢献です。
たまごっちはこういった観点から優しい性格を形成するのには、とてもいいおもちゃだと思います。でも、所詮はおもちゃなのかもしれませんから気をつけたいとも思います。

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2006年3月 3日 (金)

住宅はどちら向きに建てられているか?

女房が引越し先の宿舎を見てきて、概要を教えてもらったのは少し前なんですが、今日、職場の人からもらった周辺地図で改めて確かめたら、春休みに引っ越す引越し先の宿舎は東南を向いているようです。今まで、国内で宿舎を借りた杉並と松戸では、どちらも真南を向いており、公務員の官舎とはこんなもんなんだと思っていましたが、必ずしもそうではないようです。

もちろん、外国では事情は変わってきます。私が最初に外国生活をしたサンティアゴのアパートは1フロアに2室で、私は東側の部屋を借りていました。サンティアゴでは東側の部屋の方がいいとされていたんですが、その理由はアンデス山脈がよく見えるかららしいです。確かに、私の住んでいたアパートの風呂場も、アンデス山脈に向いた壁がガラスで、ブラインドを上げればアンデス山脈がよく見えたのは事実ですが、夜に入浴すると暗くて何も見えませんでした。当たり前です。
それから、チリのサンティアゴも、インドネシアのジャカルタも、南半球ですから、基本的には、太陽は北を回ります。日本のような北半球では太陽は南を回り、住宅も南向きが日当たりの点からいいとされていますが、南半球では逆で、サンティアゴでは北向きの部屋の日当たりがいいわけです。ジャカルタでも北東の角部屋に住んでいて、日当たりの点からはベストだったのかもしれませんが、ジャカルタはほとんど赤道直下の熱帯ですから、日当たりがよくてもあまり有り難がられなかったような気がします。ただし、ジャカルタは南半球でも赤道と南回帰線の間の赤道寄りに位置していますので、日本の冬に当たる11月から1月くらいは、南半球にあっても太陽は南側を回っていました。どういうことかというと、日本の冬至に当たる日には太陽は南回帰線の真上を通るわけで、南回帰線よりも北側にあるジャカルタでは、南半球にあっても日本の冬至周辺の日には、北向きの我が家には陽が差さないということになります。

いずれにせよ、太陽が北を回るので、北向きの部屋の日当たりがいい、ということについては、南半球が初めてだったサンティアゴに赴任した当初は考えがまったく及びませんでした。アパートを探し始めた着任2週間目ころに、現地の不動産屋さんからこの事実を知らされて、かなりショックを覚えた記憶があります。ただし、太陽が東から出て西に沈むのは、北半球も南半球も同じですので、念のため。
太陽が北を回るため、サンティアゴに赴任した直後では、時折、方向感覚がおかしくなったことも記憶しています。それに、自動車を運転していると、右側通行の左ハンドルですので、さらにいっそう方向感覚がおかしくなり、私はもともと方向音痴なものですから、地理も分からず、一体どこを走っているのか、ホントに適当に運転していたこともあります。取りあえず、アンデス山脈を越えるとアルゼンティン領に入ってしまうので、上り坂が続いていたり、山の方に入って行くのだけは避けようと気をつけていたのを覚えています。適当に運転していたのですが、外交官特権に守られて警官にも捕まらず、貧弱なスペイン語を操って、何とか、夜中の1時過ぎにアパートに帰り着いたことがあります。
ジャカルタでは昼間はほとんど常に太陽が真上にあり、これも方向感覚を狂わせる大きな要因でしたが、ジャカルタでは自分で運転するわけではなく、運転手さんが機嫌よく私を運んでくれましたから、大きな被害はありませんでした。太陽が真上にあるのはランチタイム周辺なんですが、私はランチにはほとんど常に同じ日本食レストランに通っていましたので、運転手さんも分かりやすかったのではないかと思います。

我が家では主として女房にやってもらっているのですが、住宅がどちらを向いているのかは洗濯物の乾き方に影響します。ただし、サンティアゴとジャカルタでは、あまり関係しませんでした。サンティアゴはほとんど砂漠の気候で湿度がとても低くて、日当たりに関係なく洗濯物は乾いてしまいます。南北のアメリカ大陸の太平洋側の気候は同じようなものらしいです。私は住んだことはないのですが、サンティアゴ周辺の気候は米国のカリフォルニアの気候にとてもよく似ているという人もいました。それから、ジャカルタでは雨が降ると熱帯性の強烈なスコールで、傘があっても何の役にも立ちません。その代わり、雨が降っても2-3時間で止んでしまい、1日中雨が降ることはありません。気温も高いものですから、1日のうちの2-3時間くらい雨が降っても、何とか洗濯物は乾いてしまいます。いずれにせよ、サンティアゴやジャカルタでは洗濯はメイドさんのお仕事ですから、とても手早く片付けてくれます。日本では住宅が建てられている向きやお天気に左右され、場合によっては、特に梅雨の季節なんかは衣類乾燥機に頼らねばならないこともあります。

いろんな国や地域で住宅事情、とついでに、洗濯事情はさまざまです。

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2006年3月 2日 (木)

パソコンのセキュリティ

このところ、自衛隊員などの自宅のパソコンから秘密情報が流出する事件が相次いで起こり、私の役所でも注意するようにメモが回覧されていました。

これら流出事件を新聞報道などで見ていると、役所の機密文書ファイルを自宅のパソコンに持ち帰って、自宅のパソコンにインストールしてあるWinnyに取りついたウィルスにより外部に流出しているようです。
まあ、二重のアホですねえ。そもそも自宅のパソコンに役所の機密文書ファイルを持ち帰るのが信じられませんし、そのパソコンにWinnyが入っていてファイル交換しているとはねえ。
自宅に役所のパソコンからファイルを持ち帰るのは、USBメモリスティックやCD-W/Rなどの大容量記憶メディアが発達してきたことの裏返しなんでしょうが、私が役所に入った20年余り前には役所の書類は一切持ち帰るなと教育されたものです。当時は大容量記憶メディアなんでありませんでしたし、そもそも、パソコンなんてものがなかったのですが、書類を通勤電車の中で置き忘れたり、盗まれたりする危険は常にあるのですから、当然といえば当然の注意勧告だったような気がします。

実は、私も役所ではUSBメモリスティックを使っています。ただし、これには主として画像ファイルとアプリケーションソフトが入っています。私の趣味はデジカメで子供達の写真を撮ることなんで、ホームページにも大々的にアップロードしていますが、ほとんど、バックアップ目的でこれらの画像ファイルをUSBメモリスティックに入れて持ち運んでいます。それから、少し前までは趣味がテキストエディタだったりしましたので、役所のパソコンにインストールすることなく、すなわち、レジストリに何らかの書込みをすることなく使えるエディタなどを入れていたりします。また、これとは話が別ですが、役所の許可を得て好きなエディタをインストールしたりしています。
でも、私の場合、USBメモリスティックの最大の用途はインターネットカフェ向けのアプリケーションとデータです。主としてメールクライアントとインターネットのブックマーク・お気に入りです。これさえあれば、どこかのインターネット喫茶にフラリと入っても、自宅と変わらないインターネット・アクセスの快適性が確保されます。外付けのUSBメモリスティックですから、ハードディスクにメールのIDやパスワードなどの痕跡を残すこともしません。

それから、自宅のパソコンにWinnyやWinMXなどのファイル交換ソフトをインストールするのもアホだと思います。ほとんどはスケベ目的だと思うのですが、少なくとも、私はこの手のソフトを自宅のパソコンにインストールしようとは思いません。インターネットカフェで利用するくらいにとどめています。まあ、これもどうかとは思いますが。
昨年11月4日のブログに書いた通り、松戸駅前にはWinMXに最適化したことを宣伝するようなインターネット喫茶があったりします。その折にも明言しましたが、WinMXやWinnyのようなP2Pでファイル交換するソフトについては、これらのソフトそのものの違法性はともかく、P2Pで交換される対象となっているファイルはかなりの確率で著作権を侵害する形で交換されているのではないか、と疑っています。こんなシロモノを自分の責任下にある自宅のパソコンにインストールしてファイル交換することは決してオススメできることではありません。

日本では水と安全はタダだと思われているという人がいますが、インターネットに接続している限り、パソコンは世界とつながっているのであり、安全がタダではない世界とつながっているのだと認識する必要があります。
私もスパムメールは毎日20-30通くらい受け取っていますが、さすがに、11月半ばにウィルスメールを受け取ってからは、最近は絶えてウィルスメールは来なくなりました。昔と違って、ファイアーウォールやアンチウィルスのソフトを導入しているパソコンもかなりの割合に上っているといわれています。今回の流出事件を起こした自衛隊員の中にも、アンチウィルスソフトが入っているので慢心していた、といっている人もいると報道がありました。アンチウィルスソフトも、ひょっとしたら、使う人によっては良し悪しなのかもしれません。でも、パソコンでインターネット接続する以上は絶対に必要です。

いずれにせよ、著作権を遵守して、セキュリティに万全の注意を払って、インターネットに接続しなければならない時代が来たように感じます。でも、これらの注意を払ってインターネットに接続して受け取れるのがスパムメールの嵐だったりすると、とてもガッカリです。

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2006年3月 1日 (水)

スイスの表記に関するトリビア知識

今日、豪ドルの相場を調べるために、クロスレートの表がある日経新聞のマンデー日経はどこにあるか、と同僚に尋ねて恥をかきました。そんな別冊は相当前になくなってしまっているようです。ジャカルタにいたころは日経新聞を取っていて、そのころにはマンデー日経があったのですが、同僚にいわせると、最近ではそんなものは見かけない、とのことでした。我が家では朝日新聞を取っているので知りませんでした。
結局、ネット上にあるブルームバーグのサイトで調べたのですが、各国レートが載っていて、その中に、当然のようにスイスフランもあります。スイスフランの表記はCHFです。たまに、SFRと表記されることもありますが、やや田舎っぽい雰囲気が漂います。為替については、日本円がJPYで、米ドルがUSD、英ポンドがGBP、ユーロがEUR、豪ドルがAUD、香港ドルがHKDなどと、各国ともとても分かりやすい表記になっているにもかかわらず、スイスフランだけが何の略だか分かりづらいCHFになっています。これについては為替ディーラーであっても、ほとんどの人は何の略か知らないらしいのですが、私は調べたことがあります。なぜ、CHがスイスの略として使われるかはラテン語に起因しています。
CHFの最後のFはもちろんフラン(franc)なのですが、最初の2文字はConfoederatio Helvetiaの略なのです。どちらもラテン語で、前のConfoederatioは連邦や連合を意味します。英語ならconfederationです。後ろのHelvetiaは、Exciteがネット上で提供している研究社の新英和中辞典第6版によると、「ヘルベティア: a (古代ローマの)アルプス地方。b スイス (Switzerland) のラテン語名《郵便切手に表示されている名称》。」と出てきます。切手好きの人なら知っているらしいです。すなわち、郵便切手に表示されている公式の国名ということになっています。また、私はスイスに行ったことがないので確認していませんが、自動車のナンバープレートもCHと表記しているらしいです。
要するに、CHはラテン語で表記されたスイス連邦の意味なのです。最後にフランのFをつけて、CHFがスイスフランを意味しているというわけです。

ですから、インターネット上でもスイスの国をあらわすアルファベットの2文字はCHです。日本のJPに相当します。私は外交官をしていたことがあるので外務省にも友人があり、もうすでに日本に帰国した人なんですが、スイスのジュネーブに駐在していた人から教えてもらって、一昨年にスイスのフリーのメールアドレスを取ったことがあります。決して、なりすましに悪用したりしている訳ではありません。LiveNetなる業者さんです。ドイツ語と自己責任という言葉を十分に理解している人は試してみるのも一興かもしれません。もっとも、私は決しておススメはしません。そんなに使い勝手がいいとは思えないからで、日本にもっといいフリーメールがジャカスカあります。

また、スイスのジュネーブのことは、知っている人は知ってるんですが、「寿府」と外務省では呼びならわされています。特に、外交機密だったりはしないと思います。単純にレポートを短くするための知恵だと思います。
私が外交官をしていた1990年代初頭はGATTウルグアイラウンドの終盤で、ドンケル事務局長が最終案を提案したりして、各々の任国における反応なんかの情報を収集して本国に送ったりしていたんですが、報告の電報はCCでジュネーブ代表部にも転電していました。その時に「寿府代」なる言葉が出てきて、これはジュネーブ代表の意味だと教えてもらったことがあります。もっとも、その前から知っていたのかもしれません。

今夜は、女房の誕生日を祝いつつ、為替のクロスレート表から思い出したスイスのCH表記についてのトリビア知識でした。

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今日は女房の誕生日

今日は女房の誕生日でした。
この年ですから、特にプレゼントやケーキなんかは買いませんでしたが、「おめでとう」とだけは申し述べておきました。知っていながらも、「いくつになった?」と聞いたら、「数え切れない」と返ってきました。

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