今週末は欧米のキリスト教国ではイースターです。今日がいわゆるグッドフライデーで、日曜日がイースター当日、来週の月曜日はイースターマンデーです。国によって違いますが、会社や学校などもお休みになる場合があります。ということで、今日のブログはイースターに関するトリビアな日記です。もっとも、イースターエッグの由来や多産なウサギがイースターの象徴となっていることなどは多くの方がご承知でしょうから、日付の決まり方と呼び方を中心にしています。
イースターは日本語では復活祭と呼ばれています。何の、あるいは、誰の復活かというとイエス・キリストです。そして、何からの復活かといえば、いわずと知れた、十字架で磔にされた死からの復活です。要するに、イエス・キリストの復活を祝う日なのです。仏教徒である私にはあんまり関係はないかもしれません。しかし、キリスト教の世界では、復活祭はキリスト教の典礼暦における最も重要な祝日とされています。
最初に、イースターの日付なんですが、キリストが生まれたクリスマスと違って、イースターの日付はもともと太陰暦に従って決められた日であったため、太陽暦では年によって日付が毎年変わります。移動祝日と呼ばれています。紀元325年に開かれた第1ニカイア公会議で「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」と定められているからです。もっとも、この公会議の記録は残されていません。この公会議では復活祭の日付の決定を、当時、地中海世界でもっとも学問の盛んな都市だったアレクサンドリア教会に委ねたとされています。このため、年によっては最大1ヶ月くらい、つまり月の周期プラス数日くらいのズレが生じます。実際には、3月22日から4月25日の間になり、今年は2006年4月16日、明後日の日曜日となります。ただし、この日付はローマ・カトリック、プロテスタント、イギリス国教会のいわゆる西方教会の場合で、ギリシア正教の東方教会は別の日にイースターを祝います。なぜなら、ギリシア正教会ではユリウス暦を使って計算しているためで、現在多くの国で使われているグレゴリオ暦とは春分の日が微妙に違うからです。なお、誰が考えてもこれはおかしいので、1997年にキリスト教諸派の代表が集まってシリアのアレッポで開催された世界キリスト教協議会で、復活祭の日付の確定法の再検討と全キリスト教における復活祭の日付の統一が提案されました。しかし、現在でも協議が続けられていますが、いまだに統一には至っていないようです。
なお、現在では、キリスト教の安息日は日曜日であるとされていますので、イースターも日曜日とされているんですが、実は、初期キリスト教徒たちはユダヤ教徒のように土曜日を安息日としていたらしいです。しかし、ユダヤ教との対立の中で、徐々にキリストが復活した日とされる日曜日を祝日とするようになったようです。その後、321年にコンスタンティヌス帝が日曜日強制休業令を出し、364年のラオディキア教会会議により日曜日が安息日であることが正式に決定され、現在に至っています。
次に、イースターの呼び方ですが、Easter はいうまでもなく英語の呼び方です。しかし、英語とドイツ語以外のヨーロッパ諸言語における「復活祭」という言葉は、すべてギリシャ語の「パスカ(Πασχα)」に由来していて、その言葉も元をたどればユダヤ教の「過越しの祭り」を表す「ペサハ(Pesach)」という言葉から出ています。ここから、キリスト教の復活祭がユダヤ教の「過越の祭」から生まれた祝日であることはお分かりでしょう。なお、かなり強引ですが、英語に引き直せば過越しはパスオーバー(pass over)ということになります。もっとも、今では誰もそんなことはいいません。
ついでに申し上げれば、私が外交官として駐在していたチリはスペイン語国なんですが、スペイン語では Pascua となります。意味は同じで過越しなのですが、おもしろいのはイースター島です。そうです。あのモアイ像で有名なイースター島は英語表記なんです。日本でイースター島と呼ばれている島はチリではパスクァ島(Isla de Pascua)、あるいは、全部を日本語にすれば、過越し島と呼ばれているのです。
過越しとは、聖書の出エジプト記12章に記述されている古代エジプトで起こったとされる出来事です。これはユダヤとエジプトの争いの中で、ユダヤの神であるエホバが、戸口に印のない家に災いを与えることをモーセに伝えます。逆にいうと、戸口に印のあった家にはその災厄が降りかからなかった、つまり、災いが過ぎ越されたことに由来します。
さきほど、英語とドイツ語以外と書きましたが、ちなみに復活祭を表す英語の Easter およびドイツ語の Ostern はゲルマン神話の春の女神「エオストレ(Eostre)」の名前に由来しているといわれています。別の説として、ゲルマン人の用いた春の月の古名「エオストレモナト(Eostremonat)」に由来している、との説もあります。しかし、この2つの語源は明らかに同じであると考えられていますから、どちらでも同じことです。
長くなりますが、歴史をひも解くと、8世紀の教会史家ベーダ・ヴェネラビリスはゲルマン人が「エオストレモナト」に春の到来を祝う祭りをおこなっていたことを記録しています。なお、ローマ帝国では313年にコンスタンティヌス1世とリキニウス帝によるミラノ勅令によって、他の全ての宗教と共にキリスト教が公認されていて、その後、380年にテオドシウス帝がキリスト教をローマ帝国の国教と宣言しています。
ゲルマン民族の大移動は375年に西ゴート族がドナウ川を超えてローマ帝国領内に侵入したのがエポックとなっていますから、4世紀くらいには多くのゲルマン民族はキリスト教徒になっていたのではないかと考えられています。さらに、5世紀にはグレートブリテン島(現在の英国)にゲルマン民族であるアングロ・サクソン人が上陸していますし、476年にゲルマン人の傭兵隊長オドアケルが西ローマ帝国を滅亡させた後、481年にフランク族のクロヴィスがメロヴィング朝を創始して、アリウス派キリスト教からカトリックに改宗した、との歴史的事実もありますから、8世紀のヴェネラビリスの記述のころにはほとんどのゲルマン人は明らかにキリスト教徒であったと考えられます。
このため、イースターの習慣の中には、このゲルマン人の祭りに由来すると思われるものも散見されます。例えば、色をつけた卵を配るイースターエッグや多産の象徴であるウサギがイースターのシンボルとされていることなどはゲルマン由来らしいです。
以上、今日はイースターの日付の決まり方と呼び方に関するトリビアな日記でした。
みなさんもよい週末を。
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