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2006年4月30日 (日)

木場公園に遊びに行く

昨日からのゴールデンウィークなんですが、取りあえず、昨日今日は通常と同じ週末で、明日と明後日は子供達の小学校がありますので、今日は、軽く木場公園に行って遊びました。東京メトロ木場駅の北側に広がる広大な公園です。なお、いつものことですが、我が家の画像中心のホームページにも今日の木場公園で遊んだ画像をアップロードしてあります。

まず、原っぱで遊びます。まだ人出も少なく、子供達は久し振りの広い公園で、鳩や野鳥を追いかけて走り回ります。もちろん、我が家の子供達に捕まるようなトロい鳥はいません。
次に、噴水近くの冒険広場のアスレチックで遊びます。千葉県にあったアンデルセン公園、野田の清水公園、市川自然公園のありのみコースなどの本格的なアスレチックではありませんが、ロープスライダーなどもあり、その気になれば、小さいお子さんは十分遊べます。今日は、私が勝手にスタートとゴールを設定して、地面に落ちずにゴールできたら2ポイント、落ちたら1ポイントなどを決めて子供達が遊びます。当然ながら、年齢的におにいちゃんがポイントでは勝ちますが、子供達はかなりしっかりと遊びます。でも、時折、ハチが出現してはアスレチックが中断されます。後は、我が家の子供達は毛虫も苦手です。
そして、今日のお目当てのひとつは水遊びで、そのために木場まで出向いたのですが、残念なことに、水遊びの出来るジャブジャブ池は水が抜いてあり、水遊びは出来ませんでした。通りをはさんだ北側にジャブジャブ池があると聞いて来たんですが、確かに池はあるものの、水がありませんでした。せっかく、サンダルも用意してあったのに、とてもガッカリです。仕方がないので、ジャブジャブ池そばの幼児向けの遊具でも遊びました。これは幼稚園以下くらいの子供向けで、我が家の小学生にはやや不向きな気もしないでもなかったのですが、水遊びができなかった代わりに少し遊びました。
昼食をはさんで、最後に、原っぱでフライングディスクバドミントンで遊びます。私は用具運びのみで、フライングディスクやバドミントンで遊ぶのは子供達です。私はベンチが空いてなかったので、木陰で休憩していました。少し前まで熱心にやっていたバドミントンですが、最近はやっていないらしく、全然ラリーが続かないのですが、それでも、本質的にバドミントンが好きなようで、とても楽しげにプレーしていました。周辺の大人どうしのバドミントンとはレベルの差は歴然でしたが、楽しかったことにかけてはひけを取りません。

今日の木場公園は、本格的にゴールデンウィークに入って遊びに行く前の軽い肩ならしですので、明日と明後日には小学校がまだありますから、夕方前に早めに帰宅しました。

下の写真は、左側のがアスレチックで遊ぶ子供達で、右側のがバドミントンをプレーする子供達です。

アスレチック  バドミントン

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2006年4月29日 (土)

家でゴロゴロするゴールデンウィークにCATVの威力を知る

今日からようやく待ちに待ったゴールデンウィークが始まりました。
しかし、天気予報では今日の午後は下り坂だとかで、実際に、昼過ぎには雨が降りましたので、今日のところはほとんど家でブラブラしていました。でも、そろそろ衣替えの季節ですから、私は冬物のスーツなどをクリーニング屋さんに持って行って、夏物を取り出したりしていました。昨年から本格的にクールビズが始まって、夏物スーツを着用する期間が短くなりそうなので、今年は早めに出しておきます。また、南青山の港区立生涯学習館で本を借りようとしましたが、今日は普通の土曜日ではなく、みどりの日の祝日だったもので開いていませんでした。せっかく歩いて行ったのに、スゴスゴと引き下がりました。
仕方がないので、家で遊びました。少しだけ下の子とバドミントンもしたのですが、雨が降り出したのためにそんなに続けることは出来ませんでした。

そこで、家で久し振りにポケモン・カードゲームで遊びます。
我が家では子供達2人と私がポケモン・カードゲームのプレイヤーズ登録していてIDを取ったりしているんですが、2月28日のブログで紹介したように、2月いっぱいでこの登録の更新がありました。継続費1人当たり500円也をお支払いし、レアなカードをゲットしました。ジラーチ、ホウオウ、ルギア、レックウザ、カイオーガ、グラードンなどのとても珍しくて強いカードを入手し、子供達は早速デッキを改造して使っています。
私も手に入れているんですが、子供達ほど相性や何やを考えているヒマもなく、適当に、以前からのデッキをそのまま使い続けています。かなりデッキに差がありますので、私が負けることになります。午前中は上のおにいちゃんに負け続け、午後からは下の子に負けます。
下の写真は私に勝ってご満悦の子供達です。左が上のおにいちゃんで、右が下の子です。

ポケモンおにいちゃん  ポケモン下の子

それにしても、家でゴロゴロしているとCATVの威力を見せつけられます。
我が家ではジャカルタに行く前に杉並に住んでいた時にCATVに加入していました。10年ほど前までは、杉並や練馬あたりはCATVでは先進地域と考えられていました。もちろん、ジャカルタのころも高級アパートに入居していましたので、主としてNHKを見るためにCATVを入れていました。でも、帰国して松戸に住むようになってからは、インターネットの光ファイバーが全戸に来ているにもかかわらず、CATVは導入されていませんでした。集合住宅でばかり暮らしていましたので、住宅全体で導入してもらわなければ、個別の対応には限界がありますので、松戸にいた時にはCATVは諦めて、子供達のリクエストに応じて、オンラインDVDをレンタルで借りていました。クレヨンしんちゃん、ウルトラマン、ポケモンなどです。
松戸から青山に引っ越して来て、オンラインDVDレンタルは止めにして、CATVにしました。港区は東京タワーが建っているにもかかわらず、電波受信障害があってCATVが普及していて、団地全体がCATV対応になっています。カートゥーンネットワークなどのジャカルタのころから親しみのあるアニメ専門チャンネルがあって、ポケモン、怪傑ゾロリ、ケロロ軍曹、などの少し古くなったアニメが山盛りです。今日の午後はこち亀を見たりしました。アニメ以外でも、ウルトラマンもあれば、私向きにはプロ野球の阪神タイガースも放映されています。先の方は知りませんが、4-5月については、地上波と合わせてほぼすべての阪神タイガースの試合が見られるような気がしないでもありません。夜には女房がヘッドフォンで映画を見ていたりします。
今日の夕方も、こち亀が終わってから、甲子園での阪神ヤクルト戦のデーゲームを拝見しました。試合が見られるだけでなく、今日のように阪神が勝つとさらにいい気分です。その上、甲子園はいいお天気だったので、こちらも明日はいいお天気になりそうで、子供達とどこかに遊びに行こうかと考えると、もっと気分がよくなります。

我が家の子供達はとってもテレビ好きですので、コントロールを誤れば勉強の妨げになりそうな気もしますが、松戸に住んでいた2年半の間CATVがなかっただけに、その威力をまざまざと見せつけられたような気がします。

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ニャースについてのトリビア情報の修正

昨夜のニャースに関するブログについて、以下の通り、間違いを修正してお詫び申し上げます。

ニャースが2本足歩行と言葉をマスターしたのは、語学学校ではなく、アクターズスクールの屋根裏でした。ニャースはアクターズスクールの屋根裏から、舞台役者たちのダンスを見て2本足での歩行を学び、舞台役者たちの発音練習を聞いて人間の言葉を覚えたのでした。

重ねてお詫びして修正します。

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2006年4月28日 (金)

ロケット団のニャースはなぜしゃべれるのか?

いよいよ金曜日の勤務を終え、明日からは本格的にゴールデンウィーク体制に入ります。のほほんが止まらなかった私と我が家の子供達も、これで堂々とのほほんの本番に移れます。ということで、平日最後ののほほんブログとすべく、今夜はお題の通り、ロケット団のニャースについてのトリビアな日記です。

そもそも、ロケット団以外の一般的なニャースはばけねこポケモンと呼ばれ、タイプはノーマルです。特性はものひろいで、高さ0.4メートル、重さ4.2キロです。ひたいに小判のようなものがくっ付いていて、鋭い爪を引っ込めて足音を立てずに歩くことが出来ます。小判ではないんですが、キラキラ光るコインが大好きです。この「キラキラ光るコイン」を分解すると、ニャースの好きなものとしてキラキラするものと、丸いものをあげることができます。特に後者の丸いものが好きであることは明らかで、満月なんかが大好きだったりします。そんな歌もありました。一時、アニメのエンディングテーマになっていたりしました。なぜか、このキラキラと丸いものは、我が家の下の子も大好きだったりします。要するに、やや幼児趣味なのかもしれません。技としては「ひっかく」や「ネコにこばん」などいろいろな技を覚えます。なお、進化前はありませんが、ニャースが進化するとペルシアンになります。実は、ロケット団のボスはペルシアンを飼っていて、ロケット団のニャースもペルシアンに取って代わってボスにかわいがられたいと思っています。この詳細は後ほど。また、サトシのピカチュウと同じで、ロケット団のニャースはモンスターボールに入っているところは見たことがありません。

ロケット団のニャースがしゃべれるようになったいきさつは、実は、アニメに出てきます。第68話の「ニャースのあいうえお」と題した回で、ポケモン・アニメのかなり最初の方で放映されたものです。この回では、サトシのところにポケモン・ムービーの招待状が来ます。場所はあこがれの映画の都ホリウッドです。なお、これは、米国カリフォルニア州のハリウッドのパロディであることは明らかです。サトシたちは自主トレをほっぽり出してホリウッドに行くことにします。同じように、サトシのピカチューをつけ狙うロケット団もホリウッドに行こうとしていましたが、実は、ニャースには苦い思い出があったんです。ニャースには不幸な過去があったんです。ということで、アニメはニャースの回想に入って行きます。
なお基礎知識として、ロケット団のニャースはオスらしいんですが、ホリウッドでロケット団のニャースは別のメスのニャースにしたことがあるわけです。さて、少し戻って、ホリウッドに行く前のニャースはとても苦労していたんですが、たまたま見た映画であこがれのホリウッドを目指すことになります。このあたりの筋書きは安直です。そしてホリウッドでもいろいろと苦労するんですが、そのうちコソドロ団に入り生活するようになってしまいます。ところが、ある日、宝石の大好きなマドンニャというメスのニャースに恋をしてしまうんです。話をすると、マドンニャはお金持ちの人間が好きだといいます。
そこで、ニャースはマドンニャに気に入られようと、必死になって2本足で立って歩く練習をします。 そして、何とか人間のように2本足で立って歩けるようになります、でも、コソドロ団では何かを盗って逃げる必要があるんですが、2本足では逃げ足が遅くなって、いつも捕まって痛い目にあわされていました。次はしゃべる練習なんですが、これはホリウッドの語学教室の屋根裏で必死に人間の言葉を覚えたようです。そして、2本足で立って人間の言葉をしゃべれるようになったんですが、マドンニャには2本足で立って人間の言葉をしゃべるニャースなんて気持ち悪い、といわれてふられてしまいます。
当然ながら、人間でもそうなんでしょうが、ロケット団のニャースもぐれてしまい、悪の道に走ります。気がついたらロケット団の本部の前に立っていて、人間の言葉を話す珍しいニャースということでロケット団のボスに気に入られることになりました。そして、しばらくの間は、実際に、ロケット団のボスにニャースはかわいがられていたんです。でも、当時、新人だったムサシとコジロウと出会い、お目付け役として彼らとトリオを組むことになります。トリオを組んで、ポケモンを奪おうとトキワ・シティのポケモン・センターを襲った時に、当時、やっぱり新人のポケモン・トレーナーだったサトシたちと出会います。ここで、サトシのピカチュウにやられてしまいます。ですから、あのサトシのピカチュウはただものではないと思い込み、それ以降、ピカチュウを奪ってボスに献上しようとサトシたちを追い回すことになります。いつも派手に登場しては派手にやられて、「やな感じー」と叫びながら吹っ飛ばされ、いつしか、ロケット団の出世コースから外れるようになってしまいました。
ロケット団のムサシとコジロウのトリオでもたもたしている間に、ペルシアンがニャースに代わってボスのペットになってしまいます。これを知ると、ことあるごとにペルシアンを追い出してボスにかわいがられようと考えるようになります。なお、最初はニャースがロケット団のムサシとコジロウに対するお目付け役の役回りだったんですが、いつの間にかムサシがリーダー格になってしまっています。

なお、私が子供達といっしょにアニメのポケモンを映画やテレビで見ている限り、ロケット団のニャースは、かなり、人間と同等に近いことができるようです。普通のポケモンでも人間の言葉は聞いて理解します。トレーナーの言葉を理解できなければバトルはできないでしょう。でも、ロケット団のニャースは聞いて理解するだけでなく、しゃべれますし、さらに、ポケモンの言葉も理解します。よく、サトシやロケット団のムサシとコジロウに対してポケモンとの通訳をしたりしています。2本足で立って歩いたりもします。でも、2本足の時は走るのが遅いようです。さらに、私がアニメで見た限り、自動車・飛行船、その他のメカや乗り物の運転や操縦もできるようですし、料理をしたり、字も読めるようです。ある意味で、スーパーポケモンなのかもしれないんですが、ニャースとしての基本技のネコにこばんが使えなかったりもします。そして、極めつけは、ロケット団のニャースは自分がポケモンであることを忘れていることがちょくちょくあることです。最初に書いたように、モンスターボールに入っているところは見たころがありません。

ということで、私も明日からのゴールデンウィークには公務員であることを忘れて、子供達と遊び回りたいと思います。

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2006年4月27日 (木)

ケロロ軍曹に関するメモ

今週は週の初めからゴールデンウィーク気分に入ってしまい、のほほんとした雰囲気から抜け切れません。昨日は何とかがんばって公務員ネタでブログを書いたりしたんですが、木曜日になってしまうとのほほんが止まりません。明日になれば、もっとこの症状が進むと思われます。ということで、今夜のブログは表題の通り、ケロロ軍曹に関するトリビアな日記です。

アニメ・マンガのケロロ軍曹の主人公は、もちろん、ケロロ軍曹その人、あるいは、カエルで、軍人であり階級は軍曹です。要するにそのままです。ケロロ軍曹が何者かというと、地球侵略に来たケロン星人です。でも、日本語をしゃべります。そうしないとマンガやアニメになりません。ケロン星はガマ星雲第58番惑星らしいです。ガマですから、ケロロ軍曹はカエルです。もちろん、ガマ星雲なんてウルトラマンのM78星雲と同じように適当な名前なのでしょう。どうでもいいことですが、ケロン星人は地球のことをペコポンと呼んでいます。そして、アニメ・マンガの作品としてはギャグマンガに分類されるものです。私の感じとしては、藤子不二雄のオバQとかドラえもんなどと同じで、ケロロ軍曹やその仲間などのケロン星人はとても非日常的なんですが、ストーリーとしては日常的な出来事を描き出しているように思います。テレビでは12チャンネルで放映しており、ポケモンと並んで高視聴率を上げているようです。
ケロン星から地球の侵略を目的に軍隊が派遣され、先発隊として宇宙侵攻軍特殊先行工作部隊の5人の兵士が地球にやってきます。七面倒な呼び方ですが、要するに、これがケロロ小隊です。しかし、日向冬樹の部屋の壁に潜伏していたケロロ軍曹が、冬樹の姉の夏美にあっさりと潜伏を見破られて捕獲された上に、ケロボールを冬樹と夏美に奪われてしまいます。もっとも、ケロロ軍曹は貸したんだといい張っています。それはともかく、秘密裏に進める予定だった地球侵略がケロロ軍曹のヘマにより失敗し、ケロボールが奪われたことを知った本隊が先発隊5人を置き去りにして撤退してしまい、取り残されたケロロ軍曹たち5人は侵略する対象の地球人家族と同居するという、奇妙な生活が始まります。ケロロ軍曹は日向家の居候となりましたから、掃除や洗濯などの家事を割り振られてせっせと働かされてしまいます。日向家の家事を手伝って働く一方で、地球に来てガンプラを始めて、これにハマってしまいます。
アニメの基本的ストーリーは、ケロロ軍曹が散り散りになった仲間たちを探し出しながら再結集し、あまり効果のなさそうな地球侵略作戦を実行するんですが、結局、夏美に懲らしめられてオチがつく、というもので、当然ですが、永遠に地球侵略ができそうもない筋立てになっています。侵略に来た宇宙人と地球人の間に友情が芽生え、わけの分からないストーリーとなっています。このあたりは、最初に書いた藤子不二雄のオバQとその居候先の家族、ドラえもんとのび太のような関係です。

人物紹介ですが、ケロロ軍曹はこの小隊の隊長です。日向家に居候しています。その下に4名の軍人がいるのですが、一番階級が高いのはクルル曹長です。曹長ですから軍曹よりも階級は上なんですが、なぜか、ケロロ軍曹の指揮下にあります。陰湿、陰気、陰性、陰鬱でイヤなヤツなんですが、発明の天才で頭は切れます。ケロロ小隊の作戦通信参謀です。次がギロロ伍長です。ケロロ小隊ではもっとも軍人らしい性格で、武器のオーバーホールなどにも余念がありません。地球侵略を忘れていない様子です。そして、タママ二等兵がいます。野良犬にイジメられていたところを西澤桃華に助けられて西澤家に居候しています。そして、最後に、もともとはケロロ小隊に属していたんですが、今は属していないドロロ兵長というのもいます。とても影が薄いのが特徴らしいです。この脱走したドロロ兵長に代わって、アンゴル星人のモアが戦闘艇に乗り込んだりしています。モアは地球を破壊しにやって来たアンゴル星人なんですが、今ではケロロ小隊に属して活動しているようです。なお、なぜか、ケロロ軍曹をはじめとするケロン星人の登場人物はみんな身長が55.5センチで、体重が5.55キロだったりします。地球人ならば1歳児くらいの体格でしょうか?
地球人の方は、ケロロ軍曹が居候している日向家は、おかあさんが日向秋でマンガ雑誌の編集者をしていて、とてもナイスバディだったりします。おねえさんが夏美といい、運動神経バツグンで、ギロロ伍長も一目置く戦闘能力を持っています。おとうとがケロロ軍曹と仲良しの冬樹で、夏美とは逆に運動神経ゼロで温和な性格です。2人とも中学生です。1年生と3年生で、もちろん、同じ中学に通っています。冬樹は仲良しのケロロ軍曹にガンプラを買い与えたりしています。この冬樹を慕っているのが西澤桃華で、超ド級の大金持ちのお嬢様です。西澤家にはタママ二等兵が居候していたりします。
日向家は東京都の西部に位置しており、その地下はケロロ小隊の地球侵略のための秘密基地になっていて、戦闘艇が飛び出したり、ロケットが発射されたりする時には日向家が真っ二つに割れたりします。でも、その後は元に戻ります。この秘密基地には中央司令室やクルル曹長のラボ(研究室)、戦闘訓練をするバーチャルシミュレーターなどとともに、温水プールや温泉施設があって、ケロン星人たちがリフレッシュできるようになっているらしいです。

我が家も大いにリフレッシュできるゴールデンウィークに早くなればいいなあと思っています。

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2006年4月26日 (水)

今年の就職状況と公務員志望者へのエール

先日の朝日新聞で「キャリア官僚は敬遠?国家公務員I種申込者が過去最低」との記事を見かけました。その一方で、民間企業では新卒採用を増やすところが多いようです。こちらも朝日新聞の記事で見かけました。
国家公務員のI種試験申込の方は、申込者数は2万6268人で、現行制度になった1985年度以降で最低となり、前年度比4844人(15.6%)減となった落ち込み幅も過去最大だそうです。

昨年2005年10月14日のブログで書きましたように、私はキャリアの国家公務員で、現行制度になる前の20年余り前にキャリアの国家公務員試験に合格しているだけでなく、数年前には人事院に併任されて、キャリア試験のうちの経済職の試験委員もして、大学の先生たちとともに試験問題を作成したことがあります。私が試験委員をしているころは、我が国経済の「失われた10年」と呼ばれる不況のど真ん中くらいで、民間企業の採用が大幅に削減される中で、公的部門だけが淡々と採用を続けていたので、それなりに国家公務員試験の倍率も高かったものです。私が試験委員をしていた時ではないんですが、国家公務員のキャリア試験の申込者のピークは1996年度の4万5254人だそうです。
他方で、民間企業では2007年から本格化する団塊の世代の大量退職に備えた面もあるんでしょうが、景気がかなり本格的に回復する中で新卒採用も大幅に増やしているようです。さきほどリンクを張っておいた朝日新聞の記事では、業績好調な自動車業界で、トヨタ自動車が2年連続で3000人規模の高水準を維持するほか、ホンダも1991年春以来という1000人台を予定しているそうですし、三菱東京UFJ銀行で昨年の620人から2000人へ3倍以上の大幅増を打ち出していて、金融機関なんかでも採用増が多いようです。

先日の朝日新聞夕刊のコラムでは、将来の天下りのうまみも少なくなったことが、国家公務員I種試験の申込者が史上最低を記録した一因であるような記述もありました。これから先は、天下りのうまみはともかく、公務員の総定員5%削減などで公務員を含む公的部門そのものが縮小均衡に入る時代なのでしょうから、退職金や年金も以前ほどは優遇されなくなりますし、公務員宿舎も売り払われて追い出されるとか、公務員の待遇が悪くなる方向にあるのかもしれません。
確かに、私くらいの世代まではキャリアの国家公務員はまだエリートとみなされる風潮がありましたが、今ではなくなっているのかもしれません。20年くらい前に、私は知り合いの当時の大蔵省のキャリア公務員の結婚披露宴に招待されたことがあるんですが、仲人さんの新郎新婦のご紹介で、「新郎は麻布高校、東大法学部、大蔵省と絵に描いたようなエリートコースをお進みになり云々」といった口上が割合とスンナリと、まんざら嘘でもなく聞こえたものですが、一時は、週刊誌などでも大蔵官僚とは金融機関のMOF担にノーパンシャブシャブに連れて行ってもらう存在のように書かれていたこともあります。

エラそうなことをいえる立場ではありませんが、公務員の時代が訪れるかもしれない中で、公務員がエリートである必要はないと思いますが、ノーパンシャブシャブの客でも困ります。私はもっと公務員の同僚諸君と公務員志望者にエールを送りたいと思います。

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2006年4月25日 (火)

鯉のぼりに関するメモ

今日の午後に雨が上がった後、総理大臣官邸の横の道を歩いていると、官邸の中庭に鯉のぼりを見かけました。5月5日はこどもの日で端午の節句です。ということで、半分くらいゴールデンウィーク体制に入っている我が家ののほほんとした雰囲気を伝えるために、今夜のブログは鯉のぼりに関するトリビアな日記です。

まず、端午の節句とはもともとは江戸時代に武家で始まったといわれています。旧暦の5月5日までの梅雨の季節のの日に武家の子弟の出世を願って家庭の庭先で飾られたものだそうです。我が家では晴れの日だけに鯉のぼりを出していて、雨が降ると引っ込めていましたが、実は、元がだけに雨の日に出していたんです。なお、5月5日がこどもの日として国民の祝日になったのは昭和23年1948年からだそうです。
もっとも、逆の説もあり、武家ではなく町家が起源だとする説もあります。すなわち、端午の節句が同時に菖蒲の節句と呼ばれるように、この季節は菖蒲の季節でもあるんですが、「菖蒲」が武を尊ぶ「尚武」と同じ発音であることから、武家では鎧兜や太刀・太鼓などを配した武者人形を飾った一方で、町家で鯉のぼりを立てたのだとの説もあるそうです。地域によって異なるのかもしれません。いずれにせよ、江戸時代に始まることについては確かなようです。
起源は別にして、鯉のぼりは紙や布などに鯉の絵柄を描いて、風になびかせる吹流しを鯉の形に模して作っていたそうです。雨でも紙製ので大丈夫だったんでしょうか。なお、鯉のぼりは別名で皐(さつき)のぼりとも呼ばれています。俳句では鯉のぼりはの季語として用いられます。また、余り知られていないことなのですが、ちゃんと英語名もあり、Carp Streamerというそうです。
もちろん、これ以前にも鯉の滝登りは有名で、日本の江戸時代をさかのぼること1500年くらい前の後漢書に記された故事があります。黄河の急流に竜門と呼ばれる滝があるんですが、たくさんの魚がこの滝を登ろうと試みたものの、もちろん、全部が登り切れるハズもありません。でも、この滝を登り切った魚は竜になることができた、との故事に因んで鯉の滝登りが立身出世の象微となりました。このあたりのお話は聞いたことがあるような気がします。
もともとの江戸時代の鯉のぼりは黒い真鯉だけで、明治時代から黒い真鯉と赤い緋鯉の対で揚げるようになったといわれています。さらに、昭和に入ってからは家族を表す物として青い子鯉を添えたものが主流となったようです。現在では、鯉の上に五色の吹流しを付け、さらに天辺には風車を置いて立てるのが一般的なように見受けられます。
なお、第2次世界大戦前から鯉のぼりの生産量日本一は埼玉県加須市で、日本一だということは世界一でもあると思うんですが、1988年2月には長さ100メートルの鯉のぼりを作って、全長世界一の大きさで有名になったそうです。生産量の多さとともに加須の鯉のぼりとして世界中に有名だそうです。みんなよく知っている「屋根よーり高い、鯉のーぼーりー」と歌われる有名な童謡の作曲は滝廉太郎です。

我が家では男の子が2人ですから、今まで鯉のぼりと兜の武者人形を飾っていたのですが、青山に引っ越してから、団地のベランダの作りが少し違って、我が家の持っている鯉のぼりが立てられなくなりました。今では室内の兜の飾りだけです。ジャカルタですら鯉のぼりを立てていたのですから、少し寂しい気がしないでもありません。
以上。今夜のブログは鯉のぼりに関するトリビアな日記でした。

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2006年4月24日 (月)

クレヨンしんちゃんの劇場版映画に関するメモ

今週を乗り切ればこの週末からゴールデンウィークに入ります。我が家はクレヨンしんちゃんの映画を見る予定にしています。もう前売りチケットも買ってあります。ということで、今夜のブログはクレヨンしんちゃんの劇場版映画に関するレビューです。実は、我が家では映画館で見ていないものも含めて、DVDやビデオもアリなんですが、クレヨンしんちゃんの劇場版映画は全部見ていたりします。

まず、公開順の映画のタイトルです。

  • 1993年夏 アクション仮面 VS ハイグレ魔王
  • 1994年GW ブリブリ王国の秘宝
  • 1995年GW 雲黒斎の野望
  • 1996年GW ヘンダーランドの大冒険
  • 1997年GW 暗黒タマタマ大追跡
  • 1998年GW 電撃!ブタのヒヅメ大作戦
  • 1999年GW 爆発!温泉わくわく大決戦
  • 2000年GW 嵐を呼ぶジャングル
  • 2001年GW 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲
  • 2002年GW 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦
  • 2003年GW 嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード
  • 2004年GW 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ
  • 2005年GW 伝説を呼ぶ ブリブリ3分ポッキリ大進撃
  • 2006年GW 伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!

1993年の最初の劇場版映画が夏休みをターゲットに公開された以外は、1994年以降は一貫してゴールデンウィーク(GW)をターゲットに公開されています。そして、今年GW公開の伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!はクレヨンしんちゃんの劇場版映画の第14作目ということになります。なお、監督は最初の4作は本郷みつる監督で、第5作の暗黒タマタマ大追跡から原恵一監督になり、さらに、10作目の嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロードから水島努監督、昨年の伝説を呼ぶ ブリブリ3分ポッキリ大進撃からはムトウユージ監督になって、今年にいたっています。
一見して分かるんですが、2000-2004年まで5年間が嵐を呼ぶシリーズで、昨年から伝説を呼ぶシリーズになっています。伝説を呼ぶシリーズも5年くらい続くんでしょうか。また、劇場版映画の変遷として、当然ながら、しんちゃんの妹のひまわりの誕生とともに、暗黒タマタマ大追跡からひまわりが登場します。ヘンダーランドの大冒険まではひまわりは生まれていません。野原家は3人家族です。

クレヨンしんちゃんの劇場版映画と原作マンガやテレビアニメとの最大の違いは、映画が非日常の世界が舞台となっているのに対して、マンガやアニメは日常の幼稚園や野原家の生活が舞台になっていることです。「クレヨンしんちゃん映画大全」(双葉社)によれば、これは最初の4作を監督した本郷みつる監督の主張から始まったもののようです。そして、第1作のアクション仮面vsハイグレ魔王がこういった非日常の設定で成功したので、監督が交代してもこのような路線が定着したといわれています。
劇場版映画の全てに共通する点は、日常の世界に生きるしんちゃんをはじめ、幼稚園の友達や野原一家などの、しんちゃんの周りの人々が非日常の世界に巻き込まれ、そこからいかにして、日常を取り戻すかというストーリーが描かれていることです。そして、映画ですから、善玉のしんちゃんや野原家に対してとても非日常的な悪玉が出てくるわけですが、善玉のしんちゃんたちがいつもの日常を取り戻そうと努力するストーリーが進む過程で、悪玉もついでに、あくまでついでに、やっつけてしまう、というコンセプトで貫かれているらしいです。もちろん、このストーリー展開の中で、しんちゃんほかのギャグが満載されています。我が家の子供達はストーリーではなく、このギャグを楽しみに映画を見ているといっても過言ではありません。
この過程でしんちゃんだけでなく、野原家のおとうさんであるひろし、おかあさんであるみさえもヒーローやヒロインになったりします。その典型は昨年の伝説を呼ぶ ブリブリ3分ポッキリ大進撃でした。ウルトラマンのパクリそのもので、しんちゃん、ひろし、みさえが3分間だけ変身できるようになり、怪獣をやっつけていました。

それから、これは感性についての感じ方の違いにもよると思うんですが、割合と初期の映画はちょっと下品なところがあり、ある意味で最近の作品ほど完成度が高くなっているような気がします。指摘できる第1点はオカマが余り出てこなくなったことです。最初の映画のハイグレ魔王はオカマそのものですし、ブリブリ王国の秘法でもオカマが随所に出てきます。ヘンダーランドの大冒険でもマカオとジョマの最大の悪玉はオカマですし、暗黒タマタマ大追跡ではオカマバーの豪華絢爛なトイレで大笑いしたりしました。
第2点はしんちゃんの下半身露出が少なくなったことです。2作目のブリブリ王国の秘宝ではしんちゃんそっくりのブリブリ王国の王子が最後にしんちゃんお得意のゾーサンをやって、親衛隊の女性隊長や王様がびっくりしたりします。おシリは今でもたびたび露出するんですが、おチンチンの露出は格段に減ったような気がします。

現在公開されている伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!のストーリーは、カスカベに謎のそっくり人間が知らないうちにカスカベ市民とすり替わる「世界サンバ化計画」という脅威が迫ります。その恐ろしい魔の手は野原一家にも及び、みさえやひろしのそっくり人間まで出現してしまい、しんちゃんはホンモノの家族を守るため、国際秘密組織SRIの美人特捜官とともに、いつも以上におケツに力を込めて大活躍、というものらしいです。

家族そろってクレヨンしんちゃんの映画を見に行くゴールデンウィークがとても楽しみです。

踊れアミーゴ

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2006年4月23日 (日)

ボーイスカウトのビーバー隊の活動で渋谷の児童会館に行く

今日は、下の子のボーイスカウト・ビーバー隊の活動で、渋谷の都立児童会館に行きました。上の子はボーイスカウト活動にはとても消極的で、入隊しないつもりなんですが、下の子はとても熱心です。
上の子はボーイスカウトが駅なんかで赤い羽根募金をしているのを見たりして、このように自発的に公共的な活動をやるのはまったく気が進まないといいます。私とほぼ同意見なので反論できません。私は20年余り国家公務員を続けてきて、公共的な活動はオンの仕事だけで十分で、オフの時間まで公共的な活動に割きたいとは全然思いません。オフの時間はあくまでプライベートに使いたいです。そうしないと、オンもオフもどちらも公共活動になってしまいかねません。オフくらいは公共活動をカンベンして欲しいものです。どうも、この思いは上の子に敏感に伝わっているようです。
しかし、下の子はボーイスカウト活動にとても大きな興味を持っています。それこそ、公共的な活動にいそしんでバッジをもらったり、今はビーバー隊ですが、9月になってカブ隊になったらキャンプに参加したりと、とても夢をふくらませています。制服にも憧れを持っているようです。ですから、今は見学の延長のような形ですが、来月の活動からはきちんと入隊させて参加させようと考えています。

ということで、今日はビーバー隊の活動に私と子供達とで参加しました。今日の活動は代々木公園でサイクリングとの予定でしたので、下の子だけでなく、上のおにいちゃんもこういった都合のいい時だけは参加します。これまた、私のメンタリティとほぼ一致しますのでOKしてしまいます。しかし、天気予報によると午後から雨とのことだったので、ビーバー隊の隊長さんの判断で代々木公園のサイクリングから渋谷の都立児童会館に変更されてしまいます。
ここでいきなり脱線するんですが、ビーバー隊の隊長さんは地下鉄には乗り慣れていないようなところがあり、物腰や言葉遣いなどから私が勝手に想像するに、自営業を営んでいらっしゃるようなカンジがしました。通常、エコノミストの世界では、自営業者は比較的危険回避度が低い、つまり、サラリーマンよりも大きなリスクを取る傾向がある、と考えられているんものですから、このお天気に対するとても危険回避的な判断に、私は少しびっくりしてしまいました。私はサイクリングに行きたかったので、ホンの少しだけ反論を試みましたが、ここは責任者の隊長の判断を尊重しました。
上のおにいちゃんはボーイスカウトに入隊する気もなく、ビーバー隊とは何の関係もないので、我が家はバドミントンのラケットを持ち込んで、最初のころ、私とおにいちゃんは児童会館の外でバドミントンをしていました。30分余りでバドミントンを終えて児童会館屋上のビーバー隊に合流し、子供達はローラーブレードで遊びます。その後、3階の人体迷路で遊んだりします。
昼食後、さすがに、上のおにいちゃんは児童会館での遊びはガキっぽくてイヤになり、一人で地下鉄に乗って家に帰ってしまいます。しかし、下の子はビーバー隊の一員ですから勝手なマネは出来ません。こうなると、私も下の子に付いて回る必要があります。下の子は4階の音楽室で遊んだ後、3階のバランスボールで遊びます。最後に、2時に地下の休憩所に集合して帰ります。
下の写真は渋谷の都立児童会館で遊ぶ子供達です。左側のがローラーブレードで遊ぶ子供達で、右側のがドラムスをたたく下の子です。

ローラーブレード  ドラムス

2時過ぎに渋谷の都立児童会館を出て、朝のビーバー隊の集合場所に戻ります。
なお、現在のボーイスカウトのシステムからすると、下の子は小学2年生ですからビーバー隊になるんですが、2年生でも9月からはカブ隊に昇格するそうです。ビーバー隊としての活動期間は半年ほどですが、我が家は親バカですので、制服やなんかのビーバー七つ道具と呼ばれるものを買いそろえようとしていました。しかし、隊長さんのご好意で昔の隊員のお下がりがあるといって、スカーフとスカーフ留め、ベストと半ズボンを貸してくれました。さすがに、我が家の下の子はクラスでも3番目くらいに大きい子ですので、半ズボンはどう見ても入りませんが、スカーフとベストは早速着用に及びました。キャップも次回にはいただけるそうです。下の子にとっては、このベストやスカーフを貸してもらったのが今日一番の収穫だったようです。
下の写真は、家に帰ってきて我が家の前でビーバー隊のスカーフやベストを着用した下の子です。スカーフとベストがポイントです。

ビーバー隊

昨日の小学校の学校公開日は写真やビデオの撮影は子供達の気が散るので禁止でしたから、今日は少し多めに撮ってみました。

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2006年4月22日 (土)

学校公開日に子供達の小学校に行く

今日は我が家の子供達の通う小学校の学校公開日でしたので、私も1時間目から6時間目まで小学校に行ってきました。昨年2005年11月10日、松戸の小学校の授業参観に行った日のブログにも書きましたが、学校が保護者や地域にこうした開かれた行事を持つことはとてもいいことだと思いますし、私も微力ながら出来る限りの応援をしたいと思っています。
我が家の小学生は4年生と2年生で、何の変哲もない一番近くの区立の小学校に通わせています。すごい上流のお坊ちゃまの集まる私立の小学校ではありませんから、就学援助を希望するかどうかの調査書の提出締切りが張り出してあったりして、最近、とみに話題になっている格差問題などを身近に感じたりしました。足立区における就学援助比率が高いのが有名になってしまいましたが、東京都全体でも4人に1人が就学援助を受けていると聞いたことがあります。

1時間目から6時間目まで、給食時間に家に帰って昼食を食べた以外は、ずっと小学校にいたんですが、その中でも2時間目は保護者を体育館に集めて学校説明会があり、校長先生からのお話を伺いました。これまた、別にどうということのない、ありきたりのお話だったんですが、1ヶ月ほど前に引っ越して来て、子供達が転校したばかりでしたので、それはそれなりに参考になりました。それに、繰返しになりますが、こういった説明を保護者や地域住民に小学校サイドから行うのは応援すべきだと思います。
IT的にいうと、最近は、小学校でも説明会などのプレゼンにはパワーポイントを使うんだ、と感激しました。しかし、ホームページをご覧下さいと校長先生がおっしゃったので、家に戻ってから小学校のホームページを拝見したのですが、校長先生の名前は4月1日付けの人事異動前のままで更新されていませんし、ハッキリいって、我が家のホームページとさほどレベルの違わない、ほとんど内容のない画像ばかりのホームページでしたので、少しがっかりしました。

授業を拝見して、ひとつだけ違和感を覚えたのは、先生が児童に接する接し方にがあることです。担任の先生のほかにもう一人補助的な若い先生がいてくれて、先生が児童の人数当たりで濃密になり、それなりに児童に接する機会が増えたことはいいことだと思うんですが、その接し方に差を生じてしまっているような気がします。これはシステム的にそうなっているのではなく、教師の資質によると思います。
上の子の算数の授業でコンパスの使い方、コンパスで円を作図する授業だったんですが、いくつか課題を先生から与えて、先生方が2人で児童の成果を見て回ります。ウチの子なんか、「ハイよく出来ました」で丸を書いてもらって終わりなんですが、おそらく、うまく出来ないお子さんなのかもしれませんが、手取り足取り、先生がとても熱心に実技指導されているお子さんもいました。補助の先生の方はそうでもなく、ビジネスライク、というと悪い表現になってしまうかもしれませんが、課題が出来ているかどうかで丸を付けるかどうか、だけなんですが、主担任の先生は、ウチの子のように丸を付けるだけの子と、手取り足取りの子の差がとても大きいので、私はショックを受けてしまいました。
申し訳ないのですが、校長先生宛てのアンケートにもその旨を明確に指摘しました。
もちろん、習熟度の差や性格の違いがあるわけですから、児童との接し方に濃淡があるのは当然ですし、私もすべての児童と平等に接するべきだとまでは思いません。うまく出来ない児童に熱心に指導するのはとても結構なことなんですが、反面、落とし穴があることも忘れるべきではありません。すなわち、うまく出来ないと先生にかまってもらえる、あるいは、熱心に指導してもらうためにはうまく出来ない方がいいのかもしれない、とのシグナルを児童に送る危険があることです。
私は教育学を専攻したわけでもありませんし、教育の現場は何も知りません。親バカの見地から我が子が余りかまってもらっていないことに不満を持っていることは事実で、ひょっとしたら、それだけなのかもしれません。ただし、「出る釘は打たれる」方式の従前の学校教育に批判的な校長先生の学校説明会に出席した後だけに、上の子の担任の先生の児童に接する接し方の差の大きさに疑問を持ちました。もしも、うまく出来ない子に濃密に指導することに力を割き過ぎると、「出る釘は放置される」に近くなってしまう危険があることを指摘したいと思います。
もちろん、私が最終判定者でも何でもありませんから、アンケートに書いた私の意見がどのように取り扱われるのかは知りません。子供達を2人も人質に差し出しているのですから、保護者なんて弱い立場なんですが、たとえ、親バカの見地からでもいいたいことはいうつもりです。

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2006年4月21日 (金)

阪神タイガースの行く末やいかに?

先日来、村上ファンドが保有している阪神電鉄の株式を阪急ホールディングズが買い取る方向で交渉が進んでいるようです。朝日新聞などに連日記事が出ています。昨年12月上旬には村上ファンドが阪神電鉄の株式を42%あまり保有していると報じられていましたし、現時点で阪神電鉄株は1000円くらいをつけていますので、全株を買い取るためには2000億円くらいかかるそうです。
一連の朝日新聞の報道によると、村上ファンドの保有する阪神電鉄株を阪急ホールディングズがTOBで買い取り、阪神と阪急が対等の立場で経営統合し、プロ野球球団の阪神タイガースについてはその名前を残す、ということらしいです。関西の阪神ファンは大いに歓迎しているようです。しかし、他方で、プロ野球球団とは関係ないところで、ビジネス的にいえば関西私鉄の再編になるわけですから、京阪が反対していたり、近鉄は不介入を表明したりと、電鉄会社のレベルでは異論も出ているようです。

私は京都の出身ですので阪神間の電鉄事情はよく知りません。一般に、海沿いを走っている阪神電鉄のエリアは下町っぽくて、山の方を走っている阪急電車のエリアは箕面や宝塚などが典型で山の手イメージが強い、といわれています。東京でも阪急百貨店が西武とともに有楽町のマリオンに入っていたりして、高級感があるのは事実でしょう。でも、関西レベルの話では、どちらの電鉄会社も起点は大阪のキタの梅田で、百貨店なんかも競合している部分があるように思います。梅田から少し下がった淀屋橋や北浜は京阪が通っていますし、さらに下がったミナミの難波や天王寺には近鉄と南海が乗り入れています。ミナミには電鉄系のデパートもあったように記憶しています。
首都圏と関西の鉄道網でもっとも大きな違いはJRと私鉄のウェイトです。関西では私鉄のウェイトが高いんです。ですから、阪神と阪急の経営統合も対JRの戦略的な見地もあるといわれています。私が生まれ育った京都府南部では近鉄とJR奈良線の両方が通っていたんですが、私の学生時代までは圧倒的に近鉄が便利だったような気がします。でも、その後はJR奈良線が電化されたり、新しい駅が出来たりして、それなりに便利になっています。私が生まれ育った両親の家は京都駅から近鉄でちょうど10番目の駅でした。中学・高校・大学とこの駅を使って通学していました。ちなみに、私が大学を卒業するまで京都には地下鉄がなかったことは昨年11月25日のブログでご紹介しました。私が大学に入学した年の9月に京都市の市電が廃止され、卒業した年の6月に地下鉄が開業しました。私の大学4年間はまさに公共鉄道の狭間の時期でした。

電鉄事情への脱線はこれくらいにして、プロ野球球団の話に戻ると、親会社がどうなっても阪神タイガースの名前が残るのは評価すべきなのでしょう。村上ファンドのいい方を真似るわけではありませんが、阪神のブランドは野球の分野では確立しており、このブランドが残ることはプロ野球ビジネス的には望ましいことといえます。もっとも、阪神ブランドが確立しているのはプロ野球の分野だけであって、電鉄や百貨店のビジネス分野では阪急の方が高級感があるのは、最初に申し上げたとおりです。
野球の阪神ブランドが残ることはいいんですが、ひとつだけ心配なのは、阪神と経営統合するといわれている阪急に、プロ野球球団売却の前科があることです。阪神タイガースよりも先に日本一になった阪急ブレーブスはオリックスに売却されて、ニックネームもブルーウェーブとなり、さらに、近鉄バファローズを吸収合併し、今では跡形もなくなってしまいました。
阪神ファンは得体の知れない村上ファンドよりも親しみのある阪急ホールディングズの方が阪神電鉄株の保有者として望ましいと考えているようで、阪神と阪急が経営統合するのを歓迎しているように見受けられるのですが、この前科を考慮すると、阪神タイガースもこの阪急ブレーブスの二の舞にならないとも限らないので、阪神ファンは阪神ブランドをよりいっそう価値あるものにするべく、みなさんごいっしょに阪神タイガースを応援しましょう。

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2006年4月20日 (木)

新庄選手の引退を惜しむ

阪神タイガースに入団し、米国の大リーグに渡った後、現在は日本ハムでプレーしている新庄剛志外野手が先日4月18日のオリックス戦の後に、今シーズン限りで引退することを試合後のヒーローインタビューで明らかにしました。満塁ホームランを含む2ホーマーを放ってお立ち台に上がった新庄選手は自らマイクを手に「ファンに報告したいことがあります」と切り出し、「今シーズン限りでユニホームを脱ぐことを決めました」と異例の引退表明を行ったそうです。球団フロントはもちろんのこと、監督や同僚選手にも相談せず、試合後のヒーローインタビューでいきなりいい出したそうです。
その後も、昨夜、オリックス戦で初回に左中間へ4号3ランを放ち、2試合連続のホームランでチームの4連勝、2位浮上に貢献したりしています。もちろん、ファンからの「やめないで」メッセージもたくさん届いているようです。FAしたとはいえ、阪神タイガースにも11年在籍した選手だけに、私も少し残念な気がします。

私は1991-94年までチリに駐在していて、このころのタイガースはヤクルトと最終戦でリーグ優勝を争ったりしていたんですが、新庄選手のデビューがちょうどこの期間と重なっていますので、私はデビュー直後の新庄選手はよく知りません。でも、この時期の新庄選手で記憶に残っているのは、チリからの帰国後の1995年のことなんですが、この年はタイガースが余りに不振で、夏に当時の中村監督が休養に入り、藤田平監督代行に交代したりして、この年のオフに新庄選手が弱冠23歳にして、「野球のセンスがないから辞める」といって引退宣言をしたことです。
当時の藤田平監督代行は選手時代から地味な選手だったのですが、派手な新庄選手とソリがあわないといわれ、新庄選手の成績もヒドかったと記憶しています。新庄選手は野球を引退して、日本初のプロ野球出身のJリーガーを目指そうとしていた、というウワサもありました。その真偽は定かではありませんが、新庄選手なら充分に本気で考えていそうな話だと思いました。でも、結局、周囲に説得されて2-3日後に引退は撤回し、その翌年はそこそこの成績を残したことを覚えています。しかし、このころはタイガースはどん底で、最下位が指定席だったような気がします。

もうひとつの新庄選手にまつわる思い出は敬遠のくそボールを打ってサヨナラヒットを放ったことです。何年かはハッキリしなくて、野村監督だったことだけは覚えています。調べてみると、野村監督は1999年に阪神タイガースの監督になり、翌年2000年のオフに新庄選手はFAで大リーグに渡っていますので、1999年か2000年かのどちらかの年で、割合とシーズンの早い時期だったと思います。2000年であれば9月にジャカルタに赴任していましたから、おそらく、6-7月くらいまでのことだと思います。多分、甲子園での巨人戦で延長になり、何回かの裏の阪神の攻撃で、ワンアウト1・3塁で巨人の槙原投手が新庄選手を敬遠しようとしたんですが、この敬遠のくそボールをひっぱたいてレフト前のヒットを放ち、阪神がサヨナラ勝ちをしたことを夜のニュースで見た記憶があります。これも、ホントかウソか知りませんが、新庄選手が事前に野村監督に敬遠ボールを打っていいかと聞くと、野村監督は「勝手にせい」といったらしいとの話を聞きました。これは、翌日のスポーツ新聞で記事を見た記憶がありますので、少し誇張があるのかもしれませんが、多分、このやり取りは事実ではないかと思います。

大リーグから日本ハムに移った後の新庄選手はよく知りませんが、唯一、記憶にあるのは、一昨年のオールスターでホームスチールをしたことです。前半の若い回だったと思うんですが、キャッチャーがピッチャーに返球したスキに3塁からホームにスチールしました。この時のキャッチャーが阪神の矢野選手だったことを記憶しています。

阪神タイガースのころから、足が速くて肩が強くて、外野手としての守備は天下一品でした。打撃でもチマチマした打撃ではなく、三振も多かったですが、ホームランもかっ飛ばす意外性のある打者でした。その意味でのある選手だったと思います。多分、監督には向いていないと思いますが、もしも、監督向きなのであれば、将来は阪神タイガースで監督をして欲しいです。
今日のブログは無理やり阪神タイガースの日記にしておきます。

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2006年4月19日 (水)

カビゴンに関するメモ

お気づきの方も多いと思いますが、プロファイル画像をピカチューからカビゴンに交代させてみました。それも、少し凝ってみてカビゴンの本体以外の背景を透過するgif画像にしてみました。少し前にブログのテンプレートもまったりとした和風のに変更しましたので、ゆったりと寝そべるカビゴンの姿ととてもよくマッチしているような気がするのは私だけでしょうか?
そこで、今日はこのカビゴンに関するトリビアな日記です。

まずは、このポケモンに関する基礎データから。

No.143 カビゴン
  • 種類:いねむりポケモン
  • タイプ:ノーマル
  • 高さ:2.1m
  • 重さ:460kg

食べることと眠ることが大好きなポケモンです。おなかがいっぱいになると寝てしまい、おなかがへると起き出します。起こされ方が気にくわないと近くのモノに八つ当たりをして、村や町が破壊されたという事例があるらしいです。そして、ひとたび起き上がると、400kgもの食べ物を食べ尽くしてしまいます。リンゴやザボンなどの果物のほか、食べられそうなものなら何でも食べてしまいます。イバラの草なども食べることが確認されています。胃袋が頑丈ですので食べ物にカビが生えていようが、腐っていようが決しておなかをこわすこともありません。カビの生えた食べ物でも食べることからカビゴンと呼ばれるそうです。
何しろよく食べるので、体重の重さはポケモンの中でもトップクラスで、グラードンの950kg、メタグロスの550kgに次いで460kgと、重いポケモンと考えられています。身長的には格闘家の曙やボブ・サップに匹敵します。体重はコニちゃんの2倍以上あります。
食べるだけ食べておなかがいっぱいになると寝てしまいます。このため、ポケモンの種類としては「いねむりポケモン」とされています。身長が2メートルを超えて、それなりに横幅もあり、かなり大きなポケモンですから、寝ると道路を塞いでしまったりしますので、そういう時には、シオンタウンのフジ老人からポケモンの笛を貸してもらって起こさなければならなかったりします。なお、付け加えておきますと、このフジ老人のポケモンの笛はカビゴンだけではなく、あらゆるポケモンを起こすのに有効で、どんなによく寝ているポケモンでも起き出すそうです。プリンが歌うとポケモンや人間を眠らせてしまうので、こういう道具があると便利なのでしょう。

従来は進化しないとされていたんですが、2004年に公開された映画「裂空の訪問者デオキシス」に登場したゴンベがカビゴンの進化前のポケモンであると考えられています。意図的ではなくて偶然なんですが、ゴンベはこの映画でとても重要な役割を果たしていました。我が家も一家そろってこの映画は見ました。マリオンで見たように記憶しています。ついでながら、カビゴンに進化する前のゴンベは、「おおぐいポケモン」の種類に分類され、高さ60cm、重さ105kgだそうです。身長はともかくとしても、体重でゴンベに追いつかないように、私も体重管理に留意しなければならないかもしれません。

カビゴンに戻りますと、性格は慎重で、特性は厚い脂肪と免疫、タイプはノーマルで、バトルで戦う際に、特に強いタイプはないんですが、いわタイプとはがねタイプには弱く、ゴーストタイプには免疫を持っています。それから、英語名はSnorlaxだそうです。英語名と日本語名がぜんぜん違うんですねえ。どうでもいいですが、前のプロファイル画像に使っていたピカチューは英語名もPikachuで日本語と同じです。ですから、ポケモンをアルファベット表記せざるを得ないインドネシアでも、ピカチューはそのまま通じたりしました。カビゴンについてはよく分かりません。
我が家ではポケモン・カードゲームのカードで、上のおにいちゃんがカビゴンのカードを持っています。通常、ポケモン・カードゲームでは「ねむる」の状態になれば技を出すこともベンチに逃げることも出来ないんですが、カビゴンのたおれこむだけは特別で、眠った状態でも技を出すことが出来て、ねむるのままたおれこまれると、起きている時よりもこちらのダメージが大きかったりします。それはそれで、やっかいなポケモンです。

以上、今日はカビゴンに関するトリビアなメモでブログをごまかします。
今日のブログはポケモンの日記に分類しておきます。

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2006年4月18日 (火)

CATV導入で阪神戦の観戦機会が増える

今週になってCATVを導入しました。おかげで、阪神タイガースの試合を観戦する機会が増えそうです。今夜もナゴヤドームでの対中日戦を6時前から試合終了まで放送しているチャンネルがありました。関東の地上波ではこのカードは放送してくれないでしょう。悲しいことに、私は我が家でのチャンネル権を十分には掌握していないので、途中からテレビ観戦したのですが、阪神はかなりボロい負け方をしていました。
スカパーのように阪神戦を全試合見られるわけじゃありませんが、コストとの見合いでいえばこんなもんでしょう。通勤時間が大幅に短縮された以外は、引越して待遇が改善されないような気がしていましたが、これでひとつ楽しみが増えました。

青山でもやっぱり、

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青山の高級ブティックに入る3つの目的

青山周辺には高級ブティックがたくさんあります。美容院というか、ヘアサロンなんかも高級なのがいっぱいあるようです。そこに入るお客さんも高級なのではないかと私は想像しています。例えば、我が家が引っ越してきた当日に、団地の入り口にジャガーが駐車していたために引越しトラックが入れなかったことがあります。引越し業者さんがそのジャガーの持ち主をヘアサロンで見つけてキーを借り受けることに成功したんですが、不測の事態を恐れて誰もジャガーを移動させられずに、我が家の引越しが遅れたりしました。

これらの高級ブティックに入る第1の目的は、いうまでもなく、そこのお店の品物を買う目的で入ることです。実は、今年になってから私はこの正攻法で青山の高級ブティックに入ったことがあります。引越し前のことなんですが、今年の1月23日のブログで取り上げた結婚指輪のサイズ変更の修理で入ったのは青山の高級ブティックでした。指輪そのものを買ったわけではなく、お安く修理してもらっただけなんですが、一応、正当な対価を支払って何らかのサービスを享受する目的で青山の高級ブティックに正攻法で入ったことにかわりはありません。2月8日のブログで修理を終えた結婚指輪を引き取ったと書きましたが、引越し前の出来事ながら、現在住んでいる青山の高級ブティックに2度までも正攻法で入ったことになります。残念ながら、それ以降は正攻法での入店はありません。

第2の目的は、確信的に、関西弁でいうところの冷やかしで入ることです。要するに、まったく買い物をするつもりもないのに、取りあえず、店内に入って商品を物色するフリをしたりして、中を拝見するだけの目的で入店することです。考えようによっては、これにはかなり勇気がいることと思います。高級ブティックの営業ポリシーなんかにもよるんですが、これらのお店の中には、ドアマンのように入り口ににこやかな店員さんが配置されているところもあり、入るだけならば排除されることもないように思います。ただし、地方から出てきて六本木ヒルズや表参道ヒルズに物見遊山で入ってみるのであれば、まあ、許されるようにも思うんですが、我が家のようにこの地域に在住しているのであれば、時折、顔を合わせることがないともいえませんし、そんなにちょくちょくは出来ないような気がします。

最後に、第3に、我が家が使ってしまった方法は不測の事態へのやむを得ざる対処を目的とする入店です。先日、子供達と我が家から少し離れて青山周辺を散歩していて、子供が「オシッコ」と叫んだので、家に帰っている時間的な余裕がないと私が判断し、南青山のプラダのブティックでトイレを借りました。トイレをお借りしたお礼でもないんですが、宣伝させていただこうとして、プラダのホームページを探したんですが、適当な写真が見つかりませんでした。そこで、プラダのホームページ以外の画像をご紹介すると、こことか、こことか、にあります。菱形のガラスを外装に配置した、オシャレなビルが多い南青山でも目立つ建物です。
プラダの入り口にはドアボーイのような男性の店員さんがいたんですが、私が「子供にトイレを貸して下さい」と頼むと、さすがに、人道的な見地からか、すんなりと入れてくれました。トイレは地下にあるといわれて階段を走り下りると、今度は、女性の店員さんが子供に付いていっしょに走ってトイレまで案内してくれました。入ったからにはお漏らしをされると困るので、これはとても合理的な行動だと私も思いました。さらにこの親切な付添いの背景にはトイレ表示の分かりにくさもありました。すなわち、なぜか、トイレの場所を示すカンバンや表示らしきものがいっさいなく、ドアも壁や床と同じ色の白っぽい木製だった上に、男性用と女性用の表示がとても薄くて、じっくりと目を凝らしてみなければ分からないくらいだったのです。これでは、手で指し示すだけでなく、小さい子供相手ならば付き添わないと分からない、と私も思ったほどでした。
この不測の事態への対処のための高級ブティック入店については、子供達相手にこのような不測の事態を生じないようにするのが親の役目ですし、どこでも使えるわけではありませんから、これからはこんなことがないようにしたいと思います。

以上。今夜のブログは我が家の体験に基づく、実践的な青山周辺の高級ブティックへの入店の目的でした。

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2006年4月17日 (月)

よく分からない外国語表現

先週、米国人の弁護士で九段の事務所に勤務している友人とランチをともにしました。
この友人は、身長はそんなに高くはないものの、見た目はまごうことなくガイジンさんで、すでに頭のてっぺんはせっかくの金髪がすっかり禿げ上がったりしているんですが、まったく日本語に何の支障もなく、ペラペラでとても流暢な日本語を話します。もちろん、読む方でも平仮名やカタカナとともに漢字もほぼ完璧です。独身ですから、奥さんが日本人、というわけでもありません。趣味は私といっしょに習っていた書道で、3級しかもらっていない私よりも上級者だったりします。ですから、私のブログも十分に読みこなす語学力を備えているので、こんなマイナーな私のブログは読んでいないとは思いますが、もしものことを考えて十分注意して書きたいと思います。
日本語が堪能であることについて、知り合った最初のころの少し前のエピソードなんですが、私のオフィスに電話が入って、霞が関ビルまで来ているからランチでもどうか、と誘って来たので、じゃあ、和食でもなく洋食でもなく中華にしようということになり、霞ヶ関ビルの最上階かその下くらいの上の方に天星苑という中華料理屋があるからそこにしよう、と私がいうと、漢字を教えろといわれたほどです。さらに、スカイの天とスターの星のエンだ、というと、エンは草カンムリか、国ガマエか、と聞かれてびっくりしました。私もハッキリしなかったので、天の星のエンで、エンが草カンムリと国ガマエの2つの中華料理屋が霞ヶ関ビルに同時に2つも並んで入っているとはとても思えないから、漢字は天と星さえ分かれば十分だろう、とゴマカしてしまったことを記憶しています。
本当に日本語がペラペラですから、コンビニで週刊誌を立ち読みしたりしますし、大部分の四字熟語くらいは何でもありません。先日、白鵬関が大関昇進の際に口上で使った「全身全霊」なんかはヘッチャラですし、その昔、宇野総理がお辞めになる時の言葉で「明鏡止水」なんかも、自分で使うことはないにしても、何とか漢字から意味が想像できるといいます。ただし、都合の悪い時は、週刊誌の芸能欄で伊東美咲の記事を読んでいたのをあわてて隠して、「ニホンゴ、ワカリマセーン」とゴマカしたこともあるといっていました。私は目撃したことはありません。

その友人が先週のランチタイムに分かりにくいと文句を言った日本語は、飲食店などで「準備中」とか、「支度中」とかの札をかけているのと、数字につける代と台の使い分けでした。
まず、「準備中」と「支度中」については、日本に来た最初のころに、クライアントとの打合せを終えて、2時過ぎに遅いランチを取ろうとして、そのあたりの定食屋に行ったんですが、準備中の札がかけられていたので、少しコンビニで10-15分くらい週刊誌を立ち読みした後で行ってみてもまだ閉まっているし、中では準備をしている様子もなく、準備しているよりもむしろ休憩している様子だったので、後でオフィスの日本人に聞いてみると、「準備中」や「支度中」はホントに準備や支度をしているわけではなく、要するに閉めているのだ、ということが分かった、というのです。
米国であれば、open か close の一言で明瞭に表すのに、日本では閉まっているにもかかわらず、いかにも準備で働いているような振りをするのは不当表示に近いと考えているようです。私もこの友人の考え方が理解できないでもありません。お店の方の表示が分かりにくいといえるかもしれませんが、逆から見ると、ヘンに日本語に流暢なるがゆえにこのような誤解を生じるような気がします。「準備中」や「支度中」はcloseを意味すると単純に覚えておけばいいんではないかと思わないでもありません。

もうひとつ分からないというのは代と台です。「米国の長期金利が5%台に上昇した」というのがある一方で、「20代男性の24パーセントがエステに通う」といった記事も見かけるのは事実です。数字のひとまとまりを表すのは代か台か、どちらなのかがよく分からないといいます。
私もよく分からないながら、「年代」といういい方がありますので、年や歳についてのみが代で、その他は台なんだろうと答えておきました。そうすると、じゃあ、マラソンなんかで2時間8分台の記録を目指す、なんていう時は同じ時間単位なのに台を使うのか、と聞かれたりします。私の方では、だから、代を使うのは年と歳だけなんで、時間や分や秒は台なんだと言い張ります。あまりマジメに相手していると面倒なので、そんなことよりも、早く日本の司法試験に合格するように、日本の法律をもっと勉強したらどうか、といっておいたりします。

私の方でも、よく分からない英語の用法について聞いたりします。日本語にその概念がないので分かりにくいのが複数形と冠詞です。先週のランチでは複数形について議論しました。中学か、高校か、どちらで習ったのかは忘れましたが、要するに、2に達するまでが単数形で、2に達すると複数形になる、というのが原則ですが、パーセントについては複数形になりません。2パーセントでも、これは百分率ですから、0.02のことであって2に達しないのでパーセント(percent)を複数形にしないのは、あくまで原則通りで、よく分かるのですが、じゃあ、200パーセントは2に達していますから、200 percentsと複数形にするかといえば、決して、そうではありません。たとえ300でもパーセントは複数形にしないのは、昔は、そんな大きなパーセント数字は想定外だったから、英米人が長らく複数形にするのを忘れているだけじゃないのか、と私の方からいったりもします。友人からはパーセントは単複同形なんだと反論され、そんなことよりも、現在の景気拡大がいつまで続くかしっかり分析したらどうか、といわれたりします。

米国人の法律家と日本人のエコノミストでそれなりに仲良くやっていますが、語学力は彼に遠く及ばないのが悲しいです。

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2006年4月16日 (日)

午後から晴れてバドミントンとキャッチボールをする

今日はお昼ころまで雨でしたので、午前中は家でブラブラしていました。
パソコンのセットが完全には荷解き出来ていないので、いつもバックアップを取っている外付けのハードディスクをはじめ、いくつかの周辺機器などを荷物から取り出して、2つ並んだパソコンラックに適宜置いたり、いくつかの色のプリンター・トナーがなくなったので取り替えたり、いろいろとパソコン周りをセットアップしました。配線の方は昨日までで終えています。

午後からは雨が上がったので外で遊びます。まず、子供達が新しく買い与えたバドミントンのラケットを持って、団地の道路でバドミントンをして遊びます。ごくまれに私も加わりますが、私は基本的には見ているだけです。写真を何枚か取ろうとしましたが、私のカメラの腕が悪いのと、それ以上に子供達のバドミントンは安定しないので諦めました。下の子は松戸に住んでいたころからバドミントンに目覚めていたのですが、青山に来てからはおにいちゃんを巻き込んで、せっせとバドミントンでスポーツしています。松戸よりも青山の方が風が弱いといい張っていますが、季節の関係もあるんだろうと思います。
上のおにいちゃんは体力勝負派ではないので、このバドミントンだけで満足しましたが、下の子は肉体派なので運動不足の様子でしたから、私と自転車で出かけます。人通りの多い青山通りを抜けて神宮外苑まで足を伸ばし、野球場の裏でキャッチボールをしました。そうです。野球場と絵画館の間のあの広い道路です。アスファルトはかなりヒビが入っています。少し気温は低かったのですが、私にもそれなりにいい運動になりました。周囲は野球の合間の人たちや野球少年などで、上手にキャッチボールをしているんですが、私たちの方はといえば、小学2年生とのキャッチボールはノックを受けているようなもんです。キャッチボールをしている時間よりも玉拾いの方に時間がかかります。
キャッチボールの方はこんな具合でしたが、外苑では広い道路で小さな子供達が自転車の練習をしていました。ちょうど、春の交通安全週間だか何だかで、そのようなテントもたくさん見かけました。青山通りから来たに伸びる広い道路で自転車を走らせるのは気持ちのいいもんです。私の自転車のような典型的なママチャリでも、下の子のような見た目のカッコいい自転車でもかわりはありません。しかし、家に戻ってから、余りに体裁が悪いので後ろの子供用シート兼荷物かごを取り外しました。もう、子供達は自分の自転車を持っていて乗りこなしているので必要ありませんし、人がいっぱいの青山通りを横幅の広い荷物かごを後ろに置いて運転するのは、時折、不都合な場合があるからです。

家と近場で過ごし、特に外出もしなかったので、今日は割合と平凡な日曜日だった気がします。

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2006年4月15日 (土)

午後からリュックを買いにアメ横に行く

今日の午前中、私が少し外出した後、午後から子供達とアメ横に買い物に行きました。来週に子供達が2人とも遠足に行くんですが、今までのようなマンガの絵が書いてあるリュックはもうガキっぽくてイヤだとおにいちゃんがいい出し、下のおとうとも便乗して、リュックを買いに行くことになりました。
そこで、私に午前中は外出の予定があったものですから、一計を案じて、女房に駅まで連れて行かせて切符を買い与え、子供達だけで地下鉄に乗せてみました。私は地下鉄の上野駅のホームで待っていました。子供がそこそこ大きくなると、親はお使いの課題を与えてやらせて見ることがあるんですが、我が家はちょうど子供達がそれくらいの年齢のころはジャカルタにいたものですから、日本的なお使いをさせるわけにもいかず、結局、お使いらしいお使いもさせずに、今まで来てしまいました。
ちなみに、どうでもいいことですが、私自身は今を去ること40年以上も前に3歳だか4歳だかのころ、父方のばあさんに薬を持って行かされました。電車で3駅ほどひとりで乗らされました。実際に何を持たされたのかはよく分かりませんが、母親に家の近くの駅まで連れて行かれ、当時の悠長なご時世でしたから、母親が電車の車掌さんに一言頼んで、ばあさんの家の近くの駅に着くと叔父さんが待っていました。とてもほめられて、ばあさんがを流して喜んでいたことは子供心に記憶しています。
でも、今回は、さすがに、40年以上も前に小学校に上がる前の私がたった1人で電車に乗せられたのとは違って、兄弟2人ですし、上のおにいちゃんはもう小学4年生ですから、余裕で青山から上野まで地下鉄で来てくれました。それでも、下のおとうとの方は電車に乗った当初は少し心細かったらしいですが、何駅か過ぎると平気になり、たまごっちを2つも首からぶら下げて電車の中で遊んでいたらしいです。上のおにいちゃんは全く緊張感すらなくて、電車の中でウトウトし始めたので、下のおとうとの方は、むしろ、その方が心配だったといっていました。駅で送り出した女房に聞いても、2人とも心細げなところは微塵もなく、とても意気揚々と張り切って出かけたそうです。

上野からアメ横を蛇行しながらアチコチの店でリュックを物色し、3-4軒目のお店で2人ともお気に入りのを見つけて買い求めました。上のおにいちゃんは少し縦長の青いリュックにし、下の子はシングルショルダーのリュックで、色は女房の喜びそうな早稲田カラーの臙脂色にしました。なお、どうでもいいことですが、私は「シングルショルダー」と呼ぶんだと思うんですが、アメ横では、お店によっては「ワンショルダー」と呼んでいるところもありました。サイズはどちらも私なんかの大人が持つのよりも少し小さめの子供用です。
下の子は、私がリュックをいつも片方の肩しかかけていないのを見て、ちょっとマネしたかったそうなんですが、今度買ったようなシングルショルダーのリュックだったら自然とそうなるので、この型に決めたのだそうです。私は親バカですから、なかなかオシャレだと思います。色は、もともと、おにいちゃんはが好きでリュックもそうしました。でも、下の子はとかとかが好きなので、臙脂色のにしたのは少し意外でした。

下の写真は、家に戻ってリュックを提げてみる子供達です。

リュック

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2006年4月14日 (金)

イースターに関するメモ

今週末は欧米のキリスト教国ではイースターです。今日がいわゆるグッドフライデーで、日曜日がイースター当日、来週の月曜日はイースターマンデーです。国によって違いますが、会社や学校などもお休みになる場合があります。ということで、今日のブログはイースターに関するトリビアな日記です。もっとも、イースターエッグの由来や多産なウサギがイースターの象徴となっていることなどは多くの方がご承知でしょうから、日付の決まり方と呼び方を中心にしています。

イースターは日本語では復活祭と呼ばれています。何の、あるいは、誰の復活かというとイエス・キリストです。そして、何からの復活かといえば、いわずと知れた、十字架で磔にされた死からの復活です。要するに、イエス・キリストの復活を祝う日なのです。仏教徒である私にはあんまり関係はないかもしれません。しかし、キリスト教の世界では、復活祭はキリスト教の典礼暦における最も重要な祝日とされています。

最初に、イースターの日付なんですが、キリストが生まれたクリスマスと違って、イースターの日付はもともと太陰暦に従って決められた日であったため、太陽暦では年によって日付が毎年変わります。移動祝日と呼ばれています。紀元325年に開かれた第1ニカイア公会議で「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」と定められているからです。もっとも、この公会議の記録は残されていません。この公会議では復活祭の日付の決定を、当時、地中海世界でもっとも学問の盛んな都市だったアレクサンドリア教会に委ねたとされています。このため、年によっては最大1ヶ月くらい、つまり月の周期プラス数日くらいのズレが生じます。実際には、3月22日から4月25日の間になり、今年は2006年4月16日、明後日の日曜日となります。ただし、この日付はローマ・カトリック、プロテスタント、イギリス国教会のいわゆる西方教会の場合で、ギリシア正教の東方教会は別の日にイースターを祝います。なぜなら、ギリシア正教会ではユリウス暦を使って計算しているためで、現在多くの国で使われているグレゴリオ暦とは春分の日が微妙に違うからです。なお、誰が考えてもこれはおかしいので、1997年にキリスト教諸派の代表が集まってシリアのアレッポで開催された世界キリスト教協議会で、復活祭の日付の確定法の再検討と全キリスト教における復活祭の日付の統一が提案されました。しかし、現在でも協議が続けられていますが、いまだに統一には至っていないようです。
なお、現在では、キリスト教の安息日は日曜日であるとされていますので、イースターも日曜日とされているんですが、実は、初期キリスト教徒たちはユダヤ教徒のように土曜日を安息日としていたらしいです。しかし、ユダヤ教との対立の中で、徐々にキリストが復活した日とされる日曜日を祝日とするようになったようです。その後、321年にコンスタンティヌス帝が日曜日強制休業令を出し、364年のラオディキア教会会議により日曜日が安息日であることが正式に決定され、現在に至っています。

次に、イースターの呼び方ですが、Easter はいうまでもなく英語の呼び方です。しかし、英語とドイツ語以外のヨーロッパ諸言語における「復活祭」という言葉は、すべてギリシャ語の「パスカ(Πασχα)」に由来していて、その言葉も元をたどればユダヤ教の「過越しの祭り」を表す「ペサハ(Pesach)」という言葉から出ています。ここから、キリスト教の復活祭がユダヤ教の「過越の祭」から生まれた祝日であることはお分かりでしょう。なお、かなり強引ですが、英語に引き直せば過越しはパスオーバー(pass over)ということになります。もっとも、今では誰もそんなことはいいません。
ついでに申し上げれば、私が外交官として駐在していたチリはスペイン語国なんですが、スペイン語では Pascua となります。意味は同じで過越しなのですが、おもしろいのはイースター島です。そうです。あのモアイ像で有名なイースター島は英語表記なんです。日本でイースター島と呼ばれている島はチリではパスクァ島(Isla de Pascua)、あるいは、全部を日本語にすれば、過越し島と呼ばれているのです。
過越しとは、聖書の出エジプト記12章に記述されている古代エジプトで起こったとされる出来事です。これはユダヤとエジプトの争いの中で、ユダヤの神であるエホバが、戸口に印のない家に災いを与えることをモーセに伝えます。逆にいうと、戸口に印のあった家にはその災厄が降りかからなかった、つまり、災いが過ぎ越されたことに由来します。

さきほど、英語とドイツ語以外と書きましたが、ちなみに復活祭を表す英語の Easter およびドイツ語の Ostern はゲルマン神話の春の女神「エオストレ(Eostre)」の名前に由来しているといわれています。別の説として、ゲルマン人の用いた春の月の古名「エオストレモナト(Eostremonat)」に由来している、との説もあります。しかし、この2つの語源は明らかに同じであると考えられていますから、どちらでも同じことです。
長くなりますが、歴史をひも解くと、8世紀の教会史家ベーダ・ヴェネラビリスはゲルマン人が「エオストレモナト」に春の到来を祝う祭りをおこなっていたことを記録しています。なお、ローマ帝国では313年にコンスタンティヌス1世とリキニウス帝によるミラノ勅令によって、他の全ての宗教と共にキリスト教が公認されていて、その後、380年にテオドシウス帝がキリスト教をローマ帝国の国教と宣言しています。
ゲルマン民族の大移動は375年に西ゴート族がドナウ川を超えてローマ帝国領内に侵入したのがエポックとなっていますから、4世紀くらいには多くのゲルマン民族はキリスト教徒になっていたのではないかと考えられています。さらに、5世紀にはグレートブリテン島(現在の英国)にゲルマン民族であるアングロ・サクソン人が上陸していますし、476年にゲルマン人の傭兵隊長オドアケルが西ローマ帝国を滅亡させた後、481年にフランク族のクロヴィスがメロヴィング朝を創始して、アリウス派キリスト教からカトリックに改宗した、との歴史的事実もありますから、8世紀のヴェネラビリスの記述のころにはほとんどのゲルマン人は明らかにキリスト教徒であったと考えられます。
このため、イースターの習慣の中には、このゲルマン人の祭りに由来すると思われるものも散見されます。例えば、色をつけた卵を配るイースターエッグや多産の象徴であるウサギがイースターのシンボルとされていることなどはゲルマン由来らしいです。

以上、今日はイースターの日付の決まり方と呼び方に関するトリビアな日記でした。
みなさんもよい週末を。

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2006年4月13日 (木)

朝の通勤に傘が手放せない

今週はさわやかに晴れる日があまりなく、ほとんどが曇りや雨のさえないお天気の日が続いています。このため、毎朝のようにを持って家を出ています。今日なんかも、朝のうちは太陽が出ていた時間帯もあったのですが、昼前には雲が広がって雨が降りそうになり、私はランチタイムに傘を持って外出したりしていました。

しかし、青山に引っ越してから、私の朝の出勤時には別の意味でも傘が有効活用されています。今の住まいの周囲が、住宅もさることながらそれよりもオフィスの方が多いために、地下鉄の駅周辺では電車から下りてくる人がとても多くて、その人並みの中で我が身を守るためにも傘が有効なわけです。時には、見るからに頑丈そうなアタッシュケースなんかを振り回してオフィスにダッシュする人がいたりして、トボトボと歩いている私なんかが身の危険を感じることさえあります。
先日の朝日新聞だったと思うんですが、品川駅東口の再開発でオフィスとマンションが同時に建てられたものだから、9時少し前の通路がオフィスに向かう人でいっぱいになる、といった記事を見かけた記憶があります。私もジャカルタに行く前に、品川駅西口のホテルがたくさんある地域のオフィスに通っていたことがあるので、駅ビルに成城石井なんかが出来て再開発が進んでいるのを知ってたんですが、その時の職場の知り合いなどによると、品川駅東口の方は、品川グランドコモンズやインターシティなどのオフィスビルが出来た一方で、サウスポート品川レジデンスやアクアヴィラなどのマンションも建てられて、西口のホテルのある地域への人の流れより東口の方が人がいっぱいだということらしいです。
私の別の知り合いでも、若い人なんですが、新宿西口にアパートを借りて丸の内線で官庁街に通う際に、役所が9時半始まりなので多くの民間会社や都庁とのズレがあって出勤時刻が少し遅いので、日本一の乗降客数を誇る新宿駅で下りてくる人並みに対して、私の知り合いのような駅に向かう人が余りに少なくて、場合によっては、駅に向かうのに歩きづらくてとても時間がかかることがある、といっていました。その人は独身なので取りあえず関係ないのですが、ベビーカーなんかは9時前後の時間帯には、場所によっては、とても危険を感じるだろうと教えてくれました。

私の住まいの近くの駅でも、とても小規模ではありますが、これによく似たことが起こっています。もちろん、これは朝の通勤時だけで、夕方の帰宅時には時刻的にバラけて、こんなことは起こりません。また、青山通りに出ると歩道が広いので混雑は大幅に解消されます。
しかし、もっと不安なのは、雨が降った朝にみんなが傘を差したらもっと駅を下りる人並みのボリュームが膨らんで、駅に向かう人への圧力が大きくなるかもしれないことです。気を付けて駅までたどり着きたいと思います。

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2006年4月12日 (水)

ドラゴン桜に見る博覧強記と情報利用

今日の夕刊で東大の入学式の模様が報じられていました。東大のついでにいうと、先週末にマンガ喫茶に行って、ドラゴン桜の単行本で出されている最新の11巻までを読み終えました。ということで、今日は私の好きな言葉のひとつである「博覧強記」についてドラゴン桜と引っかけて考えてみたいと思います。「博覧強記」は辞書には、「広く書物を読み、それらを深く記憶していること」などと掲載されています。私はこれが好きな言葉であるだけでなく、このような境地に達したいと昔から思っていたりします。

最近、あるコラムで見かけたのですが、頭のいい人には博覧強記型と情報利用型があるらしいです。ドラゴン桜では後者の例が私立高校の学校説明会の場面で取り上げられています。記憶に頼って書いているので細かい部分に間違いがあるかもしれませんが、概要は以下のようなものです。
私立高校の新入生合同説明会で、いろんな高校がコーナーを設けて保護者に宣伝をしているんですが、東大合格をうたったカンバンをかけているにもかかわらず、主人公桜木の龍山高校のコーナーは見向きもされません。入校説明パンフレットは一冊ももらい手がなく、学校の説明を聞きにくる保護者もいません。そのうち、見るからにやや乱暴そうな土建屋の社長らしき父親が、これまた見るからに出来のよくなさそうな息子を連れて龍山高校のコーナーに来ます。そこで桜木は「息子さんは中身が空っぽだから100%東大に受かる」といいます。このため、父親の土建屋の社長が怒り出し、桜木が東大合格の理由を次のように説明します。
すなわち、東大は知識がぱんぱんに詰まった学生が欲しいのではなく、いろいろな問題をその場その場で解決するための手段を持っている学生を欲しがっているといい切り、頭は空っぽでも情報を得る手段を知ってる方が東大合格のためにはいいのだと説明します。この桜木の説明を裏付ける証拠として、東大の期末試験は資料の持込みが可能で、記憶したボリュームよりも、すでにある資料から再構成する能力の方を評価する姿勢が明らかだ、と主張します。

要するに、記憶量で勝負する博覧強記型の学生よりも、解決のための情報のありかを知っていて、そこから必要な情報を引き出せる情報利用型の学生の方が東大に向いているとの主張です。少し前にはやったモジュール型とは少し違うんですが、強引に名づければインデックス型といえるかもしれません。
確かに、必要とされる情報を量的に記憶し切れないのであれば、あるいは、質的に正確に記憶し切れないのであれば、必要な情報をすべて正確に記憶するよりは情報のありかを記憶する方が、記憶すべき情報量が少なくて済むことは明らかです。シャーロック・ホームズとワトソン博士が初めて出会った「緋色の研究」でも、ホームズは記憶について屋根裏の小部屋の例えを持ち出して、不必要な情報の排除と必要な情報の整理が重要であるといっています。
特に、インターネット上の情報量が膨大なものになり、図書館などへのアクセスが十分に整備されるようになった現代では、博覧強記よりも情報利用の方が効率的なように見えます。私もよく知らないことを調べる時にはgoogleに頼ったりすることが多いのは確かです。
しかし、情報利用型の場合、東大の期末試験のようなじっくりと時間をかけて、何かを書いて表現するようなケースではいいんですが、とても難しいのは社交の場の会話なんかで、テンポよくお話している時です。相手のいる場で言葉で表現する時に、インターネットで検索したり、本やメモを見たりはしていられません。専門分野の深い知識を要求される場合は情報利用型の方が効率的であるかもしれませんが、教養豊かな会話をしたい場合はそれなりに博覧強記になる必要があるような気がします。
話し相手が軽いジョークを飛ばした時には、間を置かずに微笑む方がカッコよくて、家に帰ってからインターネットや本で調べなければ笑いがこみ上げてこないのは、ちょっとカッコ悪いのではないでしょうか。例えが違うのかもしれませんが、私がチリで外交官をしていた時、とてもスペイン語が流暢な商社の方がいらっしゃって、その日本人の方がジョークを飛ばした時に、周囲のチリ人はみんな笑ったのですが、日本人でそのジョークのスペイン語を理解できる人がいなくって、翌日のランチタイムにみんなでどういう意味だったかを鳩首協議して考えたことがありました。そんな感じのカッコ悪さがあるような気がします。

私の結論としては、専門分野では情報利用型、一般教養では博覧強記型、になるんではないかと思います。逆にいえば、博覧強記とはいわないまでも、それなりに記憶しておかなければ教養とは呼べないんではないでしょうか。

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2006年4月11日 (火)

プロ野球序盤戦で阪神タイガースはまずまずの滑り出し

プロ野球ファン待望の開幕から10日余り。我が阪神タイガースも、最初のヤクルト戦に1勝2敗と負け越したものの、広島・横浜を連破し、ここまで5勝2敗とまずまずの成績を上げています。
特に、金本選手が大リーグ記録とされるカル・リプケン選手の全イニング連続試合出場903試合を上回って、904試合を達成したのが印象に残ります。連続試合出場なら2000試合くらいの記録もあるそうですが、ホンの一瞬だけ代走や代打で出て記録をつないでいたりすることも可能な連続試合出場と違って、何たって先発出場で試合を始めてから試合終了まで出ずっぱりなのが連続で900試合余りなのですから大したもんです。プロ野球なんて実力の世界ですから、調子が悪かったら交代させられるでしょうし、打つ方で代打を送られたり、守備固めで交代させられたりすることもなく、体調をしっかりと管理しながら、攻守にトップレベルを維持して試合に出場し続けるんですから、ものすごい記録だと思います。
昨今では、このブログでも4月5日に書きましたように、ゴールデンウィークや夏季には計画的に有給を取得するような風潮が出来上がってきたとはいえ、我々サラリーマンが有給休暇で休んでいるのとはエラい違いです。もっとも、お給料もずいぶんと違うんでしょう。

セリーグの勝敗記録などを見ていて感じるのは、各チーム8-9試合の消化の時点で、今年のタイガースはホームランが多いということです。8試合消化の段階でセリーグトップの15本で、9試合消化のジャイアンツの14本を上回っています。誰が打っているのかというと、やっぱり、金本と今岡が3本ずつ打っています。打率から見ると、今岡の調子がイマイチなんですが、昨年の打点王ですし、ホームランもそこそこ打っているようです。チーム打率もセリーグトップの.326です。
それよりも、阪神好調の大きな要因は投手陣で、セリーグでダントツの防御率2.20の成績です。阪神の投手陣では規定投球回数に達している投手が少ないので、記録からはよく分からないんですが、中継ぎから救援陣が好調なようです。悲しいかな、実際にタイガースの試合を見ていないのでよく分かりません。

今年こそ、セリーグ優勝で満足することなく、日本一になって欲しいと思います。


がんばれタイガース。

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2006年4月10日 (月)

外交官の不逮捕特権と冤罪対策

今日は友人と有楽町で仕事上の情報収集を兼ねてランチをごいっしょしました。
本人はこのブログを見ていないと思うんで、ハッキリいうと、かなりバクチ好きの友人です。このためか、先日報道された事件で、コートジボワール在日本大使館の30歳代の外交官が、バカラ賭博を開いていた暴力団側から部屋を貸した報酬として計約4000万円を受け取っていたらしい、との件に話が及びました。asahi.comではここにあります。
このニュースでもありましたが、外交官ですので、外交官の不逮捕特権により逮捕することが出来ません。そのため、外交ルートを通じて外務省からコートジボワール大使館に不逮捕特権の放棄を要請したものの、大使館の協力が得られなかったようです。ですから、外務省は3月31日付でペルソナ・ノン・グラータを通告しましたが、外交官はその前日の30日に帰国していた、という結末のようです。

一応、私も1990年代前半の3年間にチリの首都サンティアゴで外交官をしていました。その時の経験からして、確かに、在チリ日本大使館でも逮捕されないようにと、かなり強くいわれた経験があります。すなわち、赴任した最初の年に私は自動車を運転していて追突事故を起こしたんですが、マニュアル通りに職場である大使館に連絡を取ったところ、「外交官には不逮捕特権があるので、逮捕されないように注意するべし」といわれたことを覚えています。その時は、大使館からいわれた通りに、つたないスペイン語で私は外交官である旨を、チリではカラビネーロと呼ばれる警官に伝えました。軽微な追突事故でしたので、警官もハイハイという感じでその場を終えました。手錠をかけられたり、ましてや、強制的に警察署に連行されることもありませんでした。
しかし、後になってよくよく考えると、逮捕されないように注意するというのはかなり難しいことです。いってみれば、ゴルフの初心者にドライバーを振ってフェアウェー真ん中に250ヤード飛ばせ、というようなもんで、どうすればそれが出来るのかを教えてもらわなければ出来るハズもありません。ドライバーでフェアウェー真ん中に250ヤード飛ばすためには、ヘッドアップせずにボールをよく見るとか、脇を締めるとか、まあ、私にはなかなか出来ないことがいろいろとあるんでしょうが、逮捕されないように注意するとはどういうことなのか、後になってようやく教えてもらいました。
それは、まず、腕をつかまれたり、ましてや羽交い絞めにされたりすると、手錠をかけられなくても、拘束されて逮捕されたことになるそうです。もちろん、手錠をかけられたらアウトです。それから、身分証明書や外交官パスポートなどを見せて氏名や連絡先を明らかにして、いったん、事故現場を立ち去ることも有効だと聞きました。要するに、悪くいえば、後で大使館に来いといって逃げてしまうわけです。

ランチの場でこのような話をしていると、友人が、その方法は痴漢などに疑われて冤罪に問われたりすることがないような心がけとしても有効であると教えてくれました。
私は詳しくないんですが、友人によると、電車で痴漢に疑われたりした場合、それが間違いであってそんなことはしていないのであれば、公明正大な態度を取るつもりで、被害者を名乗る女性に腕をつかまれて駅事務所や近くの交番などに連れて行かれるのは最悪だそうです。腕をつかまれたりしたら振りほどき、どこかに連れて行かれようとしたら身分証明書や運転免許証などを示して、その場を立ち去るのが冤罪を受けないようにするために有効だそうです。友人はどこかの新聞に書いてあったといっていましたが、私はその有効性について必ずしも確信を持てないながら、大使館に勤務していた外交官のころにいわれた逮捕されない方法とは妙に符合すると思ったりしました。

電車内での痴漢や迷惑行為を厳重に取り締まるのはとてもいいことですが、そのために、誤認逮捕や冤罪が増えるのは困ります。少なくとも、加害者に誤認されないような自衛のための手段や方法は知っておきたいと私は思います。

今夜のブログは無理やりに「海外生活の思い出の日記」に分類しておきます。

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2006年4月 9日 (日)

午前中はボーイスカウトの見学で午後からはバドミントン

今日の午前中はボーイスカウトの見学に行きました。
我が家から自転車で10分ほどの公園に集まって、10時から正午までの活動でした。月に2回くらいの活動と聞きました。松戸ではボーイスカウトはやっていなかったんですが、いろんな活動に参加してバッジをもらって袖に縫いつけたりする、と下の子に話をすると、ポケモンのジム戦でもらえるバッジと勘違いしたわけでもないんでしょうが、とても興味を持ち出しました。しかし、上のおにいちゃんは私と性格がよく似ていて、社会奉仕活動なんかにはそんなに乗り気ではなかったんですが、取りあえず、兄弟でいっしょに参加してみました。
学年が2年違うので所属するのも下の子がビーバー隊とかで、上のおにいちゃんがカブ隊とかで、活動も微妙に違ったみたいです。実は、女房は下の子に付き添っていたそうですが、私は子供達をボーイスカウトの隊長に引き渡して、そのまま自転車で六本木ヒルズに行ってしまい、子供達の活動はぜんぜん見ていないのです。六本木ヒルズは日曜日の午前にしては人も少なく、先日行った表参道ヒルズの方が人出がずっと多いような気がしました。ショップ&レストランを一渡り拝見できましたが、オフィスのエリアなんかは入れなくて、展望台も行きませんでしたから、割合と活動範囲は狭かったです。なお、明示的に自転車置き場とされているエリアは発見できませんでしたが、バイク置き場の周辺に自転車がたくさん駐車してあり、私のママチャリもその中に紛れ込ませておきました。
正午に集合場所の公園に戻って子供達を引き取ります。予想通りに下の子はとてもヤル気満々で、ぜひともボーイスカウトを始めたいというんですが、上のおにいちゃんはまったく気乗りせず、ボーイスカウトはつまらないといい出します。兄弟で態度が違ったものですから、まあ、もう一回くらい体験参加して、ゴールデンウィーク明けにでもボーイスカウトに参加するかどうかを決めようということになります。

自転車で家に戻って、昼食の後は、兄弟代わりばんこにバドミントンのお相手をさせられます。なぜか、上のおにいちゃんも下のおとうとも、最近、バドミントンに急に熱心になり、ヒマがあれば団地の前の道路で相手をさせられます。もっとも、春休みで時間を持て余していた時なんかは兄弟対戦をやっていたようなんですが、週末で私がいる時は私がお相手をさせられます。やっぱり、兄弟で対戦する時よりもラリーが続くのが格段に長くなるからです。誰だって、ラリーが続いた方が面白いに決まっています。
昼食後に上のおにいちゃんと1時間近くやった後、夕方には下の子と1時間半近くにわたって汗を流します。青山のような都会の真ん中でも5時に小学生に帰宅を促すサイレンが鳴り、このサイレンに救われます。また、団地の前の道路ですから、団地の人が出入りするたびにプレーを中止して、ウチの子がかわいいものだから周囲の微笑を誘ったりします。
熱心にバドミントンをやり過ぎて、2本あるラケットのうち1本のガットが切れてしまいました。スチールフレームのおもちゃのラケットですのでガットを張り直すのではなく、新しいラケットを買い求めることにします。それにしても、今のラケットはスチールフレームとはいうものの、バドミントンの盛んなインドネシアで買い求めたヨネックス製です。インドネシアでは安かったので、シャトルコックもウィルソンのを1ダース買い求め、いまだに2-3個残っていたりします。
どうして急にバドミントンを好きになったのかは、子供達本人に聞いてもイマイチはっきりしないんですが、家の近くで手軽に楽しめるスポーツですので、用具ぐらいは親として取りそろえておいてやりたいと思います。

家の近場へのお出かけで、いいお天気の日曜日を楽しんだ我が家でした。

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2006年4月 8日 (土)

世田谷公園に遊びに行きましたが失敗でした

今日は女房が三軒茶屋で買い物をするというので、私と子供達も同行して子供用の靴を物色したりしました。その後、私と子供達は世田谷公園に行きました。でも、ハッキリいってつまらなかったです。

最初はD51の置いてある交通公園で遊んでいたのですが、さすがに、幼稚園から小学校低学年向きの作りですぐに飽きてしまい、広場の方に移動しました。でも、土がむき出しで草が生えていないので原っぱでもないし、その上に、ボールを使った球技系がほとんど禁止で、サッカーやキャッチボールも出来ませんでした。管理のために市役所のOBを再雇用することを目的にした公園なのでしょうか?
我が家はグローブにボールとバット、フライングディスク、サッカーボールにバドミントンのラケットなど、いろいろと遊具を持ち込んだのですが、出来るのはフライングディスクとバドミントンくらいだったです。でも、風が強いのでバドミントンは諦めて、フライングディスクでしばらく遊んでいました。ミニSLもあったのですが、いかにもちゃちくって、幼児向きの感が否めませんでしたので、我が家の子供達も特に興味は示しませんでした。
ジャカルタに行く前に住んでいた杉並の善福寺川公園とか、松戸に住んでいた時の柏の柏の葉公園なんかの方が出来はよかった気がします。世田谷区の公園がすべてこうだとは思いませんが、世田谷区を代表するんであろう世田谷公園については、我が家の評価は決してよくないです。ヘンなところで世田谷区と杉並区の差を見せつけられたような気がしました。

正午過ぎから冷たい風が吹いて雨が降り出しましたので早めに退散しました。家に帰ってから、午後になって風が止んだので、団地の前で上のおにいちゃんとバドミントンをやってストレスを解消しました。
ゴールデンウィークにはちゃんとしたアスレチックのある公園をよく調べて行きたいと思います。今日の世田谷公園は失敗でした。もう2度と行かないと思います。

写真だけは撮りました。下の写真は左側のが世田谷公園入り口での記念写真で、右側のが噴水をバックにした記念写真です。

世田谷公園入り口  世田谷公園噴水

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2006年4月 7日 (金)

子供達の通学に付き添い小学生の安全について考える

今日は出かける時に下の子が小学校までの道順に少し自信がないようなことをいい出し、私に付いて来て欲しいというので、私が小学校まで子供達に付き添いました。昨日の始業式は女房とともに両親で手厚く付き添った上に、今朝も私の付添いで通学ですので、少し過保護かなーと思わないでもありませんでしたが、そこは親バカで子供に甘い私のことですので、喜んで付き添って小学校に行きました。それに、昨年、下の子が小学1年生になった時には上の子が小学3年生でしたから、下の子はおにいちゃんにくっ付いて通学すればよかったのですが、今回は転校でしたから2人そろって道には不案内です。

そこで気づいたことがいくつかあります。昨日の始業式での転校生の付添いはみごとに母親ばっかりで、女房とともに父親が付き添って行ったのは私だけだったんですが、今朝の登校時の付添いは父親の方が多かったんです。私のように、通勤ついでの付添いではないかと思うんですが、それにしては、ジーンズと普段着で付き添っているおとうさんがいたりして、このあたりはよく分かりません。
しかし、一般的には、交通事故なんかを別にして、不審者や暴漢に襲われることから我が子を守るためには、やっぱり、女親よりも男親の方が適しているような気がしないでもありません。だって、男女差別をするつもりはありませんが、男親の方が女親より体格が大きかったり、力が強かったりする場合が多いでしょうから、男親が通勤ついでに朝の小学校の通学に付き添うのは、ある意味で、合理的であるように思います。もっとも、私の場合は子供達に付き添ったために普段よりもかなり早く役所に着いてしまいました。逆に、子供を送って行けば定時に間に合わないおとうさんもいることでしょう。このあたりはどうしようもありません。

また、もうひとつ、今朝通学して行く児童を見て気づいたことがあります。昨日の始業式では男の子も女の子もみんながズラッと同じ帽子で並んで、それなりに異様な雰囲気がしたんですが、今朝は黄色の帽子と同じく黄色のランドセルカバーをかけている子が何人かいたことです。これはどうも、1年生のような気がします。というのは、我が家の下の子も引っ越すまでは松戸の小学校で1年生をしていたんですが、やっぱり、黄色い野球帽をかぶって、同じく黄色いランドセルカバーをかけていたからです。よくよく考えると、ジャカルタから帰国した3年前、上のおにいちゃんは1年生だったわけで、同じように黄色の野球帽とランドセルカバーをしていた記憶があります。
ここで考えたんですが、1年生をここまで過剰に識別可能にすることは、果たして、いいことなのでしょうか。例えば、不幸な例なんですが、昨年の広島の事件やまだ犯人が捕まっていない栃木県今市市の事件なんかでは、小学1年生の女児が被害者になっているわけで、わざわざ、もっとも幼くて小さい1年生を過剰なまでに識別できるようにすることは、本当に、いいことなのか、それとも、好ましくないのか、議論が分かれるのではないでしょうか。私は、少なくとも、下の子の時には黄色い野球帽やランドセルカバーはやり過ぎだと感じたことを記憶しています。

最後に、今朝の通学とは関係ないんですが、先日の川崎のマンション15階から小学3年生が突き落とされた事件なんかを見ていると、小さい子供がいる場合には高層階に住むのは危険が伴うことを実感させられました。小学生を投げ落とそうと待ち構えている不審者がそんなにアチコチにいっぱいいるとは思いませんが、火事の危険もありますし、事故で落っこちたりすることがないともいえません。火事から逃げたりするのは低い階の住人の方が早いに決まってますし、事故かなんかで落っこちた場合に低い階からの方がダメージは小さいに決まってます。
だからというわけでもないのですが、私は結婚してから、杉並では2階、ジャカルタでは3階、今の青山では2階に住んでいます。独身時代にチリのサンティアゴに駐在していた時には14階建ての11階に住んでいて、アンデス山脈のみごとな眺望をバスルームから楽しんでいたりしたのですが、その後は低層階暮らしが続いています。ジャカルタでは、最後まで3階のマンションと10階の間で迷ったんですが、結局、低層階であることと真下にプールがあることが決め手になって、3階のマンションを選びました。何かがあっても、私が女房と子供達を背負って飛び降りれば、私が両足を骨折するだけで女房と子供達はほぼ無傷で助かる、でも、10階から飛び降りれば誰も助からない、と話し合ったことすらあります。サンティアゴでの眺望ではなく、ジャカルタでは安全を選んだと考えています。もっとも、ドロボーの被害については低い階の方がよりリスクが大きいのですが、子供の安全については低い階の方が総じて安心できるような気がします。

でも、何だかんだといっても、やっぱり、子供の最大の脅威は自動車です。松戸から青山のような都会の真ん中に近いところに引っ越して、自動車の脅威を痛感しています。マスコミで騒がれるのは不審者や暴漢による襲撃や火事などの事故なんですが、これらが起こる確率よりも、何といっても、交通事故の確率が断然高いことは認識されるべきだと思います。だからといって、便利な自動車をどうこうしようという気はないですし、飛び出したりした子供の方が悪いケースもたくさんあるんでしょうが、自動車は命を乗せて走っているとともに、同時に、命に衝突して命を奪う危険も有しているのだということを、ドライバーのみなさんは十分に自覚して安全運転に心がけて欲しいと思います。

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2006年4月 6日 (木)

今日から子供達の小学校が始まる

子供達の小学校が始まり、今日、始業式がありました。私は親バカですから、女房とともにいっしょに小学校に行きました。校長室にしつらえられた待合室らしき空間に転校生の親子が腰掛けて待たされていたのですが、さすがに、父親が来ているのは私だけでした。始業式の直後に予定されていた入学式には、カメラをぶら下げたおとうさんもいっぱいいたことでしょう。しかし、私もさすがに始業式にはカメラは持って行きませんでした。昨年の下の子の入学式は仕事があったので、女房に写真を任せましたが、今年は始業式だけでしたのでカメラは自粛しました。
まあ、何も考えずに一番近くの区立の小学校に子供達を入れたんですから、別に大きな特徴はありません。校庭に並んでいる男の子も女の子もみんなで同じような帽子をかぶっているのがやや異様でしたが、それ以外はごく普通の小学校でした。もっとも、松戸の小学校よりも先生方が少し若いような印象を持ちました。実際の年齢はよく分かりませんので、これは印象だけかもしれません。でも、家に帰って話していると、女房も同じように感じたそうです。
それから、さすがに、松戸と違って都会の小学校だけあって、少し変わったランドセルを持っている子がいたりしました。デザインが横長で普通のとだいぶ違っていたり、男の子の黒や女の子の赤以外の色物のランドセルの子です。もっとも、始業式しかない日にランドセルをしょって行くのもやや不思議な気がしました。まあ、その子の趣味なのでしょう。なお、我が家では上のおにいちゃんはごく常識的な、まったく個性のない黒いランドセルですが、下の子は緑色のランドセルにしています。上のおにいちゃんが日本の小学校に通い始めたのは、我が家がジャカルタから帰国した時で、小学1年生になった9月でしたので、9月なんかに世の中ではランドセルなんて売っていなくて、次の就学準備シーズンまで待てなかったので、とても苦労して探し回った挙句に、ほとんど選択肢のない中でごくごく常識的なランドセルを買った記憶があります。しかし、下の子の時は選択肢がジャカスカあって、子供の趣味で緑色のを買い求めました。

家に帰って子供達に新しい小学校や担任の先生について尋ねましたが、始業式があったばかりですし、8時半からの始業式の直後には9時半から入学式があって、入学式に関係のない学年の我が家の子供達はすぐに家に帰って来たそうで、特段の感想はありませんでした。下の子は教室の場所を確認したそうですが、上の子は教室に行きもしなかったらしいです。まあ、すべてはこれからなのでしょう。

昨日まで春休みを謳歌し、かなり遅くまで朝寝していた子供達でしたが、今日から小学校が始まり、明日からもちゃんと起きられるかやや心配は残ります。私自身、朝が弱いので大きなことはいえません。
早く新しい小学校に慣れて、しっかり勉強して、お友達をいっぱい作って欲しいと思います。

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2006年4月 5日 (水)

早くもゴールデンウィークの予定を考え始める

4月に入り、そろそろ、小学校も始まります。我が家の子供達の場合は明日からです。引っ越した直後ですが、新しい学年を迎える我が家の子供達については、そんなに心配はしていません。私の子供ですから適応力は十分ありますし、大学生や新入社員の五月病のような症状になるのは10年早いというものです。それでも、五月病からの回復のためにあるようなゴールデンウィークはしっかり活用します。

先日、カレンダーを見て今年のゴールデンウィークがかなりゴージャスなのに少しびっくりしました。実は、私は落っことすのを回避するため手帳は大判のを役所に置いてあり、小さい持ち歩き用の手帳は持っていません。一応、本省の参事官ですから秘匿しておきたい公私の予定がないわけではありません。ですから、ジャカルタに駐在していた時は別として、ここ数年は日本の最大手の自動車メーカーからもらった大判手帳を愛用しています。昨年までは表紙が金文字だったのが、今年は銀文字になっています。それはともかく、この大判手帳が海外向けなもので、日本の祝日が入っていません。曜日の表記は日本語のはなくて、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語と4通りの表記がしてあります。私はドイツ語以外の曜日表記は理解しています。ですから、祝日がよく分からないわけで、今年のゴールデンウィークは4月29日のみどりの日が土曜日に重なる不運はありますが、5月3日(水)から9日(日)まで5連休になるということは、割合と最近になって気付きました。
最近のご時勢で、夏休みや年末年始だけでなく、ゴールデンウィークなんかも計画的に有給休暇を消化することが求められており、私も職場の同僚には5月1日(月)か2日(火)のどちらかは義務として計画的に休むように、もちろん、2日とも休んで何ら差し支えない、と、いってあります。当然、私も適宜休むつもりです。

海外を含めて旅行される方はすでに予定が決まっているのでしょうが、我が家では引っ越したばかりですし、近場で遊びに行くつもりをしています。4月15日(土)に封切られるゴールデンウィーク映画のクレヨンしんちゃんは必ず見に行くこととし、それ以外に、どこに行こうかと考えています。何せ5連休ですから、クレヨンしんちゃんの映画だけでなく、もう2つくらいはイベントが欲しいものです。
子供達に相談したところ、ひとつは運動系、もうひとつは科学か社会のお勉強系、ということで考え始めました。松戸に住んでいた時には、大規模なアスレチックを備えた公園が、野田の清水公園、船橋のアンデルセン公園、市川のありのみコース、とたくさん控えていて、アチコチに行きまくったんですが、今の青山からはどこがいいのかイマイチよく分かりません。でも、どこかのアスレチックを探して行こうと思っています。また、お勉強系では、そう大した勉強にもならないんですが、前々から東京タワーに行きたいと思っていましたので、今回の引越しで松戸と違ってずいぶんと近くなりましたから、是非とも行ってみたいと思っています。私の記憶が正しければ、150メートルの大展望台と250メートルの特別展望台があり、当然、料金が違っていたハズなのですが、もちろん、我が家は高い方を目指すんでしょう。また、NHKのスタジオパークもジャカルタに行く前に子供達が幼稚園にも通わないころに行っただけですので、これもそのうちに行きたいと思っています。

ゴールデンウィークに出かける私の目論見のひとつは写真です。おすすめリンクにある我が家のホームページは今年2006年1月の最終更新日から3ヶ月近くも更新できておらず、デジカメで子供達の写真を撮るのを趣味のひとつにしている私としては、そろそろ、どこかに遊びに行ってかわいい我が子の写真を撮りたいと思っていたりします。
ゴールデンウィークで遊ぶことを考える前に、まず、明日から始まる小学校での勉強が最優先なのでしょうが、取りあえず、勉強をしっかりさせるためにも、まず、その先のゴールデンウィークについて、何らかの予定を立てておこう、というのが私のような甘い父親の思考パターンなのかもしれません。

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2006年4月 4日 (火)

現在の景気拡大はいざなぎ景気を超えるか

今日は、午後から日経センターの講演会に出席しました。
講演会のテーマは今回の景気拡大局面が、戦後最長の「いざなぎ景気」を超えるか、で、なかなか面白い観点からの紹介もありました。講演者独自の中長期の循環論も拝聴しました。これは後でもう少し詳しく書きます。

まず、基礎知識ですが、いざなぎ景気とは1965年10月を底に1970年7月まで57ヶ月続きましたので、2002年1月を底とする現在の景気拡大が今年2006年11月まで続けば、いざなぎ景気を超えることになります。
経済同友会が今年2-3月に実施した「景気定点観測アンケート調査」では、企業経営者の8割以上が、現在の景気回復が戦後最長の「いざなぎ景気」を更新する可能性が高いと予想しているそうです。調査は会員企業などの経営者250人から回答を得て、先月3月下旬に公表されています。
アンケートの回答は、「ほぼ確実」は17.6%であるものの、「可能性はかなり高い」が69.2%と多く、「可能性はあるがかなり低い」は12.0%と少数派で、「可能性はほとんどない」はわずかに1.2%だったそうです。また、いざなぎ景気を超えるのにプラスに働く要因として、「企業収益」(45.1%)、「個人消費」(27.2%)を挙げる企業が多かったと、読売新聞のサイトで報じられています。

先述したように、日経センターの講演会では講演者独自の景気循環論が展開されました。即ち、景気循環の4つの波であるキチン、ジュグラー、クズネッツ、コンドラチェフの4つの景気波動が今年2006年からいっせいに上向きになる、という、とてつもなく強気の景気見通しです。ゴールデンサイクルというのだそうです。

私はエコノミストを自称していますが、景気分析についてはそんなに得意でもないし、好きでもありません。しかし、エコノミストとしては押さえておかねばならないツボでしょう。景気分析・予測が余り好きではないのは、私から見ると、トートロジーと経験則が支配しているように見えてならないからです。別のいい方をすれば、科学的でないともいえます。例えば、設備投資が強いから景気は上向く、とか、個人消費が景気を引っ張る、なんてのはトートロジーに思えてなりませんし、株価のチャート分析よろしく何とかが何とかを上回ったら景気が下降する兆し、なんてのもあります。
でも、非科学的で感覚的であったとしても、現在の景気拡大がかなり力強いのは明らかで、今日の日経センターの講演会でも現在の景気拡大はいざなぎを超える、との結論でしたし、私もいざなぎを超える確率は高いと考えています。景気が調整局面に入るリスクは主として海外要因で、米国経済や中国経済が悪化したり、あるいは、原油価格が飛び跳ねたりするくらいで、国内要因は首都圏直下型地震を別にすれば、日銀が暴走して年内に2-3回もの金利引上げを暴発するくらいのものでしょう。

企業収益がこの景気拡大を支える大きな要因であることは確かですが、比喩的な表現ながら、かつてはバブル期に浮かれてムダな投資をしまくった民間企業が、現在の好景気の間にさらに足腰を鍛えておくかどうかが次の景気循環をどのようなものにするかのキーポイントだと思っています。特に、海外投資で見栄を張ってムチャな買い物をするか、堅実に利益を上げられる投資をするかが重要だと思います。政府が民間企業に「こんな投資をしたらいいですよ」と行政指導まがいのことをするのは時代遅れもいいところでしょうから、民間企業の賢明な企業活動に期待します。

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2006年4月 3日 (月)

年度初めに役所の社風を考える

今日から新年度が始まりました。
新入社員の入社式などが報道されていました。私の親元の役所でも新入職員の式典があったようです。それぞれの組織でそれぞれの社風にあった入社式が執り行われたように思います。
今の出向先の役所でもボスが交代し、ボスのご挨拶がありました。これは別として、私の親元官庁はかなりいい加減な社風です。ということで、今日は現在の出向先の役所ではなく、私の親元官庁に関する話題です。

役所は封建的な上下関係が厳しい世界であると想像されがちですが、中央省庁再編前は経済官庁だった私の親元官庁はそんなでもありません。時折、「オフ民主主義」と呼ばれていたりします。例えば、役所にも職員食堂がある場合があって、昼食なんかは職員食堂で食べたりしますが、ここでも私の親元官庁は民主主義が貫かれています。明治政府とともに古い役所なんかでは、職員が行列をなしているところに、エラいさんの秘書さんが来て行列に割って入って、昼食をお盆にのせて運ぶ姿を見たりするんですが、我が社では事務次官でも行列に並んで昼食の順番を待ちます。もちろん、我々参事官クラスなんて、ちっともエラくありませんから、当然のように、並んで昼食の順番を待ちます。
私の後輩に女性のエコノミストがいて、メガバンクにお勤めのご主人と結婚しているんですが、そのメガバンクの運動会にご主人と参加して、愛社精神の大いなる発露にびっくりしていたことがあります。私もスポーツなどのレクリエーション行事に子供達とともに参加したりしたことがあり、それなりに、長幼の序や役職者に対するしかるべきていねいな態度で接することはあるにしても、基本的には、オフは民主主義であって、組織に対する忠誠や独特で閉鎖的なしきたりみたいなものはオフの行事では存在しないように思います。オフの行事ではみんなが平等です。

もちろん、役所ですから、オンの業務中には指揮命令系統はしっかりしており、民間会社みたいに「担当部長」のようなラインに乗っていない、よくわけの分からない管理職がいたりすることはありませんし、ご存じの通りのお役所仕事で、決裁などの手続きは不必要に厳しかったりはします。業務的にも、組織的にも、人事的にも「堅いお仕事」であることはいうまでもありません。でも、「堅いお仕事」はオンの時だけだと思います。
そんなにサンプルは多くはないのですが、その昔には、服装についても割合とウルサ方の人がいたりしました。もっとも、ドブネズミといわれる役所独特のファッションスタイルに基づく風紀係的な観点から、派手な色使いとかを注意したりするんではなく、例えば、このタイプのスーツならズボンの裾はダブルにしろ、とか、クツはスリップオンではなく紐のあるオックスフォードにしろ、とか、ベルトとクツは同じ色にしろ、とかの、いってみれば、自ら信ずるセンスに基づいたファッションに関する有識者的な意見を述べる人はいたりしました。逆にいえば、ドレスコードに反する風紀係的なチェックはありませんでした。

ですから、自由闊達、とか、おおらか、といういい方も出来ますが、見方を変えれば最初に書いたようにいい加減です。オフはほぼ完全に民主主義で、職場における上下関係は余り関係なく、みんなが平等です。実は、私自身もいい加減な人間です。お堅い組織でカッチリした仕事をする方がよかったのかもしれませんが、私にとっては居心地はとてもよかったりします。

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2006年4月 2日 (日)

映画を見に渋谷にお出かけ

今日はお天気が怪しかったのですが、午前中に、一家そろって映画を見るために渋谷に出かけました。3月15日のブログでも紹介した怪傑ゾロリとケロロ軍曹の豪華2本立ての映画です。
我が家の子供達は映画が好きで、2時間くらいでしたら、オシッコさえコントロールできれば、お利口に落ち着いて見ていられます。途中でイヤになって騒いだり、ゴソゴソと落ち着きがなくなったりすることはありません。
家から一番近いところをインターネットで探して、渋谷の映画館に行きました。10時半からの初回の上映を目指して10時過ぎに着いたにもかかわらず、我が家の整理券番号は70番台でした。小さな映画館だったので、これは総席数の半分くらいに当たります。映画館が小さい割には、小学生の人気の映画をかけているので、かなり早くから行かないといい席が確保できません。上映前の準備として、映画のパンフレットを売っていたので買い求めます。また、座席での食べ物はダメな映画館だったので、コーラを買って席で飲みます。
10時半から1時近くまで2本立ての映画を家族みんなで楽しみます。私自身は平日にテレビ放映しているケロロ軍曹はほとんどなじみがないんですが、日曜日の朝早くにある怪傑ゾロリは今日も子供達にご相伴して見ていたりしますので、それなりに親しみがあります。今日見たのは、怪傑ゾロリもケロロ軍曹も冒険や友情をテーマにした、とてもいい映画でした。もちろん、家族で楽しく見られるファミリーエンタテインメントの映画です。我が家の子供達の評価は、主としてギャグの切れ味に基づいていると思われるんですが、怪傑ゾロリよりもケロロ軍曹の方がよかったようです。

帰りに青山霊園の桜でも通り抜けて、花見に代えようかと思いましたが、午前中はほとんど無風だったのに、午後になって風が強くなって、同時に、生暖かくなり、今にも雨が降りそうになってきたので家に直行で帰宅してしまいました。今日の雨で桜はお終いなんでしょうか。この春休みは引越しがあったため、ちゃんとお花見に行けなかったような気がします。

下の写真は、団地に咲いた桜をバックに映画で見た怪傑ゾロリとケロロ軍曹のパンフレットを持つ子供達です。

団地の桜をバックに

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2006年4月 1日 (土)

午前中は下の子とパソコンラックを組み立て、午後はおにいちゃんと渋谷にお出かけ

今日はいいお天気で暖かだったです。
しかし、家に中がまだ片付け終わっていないので、午前中は、引越しお知らせハガキの宛名書きをした後、おとうとの下の子とともにパソコンラックを組み立てます。おにいちゃんは勉強です。小学生も4年生くらいになると大変です。その点、2年生はまだまだお気楽です。
松戸にいた時には畳敷きの和室にちゃぶ台を置いて、その上にパソコンを並べてたんですが、引っ越してからはどうしてもパソコンラックが必要になり、通信販売で買い求めました。私が組立ての作業手順を確認し、少し基礎をやってから下の子にネジを締めさせたりします。下の子が締めた後のネジを私が仕上げる方式でやっていたんですが、さすがに私の子だけあって力は十分で、私が仕上げをする必要はほとんどありませんでした。親バカの私は下の子をほめまくります。それでもさすがに、2時間近くかかってしまいました。
新しいパソコンラックに子供達用のIBMデスクトップパソコンをセットするのは私の役目です。インターネットのケーブルも含めて、再びパソコンが使えるようになって、勉強を終えたおにいちゃんとともに下の子もしっかり遊びます。

昼食後、午後からは、今度は、おにいちゃんと私が渋谷にお出かけです。塾の春季講座です。やっぱり、小学4年生になると勉強の方が大変だと、再び実感させられます。しかし、さすがに、4年生になったからといって、引っ越して1週間ほどしかたたないのに、小学生を1人で渋谷に送り出すのは親として無責任なので、平日は女房が行き帰りに付き添い、今日の土曜日は私が付き添います。もっとも、道はおにいちゃんの方がよく知っているので、ボディガードのようなもんです。
おにいちゃんを塾まで連れて行き、教室に入ったのを確認して、私は渋谷で買い物をします。なぜか、引越し荷物からカミソリの髭剃りが出てこなかったので、ドラッグストアで髭剃りを買い求めます。これはすぐに見つかりました。次に、週末用の普段着の靴下がボロくなっていたので、スニーカーのときに履く靴下を買い求めます。渋谷にはこのテの衣料品店が割合とたくさんありますが、結局、東急百貨店本店前のドンキホーテで買いました。
その昔、ジャカルタに行く前に杉並に住んでいた時に、少し遠かったのですが、井の頭線で渋谷には何度も出てきたことがありますが、やっぱり、かなり雰囲気が変わっていました。私が歳をとったせいもあるのかもしれません。小学生を塾に通わせるのに適当なのかどうか、やや不安が残ります。
最後に、春季講座を終えたおにいちゃんといっしょに家に帰ります。もちろん、地下鉄で帰ります。職場の同僚で、最近になって、宿舎の駐車場が空いたので、自動車を買いに走ったのがいましたが、我が家の夫婦間の力関係では、特に、青山に引っ越してからの立地条件も考えれば、自動車の購入なんて、女房にいい出すだけでものすごい勇気がいります。当面の間は自動車は諦めて地下鉄で移動します。

下の写真は、左側のが真剣な表情でパソコンラックを組み立てる下の子で、右側のが春季講座に出かけるおにいちゃんです。

パソコンラックを組み立てる下の子  春季講座に出かけるおにいちゃん

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