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2006年5月29日 (月)

「ダ・ヴィンチ・コード」を読み終える

ようやく、「ダ・ヴィンチ・コード」を読み終えました。前の5月1日のブログでは、「ダビンチ・コード」と書いていたんですが、今夜は、角川書店に従って、正しく「ダ・ヴィンチ・コード」と表記することにします。
なお、最初にお断りしておきますが、私は仏教徒です。親鸞聖人がお始めになった浄土真宗、あるいは、一向宗門徒ですから、キリスト教には詳しくありません。せいぜい、チリで外交官をしていてカトリック教徒と親しくしていたことがあるくらいです。キリスト教徒に対しては、何かあれば、日本人らしい几帳面な文法で、"May God bless you!"といってあげれば喜んでくれる、ということくらいしか知りません。でも、「ナルニア国物語」と違って、「ダ・ヴィンチ・コード」を楽しむのにはキリスト教の深い知識は必要ないように思います。その点は一級の娯楽作品であることの必要条件であるような気がします。ケロロ軍曹を楽しむのに宇宙や宇宙人の知識が必要ないのと同じです。

さて、総論として、プロットが奇抜であることを除いて、ミステリとしてはそんなに出来はよくありません。1月31日のブログで紹介した東野圭吾「容疑者Xの献身」の方がプロットはすぐれていると思います。ニューヨークタイムズでは「息もつかせぬ展開とこみ入った謎」について絶賛してあったそうですが、後者の「こみいった謎」はともかく、前者の「息もつかせぬ展開」はその通りだと思います。私が読んだのは日本語訳のハードバックの単行本で600ページ余りなんですが、ほぼ半日分15時間ほどのストーリーをこの紙幅で書き上げているにもかかわらず、ストーリーの展開はとても急です。私は本で読んだだけですが、映画にすれば面白そうであると直感的に感じました。映画が大ヒットするのも当然だと思います。
私にはとても面白い本で、書評としては5ツ星を差し上げたいと思うんですが、ストーリー展開がとても速いので、時間潰しにはなりません。でも、それくらいのことは理解して買う人ばっかりでしょうから、時間潰しにならないことがマイナスの要素になるとは思えません。もっとも、ストーリー展開が急ですから、ラングドン教授とヌヴー捜査官がタクシーや飛行機で移動する際の説明をもどかしく感じる人もいそうな気がします。そのあたりは映画ではカットされている可能性もあるかもしれません。私は映画を見ていないのでよく分かりません。
ただし、各論としては、プロットはやや単純、というか、容易に類推されるものが少なくないです。例えば、導師が誰であるかはラングドン教授たちがフランスから英国に渡る時点でほぼ推察されてしまいます。また、ソニエール館長の残したクリプテックスが2つあるんですが、ひとつめはともかく、2つ目はPopeが葬った騎士の名が明らかになった時点で、その人のを見に行く必要もなく解けてしかるべきだと思います。それから、クリプテックスの隠し場所も鍵に書いてあるなんて、ちょっと読者をバカにしているような気がします。なお、どうでもいいことですが、Googleで「クリプテックス」を検索すると、このクリプテックスを売っているサイトにヒットします。数千円で売られていたりしますが、そのサイトの画像では2番目のクリプテックスのキーが表示されていたりします。笑い転げてしまいました。
暗号についても、2番目のクリプテックスのキーワードがすぐに分かるように、やや甘いところがあります。主人公のラングドン教授が歴史学者で、歴史学的・人文学的に暗号を作成せねばならないので、これはツラいところでしょう。数学的に暗号を組み立てることが出来れば、もっと面白かったような気がします。唯一、数学的な雰囲気をかもし出していたのはフィボナッチ数列黄金比なんですが、黄金比について回想するラングドン教授の授業で済ませてしまったのは残念というほかありません。
それから、日本語訳だけの問題なんですが、何度も引合いに出すクリプテックスについては、何かいい邦訳はなかったんでしょうか。ほとんどの人は知っていると思いますが、クリプテックスはcryptexであり、暗号=cryptとテキスト=textを合体させた「ダ・ヴィンチ・コード」における作者の造語ですので、訳しにくかったであろうとこは容易に想像されます。でも、例えば、ハリー・ポッターの第3巻のアズカバンの囚人に出てくるディメンターには「吸魂鬼」の秀逸な漢字が充てられており、これに類するようなすばらしい日本語訳がないものか、少し残念です。
最後に、このテの奇抜なストーリについてエコノミスト的な見解をひとつ。巷間、明らかにされているように、この「ダ・ヴィンチ・コード」ではキリストの子孫がひとつのテーマになっているわけですが、そんな人達がいたらとっくに明らかになっているだろう、とエコノミストは考えるでしょう。なぜなら、エコノミストは「落ちている100ドル札は拾うな」と考えているからです。市場が効率的で情報が完全とのとても強烈な仮定の下では、100ドル札がホンモノであれば、とっくに誰かに拾われているハズであり、私に発見されるまで、いつまでも100ドル札が地面に落ちているハズはない、と考えるのがエコノミストだからです。すなわち、キリストに子どもがいて、その血脈が現在まで受け継がれているのであれば、隠しようがないと私は考えています。もちろん、自分から名乗り出ることもありえますし、ある強力な筋が本当にキリストの子孫を抹殺しようとすれば、そんなに難しいことではないのではないかと思います。当然ながら、隠し通そうとする勢力と暴き出そうとする勢力の力比べ知恵比べなんですが、マーケットトレーダーが勝ち続けることが出来ないのと同じように、どちらか一方、すなわち、隠し通そうとする方が2000年間も勝ち続けるのは不可能だと思います。

いずれにせよ、小説ですから真実性はともかく、一級の娯楽作品に仕上がっています。いまさら、私が何をいおうとベストセラー街道をまっしぐらなんでしょう。でも微力ながら、私も強くオススメします。

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