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2006年7月31日 (月)

森絵都『風に舞いあがるビニールシート』を読み終える

先日来読み始めていた森絵都『風に舞いあがるビニールシート』(文藝春秋社)を読み終えました。短編6話からなる短編集で、本のタイトルと同じ「風に舞いあがるビニールシート」は6番目のお話です。児童文学出身の作家さんらしく、読後感がとっても明るくて、元気の出るお話が多かったような気がします。でも、私にはベタベタし過ぎて感情移入が難しいのもいくつかありました。
なお、気をつけて書いていますが、今夜のブログはネタバレがありますのでご注意下さい。
6話すべてのタイトルを列挙すると、「器を探して」、「犬の散歩」、「守護神」、「鐘の音」、「ジェネレーションX」、「風に舞いあがるビニールシート」となります。私の知り合いの少し前まで文学少女だった女性の受売りなんですが、昨年、森絵都さんは「いつかパラソルの下で」で直木賞の候補に取り上げられて落選して、軽いだけじゃ直木賞は取れないという反省を踏まえて、直木賞を受賞するにはそれなりの対策が必要であると気付いたので、村山由佳さんが従軍慰安婦問題を絡めた「星々の舟」で受賞した例とかを参考にしたらしく、しっかり国際問題や社会問題を扱った短編を書いたのだそうです。ここまで受売りなんですが、確かに、捨て犬の処分を扱った「犬の散歩」とか、あるいは、表題作は国連難民高等弁務官事務所やアフガニスタンなどの難民キャンプとかを扱っています。でも、この表題作はベタベタの恋愛小説であることは間違いなく、私はこの表題作が短編の中では一番嫌いです。でも、これを表題作にするのが、私の知り合いの元文学少女のいう直木賞対策なのかもしれません。それから、次に嫌いなのは「犬の散歩」でビビを義理の父母に引き取ってもらう、やっぱり、ベタベタした感情的な筆致です。どうしても、社会問題を取り入れる時にベタベタした感情移入を必要とさせるような物語にするのは、この作者さんのクセかもしれません。でも、私と年齢層が違ったり、性別が違ったりすると、もちろん、文学に対する感受性も違ってくるので、もっと別の感想があるんでしょうが、ごく平均的な中年のサラリーマン男性であれば、恋愛小説や感動を無理に高めようとするようなベタベタした小説は好きになれない人が多いような気もしないでもありません。
むしろ、私が評価するのはペダンティックに構えたものです。「器を探して」の美濃黒の製法とか、「守護神」の伊勢物語や徒然草の解釈とか、「鐘の音」の不空羂索観音と准胝観音の違いとか、やや押付けがましいながらもサラッと専門家が解説するようなパートを含み、それが割合とお話の重要で不可欠な部分を構成しているような物語が私は好きです。セコいんですが、直木賞を取るような小説を読んで、さらにその上に、知らなかった知識も得て、とてもオトク感があるからです。
それから、6つの物語すべてが10年とか25年とかの昔を振り返りながら進行していくので、もう少していねいに書いて欲しいという気もします。少し文章が荒い気がして、いつのことをいつの時点で書いているのか、分かりづらい部分も散見されます。これは、私がかなりのスピードで読み飛ばして本筋だけを追うような読み方になっているせいかもしれません。しっかりと、ゆっくりと、ていねいに感情移入して読む向きにはこれでいいのかもしれません。要するに、ていねいに書くか、ていねいに読むか、どちらかが必要なのであって、私は余りていねいには読まないので、ていねいに書いて欲しいと思うだけかもしれません。

いずれにせよ、総合点で4ツ星くらいで、6話の短編がすべての人の同じようにオススメできるわけではありませんが、逆に、6つのうちどれかを好きになれるような気もします。ヘンな話ですが、最近はやっている「泣きたい時に読む本」の資格も、一部の物語は備えているような気がしないでもありません。直木賞受賞作という話題性を重視するのであれば、読んでおいてソンはありませんし、私のように、仕事に必要な経済書を読むことが多いため、食事の時の箸休めのような感覚で読むのもいいんではないかと思います。

伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」は来月8月10日発売の文藝春秋で選評とともに読みたいと思います。それから、近く、読書感想文の日記のカテゴリーを設けたいと考えています。

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2006年7月30日 (日)

午後から出かけた渋谷は人でいっぱい

今日の午後はおにいちゃんの塾の夏期講座付添い渋谷に出かけます。おにいちゃんを塾に送り届けた後、渋谷の街で買い物をします。
まず、昨日、新橋をウロウロした際にサンダルに大きなヒビが入ったので、男物のサンダルを探します。スポーツ店で適当なのを見つけて買い求めます。それから、おにいちゃんの夏期講座の間は腕時計が必要だというので、私の持っているスウォッチから好みのを選ばせたんですが、すっかり止まっていましたので、スウォッチ用の電池を買い求めます。私は在チリ大使館外交官として勤務していた10年以上も前にスウォッチをかなり大量に買ったりしたんですが、今でもまだスウォッチをしている人はいたりするんでしょうか。すでに、博物館的な貴重品になっているような気がしないでもありませんが、私が普段持っている機械時計と違ってクォーツですし、軽度の防水にもなっており、なんといっても、失くしても大きな損失にはなりませんから、気軽にスウォッチを持たせることにしました。
下の子は女房に連れられてサントリー・ホールに出かけます。日本フィルハーモニー交響楽団夏休みコンサートです。ビバルディの春、チャイコフスキーのくるみ割り人形など、子供達に親しみのある曲が演奏され、最後はストラビンスキーの火の鳥だったそうです。私は聞いていないので正確なことは分かりませんが、いつもの例でいくと、日本フィル夏休みコンサート版のアレンジがしてあったんではないかと想像しています。プログラムによると、歌とお話は江原陽子さんだったようです。

私はおにいちゃんを待っている間に、午前中から読み出した森絵都「風に舞いあがるビニールシート」を読み進もうかと思っていたんですが、久し振りでもないのに渋谷の街をうろついて、余り読み進めませんでした。最大の理由は時間を潰せそうなお店が空いていなかったことです。開いていなかったんではなく、空いていなかったわけです。昨日、幸田真音「日本国債」を読み終えたのは新橋駅前のエクセルシオールカフェだったんですが、今日の渋谷ではスターバックエクセルシオールカフェも、その手のお店は長い行列が出来ていて、アイスコーヒー1杯で2-3時間もねばれるような雰囲気ではありませんでした。でも、いくら何でも、明日には読み終えると思いますので、可能であれば感想文を書きたいと思います。しかし、幸田真音「日本国債」のように、読み終えても感想文を書く気にもならない本がこの世の中にあるんだ、ということを実感しましたので、ひょっとしたら、何も書かないかもしれません。

明日は通常通りに出勤します。

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午前中は家で読書

今日は、昨日の午後に子供達がこどもの城でジャカルタの日本人学校のころのお友達と遊んで疲れたのもあり、家でゴロゴロしていました。
おにいちゃんは今日の午後から塾の夏期講座が始まるので、女房の厳しい指導の下で勉強に励みます。日曜日から夏期講座が始まるこのシステムがどうしても理解できません。カレンダー通りに月曜日から始めてはいかがなものかと、ついつい思ってしまいます。私の父親は京都でタクシーの運転手をしていて、週末なんかが稼ぎ時でしたのでよく出勤していたため、私は何としても日曜日を休める職業がいいと憧れていました。ですから、百貨店や鉄道会社なんかは最初から就職の対象外でした。日曜日を休める昼間の仕事として公務員を選んだ記憶があります。
話を元に戻しますと、下の子は昨日の朝に買ってやったガンプラ作製にいそしみます。今日はズゴックを作ります。それから、勉強を終えたおにいちゃんもガンプラ作りを始めます。下の子のズゴックに少し遅れてリックドムを完成させます。下の写真は、完成したガンプラを手に持つ子供達です。

ガンプラ

私は読書します。森絵都「風に舞いあがるビニールシート」(文藝春秋社)を読みます。最近の直木賞受賞作です。短編集で、本のタイトルになっているお話は最後に収録されています。6篇の短編のうち、最初の2話を午前中に読みました。児童文学出身の作家さんらしく、読後感がとてもいい物語でした。
午後からは、おにいちゃんの塾に付き添って渋谷に出かけます。

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2006年7月29日 (土)

午後からは新橋に出かける

午後からは新橋に出かけました。下の子がポケモン以外にも、ゲド戦記の映画を見たいというので、前売りチケットを買い求めます。先日の朝日新聞の評価はそんなに高くないんですが、まあ、子供が見たいというので買いました。ホントなら、ゲド戦記は今日から公開ですので、前売りチケットはないハズなんですが、そこは、新橋駅前のチケットショップに行けばいくらでも売っています。大人1枚、子供1枚を買い求めます。
この夏からは、小学4年生のおにいちゃんが塾の夏期講座に通い始めるので、下の子とかなり予定があわなくなってしまうんですが、女房にいわせると、松戸から青山に引っ越したのは、そもそも、子供達のこういった塾通いを含めた利便性のためであって、小学4年生になったおにいちゃんが夏期講座に通うのは当然だ、ということになります。どうしてかは知りませんが、夏期講座は通常の1週間のサイクルには合せてくれず、週末に通学したり、逆に、平日に休みがあったりします。今年の1月11日付けのブログにも書いたように、塾講師はある意味で過酷な職業なのかもしれません。
下の子は夏期講座がありませんから、毎日ヒマにしています。ですから、ガンプラも少し多めに買ってもらえたりします。私がお付き合いできるのは週末に限られますが、おにいちゃんは週末にも夏期講座があったりしますので、おにいちゃんが塾に通わねばならない日は、私と下の子とで映画でも見に行こうと考えています。おにいちゃんと同じペースで下の子を勉強させたり、読書させたり、家に閉じ込めたりするのはかわいそうです。小学2年生にはまだ絵日記もあったりします。

その後、幸田真音「日本国債」(講談社)を読みました。まあ、軽い読み物の小説ですから、こんなもんなんだろうと思います。この本は2000年の秋に出版されたんだと記憶していますが、我が家は2000年9月にジャカルタに引っ越してしまいましたので、日本書のバカ高い現地では買おうとも思いませんでした。読み終えた人が日本人学校の文庫に残して帰国するようなタイミングでもありませんでしたので、今の今まで読む機会がありませんでした。先日、「国家財政が持続可能でないと何が起こるのか?」のブログを書こうと思った時に、少しは参考になるかと職場の同僚から借り受けて100ページほど読みましたが、何の参考にもならないと結論付けて、そのまま放置してありました。読み終えて、私の判断が正しかったことを確認しました。
一言だけ、「日本国債」について申し上げると、よく、経済学には人が出てこないといわれますが、逆に、「日本国債」には人ばっかりで経済が出てこないような気がします。国債の未達が生じる前後の人の動きやなんやばかりで、日本経済がどうなったのかの記述がとても少なくて、私は論評する気にもなりません。それにしても、マーケットトレーダーって、経済学を知らない人が多いような印象を与えかねないのは、いかがなもんでしょうか。事実なんでしょうか。もっとも、エコノミストの世界でも、経済学部出身者ばかりでなく、法学部出身者もいたりしますので、そんなもんかもしれません。

夕方に家に戻ると、子供達もすぐにこどもの城から帰ってきました。

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朝からガンプラを買いに行く

今朝は、朝からガンプラを買いに有楽町ビックカメラ別館まで行きました。我が家からですと、銀座線を赤坂見附で丸の内線に乗り換えて、丸の内線の銀座で降りて有楽町まで歩きます。もっといい方法があるのかもしれませんが、取りあえず、我が家ではそうしています。
朝10時の開店に合せて家を出て、開店とともにビックカメラ別館になだれ込みます。職場の同僚から聞いた通り、我が家からリーズナブルな距離の範囲で、もっともガンプラの品ぞろえが多くて、しかも価格的に安いのはここのような気がします。子供達が品定めをします。夏休み中に作る予定のすべてのガンプラを今朝のうちに買ってしまおうと、先日来、子供達は熱心にビックカメラのホームページで品定めをしていたんですが、それでも、品切れのがあったりする場合もあり、さらに、現物を大量に目の前にすると、どうしても目移りがしたりで、やっぱり、時間がかかります。
結局、おにいちゃんに4体、下の子に5体、合計で9体買い与えます。もちろん、ガンプラを作ること自体はおにいちゃんの方が早いんですが、おにいちゃんは塾の夏期講習に行ったりして忙しいのを考慮して、少し差をつけてみました。レジで店員さんに、2人で9体買いましたので、これだけあれば作り応えがありますよ、といわれた上、工具なんかは必要ないのかと問われて、今までも作ってきているし、MGじゃなくてHGだから、ニッパーくらいで十分じゃないのかと答えておきます。ちなみに、MGはマスターグレードの略で、1/100のモデルで、HGはハイグレードの略で1/144のモデルです。MGは年齢が15歳以上なのに対して、HGは8歳以上となっています。ケロロ軍曹なんかが作っているのはMGではないかと想像しているんですが、我が家の小学生達にはMGはまだムリで、せめて、小学生の間はHGだろうと考えています。MGを作るようにになれば工具類も充実する必要があるかもしれません。

下の写真は大量のガンプラを買って家に戻った子供達です。

ガンプラ

今日のランチタイムからは、子供達は女房に連れられて青山のこどもの城に行きます。我が家から歩いて15分くらいです。ジャカルタ日本人学校の頃のお友達が夏休みで一時帰国していて、いっしょの遊ぶのだそうです。奥様方はおしゃべりです。男親の出る幕はありませんから、私は留守番なんですが、そろそろ、ランチタイムですし、パソコンのウィルスチェックを始めて、私も外に出ようと思います。先日から軽い読み物として、幸田真音「日本国債」(講談社)を読み始めましたので、喫茶店にでも入って読み進もうと思います。我が家のパソコンはすべてスペックが貧弱なのでウィルスチェックを始めると、とたんに動作が遅くなり、ストレスを感じるからです。

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2006年7月28日 (金)

ティンバーゲンの定理とデフレ脱却に割り当てるべき経済政策

経済政策においては政策目標と同じ数だけの政策手段がないと政策目標が達成されません。これをティンバーゲンの定理といいます。オランダの経済学者だったと思います。私がジャカルタ勤務だった時に、インドネシア中央銀行のエコノミストがオランダに留学し、その留学先がティンバーゲン・インスティテュートだったと記憶しています。インドネシアは第2次大戦前にはオランダの植民地だったわけですから、オランダに留学するエコノミストもいるのか、と感じたことを記憶しています。この大学の実態はよく知らないんですが、経済学については名門校そうな名前だと感じました。そうでなければ、まったくの駅伝大学かもしれません。日本に野口英世医科大学なんてあったら、インチキくさい大学のような気がしないでもありませんから、大学名なんて当てになりません。

ティンバーゲンの定理から政策目標と政策手段の数の関係は明らかなんですが、それでは、どの政策手段をどの政策目標に割り当てるべきかは明らかではありません。ひょっとしたら、とても適当な政策割当てでも政策目標を達成できるのかもしれませんが、やっぱり、効率的な割当てが存在するであろうコトは容易に想像されます。
例えば、最近、時折、耳にする考え方で、構造改革が格差を拡大したのだから、そろそろ、格差是正のために構造改革を止めたらどうか、というのがあります。これなんかは政策手段の割当てを間違えた典型的な議論だと思います。つまり、格差是正の政策目標に対して、構造改革を止めるという政策手段を割り当てるのは、とても奇怪な議論だからです。格差是正のためには構造改革をストップさせることより、もっと適当な政策手段が存在することは、誰の目にも明らかです。
バブル崩壊からの日本の失われた15年に関する分析では、私はほぼ完全にリフレ派の議論が正しいと考えています。特に、今世紀に入ってからのデフレ対策として、金融政策を中心とするマクロ政策を割り当てなかったのは、私にはまったく理解不能です。マクロ政策とは1930年代の大不況時にケインズなどにより考案され、デフレのような経済状況を打破するためにこそあると私は考えているからです。逆にいうと、構造改革政策をデフレ脱却に割り当てるのは政策割当てとして、明らかに間違っていると考えています。デフレ脱却のためには需要拡大が必要であり、そのためにはマクロ政策を割り当てるべきであるのは、あまりにも明らかです。
ただし、マクロ政策により景気変動を完全に除去することを目指すのは非現実的だとも私は考えています。今まで、そんなことに成功した例は見当たりません。そこまでのファインチューニングを期待することは出来ないにしても、1930年代の大不況や最近時点で日本が経験したようなデフレにはマクロ政策は一定の有効性を持つと私は考えていますし、そう考えるエコノミストはいっぱいいると思います。

構造改革とは定義のはっきりしない政策です。通常のエコノミストは供給サイドの強化だと考えているように見受けられます。あるいは、生産関数における技術進歩を促進し、全要素生産性を引き上げる政策ともいえます。だとすると、需要不足でデフレギャップが拡大したことに起因するデフレ状態を脱却するために構造改革を割り当てるのは適当ではない可能性がとても高いです。構造改革を進めても需要は拡大しないからです。短期的には可能性は低いかもしれませんが、むしろ、供給が増加してしまって、デフレギャップが拡大することすらありえます。構造改革は長期的な経済成長のために割り当てるべきであり、短期的な景気循環には割り当てるべきではありませんし、デフレ対策のような需要拡大にはまったく無力であるとすらいえます。
しかし、どうも、現実に進められている小泉政権の構造改革とは供給サイドの強化ではないように私は感じています。郵政民営化が構造改革の本丸といわれるのですから、どうも、この小泉政権の構造改革は供給サイドの強化ではないような気がします。むしろ、小さな政府とか「官から民へ」の方で、政府のサイズを小さくすることなんではないかと私は考えています。これは、広義の、というか、通常理解されている構造改革の部分集合をなすものなもかもしれませんが、少し違う気もします。いずれにせよ、通常理解されている構造改革はもちろんのこと、小泉政権下で進められている政府のサイズを小さくすることを目標にするような構造改革も、需要を拡大しないんですからデフレ対策に割り当てられるべき政策ではありません。

構造改革とはデフレギャップが解消され、デフレ脱却が視野に入ってきた現在こそ、長期的な経済成長を促進する政策として割り当てられるべきであると私は考えています。

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2006年7月27日 (木)

観光立国は何を目指すのか?

先日、メガバンクに勤務する知り合いから、地銀の担当者を招いて観光立国に関するセミナーを開催するから、資料にコメントを欲しいといわれてコメントし、今日も改めて意見交換をしてきました。しかし、この知り合いは私が観光立国にとてもネガティブなのを知らないらしく、今日は今日で、その人の上司がいたのでそれなりに評価しておきましたが、そもそも、私は観光立国の目標が間違っていると考えています。
まず、いただいた資料の冒頭で、日本人が外国を旅行する場合の人数国際旅行収支とその逆の日本に外国人が来る場合の人数や国際収支の統計が引用され、人数では3倍、金額では10倍近い差があるとなっています。要するに、日本人が外国に行く方が人数も観光に使う金額も大幅に多くて、日本に来る外国人の人数などが少ない訳です。しかし、これはしょうがないことです。一言でいえば、日本には観光については比較優位がないと考えられるからです。常識的な推論の結果だと思います。
よくいわれるように、為替相場は貿易財の相対価格で決まります。ですから、バラッサ・サムエルソン定理じゃないですが、日本は生産性上昇率が高いので、全体をバスケットとした場合よりも、貿易財だけをバスケットとする為替相場は円高になってしまいます。貿易財では国際競争力が十分にあるからです。逆にいえば、貿易財で決まる為替相場を基準にすれば、非貿易財の国際競争力はありません。当然です。そして、観光サービスは典型的な非貿易財です。貿易財でメチャメチャな貿易収支黒字を計上しているんですから、観光サービスでは赤字を計上するのは当たり前です。ですから、観光立国が目標とすべきであるのは国際旅行収支の均衡ではありません。そもそも、まっとうなエコノミストは、部門ごとに国際収支が均衡する必要があると考えません。
ですから、観光立国の政策は私から見れば単なる観光サービス産業の振興政策でしかありません。観光から利益を得る業界と、その業界を所管する官庁我田引水的に政策リソースを得るために打ち上げているだけで、私には特に政府をあげて推進すべき重要政策にはとても思えません。逆に、比較優位のない産業分野の振興なのですから、政策リソースを投入するのは慎重であるべきだとさえ思っています。
もちろん、メガバンクや某国策銀行なんかが地方に立地する観光地のうち、少し前までさびれていたところを、実にうまく再生させた例も知っていますが、それは、ある意味では当然のことで、どんな事業分野でも、うまく行くところはうまく行きますし、淘汰されて潰れるところは潰れます。成長分野で比較優位にある産業でも、すべての企業が順調に成長するわけではありません。有望分野の産業の中でも失敗する企業もありえます。私のような単純なエコノミストが比較優位がないと切って捨てるような観光サービス産業の中にも、成功して高収益を上げる企業もあります。産業としての国際的な比較優位と個別の企業の収益性は関係がありません
このような観点から、私は観光や歴史的な文化保存のための建築規制懐疑的に見ています。観光のために、あるいは、歴史的景観保存のために、例えば、建物の色や高さを国や自治体が規制すべきとは思いません。例えば、観光のために景観を保存するのが、その方が生産性や効用が高いのであれば、そのような街づくりが民間主体で行われるでしょうし、景観を無視して生産性の高い殺伐とした建物、例えば、容積率の高いオフィスやホテルの方が効用が高いのであれば、そのような街になって行くであろうと私は考えています。この自然な流れを民間経済主体よりも中央・地方の行政の方がよく理解しているとの証拠はどこにも見当たりません。さらにいえば、その自然な流れを無視して、行政が不自然な景観保存をするのは合理的ではありません。

要するに、観光立国でも何でもそうなんですが、政府や自治体に助けてもらわなければ失敗するような事業に政策リソースをつぎ込むのは意味がないと私は考えています。政策リソースを必要としない活動こそが重要なのであって、その意味で、ハーバード大学のバロー教授のいうように「政府は経済には何もするな」は個別の産業分野に政府が介入しようとする場合は、まったく正しいと思います。
もっとも、マクロ経済の安定化公共財の供給などとともに政府にしか出来ないことですので、別途、この分野は日を改めて考えたいと思います。

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2006年7月26日 (水)

国家財政が持続可能でないと何が起こるのか?

七夕の日に骨太2006が閣議決定されました。その中では、歳入歳出一体改革がメインだったと思います。現在、日本政府の財政状況はとても厳しく、ストックとして、公債残高はGDPの2倍に近づきつつあり、さらに、フローとしても、毎年15兆円を大きく超えるプライマリーバランス赤字を垂れ流し続けています。いくつかの実証研究では、我が国の財政は持続可能ではないとの結果が出ていたりします。
気になるのは、それでは、このまま財政赤字を垂れ流し続ければどうなるのか、です。専門用語でいうとポンジーゲームになります。一般用語でいうとねずみ算的に、あるいは、雪だるま式に公債=借金が増加します。要するに、財政が破綻するわけなんですが、では、財政が破綻するとどうなるんでしょうか。あるいは、より正確には、私の今夜のブログのタイトルなんですが、国家財政が持続可能でないと何が起きるんでしょうか。わざわざ持続可能でないといい出したのは、すぐに破綻するとは限らないと私は考えているからです。
私が重要だと考えるポイントを先取りすると2点あります。第1に、国家財政が持続可能でなくても、すぐに破綻するわけではなく、一定の期間は公債金利がやや異常に高い、くらいの経済状態が続く可能性があることです。第2に、この一定の期間を経て財政が破綻すれば、その国の経済はインフレデフレかのどちらかになる可能性が高いです。必要な財政資金をどのようにファイナンスするかで、インフレになるか、デフレになるか、が違ってくると考えられます。
それから、国家財政の持続可能性とは一般的な概念であり、特定の国のみに当てはまるものではないんですが、それはそれとして、一応、バックグラウンドは日本にするのが適当だということを強調しておきたいと思います。我らが母国ですし、情けないことに、主要先進国でもっとも財政が持続可能でないと考えられているのが日本だからです。それから、我々は国債との呼び方に慣れていますが、今夜のブログでは公債と称します。大きな理由ではないんですが、その方がエコノミストっぽいからです。

一般的な議論ながら、日本を念頭に置くとして、第1に、国家財政はサドンデスではなく、じわじわと破綻に至る可能性があります。例えば、幸田真音さんの小説なんかではマーケットトレーダーの一部が陰謀的にわざと公債を買わなくなるところから物語が始まりますが、財政が持続可能でないと市場で判断されれば、一部の動きではなく、市場全体として公債に対する需要が減少しますから、公債の価格は下落し公債金利は上昇します。財政破綻とは公債価格が実質的にゼロとなり、そのために、公債金利が実質的に無限大になる現象であると解釈されます。
では、公債価格の下落と公債金利の上昇は何を判断材料にするべきかといえば、公債に代わる安全資産の金利よりも公債金利の方がプレミアムを市場に要求されることです。公債に代わる安全資産が何かはよく分からないんですが、例えば、トヨタが社債を発行しているかどうか知らないものの、トヨタの社債だとすると、公債金利にプレミアムを要求されてしまうわけですから、トヨタの社債よりも公債の金利の方が高い状態になります。要するに、この例では、トヨタよりも日本国政府の方がデフォルトのリスクが高いと市場で判断されれば、市場は公債金利にプレミアムを要求し、公債金利の方がトヨタの社債よりも高くなってしまうわけです。
これが国家財政が持続可能でなくなるシグナルだと私は考えています。そして、市場の金利体系は公債に代わる安全資産アンカーにして、そこからのリスクに従ったプレミアムをつけることになります。現時点では想像するのも難しいことですが、ありえることだと思います。市場では公債金利に寄せる形で、いろんな資産の金利がかなり上昇することが考えられます。すると、個人消費や設備投資に高金利がデフレ的なプレッシャーを及ぼし、さらに、政府部門の資金調達が難しくなる可能性もありますから、需要面から経済成長は落ち込むことになります。当然です。ただし、GDPベースでデフレギャップが発生すると考えられますが、この時点で、インフレになる可能性はほとんどありません。この期間は、ひょっとしたら5年くらいは続く可能性があります。もちろん、日本人のい大好きなパニックシナリオでは1週間ほどで国家財政が破綻する可能性もあります。
では、続いて、公債金利が実質的に無限大になる財政破綻が生ずると何が起こるのでしょうか。まず、政府や公的部門にほぼ一瞬にして資金がなくなりますので、必要とする財貨やサービスをまったく購入することができなくなります。もちろん、税収はそれなりに政府歳入の大きな部分を占めていますから、政府部門のすべての資金が一瞬にしてなくなるわけではないという人もいるでしょうが、これだけの公債残高を抱えて借換債で自転車操業しているわけですから、新発債はもちろん、借換債もまったく発行できなくなり、政府にお金は残りません。公務員としていわせてもらえば、公務員給与はトッププライオリティでお支払いいただきたいのですが、その時点で、どうなっているかは分かりません。ひょっとしたら、給料未払いのまま自宅待機になる人も多いんではないかと思います。
おそらく、まずは、政府支出が一気にゼロになります。次に、政府資産の投売りが始まります。3番目に、ここで選択肢が出てきます。増税するか、公債を日銀に引き受けさせるかです。
まず、順序が逆なんですが、後者の公債の日銀引受けを考えると、短期間は一種の錯覚が働くかもしれませんが、日本経済は一気にインフレに陥ります。しかし、場合によっては、1-2年の余裕があり、この間に増税案の取りまとめと国会での採決やその税法の施行が可能になる可能性もあります。でも、現在のようなスピーディーな世の中では少しムリがあります。ではどうなるかというと、公債に続いて円紙幣が紙くずになります。大幅なインフレになり、結果的に円安になり、輸入代金が支払うために経常収支が大幅な赤字となり、最悪の場合はIMFの介入を招くことにもなりかねません。ですから、これはとっても危険な道であるといえます。
それでは、前者の増税ということになります。一般的なお話といいながら、日本で考えると、少なくとも10兆円以上の増税が必要になります。臨時国会を開会してすぐに採決し、即日に実施となる可能性すらあります。ここで野党がヘンな動きをすると国民から大きな批判を受けかねません。でも、ホントに批判されるべきは財政を破綻に導いた与党なのかもしれません。大幅増税ですから、デフレギャップが大きく拡大し、日本経済はふたたびデフレに突入する可能性があります。この場合はインフレにはなりません。

ここまでが私の想像です。しかし、最後になってしまいましたが、この大きな前提外債がないことと、公債の所有者は居住者であると仮定していることです。あるいは、もう少しキチンといえば、外貨準備の範囲で無視できるほど外債や非居住者の公債保有が小さいことを前提にしています。まだ、考えをまとめ切れていないんですが、外債はもちろんのこと、円建て公債であっても、非居住者が保有していると何かが起こりそうな気がします。繰返しになりますが、私自身で考えをまとめ切れていません。

以上。政府財政が持続可能性を失うと、公債金利にプレミアムを要求され、結果的に、高金利を招来することから、経済的にデフレ的な圧力が加わること、そして、政府資金の調達のために公債の日銀引受けを行うとインフレになること、これを嫌えば、大増税を行わざるを得ないこと、その結果、大デフレに陥るのであろうこと、など、最後に読み返してみると、我ながらとても常識的で、この通りなんだろうと思います。余り聞かない私のオリジナリティを発揮したのは、一気に公債市場がサドンデスするのではなく、ひょっとしたら、5年くらいはチンタラと公債金利がプレミアムを要求される状況が続く可能性を指摘したことくらいでしょうか。また、最後に、国家破産の考え方もありますが、小国の仮定を取れない先進国では実質的に不可能だと思います。
すごい長いブログを30分足らずで一気に書きましたので、細かな点で間違いがあるかもしれません。

コメント歓迎です。

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2006年7月25日 (火)

大学生はどうして勉強しないのか?

よくいわれることですが、日本では大学に合格・入学するのがとても難しくて、大学生活はレジャーランド化しており、大学を卒業するのはとてもやさしくなっています。卒業せずに中退するのは、何らかの特別の事情がある人に限られているように見受けられます。入学と卒業なんかについては、米国の大学事情とは逆だとよくいわれています。
ではどうしてこうなったのかといえば、一言でいえば、企業のニーズがそうなっているからです。日本では終身雇用と呼ばれた長期雇用が高度成長期から一般化し、仕事に必要なスキルは大学で身につける必要はなく、企業に就職してからOJTで習得すればいいとされていたからです。大学の4年間で身につけられるものは限りがありますが、就職してから延々と30年以上あるわけですから、大学で高度なスキルを身につける必要がなかったわけです。
逆に、企業の方は大学レベルのスキルはそんなに必要としていませんから、就職してからの30年以上にわたる社会人としての職業生活への適応力や潜在力、可能性などの方が重要になります。それを測るモノサシとして、大学で何をやったかではなく、どの大学を出たかを参考にする場合がありました。私が就職活動をした20年以上も前には、指定校制度なんて当たり前でした。就職活動の際に、在学している大学で足切りをするわけです。今では大学名を志望シートに記入する必要のない企業もあるらしいですから、時代は大きく変わったものです。終身雇用制度が崩れつつあるのかもしれません。
私自身の在学当時から薄々は感じていたんですが、京都大学経済学部は勉強する必要のない最たる大学であったような気がします。まず、私は受講する講義登録したことはありません。ゼミナール外国語経済書購読は登録する必要があったような気がするんですが、大部屋での講義は登録しませんでした。自由にどの講義でも受講することが可能だったといえば聞こえはいいんですが、自由に選べたのは講義ではなく、実は、試験の方でした。
どんな大学でも、講義が重複することはあるわけで、例えば、水曜日の2コマ目の授業で裏番組と呼ばれる複数の講義が重複することはありえます。しかし、講義の登録をしませんから、試験時間が重複していなければ、講義時間帯が重複していても試験は受けられることになってしまいます。試験は1ヶ月近くにわたって執り行われますので、試験の重複は1週間に詰め込まれざるを得ない講義の重複より格段に少ないですから、重複する講義の試験を受講することは十分に可能でした。私を含めて、実際に、そうしている人はかなりいたと思います。

私自身は、大学の卒業というより、就職する際に、公務員試験を受けていますので、それなりに大きなことをいう権利があるような気もしないではありませんが、当時の京都大学経済学部はかなりいい加減だったのは確かであると記憶しています。それもこれも、終身雇用と呼ばれた長期雇用慣行の下で、大学のカンバンで就職先が決まるシステムになっていたことが大きな原因です。決して、京大生が怠け者だったわけではない、と言い訳して、今夜のブログを安直に終わります。
今夜のブログも、一応、評論していますので、経済評論のブログに分類しておきます。

なお、今夜のブログの正しいタイトルは京都大学経済学部生はどうして勉強しないのか?なのかもしれませんが、そこは大目に見て下さい。

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2006年7月24日 (月)

事前の確率分布と事後の実現値の確率

時折、エコノミストは経済や景気の先行きについて見通しを聞かれたりします。エコノミストの中にはこの景気見通しを専門にしている人もいたりします。実は、私も若いころは役所の中でそれなりに景気の先行きについて発言していたりしたんですが、1980年代末のバブル景気の時期に弱気の見通しを連発して、その後は相手にされなくなりました。特に、平成元年度ですから、1989年度の当時の経済白書を政府各省庁で取りまとめる際に、永遠の景気拡大が続くわけではないと、景気循環の変容に関する部分に反対を唱えて、その後のバブル景気の時に弱気派と見なされたりしました。バブル崩壊の後も、名誉回復はなされていません。
バブル景気のころは潜在成長率を大きく上回る5%成長を連続で記録していて、私の目からはこの5%成長の持続可能性がとても低く見えていました。当時の日本経済の規模からして、5%成長すると新たに韓国経済を1コ作り出していたのと同じです。そんな経済成長が続くハズはないと考えた私は、低めで弱気の成長見通しを発信し続けて、バブル景気が終わるころに在チリ大使館異動してしまいました。私が日本を離れるとともにバブルは弾け散り、冷夏長雨もあってコメが収穫できずに、タイ米を輸入することになりましたが、チリにいたために私はこれを経験していません。それはそうとして、私がバブル後の景気後退を見通したのは、タイミングが早過ぎたのだと考えています。しかし、事前の確率分布としては、1980年代末か1990年のうちにバブル景気がピークをつける確率も割りと高かったんではないかと思っていたりします。

しかし、あくまで、これは事前に考えられうる確率の分布です。事後的には何が起こっても、起こった事象の確率が1で、起こらなかったその他の事象の確率はゼロです。実例を出すと、サイコロは振る前の事前の確率は、かなり先験的に、1から6まで1/6であろうと考えられていますが、サイコロを振った後は出た目の実現値の確率が1で、その他の確率はゼロです。実証すると、実際にとても多くの回数だけサイコロを振ると、1から6の目の確率がそれぞれ1/6に近くなっていきますが、すべてのサイコロですべての目の確率が1/6であることが実証されたとは聞いたことがありません。でも、あくまで先験的になんですが、サイコロの目が出る確率は1/6と考えられます。
それから、事前と事後の違いではないんですが、すでに起こってしまった事象の確率を新たに起こる事象の確率に影響を及ぼすものと取り違える議論もありえます。例えば、私がチリに異動した後、サンティアゴで知り合った大手総合商社のエラいさんで、お子さんが3人とも男の子だった方がいます。我が家は子供は2人で打止めかもしれないと考えないでもありませんが、この方は大手総合商社の勝ち組ですから、3人目の子供を考えたそうで、その際に、2人目まで男の子だったから3人目も男の子の確率は1/8に違いない、と予想したらしいです。でも、これは間違っています。子供の性別は生まれるたびに1/2であって、その前のお子さんの性別は関係ありません。

話をバブル景気に戻すと、バブル景気がピークをつけたのが1991年2月で、これを境に景気は下降して行くんですが、実際に、これが認知されるのにラグがあり、景気循環の日付を確定するのに、長い時には1年半くらいの検討を要する時もあります。事後的な確率を考えると、バブル景気のピークが1991年2月であることの確率は1で、例えば、その前後の1991年1月や3月である確率はゼロなんですが、相当期間前にバブル景気の転換点を予測する際は、それなりの確率分布で予測するしかないわけです。
事前の確率分布が正規分布しているとは限りませんし、事後的な実現値が事前の確率分布の期待値と一致する保証はありません。トンデモない外れ値である可能性もあります。しかし、当たったか外れたかは実際の実現値で判断されます。例えば、サイコロの6面を1から6ではなく、1が5面にあり、6が1面だけにあるように改造すると、先験的な確率は1が5/6で、6が1/6です。おそらく、通常の見通しではこのサイコロを振って出る目は、1の確率が5/6であるので、1を予測するんでしょうが、もしも、実際に6が出たら、この予測は先験的な確率が高くても、やっぱり、外れたと評価されてしまう可能性がとても高いです。
しかも、多くの場合、エコノミストの景気見通しはピンポイントでなされます。期待値のみが公表されるといっても同じことです。来年度の実質成長率は何パーセントとか、インフレ率は何パーセント、といった具合です。もちろん、経済学は不正確な科学ですから、それなりの幅を持って考慮されるべきなんですが、期待値の周囲に存在する確率分布まで明らかにする景気見通しは、私は寡聞にして見たことがありません。経済見通しの手法による差はなく、段階的接近でも、計量モデルでも経済見通しはピンポイントで算出されます。
事前の確率である限り、景気見通しなどの計数は確率分布であるハズなんですが、そのような取扱いがなされた例はなく、私は違和感を覚えることもあります。もっとも、実務面で、経済見通しをキチンと確率分布で出すとすれば、今のピンポイント方式よりも膨大な手間がかかることも容易に想像されます。見通しの精度が向上するベネフィットと手間が膨大になるコストを比較考量して、ピンポイント方式が採用されている気がしないでもありません。

今夜のブログは長々と私が弱気の方向でバブル景気の転換点の予測を外した言い訳を、エコノミストの景気見通しは確率分布に従う、との観点から書いてみました。あんまり評論はしていませんが、一応、経済評論の日記に分類しておきます。

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2006年7月23日 (日)

ビーバー隊のサイクリングの後、家で人生ゲームをする

今日は朝から下の子のビーバー隊に付き添って、神宮外苑サイクリングでした。いつもの集合場所からラクに2キロはある道のりを、ビーバー隊の子供達と付添いの父兄を合せて、約20人で延々と歩きます。約2週間前の左足ふくらはぎの肉離れが、ようやく治りつつあったんですが、昨日のディズニーランドでかなり悪化した上に、今朝のこの強行軍で完全に痛みが戻ってしまいました。
ビーバー隊の子供達と付添いの父兄も、神宮外苑のサイクリング自転車を借りて、神宮外苑のサイクリング道を走って行きましたが、私は自転車に乗る気もなく、その辺でブラブラして過ごしました。都会のど真ん中の神宮外苑ですが、猛烈な勢いで蚊に襲われます。下の子には虫除けスプレーを大量に撒き散らしておいたのですが、それでも、少し蚊に食われましたし、私もかなり刺されました。そろそろ高校野球の地方予選が佳境に入ってきていて、神宮外苑の野球場でも選手や応援などで高校生がいっぱい来ているので、そちらの若い血を狙ってくれてもよさそうなものですが、所詮は昆虫の知能程度ですから、ついつい、私まで刺されてしまいます。
我が家の下の子は幼稚園最後の年の夏休みに補助なし自転車に乗れるようになったんですが、ビーバー隊の幼稚園から小学2年生までの子供達が10人余りも集まると、1-2人は補助なしの自転車には乗れない子がいるもので、そのような子を対象にした自転車教室も開催されています。私は足が痛くて自転車に乗らなかったので、この自転車教室の子供さんに付き添っていました。もちろん、サイクリングの貸出し自転車と同じところがやっています。無料で自転車を貸してくれたり、自転車の乗り方教室を開いてくれたりしてくれます。競輪収益金の補助事業だそうです。相当の年配の方々でしたが、やっぱり、態度が横柄で、役所や団体もOBの方の再就職には気を遣っていることがよく分かりました。
昼食は神宮外苑の絵画館の前の噴水の近くでオニギリでした。我が家からは下の子が3個、私が6個、合計で9個持って行きましたが、下の子が5個も食べてしまったので、私には4個しか回ってきませんでした。
足が痛むので、戻りの強行軍には付いて行けそうもないと直感的に判断し、昼食も少ないと不満があったので、下の子をビーバー隊に残して、私だけビーバー隊から離れて少し早めに最初の集合場所に戻ります。途中で喫茶店に入って、チーズトーストで昼食の不足を補います。食べ終えて、「ヒストリアン」の次に読み始めた経済書が面白くて、ついつい、喫茶店に長居して読み終えてしまったりします。
最後に、我が家の下の子は2年生ですから、この夏休みでビーバー隊を卒業して、9月からカブ隊に入るのですが、そのカブ隊に入るためのお勉強があります。ボーイスカウトの歴史とか、カブ隊の決まりとかを教わります。これが1時間ほどかかります。

夕方に家に戻ると、お兄ちゃんから人生ゲームをしようと誘われます。おにいちゃんは夏休みに入る少し前からハリー・ポッターにハマり出して、第1巻「賢者の石」をすごい勢いで読み進んでいたのですが、今日は、日曜日でもありますし、「賢者の石」を少し読んだ後に、気分転換でゲームの提案です。ここで、下の子がハンディを要求します。我が家ではハンディとは呼ばずにズルと称します。結局、お土産カード1枚で決着します。
人生ゲーム私と子供達の3人で人生ゲームを遊びます。おにいちゃんは医者になります。下の子は最初はタレントで稼いでいたんですが、途中からフリーター転落します。私は最初フリーターで途中からサラリーマンになります。コマの進み方はおにいちゃんがリードしていたんですが、結局は、前半のタレントの稼ぎを守り切って、また、ハンディの分だけ、すなわち、お土産カードの決算額である10万ドルの差で下の子が逃げ切りました。上の写真は人生ゲームを終えた後、資産額の計算をする子供達です。

夏休みで毎日が日曜日の子供達はいいですが、私は明日は仕事です。

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2006年7月22日 (土)

久し振りにディズニーランドに遊びに行く

今日は久し振りにディズニーランドに遊びに行きました。一家そろって出かけるのは4年振りです。我が家でもっとも最近ディズニーランドに行ったのは小学2年生の下の子なんですが、幼稚園を卒園して小学校に入学する直前の春休みに、卒園した幼稚園のお友達や先生と行きましたので、それでも1年半振りくらいです。4年前に行った時はおにいちゃんも小学校に上がる前の幼稚園児だったわけで、アトラクションの好みが大幅に変わっていることが予想されました。これは如実に変化していました。
4年前に一家そろってディズニーランドに行った時は、キャッスルカルーセル(回転木馬)に始まって、空飛ぶダンボやスタージェットなどの乗り物系に熱心だったのですが、今回はこの3つは見向きもしませんでした。それから、グーフィーのはずむ家で熱心に遊んだ記憶があって行ってみたんですが、おにいちゃんは身長制限に引っかかって、すなわち、大き過ぎるので遊ばせてもらえませんでした。でも、下の子は制限内でしたのでしっかり遊んできました。

我が家はマイカーがありませんので、電車でディズニーランドに行きます。八丁堀で京葉線に乗り換えて舞浜駅から歩いてディズニーランドに行きます。シンデレラ城を通って、まず、ホーンテッドマンションに行きます。4年前はホラー系のアトラクションは見向きもされなかったんですが、今回はいきなりホラー系から始めます。しかも、途中の乗り物は親と子で2人ずつ別れて乗ります。子供達で一組、夫婦で一組です。子供達だけで乗ることに恐怖は感じていないようでした。
それから、グランドサーキット・レースウェイレーシングカーに乗ります。おにいちゃんは1人で乗り、下の子は女房と乗ります。私はあぶれたので写真撮影に専念します。3番目は下の子が行きたがったグーフィーのはずむ家に行ったんですが、身長制限でおにいちゃんは遊べなかったのは出だしで書いておきました。午前中最後のアトラクションはバズ・ライトイヤーのアストロブラスターに挑戦しました。これも子供達と夫婦の乗り物を別れて、光線銃を撃ちまくります。おにいちゃんが25700点、私が7000点、下の子が6800点でした。女房はダントツのビリになってしまいました。高得点の的を見分けられなかったらしく、これは当然です。
午後からは、まず、蒸気船マークトウェイン号に乗ります。大きくて3階もある外輪船で、我が家は一番上の階に上り、しかも船の先頭に陣取ります。眺めはとてもよかったです。蒸気船の後はいかだでトムソーヤ島に渡ります。インジャンジョーの洞窟を冒険したり、キャッスルロックで暴れ回ったり、たる橋を渡ったりして遊びます。もう一度、ホーンテッドマンションに入ります。ホラー系のアトラクションをここまで好きになっているとは、とても意外でした。
おやつタイムの休憩で、スタージェットの下のスペースプレース・フードポートかき氷を食べます。女房をここに残して、私と子供達はもう一度グランドサーキット・レースウェイに行き、子供達だけでレーシングカーに乗ります。女房の待つスペースプレース・フードポートに戻ってパレードを拝見します。途中から見たので、何のパレードかはよく分かりませんでした。シンデレラやミニーが出ていたのでお姫様系かもしれません。最後に、スター・ツアーズに行き、スタースピーダー3000で宇宙旅行に挑戦します。しかし、とても揺れが激しくて、下の子は平気でしたが、私とおにいちゃんと女房はしっかりと乗り物酔いしてしまいました。特に、おにいちゃんがひどくて、外のベンチで横になって休憩させなければなりませんでした。
夕方にディズニーランドを出て、わざわざ、ディズニーリゾートラインに乗って舞浜駅に戻り、来た時とは逆の経路で家に帰ってきました。

昨年9月の浅草花やしき以来の遊園地遊びで、やっぱり、くたびれましたが楽しかったです。1年に1度くらいは遊園地にも行きたいものです。男の子2人ですから、この先5年もすれば遊園地なんて見向きもされなくなるような気がしますので、今のうちにせっせと遊園地遊びもしておきたいと思います。
下の写真はディズニーランドのヒトコマです。右のはパレードの模様です。

ディズニーランド  ディズニーランド

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2006年7月21日 (金)

大いに期待外れの「ヒストリアン」

エリザベス・コストヴァヒストリアン」(NHK出版)を読み終えました。
今まで、私は仕事の上での参考図書というか、経済関係の本以外の、特に、小説については、読み終えた時に読後感想文とでもいうのか、何冊かこのブログでも取り上げて論評して来ました。本の名前だけ上げると、「土の中の子供」、「巨大投資銀行」、「容疑者Xの献身」、「沖で待つ」、「ダビンチ・コード」、「ハリー・ポッター」などです。何となくの概算なんですが、今年に入ってからは月に1冊くらいのペースで小説を読んでいるような気がします。そして、たぶん、この3-4倍くらいの経済書を読んでいるんでしょう。経済書についてはこのブログで論評したことはありません。
それから、「土の中の子供」を除いて、そんなに酷評したことはありません。というか、少なくとも明々白々たる酷評であると誰の目にも分かるような酷評はしたことがありません。ひとつだけ例外があって、アマゾンのレビューに「巨大投資銀行」の書評を投稿して、それがネットに掲載された当日にその作者の方とランチをごいっしょする機会があったんですが、ものすごい勢いで反論されました。4つ星をつけましたし、明々白々たる酷評を避けて、かなり慎重な書き方をしたつもりだったんですが、中身はキツい酷評であることに気づいておられたんだと思います。さすがにベストセラー作家だけあって、文章の読み方がするどいものだと感心した記憶があります。一度このブログでも自慢したことがあるんですが、私のレビューは「巨大投資銀行」(上巻)のアマゾンでダントツでもっとも読まれているレビューです。でも、中身が酷評なので、参考にして下さっている人の比率は高くありません。

さて、今までのやや甘めの書評に対して、今回読んだ「ヒストリアン」だけは、どこからどう見てもほめる点が見つかりません。最近10年くらいに読んだ最低最悪の小説だといえます。もっとも、経済書の中ではトンデモ本がかなりありますので、そういった本を買ったり読んだりしたことはありますが、趣味の小説でここまで外したのは本当に久し振りです。私が今まで甘い書評を繰り返してきたのは、自分の選択に少し甘めの点を与えていることでもあったんですが、この本だけは失敗だったと思っています。確か、丸の内オアゾにある丸善で買ったような記憶があるんですが、何にひかれて買ったのか、今となっては思い出せません。中身はつまらないし、本は分厚くて重いしで、何もいいところがありませんでしたが、中身がヒドいのでズンズンと読み進む気になれず、時間潰しにはよかったかもしれません。後、あえて申し上げれば、昼寝の枕になるくらいの厚さかもしれません。役所用語なんですが、財務省の作製する予算案を1冊に取りまとめて印刷した本があり、実に適切にも「マクラ」と呼ばれています。ホントは何という正式名称だったのか、まったく覚えていませんが、「ヒストリアン」もちょうどそんなもんです。
中身はドラキュラものです。ドラキュラがまだ生きていて、独特の装丁の本を歴史学者=ヒストリアンに配布している、とのストーリーで、主人公がアチコチ旅行しては、そのドラキュラの配布している本を入手したヒストリアンと出会うお話しです。特に、キリスト教趣味でもなく、メフメト2世に忠誠を誓うイスラム教徒も反ドラキュラの観点から主人公に協力したりするんですが、要するに、ストーリーが荒唐無稽でメチャクチャなわけです。
訳者の後書きによると、発売とともに全米ベストセラー第1位となり、累計100万部を売り、世界33カ国で翻訳さているそうです。ドラキュラを扱っているのに、そんなにスリルもないし、もちろん、ホラーというわけでもなく、ストーリーの展開もチンタラしていて「ダビンチ・コード」のスピーディーな展開で、一気に読ませるのとは大違いですし、何よりも、主人公のキャラが立っていません。主人公の影がとても薄いわけです。ドラキュラの影も薄いです。かなり古い手紙を主体にストーリーを進めている部分もあり、とても読み進むのがまどるっこしいところもあります。要するに、一言でいってつまらないわけです。

このようなさえない小説を買い求めてしまった不明を恥じて、これからはお仕事の上からも必要な経済書を中心に読み進もうと考えていますが、取りあえず、手元には先日買った森絵都風に舞いあがるビニールシート」が手元にありますし、来月8月10日には文藝春秋9月号で芥川賞を受賞した伊藤たかみ八月の路上に捨てる」が掲載されるので、選評とともに読みたいので、やっぱり、読書の方も夏休みで、経済書から小説も読みたくなってしまいます。

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2006年7月20日 (木)

夏休みの推薦図書にソフトウェアを!

今日は我が家の子供達が通う小学校の終業式でした。明日から夏休みが始まります。通信簿とともに夏休みの宿題を持ち帰ってきました。本を読んで感想文を書くのも含まれています。
ということで、今夜のブログは夏休みの読書についてです。でも、さすがに、小学生の夏休みの課題図書はよく分かりませんので、主として、エコノミストや大学の経済学部生の読むような本に関してです。
我が家の子供達の課題図書だけでなく、今年に入ってから開設されたようなんですが、最近発見したハーバード大学マンキュー教授ブログでも夏休みの推薦図書を取り上げていました。5月10日のブログと、夏休みよりかなり早い段階のブログで取り上げたりしていました。
以下に引用します。

  1. Milton Friedman, Capitalism and Freedom
  2. Robert Heilbroner, The Worldly Philosophers
  3. Paul Krugman, Peddling Prosperity
  4. Steven Landsburg, The Armchair Economist
  5. P.J. O'Rourke, Eat the Rich
  6. Burton Malkiel, A Random Walk Down Wall Street
  7. Avinash Dixit and Barry Nalebuff, Thinking Strategically
  8. Steven Levitt and Stephen Dubner, Freakonomics
  9. John McMillan, Reinventing the Bazaar
  10. William Breit and Barry T. Hirsch, Lives of the Laureates

1冊目と2冊目はエラく古い本だったりしますが、まあ、マンキュー教授にしてみれば、古典に近い扱いで考えているのかもしれません。割りと最近に私が読んだことがあるのが3冊ほど含まれています。赤い色で色付けしてあります。3冊目のクルーグマン教授の本は、和訳では、「経済政策を売り歩く人々」として発行されています。6冊目のマルキール教授の本も「ウォール街のランダムウォーク」として和訳されていますし、8冊目は割りと最近に少し話題になった「ヤバい経済学」です。
この季節ですから、日本評論社から出ている「経済セミナー」やいろんな経済学系の雑誌なんかでも夏休みの推薦図書を特集していたりします。もちろん、大学の先生方も講義の受講生やゼミ生なんかに推薦図書や課題図書なんかを出したりしているのかもしれません。それとも、すでに前期試験を終えた大学なんかでは、すっかり夏休み体制に入っていたりするんでしょうか。
こういった推薦図書や課題図書は学部生を対象にしている場合が多いからなんでしょうが、ソフトウェアの図書が全然取り上げられないのを、昔から私は不思議に思っています。学部生レベルであればともかく、経済学は経験科学であり、実証科学なんですから、世間に出回っているデータを基に、何らかのソフトウェアの助けを借りて、実証しなければつまらないと私は考えています。もちろん、延々と理論で詰めていくのもそれなりに面白いんでしょうが、私は平凡な公表データから小難しげな数式のモデルを組み立てて、大向こうがあっと驚くような実証結果を示すような研究が大好きです。
ここの肝は、第1に、平凡な公表データを基にすることです。独自アンケートを実施したりして、自分しか持っていないようなデータを基にするんでは、とてもオリジナリティあふれる分析が可能なのは当然で、そういうんではくて、ありふれたデータを基にすることを重視しています。第2に、数式を基にしたモデルを組み立てることです。ジャカルタでエコノミストの活動をした記憶で、やっぱり、数学や数式は英語を上回る国際言語だということを実感しました。お互いに母国語ではない英語でやり取りするよりも、数式で書き表すことの便利さを実感した次第です。

経済学をより深く理解するためには実証が必要であり、そのためにはソフトウェアに関する知識が欠かせません。経済学でよく利用されるソフトウェアは、SPSS、SAS、TSP、RATS、EViews、GAUSSなどでしょうが、昔のフォートランなんかと違って、これらのソフトウェアの解説本は経済学の入門書としても、それなりの役割を果たす場合があります。でも、夏休みの推薦図書に入らないのは、私にはとても不思議です。せめて、Excelなどの表計算ソフトくらいは使いこなせるように、それなりに、大学などで勉強する必要があるようにも思います。

ひょっとしたら、日本では実証よりも理論を重視する傾向があるのかもしれませんが、私は経済学の世界で実証の占める役割をより重視し、その観点から、ソフトウェアへの理解をより進めるべきであると考えています。
一応、今夜のブログは経済評論の日記にしておきます。

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2006年7月19日 (水)

シャア・アズナブルに関するメモ

少し前にお約束したシャアに関するトリビアな日記を書こうと思って、簡潔な紹介の記述をネットでいくつか探してみたんですが、やっぱり、Wikipediaのがよかったので、以下にそのまま引用します。

シャア・アズナブル(Char Aznable)は、「ガンダムシリーズ」のうち、アニメ『機動戦士ガンダム』にはじまる宇宙世紀を舞台にした作品に登場する、架空の人物。(声:池田秀一)

モビルスーツパイロット・軍官・思想家として、類い希な能力を発揮した人物。宇宙世紀を舞台とした「ガンダムシリーズ」の最重要人物とも言える存在であり、自信に満ちた言葉とそれに見合う実力を持ち、戦闘での強さ、持っている信念、どれをとってもその存在感は他のキャラクターを圧倒している。日本のアニメのキャラクターで1、2を争う程人気は高い。

今日のトリビアなブログは、これ以降の記述でもWikipediaに大きな部分を負っています。
まず、シャアの生まれと名前の変遷です。シャア・アズナブル宇宙世紀0059年に、ジオン共和国の創始者であるジオン・ズム・ダイクンとトア・ダイクンを父母として生まれます。幼名というか、本名はキャスバル・レム・ダイクン(Casval Rem Deikun)です。シャア9歳の年である宇宙世紀0068年に父であるジオン・ズム・ダイクンが死に、ザビ家による迫害を受けたため、シャアは宇宙世紀0069年地球に逃れます。このころは、父のよき理解者であったジンバ・ラルの庇護の下、南欧のマス家に養子に入ったか、あるいは、ジンバ・ラルがマス家の名を購入したかして改名し、エドワゥ・マス(Edwow Mass)を名乗るようになります。シャア15歳の年である宇宙世紀0074年に、最後の名前であるシャア・アズナブル(Char Aznable)と名を変え、生まれ故郷であるサイド3に帰還し、ジオン士官学校に入学します。この改名については、死亡したシャア・アズナブルという実在の人物の戸籍を不正に入手したとされていますが、ちゃんとアズナブル家に養子に入ったなどとする説も存在します。要するに、よく分かりません。地球連邦政府との一年戦争の後、宇宙世紀0084年9月にはアクシズで開発されたモビルスーツの新素材ガンダリウムγを携えて地球圏に帰還し、非合法にクワトロ・バジーナ(Quattro Vageena)という戸籍と地球連邦政府軍の大尉の軍籍を取得し、エゥーゴという名の反地球連邦政府組織に加わります。最後に、やや唐突なんですが、宇宙世紀0092年12月に新生ネオ・ジオンの総帥シャア・アズナブルとして復活します。宇宙世紀0093年にはアムロ・レイとともに消息を絶ちます。

地球連邦政府軍との戦争に突入する前は、士官学校入学後はジオン公国で過ごすことになるんですが、ジオン公国では正体がばれるのを隠すため、常に仮面をつけ顔を隠しています。これは顔に火傷があるためと本人は説明しています。もちろん、実際にはそのような傷はありません。
なお、ここで、最初はジオン共和国だったのが、ジオン公国になっているのをお気づきになったでしょうか。シャアの両親が地球周回軌道上で地球からは最も遠い月の裏側に位置するサイド3宇宙世紀0058年共和国を創設したんですが、その10年後、宇宙世紀0068年に創設者であるジオン・ズム・ダイクンが死に、その翌年の宇宙世紀0069年にデギン・ソド・ザビがジオン公国を宣言し、彼をはじめとするザビ家一党による独裁国家となりました。公国ですから、形式的には元首は公王のデギン・ソド・ザビなんですが、実質的にはその息子のギレン・ザビ総帥が権力を掌握しています。地球連邦政府からの独立のために、一年戦争で地球連邦政府に宣戦を布告して、ガンダムの戦闘シーンが始まるわけです。

このパラグラフから地球連邦政府軍などとの戦争の始まりです。シャア20歳の宇宙世紀0079年にジオン公国が地球連邦政府から独立するために宣戦布告し一年戦争が始まります。シャアは中尉としてドズル・ザビが率いる宇宙攻撃軍に所属し、モビルスーツのエースパイロットとして活躍します。愛機初期量産型ザクII(型式番号:MS-06C)パーソナルカラーである赤に塗装し、ルウム戦役などで活躍し少佐に特進します。その後、乗機もは量産型ザクII(型式番号:MS-06F)指揮官用ザクII(型式番号:MS-06S)と、その時々の最新機種が与えられることになります。ここで脱線すると、お気づきだと思いますが、先日7月8日のブログで取り上げた下の子が作ったガンプラがMS-06S シャア専用ザク2S型なわけです。先日のブログの写真でもお分かりのように、いわゆるシャア専用のモビルスーツは、若干ピンクがかった赤で塗装されていることで有名です。これは、正確にはワインレッドとローズピンクなんですが、ガンダムの放送当時には、赤いものといえばシャア専用というわけで、例えば「シャア専用郵便ポスト」なんてシャレが出来たりしました。
それはともかく、モビルスーツに関していえば、シャア専用といえばザクが有名なんですが、ザク以外にもズゴックゲルググにもシャア専用があります。また、専用のモビルスーツはシャアだけでなく、ガルマ専用のガンダムもあったりします。
戦争の話に戻ると、一年戦争はその名の通り、宇宙世紀0080年には地球連邦政府とジオン公国との間で終戦協定が締結されて終了します。その後、地球連邦政府から残党狩りにあったりして、まあ、いろいろとあって、宇宙世紀0087年3月にシャアはサイド7にあるグリーン・ノア1に潜入し、ティターンズの新型モビルスーツであるガンダムMk-IIの奪取を図り成功するんですが、この事件が引き金となって、エゥーゴとティターンズとの間で本格的な武力抗争が始まります。グリプス戦役と呼ばれます。
宇宙世紀0088年からの第1次ネオジオン戦争ではシャアの行方は知れません。要するに、アニメ「機動戦士ガンダムZZ」にシャアが登場していないために、詳細が不明なわけです。しかし、宇宙世紀0092年12月に新生ネオ・ジオンの総帥シャア・アズナブルとして復活し、幾度にも渡る戦争を経験しながら、旧態依然としてスペースノイドに弾圧を続ける地球連邦政府に対しての攻撃を示唆し、実際に、宇宙世紀0093年2月末にテレビのインタビューで連邦政府に事実上の宣戦布告をし、第2次ネオジオン戦争が始まります。
シャアの最後は、宇宙世紀0093年3月12日にνガンダムを駆るアムロ・レイとの最後の戦いです。しかし、シャアは結果としてアムロに敗れます。その際、脱出ポッドを捕まえられ、火星と木星の間のアステロイド・ベルトにある小惑星基地アクシズの地球への落下を抑えるアムロと共にサイコフレームの光の中に消えて行きます。このため、アクシズは軌道を変えてしまい、地球に落下させようとしたシャアの作戦は失敗に終わります。その後、アムロとシャアの2人の行方は一切不明とされています。

シャアはその性格もあって、真の親友といえる間柄の人物は存在しなかったようです。士官学校の同級生であるガルマ・ザビに対しては親友であるかのように装っていましたが、それはザビ家への復讐の一手段に過ぎず、シャアはガルマをむしろ見下していた感があります。余りに抜きん出た技量のため、シャアのライバルたり得た、あるいは、シャア自身がライバルと認めたのは、モビルスーツ・パイロットとしてはアムロ・レイ、指揮官としてはブライト・ノア、ニュータイプとしてはカミーユ・ビダンぐらいでした。
一方で、そのずば抜けた実力で部下からは絶対的な信頼と畏怖を受けており、後には、その出自も知られたことから、絶大なカリスマ性を身につけています。このカリスマ性によって第2次ネオジオン戦争では多くのネオジオン新兵を魅了しました。
要するに、やや生意気なところはあるものの、出自はバッチリで毛並みがよく、モビルスーツに入れば戦闘能力や指揮官としての能力が抜群で、とってもスゴい軍人で、思想家でもあるということです。

今夜のブログは前々から書きたいと思っていたシャア・アズナブルに関するトリビアな日記でした。

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2006年7月18日 (火)

エコノミストの夏休みは長いのか?

海の日の3連休が明けて、いよいよ、小学校は明後日が終業式で、今週の金曜日から夏休みに入ります。我が家の子供達が通う小学校では、来週くらいまではプールなんかがあるようなんですが、8月に入れば本格的な夏休みで、小学生は毎日家にいることになります。専業主婦タイヘンな季節となります。

今日、大手証券会社系のシンクタンクのエコノミストとお話をしていて、国内経済政策的には、骨太2006歳入歳出一体改革で財政政策が一段落つきましたし、先週の金融政策決定会合でゼロ金利が解除されて金融政策も一山超えましたので、今週中に概算要求のシーリングが決まれば、大きなイベントはなさそうだ、と話をしていました。エコノミストの同業者ですから、夏休みの話も出たりします。今年の夏休みはエコノミストには長いかもしれません。
マーケットを見ても、今日は、株が売られて債券が買われました。円も売られて円安となり、中東情勢などを背景にした典型的な地政学的リスクの相場となりました。株が売られて債券が買われたのは質への逃避といえます。もっとも、原油を連想させる中東ではなく、北朝鮮などの極東の地政学的リスクが高まったのであれば、もっと日本には直接的な影響が出ることが考えられ、その場合は、質への逃避なんて生易しいことで終わらずに、株も債券も通貨も安くなることが考えられます。いわゆるトリプル安です。現状では、そこまでの地政学的リスクは認識されていないように見受けられます。要するに、中東の地政学的リスクに対して、12日から14日までニューヨーク市場が3日連続で100ドル超の下げを記録したことを背景としていると、私は考えています。
でも、エコノミストの中にはこの地政学的リスク日銀はもっと認識すべきだった、との批判をしている人もいます。実は、このような批判をしているエコノミストも私の知り合いなんですが、この人は、先週金曜日の日銀のゼロ金利解除の当日の夜の番組で、前回の2000年8月と今回と2回のゼロ金利解除の類似点をあげて、どちらもうだるように暑い日だった、といって爆笑をかっていました。でも、私の従来からの主張なんですが、個別のエコノミストが地政学的なリスクを考慮するのには限界があると思います。

おそらく、あくまで、おそらく、なんですが、株や債券などの金融市場に限らず、すべての財の市場において、もしも、市場が効率的であれば、すべての情報を踏まえて市場では価格付けがなされるハズです。というか、逆に、すべての情報を取り入れた形で価格付けがなされるのが効率的な市場である、と定義されます。ですから、効率的な市場によって決められる価格はランダムウォークします。逆にいうと、近所の商店街で相当の期間ずっと同じ価格が付けられている財は、価格がランダムウォークしていませんから、効率的な市場によって価格付けされていない可能性が高いです。
エコノミストは市場の分析をする際に、市場に取り込まれるべきすべての情報を考慮する必要があります。しかし、市場価格が決まる際、すべての情報が同じ大きさのパラメータを有しているわけではありません。効率的な市場価格が変化する場合、情報そのものの変化の大きさとその情報に係るパラメータの大きさをかけ合わせたが市場価格の変化となって、結果をもたらす、と私は考えています。積ですから、情報の変化の大きさか情報に係るパラメータか、どちらかがとても小さければ、この2つの積は小さくなってしまいます。情報の変化の大きさをに、パラメータをに例えることができると思っています。市場へのインパクトは量と質の積なわけです。なお、全然どうでもいいことですが、コミックの「ケロロ軍曹」でケロロ小隊が5人(匹?)そろった時に、ムツミが「地球侵略は掛け算だ。何人そろっても、元がゼロなら結果はゼロだ」といい切りましたが、これと同じです。
話を戻しますと、例えば、不謹慎な話かもしれませんが、人の死を考えて見ます。例えば、テロが起こった時などで、何人死んだのかが情報そのものの変化の大きさ、量です。その上で、誰が死んだのかでパラメータが変わってきます。質です。これまた、ヘンないい方ですが、あえて例えると、多数の重要な人物が死ぬと市場は大きな変化を示すわけです。どうも、量と質をうまく例えにすることが出来なかったので、人の死なんて情報を例にしてしまいましたが、不謹慎さを別にして、お考えいただきたいと思います。

いつものケロロ軍曹に脱線したりして、話が長くなってきてしまいましたが、要するに、市場を分析する場合、すべての情報が市場価格に反映されるとはいいながら、重視すべき情報とそうでない情報があるわけです。重視すべきかどうか、すなわち、市場価格に反映されるかどうかの観点は、情報そのものの変化の量と情報が価格に反映されるパラメータの大きさの質と2つの観点から判断されるべきです。情報の変化の量については、その時々の個別の事情で判断されるべきですが、パラメータの大きさについては、ある程度は、経験的・伝統的に決まってくる場合がありえます。
私は、まず、経験的・伝統的には地政学的リスクは市場価格に影響するパラメータは小さかったんではないかと考えています。もっと大きい要因がいくらでもあるからです。それから、次に、観測される量も観測する主体によって標準偏差が大きいような気がします。とても大きくて危ないと評価する人と、無視して差し支えないような小さな評価を下す人の差が激しいのではないかと思います。いずれにせよ、この観点は私が地政学的リスクを評価する専門家からほど遠いことを正直に反映しているように思います。
ひょっとしたら、最近のように、地政学的リスクがマーケットを動かす重要なファクターにでもなると、私のようなその方面に詳しくない旧態依然たるエコノミストお払い箱になるのかもしれません。でも、軍事専門家株や為替の予想をしているところも想像できません。

でも、それはそれとして、縦割りとすら呼ばれている日本政府のような分業体制のしっかりした組織で働く官庁エコノミストで、地政学的リスクのほほんとしていられる私のような人間は、夏休みが長く取れるのかもしれません。そして、専業主婦の女房にはツラい夏休みが来るのかもしれません。
今夜のブログは、一応、評論したと考えられるので、経済評論の日記に分類しておきます。今夜もプロ野球が降雨中止になり、とても残念です。

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2006年7月17日 (月)

今日も家でゴロゴロする

今日も梅雨らしい雨がちのお天気で、家でゴロゴロして過ごしました。3連休なのにほとんどどこにも外出せずに、家でゴロゴロしたのはめずらしいと思います。それだけ、小学校の夏休みが近づいているんでしょう。明日から3日登校したら夏休みなんですから、我が家の子供達はすっかり夏休み気分になっています。

ということで、今日も家でゴロゴロし、午前中にはハリー・ポッターのDVDを見ます。第3話の「アズカバンの囚人」です。私はかねてからハリー・ポッターのシリーズも3巻までは高く評価しているんですが、その後は段々と質落ちになってきているような気がしています。第3巻の「アズカバンの囚人」でも、ハーマイオニの逆転時計でバックビークやシリウス・ブラックを助けるわけですから、やや反則気味ともいえます。時間を元に戻せるんなら、何だって出来そうな気がします。それに、映画だけの難点なんですが、ホグワーツ校の寮対抗で行われるクィディッチの試合の扱いがとても低いです。第5巻の「炎のゴブレット」だったと思うんですが、クィディッチのワールドカップまで飛び出すんですから、クィディッチの試合の扱いがもう少し大きくてもいいような気がします。

午後からもCATVでマンガを見たりして、伸びやかに過ごします。CATVのマンガは地上波で以前に放送していたのを再放送しているんですから、知っている人には面白くないんですが、我が家の子供達は小さい頃にジャカルタに引っ越してしまって、ある程度、日本のアニメに接していない時期がありますので、それなりに楽しんでいるようです。私もいっしょに見ます。
夕方からはCATVのニュース専用チャンネルを見比べます。どれも同じだとの結論に達するまで時間はかかりませんでした。ニュースの内容に大きな違いがないので、後は、それを読んでくれるアナウンサーさんの好みだけになりそうな気がします。まったくどうでもいいことですが、私は日テレのアナウンサーさんが好みでした。TBSチャンネルのアナウンサーさんはパスです。

それにしても、雨のために甲子園での阪神巨人戦が中止になったのはとても残念でした。祇園祭もやってるんですから、プロ野球くらいやればいいのにと思わずにいられませんでした。我が阪神は割りと調子がいいので、やっておきたかったような気がします。ハリー・ポッターに出てくるクィディッチは英国のスポーツらしく、天候にかかわらず決行されるんですが、野球は米国起源だから雨でヤメにするのでしょうか。

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2006年7月16日 (日)

性懲りもなくガンプラを買い与える

今日の午前中も、外が暑そうだったので、特に何もせず家でブラブラしていました。
ハリー・ポッターの第2作の「秘密の部屋」のDVDを見たりしました。最後の日記の中のトム・リドルとハリーの対決で、原作と映画の違いに気づいてしまいました。原作では不死鳥のフォークスの涙でハリーの傷が治るのは、トム・リドルの日記をバジリスクの牙で突き刺す前なんですが、映画ではこの順が違っていました。トム・リドルの日記をやっつけてから、フォークスが飛んできて、その涙でハリーがバジリスクに噛みつかれた傷が治る、との順番に変更されていました。映画の方が不自然さがマシなように思います。でも、もうひとつの最後の最後の不自然さはどうしようもないようでした。すなわち、ドラコの父親のマルフォイがドビーを連れてダンブルドア校長室に来る不自然さは、原作でも映画でも、どうしようもなく残っていました。でも、そうしないと、ドビーは屋敷しもべから開放されないから、仕方がないのでしょう。

午後からは、私とおにいちゃんが外出しました。私は直木賞を受賞した森絵都「風に舞いあがるビニールシート」(文芸春秋)を買いたかったんですが、おにいちゃんはガンプラ欲しさに付いて来ます。下の子は「おかあさんには、うまくいっておくから」と留守番です。どこに行こうかと考えた末に、結局、有楽町に出かけます。ビックカメラ別館に行って、おにいちゃんがガンプラを吟味します。下の子用のは金ピカでキラキラしたのを選びます。それから、交通会館1階にある三省堂書店で本を買います。
先日、役所の同僚にガンプラの品ぞろえについて聞いたところ、一般的には、との断りの下で、有楽町のビックカメラ別館が都心で一番だと教えてもらいました。もっとも、そこら辺のおもちゃ屋さんに超レア物が平然と置かれていたりするのは別だといっていました。役所の中にも、このテのガンプラ好きのヲタはいるもので、30歳を過ぎて親元から通っている独身者は特にヲタの確率が高いような気がします。私はこの基準でガンプラに関する情報を聞き出しています。
それから、前回の直木賞の東野圭吾「容疑者Xの献身」(文芸春秋)がとてもよかったので、今回も、直木賞作品を買い求めてみました。森絵都さんの短編集「風に舞いあがるビニールシート」(文芸春秋)です。事前の評価によれば、直木賞を取るべくして取った作品と称されていたりしました。しかし、私の友人によれば、三浦しをん「まほろ駅前多田便利軒」(文芸春秋)が受賞するとは想像も出来なかったらしいので、こちらはヤメにしておいて、児童文学の世界でも有名な森絵都さんの方にしておきました。
それにしても、私の友人は三浦しをんさんの「まほろ駅前多田便利軒」については、かなり酷評してました。この作者であれば、昨年の「むかしのはなし」(幻冬舎)の方がマシだったし、ここ2-3年の直木賞は文芸春秋から出版されたものしか受賞していないのはオカシい、とのことでした。彼女によれば、直木賞が文芸春秋のセールスプロモーションに成り下がったかのような印象を払拭するために、要するに、文芸春秋からの出版である本を落選させるために、そのために「まほろ駅前多田便利軒」は直木賞候補に入れられたのだと思っていたそうなんですが、結果的に、直木賞を受賞してしまったので、直木賞のステータスがずいぶんと下がったように感じると評価していました。私の評価ではありませんが、私がちょくちょく拝見しているブログなどの別のスジからも同じような評価を得ましたので、私は「まほろ駅前多田便利軒」を避けた次第です。

結局、夕方前に家に帰り着きました。子供達はせっせとガンプラ製作に励みます。夏休みに入ったら、下の子もいっしょにガンプラを買いに行きたいと思います。定価販売している原宿のキディランドより、有楽町のビックカメラの方が安いですから、夏休み中に作るガンプラをまとめ買いしたりすれば、地下鉄で行くだけの値打ちがあるような気がします。
下の写真は、左側がおにいちゃんで、おにいちゃんの作っているのがデスティニー・ガンダムで、ガンダム・シードに出て来るものです。型式はZGMF-X42Sです。オーブ国防軍のシン・アスカの搭乗です。右側が下の子で、下の子の作ってるのはシラヌイ・アカツキ・ガンダムです。これもオーブ国防軍のネオ・ロアノークの搭乗です。オーブ軍の開発第1号ですから、型式はORB-01です。しかし、開発経費がかかりすぎて量産はされませんでした。開発費高騰の一因は見た目にも分かる金色の装甲で、ビーム反射を目的としたヤタノカガミ装甲となっています。なお、ヤタノカガミ装甲の「ヤタノカガミ」とは、畏れ多くも、八咫鏡に由来すると考えられています。八咫鏡とは、八尺瓊勾玉と天叢雲剣とともに、三種の神器のひとつであることはご存じの通りです。

ガンプラ  ガンプラ

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2006年7月15日 (土)

メスのカブトムシが現れる

昨日から体調を崩しました。年齢から来る体力の衰えには勝てません。昨日の夕方にが出てきたので、かかりつけの医者に行き薬をもらいました。3連休前なので、平気でとても眠くなる薬を処方されてしまいました。何とか昨夜のうちに熱は下がったようなのですが、左足の肉離れも完全に治ったわけではありませんし、今日は、3連休の初日にもかかわらず、家でブラブラしていました。「ヒストリアン」の1巻を読み終えて、2巻に入ったりしました。それはそれで有意義な休日の過ごし方であったと思います。
医者の見立ては気管支炎ということだったのですが、どうも、今週半ばくらいから猛暑とか酷暑とか呼ばれるように、気温が猛烈に上がって汗をかき、そこに、私が肉離れの足で不自然な歩き方のために通常よりももっと汗をかき、28度に設定された室内との温度差が大きくなったところに、通常よりも汗をかいた私が入ったので呼吸器炎症を起こした、となるようです。でも、咳もだいぶんと治まりました。

ということで、子供達も家でゴロゴロします。パソコンでゲームを遊んだり、マンガを見たりします。午前中に、カブトムシを観察していた下の子が大騒ぎをします。土の中からメスのカブトムシが出てきたというのです。
カブトムシ実は、昨夜、子供達と私がカブトムシの飼育ケースを見ていると、いつもの通り、ツノの立派なオスのカブトムシが動きも少なくボケッとしていたんですが、その反対側のがとてもモコモコと盛り上がって動いているのが見えました。ひょっとしたら、土の中のサナギが成虫にかえったんではないかと下の子と話をしていたところだったんですが、今朝見るとメスのカブトムシが出現しており、オスの方はあれだけ元気がなかったのに、メスの出現とともに元気いっぱいにケースの中を落ち着きなく動き回ります。上の写真は、カブトムシの飼育ケースを持つ下の子です。
私はカブトムシの生態なんかはほとんど知らないんですが、オスのカブトムシは地中にもぐったりせず、その辺をウロウロしている一方で、今日の午前中に出現したメスはよく土にもぐっています。早くもを産んでいるのかもしれません。
ひょっとしたら、最初から飼育ケースにはメスの成虫が入っていたのではないかと子供達と話をしましたが、おにいちゃんは我が家に来てからサナギが成虫になったんではないかといいますし、私も、メスがこれだけの期間ずっと土にもぐっていたとも考えられないので、我が家でサナギから成虫にかえったのではないかと思いますが、下の子によればカブトムシのサナギの期間は5週間だといいますし、オスの成虫に都合よくメスのサナギを合せるなんて神技のようなことが出来るかどうかも不明です。

今日は午後からも家でゴロゴロしていました。昼過ぎにが鳴り始めたので、一時、パソコンは電源を落として、念のため、雷をやり過ごしてからパソコンを再開しました。私の知り合いで、近所の電柱に落雷したために家中の電化製品がかなりダメになった人がいるからです。青山の街の真ん中で電柱に落雷するとは思いませんが、あくまで念のためにパソコンだけはコンセントから切断しました。
午後からはおにいちゃんのパソコンゲーム佳境に入ってしまいます。下の子も夢中でおにいちゃんの繰り出す大技に魅入ってしまい、女房の買い物にも付いて行かず、兄弟で熱心にゲームにハマッてしまいました。

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2006年7月14日 (金)

日銀によるゼロ金利解除について

昨日から開催されていた日銀の金融政策決定会合において、本日、ゼロ金利政策解除されました。無担保翌日物コール金利の誘導水準が0.25%とされ、公定歩合は0.1%から0.4%に引き上げられました。ただし、長期国債の買入れについては、当面は、従来と同じ金額と頻度で実施するとされています。また、公定歩合は同時にロンバート金利にもなるわけですが、ロンバートの利用日数に上限を設けない臨時措置はしばらく継続されるようです。

マーケットではいろんな観測が出されていますが、これで、年内10-12月期にもう一度の金利引上げがあり、今年の年末時点ではコールは0.5%になっている可能性が高いと考えられています。もっとも、来年以降は不透明であり、都合3回の引上げで0.75%で打止め、との見方もあれば、来年に入っても四半期ごとに金利引上げが行われて、来年末時点で1.5%を予測する向きもあります。そんな先の話は私には分かりません
何分、日銀は2000年8月にゼロ金利を解除し、その後、景気が急落した失敗の経験があります。ちょうど、米国でハイテクバブルが弾けたころで、日本経済も本格的なデフレに陥っていきました。2001年3月にはゼロ金利どころか、この3月まで続けていた量的緩和政策を取らざるを得なかったような状態になっています。3月の決算期になると3月危機が叫ばれたのもこのころです。もっとも、私はこのころはジャカルタにいて、公務員でもあり、切迫した緊張感は持ち合わせていませんでした。悪しからず。

私は基本的には今回の利上げは支持しています。その理由は3点あります。物価、景気、金融システムの3点です。また、政府側から議決延長請求はなされませんでした。
まず、2000年時点と物価が違います。今回は着実に物価が上昇しており、デフレ真っ只中にあった2000年とは違います。もちろん、現在の物価上昇を「ほとんどすべて原油価格の上昇に由来する」と称した竹中大臣のような説もありますが、少なくとも、GDPのデフレギャップが解消したのは事実だと思いますから、相当程度はこれに見合った物価上昇であると私は考えています。
次に、景気の上昇が続いていることです。2000年は春先から日銀がダム論を持ち出したりしていましたが、夏までにはハイテクバブルの崩壊は明らかでしたし、実体経済が悪化に向かっていることを無視した金利引上げを強行したと考えていますが、今回は、景気拡大期間がいざなぎ景気を超えるかどうかはともかく、景気拡大が今後も一定期間継続することは明らかです。もちろん、かつてほどの力強い景気拡大ではないので、日銀の金融政策次第で腰折れする可能性は否定できませんが、方向として、相当期間の景気拡大が継続するとの期待が一般的だと思います。
最後に、金融システムが2000年当時の脆弱性を克服していると考えられます。今日も東証の日経平均は250円余り下げましたが、株式市場が下落すれば自己資本比率などに影響して、金融機関が破綻する危険があったのはもう昔の話になりました。株価がどんなに下がっても影響はないというつもりはありませんが、金融システムの脆弱性の観点から金融政策が発動できないというような状態ではなくなったことは確かです。今世紀に入ってから、2-3年くらいは決算期末の3月の株価が注目され、今度こそ3月危機、と騒がれたのは過去のことになりました。

今後の懸念材料は2点あります。地政学的なリスクと福井総裁の去就です。
まず、地政学的なリスクについては、いうまでもなく、極東における北朝鮮のテポドンなどに加えて、イスラエルのレバノン空爆や海上封鎖による中東の緊張の高まりもあります。原油価格への影響を通じて、極東の緊張よりも世界経済への影響は中東情勢のほうにより敏感であると考えられます。しかしながら、誠に申し訳ありませんが、この方面は不勉強ですので、地政学的なリスクを指摘するに止めたいと思います。
そして、福井総裁の去就はどうなるのでしょうか。マスコミなどの世論調査によれば、福井総裁の辞任を求める意見は過半数に達しています。夕刊紙や週刊誌でも福井総裁の辞任を求める記事をよく見かけます。内閣と違って、支持率を気にする必要のないのが中央銀行のいいところなのですが、これだけの世論調査結果を突きつけられると気になります。福井総裁が辞めようか、という気になっても不思議ではありません。さらに、ゼロ金利を解除して、「やるべきことはやった」のを花道に、という考えも成り立ちます。しかし、絶対に成り立たないのは、「日銀総裁のやるべきことは金利引上げである」との見方です。この点は忘れて欲しくない気がします。日銀総裁の去就はマーケットのボラティリティを高める材料にして欲しくありません。

最後に、全部を気合入れてしっかり聴いていたわけではありませんが、福井総裁の記者会見は、全体として、私はハト派的な印象を持ちました。明日からの3連休に仕事をしたいとは思いませんので、連休明けてから出勤したら、日銀のホームページで確認したいと思います。

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2006年7月13日 (木)

P≠NP予想に関するメモ

今夜のブログはだいぶ前に宣言してしまった数学の難問P≠NP予想についてのトリビアな日記です。なお、最初に申し上げておきますが、PはPolinomialの略で、NPはNon-Polinomialの略です。Polinomialとは多項式のことです。経済学でも分布ラグを取った推計を行う場合に多項式の知識が必要とされます。アーモンラグとか、シラーラグとかです。当然ですが、知らない人は知らないと思います。
詳しいことは後にしますが、PとNPの関係については、P⊆NPであることは容易に証明できます。というより、私のようなシロートが考えてもほぼ自明です。しかし、P=NPであるか、P≠NPであるか、すなわち、どうしてもPでないNPが残ってしまうかどうかについては、私のようなシロートにも、直感的に、後者が正しくて、NPが残ってしまうんではないかと予想されますが、証明した人はいません。有名なクレイ数学研究所が出したミレニアム懸賞問題のひとつです。シロートの私から見ても、もっとも解決が困難な問題だろうと思っています。もっとも、私なんかから見れば、数学の問題なのか、ゲーデルが解いたので有名な不完全性定理のような論理学の問題なのか、よく分からないくらいです。

これで理解できれば苦労はないわけで、今夜のブログは終わってしまうんですが、もちろん、よく分からない向きも多かろうと思います。
Pとは多項式時間で解ける問題を指します。これでも十分よく分からないんですが、要するに、2次方程式の解の公式みたいに、一般的な解法が存在する問題です。それに対して、ご想像の通りなんですが、NPとは多項式時間では解けない問題を指します。要するに、一般的な解法がなくて、総当りでリカーシブにしか解けない問題です。例えば、素因数分解などです。常識的に考えても、P=NPであることを証明するためには、現在及び将来にわたるすべてのNPがPであることを証明しなければなりませんが、P≠NPであることを証明するためには、たったひとつでもいいから絶対にPにならないNPを探し出せばいいことになります。要するに、P≠NPの証明の方がラクそうに見えます。でも、まだ何も証明されていません。
ですから、繰返しになりますが、P⊆NPであることはほぼ自明なんですが、P=NPであるか、P≠NPであるかについては、よく分かりません。P=NPであれば、考えられるすべての問題は一般的な解を求める公式みたいなのがあり、現時点で、リカーシブにしか解けない問題でも、将来的には一般的な公式が発見されるハズだということになります。逆に、P≠NPであれば、一般的な解を求める公式がある問題と総当りでリカーシブにしか解けない問題と、この世の中には2種類の問題がある、ということになります。ただし、注意すべきであるのは、このP≠NP予想はチューリング・マシンなどにおける計算アルゴリズムに関して持ち出されたりするんですが、一般的な解の公式が存在したとしても、リカーシブな総当りで解く解法より、必ずアルゴリズム的に簡素ですぐれているとは限らないことです。解の公式があったとしても、リカーシブに解く解法の方がアルゴリズム的にすぐれている場合も排除できないわけです。
例えば、いつかのブログに書いた通り、現時点では、一般的な微分方程式を解く解法はなく、わずかに、変数分離型の微分方程式などが解の公式に沿って解けるだけなんですが、もしも、P=NPであれば、将来的に、変数分離型でないものも含めて、すべての微分方程式を解く一般的な解法が得られることになります。もちろん、いつのことになるかは分かりませんし、解の公式のアルゴリズムの方がリカーシブな解法より簡素ですぐれている保証はありません。
より具体的な例で申し上げると、円周率πを求める問題を考えます。円周率を求めるのはすでにいくつかの公式があります。三角関数のarctanの級数展開で求めるもの、ζ関数を用いて求めるもの、その他として、人名を冠したガウス・ルジャンドルの公式ボールウェインの2次の収束の公式、同じく、ボールウェインの4次の収束の公式、BBPの公式などです。こういった公式のほかに、モンテカルロ式にリカーシブに求める方法もあります。(x, y)のそれぞれのxとyを(-1, 1)の開区間で乱数を発生させ、x2+y2が1より小さいか大きいかの分布を見ます。容易に想像できると思うんですが、1より大きいのと1より小さいのが発生する頻度の比率は4-π:πになります。円周率を求めるいくつかの公式をメンドウなもので記さなかったんですが、公式によってはモンテカルロ式にリカーシブに円周率を求めるアルゴリズムよりも、決して、より簡素ですぐれているとはいえない場合もあると考えられます。

私は数学者ではなくエコノミストですし、それなりに、BASICでプログラミングもしたりしますので、このP≠NP予想については大きな興味を持っているんですが、同時に、大きな疑問も持っています。何度か繰り返しましたのでお気づきでしょうが、P=NPであることが証明され、すべての問題がPであって、一般的な解法が存在するとしても、たとえそうだったとしても、一般的な解の公式に沿ったアルゴリズムで解くよりも、NP的でリカーシブなアルゴリズムで解く方が簡素ですぐれている可能性が排除されないからです。ですから、むしろ、焦点は、PならざるNPの問題が存在するのかどうかではなく、Pである問題の解法のアルゴリズムはNPよりも常に簡素ですぐれているのか、が、実用的・実践的に重要だと思うわけです。
というようなことを、我が同業者のエコノミストに最近質問してみました。つまり、多項式時間で解けない問題があるかどうかではなく、問題の解法において多項式的な解き方のアルゴリズムはそうでないアルゴリズムよりも常に簡素ですぐれているか、が実践的に重要ではないか、また、多項式時間ではなく、実際の生活時間で短い時間で解ける方が実用的なんじゃないの、と質しました。私は京都大学経済学部出身ですが、その人は東京大学理学部数学科のご卒業です。数学的な素養は私より格段にすぐれていると考えられます。私がこのようにアルゴリズム的・生活時間的な実用性の観点からのお話をすると、一言、「何で実用的じゃなきゃならないの?」と聞き返されました。私は再反論することが出来ませんでした。

やっぱり、経済学的なアタマ数学的なアタマは違うのかもしれません。
今夜のブログはP≠NP予想に関するトリビアな日記でした。

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2006年7月12日 (水)

子供の日記の作文の宿題のためにカブトムシをもらう

今週になってから、私の知り合いからカブトムシを手に入れたと連絡をもらいました。実は、カブトムシの幼虫が手に入ると聞いていたので、少し前にお願いしておいたのですが、幼虫ではなく成虫をもらいました。ちょうど、役所から家に帰る帰り道でしたので、肉離れの痛む足を引きずりながら私がもらいに行きました。ムシキングのカードに出てくるような外国産のデカいカブトムシではなく、見るからに、日本古来の伝統的なカブトムシです。

家に帰って、下の子がカブトムシを引き取りました。もちろん、飼育ケースごとカブトムシをもらいましたし、同時に、ごていねいにもエサもいくつかもらって来ましたので、下の子が飼育することになりました。これは、おにいちゃんもカブトムシには興味あるんですが、作文の宿題の題材に苦しんでいる弟への深い兄弟愛の賜物です。でも、今日は日記の作文の宿題は出なかったそうです。ちょっと残念
実は、先日のブログで、小学2年生の下の子には週3回の作文の宿題が出ると書きましたが、私の勘違いで、週2回だそうです。水曜日と金曜日に宿題が出るので、翌日の木曜日と月曜日に提出しなければなりません。ちょっと考えればすぐに分かるんですが、金曜日に出された宿題は週末の出来事を書けばいいものの、水曜日に出されたのは即日書かねばならず、それはそれなりに苦しいらしいです。私も毎日ブログを書くことを目標にしていますので、この苦しさは理解できます。
いつかのブログにも書きましたが、我が家は団地に住む公務員一家ですから、実に淡々と、当たり障りのない生活を送っているわけです。治安のいい日本ですから、新聞の社会面を賑わすような事件や事故も身近に起こるわけではありませんし、商売をしていて人の出入りがあるわけでもなく、そんなに突飛なことは少なくて、安定したというか、変わり映えのしない毎日を送っています。ですから、毎週2本も作文を書くような宿題の題材探しに下の子は苦労しているわけです。
そういう時に、おとうさんがカブトムシをもらって来てくれると、下の子にとっては非日常的な出来事として日記の題材になるわけです。実は、私がもらって来た時点で、シロート目にはカブトムシがかなり弱っていたように見受けられたものですから、日記の作文の宿題が出る今日の水曜日まで持ちこたえられるかどうか、やや心配していたんですが、立派に生き長らえてくれました。でも、残念なことに、夏休み前だからなのか、今日は宿題が出ずに、宿題である日記の作文の題材になる大役を務めることができなかったようです。
私もカブトムシの生態などについてはよく知らないので、ひょっとしたら、カブトムシはこんなものなので、結構、長生きするのかもしれません。そんなに飼育ケースの中をウロウロと動き回ったりせず、私のようなシロートの見た目には弱っているように見えても、また、子供達が触りまくっていい加減に飼育していても、実は、ちゃんと生き長らえるものなのかもしれません。できれば、次の日記の作文の宿題が出題されるまで生きていて欲しいと願っています。

でも、このもらって来たカブトムシには、ややかわいそうなんですが、子供達は夏季休暇虫取りに行くことを目標にしていますので、せっせとカブトムシに慣れるべく触りまくっています。ですから、次の宿題まで生き長らえるかどうかは疑問です。
実は、今から4年前の2002年の夏休みに我が家がボゴールに行った時、何せ田舎でしたので、私がホテル内でカブトムシを見つけたんですが、子供達は怖がって逃げ回っていたりしました。何分4年前で、まだジャカルタ在住でムシキングも知りませんでしたし、カブトムシを触るどころのお話ではありませんでした。もちろん、4年後の今ではも大きくなり胆力も備わって来ているのではないかと思いますが、本人たちもやや不安らしく、夏休みの本番を前にせっせとカブトムシに慣れるべく努力しているようです。

あと1週間ほどで小学校の夏休みが始まります。我が家の子供達は夏休みが楽しみで仕方がないようです。最近のサラリーマンも有給休暇が取りやすくなったとはいえ、連続40日間の大規模休暇にはかなうハズもありません。小学生はいいですねえ。

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2006年7月11日 (火)

最強の怪獣はゼットンか?

いつもおなじみ、今日の朝日新聞の夕刊にウルトラマン誕生40年として、人気の怪獣のアンケート結果が載っていました。150人とアンケートの回答者がとんでもなく少ないんで、エコノミストとしては結果に信頼性が置けないような気がしないでもないんですが、取りあえず、もっとも人気だったのは初代ウルトラマンを最後に倒してしまうゼットンだったそうです。
以下、朝日新聞のサイトからの引用です。

初代ウルトラマン誕生から40年。東京・世田谷文学館がインターネットなどで「忘れられない怪獣・宇宙人」をアンケートしたところ、ウルトラマンを破ったゼットンが選ばれた。
66年に放送が始まったウルトラシリーズも、現在のウルトラマンメビウスで16作目。世田谷区内に製作を手がける円谷プロがあることから、同館で企画展を開催することになった。アンケートはその一環で、約150人が投票した。
1位は17票を集めたゼットン。30歳代の男性は「善が悪に敗れるシーンに、生まれて初めて背徳的な甘美を感じた」。1票差の2位はバルタン星人で「何度も地球侵略をたくらむしつこさが印象的」(16歳男性)。ピグモン、カネゴン、ジャミラと続き、6位のメトロン星人に対して寄せられた感想は、「いいやつだと思ったのに……」(8歳男児)だった。
30-40歳代の投票が多く、男女別ではやや男性が多かった。
企画展は15日から。フジアキコ、友里アンヌ隊員の対談も予定されている。

重複しますが、ゼットンは初代のウルトラマンを破った怪獣で、正確にはゼットン星人が連れてきた宇宙怪獣です。ウルトラマンはゼットンに敗れましたが、ゾフィが迎えに来てM78星雲に帰って行きます。その後、ウルトラセブンやいろんなウルトラマンが地球を守ってくれて、朝日新聞の引用にもあるように、今のウルトラマン・メビウスで16代目になるそうです。
毎年夏にはウルフェスと呼ばれるウルトラマン・フェスティバルが池袋のサンシャインシティで開催され、私も子供達を連れて行ったことがあります。でも、さすがに、我が家の子供達はウルトラマンからはやや卒業気味で、昨年はウルフェスには行きたがりませんでした。その代わりに、幕張のポケモンフェスティバルに連れて行った記憶があります。でも、まだまだ、ウルトラマンは大好きで、毎週欠かさずウルトラマン・メビウスは見ていますし、CATVのTBSチャンネルで毎週日曜日の夕飯時にウルトラマン・ティガとコスモスを連続して放映しているので、それも欠かさず見ていたりします。もうすぐ、ウルトラマン・コスモス最終回に達するので楽しみにしていたりします。でも、私の記憶では、2002年9月にジャカルタから日本に一時帰国した際に、ウルトラマン・コスモスの最終回を成田空港からジャカルタに戻る前夜に見た記憶があります。でも、4年も前のことですから、我が家の子供達は忘れているようです。

さて、タイトルに戻って、最強の、あるいは、もっとも人気の怪獣はゼットンでしょうか。実は、私自身はウルトラセブンの時のキングジョーではないかと思っていたりします。ウルトラセブンはキングジョーを倒し切れずに、ウルトラ警備隊の弾丸が神戸港でキングジョーを倒しました。
初代ウルトラマンを倒したゼットンはゼットンシャッターと呼ばれるバリアでウルトラマンのスペシウム光線をはね返します。私が知る限りで、スペシウム光線が効かないのはゼットンとケロニアだけです。もっとも、もっといそうな気もします。ゼットンはウルトラマンを倒すんですが、結局、科学特捜隊が開発したペンシル爆弾でやっつけられてしまいます。もちろん、ウルトラマンがやられたままでは、地球はゼットン星人に侵略されてしまいますので、それでは、物語上マズいですから、ここは科学特捜隊にやっつけてもらわねばなりません。
それから、ゼットンは初代ウルトラマン以外にも何度か出てきます。初代ウルトラマンを倒したゼットンはゼットン星人が連れてきたのは先に書きましたが、バット星人か誰かが、別の宇宙恐竜のゼットンを帰ってきたウルトラマン、つまり、ウルトラマン・ジャックの時に連れて来たような記憶があります。ゼットンであったのは確かなんですが、バット星人だったか、何星人だったのかは記憶が確かではありません。一応、ゼットンではあるんですが、見た目にも触角がピラピラしていたり、挙動不審で落ち着きがなかったりして、元祖ゼットンに比べて明らかに見劣りがした記憶があります。
さらに、今のメビウスの前のウルトラマン・マックスでもゼットンが出てきましたが、マックスはそもそもそのように、以前のウルトラマン・シリーズに出てきた怪獣をテーマにしていましたので、その中で、人気があるベストいくつかの怪獣としてゼットンが出てきたのではないかと思います。
最後に、どうでもいいトリビアなんですが、ゼットン命名の由来を聞いたことがあります。ゼットンはウルトラマンを倒す最後の怪獣だから、アルファベットの最後のZと日本語の最後のンを組み合わせてゼットンとしたそうです。もっとどうでもいいことですが、1票差の2位に入ったバルタン星人はシルヴィ・バルタンから取ったと聞いたことがあります。

我が家の下の子は3位に入ったピグモンが大好きです。ウルトラマン・コスモスではミーニンなる名前で出て来て、子供達が一所懸命に逃がしてやったりします。その昔、浅草のロックスにあるウルトラマン倶楽部には入り口にしゃべるピグモンがいて、我が家の子供達が大騒ぎしたこともあります。

やっぱり、ウルトラマンはいろんな意味で懐かしいです。

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2006年7月10日 (月)

朝から虎ノ門病院に行く

今日は、一昨日の肉離れを診てもらうために、朝から有給休暇を取って、虎ノ門病院に行ってきました。役所のIDカードを持って出るのを忘れて、女房に地下鉄の駅まで持って来てもらったりして、いろいろとあったんですが、何とか、虎ノ門病院までたどり着きます。でも、普通には歩けないので、とても苦労して大汗かいて、しかも、長時間かけて歩かねばなりませんでした。
予想していた通りなんですが、左足のふくらはぎをアチコチ触られて、痛めた箇所を特定した後、冷感湿布薬を貼った上で包帯で固定してもらって終わりです。画期的に痛みが治まるわけではありません。湿布薬の処方箋を出してもらって、虎ノ門病院近くの薬局で買い求めます。
先生から、一応、何をしていた時に肉離れを起こしたのかと聞かれたので、野球と答えておきます。子供としていたのは伏せておいて見栄を張ります。それから、無臭の湿布薬と臭いのある湿布薬とどちらがいいか聞かれます。私は無臭のをお願いしたんですが、臭いのある湿布薬とどう違うのかと私の方から聞くと、湿布薬独特の臭いが好きな人もいるらしいとの答えでした。まあ、それらしい臭いのある方が周囲の同情を勝ち取れるのかもしれません。

私は、とても緊急だったり、特段のその他の手段がない限り、通常は、病気や怪我をしたら虎ノ門病院に行くことにしています。そういう習慣になっています。どうしてかというと、私が役所に入った20年前は虎ノ門病院は無料だったからです。正しくいうと、私は国家公務員で、虎ノ門病院を運営している国家公務員共済組合の組合員本人でしたから無料でした。今のように医薬分業する前の時代でしたので、虎ノ門病院に行けば診察や治療に加えてまで全部タダだったわけです。民間企業でも独自の病院を持っているところは同じようなものではないかと思います。
さらに、役所に入った当時の直属の上司である課長虎ノ門病院信者みたいな人で、虎ノ門病院に絶対の信頼を置いていました。これも、そもそも、虎ノ門病院が無料であるために、そうなっていたような気がしないでもありませんが、それはともかく、この課長は隣の課の課長補佐のご家族が地元の病院に入院したりした時に、どうして虎ノ門病院に入院させないのかと発言したりするほどで、私が体調が悪いので虎ノ門病院に行くといえば、とても深い理解を示してくれたりしました。
ですから、風邪をひいたりして体調が悪くなると、市販の大衆薬を自腹で買って飲んだりするよりも、虎ノ門病院に行って診察してもらって薬をもらう方が、職場の理解もあり、お金もかからないので、私にはかなり強烈インセンティブがあったわけです。
もちろん、その後、公務員の待遇に関する批判があったりして、虎ノ門病院でも治療費を支払わなければならないようになったり、医薬分業で処方箋をもらって院外の薬局で薬を買わなければならないようになったりしましたが、10年ほど続いた習慣からはなかなか抜け出せていません。

私は虎ノ門病院の整形外科に何度か行ったことがあります。腰痛肉離れバネ指です。いずれも、病院に行って薬をもらっても、画期的に症状が改善するわけではないので、整形外科の治療に対しては懐疑的なんですが、取りあえず、行っておきました。臭いのある湿布薬ではないんですが、即効的な効果はないと知りつつも、有給休暇を取って病院に行っておかないと家族や職場などの周囲の理解を得られない可能性が高いからです。
ともかく、今、もっとも困っているのは歩くことです。ヘタに自分で歩けるだけに、とても苦労して大汗かいて時間をかけて歩いています。いっそのこと、歩けないくらい重症で、自宅静養とかタクシーで移動しなければならない方がよかったような気さえします。でも、ともかく軽症ですから、今週中に普通に歩けるまでに治ればいいナと思っています。

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2006年7月 9日 (日)

肉離れのために外出せず家にこもる

今日は天気予報が外れて、そんなに雨が降らないどころか、雲が多いながらも悪くないお天気になりました。でも、昨日のケガで私は家に引きこもっていました。じっとしていると痛みはないのですが、動こうとすると痛みがあり、そもそも、マトモに歩けません。私の経験では、重篤な肉離れの場合は、その瞬間に鈍い音がするんですが、昨日はそんなでもなかったので、まあ、軽度のものなんだろうと勝手に理解しています。
今朝起きて、半ズボンにして立ち上がり、後ろから下の子に見てもらいます。やっぱり、痛めた左足が腫れて太いといいます。でも、昨夜よりはずいぶんとマシになった、との評価です。この手の観察と評価については、私は下の子の観察眼を高く信頼しています。ですから、じっとしていれば痛みもないことだし、病院に行くのは明日にしました。今日はひたすら休憩していました。これまた、私の経験からすれば、肉離れやぎっくり腰で医者に行っても、劇的な回復は望めないからです。塗り薬か貼り薬をもらって、結局、安静にしている他に治る術がないように思います。肉離れであって、骨折ではないことがハッキリしているので、医者は明日にしました。
午後からは上のおにいちゃんが女房に連れられて外出し、私と下の子とで留守番でした。本来であれば、私はおにいちゃんを連れて行く予定だったのですが、動けないので女房に代わってもらいました。家では、まだ読んでいない娯楽系の本として「ヒストリアン」があったのですが、ついつい、マンガのケロロ軍曹を読んでしまいました。下の子の趣味で、ハリー・ポッターの最初のDVD「賢者の石」をいっしょに見たりしました。

それはそれで、いい休憩になったりしました。
明日は医者に行こうと思います。

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2006年7月 8日 (土)

小学校の校庭開放で野球をする

校庭開放で野球今日の午後は子供達の通う小学校校庭開放日でしたので、私と子供達が出かけて野球などをして来ました。左の写真は野球を終えた子供達です。
出かける時に、小学校に遊具はないだろうと、バドミントンのラケットや野球のグローブなんかを持って出たんですが、ある程度の品ぞろえはありました。テニスやバドミントンのラケットがありましたし、野球のバットやスポンジボールなんかも借りることができました。
我が家は、まず、貸してもらったスポンジボールとバットで野球をします。我が家の野球は、私がピッチャーで、子供達はバッターと守備を交代でやります。10球ずつで交代です。機嫌よく遊んでいたのですが、ここでアクシデントが起こります。ピッチャーフライを捕りに行った私が左足のふくらはぎを痛めてしまいました。著しい運動不足を実感させられます。私自身の感じではごく軽い肉離れみたいです。それでも、小学校からの帰り道では子供達に付いて行けず、足を引きずって家まで戻りました。土曜日の午後で医者は開いていませんし、大したこともないので、湿布薬を貼っただけで放置してあります。もしも、悪化するようであれば明日にでも医者に行くつもりです。
私が動けなくなったので、子供達は2人でフライングディスクを始めます。おにいちゃんの「小学4年生」の付録で付いてきたゴム製のグニャグニャと折れ曲がるフライングディスクで、普通の硬質プラスティックのよりもとてもよく飛びます。体に当たってもそんなに痛くなさそうですし、よく考えられていると感心しました。最後に、我が家から持ち込んだラケットでバドミントンをします。しかし、少し風があったので、余りうまくいかずに少しイライラしながらやっていたように見受けられました。
校庭沿いにいろいろと木が植えられていて、出入り口付近は桜なんですが、栗や柿の木もありました。栗の枝が落ちていて、近くにまだ青いイガ栗の実が落ちていました。上の写真で、下の子が青いイガ栗の実を持って、顔の前にかざしています。

それにしても、最近時点での著しい運動不足を強く実感させられました。あの程度の運動で足を痛めるとは自分でもびっくりしました。いまだに体重も増え続けていますし、体調管理にもっと気を遣わねばならない年齢になってきたんだろうと思います。

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シャア専用ザクが完成する

今日の午前中はおにいちゃんがパソコンゲームをしていた一方で、下の子がガンプラ製作にいそしみました。従来から欲しがっていたシャア専用ザクです。知ってる人は知ってると思いますが、1999年に発売されて、もうほとんどどこにも売っていないレアなシロモノだったんですが、ファンが多いのか、最近、再発売されたものだそうです。ちゃんとした型式でいうとHG 1/144 MS-06S シャア専用ザク2S型というそうです。

シャア専用ザク左の写真はシャア専用ザクを完成してうれしそうな下の子です。当然ながら、シャア専用ザクですから、シャアのパーソナルカラーの赤っぽい色にしてあります。
シャア専用ザク2のプラモとしては、初めてマシンガンを両腕で構えるポーズの再現に成功した革新的キットだそうです。シャアのフルネームはシャア・アズナブル (Char Aznable) で、ガンダムシリーズの中で、アニメの機動戦士ガンダムに始まる宇宙世紀を舞台にした作品に登場します。ジオン共和国軍の少佐です。大佐のガルマ・ザビとともにジオン共和国の地球攻撃軍の主力です。ガンダムにはシャア専用とともにガルマ専用もあります。ただし、地球降下後ガルマと共にホワイトベースの撃破を目指し、援助を約束するが、結局、シャアはガルマを謀殺してしまいます。ガルマを死なせた責任により宇宙攻撃軍を罷免され、左遷されてしまいます。
要するに、地球の敵なんです。と、私が知っているのはこのあたりまでなんですが、シャアは日本アニメの世界でも、おそらく、もっとも人気のあるキャラクターではないかと私は考えています。ですから、そのうちに、シャアに関するトリビア日記を書きたいと思います。以前、6月6日のブログでP=NP問題についてのトリビアを書くと宣言してしまいましたが、どちらが先になるかは分かりません。

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2006年7月 7日 (金)

グレーゾーン金利をどう考えるべきか?

最近、消費者金融などのグレーゾーン金利についての新聞記事を見かけます。利息制限法と出資法の規定が違っていて、消費者金融業者なんかが高い方の金利で貸しているのを金利を一本化して多重債務者を減少させたり、ひいては解消することなどを目的にしているようです。その他に、貸し金業者の強引な取立ても社会的に問題になっており、多重債務者と強引な取立ての双方を減少させることが目標とされているようです。
他方で、ナイーブな市場原理主義の私なんかは営業自由の原則から、利息を法的に制限するのはいかがなものか、と思わないでもありません。でも、結論を先取りして、利息を制限するのは世論一般の方向として確立されているように見受けられます。
消費者問題の専門家などによると、情報や交渉力の格差が貸し手の貸金業者と借り手の消費者に存在するようにいわれています。つまり、今100万円を借りたら、金利が例えば30%ならば、1年後や2年後にいくらになるか、が、借り手の消費者にはよく認識されない場合があるのが情報の非対称性で、交渉力については貸金業者の強引な取立てなどを指しています。
ここで、ある人から聞いたところによれば、私は確認していませんが、ある経済を取り扱っているブログで、強引な取立てを制限することと、金利に上限を設定することは、経済的に見て同義であって、金利に上限を設定すれば、そもそも強引な取立てが必要なリスクの高い消費者に貸出しをしなくなるので、結局、強引な取立てが不要になるハズである、と主張されているようです。しかし、私はこれは明らかに間違っていると思っています。というのは、私は貸金業における情報の非対称性は、すぐれて、アカロフ的なレモンの論理で、情報の非対称性は借り手に情報があって、貸し手には情報が少ないことであると考えているからです。
ではどんな情報が借り手にあって、貸し手には不足しているのかというと、まさに、アカロフ的な議論で、借金を返せるかどうかの返済可能性の情報です。上限金利を設定しても、その金利で消費者が貸金業者に返済が可能かどうかの情報は、やっぱり、消費者の方にあるのではないでしょうか。この返済可能性に関する情報が貸金業者に不足している限り、強引な取立てはなくならないと考えられます。上限金利を設定するかどうかは、消費者問題の専門家が取り上げる情報の非対称性ではなく、私の主張するアカロフ的な情報の非対称性に、直接的には影響を及ぼしません。もちろん、上限金利が設定されれば、貸金業者の採算が取れる貸倒れ率が逆算されますから、貸出し業者の貸出し態度を慎重にするインセンティブが生まれます。採算点を超える貸倒れ比率を生ずれば、その貸金業者は倒産しかねません。でも、逆に、貸倒れ比率を低下させるためには、強引な取立てをしようとするインセンティブも生まれます。
そして、ナイーブな市場原理主義者が考えるような原則自由の貸出し金利設定も、やっぱり、返済可能性に関する情報の非対称性には影響を与えません。要するに、貸出し金利を制限しようと、自由な市場原理に任せようと、アカロフ的な情報の非対称性は解消されないと考えられます。もちろん、ムチャクチャ高い金利を設定して大きな利益を出し、借り手の返済能力をバッチリ調べ上げることが可能になるかもしれませんが、そんな貸金業のあり方を国民が望んでいるとは考えられませんし、それでは多重債務者が増加する可能性もあります。

しかし、実は、ここには、もっと考慮すべき問題があります。主観的な返済可能性に関する情報は、確かに、アカロフ的な意味で非対称なんですが、実は、客観的な結果としての返済可能性の情報は消費者も持っていない可能性があることです。実際に、そのような返済可能性に関して理解が不足している消費者こそが問題となっている可能性が極めて高いように私には見受けられます。アカロフ的な情報の非対称性ではなく、あえて命名すれば、ヨシオカ的な情報の非存在が疑われるのが、消費者問題としての本質ではないかと私は考えています。ようするに、貸金業者と問題を生ずるような消費者は、客観的かつ事後的に、自分が返済できるかどうかが分かっていない可能性があるわけです。これはやっかいです。

かなり長くなりましたので、そろそろ結論に入りたいと思います。
要するに、私の見るところ、貸出し金利を制限しようが、自由にしようが、アカロフ的な返済可能性に対する情報の格差は頑として存在します。返済可能性についての情報は借り手の消費者の方により多く存在します。あるいは、どこにも存在しません。そして、貸出し金利を制限すれば、貸金業者が一定の採算点まで貸倒れ比率を下げるためには、貸し出し態度を慎重にするか、強引な取立てをするか、どちらにもインセンティブを生じます。ただし、貸出し金利を制限した場合、貸し手の貸金業者から見ると、金利と採算点の貸倒れ比率はかなりの程度に順相関を有すると考えられます。つまり、金利が高ければ少しぐらい貸倒れが生じても採算が取れます。同様に、借り手の消費者から見れば、金利と実現される貸倒れ比率は順相関を示すと考えられます。すなわち、金利が高いほど返済不能になる可能性が高いわけです。カーテシアン座標でプロットすると、どちらの均衡線も右上がりの曲線で示されますので、均衡点はとても不安定な可能性があります。さらに、多重債務問題に着目すると、金利と多重債務者は、これまた、順相関と考えられますが、多重債務者は少ない方がいいので、金利が低い方が多重債務者は減ると考えられます。
他方で、1月の最高裁の判決とこれに起因する現在の世間一般の理解からして、金利制限を設定するならば、多重債務者問題を考慮して、ある程度の低い金利に抑えつつ、どちらも貸倒れ比率を損益点以下に下げる手法である、慎重な貸出しと強引な取立ての間で、前者の貸金業者の貸出し態度を慎重にさせるインセンティブを考える必要があります。規制金利を低い水準にすることは簡単ですが、貸倒れ比率を下げるインセンティブは貸金業者のモラルに任せるのではなく、制度的に保障することがとても重要です。現時点までの金融庁の議論ではこれが欠けているように思えてなりません。

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今日は七夕

今日は七夕です。
七夕左の写真は短冊に願いごとを書く下の子です。
おにいちゃんが留守番する一方で、下の子は女房に連れられて近所の神社七夕祭りに行ってきました。この間の日曜日にボーイスカウトビーバー隊七夕飾りを作った神社です。ボーイスカウトの活動拠点にもなっています。七夕祭りは今日の4時から5時の間だったので、普通のサラリーマンである私は行けませんでした。
下の子の願いごとは、日曜日のビーバー隊の時は宇宙飛行士になることだったそうです。でも、上の写真の時には1学期の復習を夏休みに出来るように、といった、とてもまじめな勉強の願いごとだったそうです。

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2006年7月 6日 (木)

エコノミストは倫理道徳を否定するのか?

今日は、大学時代の先輩で金融機関に勤めていて、今はその業界団体に出向している人とランチをごいっしょしました。話題の中心は昨日来の北朝鮮のミサイル発射実験だったんですが、最後の方に、先輩から「オレは経済学部出身ながらエコノミストじゃないから、金銭的なインセンティブだけで北朝鮮やなんかの行動を説明できるのか」との、もっともな疑問が呈されました。私からは、取りあえず、インセンティブは経済的・金銭的なものだけではないと反論しておきました。
例えば、最近で話題になったレヴィットとダブナーの共著になる「ヤバい経済学 Freakonomics」なんかでは、インセンティブは経済的なものの他に、社会的インセンティブと倫理的インセンティブの3種類があるとされています。私自身は3分類までしなくても、経済的インセンティブと非経済的インセンティブの2種類があれば十分だと思っていますが、要するに、インセンティブとは経済的・金銭的なものだけではないと考えています。もちろん、非経済的インセンティブを何種類かに細分しても構いません。非経済的インセンティブに倫理的インセンティブを含めることも可能です。
しかし、私が少し一般的なエコノミストと違っているかもしれません。これは定義の問題かもしれないんですが、一般的なエコノミストは人はインセンティブに反応すると考えていますが、私は人を動かすものがインセンティブであると定義すべきだと考えています。しかし、これは私の目から見ても些細な違いです。いずれにせよ、経済学とは「おトクの学問」で、人はトクになることをする、効用=満足度の高い行動を取る、と考えています。そして、「おトク」=インセンティブであるかどうかに一般的な尺度はない可能性があります。
ここで考えるべきは、インセンティブが1種類だけで経済的・金銭的なインセンティブであれば、万人に共通の尺度が成り立つ可能性がありますが、非経済的なインセンティブであれば、万人に共通する尺度が成り立たなくなる可能性が大きいです。ですから、それは政治的なプロセスにより解決するしかありません。政治的なプロセスとは民主主義であるかもしれないし、そうではないかもしれません。民主主義であっても国によって結論は異なる可能性があります。
もうひとつ、厄介なのは経済的・金銭的なインセンティブと非経済的なインセンティブが背反する可能性があることです。先ほどの「ヤバい経済学」では、献血の例を引いて、献血に対してわずかな額の金銭的なインセンティブを与えると献血する人の数が減り、金銭的なインセンティブが逆効果になった例が取り上げられています。献血という倫理的に崇高な行為に対して金銭的な見返りを払うことにすれば、献血が倫理的に崇高な行為であると見なされる度合いが低下すると解釈されます。経済的・金銭的なインセンティブが非経済的なインセンティブを低下させてしまい、結果として、献血が減少するわけです。しかも、ここから先は私の想像なんですが、この献血の場合の経済的なインセンティブは正負が対象ではありません。ちょっと言葉に窮していますが、要するに、小額の金銭的なインセンティブは献血に対してマイナスなんですが、おそらく、私の想像するに、献血と同時に寄付を迫られる、つまり、献血した人にお金を支払わせて、マイナスの金銭的なインセンティブを与えると、これまた、献血する人が減るような気がします。要するに、小額であれば、プラスであろうと、マイナスであろうと、金銭的なインセンティブに対して献血行為はネガティブな反応を示す可能性が高いと思います。
長々と脱線してしまいましたが、エコノミストは経済的・金銭的なインセンティブだけでなく、違う言葉でいえば、効用関数に影響するいろんな要素をインセンティブと呼んで、人の行動に影響を与える、と考えています。例えば、寄付をする行為は普通に観察されますが、寄付をする金額の有する効用や満足よりも寄付をしたことで得られる効用や満足の方が大きいから寄付をするんであって、経済的・金銭的なインセンティブがすべてではないことを如実に示していると思います。自分が貨幣を保有してる、あるは、貨幣で何かを消費する効用・満足度よりも、その他の何らかの特定の用途に貨幣が使われることの効用・満足どの方が大きければ寄付行為は生じます。後者を倫理道徳的な観点から考慮する人がいても不思議ではありません。この場合は、経済的・金銭的なインセンティブよりも倫理道徳的なインセンティブが上回っていると見なされると思います。

それにしても、蛇足ながら、北朝鮮ミサイル発射実験をするインセンティブは私には思いつきません。情報が不足しているのか、エコノミストが対象とするには余りに非合理なのかもしれません。

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2006年7月 5日 (水)

北朝鮮のミサイル発射の金融市場への影響

本日未明に北朝鮮ミサイルを発射したそうです。5発だとか、6発だとか、いや、10発だとかいわれていて、発射実験は失敗日本海に落ちたそうです。それから、夕方にも発射されたようです。発射場所も複数あるように報道されています。私は軍事専門家ではなく、エコノミストを自称していますので、軍事的なことはよく分からないのですが、このミサイル発射が経済的にどういう影響があるのかを考えてみました。
まず、金融市場の反応なんですが、通常の反応でした。マーケット・エコノミスト的にいえばセオリー通りと称したレポートも出回っていました。要するに、軍事的緊張が高まったとして、本日の市場の始まりは、株価は少し下落して、為替は昔の有事のドル買いに沿って円安となり、債券は質への逃避と呼ばれる現象で債券が買われて価格が上昇し、金利は下がりました。有事のドル買いなんて、もう誰もいわなくなっているんですが、軍事的緊張が高まれば、軍事大国である米国のドルが変われるのは当然です。また、質への逃避についても、当然ながら、民間会社の株よりも国債の方が安全性が高いので買われるわけです。
でも、午前中のうちにマーケットは少し戻して、結局、終値ベースでは昨日よりも114円余り下げました。為替も終値ベースで前日比25銭の円安で対ドルでは115円に乗せました。債券は少し下げて金利は少し上がりました。小規模ながらトリプル安になった形です。でも、マーケットには大きな影響はなかったとの反応のように見受けられます。
マーケット関係者は、むしろ、先行きについて考えているようです。まず、今後、北朝鮮に対する経済制裁の発動が考えられます。しかし、北朝鮮船舶の入港禁止はマーケットには何の影響ももたらさないでしょうし、金融制裁やその他の経済制裁があったとしても、我が国経済への影響は極めて限定的と考えられます。むしろ、地政学的なリスクの方をマーケットは重視しているようです。北朝鮮のミサイル発射が日本も含む極東の軍事的緊張を高めると見なされれば、よりいっそうのトリプル安を日本にもたらす可能性があります。私の知り合いのマーケット・エコノミストに教えてもらったんですが、先週のニューヨーカーは限定空爆について触れていたようです。しかし、今回もミサイル発射場所が複数あったようですし、ニューヨーカーでも発射場所が特定されず、限定空爆も難しいと結論付けているようですが、軍事的緊張感がエスカレートするようであれば、外国人投資家をはじめとして日本市場から部分的にせよ撤退する動きもありえるでしょうから、トリプル安のシナリオになる可能性があります。最後に考えるべきポイントは日本経済のファンダメンタルズへの影響でしょうが、これは誰しもまったく影響がないとのコンセンサスがあるような気がします。防衛産業が少し活況を呈する可能性はありますが、とても限定的な影響だと思われます。

いずれにせよ、北朝鮮のミサイル発射については金融市場に対あする影響はとても小さくて、マーケット関係者は今週金曜日に発表される米国の雇用統計や来週の日銀の金融政策決定会合の方を注目しているように見受けられます。

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2006年7月 4日 (火)

公務員の勤務時間が延びて昼休みが長くなる?

今月から人事院規則が改定されて、我々国家公務員の勤務時間が変更になりました。従来は、午前9時半から午後5時45分までの勤務で、各府省がみんないっしょだったんですが、今月から、9時半始まりは従来通りで、終わりの時刻は6時15分とか、6時30分とかに変更されました。
従来は、午前中と午後にそれぞれ15分間の休憩時間だか、休息時間だかがあって、それに正規の昼休みの15分間をくっつける形で合計45分間、12時15分から1時までが実態上の昼休みだったんですが、いまどき、休憩時間や休息時間を取っている民間企業はないそうで、休憩時間だか休息時間だかを廃止して、その分、30分間勤務時間を延長したそうです。私が現在出向している役所では、単純に、昼休みを従来通りの12時15分から1時までにしたままで、終わりの時刻を30分間遅らせて6時15分としました。しかし、各府省でマチマチの対応になっているらしく、私の親元官庁では6時30分を終業時刻としたそうです。なぜなら、ごていねいにも人事部局が昼休み時間の実態調査をして、正午から昼休みを取っている職員が圧倒的に多いことを発見し、実態に合わせる形で、昼休みを正午から1時までとし、その分、終業時刻も従来から45分遅らせて6時30分としたらしいです。
役所によって対応がマチマチなので、私は出向中の現時点では6時15分終業なんですが、出向期間を過ぎて親元官庁に戻れば6時半までの勤務となるようです。正直なところ、勤務時間が延びたのは困るんですが、対応はマチマチながらも、我々公務員本人にもよく理解されていなかった制度が透明性を増して、外部にも理解されやすくなったのはいいことだと思います。それにしても、ぴったり8時間の勤務時間で、45分か1時間の昼休みを入れて約9時間も拘束されるのは長いような気がしないでもありません。ここまで時短が進んだんですから、もう一息で、1日7時間労働にならないものかと、勝手に期待していたりします。もっとも、私は家に早く帰りたいだけなんで、始まりの時刻を早めるのも手ではないかと思っていたりします。でも、この始業時刻を早めるのは、私以外の公務員一般からは強い反発を招きそうな気もします。

それにしても、10年以上も前の話ですが、在チリ大使館の昼休みは長かったです。さすがに、在外公館に対しては日本と同じ勤務時間を設定するよりも、現地事情に合わせた設定の方が効率的であると考えられていたんでしょう。朝は9時始まりなんですが、午前の勤務時間の終わりは12時半で、3時まで2時間半もの昼休みがありました。3時から午後の業務を再開して、5時半が定時だったと記憶しています。2時間半も昼休みがあるものですから、私なんかは1時から2時まで1時間くらいテニスをして、家に戻ってシャワーを浴びて着替えて、それから昼ご飯を食べてもゆっくりと午後3時にはオフィスに戻れたものです。
もともと、ラテンの国はランチタイムがとても遅くて、2時から4時くらいまでランチタイムにしています。スペインなどではシエスタと称して、お昼寝もする伝統があったらしいです。もっとも、これだけ国際化が進んだ現代社会ではそんなに悠長なことは出来なくなりつつあると聞いたことがあります。
夕方も、5時半定時ですが、サマータイムの時期は6時くらいに外に出ても、まだまだ明るく、9時まで陽射しがありましたから、再びテニスをしたりすることも十分に可能でした。私は夕方のゴルフはやったことがないんですが、ゴルフ場に行けばハーフくらいは回れたかもしれません。私はジムに通うことが多かったような気がします。私のジムのエアロビのインストラクターがスズキ・ワールドカップのトリオの部にチリ人3人で出場し、3位に入ったのを記憶しています。

公務員だけでなく、日本全体で労働時間の短縮をもっと進めて、家族で過ごせる時間が増えるといいなと思います。

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2006年7月 3日 (月)

阪神タイガースの調子はいいのか、悪いのか?

先週末の阪神タイガースはどうもさえませんでした。東京ドームでの巨人戦には3連勝の期待をかけていたんですが、まったく振るわず、1勝2敗で終わりました。11-0で勝った第1戦を別にすれば、要するに、打てなかった気がします。もっとも、第1戦も11点入りましたが、相手のミスとホームランを除けば、タイムリーで点が入ったのはピッチャーの下柳投手の打ったヒットだけでした。
昨年に優勝した時の打線から比べると、確かに、打点王を獲得した今岡内野手が抜けています。でも、鳥谷内野手や濱中外野手なんかは昨年よりも大幅にパワーアップしている気がしますし、シーツ内野手や金本外野手もそこそこ打っているように見受けられます。控え野手も層が厚くなってきているように感じられますが、でも、点が入りません。
抑えの久保田投手の骨折はありますが、藤川投手がその穴を埋めてくれそうですので、大きな不安要素にはならないと思います。そもそも、この週末はボロ勝ちか負けのパターンでしたので、藤川投手の出番すらなかったです。でも、先発投手が打ち込まれているカンジもありませんし、そこそこ試合にはなっているんですが、少ない点差でリードされたまま終盤戦に入って、結局、ジャイアンツに逃げ切られているのは、タイガースの勝ちパターンをそのまま横取りされているような格好になっています。
昨夜の負けにしても、井川投手は7回で2点ですから、エースとしてゼロに抑えてくれれば最高ではありますが、先発投手としては悪くない働きであったともいえます。でも、打てないのが勝てない原因だと思います。同じく、昨夜、見ていたわけではないんですが、広島の黒田投手に完封負けを喫した中日とは、少しわけが違うような気がします。

といいつつ、その中日に1.5ゲーム差で阪神は2位につけています。この週末の試合運びを見ていると、まるで、往年の最下位時代を思い起こさせるような負けっぷりなんですが、リーグ戦ではそこそこいい位置につけているわけです。現時点で、セリーグで勝ち越しているのは首位の中日と阪神だけです。その意味では阪神はそんなに調子が悪くないようにも見受けられます。岡田監督の采配がとてもさえているのかというと、そうなのかもしれないし、そうでないのかもしれません。よく分かりません。1つ1つのミクロの試合ではボロいのが多いんですが、マクロのリーグ戦ではいい位置を確保しています。やや不思議な気がします。ここでエコノミストの顔をのぞかせると、阪神タイガースの調子は昨年前半くらいまでの日本経済に似ているところがあります。個々の企業はパッとしないものの、GDP統計なんかで見る限りの景気は悪くない、といったカンジだと思います。
でも、話を野球に戻すと、阪神の場合は他球団と違って、オールスター戦が終わって8月になれば死のロードが待っています。ここをトントンで乗り切るのは至難のワザですから、それまでに、ある程度は調子に乗っておきたいところです。死のロードで5つやそこらは負け越すのは規定事実として覚悟しなければなりません。

というような話をランチタイムにしていると、実は、阪神の最近4-5年の優勝争いに常にからむように実力を上げてきてしまったので、そこを基準に考えると不満があるかもしれないが、10年ほど前の万年最下位のころには考えられもしなかった不満ではないのか、というような気がしてきました。ひょっとしたら、ぜいたくな不満なのかもしれません。

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2006年7月 2日 (日)

我が家の子供達にはムシキングは向かないのか?

午後からはおにいちゃんと渋谷ゲーセンに行ってきました。ムシキングの大会に出場するためです。でも、下の子はムシキングの大会はもう勝てっこないと諦めて、いっしょに行くのを拒否されました。
ムシキング大会左の写真はおにいちゃんの1回戦の戦い振りです。どうして、2回戦ではないかというと、今日もまた1回戦で敗退したからです。今日は事前に知らされていたのからルールの変更はなく、2匹のムシの合計が300までで、ワザカードの制限はなかったです。1時からの直前の大会が長引いて、3時の開始が少し遅れます。おにいちゃんの最初の対戦相手はその直前の大会の優勝者だったようです。結果はあえなく敗退です。対戦相手は2匹目のムシに行くこともなく、おにいちゃんの2匹のムシを撃破してしまいました。最初のムシで、おにいちゃんの必殺ワザがグーなのに対して、対戦相手の子の必殺ワザがパーだったのも不運でした。
早々と家に戻ると、1回戦で敗退したのがバレバレになりますから、渋谷の街で少し寄り道したりします。本屋さんに立ち寄って、明日が発売日と分かっているのに小学館の学年雑誌について尋ねたり、ケロロ軍曹の13巻の発売日を問い合わせたりします。それでも、出かけてから1時間ほどで家に帰ったので、1回戦敗退はバレバレでした。
ムシキングはグーチョキパーのジャンケンの勝負ですから、基本はランダムのハズなんですが、各々のムシに必殺ワザがあり、グーかチョキかパーかのどれかに必殺ワザが割り当てられていますから、必ずしもランダムではありません。今日のおにいちゃんの対戦のように、こちらの必殺ワザがグーなのに、それに勝つパーを必殺ワザにしている相手と対戦すると、おにいちゃんが不利になることは明らかです。

それはそうとして、今日もおにいちゃんが負けたので、下の子はムシキングには向いていないとハッキリと確信したようです。実は、そもそもけしかけていた私ですら、ひょっとしたら、我が家の子供達には勝負事の適性はないような気がしています。私自身に勝負事の適性はありません。それが分かっているだけに、競馬競輪などの公営ギャンブル、パチンコ、などなどには手を出しません。若いころはお付き合いで麻雀も断り切れませんでしたが、今はパソコン相手にやるだけです。この親にして、我が家の子供達に勝負事の適性があるとは思えなくなってきました。下の子の判断が正しいように思います。
取りあえず、来週はムシキングの大会には出ないで、別のことをすることに決め、お店で毎週のようにエントリーするのは控えておきました。それにしても、午前中のボーイスカウトのビーバー隊に付き添ってきている親御さんと、午後からのムシキングの大会に出場する子供達に付き添ってきている親御さんとでは、少し雰囲気が違うように思います。私も我が家の子供達もゲーセンの騒がしい雰囲気は決して嫌いではないんですが、私の独断と偏見では、私自身は前者のビーバー隊の親御さん達と仲よくなれそうな気がします。下の子はビーバー隊にいっしょに行っていますので直感的に感じているのかもしれませんが、格差社会が議論される中で、私と子供達の帰属すべき集団を間違えないようにしたいと思います。

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朝からビーバー隊の活動で七夕飾りを作る

七夕飾り今日の午前中は下の子のビーバー隊の活動で七夕飾りを作りに行ってきました。左の写真は出来上がったのを飾り付けているところです。もっとも、輪っかや短冊などを作ったのは子供だけで、私は付添いで見ているだけでした。おかあさんの中には子供を手伝っている人もいたんですが、私は最近買った安達誠司さんの「脱デフレの歴史分析」を読み進んで、子供を手伝うことはしませんでした。
いきなり脱線しますが、この「脱デフレの歴史分析」は出来るだけ不況を避けることに力点を置いた経済政策を思考しているように思えるんですが、私は基本は同じながら、もう少しだけ清算主義的な考え方をしていて、不況においては効率の悪い企業から倒産していくのですから、それなりに不況が経済サイクルの中で果たしている役割を評価すべきであると考えています。
閑話休題。下の子が参加して活動しているビーバー隊は港区内にある神社を活動拠点にしているんですが、今日はその神社に飾る七夕飾りを作っていました。今朝起きた時にはそんなに悪くないお天気だったため、私と下の子とで相談して最近乗っていないので自転車で乗り付けたのですが、昼前からが鳴って雨が降り出し、帰り道は帽子をかぶって雨の中を突っ切って自転車で帰ってきました。やや失敗だったかもしれません。
今週金曜日の七夕祭りは夕方の4時からこの神社であるそうです。普通のサラリーマンは仕事の時間ですので、私は無理かもしれません。下の子が短冊に何の願いごとを書いたのかが気にかかっています。他のビーバー隊の男の子といっしょに隠れて願いごとを書いていたようで、私には教えてくれませんでした。思い切って、金曜日には午後から休暇を取って七夕祭りに行って、下の子の願いごとを見に行こうかと考えています。

午後からは、おにいちゃんとムシキングの大会に出かけます。

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2006年7月 1日 (土)

午後はガンプラ作りに精を出す

午後から、我が家の子供達はキディランドで買ったガンプラ作りに精を出しました。我が家が買っているガンプラはHGと呼ばれる1/144のモデルです。ガンダムの高さは18メートルの設定ですから12.5センチになります。詳細な設計図が添付してきて、少しでも間違うと出来上がりそうにないので、小さい子には無理そうな気がしますし、一応、対象年齢は8歳以上なんですが、下の子も8月には8歳になるので、おにいちゃんのついでにガンプラを買い与えて作っています。もちろん、下の子の方がおにいちゃんよりも少し時間はかかりますが、ちゃんと完成させています。
それから、以前はバドミントンをしたり、自転車で出かけたりしていたんですが、おにいちゃんがテコンドーで骨折してから、このところ、外で運動をしていなかったので、今日の午後あたりは小学校の校庭開放もあり、出かけようかと考えていました。でも、子供達が余りにガンプラに夢中なので諦めました。おにいちゃんにはまだしも、下の子は時間もかけて、さらに、とても集中して一所懸命に作らないと出来上がりません。午後から梅雨らしく雨も少し降ってきたので、さらに、外出は困難になりました。
子供達がガンプラ作りに熱中している間、私は下の子のロフトベッドの下の段をソファからフラットのベッドにしてもらい、その上で本を読んだり、時にはウトウトしたりして過ごしました。下の子は時折ブツブツいいながらガンプラ製作に精を出し、夕方には完成させました。まだまだ数は少ないんですが、これからもこのペースでガンプラ作品が増えるようであれば、リビングにでもガンプラ作品を置いておく棚でも必要になるかもしれません。

それはそうと、下の子のロフトベッドの下の段はとても快適だったので、今夜は私が寝てみようかと考えています。下の子とこれから交渉します。

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ガンプラを買いに原宿のキディランドに行く

土曜日恒例のキディランド通いに行ってきました。
ガンプラ今週はガンプラを買う予定ではなかったんですが、左の写真にあるように新しいのを買ってしまいました。昨日の6月30日に公務員にいっせいにボーナスが支給されて、ついつい、気が大きくなっていたのと、上のおにいちゃんが今週にガンダム・ストライク・ノワールが発売されたからどうしても欲しいといい張りますので、いつもの原宿のキディランドに行って買い求めました。どうでもいいことですが、ボーナスが出て気分がいいのに合せて、昨夜は阪神が巨人相手にボロ勝ちしましたので、よりいっそう私の機嫌がいいわけです。もちろん、おにいちゃんだけというわけにもいかず、下の子もいっしょに来て、やっぱり、ガンダム・ストライクのシリーズでフリーダムを買いました。
キディランドに行くと、ガンプラを買うだけでなく、地下のゲームコーナーでも遊びます。これまた、いつもの通りにおにいちゃんはムシキング、下の子はたまごっちカップで遊びます。子供達が地下のゲームコーナーで遊んでいる時に、私はラフォーレ5階にある山下書店に行って、小学館の学年雑誌が入荷しているかどうかを確かめましたが、我が家の子供達の学年である「小学2年生」と「小学4年生」は7月3日の月曜日発売だと教えてもらいました。この週末には手に入らないようです。
最後に、これまた、一昨日の木曜日にポケモン・カードゲーム拡張パックさいはての攻防」が発売されましたので、これもせがまれて買い求めます。以前住んでいた松戸駅前のイトーヨーカ堂では拡張パックの番号を指定して、店員さんが持って来てくれる方式だったんですが、キディランドでもよく似た方式で、カードをレジに持って行くと店員さんが拡張パックをくれます。一応、自分で選べないかと尋ねてみたんですがダメでした。拡張パックを自分で選べるのは日本橋のポケモンセンターだけなんでしょうか。残念

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