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2006年8月31日 (木)

夏休み最終日に渋谷で子供達の散髪を済ませる

明日は小学校の始業式で、いよいよ、2学期が始まります。だからというわけでもないですが、私は年休消化のために今日は休みました。午後から出かけて、子供達の買い物と散髪を済ませます。
まず、渋谷に出て、自分の買い物を済ませた後、子供達の学習帳を探します。その昔に大学ノートと呼ばれていた一般的なノートではなく、小学生の使う教科書サイズの罫線の幅が広いノートです。我が家のある青山周辺では適当な文具店がなく、渋谷ならどこかにあるだろうと楽観していたんですが、しかし、どこにもありません。銀座線の渋谷駅の改札のそぐ外にある伊東屋になく、ロフトになく、東急ハンズになく、思案した末に、女房に電話して三軒茶屋の西友の上の階の文具売り場にあると聞いて、東急線で三軒茶屋まで行きます。明日から小学校が始まるので、背に腹は代えられません。
それにしても、青山や渋谷なんかでは、ドラッグストアなんかで大量に売れるもの以外は、高付加価値商品やサービスでなければ、見つけるのにとても苦労します。まあ、私は引っ越して来たばかりで知らないだけかもしれませんが、それにしても、ごく普通の小学生向けの学習帳が売っていません。松戸では、小学校の割りと近くに小学生御用達のような文具店があり、小学校で必要なものは何でも売っていました。青山の小学校の近くにはそんな文具店はないようです。青山には高級ブランドのブティックもあり、多くの買い物客を引きつけていますが、ある意味では買い物はとても不便です。
最後に散髪です。散髪屋さんでは、いつも同じことをいうんですが、今日も、後ろと横をバリカンで思い切って刈り上げて、前や上はそれに合せた長さで、全体的に短めに刈りそろえてくれるよう、お願いします。最後にクシをくれるといえば、知ってる人は知ってるチェーン店の散髪屋さんなんですが、なぜか、今日は下の子がクシをもらって大喜びでした。今までは、私がクシは要らないと答えていたのかもしれませんが、下の子は前からもらいたかったようです。これで、私のクシやブラシを借りずに済むといって、洗面所の私のクシやブラシの横に置いていました。

全然話は変わりますが、つい先ほど、12チャンネルのポケモンを見終えて、どうも、先週あたりから今のストーリーが終わりそうな雰囲気があります。オレンジ諸島編のあたりから見始めて、その後もいろいろとあって、いまはアドバンス・ジェネレーションなんですが、その昔にサトシと別れたゼニガメやリザードンと再会したり、オーキド博士が出ずっぱりになったり、そろそろ、次のお話が始まりそうです。我が家の子供達はポケモンが大好きですので、とても楽しみです。

下の写真は散髪前と散髪後の子供達の後姿です。

散髪前  散髪後

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2006年8月30日 (水)

広島の断水からサンティアゴとジャカルタの停電を思い出す

やや古いニュースなんですが、土曜日に広島で県営水道のトンネルが岩盤崩落を起こし、広島市から江田島市や呉市にかけて2万6千世帯で断水となっているようです。復旧には3週間かかるらしいです。
いつもの朝日新聞のサイトから引用すると以下の通りです。

広島県内の呉市など2市1町に水道水などを供給している県営水道の送水トンネルで岩盤が崩落し、26日正午前後から呉、江田島両市の計約2万6000世帯が断水となった。復旧には3週間程度かかる見通しで、県は陸上自衛隊と海上自衛隊に災害派遣を要請した。27日から陸自は両市に給水用車両22両、海自は江田島市に給水船2隻を派遣する。
同県公営企業部によると、25日午後0時半ごろに水位の異常を確認。同日夜からトンネル(直径約2メートル)内を調べた結果、広島市安芸区付近で約45メートルにわたって岩盤が崩落し、トンネルをふさいでいることが判明した。長年にわたる地下水の浸透や風化によって岩盤に空洞ができ、一部が崩落したらしい。付近では、長さ約45メートル、幅約1センチの亀裂も見つかった。復旧工事はこれらの約90メートルでトンネルを補強しながら進める。
トンネルは厚さ約35-40センチのコンクリート製で、65年に送水を開始。水を止めて点検したのは79年が最後という。
呉市では西部と倉橋島など、全世帯の約14%に当たる1万5400世帯、江田島市では約70%の1万650世帯がそれぞれ断水。両市が給水車を出すなどしている。呉市の4工場などで使われている工業用水も、25日午後4時ごろから給水が停止した。

市民生活はもちろん、呉市の日新製鋼なども生産停止になっていると知り合いから聞きました。それにしても、水を止めた点検の最後が1979年というのはお粗末な気がします。自衛隊が給水活動に当たっているとしても、ホントの焼け石に水のような気がします。この暑くて汗をかく季節にシャワーも浴びられないのは衛生面でも好ましくないんでしょう。
電話やテレビなどの通信放送とガスはともかく、水と電気は現代生活には欠かせません。我が家もジャカルタから帰国した折に、空港到着時にNTTに連絡して電話番号を取ったにもかかわらず、4-5日ほど電話がつながらず、当然、インターネットにも接続出来なかった期間がありましたが、それはそれで、死活問題ではなかったような気がします。新聞も同様かと思います。ガスは地震などでガス管が破裂して2次災害の恐れがある場合は注意が必要ですが、この季節なんかは水風呂でもいいですし、調理は電気でも出来なくはないです。でも、水と電気は欠かすことが出来ません。

私が在チリ大使館に勤務していた時に、チリ南部からサンティアゴへの送電線が切断して大停電したことがあります。少し前に、我が家が上毛高原に家族旅行していた時に東京が大停電したのと似ています。今の在チリ大使館は1軒屋に引っ越したと聞きましたが、その当時は雑居ビルの最上階に間借りしていましたので、サンティアゴ大停電も午前中でしたから私も巻き込まれ、ランチに出かける時に19階のオフィスから階段で下りたことがあります。そのときに感心したのは、昼前に大使のアポを取っていた大手総合商社の現地法人の社長さんが19階まで階段を上っていらしたことです。今の私よりも少し上で50歳台前半くらいの年齢層だったような気がしますから、大した体力だと思います。ゴルフで鍛えていたんだと思います。私ならアポの相手が大使でもアッサリとキャンセルしそうな気がします。しかし、私は階段を19階まで上った記憶がないので、その日の午後はランチに出て、そのまま休んでしまったのかもしれません。それとも、ラテンの国の長ーい昼休みを終えたら復旧していたのかもしれません。まったく記憶にありません。また、原因がテロだったのか、何らかの事故だったのかも記憶にありません。
ジャカルタでも時々停電しました。熱帯らしいスコールの時に停電する確率が高かったような気がします。アパートには自家発電機が設置してあり、共用部分のエレベーターなどは細々と動かしていたりしましたが、我が家は3階に住んでいましたので、私はアパートの自家発電機を信用せず、階段で移動していたりしました。家では女房が大量にローソクを買い置きしていたのを記憶しています。停電すると困るのが入浴で、浴室には窓がありませんから、特に、入浴中に停電すると真っ暗になり、子供達が大いに怯えたものです。ですから、スコールが降り始めると、子供達は真っ先に入浴を済ませようとしたりしていました。でも、ガスは各戸にプロパンガスのボンベがありましたので、停電しても調理には困らなかったように記憶しています。ですから、何度かローソクを点して食事したことを覚えています。
幸いにして、サンティアゴでもジャカルタでも大規模な断水の記憶はありません。でも、どちらもメイドさんを雇っていましたので、ジャカルタで大規模なデモが報道されたりして、何らかの不穏な動きがある際には、現地事情に詳しいメイドさんがバスタブいっぱいに水を張っていたのを記憶しています。サンティアゴでは大使館勤務中にメイドさんが来ていましたので、大使館から帰宅するとバスタブいっぱいに水が溜まっていて、とてもびっくりしたことが何度かありました。サンティアゴやジャカルタでは水道水は飲まずに、もっぱら、ミネラルウォーターに頼っていましたので、水はトイレとか入浴だけの用途だったんですが、日本では水道水が飲めるだけに、バスタブに水を張ったのでは衛生面での心配があるような気がします。やっぱり、飲料水は自衛隊の出番なんでしょうか。

何となく、広島の断水から海外で生活していた折の停電を思い出してしまいました。今夜のブログは海外生活の思い出に分類しておきます。

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2006年8月29日 (火)

下の子の誕生日をお祝いする

お誕生日  お誕生日

今日は下の子の誕生日です。小学2年生ですから8歳になりました。よく食べて、いい体格をしています。小学2年生の中では大きい方だと思います。4年生のおにいちゃんとそんなに体格は変わりません。力も強いです。
おにいちゃんが文化サークル系草食獣っぽい感じなのに対して、下の子は明らかに体育会系肉食獣です。同じ親から生まれて、同じように育てられた兄弟で、同じDNAだと思うんですが、体格も性格も微妙に違います。でも、30歳を過ぎれば関係なくなりそうな気もしますが、小学生の間は2歳違いの差は大きくて、なかなか、おにいちゃんにはかないません。
このまま明るく丈夫たくましく育って欲しいと思います。勉強が出来るようになれば、もっといいです。でも、私に似てデブになるのは避けたい気がします。

今夜は私も定時に退庁して、家族みんなでお誕生日をお祝いしました。ステーキエビチリなどの豪華夕食とケーキを食べました。お誕生日のプレゼントは先日買ったカメラです。

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2006年8月28日 (月)

夏休みもいよいよ最後に近づいた本日の雑感

昨日が夏休み最後の日曜日で、今週の金曜日から小学校が始まります。昨夜のテレビのニュースを聞いていて、下の子が夏休み最後の日曜日に強く反応し、今日から小学校が始まると勘違いして、大騒ぎして私や女房に確認していました。一応、宿題は終わってるんですが、心の準備がまだだったんでしょう。自分の誕生日の8月29日が来ていないんですから、まだ夏休みが終わらないことは明らかなのに、少しびっくりしていたようです。それから、髪の毛もかなり伸びてきているので、散髪にも連れて行かねばならないと私は考えています。でも、子供達はまだ無頓着です。
街中も通勤電車に人が戻ってきて、まだ学生さんこそいませんが、我々サラリーマンの夏休みは終わった、という感じでしょうか。オフィスでも通常勤務体制に近づいてきているような気がします。でも、中には里帰りしている奥さんやお子さんがまだ戻らないお宅もあるようです。でも、それも、ここ2-3日のお話だと思います。今週金曜日は小学校の2学期の始業式で、たぶん、式だけなんでしょうが、来週から本格的に勉強も始まるんでしょう。オフィスが小学校よりも先に通常勤務体制に戻り、来週から小学校の勉強も本格的に始まれば、奥様方も通常勤務体制に戻ったりするんでしょうか。

阪神タイガースもさえません。オールスター明けの中日との3連戦に3連敗して、私はすでに今シーズンは諦めましたが、昨夜はようやく連敗を止めて藤川投手が泣きながらインタビューに応じていたそうです。私はすっかりプロ野球は見なくなりました。その余波で高校野球もほとんど見なかったです。ワールドカップからサッカーにはすっかり興味を失いましたし、もうすぐ始まる全米オープンのテニスをチョコチョコと見たりしながら、来年のプロ野球を楽しみに待ちます。まあ、その前にドラフトがあって、アマ球界からプロ入りする選手も楽しみです。

夏に入った早い段階の7月18日付けのブログで表明したように、私は経済が順調そうに見えることから、地政学的リスクのほほんとしていられる私のようなタイプのエコノミストの夏休みは長そうな予感を持っていましたが、どうやら的中して平穏無事な夏だったような気がします。北越製紙に対する王子製紙の敵対的TOB尻すぼみに終わりましたし、紳士服小売店業界のフタタの行く末も決まったようです。北越製紙の株価が続落していることに表れているように、どちらも、株主利益の観点からは疑問なしとしませんが、旧来的な日本式の問題解決だったような気がします。敵対的TOBをスンナリと受け入れるには日本経済は未成熟なのかもしれません。
消費者物価指数の5年おきの定期改定から、実は、インフレ率はまだまだ低かったことが明らかになりました。このため、政府のデフレ脱却宣言や日銀の追加利上げが遠のいたとする意見もありますが、私は年内にもう1回の追加利上げはありえると考えています。日銀内でいわゆるタカ派の意見が主流になってきているように思います。おそらく、GDPのデフレギャップが解消したことから、日銀の追加利上げは日本国内よりも別の方面で影響を生ずるような気がします。米国が利上げをストップして利下げ局面に入らない限り、世界的な流動性に不足を来たす可能性もあり、資金調達に余裕のないエマージング諸国で苦しくなるところが現れる可能性があります。もちろん、すべてのエマージング諸国がアブナいわけではありませんし、米国が利上げをストップして利下げを開始したりすると、資金的な余裕が生ずる可能性が高いですから、アブナそうな国も一服つけることになるでしょう。
むしろ、先週の住宅統計から米国経済の先行きが懸念され始めるでしょう。住宅そのものの第1次的な影響よりも、住宅を担保にしていた個人消費の動向がカギとなります。連邦準備制度理事会(Fed)の利上げが続くようですと、一気に景気後退に陥るリスクがあります。マスコミは住宅バブルの崩壊と呼ぶでしょう。しかし、利上げを停止するとインフレの可能性もあり、Fedはインフレを容認するか、景気後退を選ぶか、きわどい選択を迫られているといえます。米国経済が下降線をたどると、これまた、米国経済そのものよりも、米国への輸出に依存している国の経済後退につながることになります。米国内では今年秋の中間選挙を控えて、輸入障壁を求める声も大きくなる可能性があります。そうなると、ますます米国への輸出に依存している国を巻き込んだ景気後退の可能性が高まります。日本経済の先行きリスクとしては、国内要因よりもこちらの海外要因の方がよりアブナそうな気がします。

以上。小学校、スポーツ、経済に関する本日の日々の雑感でした。一応、阪神タイガースなんかより、最後の経済に関してもっとも長く評論しているので、今夜のブログは経済評論の日記に分類しておきます。

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2006年8月27日 (日)

ビーバー隊の活動で木場公園に行き水遊びとバーベキュー

今日は下の子に付き添って、ビーバー隊の活動に参加しました。下の子はこの9月からカブ隊に昇級するので、今日が最後のカブ隊の活動です。同時に、夏休み最後のビーバー隊の活動ですので、みんなで木場公園に遊びに行きました。

いつもの集合場所から地下鉄で木場公園に着いて、最初は、ジャブジャブ池水遊びです。4月30日のブログに書いたように、我が家が遊びに行った時にはジャブジャブ池に水がなくてガッカリしましたが、さすがに、夏休み最後の日曜日の今日はタップリ水がありました。ビーバー隊総勢10人ほどで地元の子供達を押しのけてジャブジャブ池を占拠します。このころから、保護者の方々はバーベキューの手伝いなんぞをしていたんですが、私はデジカメ持参だったので写真を撮って、後ほど、ビーバー隊の隊長にお送りするということで、バーベキューの手伝いをサボって子供達について回ります。元来、私はこのテの料理関係は苦手ですから、手伝っても大したことは出来なかったような気がします。ウチの子は、くるぶしの少し上くらいまでしか水がないのに、横に寝そべってしっかりと水につかっていました。
1時間ほどジャブジャブ池で遊んだ後、昼食のためバーベキューの広場に移動します。我がビーバー隊の他に10組ほどがバーベキューをしていました。隣の広場ではフリマが展開されていました。私はバーベキューの最初の方は食べもせずに写真を撮りまくります。しかし、このころからデジカメのバッテリが怪しくなり始めます。仕方がないので、外での撮影ということもあり、フラッシュケチり始めます。バーベキューで肉や野菜を食べた後は流しそうめんでした。ただし、これは子供達だけです。本格的に竹を割った水の流れをゆでたそうめんが落ちて行きます。子供達はお椀を持って、お箸でそうめんをすくいます。幼稚園・保育園から小学2年生まで、お箸の上手下手がハッキリ見て取れます。写真を撮る私の方はといえば、このあたりで、まじめに充電しなかったデジカメのバッテリが切れてしまいました。最後のエネルギーまで使い切ったようで、ズームのためにせり出したレンズが元に戻らなくなってしまいました。その場ではちょっとピンチかと思いましたが、家でAC電源につなぐと、難なく元通りに稼動しましたから安心しました。
食事の後は、デザートを兼ねてアトラクションスイカ割りです。10人ほどの子供がジャンケンで決めた順番で挑戦します。ウチの子は3番バッターだったんですが、見事に最初にスイカを割ることが出来ました。その後も、2-3人はスイカを叩くことが出来ていたようなんですが、ビーバー隊ではひときわ大きいウチの子ほど力がないようで、しっかりとスイカを割ったのはウチの子だけのような気がしました。親の欲目でそう見えていたのかもしれません。ビーバー隊の隊長がスイカの近くで右や左や前や後ろやの指示を出していたんですが、途中から意図的に間違った指示を出し始め、それに従ってしまって無茶な方向に進む子もいたりしました。もちろん、割ったスイカはデザートでいただきます。種は地面に捨てていいということになりましたので、来年には木場公園のバーベキュー広場がスイカ畑になるんではないかと心配するお子さんもいたりしました。
最後は木場公園を北と南に分ける吊り橋をバックにみんなで記念撮影です。私のデジカメはバッテリを使い果たして何の役にも立たなかったんですが、昨日買ったばかりのお誕生日プレゼントのカメラを持参したウチの子が自分でみんなを撮ったりしました。私もウチの子のカメラでみんなを撮ったりしました。
木場公園からいつもの集合場所に戻って、ウチの子はビーバー隊最後の活動でしたので、少し保護者だけでお茶のみ話でもと誘われましたが、下の子が早く帰りたがったので、お断りしてサッサと家に戻りました。そのためかどうか、もっと夕方遅くに帰ると思っていたらしいおにいちゃんに「もう帰ってきたの」といぶかられてしまいました。

下の写真はどちらも下の子ですが、ジャブジャブ池に座り込んでみんなと遊んでいるところとバーベキューを食べているところです。なぜか、この週末は下の子の写真ばかりでしたので、次の機会にはおにいちゃんの写真も撮りたいと思います。

ジャブジャブ池  バーベキュー

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2006年8月26日 (土)

誕生日プレゼントを買いに行く

今月の末に下の子の誕生日が来ます。小学2年生ですから8歳になります。先日来、誕生日プレゼントを考えていたんですが、最近になって急にカメラに興味を示すようになり、私も嫌いではないので、入門用のカメラを買い与えることにしました。富士フィルムのクリアショットというモデルです。デジカメではなく、フィルムを入れるコンパクトカメラです。スペックなんかも含めた発売時の発表資料はこちらにあります。ズーム機能こそありませんが、オートフォーカスストロボもありますし、35ミリのレンズはf=26mmで1:5.6です。まあ、小学生には十分なスペックといえます。
昨年夏のボーナス商戦時に投入されたんで、そんなに新しくはないんですが、それだけに、実売価格は4000円くらいに下がってきています。でも、そろそろ、在庫僅少になってきていて、我が家では新宿西口の大手量販店に電話で在庫を確認の上、取り置きしておいてもらいました。今日の午前中に下の子を連れていっしょに買いに行きます。原宿まで歩いて山手線新宿に行きます。カメラだけでなく、ハクバのショルダーストラップもいっしょに買い求めます。それで貯まったポイントでフィルムを3本買ったりします。
1学期には小学校の遠足で、小学4年生のおにいちゃんが高尾山に行った時に、小学校からカメラを持参するようにとの連絡をもらって、我が家では適当なのがなかったので、フィルム付きレンズだか、レンズ付きフィルムだかの使い切りを持たせた記憶があります。ですから、まあ、小学生ながら、入門機のカメラくらいは持っていてもいいんじゃないかと思って買い与えました。途中の道すがら、宇宙飛行士になりたいと常々いっている下の子が、カメラは宇宙空間でもちゃんと撮れるのか、と聞いてきます。私から、カメラや時計なんかの機械は空気や重力のない宇宙空間でもちゃんと作動する、と答えておきます。映画のアポロ13を見た時の知識で、宇宙飛行士は宇宙服の外側に腕時計をするんだと教えたりします。
昼食前に家に帰って、ストラップを付け、電池とフルムを装填します。オートフォーカスながら、1メートル離れないといけないので、そのあたりを下の子に教えます。精密機械だから落としたりぶつけたりしないように、取扱い上の注意とか、逆光にしないためには太陽を背負って撮るのがいいとか、知らない人や許可なく他の人は撮ってはいけないとか、撮影上の注意も与えます。下の子は、早速、家の中でパシャパシャとキーボッツの作品なんかの写真を撮り始めます。
下の写真は、カメラを買った直後にお店の前で撮ったのと家に帰ってからストラップやケースを付けてカメラを首から下げた下の子の写真です。

お店の前で  家の中で

ここから以下は全面的に脱線話です。
我が家はパソコンはバイオで、デジカメはサイバーショットと、割合とソニー製品が多いんですが、どうして富士フィルムのカメラにしたかというと、単純にソニーがフィルムカメラを製造していないから、と、他に適当な入門向けカメラがないからです。でも、それとともに、大昔に流行ったフジペットに対する特別の思い入れがあるからです。フジペットなんか、おそらく、団塊の世代から、せいぜい、私くらいまでの年代の人間しか実物を見る機会がなかったんではないかと思います。ちなみに、私は団塊の世代から10年以上も後の生まれなんですが、それくらいの40歳代半ばか、それ以降の年配の年代の人しか覚えていなくて、若い世代の人達はフジペットなんて知らないんじゃないでしょうか。でも、「三丁目の夕日」なんかで展開される、私の生まれた昭和30年代には、小学校高学年を中心に爆発的にヒットしたカメラです。物持ちがよければ、今でも持っている人がいるかもしれません。時折、ネットオークションで見かけたりもします。でも、35ミリのフィルムじゃなくて、6x6のフィルムですから、今でも使えるのかどうか、私にはよく分かりません。

以下は、富士フィルムのホームページにある富士フィルムの50年のあゆみからの引用です。社史みたいなものだと思います。なお、引用中に当社とあるのは、当然、富士フィルムのことです。

当社は、“フジカシックス”の商品化で、カメラ市場に参入したが、写真感光材料とカメラを生産する総合メーカーとして、カメラの開発上の最も大きな課題は、写真需要の拡大ということである。この目的に立って、当社は、これまでカメラに触れたことのない人でも、手に入れたその時から気軽に写真撮影を楽しめるカメラの開発を計画した。設計は株式会社甲南カメラ研究所に、デザインは東京芸術大学田中芳郎氏に、それぞれ協力を依頼した。そして、写真の入門機ともいえる6cm×6cm判カメラ“フジペット”を開発し、1957年(昭和32年)9月、発売した。
“フジペット”の標準小売価格は1,950円、ボディーの色は、黒のほかに、赤・青・黄・緑・グレーの各色をそろえ、6cm×6cm判のカメラでありながら、スタイルは、当時流行の兆しをみせはじめた35mmカメラ風のプラスチック製で、左右のレバーを1、2の順に押すだけで手軽に撮影することができた。
この“フジペット”は、写真の入門機として、期待どおり、小学校高学年を中心とする年少者層、さらに初めてカメラを手にした女性と、幅広い各層に使用され、爆発的な人気を呼んだ。
その後、1959年(昭和34年)6月には、フジペットシリーズとして、35mmカメラ“フジペット35”を、1961年(昭和36年)4月には、6cm×6cm判で自動露出調節機構を付けた“フジペットEE”を発売した。
フジペットシリーズは、1957年(昭和32年)の発売開始から1963年(昭和38年)の製造打ち切りまでの7年間に、実に100万台近くを販売し、当時のカメラ販売記録を更新する一大快挙を達成したのである。

もちろん、社史ですから自分の会社をやや過大に評価する傾向はあるんですが、私なんかが小学校に入学した時の高学年には、京都の片田舎の小学校ながら、フジペットを持っている子がいたことも事実です。我が家はビンボでしたので私なんかは買ってもらえませんでしたが、お金持ちの家の子は持っている子がいました。事前に家の人から小学校に連絡しておけば、遠足なんかに持って行くのはオッケーだったような気がします。もちろん、記憶は不確かです。でも、発売が1957年と私が生まれる前ですし、製造打切りも1963年と私が小学校に入学する前ですから、私なんかはフジペットを知っている最後の世代なのかも知れません。
それにしても、現時点でもカメラの入門機が3000-5000円くらいですから、1957年に2000円くらいのフジペットは、それ相応の値段がついていたんだと思います。発売を始めたのがほぼ50年前ですし、2度のオイルショックや狂乱物価をへて、デフレがあったとはいえ、この50年間で直感的に物価は10倍以上になっている気がします。もちろん、フジペットはオートフォーカスやストロボなんてなかったでしょうから、昭和30年代にはいかにカメラが高級品であったかがうかがい知れます。
実は、私が生まれたときの写真はモノクロでした。小学校に上がる少し前からカラー写真になったような気がします。もちろん、フィルム写真です。今では、我が家の下の子なんかは生まれた直後のお宮参りからカラーのデジタル写真ですから、時代は変わったものです。また、我が家は少なくて、おにいちゃんが3歳の時にNHK「おかあさんといっしょ」に出演させてもらったのくらいですが、デジタルの動画を大量に残しているお宅もあるかと思います。
時代の変化が激しいので、すっかりジーサンになってしまった気がします。

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2006年8月25日 (金)

伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」を読む

文藝春秋9月号の全文掲載された伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」を読みました。いうまでもありませんが、先日、芥川賞を受賞した小説です。大雑把にいうと、30男の主人公は飲料自動販売機にカン飲料を配送して回るアルバイトをしていて、もうすぐ離婚します。同じトラックを運転している仕事のパートナーの水城さんがいて、この人には何でもおしゃべりして、この仕事が縦糸になり、結婚から離婚に至る私生活が横糸になっています。まあ、どちらが縦糸で、どちらが横糸かは、どちらでもいいんですが、章の区切りごとにこの二筋の流れが交互に出てきます。なお、今夜のブログもネタバレがありますから、ご注意下さい。

まず、いつもの通り、選評です。やっぱり、さえないというのが多かったような気がします。石原慎太郎さんは選評のタイトルが「またしても不毛」だったりしますし、村上龍さんも今回の候補作はどれもレベルが低いといっています。同時に、現代における生きにくさを描く小説にはウンザリ、とも評し、池澤夏樹さんも、他の候補作と併せて、なんでこんなにビョーキのはなしばかりなのか?と嘆いていたりします。山田詠美さんも、今回の候補作の登場人物を評して、こんな人々だけで構成されている世界はやだなー、とうんざりしていたりします。このあたりは私も共感する部分が大いにあります。高木のぶ子さんだけが、受賞作の詰め将棋のけむりづめに例えた表現力や、浮気ではなくてよそ心といった表現をほめているような印象があります。でも、私は、だいたいにおいて、村上龍さんと山田詠美さんの選評を楽しみにしていて、共感できる部分が最も多いと思っています。
さて、小説の中身ですが、前回の芥川賞受賞の絲山秋子さんの「沖で待つ」と同じように、主人公と水城さんはとても不思議な男女関係です。仕事のパートナーという他ないんですが、正社員で希望して総務部に配置転換になるドライバーの水城さんに対して、主人公はアルバイトだったりします。日本の会社では一心同体といわれる場合もある上司と部下でもなく、もちろん、恋愛関係ではさらさらなく、何でもしゃべる、というのが小説の舞台回しになっているわけです。水城さんがトラックを運転して、新宿から大久保あたりの飲料自動販売機にカン飲料を配って回るわけです。その中で、主人公の結婚生活や浮気などについておしゃべりしつつ、小説が展開していきます。
その裏側に主人公の私生活、というか、結婚生活があり、水城さんに代わって奥さんが出てくるもうひとつの流れの部分があります。主人公は脚本家になる夢を見ながら結婚し、結局、脚本家にもなれず、近くの美容院の美容師さんによそ心を抱いたりしながら、結局、結婚生活も破綻に至ってしまうわけです。離婚前の最後のデートなんか、私は離婚したことがないのでよく分かりませんが、こんなものかと思わせる盛り上がりがあったりします。でも、結局、明日になれば、主人公は離婚届を区役所に提出に行き、水城さんは配送ドライバーから総務部に配置転換されて千葉に行きます。その最後の8月31日の物語です。

選評で酷評する選者もいましたが、私は読んでいて肩の凝らない小説だと思いました。それなりに評価しています。佳作ではありますが、芥川賞を取るほどかといわれれば、疑問を呈する人がいるかもしれません。「沖で待つ」ほどではないですが、ナチュラルな男女関係を基に、ムリなくストーリーが流れて行っていると思います。仕事の縦糸と結婚生活の横糸の章別の書き分けも秀逸です。伝えたいことは伝わっていると思います。でも、暗いんです。どうしようもなく暗いです。伝えたいことがどず黒いくらいに暗いです。村上龍さんや高木夏樹さん、山田詠美さんじゃないですが、現代においてはこんなのしか小説にならないんでしょうか。一番の疑問はタイトルで、主人公が「八月の路上に捨てる」のは、縦糸では水城さんとパートナーで仕事をすることと、横糸では結婚生活だと思うんですが、これは他動詞で捨てるんではなく自動詞で失うんだと思います。どうして捨てると他動詞で表現したのかは私には分かりません。そして、主人公が手に入れるものは、差し当たり、何もありません。ですから、暗いんです。生意気なことをいうかもしれませんが、一応、キャリアの公務員として、それなりに安定した収入があり、妻とは離婚もせずに子供達といっしょに家庭生活を送っている、ごく平均的な中流の私には、本質的に理解出来ようがない暗さをこの小説は持っているような気がします。そこが総合職の女性正社員を主人公にしている「沖で待つ」との決定的な違いだと思います。
しかし、エコノミストを自称する私としては、このような暗い小説は景気回復の継続とともに、そろそろ表舞台から去って、バブル時代の突拍子もないジュリアナ小説が出て来るとは思いませんが、より明るいトーンの小説が流行るようになるんではないかと期待しています。もちろん、根拠なく明るい未来を描いて欲しいとは思いませんが、そろそろ暗くてビョーキの人一辺倒の小説から、もっと伝えたい内容がしっかりした小説に主流が転換して行くような気がしないでもありません。希望的観測を含めてそう思います。
あんまり感想を書いていないんですが、取りあえず、芥川賞としては4つ星くらいではないでしょうか。昨年の「土の中の子供」ほどひどくはありません。暗い小説が好きな人にオススメします。でも、泣きたい人には不向きですので注意が必要です。

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2006年8月24日 (木)

オフィスで音楽を聴くのはオッケーか?

今週の週末にオフィスのレイアウト変更があるので、乱雑な机の上を整理しました。元来、私は整理整頓が決して上手ではなく、オフィスの机の上は乱雑です。その昔には、几帳面な部下がいてくれて、そろそろ机の資料の平均標高が5センチに達するから整理したらどうか、と具体的な数値目標に基づくアドバイスをくれたりしました。ジャカルタにいたころは、日本で使っているようなノートパソコンではなく、大型のデスクトップでしたので机の上の可処分面積が小さく、さらにいっそう乱雑だったんですが、30センチ四方のスペースがあれば仕事は出来る、とうそぶいていたりしました。

閑話休題
オフィスの机の資料を整理するということは、本来は、保存するのと処分するのに仕分けするような気もするんですが、長らく机上に放置されてあっても業務に支障がなかったんですから、ほとんどは保存する必要のない資料で、実態は、シュレッダーにかけるのとそのままゴミ箱に捨てるのに分類することになります。要するに、保存すべき資料はすでに保存してあったりしますので、ほとんどの机上の資料は処分することになるわけです。なお、机下の扇風機も片付けます。夏には必須のアイテムですが、一時しまい込みます。

再び閑話休題
机上を整理すると、資料の間に挟まっていた1枚のオーディオCDを発見します。私の大好きな1950-60年代のモダンジャズです。そういえば、家から持って来ていたんだと思い出します。そうなんです。私は時折なんですが、オフィスで音楽を聴きながら仕事をしていたりするんです。まあ、そんなにたくさんのCDを持っているわけでもありませんし、1枚で1時間足らずですから2-3回も聴けば飽きてしまいます。ですから、そんなにしょっちゅう音楽を聴きながら仕事をしていえるわけではないんですが、まあ、時折は聴いているわけです。何を聴いているかといえば、40-50年くらい前のモダンジャズです。何で聴いているのかといえば、職場のパソコンで聴いています。流行のiPODとか、昔懐かしいウォークマンではなく、オフィスにある普通のパソコンに、そこらへんで買ったイアホンを接続して聴いています。とっても忘れられがちなんですが、パソコンはCDなんかに記録されたデジタルデータを処理するのが得意なんですから、特段、仕事で使う他のソフトに大きな負荷をかけずにオーディオCDを再生してくれます。
オフィスで音楽を聴くようになったのは、1980年代の終わりに米国の連邦準備制度理事会(FED)計量モデルの研修を受けた時からです。2ヶ月ほどワシントンD.C.に滞在して、日本の霞ヶ関に相当するフォギーボトムと呼ばれる官庁街に位置するFEDに毎日通ってリサーチアシスタントをしていたんですが、FEDでは個室のオフィスで仕事をしていましたので、それこそ、ウォークマンで音楽を聴きながら仕事をしているエコノミストがワンサカいたものですから、私もマネッコをしたわけです。当時は、1985年のプラザ合意の後に、ドル高修正が始まったにもかかわらず、米国の経常収支赤字や日本の貿易黒字が一向に減らないのはなぜか、について計量モデルを使って解明しようとしていたりしました。断定的な結論は得られなかったように記憶していますが、私にとっては計量モデルの設計やシミュレーションなどの技術的な研修はとっても有意義でした。
その後、1990年代前半には在チリ大使館でも個室のオフィスが与えられて、やっぱり、音楽を聴きながら仕事をするのが不自然ではない環境だったりしました。でも、このころまでは、1人に1台のパソコンが当たり前ではなかったので、ウォークマンなどの音楽機器を持ち込んでいたりしました。

オフィスで音楽を聴くことについては、2点ほど議論があります。第1に、そもそも、仕事をしながら音楽を聴くことは業務に支障を生じないか、で、第2点は、周囲の人に迷惑にならないか、です。
第1点については、昔からながら族と呼ばれているように、音楽を聴きながらとか、ラジオを聞きながらの方が勉強や仕事がはかどる、というタイプの人も少なくないように思います。例えば、ケロロ軍曹に出てくる燃える軍人ギロロ伍長なんかも、戦意高揚のための音楽の効果については認めていたりします。軍歌とよばれる音楽のジャンルがあり、カラオケなんかでも何曲か取り入れられていることはご存じの通りだと思います。ですから、特に、モダンジャズを聞くことがエコノミストの業務を大幅に効率化するとは思いませんが、少なくとも、私なんかには音楽を聴くことは業務の阻害要因にはならないと思います。もちろん、聴きたくない人は聴かなければいいわけですし、パソコンの業務外目的の使用かもしれませんが、負荷は低くて他のソフトの動作に影響を与えるほどではありませんから、そんなに目くじらを立てるほどのことでもないような気がしますが、いかがでしょうか?
それから、第2点として、電車の中なんかで音楽機器から漏れるシャカシャカ音迷惑行為になる可能性を指摘するポスターなんかがあったりしますが、日本のオフィスは個室ではないにしても、通勤電車とは人の距離が違いますし、ボリュームを適当に調整すれば解決可能な問題だと思います。
いずれにせよ、私から見れば、業務中に音楽を聴くことがイカンのだとすれば、お茶を飲んだり、暑い時にウチワでパタパタあおいだり、同僚と雑談するのもするのも全部禁止しなければならないような気がします。

世間においても、また特に、わが同僚も、これくらいはオッケーとして欲しいと思います。

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2006年8月23日 (水)

伊藤積分とブラック・ショールズ方程式

昨夜のブログで書いたように、昨日8月22日からスペインの首都マドリッドで開催されている国際数学者会議において、伊藤積分で著名な京都大学伊藤名誉教授ガウス賞を受賞され、ロシアのペレルマン博士ほかがフィールズ賞を受賞しました。ただし、ペレルマン博士は受賞を辞退したそうです。フィールズ賞の70年の歴史で受賞を辞退したのは初めてだそうです。それから、私はよく知らなかったんですが、ガウス賞というのは今年初めて創設された賞らしいです。今日の各紙の朝刊で取り上げられていましたから、お読みになった方も多いでしょう。
今夜のブログは、今年6月6日のブログでポアンカレ予想について書きましたので、散発的に伊藤積分ブラック・ショールズ方程式などについて、実はいつもそうなんですが、思いつくままに書き散らしたいと思います。数式は一切使いませんが、申し訳ないながら、今夜も数学の苦手な人は諦めて下さい。でも、私も少し不確かな知識で書いている部分もありますので、間違いを指摘していただければうれしいです。それから、最後に冒頭のイントロダクションに戻って書き足しているんですが、今夜は伊藤積分で力尽きてしまいました。ブラック・ショールズ方程式については後日にちゃんと取り上げます。エコノミストのみなさんゴメンナサイ。今夜のタイトルは、正しくは、伊藤積分とブラック・ショールズ方程式です。ブラック・ショールズ方程式小さく表記すべきかもしれません。

まず、伊藤積分、すなわち、確率微分方程式を解くための積分ですが、当然ながら、エコノミストがしばしば扱うような月次や四半期といった離散型のデータではなく、連続型のデータを扱うことになります。Σで合計するんではなく、∫で積分するわけです。伊藤積分はそもそも普通のリーマン積分が出来ないことから考え出されたものです。実は、20世紀の初頭に考案されたルベーグ積分も動機は同じで、リーマン積分では個々の関数が積分可能でも、極限関数の積分可能性が確保されないために、リーマン積分で使われているジョルダン・ピアソン測度ではなく、ルベーグ測度を導入して極限関数の積分を可能にしています。直観的にいえば、伊藤積分はリーマン積分が出来ないから、確率収束、すなわち、自乗平均極限値で積分を定義するものです。要するに、一言でいうと伊藤積分とはリーマン和で定義されるわけです。
より詳しく書くと、リーマン積分はリーマン和をとるときに関数の代表点を上と下のどちらも抑えて、つまり、区間のどこの値を取っても結局は同じ値に収束していく場合に使う積分の定義であるのに対して、ブラウン運動なんかの場合は有界に収束しませんから、代表点の場所によって積分の結果が変わってしまいますので、逆に、マルチンゲールになるように先頭を代表点として取ることにするわけです。というと、とても適当なことをやっているような印象を受けますが、実は、そうともいえます。すなわち、より正確にいうと、ブラウン運動は有界運動ではありませんから、リーマン積分はもちろん、ルベーグ・スティルチェス積分も定義出来ません。もちろん、リーマン和を取ります。というか、リーマン和を取れるのしか意味のある積分になりません。しかし、微小積分区間の先頭を代表点として取るか、中央を取るか、後ろを取るか、によって積分結果が異なるのですが、伊藤積分では先頭を代表点として取ることによりマルチンゲールを成立させるように工夫しています。ですから、リーマン積分が成り立たなくても、ルベーグ・スティルチェス積分が定義されなくても、代表点の取り方が違うので伊藤積分は可能です。数式を使わないとの前提では、私にはこれ以上の説明能力はないので、これで理解出来ない人は諦めて下さい。また、専門分野ではないので、少し用語が混乱しているかもしれません。ご容赦下さい。
この伊藤積分はマルチンゲールです。というか、マルチンゲールになるように定義されています。なお、マルチンゲールについては今月8月8日のランダムウォークを取り上げたブログで言及しています。ですから、伊藤積分は正規のランダムウォークの連続時間での応用といえます。一応、念のためなんですが、前のセンテンスで「正規の」といったのは、正規分布の正規ですので、通常の、とか、普通の、という意味ではありませんから、お間違えのないように。この伊藤積分のドリフト制御可能と考え、積分結果に誤差を許容すると確率制御問題に帰着します。
私はエコノミストを自称していますので、工学系の知識には乏しいんですが、有識者の説によると、この伊藤積分から導かれる確率制御問題はカルマンフィルターによる状態空間表現とともに1960年代のアポロ計画などに応用され、その推進の一翼を担ってきたそうです。そして、米ソの宇宙開発競争が一段落したところで、1970年代からアポロ開発に携わった関係者がウォール街に進出し、数理ファイナンスの理論展開が飛躍的に活発化したといわれています。最近では、リアルオプションのような投資理論にも応用されています。このあたりの数学や工学の理論が経済や経営に応用されるようになる過程や人の動きなんかは、ちょうど、第2次世界大戦における戦略空軍からフォード経営陣に参加して社長になったマクナマラ氏のチームのようなお話です。ハルバースタムの「ベスト・アンド・ブライテスト」からの知識です。ご存じの通り、マクナマラ氏はその後、ケネディ政権下で国防長官、さらに世銀総裁も務めました。なお、ついでに付け加えると、カルマンフィルターによる状態空間表現経済分野でも取り入れられています。恥ずかしながら、私もGDPギャップの算出を状態空間表現で表してカルマンフィルターを使って解いたペーパーを書いたことがあります。ご興味のある方は、サイドメニューのおすすめリンクにあるおとうさんのお仕事のページから自己責任でどうぞ。
閑話休題。確率微分方程式や伊藤積分については、たくさん本が出ていると思いますが、そんなに熱心に勉強するつもりではない場合には、インターネットからPDFでダウンロード出来るものもあります。私のオススメは以下の通りですので、自己責任の下でご自分でお探し下さい。特に3番目のサイトはMathemacicaのプログラミングを目的としているようです。

  1. Integral Interval
  2. 一橋大学高橋教授
  3. randam-walk.org

話がようやく経済分野にたどり着きましたが、力尽きてしまいました。伊藤積分が数理ファイナンスに応用されるきっかけは、1969年にマートン教授が発表した論文で伊藤積分や伊藤の公式を引用したことです。1973年にはブラック教授ショールズ教授の共同論文で、いわゆるブラック・ショールズ方程式が示されました。これを確率微分方程式を使って数学的に証明したのがマートン教授です。マートン教授とショールズ教授は数理ファイナンス理論の発展への功績により、1997年にノーベル経済学賞を受賞しました。ブラック教授は1995年にガンで他界しましたが、生きていれば当然、ノーベル賞を受賞していたものと考えられます。
ブラック・ショールズ方程式とは、大雑把にいえば、株価などの金融資産価格がウィーナー過程にあるブラウン運動と同じで、ランダムウォークしていると考えるならば、予測は不可能で無意味なんですが、ランダムウォークする系列が相当数集まると正規分布に近づくという中心極限定理により、確率的にオプション価格などを決定することが可能になるものです。もう少し実務的な表現をすれば、金融資産の価格変動がウィーナー過程にあり、すなわち、ブラウン運動している場合、当該金融資産から派生するデリバティブと当該金融資産のポートフォリオが無リスクとなるような条件が対数正規的な関係、すなわち、確率微分方程式で表現される、というものです。確率的に表現されるのですから、その意味で、神はサイコロを振るわけです。もちろん、大石英司さんの小説や日テレのドラマではなく、アインシュタインの方です。
ウォール街や日本の兜町あたりで株式市場に関係している人のパソコンにはブラック・ショールズ方程式を解くソフトがインストールしてあり、以下の6項目の情報をインプットすればオプション価格が得られるそうです。

  1. 行使価格
  2. 期間
  3. 原資産価格
  4. 原資産利回り
  5. 無リスク資産の利子率
  6. ボラティリティ

赤で示した上の2項目は自分で決め、青で示した下の4項目は市場から得られる情報を基にして決めます。ブラック・ショールズの微分方程式は解析的に解けますから、満期日のみに行使できるヨーロピアン・タイプのコール価格算出のためのプログラムはそんなに難しくなく組めるらしいです。

家に帰ってから、伊藤積分をキーワードにブログの検索をしてみました。何と5件しかヒットしませんでした。私のが6件目になるようです。個人的には、もう少しペダンティックなブログが増えて欲しいと思います。
一応、今夜は力尽きたのでここまでとし、ブラック・ショールズ方程式はそのうちに取り上げるつもりです。
今夜のブログも、無理やりに経済評論の日記に分類しておきます。

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2006年8月22日 (火)

エコノミストはどうして数学を使うのか?

今日の朝日新聞の夕刊の1面にポアンカレ予測を解いたんではないかといわれているロシアのペレルマン博士雲隠れしたとのニュースが掲載されていました。また、この続報でもないんですが、今日からスペインの首都マドリッドで始まった国際数学者会議で我が母校の京都大学伊藤名誉教授がガウス章を受賞されたことが朝日新聞のインターネットサイトに掲載されていました。ペレルマン博士はフィールズ賞に選ばれたんですが、受賞を辞退したそうです。相当な変わりもんなんでしょうか?
なお、朝日新聞のサイトから引用すると以下の通りです。

4年に1回開催される国際数学者会議が22日からスペインのマドリードで始まり、社会に大きな影響を与えた数学者を顕彰するために創設されたガウス賞に京都大の伊藤清名誉教授(90)が選ばれた。伊藤氏は、60年以上前につくった確率解析の理論が、金融の分野でデリバティブ(金融派生商品)の価格決定の方程式に応用され、「ウォール街で最も有名な日本人」と注目された。
また、数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞には、100年来の数学の超難問の一つ「ポアンカレ予想」を解決したとされるロシアの数学者グレゴリー・ペレルマン氏(40)ら4人が選ばれたが、ペレルマン氏は受賞を辞退した。
他のフィールズ賞受賞者は米プリンストン大のアンドレイ・オクニコフ教授(37)、米カリフォルニア大ロサンゼルス校のテレンス・タオ教授(31)、パリ南大のウェンデリン・ウェルナー教授(37)。コンピューター科学の研究者に贈られるネバンリンナ賞は米コーネル大のジョン・クレインバーグ教授(35)が受賞した。

引用にもある通り、京都大学の伊藤先生はブラック・ショールズ方程式などに応用された中心極限定理の基礎となる伊藤積分で有名です。また、ペレルマン博士ポアンカレ予測を解いたことについては、私のブログで今年の6月6日に取り上げていますので、よろしかったらご覧下さい。今年のアカデミックな世界の話題になると予言した通りですので、私もうれしいです。それから、フィールズ賞ガウス賞の違いなどについては、朝日新聞のサイトをご覧下さい。

とうことで、数学の話から始まりましたが、先日、ある外資系の証券会社のエコノミストとお話した際、その人の会社の他のエコノミストやアナリストは数式がレポートや説明に出て来ると拒否反応を示し、話を聞きたがらなくなって困る、といっていました。お客さん向けのレポートなんかでは数式を入れるのはご法度だそうです。これは理解出来るような気がします。私は正直に「それは苦しいですねえ」といってしまいました。私もいくつか経済分析のペーパーを書きますが、何もはばかることなく数式を使います。例えば、エコノミストとしての私の業績を公開しているホームページにもいくつかペーパーをPDFでアップロードしてあるんですが、ジャカルタのころに書いたペーパーなんかは、必ずといっていいほど数式で経済モデルを示してあります。その数式を基に実証分析をしたりするわけです。でも、今の出向先のオフィスでは、やっぱり、数式に拒否反応を示す人が少なくないので、そのあたりは気を遣っています。
私が若いころには、経済学とは微分方程式を解くことだとうそぶいていました。もちろん、解析的に解ける微分方程式はほとんどありませんから、コンピュータでリカーシブに解くことになります。計量モデルの場合は収束計算と呼びます。私はやったことはないんですが、乱数を発生させていろんな確率計算をすることもあります。乱数を発生させて再帰的に解くのをモンテカルロ法と呼びます。そうです。ギャンブルで有名な地中海に浮かぶ小島のモンテカルロです。ギャンブルは乱数発生と同じだと考えられるからかもしれません。由来は私もよく知りませんが、そんなところだろうと思います。
ノーベル賞をとった著名な経済学者であるサムエルソン教授の著書の見開きの表紙に「数学もまた言語なり」と書いてあったりします。佐藤隆三教授が訳した「経済分析の基礎」だったと思います。サムエルソン教授の博士論文を集めたものだと記憶しています。この言葉はサムエルソン教授のオリジナルではなく、ギブスからの引用だったと思いますが、これはとても適切な表現だと思います。私なんかがジャカルタでインドネシア人を相手に、どちらもネイティブの英語ではない人達が経済の話をする場合、言葉で延々としゃべるよりも数式一発で示した方がお互いに理解が早い場合が往々にしてあります。
しかし、数学的に物事を考えたり、数式で表現したりすると、論理的な思考力がつく、といわれることがありますが、私はこれは怪しいと思っています。逆はありえます。すなわち、論理的な思考能力の高い人は数学や数式の理解力も高い可能性は大いにあります。でも、数学を使ったり、数式で表現したりしても論理的思考能力が高まるかどうかは定かではありません。
話を元に戻すと、今の職場で強く実感されるのは、数学や数式が使えないと経済学的な表現力がとても制約されることです。ですから、マンキュー教授ブログでも経済学を専攻する学生や院生は出来る限り数学の講義を受講するように、また、同じ文脈で、統計学の基礎的な知識は身につけて置くようにオススメされていたりします。これは経済学の大学教授として当然といえます。それにしても、「ヤバい経済学 Freakonomics」でレヴィット教授が大学院生になるまで偏微分の記号である∂を知らなかった、というか、全微分の記号であるd区別がついていなかったことをあとがきで書いているのには大いに驚きました。

今夜のブログは数学のガウス賞とフィールズ賞で始まったりして、あんまり経済を評論していないんですが、一応、経済評論の日記に分類しておきます。

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2006年8月21日 (月)

スカラベはラピスラスリで出来ている

この週末に、下の子がエジプト土産スカラベフンコロガシ、別名、タマオシコガネという甲虫に由来することを朝日新聞の「かがくる」で発見して、大騒ぎで私を呼び付けたことがありました。下の子はきれいでピカピカ光るものが大好きで、人生ゲームではお土産でスカラベを手に入れようとかんばったりします。ですから、スカラベがフンコロガシだったと知って、ちょっとがっかりしたようでした。
下の子が私に見せてくれたスカラベの写真は「かがくる」に掲載されているもので、青い石で出来ていました。私が見たところ、どうも、ラピスラスリで出来ているような気がします。ラピスラスリはスペイン語読みですので、zを濁って読めばラピスラズリになるのかもしれません。ウィキペディアにはラピスラズリで出ていました。このブログではスペイン語読みのラピスラスリと表記したいと思います。

ウィキペディアによると、ラピスラスリとは以下の通りです。

ラピスラズリ(Lapis lazuli)は、深い青色や藍色の宝石で、和名は瑠璃(るり)。エジプト、シュメール、バビロニア等の古代から、宝石として、また顔料ウルトラマリンの原料として珍重されてきた。

私が在チリ大使館に勤務していた時には、ラピスラスリはチリとアフガニスタンにしか産出せず、当然ながら、日本では採れないのでお土産として珍重されていました。先住民の方々から反論があるかもしれませんが、チリなんかは歴史に登場したのがせいぜい16世紀くらいからですから、エジプトでスカラベが作られていた古代にはほとんどがアフガニスタン産ではないかと思われます。スカラベだけではなく、有名なツタンカーメン王のマスクも、ついつい、黄金に目が行きがちですが、青い部分はラピスラスリで出来ていたりします。
ただし、ウィキペディアでは気前よく宝石に分類してくれてありますが、私は輝石だと聞いていました。ダイヤやサファイア・ルビーなどの宝石ほど貴重なものはなく、めずらしい石といった程度の扱いだったと思います。とても深い青できれいなのは指輪にしたりもしますが、そうでないのはボリュームのある置物です。我が家にも10センチ角くらいのピラミッド、灰皿、2-3センチの卵などの置物や取っ手がラピスラスリのペーパーナイフなんかがあります。というか、探せばどこか我が家の中にあるハズです。スカラベがラピスラスリのようだと私がいった直後に、灰皿は下の子が見つけ出して来たりしました。蛇足ながら、チリにいた当時の私はフクロウをシンボルマークにして、小さなフクロウの置物をデスクに飾ったりしていたんですが、何かの大型獣の角を使ったフクロウの置物をチリで買った記憶があります。角ですからかなり曲がったりしていました。一応、フクロウはミネルヴァの使いのつもりでした。念のため。
それから、チリは西洋の国ですからチェスが盛んだったので、ラピスラスリを黒に見立てて、白っぽいオニックス(日本名は瑪瑙石・めのう石)と組み合わせて、チェスの盤と駒にしたお土産物なんかも人気でした。私はチェスをしないので、大きくてかさばることもあって、お土産で買って帰ったわけではありません。チリにいる時は西洋モノのテーブルゲームとしては、ブリッジばかりやっていた記憶があります。蛇足ながら、和モノのテーブルゲームはマージャンでした。
チリは日本からほぼ地球の反対側にあり、私が勤務していた当時で日本から合計30時間近くも飛行機に乗らねばならず、とても距離的に遠い国でしたので、出張で来るお客さんも少なかったんですが、ラピスラスリのお土産を買って帰る人も多かったです。中には、私の持っているようなラピスラスリの取っ手のペーパーナイフを大量にお土産で買ったものの、空港のセキュリティチェックで引っかかった人もいたりしたと聞きます。そのあたりを上手くすり抜けるのが大使館員や現地駐在員の腕前だったりします。でも今では、飛行機に乗る際のセキュリティチェックが格段に厳しいので、ペーパーナイフは流行らなくなっているのかもしれません。

我が家ではラピスラスリの置物について、より実利的な会話がかわされます。つまり、ネットオークションで売ったら、どれくらいのがつくか、です。少し前に、下の子が持っているムシキングのとてもレアなヘルクレスオオカブトのカードが5000円の値をつけていたことがありましたので、10センチ角のピラミッドもいいセン行くんではないかと話したりします。子供達もエコノミストの血を引いているのかもしれません。ただし、我が家のラピスラスリのピラミッドは、ジャカルタに住んでいた時に大理石の床に落として、少しだけではありますが、角が欠けていることを私から指摘して、ネットオークションで売り飛ばされないように予防線を張っておいたりします。

今夜のブログは海外生活の思い出の日記に分類しておきます。

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2006年8月20日 (日)

今日も午後から渋谷に出かける

今日の午前中は家でボケボケと過ごします。おにいちゃんは10時過ぎから勉強を始めますが、下の子は昨日のうちにかなり夏休みの宿題が進んだので、今日はパソコンゲームで遊びます。私も並んでパソコンで遊びます。
昼食後、おにいちゃんが塾の夏期講習に出かける前に、子供達は先週金曜日の夕方に放送されたケロロ軍曹の録画を見ます。我が家の子供達は際限なくこの種の録画を見るクセがあるので、私から録画を見るのは3回までと申し渡してあります。ビデオやDVDが好きな原因はジャカルタにいた幼稚園のころに由来します。適当なヒマ潰しとしてビデオを見始めたんですが、ジャカルタのレンタルビデオ屋さんは6泊7日だか、7泊8日だかで、1週間くらい貸してくれるシステムになっていて、何本かビデオを借りると1週間ほど立て続けに借りて来た2-3本のビデオを繰り返して見るようなクセになってしまったからです。普通のご家庭でも、というか、ゲーム機のあるのが普通のご家庭で、我が家はゲーム機を買い与えていないからそう思っているんですが、ゲームは1日に1時間まで、とか決め事があるのと同じだと思います。
でも、いつもながら、ケロロ軍曹パロディは秀逸で、大人の私にもよく出来ていると思います。先週放送されたのには潜在意識型宇宙人のカワール星人が出てきました。ハリー・ポッターの第3集「アズカバンの囚人」に出て来る物まね妖精のボガートのパロディのようです。ルーピン先生がタンスから出して来るアレで、人の心を読んで怖がるものに化けますから、ハリーには吸魂鬼のディメンターに見えたヤツです。また、今日見た録画ではないんですが、「アルファがベータをカッパらったら、イプシロンした」なんてドラえもんからカッパらったのもあったりします。夏美がクルル曹長の作った病原菌でとても重い病気になる回の最初のシーンだったと思います。

ケロロ軍曹を見終えてから、おにいちゃんの塾の夏期講習の開始時刻に合わせて私とおにいちゃんが出かけます。昨日と同じです。下の子を連れて遊びに行ってもいいんですが、そんなことをすると、おにいちゃんの学習意欲を大きく減退させる結果となりかねません。それに、どうも、下の子は私やおにいちゃんがいない午後に慣れてしまったらしく、女房と2人で家に残ります。これも昨日と同じように、私とおにいちゃんは渋谷駅を下りて別れます。お盆を過ぎて夏期講習も終盤に入ったので、おにいちゃんも慣れたものでサッサと歩いて行きます。寂しいながら、ある意味で、子供の成長を実感できる瞬間です。
私はヒマなので、昨日と同じセンター街のマンガ喫茶に入ります。でも、今週のお盆休みはマンガ雑誌も一般の週刊誌なんかと同じで合併号で出されていたりして、それに何よりも、昨日も同じところに来ているんですから、そんなに新しいのが見られるわけでもありません。どうしても、インターネットで遊ぶことになります。ものすごい数のオンラインゲームがインストールしてあり、びっくりします。我が家で子供達が夢中でプレーしているクロノスもあります。ガンホーなんかはマニュアル本が置いてあったりします。私も適当に遊びます。
渋谷の街中をうろつくと、私には異様な写真が目につきます。我が家の近くの地下鉄の駅にもあって、Anne Fontaine Parisとしか書いていないので、家に帰ってネットで調べたらパリにある婦人ブラウスコレクションで有名なお店だったりするんですが、モデルさんの頭が写真からはみ出しているんです。というか、モデルさんの頭の頭頂部が写真に入り切らないわけです。しかも、全部が全部そんな写真で、中には、頭頂部どころかヒタイくらいまでしか入っていない写真もあります。ブラウスコレクションのお店ですから、ブラウスがきれいに入っていればいいんでしょうか。もちろん、プロの仕事でしょうからトリミングもしてあるハズですし、意図的にそんな写真に仕上げてあるんだと思うと、ちょっと、びっくりしました。地下鉄に乗ると、中吊り広告で通販のピーチ・ジョンの女の子の頭頂部も入り切らずに写真からはみ出しています。駅を出ると、集英社のバイラの広告のポスターに出ている、別会社の光文社ながら、いかにもJJあたりのご出身に見えるモデルさんの頭頂部も写真からはみ出しています。
私は写真を撮る方はデジカメのコンパクトカメラですから、大したモノは撮れません。被写体はもっぱら我が家の子供達です。でも、子供を撮る時は出来るだけ体全体を入れるようにすべきであると、その昔に聞いた記憶もありますし、こんなに頭を欠けさせた写真が流行っているのかとびっくりしました。

いろいろと見て回って、結局、私は夕方に家に帰りました。少し遅れておにいちゃんも塾の夏期講習から戻ります。なぜか、今日は帰宅早々いきなりガンプラ作りに励みます。下の写真は完成したギャプランのガンプラを持つおにいちゃんです。私はおにいちゃんのがちゃんと入るように写真を撮ったつもりです。

ギャプラン

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2006年8月19日 (土)

おとうさんは元気で留守がいい

今日は私は特にすることもなく、午前中は家でパソコンなどで遊んでいました。子供達は勉強です。おにいちゃんは夏期講習予習復習に余念がなく、女房と子供部屋にこもります。下の子は夏休みの宿題である読書感想文を書きつつ、我が家で購読している朝日新聞の「かがくる」を読んだりもします。人生ゲームのアイテムで、下の子がいつも欲しがるエジプト土産のスカラベが、実は、フンコロガシに由来していることを「かがくる」で発見し、私を呼びつけて大騒ぎしたりします。

午後から、私とおにいちゃんが渋谷に出かけます。塾の夏期講習の付添いのつもりだったんですが、私もいっしょに出かけると知って、下の子が小躍りして喜びます。まあ、おとうさんが家にいて、いろいろとうるさいことをいわれるよりは、おにいちゃんと出かけてくれた方がいいようです。その昔に、「亭主元気で留守がいい」といわれたものですが、子供にとっても私のように、いろいろと文句をつけるおとうさんは家にいない方がいいのかもしれません。
そもそも、外に出かけようと思ったのは、ビックカメラあたりでスウォッチの電池を買う必要があったからなんですが、朝のうちに、投資目的のマンション購入を勧めるしつこいセールスの電話があったのも、外に出かけようと思った動機のひとつです。アチラは仕事なんですから、それなりに熱心に勧誘してくれるんですが、申し訳ないながら、コチラは興味がなくて時間のムダに思えてなりません。いつもの通り、先方の電話番号を控えてからお話します。それから、そろそろ、メールアドレスを整理しようと思っていたのですが、インターネット環境が我が家よりも快適なマンガ喫茶も魅力的でした。我が家はインターネットの接続環境が貧弱なADSLである上に、マシンのスペックも今どきの平均からはかなりショボいので、外で作業した方がはかどるような気がします。
渋谷駅までおにいちゃんといっしょに行きます。でも、塾の近くまでは来ないようにいわれてしまいます。ここでも邪魔者扱いかと思ったんですが、やっぱり、小学4年生にもなると、親の付添いのを友人に目撃されるのはカッコ悪いようです。春休みに引っ越してきた直後の春期講習の折には、時間にルーズな私がちゃんと塾の終わりの時刻までに来てくれるか、とても心配していたおにいちゃんですから、随分と成長したものだと考えることにしておきます。なお、帰りは塾の先生と警備員さんが銀座線の渋谷駅まで連れて来てくれ、前から通っている同じ団地のクラスメートがいっしょなので、いろいろと話をしながらいっしょに帰ってきます。親の付き添いは必要ありません。
私の方は、スウォッチの電池を買い求めた後、マシンスペックやインターネット接続環境に定評のあるマンガ喫茶に入ります。せっせとメールアドレスを整理します。私はプロバイダのメールアドレスはごく親しい人にしか知らせず、何かのインターネットのサイトにメールアドレスを登録する必要がある時は、適当な転送メールで処理することにしています。転送メールにするのは、第1にセキュリティですが、覚えやすい短いアドレスが取れるのも魅力的です。私の記憶力の限界に挑戦するような長くて、ランダム文字列のプロバイダメールは奥の院にしまっておきます。当然のことですが、サイトに登録したがために、でもないんでしょうが、スパムメールが増えてくると転送メールを乗り換えます。そうこうしているうちに、ついつい、転送メールのアドレスが溜まっていくことになります。それに、登録するサイトごとに転送メールを取得したりする時もあるので、幾何級数的にメアドが増えていきます。さすがに、今日入ったマンガ喫茶は職場のヲタクに聞いただけあって、快適なインターネット環境でしたので、すぐに作業も終わりますが、外が暑くて出たくないので、ついつい長居してしまいます。夏休み中で週末の渋谷はとてもすごい人ごみで、歩くだけで汗だくになってしまいます。

明日の予定は未定です。

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2006年8月18日 (金)

カブスカウトの制服

昨日から私が役所に出勤するとともに、おにいちゃんの塾の夏期講習も再開されましたので、その間隙をぬってでもないんでしょうが、下の子が女房に連れられてカブスカウトの制服を買いに行ってきました。ボーイスカウトは欧米の学校の学年に合わせているので、この9月から我が家の下の子もビーバー隊からカブ隊に昇級します。少し前には、カブ隊に上がるための勉強のようなことを下の子がやっていたのは私でも知っています。この夏休み中に制服を買いそろえるように、カブ隊の隊長から連絡が来て、もちろん、どこにでも売っているわけではないので、どこで買えるかも含めて案内が来ていました。
女房にいわせると、まだ、どこまでそろえればいいのか分からないので、全部を買ったわけではないらしいんですが、カブキャップズボンなど、鮮やかな青の制服をいくつか買い求めたようです。3年間くらいは着られるように、大きめのサイズをとアドバイスされていたんですが、そのあたりは適当だといっていました。我が家は2歳年上のおにいちゃんがいるんですが、おにいちゃんが学年平均でごく普通の体格なのに、下の子は学年内ではとても大きいものですから、おにいちゃんは下の子の2-3年後の体格の参考になりません。それから、カブ隊の隊長からの案内にはなかったのですが、カブ隊のマークの入った黄色いTシャツも買ってありました。私もいろいろと見せてもらいました。下の子もとても自慢げでうれしそうに見せてくれました。一般に、制服は集団への帰属意識を高める効果があるのはいうまでもありませんが、ここで脱線すると、実は、私自身は中学校の時しか制服を着たことがありません。中学校と高校の6年間一貫制の学校だったんですが、なぜか、中学校にはどこでも見かけるような黒い詰襟の制服があり、高校では自由服でした。どうしてそうなっていたのかはよく分かりません。中学校と高校とで差別化を図っていたんでしょうか。よく分かりません。
下の子が私に自慢げに見せてくれた中に、カブ隊のベルトがありました。そういえば、今まで子供達はゴムのウェストのズボンしかはいたことがなく、大人が当たり前のようにしているベルトを着用したことがなかったのを思い出しました。小さいころはサスペンダーやつなぎの服も着せていたんですが、オムツが取れて自分でトイレに行くようになると、男の子の場合は手軽にトイレでズボンを引き下げられるように、ゴムのウェストのズボンになります。それに、我が家の場合、下の子のオムツが取れるか取れないかのうちにジャカルタに引っ越してしまいましたから、赤道直下の熱帯でサスペンダーやつなぎの服はいかにも暑苦しいので、ゴムのウェストの半ズボンばっかりでした。ジャカルタでもそんなのしか売っていなかったように記憶しています。
そんなですから、下の子はカブ隊のベルトがとても気に入ったようです。別のズボンに無理やりベルトをしていたりしました。9月になると青い制服とベルトを身につけて、張り切ってカブ隊の活動に参加する姿が目に浮かぶようです。私も9月になったら機会を見つけて、カブ隊の制服を着た下の子の写真を撮りたいと思います。

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2006年8月17日 (木)

インドネシアはどこに行くのか?

夏休みを終えて、今日から出勤しました。回覧物やメールなどが溜まっていました。着実にさばきます。
それらの中で、気にかかったのがインドネシアの動向です。何度もこのブログに書いた通り、前世紀末から今世紀初頭の2000年から2003年まで3年間、我が家はジャカルタで暮らしていました。そして、ここ3日間のファイナンシャル・タイムズで立て続けにインドネシアが取り上げられていました。一昨日の8月15日付けでは1面で投資家にもっと魅力的な投資環境の整備を進める必要があるとの記事があり、おそらく、この記事を基にしたんだと思うんですが、昨日の8月16日付けでは3本ある社説の1本目で改革の加速をうったえる社説が掲載され、最後に、今日の8月17日付けの1面の写真はユドヨノ大統領が政府予算案を国会で説明しているものでした。写真だけではなく、右端に記事もありました。海外投資の誘致をめぐる中国、インド、ヴェトナムなどとの競争に勝ち抜くために、投資環境整備の予算を大幅に増額する、というものでした。
ここで早くも脱線するんですが、私のようなエコノミストを自称する公務員も含めて、海外事情を把握するために日本国内の新聞では情報が不足すると考えられる場合、当然ながら、英字新聞に頼ることになります。語学力により英語以外の新聞も利用されるんでしょうが、まずは、英字新聞でしょう。私が引用したファイナンシャル・タイムズ(FT)以外にも、エコノミスト向けにはウォールストリート・ジャーナル(WSJ)、より一般向けにはヘラルド・トリビューンなどがあります。最後のヘラトリだけは私は目を通していないんですが、FTとWSJは出来る限り見るようにしています。在チリ大使館にいた時には、中南米のゲートウェイであるマイアミで発行されているマイアミ・ヘラルドも情報源として欠かせない新聞でした。
閑話休題
脱線した話を元に戻すと、私が2003年に帰国した後の2004年に初めての国民の直接投票で選ばれたのが現在のユドユノ大統領なんですが、元々の出身は軍のテクノクラートです。人口と領土だけでなく、後で詳しく述べるように、いろんな意味で東南アジアの大国であるインドネシアにおける調整能力は十分だと私は評価していました。2003年の帰国間際に当時のメガワティ大統領の次の大統領は調整大臣をしていたユドヨノ氏であると宣言していましたが、宣言の対象が私の運転手さんだったので、そんなに大した宣言ではありません。なお、私の運転手さんという表現に人道的配慮が足りないように見えますが、ジャカルタ在住当時の我が家には、私の勤め先の役所で雇われている私の通勤用の公用車を運転する運転手さんと、女房の買い物用などのために我が家が私的予算で買った自家用車を運転するために私的予算で雇っていた運転手さん、の2人の運転手さんがいましたので、それを区別するための表現ですので、ご容赦下さい。
再び、閑話休題
私は現在のユドヨノ大統領に調整能力があると評価していましたが、インドネシア政府に欠けているのは実行力を伴った強いリーダーシップだったのかもしれません。今日のファイナンシャル・タイムズでも、ジャカルタにある外資系銀行の幹部の発言として、政策そのものはいいのだが、それをimplementationすることが重要である、との記事を見受けました。私がジャカルタにいた時にも、同じような文脈で、enforcementが重要といわれていたものです。つまり、法律や何らかのシステムは表向きはキチンと出来上がっているんですが、実際に、それらのシステムが実行されず、絵に描いた餅に終わっているのがインドネシアの憂うべき現状なのかもしれません。

先に書いたように、インドネシア東南アジアの大国だと私は考えています。少なくとも、第2次大戦直後から1960年代くらいまでは大国であったと考えられます。戦争終了直後に非同盟諸国によるバンドン会議を主催したり、1967年8月に結成されたASEANの本部をジャカルタに誘致するのに成功したりしました。今でも、昔シーレンと呼ばれた中東から日本・中国・韓国へ原油を運ぶのに、とても重要な地政学的な位置を占めています。地政学的な位置というなら、日本などの北東アジアのシーレーンだけでなく、ある意味、オーストラリアも首根っこを押さえられているといえます。ですから、インドネシアとオーストラリアはとても仲が悪いです。いうまでもなく、人口の多さや領土の広さからいえば、インドネシアは世界有数の大きなサイズの国です。海洋国家であるとともに、石油を産出し、東南アジアで唯一のOPEC加盟国でもあります。もっとも、2004年に原油の純輸入国になりましたので、最近の原油高にはそれなりのダメージがあるようです。
日本にいれば、経済的にはBRICs、政治外交的には圧倒的なサイズの中国が近隣に控えていることから忘れられがちですが、我が家が3年間住んでいたからだけでなく、サイズの面からも、地政学的な意味からも、東南アジアの大国インドネシアがこれから進む方向が私には気にかかります。
今日のブログは無理やりに海外生活の思い出の日記にしておきます。

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2006年8月16日 (水)

今日は、まったり過ごす

今日も、特に、外出もせずに家の中でまったりのんびりと過ごしました。
私は出勤してオフィスにいるのと同じくらい、ずっとパソコンに向き合って、ホームページやブログのhtmlを入念に書き換えました。いろんなところでブログはレンタル出来るんですが、微妙に画像の呼び出し方やサムネイルの作り方が違っていたりするんで、かなり、私が出来る範囲で汎用性を持たせるような、別の表現をすれば、クセのないhtmlに書き換えたつもりです。ちなみに、私はサムネイルは作らず、imgタグの中のサイズのパラメータで縮小することにしています。これで、ブログのテキストをムーバブルタイプでバックアップしておけば、いつでもどこでも、かなり広範なブログに引っ越せると思います。今まで、1度だけですが、スパム・トラックバック閉鎖を余儀なくされた経験がありますので、それなりに、気は遣っています。
1980年代の黎明期に少しhtmlは勉強して、ジャカルタに行く前はテキストエディタでhtmlを編集したりしていたんですが、今のパソコンにはマイクロソフトのFrontPageがインストールしてあり、htmlタグ特殊記号に関する知識は急速に失われています。マイクロソフトのFrontPageですから、よく知らなかったとはいえ、IBMのホームページビルダーなんかよりも、かなり高級なのを買ってインストールしたものですから、これは使わなければソンだと思い、しっかりとFrontPageを使いこなせるようになったかと思うと、逆から見れば、htmlのタグや特殊記号は忘れている始末です。
よく見返していなかったんですが、数学記号なんかでちゃんと表現されていない部分も過去にありました。ブログの引越しをした時に文字化けを生じたものと思われます。特に、誰に指摘されたわけではないんですが、一応、まったりと出来る範囲で修正しておきました。

それにしても、お盆休みだからスパムメールがいっぱい来ます。受ける方がヒマそうだから出すのか、出す方がヒマだから出すのか、よく分かりませんが、お正月の時期と同じように、国民的なお休みの時期にはスパムメールが増えるような気がします。同時に、ブログへのスパム・トラックバックも増えます。もちろん、私を含めて多くの人がヒマですから、ブログにちゃんとコメントを出したり来たりもします。私も「ゲド戦記」を見に行って描いた8月6日のブログをアチコチにトラックバックしておきました。何人かからトラックバックやコメントが返って来ました。これはスパムではなく、中身のある方の通信量の増加なんでしょう。

少しずつですが、子供達は勉強を再開しました。女房からの強い圧力によるものです。兄弟で夏休みの宿題を片付けにかかります。おにいちゃんは伊藤忠で勉強して来た酸性雨についての自由研究、下の子は家族旅行で行った上毛高原での木工教室の絵日記、それぞれ、真剣に取り組みます。でも、まだまだ、録画しておいたアニメなんかも見ながらで、まったりと宿題を進めています。やっぱり、夏休みは夏休みです。小学生なんですから、そんなに根を詰めた勉強が出来るハズもありません。

明日から私は出勤し、おにいちゃんの塾の夏期講習も再開されます。

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2006年8月15日 (火)

今日はドッペリ過ごす

昨日まで2泊3日で上毛高原家族旅行に行き、それが、企画者側でスケジュールがいっぱい入っていたものでしたので、我が家はみんな疲れ果ててしまいました。今までは、旅行するにしても、ちょっとしたツアーを入れるくらいで、基本的には、フリースケジュールで過ごしてきたんですが、今年の夏はスケジュールがいっぱいの夏休み旅行でした。ある意味で、とても日本的だったかもしれません。
ということで、今日は1日中ドッペリのんびり過ごしました。私とおにいちゃんはこの旅行でゲットしたカブトムシを世話するために、近くの青山通り沿いのスーパーに出かけて、ゼリーのエサや木などを買い求めたんですが、外出したのはそれだけです。
子供達は山登りなどで足が筋肉痛だとかいってましたが、湿布薬を貼ることもなく回復したようです。さすがに若いです。問題は私で、元来、私は右手の中指がバネ指なんですが、荷物を持ち運んだ影響からか、とうとう、右手の中指が曲がらなくなってしまいました。バネ指を手術しようと決意した阪神タイガースの今岡内野手の決心がよく理解できました。

やることもない夏休みですので、家族旅行の写真を整理しました。スケジュールびっしり日本的企画旅行だっただけに、写真は行事ごとにいっぱい撮りました。特に、子供達の評価の高かった川遊びでのニジマスの手づかみからウドンの手打ち体験と昼食への流れ、森の木工教室などは多めに収録しましたし、武尊牧場の山登りはそれなりの時間を要しましたので、やっぱり、写真も多いです。特徴的な食事シーンも収録しましたが、子供達の評価が特に高かった天然温泉のクアハウスの入浴シーンだけは、さすがに、水や湿気に弱いデジカメでしたので、ついつい撮りそびれてしまいました。とても評価の低かった平家ホタルのナイトウォークやカブトムシ獲りは収録しませんでした。
今回の旅行の写真は我が家の画像中心のホームページにアップロードしてあります。杉並在住の1998年に下の子のお宮参りから始めたデジカメ・アルバムが、ジャカルタ、松戸、青山と8年かけて100冊目のアルバムになりました。写真の枚数も2000枚に近づいています。精力的に写真を撮るのは子供達が小学生のころまででしょうから、今のうちに、親バカ振りを発揮して、せっせと写真を撮っておきたいと思います。

今夜のブログは、これぞ、普通の日記でしょう。
まだ夏休みが続きます。

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2006年8月14日 (月)

川遊びで魚のつかみ取りと手打ちウドンの体験

今日はいよいよ上毛高原での家族旅行の最終日です。
朝食前に私とおにいちゃんがカブトムシの仕掛けを見に行きます。昨日の朝には、すべての仕掛けが空だったので期待はしていなかったんですが、何と、今朝はすべての仕掛けに1匹ずつカブトムシが入っていました。2匹入っている仕掛けはなく、逆に、1匹も入っていない仕掛けもありませんでした。我が家でおにいちゃんと下の子の兄弟でオスとメス1匹ずつという気配りもあり、昨日朝の状況を知っているだけに、とても人為的・作為的なものを感じましたが、まあ、カブトムシを番でもらえるのであれば誰も文句はいいません。宿の近くで腐葉土を調達し、おにいちゃんが持って来た飼育ケースに土を敷いた後でカブトムシも入れます。

朝食の後、近くの畑にトマトの収穫体験に行きます。要するに、ハサミを借りてトマトを切ります。それだけです。それから、場所を変えて川遊びに行きます。前もって用意してあったニジマスを子供達がつかみ取りします。Tシャツとズボンのままとか、はだしで川に入るとか、そういったお子さん方が多い中で、我が家の子供達は水泳パンツに着替えて、かかとのあるサンダルにはき替え、ヤル気満々で魚を追いかけます。昼食時に塩焼きで出すので、家族の人数分を捕まえるよういわれていたのですが、おにいちゃんはノルマを超過達成して4匹獲ります。下の子も大騒ぎしながら2匹捕まえます。これは我が家の子供達には評判がよかったです。気合も入っていました。
水泳パンツを着替えて、今度は、昼食用に手打ちウドン作りの体験をします。まず、力のある私が小麦粉をこね回して、ボウルの中でそれなりのにした後、何やら竹で作った装置でさらに小麦粉をこね、ピザくらいの大きさに伸ばした後、ちょっと反則のような気もしますが、輸入物のパスタメーカーで伸ばして切って麺にします。でも、このあたりは我が家の子供達が大喜びでやりますので、補助の私も大忙しでした。評判はとてもよかったです。最後に、女房にゆでてもらって冷やしウドンにして、宿から持って来てくれたかき揚げやサラダで昼食にします。もちろん、子供達が川で獲ったニジマスは串に刺して塩焼きにされていました。おいしくいただきます。

食後、マイクロバスで上越新幹線の上毛高原駅に出発します。1時間近い行程の中ほどにあるらしい土産物屋に立ち寄ります。しかし、この土産物屋の手前の山道で我が家の子供達がひどく乗り物酔いしてしまいます。結局、子供達は土産物屋のベンチで2人並んで横になって休憩しなければなりませんでした。土産物は私が歩き回って買い求めました。上毛高原駅に着いた後、我が家が予約した新幹線まで1時間ほどありましたので、再び、駅の待合室で子供達が横になって休憩します。
上越新幹線で東京に戻り、地下鉄で家に帰ります。途中で、おにいちゃんが大事そうに抱える飼育ケースに都会人の目が行きます。ちょっとだけ得意そうなおにいちゃんでした。
東京が大停電していたのは、家に帰って夕刊を見るまで知りませんでした。

このツアーに参加して、3点ほど疑問があります。第1に、旅行の広告ですから、不動産と同じで、やや仕方ないのかもしれませんが、やっぱり、誇大広告です。平家ホタルを見るナイトウォークなんてひどいものでした。ハッキリとホタルが楽しみで来たといっていたご家族もありましたが、それだけに落胆も大きかったようです。第2に、田舎だから仕方ないのかもしれませんが、移動は決まってマイクロバスですし、グリーンライフと称するには、バーベキューやキャンプファイヤーなども含めて、余りに、CO2の排出量が多いような気がしました。グリーンとエコで党派性が違ったりするのかもしれませんが、もっと、グリーンでエコなツアーを期待した向きには違和感があったことでしょう。第3に、ホントの自然ではなく、とても人為的な自然が用意されていたことです。カブトムシは仕掛けごとに1匹ずつ入っていますし、ニジマスは最初から人数分が用意されていました。要するに、東京人が自然とはこんなもんだろうと思っているだろうと群馬県人が考えているような自然が、群馬県人によって東京人のために用意されていたわけです。これがホントの自然かどうかは疑わしいと感じました。

下の写真は、川遊びでニジマスをつかみ取りする子供達と手打ちウドンの体験をする子供達です。

川遊び  手打ちウドン

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2006年8月13日 (日)

武尊牧場で山登り

今朝は、私とおにいちゃんが早起きして、昨夜設置したカブトムシの仕掛けを見に行きます。同じことを考えたご家族もたくさんありましたが、結果は同じです。どの仕掛けにも1匹もカブトムシはいませんでした。残念
朝食を済ませて、武尊牧場に行って山登りをします。このあたりは冬はスキー場になるようです。山登りの途中で、下の子がとても上手にトンボを捕まえました。登山コースの途中で、モリアオガエルの産卵地でオタマジャクシを見たり、冒険コースと称する道なき道を登山したりします。我が家はみんなで長袖長ズボンに軍手までして完全装備で山登りに臨みます。途中から、下の子は杖まで調達します。でも、それほどの登山コースではなく、幼稚園児も付いて来ていたりしました。最後に、ブナ林でブナが水を吸い上げる音を聴診器で聞いたり、笹の新芽で草笛を作ったりして遊びます。ブナは他の木に比べて保水力が50倍くらいあるそうです。勉強になりました。
武尊牧場に戻って、休憩所にて宿でもらったお弁当で昼食にします。梅オニギリが2個でした。脱線しますが、小さくてしゃべれないころに、親が赤ちゃんにいい顔をさせるんですが、我が家の下の子は、これがなぜか、すっぱい顔だったりしました。この昼食で、梅オニギリを食べて、久し振りに、下の子がすっぱい顔のパフォーマンスをしたので、家族みんなで笑い転げてしまいました。食後、広い原っぱで遊んだり、牧場の羊や山羊に草をやったりします。女房と下の子はラベンダー摘みに行きました。帰り道でラベンダーアイスを食べたりします。
宿に帰った後、昨日と同じクアハウスに行きます。子供達の評価がとても高いものですから、今回の家族旅行で、これを外すわけにはいきません。今日は昨日から男湯と女湯が入れ替わっていました。これはよくある趣向なのでしょう。このクアハウスの露天風呂にはアブ除けにハエタタキが置いてあるんですが、私が2匹ほどアブを処分したところ、幼稚園前くらいの小さなお子さんが怖がって泣き出してしまいました。我が家の子供達は、小さい子を泣かせたと私を責めましたが、これは仕方ないといい訳しておきました。今日も我が家の子供達は露天風呂を多いに楽しみ、下の子は水風呂にも挑戦したりしました。でも、山の水はとても冷たいので、水風呂は心臓に悪そうな気がして、私とおにいちゃんは無理をしませんでした。お風呂から上がって、昨日と同じように、冷たい飲み物とアイスで極楽気分を味わい、庭も散策しました。

夕食は宿の庭先でバーベキューでした。料理をしない私ですから、我が家の分は女房が焼いてくれます。炊込みご飯やヤキソバも出ます。食後、キャンプファイヤーに行きます。家族で1本ずつトーチをもらって、トーチに火を点けてもらう時に、願い事をいうそうです。我が家では下の子が、いつもの通り、宇宙飛行士になりたいというと、火をくれる神様役の人が気を利かせて、ついでにおにいちゃんの願い事も聞いてくれたんですが、おにいちゃんは「僕はいいです」と超クールな反応を見せたりしました。私の小学生のころに生写しの反応だと感激してしまいました。私も思いっ切り生意気な小学生だったりしました。私が下の子を補助してトーチを持って、火を点けに行きました。キャンプファイヤーですから、適当に歌を歌ったり、ゲームをしたりします。

下の写真は、武尊牧場の登山で完全装備の子供達とキャンプファイヤーで火をもらった下の子とそれを見守るおにいちゃんと女房です。

山登り  キャンプファイヤー

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2006年8月12日 (土)

上毛高原に家族旅行

今日から明後日まで2泊3日で上毛高原家族旅行です。宿泊した宿は上越新幹線の上毛高原駅から1時間近くマイクロバスで送迎をしてくれた山の中ですので、正確には上毛高原ではないのかもしれませんが、京都に生まれ育った私としては、新幹線の駅名でその地域一帯を代表させるのは当然だと思っています。駅名に新が付くのを別にすれば、少なくとも、京都・大阪・神戸などはそうなっていますので、ここでも上毛高原がそこから行ける地域一般の名称と見なしています。もっとも、私は軽井沢には何度か行ったことがありますが、軽井沢が長野県なのか群馬県なのかよく知らず、もしも軽井沢が群馬県でないとすれば、群馬県に足を踏み入れるのは生涯で初めてです。ですから、群馬県の土地勘があろうハズもなく、上毛高原がどこまでを指すのかは、実際には、よく知りません。そこはご容赦下さい。

昼過ぎに上越新幹線の上毛高原駅に着き、送迎車のマイクロバスで宿に入ります。我が家はマイカーを持っていませんので、子供達は乗り物酔いをしがちですので、時々、マイクロバスを止めて、気分の悪くなった下の子を下ろして休憩させてもらいます。今回の旅行は東京の生協群馬の農協が企画したグリーンライフなるツアーで、東京の生協会員の10家族ほどがいっしょの民宿に泊まります。ついつい、リゾートホテルを利用することの多かった我が家では初の試みです。
宿で荷物を下ろしてから、森の木工教室に行きます。杉板に子供達がエンピツでデザインし、それをジグソーで切って形を整え、さらにバーナーで焼きます。最後に、バーナーで焼いた後の炭をふき取って完成です。おにいちゃんはクワガタムシ、下の子はカブトムシをエンピツで書いてデザインします。ヨソのお宅では子供さん自身がジグソーで切ったり、バーナーで焼いたりしているところもあったんですが、我が家は安全性を重視して、ジグソーは私が操作し、バーナーは女房が担当します。最後に、子供達がボロ布で焼いた後の炭をふき取ります。それなりにいい作品が出来上がり、子供達の評価は高かったです。下の子は小学校の夏休みの自由研究にするそうです。ちょっとインチキな気もしないでもありませんが、小学2年生ですから、この程度の親の手伝いは許容範囲でしょう。
宿への帰り道で、天然温泉のクアハウスに行きます。露天風呂があり、我が家の子供達は初めてなので大いに感激します。今回の旅行の中で、我が家の子供達の評価がもっとも高かったのがこの露天風呂だったようです。今度は、東京でもどこかのクアハウスに連れて行ってやろうと思います。1時間近くお風呂で遊んだ後、風呂上りに冷たい飲み物とアイスで極楽気分を味わいます。も散策したりします。

宿に帰ってカブトムシ型のハンバーグで夕食にし、ペットボトルでカブトムシを捕獲する仕掛けを作った後、ナイトウォークに出かけます。ナイトウォークとはいってもマイクロバスで移動します。これはとてもひどかったです。評価の対象外のような気がします。
まず、カブトムシを捕まえに行くといわれて、どこやらの宣伝用の大看板があるところに連れて行かれます。夜行性のカブトムシがこの大看板の照明に集まる、との説明でしたが、見るからにカブトムシなんかいそうな気がしません。予想通りに、カブトムシ取りは空振りに終わります。次に、平家ホタルを見に行くんですが、これが、今回の旅行で最低でした。水田の上で宿のおじいさんがライトを100回くらいチカチカと点滅させて、ようやく1匹のホタルがフラフラと出て来ただけで、ホタルを目当てに来ていたご家族は完全に失望していました。あんなにライトをチカチカ点滅させなくても、もっと、大量のホタルがいるんだと期待していたのに、目が悪くなるほどライトをチカチカ点滅させた挙句に、たった1匹しかホタルが出て来なかったんですから、私もとても同情しました。我が家の評価もとても悪かったです。最後に、カブトムシ捕獲の仕掛けを設置して宿に戻ります。

下の写真は上越新幹線をバックに東京駅のホームにて我が家の子供達と、森の木工教室でデザインする子供達です。

上越新幹線  森の木工教室

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2006年8月11日 (金)

ガンプラを作ったり、キディランドで遊んだり

今日は特に外出する予定もなく、子供達はガンプラ製作に励みます。おにいちゃんはヅダ、下の子はゲルググ・マリーネを作ります。先日、ビックカメラの有楽町別館で買い求めたものです。適当に休憩しながら、作り続けます。ガンプラは我が家の小学生も対象に含まれている8歳以上のHGハイグレード、15歳以上のMGマスターグレード、そして、究極のガンプラPGパーフェクトグレードなどがあり、PGは通常製作時間が20時間程度、MGが3時間半程度といわれており、HGはよく知らないんですが、1時間半から2時間程度と考えられます。おにいちゃんはそれくらいで作れるんですが、下の子は今月末の誕生日までは7歳ですから、年齢指定を下回っているので3時間ほどかかります。これは仕方がありません。

今日は女房が外出してしまったので、私が子供達を昼食に連れ出します。私は飢え死にするまで料理しない男と呼ばれていたこともあり、自分で食事を作ることはほとんどありません。私と子供達と3人で自転車で出かけ、近くのマクドナルドで昼食にします。
昼食後、青山通り沿いにあるスーパーに行き、カブトムシのエサを買い求めます。7月初めにもらったカブトムシのオスとメスがとても長生きしており、我が家に来てからでも1ヶ月ほどたちました。最近では、特に、メスがむさぼるようにエサを食べており、産卵期が近いような気がします。ひょっとしたら、我が家のケースにカブトムシのが産み付けられるかもしれません。上手に飼育すれば卵から幼虫が孵るのかもしれません。そのあたりのカブトムシの世話の仕方は私よりも下の子の方がよく知っています。
自転車で行く先の最後は原宿のキディランドです。久し振りな気がします。キディランドの向かいに自転車を止め、地下のゲームコーナーで遊びます。いつもの通り、おにいちゃんがムシキング、下の子がたまごっちカップで遊びます。おにいちゃんの方は通常のカードしか出なかったんですが、下の子はレアカードが出まくります。いっしょに並んでいる親御さんからため息が漏れます。下の子はいろいろとレアなカードを持っているので、並んでいる他の子からしきりとカード交換を持ちかけられます。可能な範囲で下の子もカード交換に応じていました。
最後に、キディランドで知恵の輪を買い求めます。私はかなり知恵の輪が好きです。子供達にも挑戦させます。

夕方前に自転車で家に戻ります。少し知恵の輪で遊ばせたりしますが、ガンプラ作りに戻らせます。我が家ではガンプラに教育的な価値も認めており、集中力をつけるためにはガンプラも有益と考えています。ですから、途中で諦めたりせずに最後まで集中してやり遂げることが求められます。作り始めたガンプラはその日のうちに完成させるよう申し渡してあります。

下の写真は完成したガンプラを持つ子供達です。おにいちゃんはヅダ、下の子はゲルググ・マリーネを持っていますが、それなりのマニアでないと違いは分からないでしょう。

ガンプラ

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2006年8月10日 (木)

「ポケモンレンジャーと蒼海〈うみ〉の王子マナフィ」をマリオンに見に行く

今日から夏休みに入りました。何ということはない、おにいちゃんの塾の夏期講座お盆休みに合せて私が有給休暇を取っているいるだけです。
今日は夏休みにしては割合と早起きして、一家そろってマリオンに映画を見に行きました。湯山邦彦監督作品です。おなじみの声優さんも出ていました。我が家は夏休みはポケモン映画を見ることにしており、昨年は「ミュウと波導の勇者ルカリオ」、一昨年は「裂空の訪問者デオキシス」を見に行きました。どちらもマリオンだったと記憶しています。なお、デオキシスの前の夏はまだジャカルタにいましたので、ポケモン映画はビデオで見るしかありませんでした。どうでもいいことですが、ゴールデンウィークにはクレヨンしんちゃんの映画を見ることにしています。

今年のポケモン映画はタイトルの通り、「ポケモンレンジャーと蒼海〈うみ〉の王子マナフィ」です。壮大な海のファンタジーです。なお、今日のブログはいっぱいネタバレがありますから、想像される範囲内とは思うんですが、以下を読み進まれる方はご注意下さい。
初めて映画に登場するのはポケモンレンジャージャック・ウォーカーファントム船長です。マナフィがその本能により帰って行く海の神殿アクーシャにある海の王冠を手に入れようとするファントム船長に対して、水の民とともにマナフィを海の神殿アクーシャに無事送り届けようとするのがポケモンレンジャーのジャッキーことジャック・ウォーカーです。
マナフィは最初は卵の段階で映画に登場し、サトシとともに旅を続けるハルカの腕の中で卵から孵ります。マナフィは生まれて初めて見たのがハルカだったので、ハルカを母親だと思ったのかもしれません。いわゆるプリンティングとか、刷込みとか呼ばれる現象です。卵の段階からマナフィを付けねらって海の神殿アクーシャにある海の王冠を手に入れようとするのがファントム船長です。ハイテクを駆使しています。このファントム船長からマナフィを守り、海の神殿を守るのがポケモンレンジャーの役割で、ジャッキーが活躍します。いつも出て来るロケット団はファントム船長の手下を装って、ファントム船長を出し抜こうとしますが、いうまでもなく失敗します。もちろん、最後はサトシの働きで海の神殿アクーシャが海に沈むのを防ぎ、ポケモンレンジャーのミッションも大成功となって終わります。

今までのポケモン映画と同じで、映像がとてもきれいです。今年の映画の場合は、特に、海の中のシーンが多くて、とてもきれいな映像に仕上がっています。この季節にとてもふさわしく、涼しげな雰囲気でとてもよかったです。サトシ、ハルカ、タケシ、マサトのいつもの旅する4人やロケット団のキャラはいうまでもなく、ポケモンレンジャーのジャッキー、ファントム船長、水の民のヒロミとヒロミのおじいさんのシップなど、実に見事にキャラが立っています。マンガやアニメの生命線はキャラですから、ポケモン映画と「ゲド戦記」の違いはここにあるのだろうという気がします。
もちろん、ポケモン映画ですから、登場人物だけでなく、ポケモンのキャラも十分に立っています。今年の場合はマナフィです。ハルカになつく姿海の王子として水ポケモンを指揮する姿コントラストはすばらしいかったです。ついでに脱線すれば、昨年はルカリオでしたが、主人アーロンの裏切りのように見える行動に悩み、最後にそれを解決してアーロンと一体化するルカリオもよくキャラが立っていました。その前のデオキシスはキャラがなかったに近いんですが、重要な働きをする映画で初登場のゴンベはしっかりキャラが立っていました。
なお、ポケモンレンジャーのジャッキーが善玉でファントム船長が悪役なんですが、映画が取っている構図は善と悪の対立ではないと思います。あくまで、ストーリーの中心ラインはマナフィが海の神殿アクーシャに帰って行くことであって、海の神殿アクーシャにたどり着いて海の王冠を手に入れようとするファントム船長と、それを阻止してマナフィを無事に海の神殿アクーシャに帰らせようとするポケモンレンジャーと水の民、前者に加担するロケット団と後者に助勢するサトシやハルカたち、に分類されるんですが、善玉のポケモンレンジャー+水の民+サトシやハルカたち VS 悪役のファントム船長+ロケット団、の対立なのではなく、主人公はあくまでマナフィであって、マナフィと海の神殿アクーシャをめぐる対立ですから、悪玉をやっつけるために善玉が活躍するのとは違うような気がします。悪役のファントム船長はいわば象徴であって、マナフィが海の神殿アクーシャに帰っていく道を困難にするスパイス役のようなものだと思います。
それから、最後に、私はよく理解できなかったんですが、ポケモンレンジャーが使うキャプチャースタイラーは野生のポケモンの力を借りるだけであって、いわゆる「ポケモンゲットだぜ」のゲットとは違って、野生のポケモンの力を借りた後は、ポケモンは再び野生に返るのだそうです。おにいちゃんから教えてもらいました。

私は多くの小学生に、「ゲド戦記」よりも「ポケモンレンジャーと蒼海〈うみ〉の王子マナフィ」をオススメしたいと思います。

下の写真はマリオンで映画を見た後、劇場を出た我が家の子供達です。下の子がパンフレットを持っています。

蒼海の王子マナフィ

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2006年8月 9日 (水)

カルト教団への抵抗力

一昨日はともかく、今週に入ってから、昨夜なんかは少し前から作りためていた経済学のメモを流用したので、するどくも、私がそろそろ夏休みに入るので手を抜いているのだと見抜いた人がいました。実はその通りです。5月のゴールデンウィーク前は、いつから休みに入るのかがカレンダーから明らかなので、のほほんとしたブログをのん気に続けていたのですが、夏休みはゴールデンウィークほどは統一性のある休暇の始まりがないものですから、何となく、ごまかすために経済学のメモを流用してサボっていたのですが、実は、明日から夏休みに入ります。ちゃんと、本日、休暇簿を提出して上司の承認を得てあります。
ということで、最後の平日のブログも流そうかと思ったんですが、最近、新聞などで韓国起源らしいカルト教団摂理の話題をよく見ますので、カルト教団への対策や抵抗力として、しっかりした宗教観を持つことの重要性について考えてみたいと思います。

何度もこのブログで表明してきたように、私は京都府南部の出身です。京都から奈良にかけて広がる農村地帯の出自です。我が吉岡家はいつから続いているのか、まったく高貴な家柄からほど遠いので、そんなに正確なところは分かりませんが、3年前に亡くなった父親の説によれば、少なくとも数百年、ひょっとしたら千年以上の長きにわたって京都の南部に定住してきたのではないかといっていました。繰返しになりますが、真実の確認のしようがありません。しかし、室町時代の15世紀くらいまでは、無理やりに、さかのぼれるようなこともいってました。
これも亡くなった父親の受売りなんですが、通常、東京圏の経済規模が大阪圏を上回ったのが昭和9-11年ころであると考えられているんですが、おそらく、昭和初期までの日本が農業国であったころは、京都の南部地域は農村地帯としては日本でもっとも豊かであったと、私の父親は考えていました。私もほぼ同意します。ということは、おそらく、有史以来、京都から奈良にかけての私や私の先祖が住んでいた地域は、1500年くらいにわたって、日本でもっとも豊かな地域であったといえます。ここからは余談なんですが、よく、英国貴族が数百年にわたって栄養状態の良好な食生活であったことから、平民よりも体格がいいといわれています。ホントかウソかは知りませんが、これを根拠に、私の父親の説によれば、日本でもっとも豊かな農村地帯に定住してきた我が家は体格がいい、ということになるそうです。確かに、私は平均よりは少しだけ身長が高いかもしれません。でも、体重の方は平均をずっと上回っていたりします。しかしながら、この地域の平均的な体格が大きいという風説も証拠もありませんので、父親の説はやや疑わしいと私は思っています。
それはそうとして、宗教に戻ると、我が家は一向宗門徒です。一向宗とは一般には浄土真宗という名で社会科で習います。親鸞上人がお始めになった仏教の一派です。もっとも、正確な統計は知りませんが、京都府南部地域では浄土真宗よりも浄土宗の方が信者は多いような気がします。浄土宗もそうなんですが、特に、浄土真宗は凡夫の宗教であり、たとえ悪人であっても南無阿弥陀仏念仏を唱えれば、死んだ時には極楽浄土に仏として生まれかわる、という、とても単純な教義です。阿弥陀仏さえ信仰して念仏を唱えればいいわけですから、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教に近く、特段の修行や喜捨などを必要としません。他力本願でひたすら阿弥陀仏のお力により極楽浄土に生まれるわけです。死んだ時に輪廻転生から開放され、即ち、解脱して極楽浄土に生まれかわるとの阿弥陀仏の願をもって、現世での心の安らぎを得ることができるわけです。
いずれにせよ、私は何らかの宗教的なバックボーンがカルト教団への大きな抵抗力になると考えています。

他方、カルト(cult)とはラテン語のcultusに由来しており、これは耕すという意味です。語源的には文化cultureなんかと同じだったりします。中国語では邪教の訳を充てているそうで、日本人にはこちらの方が分かりやすいかもしれません。ヨーロッパではセクト、フランス語でSecteと呼ぶことも多いそうです。
臨床心理学、社会心理学、社会学の専門家なんかが正確な定義付けを試みているそうですが、エコノミストを自称する私には少しハードルが高いので、実際に報道などで記憶している限りの実例を上げると、1978年に米国からガイアナに移動した人民寺院信者の900人に及ぶ集団自殺が最初に私が知った例です。大学時代には「聖書を読みませんか」と近づいてくる統一教会の信者もいましたし、10年ほど前には日本でも1995年の地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教なんてのもありました。
今回の摂理を含めて、カルト教団については報道以上の情報はありませんが、多感な20歳前後の若年者を誘い込む手口は、各種のカルト教団で似通っていると思います。逆にいうと、大学生になる前か入学してから早々に、何らかの抵抗力や対策が必要とされるわけです。

私はインドネシアに3年間住んで、少しびっくりしたのが、無宗教が許されない、ということです。インドネシア人の多くはイスラム教で、もちろん、イスラム教を強制されることはありませんが、観光でやってきたツーリストはともかく、居住者には無宗教は許されないそうです。ですから、入管の時ではなく、アパートに入居する時、家族全員の宗教を申告させられました。無宗教の共産主義国の人を居住させないための便法であるという人もいますが、これはこれで、見識ある制度かもしれません。
というのは、カルト教団への抵抗力をつけるためには、自分自身で何らかの宗教的なバックボーンを持つのがもっとも望ましいと私は考えているからです。自分の信ずる宗教があり、それに自信を持っているのであれば、邪教とまでいわれるカルトに毒されることもないような気がします。
我が家はお正月の元旦には、一家そろって着物で初詣に行ったりしますが、私にとっては家族そろって遊びに行く感覚であり、多くの日本人と同じように初詣を宗教行事とは考えていません。しかし、私と多くの日本人とで違う点は、多くの人は、初詣も含めて、神式の結婚式や仏式のお葬式など、ほとんどの宗教が関係する行事を宗教行事と考えていないのに対して、私は南無阿弥陀仏と念仏を唱える宗教行事をバックボーンに持っているために、念仏を唱える以外に神や仏を祭る必要がない、だから、初詣はいうに及ばず、結婚式やお葬式も宗教行事ではないと考えていることです。ひょっとしたら、この違いは大きいかもしれません。

要するに、今夜のブログの結論は、自分の信ずる宗教宗教活動確立させることがカルト教団への最大の抵抗力となる、ということです。夏休みを前にのほほんとした気分でとりとめもない内容になってしまいました。


明日から夏休みです。

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2006年8月 8日 (火)

ランダムウォークとは何か?

昨夜のブログが余りにも超初級マクロ経済学的であったので、自分自身でフラストレーションを生じてしまいましたが、さりとて、夏休み前に長大なメモを新たに作成する気にもなれず、今夜のブログは少し前に書き始めたランダムウォークのメモを経済評論の日記としてパクります。検定のところなどは未完成ですので、これでもフラストレーションが溜まるかもしれませんが、夏休み前ということで、無理やりに、これで満足しておきます。実は、歳入歳出一体改革の関係で、政府財政の持続可能性に関する検定をサーベイしたメモは完成しているんですが、いかんせん、微分方程式をそのまま解いているわけですから、めちゃくちゃに数式が多くて、MSWordで書いたメモをhtmlに移植するのがとっても困難ですので、諦めてしまいました。どなたか、MSWordのdoc文書、特に数式エディタで書いた数式がいっぱいの文書をhtmlに簡単に変換できる方法があれば教えて下さい。なお、今夜のブログでは上付き文字下付き文字のhtmlタグを確認したつもりなんですが、間違っていて読みづらいかもしれません。分散を表すσ2のみが上付き文字で、tやsなどの期を表すサッフィックスは下付き文字にしたつもりです。最初に、この点については間違っていたらお詫びしておきます。
なお、基本的に、以下では離散型のデータを前提とし、期間を示すサフィックスのtやsなどは自然数と前提しています。構成は、基礎的な確率過程に関する整理としてNID、iid、White Noise、定常性について概念整理し、その上で、ランダムウォークと同値であるマルチンゲールランダムウォークについて概観してあります。現時点ではここまでしかメモを作成しておらず、無規則性や均一分散、和分の次数の測定などの各種検定のサーベイは未完成ですので、適当にごまかしてあります。

前置きが長くなりましたが、以下が本論です。

1. 基礎的な確率過程に関する整理
NIDとiidとWhite Noiseと定常性の関係はこの順で強い概念となっており、NID ⊂ iid ⊂ WN ⊂ 定常性 と表されます。なお、ランダムウォークにはiidしか使わないんですが、トリビア的な知識の供給の意味もあって、iid以外に関係する確率過程についてもついでに取り上げてあります。

(1) NID
Xt∼NID(μ, σ2)で示され、系列Xt期待値μ分散σ2を持って正規分布しており、互いに独立である場合normally and independently distributed (NID)です。

(a) E(Xt)=μ
(b) var(Xt)=σ2
(c) cov(Xt, Xs)=0   when t≠s
(d) Xt∼N(μ, σ2)

なお、(c)の条件はXtが独立であることの条件です。詳しくは後述します。

(2) iid
Xt∼iid(μ, σ2)で示され、系列Xt期待値μ分散σ2を持って、互いに独立である場合independently and identically distributed (iid)です。iidはNIDの(a)から(d)までの条件のうち、正規分布の条件(d)を除いた(a)から(c)までの条件に一致します。

(3) White Noise (WN)
Xt∼WN(μ, σ2)で示され、系列Xt期待値μ分散σ2を持って、自己相関がない場合White Noise (WN)です。WNの条件式はiidと同じですが、(c)の条件は独立ではなく、無相関であることの条件です。なお、独立であれば必ず無相関ですが、無相関のときは独立とは限りません、即ち、独立 ⊂ 無相関の関係となっています。これも詳しくは後述します。

(4) 定常性

(a) E(Xt)=μ
(b) var(Xt)=σ2
(c) cov(Xt, Xs)=γ|t-s|   when t≠s

系列Xt期待値μ分散σ2を持って、共分散が期間|t-s|の関数である場合、定常です。共分散がゼロである必要はなく、期間の差のみの関数であればいいです。ここでの定常とは弱定常です。

なお、独立と無相関の関係については、共分散をそれぞれの標準偏差の積で除したものが相関係数ですから、無相関については上の共分散の定義でいいんでしょうが、独立について共分散ではなく、少し詳しく、というか、より正しく確率関数を使って書くと、p(x, y)=p(x)p(y)となるのが独立の定義です。即ち、同時確率分布はそれぞれの積に等しくなります。ですから、独立であれば条件付き確率はp(y|x)=p(x,y)/p(x)=p(y)となり、yの分布がxの値に依存することはありません。当然です。そして、まったくのついでのトリビアなんですが、微小領域dxdy内の点の密度はp(x, y)dxdyの大きさを表し、xとyが独立なら点の密度はp(x)p(y)dxdyに比例します。
ついでのトリビアを続けて行くとキリがないので、最初に申し上げたように、ランダムウォークではiidしか使いませんから、取りあえず、ここまでとします。

2. マルチンゲール
マルチンゲールとはフランス語です。負けるたびに掛け金を倍にしていくゲームです。ゲーム自体は何であっても構わないんですが、コイントスのようなものを想像すると便利です。負けるたびに掛け金を倍にしていくのがミソで、勝ったらおしまいです。
マルチンゲールは増大情報系(filtration)に対して定義されます。例えば、株価、あるいは、何らかの金融資産価格について考え、時点tにおける金融資産価格Xtに関する情報がその時点で与えられる情報セットItの中に含まれており、Itが与えられればXtを知ることが出来るとすれば、これは、XtはIt適合(adapted)していると呼ばれます。そして、金融資産価格Xtの情報Itは通常の場合は時間とともに情報量を失うことなく増加させていきます。即ち、I1 ⊂ I2 ⊂ I3 ⊂ … となりますから、Itは増大情報系です。

系列Xtが増大情報系Itに関してマルチンゲールであることの定義は以下の通りです。

(a) Xt期待値は有限。即ち、E(|Xt|)<∞
(b) Itが与えられるとXtを知ることが出来る。別のいい方をすれば、XtはIt適合している。
(c) t時点における1期先のt+1期の期待値は今期の実績値である。即ち、E(Xt+1|It)=Xt

なお、少し説明を省略しますが、条件付き期待値は、予測誤差の二乗平均を最小にする最良の予測値であることから、マルチンゲールは一定の期待値を有することになります。即ち、E(Xt)=E(Xt+1)=E(Xt+2)=…=E(Xt+s)となり、別の表現をすれば、E(Xt-Xt+s)=0   when s=1, 2, 3,…となります。
もっといえば、Xtの変化に対する平均的な予測値がゼロとなります。ですから、Xtマルチンゲールであれば、将来予測は不可能で無意味です。
もっといえば、上の(c)からE(Xt+1|It)= E(Xt+2|It)= E(Xt+3|It)=…=Xtとなりますから、t時点で、即ち、現時点でどんなに将来の予測をしても、将来の期待値は現時点の実現値であるXtと同じになります。

3. ランダムウォーク
ランダムウォークにはドリフトなしとドリフト付きの2種類あります。どちらも、X0を初期値とし、εt∼iid(0, σ2)とすると、以下のように定義されます。なお、ドリフト付きの方のμはドリフトです。

(a) ドリフトなしランダムウォーク
Xt= X0123+…+εt-1t   あるいは、
Xt= Xt-1t
(b) ドリフト付きランダムウォーク
Xt=μ+Xt-1t   あるいは、
Xt=tμ+X0123+…+εt-1t

あるいは、ドリフトなしのランダムウォークはドリフト付きのドリフトがゼロである特殊な場合とも考えられます。定義によりE(ε)=0ですから、以下の通り、ドリフトなしのランダムウォークはマルチンゲールと同値です。

E(Xt|It-1)=E(Xt-1|It-1)+E(εt|It-1)=Xt-1+0=Xt-1

そして、ランダムウォークの期待値、分散、共分散は以下の通りとなります。

(a) E(Xt)=X0 (ドリフトなしの場合)
E(Xt)=X0+tμ (ドリフト付きの場合)
(b) var(Xt)=tσ2
(c) cov(Xt, Xs)=(t-s)σ2   when t>s

以下に、ドリフトなしのランダムウォークの特徴を取りまとめておきます。

(1) ランダムウォークはマルチンゲールです。即ち、E(Xt+s|It)=Xtが成り立ちます。
(2) ランダムウォークのうち、対称ランダムウォークは再帰性を有します。例えば、コイントスのような2種類の結果しか出ないゲームを考えて、εが表なら1、裏なら-1とすれば、結果が2種類ですから、P(εi=1)=pP(εi=-1)=1-pになりますが、ここでコイントスのように、p=1/2の時、これを対象ランダムウォークと呼びます。確率1/2の対称ランダムウォークであれば、結果が初期値に戻ってきます。これを再帰性と呼びます。ただし、結果が初期値に戻るまでの期間の期待値は無限大です。
(3) ショックは永続的です。初期値、あるいは、いずれかの期に何かのショックが生ずると、その効果は永遠に続き、消えることはありません。
(4) ランダムウォークは1階の階差を取ることにより定常過程となります。Xt-Xt-1t∼iid(0, σ2)ですから、当然です。別の言葉でいえば、ランダムウォークは和分の次数が1です。X∼I (1)と表記します。
(5) ランダムウォーク系列の変動は期間の経過ともに期間の平方根に比例して大きくなります。これは上で示したように、ランダムウォーク系列の分散がtσ2であることから明らかです。

4. 金融資産価格のランダムウォークモデル
それでは、株価のような金融資産価格がランダムウォークするかどうかを検定するにはどうすればいいのでしょうか。
それには、少なくとも、以下の3点を検定することが必要になります。

(1) 階差がランダムで規則性を持たない。
(2) 階差は均一分散を持つ。
(3) 系列は和分の次数が1である。

無規則性の検定はノンパラメトリック検定で、ドリフトがない場合は連検定、ある場合はランク検定などがあります。また、均一分散の検定のためはカイ二乗検定があり、和分の検定は拡張ディッキー・フラー検定などで行います。いずれも、エコノメに詳しい方であればご存じだと思います。

今夜のブログは元ネタがあったので、htmlのタグをいろいろと凝ったのにしてみました。


今夜もコメント歓迎です。

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2006年8月 7日 (月)

公共投資の乗数はどうして小さいのか?

1990年代以来、公共投資需要拡大効果が弱まり、ケインズ的な乗数が小さくなっているのではないかといわれています。小渕政権下であれだけ公共投資や減税や何やかやをやっても、結局、日本経済はデフレに陥ってしまったのですから、経験的に説得力ある議論だと思います。でも、私は昔からケインズ的な乗数はそんなに大きくなかったんではないかと思っています。ケインズ的な公共投資乗数よりも、日銀の金融政策とか政府の需要拡大にかける姿勢のようなものが評価されていたような気がするからです。
それはともかく、確かに、一般均衡的な経済を表していると考えられる内閣府の短期日本モデル2005年版では1年目の公共投資乗数が1.12となっており、教科書的なケインズ乗数から想像されるよりも、実際の計量モデルで観察される乗数はかなり小さいようにレポートされています。この要因は、以下のように、クラウディングアウト需要の漏れリカード的な中立命題の3点にあると私は考えています。

最初に、大学の教養部程度の超初級マクロ経済学のおさらいなんですが、経済に政府部門も海外部門もないとして、経済が以下の需要恒等式消費関数で表されるとします。

Y=C+I
C=C0+cY

ケインズ的な乗数は1/1-cとなります。cは限界消費性向と呼ばれます。
ですから、限界消費性向が教科書にあるように0.8とかだったら、乗数は5になるわけですが、先に引用したように、計量モデルで観察される乗数は1より少し大きい程度なわけです。これはどうしてでしょうか?

第1に、考えるべきはクラウディングアウトです。

クラウディングアウト

上の図は概念図であり、実際のデータに基づいて書かれているわけではないんですが、取りあえず、これを基に、IS-LMアプローチで考えると、ケインズ的な乗数である1/1-cは、IS曲線のIS0からIS1へのシフトを受けて、均衡点がAからBへ移動することです。しかし、実際には2段階のクラウディングアウトを生じます。まず、LM曲線が正の傾きを有しているとすれば、均衡点はBからCへLM曲線の正の傾きに沿ったクラウディングアウトが生じます。これは所得の増加に伴って、貨幣の取引需要が増加するために生じます。経済が流動性のわなに陥っていて、LM曲線がフラットであれば、このタイプのクラウディングアウトは生じません。次に、物価上昇により、実質単位で計測したIS曲線がIS1からIS2に左方にシフトし、実質貨幣供給の減少によりLM曲線がLM0からLM1に左方シフトするので、これと併せて、均衡点をCからDに移動させます。最終的に観測される均衡点はAからDに移動することになります。矢印で示した通りです。
ケインズ的な乗数がAからBへのシフトで計測されるのに対して、LM曲線が正常な正の傾きを有し、また、物価上昇に対してIS曲線とLM曲線がともに左方シフトするのであれば、ケインズ的な乗数が観測される均衡点Bよりも最終的な均衡点であるDは必ず左方に位置することになります。
ですから、この2種類のクラウディングアウト、あえて名づければ、取引クラウディングアウト物価上昇クラウディングアウトにより、ケインズ的な乗数よりも、実際に観測される乗数は必ず小さいことになります。

第2に、需要の漏れがあります。
政府部門と海外との輸出入を考えると、公共投資により発生した需要が租税輸入に漏れることから、乗数は小さくなります。詳しくは、初級レベルのマクロ経済学の教科書をご覧いただきたいんですが、結果だけを示すと以下の通りです。
まず、政府部門を導入し、経済が以下の需要恒等式消費関数・租税関数で表されるとします。

Y=C+I+G
C=C0+c(Y-T)
T=T0+tY

乗数は1/1-cから1/1-(1-t)cになります。ただし、tは限界税率と呼ばれます。
さらに、海外部門を加えて、経済が以下の需要恒等式消費関数・租税関数・輸入関数で表されるとします。

Y=C+I+G+X-M
C=C0+c(Y-T)
T=T0+tY
M=M0+mY

最終的に、乗数は1/1-(1-t)c+mになります。ただし、mは限界輸入性向と呼ばれます。

もっとも、投資が加速度原理でなされ、誘発係数があるとすれば、それだけ乗数は大きくなります。誘発係数をβとすれば、乗数は1/1-(1-t)c+m-βになります。

第3に、リカード的な中立命題の成立の可能性があります。
輸出や独立投資の増加ではなく、政府が公共投資の増加により需要拡大を目指す場合、リカード的な中立命題も乗数を小さくする方向に働くと考えられます。おそらく、リカード的な中立命題が完全に成り立つことはなく、部分的な成立の可能性が高いんですが、政府が公共投資によって需要拡大を目指しても、超合理的に思考・行動する経済主体が将来の増税を予想すれば、それに備えた貯蓄行動を取り、政府の公共投資拡大が何の需要増加ももたらさない可能性があります。部分的にこのような超合理的な貯蓄活動があれば、その分だけ乗数は小さくなると考えられます。

第1のクラウディングアウトと第3のリカード的な中立命題は計算しかねるんですが、第2の需要の漏れについては式がありますから、模擬的な計算が可能です。もっとも、実際のデータに基づいているわけではないので、以下の模擬計算は頭の体操程度のものです。
教科書とかにあるように、限界消費性向を0.8とすれば、教科書的なケインズ乗数は5となります。これは最初の図のAからBへのシフトの幅と考えられます。しかし、限界税率を0.3とし、限界輸入性向を0.1として、そのまま乗数の式に代入すれば、乗数は1.85になります。5もあった乗数が一気に2よりも小さくなってしまうわけです。これに加えて、計算しがたいんですが、第1のクラウディングアウト効果と第3のリカード的な中立命題の成立の可能性を考慮すると、内閣府の計量モデルシミュレーション結果としてレポートされたように、公共投資の乗数は1よりほんの少し大きい程度、ということになってしまいます。

以上。夏休み突入前にかなりマジメに私が考えた、ケインズ的な公共投資乗数は実際にはなぜ小さいか、の回答です。今夜のブログは最初はかなり力を入れていたんですが、結局、大学の教養部程度の経済学で理解できるように、かなり難易度は低めになってしまいました。

コメント歓迎です。

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2006年8月 6日 (日)

「ゲド戦記」をマリオンに見に行く

今日はかねての予定通り、私と下の子の2人で有楽町マリオンに「ゲド戦記」を見に行きました。11時半からの回に入る予定だったんですが、10時半過ぎに座席指定を受けに行ったところ、すでに、中央の座席はスクリーンに近い前の方しかなく、左脇の後ろの席を確保します。とても入りがよくて、興行的には大成功なんでしょう。
座席指定を受けてから、まだ1時間近くありましたので、有楽町のビックカメラに行きます。下の子は8月末に誕生日が来るので、プレゼントを考えるための下見と称して、自然とおもちゃ売り場誘導されます。かねてからキーボッツに目をつけていたようなんですが、そのうち、7月末に発売されたライシャンマオーに目が行きます。まだ、1箱だけ売り場にあり、しかも、初回生産限定の特典付きと箱に明記してあり、下の子の購買意欲を大いに刺激します。まあ、私も高い物とは思っていないので、ついつい、買い与えてしまいます。

11時半前にマリオンに戻り、下の子のトイレを済ませて、ポップコーンとコーラを買い求めます。2時間近くにわたって映画を鑑賞します。以下、「ゲド戦記」の感想文なんですが、ネタバレがありますので、まだ見ていない方は十分ご注意下さい。

まず、この「ゲド戦記」は今までのスタジオ・ジブリの作品のDNAを継承しているかどうか、とても疑わしいです。宮崎吾郎監督が父親のDNAを継承しているであろうことは間違いないと思うんですが、作品はスタジオ・ジブリだとはとても思えません。というか、私は一昨年の「ハウルの動く城」を見ていないので、そのさらに前の「千と千尋の神隠し」や15年以上も前の「魔女の宅急便」などを基に考えているんですが、夢もロマンも愛情もストーリーも登場人物のキャラも、何もかもがこれはスタジオ・ジブリの作品ではないと、私の感性が拒否しているような気がしました。もっとも、私は原作を読んでいないので、この映画だけは原作に忠実に作製されているのかもしれませんが、それにしても、私の期待を大きく裏切る出来だったです。一番よかったのは歌で、真ん中あたりのテルーの歌とエンディングの時の歌はとてもよかったです。新人の手嶌葵さんがテルーの声をやっていて、この2つの歌をアカペラで歌っています。これはとてもよくて、感動モノでした。でも、その他はイマイチでした。
まず、共食いで血を流す龍のシーンから始まります。私は血を流したり、人が死ぬことを小説や映画に持ち込むのは好きではありません。それから、息子の父親殺し、奴隷の人身売買とその基礎となる人狩り、麻薬中毒、などなど、小学2年生の下の子といっしょに見に来たのは失敗だったかと思わせるシーンの連続でした。スタジオ・ジブリが小学生とは見たくない作品を作るとは、想像も出来ませんでした。アレンが魔法の剣でクモと呼ばれる魔法使いの手首を切るシーンなんかは、妙にリアルで、子供の目を覆いたくなるようなシーンでした。このクモと呼ばれる魔法使いがドロドロの黒いゲルになるのは「千と千尋の神隠し」で顔なしが暴れるシーンを踏まえているような気がしないでもないんですが、それでも、美的表現の観点からはかなり差があったような気がします。
ストーリーもよく分からないんですが、私の嫌いな善悪の対立モノに近くて、悪者の魔法使いクモに対して、ゲドことハイタカは何も出来ず、主人公のアレンとテルーで立ち向かうんですが、ここまで善と悪の対立はスタジオ・ジブリの作品では見たことがなかったです。外国の作品を原作にしているので、キリスト教的な対立概念を背景としているのかもしれません。それはそれで新鮮だったかもしれませんが、いままでのスタジオ・ジブリの作品のDNAは感じられません。私が感動した「魔女の宅急便」にしても、「千と千尋の神隠し」でも、クモのような悪役は出てこなかった気がします。
キャラもタイトルになっている大賢人のゲドことハイタカのキャラがよく分かりません。魔法使いで大賢人とのことですが、奴隷の枷を外したり、顔を変えて見たりの小ネタの魔法は見せますが、肝心の最後のクモとの対決の場面ではなす術もなく地下牢に閉じ込められてしまいます。主人公のアレンも二重人格なのはケロロ軍曹のタママ二等兵や西澤桃華・桜華などと同じといえばそれまでで、それがアニメ界ではやっているのかもしれませんが、いきなり父親の国王を殺したりして、何が何だかよく分かりません。テルーがヒロインだと考えられるんですが、元は龍だったりするのは、これも「千と千尋の神隠し」の白を踏まえているのかもしれませんが、龍の姿になってクモを倒す最後のシーン以外では、歌の印象しかありません。
家に戻って、下の子が女房に「どんな映画だった?」と聞かれて、答えにくそうにしていましたが、小学2年生の表現力不足だけが原因ではなく、「ゲド戦記」の作品そのものにも原因がありそうな気がします。その意味で、うまく答えられなかった下の子に私はとても同情しています。来週はポケモン映画の「ポケモンレンジャーと蒼海の王子マナフィ」を家族そろって見に行く予定にしていますので、下の子にはそこで挽回して欲しいと思います。

少し話は変わりますが、Yahooの映画のレビューでは最も高い評価を受けている「時をかける少女」の細田守監督が途中まで一昨年公開の「ハウルの動く城」を監督していたのは有名な話です。何らかの事情で途中で宮崎駿監督に交代し、「ハウルの動く城」は最後の宮崎駿監督作品として公開され、細田守監督は東映に復帰しました。このあたりのことは事情通の方で、いろいろという人がいたりします。
「時をかける少女」といえば、私なんかの世代では原田知世さんの主演による角川の実写版だったんですが、今夏の「時をかける少女」はアニメです。今日時点のYahooの映画レビューでトップです。なお、ついでながら、「ゲド戦記」は10位にも入っていませんが、逆に、興行通信社調べの7月30日付観客動員では「ゲド戦記」がトップで、「時をかける少女」は10位にも入っていません。
スタジオ・ジブリは、ビジネスや興行よりも作品性を重要視することを標榜するスタジオだと私は聞いていました。ですから、海外での上映などではノーカットにこだわったりして、作品性を守ることを非常に重要視していたりします。でも、結果として、スタジオ・ジブリを退社した形になっている細田守監督の「時をかける少女」とスタジオ・ジブリの監督職を親から相続した形になっている宮崎吾郎監督の「ゲド戦記」は、Yahooのレビューで作品性と興行成績が対称的な2作品となっているようです。スタジオ・ジブリのDNAを受け継いでいるのはどちらなのか、私にはよく分かりません。
私が自分の選択の誤りを素直に認めて、ここまで酷評するのもめずらしいかもしれません。

下の写真は、マリオンの「ゲド戦記」の劇場前で撮った写真と家に帰ってからキーボッツで遊ぶ下の子です。

ゲド戦記  キーボッツ

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2006年8月 5日 (土)

渋谷の街についての感想

昨日、多摩テックで遊び回ったので、子供達が右足が痛いといい出します。おにいちゃんはそうでもないんですが、下の子が右足が痛くて歩けないといい張ります。ゴーカートでアクセルを踏み続けたのが原因だとのことです。にわかには信じにくいんですが、仕方がないので、私が肉離れの時にもらったシップ薬の残りを貼っておきます。今日は、おにいちゃんの夏期講座が再開されるので、私は下の子とゲド戦記を見に行こうといっていたのですが、明日に延期します。
ということで、午後から、おにいちゃんを夏期講座の開かれている渋谷まで送り届けます。帰りは塾から隊列を組んで銀座線の渋谷駅まで連れて行ってくれるので、おにいちゃんは帰りの付添いは要らないといい、それよりも、小学館の学年雑誌を買っておいてくれとリクエストします。先月号はかなり苦労して渋谷で探し回って、結局、東急本店の近くにあるブックファーストで買い求めた記憶がありますので、ブックファーストまで歩いて行くことにします。
おにいちゃんが夏期講座に通う塾は246を渋谷から少し池尻大橋の方に歩いたところにあり、行政的にいうと住所は道玄坂になります。東急本店近くのブックファーストまで近道して歩こうと思えば、道玄坂の上の方を横切る形になり、小学生と歩きたくない地帯を通ることになります。昼間ですし、私は決して小さくはありませんから平気なんですが、好んで散歩しようという方面ではありません。実際に、そのあたりを通ったんですが、やっぱり、アップダウンもかなりあって楽しい散歩ではないです。それでも、ブックファーストで小学館の学年雑誌、「小学4年生」と「小学2年生」を買い求めます。
先週で、週末の渋谷の街が混み合っているのは実感していたのですが、ブックファーストはかなりガランとしていました。街中の通りや喫茶店なんかは人でいっぱいなんですが、本屋さんがそれに比べるととても空いているのは、それだけで、渋谷に出て来る人たちの民度というか、品格のようなものを表しているような気がして、少し怖くなってしまいました。
先月7月2日のブログにも書きましたように、渋谷のゲーセンで開催されるムシキングの大会に出場するお子さん方に付き添って来ている親御さんと我が家の下の子が参加しているビーバー隊に付き添って来ている親御さんで、少し雰囲気が違うことは気づいていましたが、松戸から青山に引っ越して来て、渋谷に格段に近くなっただけに、渋谷の街の実態というか、好ましくない面まで見えてきたのかもしれないと考えています。

おにいちゃんを夏期講座に送り届けて、ブックファーストで雑誌を買ってから、渋谷から山手線原宿に出ます。神宮前の交差点から表参道を青山方面に歩きます。渋谷の街よりも格段に安心できる雰囲気があるような気がします。渋谷に比べて表面的な違いは、原宿は少し年齢層が高くて、子供連れやベビーカーもたくさん見かけます。また、欧米系の白人の外国人もチラホラ見かけます。ブランドものの高級ブティックもたくさんあります。ただし、私が知らないだけかもしれませんが、本屋さんはとても少ないような気がします。もっとも、パチンコ屋さんや風俗店も少ないような気がします。
アイデンティティの問題もありますが、自分の帰属すべき集団と遊ぶべき街をしっかりと再認識したいと思います。
明日は有楽町マリオンゲド戦記を見に行こうと思います。
取りあえず、今日のブログはお出かけの日記にしておきます。

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2006年8月 4日 (金)

多摩テックに行って遊ぶ

今日、我が家は私が有給休暇を取って、一家そろって多摩テックに行きました。午前中はゴーカートで、午後からプールに入りました。プールの後、帰る間際にもう一度ゴーカートに挑戦しました。
写真を撮りまくりましたので、画像中心の我が家のホームページにすでにアップロードしてあります。そのうち、多摩テックのページはこちらです。

我が家はマイカーがありませんので、京王電車で多摩動物公園まで行きます。多摩テックには送迎バスという有り難いものがあるんですが、待ち時間があるので、駅前の京王レールランドでNゲージを見学したりして時間を潰します。
10時過ぎに多摩テックに入ります。まず、プールの前に乗り物です。最初に、アクロエックスというのに挑戦します。水陸両用車で水の上なんかを走るんですが、デコボコがあって、それを踏むと得点になったり、逆に、左右の壁にこすると減点されたりします。我が家の車はおにいちゃんが運転します。小学生としては、まずまずの得点でした。アクロエックスの後は、電気自動車のムウに乗ります。環境にやさしい電気自動車だそうです。そして、ロボウォーカーに乗ります。坂の傾きによって前が持ち上がったり、後ろがせり上がってきたりするサイバネティックカーです。
そして、いよいよゴーカートです。まず、フォーミュラプラスに乗ります。我が家の子供達2人を含めて6台でコースを2週してポールポジションを競う本格的なレース志向のゴーカートです。本当は小学3年生以上なのですが、なぜか、親に似て体の大きい下の子も乗せてもらえます。ラッキーでした。我が家の子供達は6台の中で、おにいちゃんが1着で下の子が2着と、みごとなワンツーフィニッシュでした。さらに、フォーミュラプラスの横にあるロードスターにも乗ります。オールディーズムードの2シーターカーなんですが、我が家の子供達は自分で運転したいので別々のに乗ります。また、それが許されるほど、今日は空いていました。さらに、ゴーカートの最後に、おにいちゃんだけがハイパーカートに乗ります。全長1200メートルの本格的なコースを走るんですが、前の車の追突しないように何度も注意されます。これは小学4年生以上なので、下の子は最初から諦めていました。
ゴーカートを終え、高いところのレールみたいなもを走る乗り物に移ります。まず、スーパースカイライダーに乗ります。2人乗りの宇宙バイクなるうたい文句なんですが、2人が前後に乗る方式なので、ここでも、我が家の子供達はゴーカートのロードスターと同じく自分が前になりたいので別々のに乗ります。次に、一家4人が2組に別れてでんでんむしに乗ります。乗るまで何か不明だったんですが、要するに、ジェットコースターのショボいヤツです。でも、私はおにいちゃんといっしょに乗っていたので少し怖がりましたが、下の子といっしょに乗っていた女房はそんなには感じなかったかもしれません。
午前中最後はキッズバイクに挑戦します。ヘルメットだけでなく、ヒザあてとヒジあてに加えて、左右で色の違うグローブも着用し、完全装備で電気バイクに乗ります。3時限に分かれていて、最初にヘルメットなどを身につけて説明を聞き、次に練習コースを回った後、最後にコースに出ます。コースの外で見ていると、割合とスピードが出ていて、本格的な雰囲気がありました。我が家の画像中心のホームページに収録した私の取った写真も少しブレています。それなりのスピードが出ていたんでしょう。

昼食後、アドベンチャープールに入ります。昨年行った東武動物公園の東武スーパープールのように、流れるプールとか波のプールはなく、幼児向けプールと大きな円形プールがあり、プールではないんですが、ウォーターファクトリーと称する水遊びのコーナーもありました。最後は、スライダープールにも行きましたが、おにいちゃんは昨年の東武スーパープールで恐れをなして挑戦せず、怖いもの知らずの下の子が何度か滑り降りてきました。もちろん、私はパスしました。
多摩テックではゴーカート中心で、プールは2-3時間ほどだと軽く見ていて、そのために、私自身には日焼け止めをサボったんですが、お風呂に入る時に上半身がヤケに赤くなっていることを発見しました。子供達には日焼け止めを塗っておいてよかったと思います。今後の注意点でしょう。

プールは他の乗り物よりも早仕舞いなので、もう一度、おにいちゃんがゴーカートに挑戦しようといいます。小学4年生以上のハイパーカートに乗りたいというので、私がおにいちゃんに付き添い、下の子は女房とともに4Dモーションシアター恐竜を見に行ってしまいます。落ち合ったのはフォーミュラプラスで、最後のレースを繰り広げました。最後の最後に、下の子の熱烈な希望で観覧車トップキャビンに乗ります。しかし、私とおにいちゃんは高所恐怖症なので、風が強かったこともあり、下の子以外にはやや失敗でした。
お土産を買って、多摩テックを後にしました。

やっぱり、多摩テックの売り物はゴーカートですから、どうしても、来ているのは男のお子さんが多かったように思います。プールについても流れるプールや波のプールはなく、ご近所の市民プールに毛の生えた程度であるともいえます。でも、駅からの送迎バスもありますし、何といっても、ゴーカートは小学生の男の子の定番です。我が家のように小学生の男の子がいるのであれば、ぜひとも、一度は行っておきたいものです。我が家も、おにいちゃんが小学生のうちに、もう一度行きたいと思います。

下の写真は、フォーミュラプラスのスタート地点の子供達とアドベンチャープールで遊ぶ子供達です。

フォーミュラプラス  アドベンチャープール

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2006年8月 3日 (木)

小学生の夏休みの自由研究

小学生の夏休みの宿題に自由研究があります。有り難いことに、これを手伝おうという大学企業もあります。例えば、今日の朝日新聞の夕刊にあったんですが、東京大学が夏休み航空宇宙工学教室2006を開催し、ペットボトルのロケットの手作りなんかをしているようです。東京大学のお知らせのホームページはこちらです。企業では、伊藤忠が社会貢献活動の一環として、夏休み環境教室を開催したりしています。こちらのホームページはここにあります。
ここでは、ややめずらしいところを取り上げましたが、もちろん、各地の科学館なんかでは、ここぞとばかりに夏休み特集をしているのでしょう。いちいちは取り上げませんが、情報はいっぱいあふれていると思います。

ちょうど、8月上旬でお盆休み前のこの時期に集中しているようです。実は、我が家のおにいちゃんも今朝の部の伊藤忠の夏休み環境教室に参加しました。小学校から案内が来ていたようです。小学3年生以上ですから、下の子には参加資格がありません。伊藤忠の本社は青山通り沿いにあり、我が家の町内のようなものですから、今朝は伊藤忠での集合時間と私の通勤時間の折合いがとてもよかったものですから、私がおにいちゃんを伊藤忠の本社に連れて行きました。
私が小学生のころの自由研究といえば、昆虫採集やいろんな種類の石の収集などが定番でしたが、都会のど真ん中の小学生には昆虫採集も難しいでしょうし、そもそも、コレクションモノが困難になってきていて、ホントの研究モノになってきているようです。東大がやっているような科学モノで、何かを作り上げる自由研究のほか、ごみ処理や下水処理についてなどの環境モノや自分の住んでいる町名の由来などの歴史モノなどに人気があると聞いたことがあります。私が昔やった昆虫採集なんか、そもそも、昆虫が少なくなった上に、ヘタにを持つ昆虫に触ったりするのを避けるため、このごろでは、まったくはやらないそうです。もちろん、小学生の夏休みの自由研究にも時代によって、流行り廃りがあるんでしょう。

明日は、私が有給休暇を取って、気分転換のため、塾の夏期講座も夏休みの自由研究も忘れて、ゴーカートプールを楽しみに多摩テックに行きます。

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2006年8月 2日 (水)

いよいよ本格的な夏が始まり、プールの予定を立てる

先月の7月末に梅雨明けしたものの、ここ2-3日は雲が広がるさえないお天気だったんですが、今日の午後からは太陽が出て気温も上がったようです。天気予報を見ていると、この週末までこのようなお天気で突っ走りそうです。
我が家では、8月半ばには虫取りをメインとする家族旅行を計画していますが、今週末あたりは一家でプールに出かけようと考えています。昨年は家族旅行が外房の海水浴で、プールは東武動物公園の東武スーパープールに行きました。流れるプールと波のプールの他、各種ウォータースライダーなんかがあったのを記憶しています。でも、埼玉県ふじみ野市の市営プールで小学2年生の女の子が水死した事故がありましたので、とても不謹慎な話ながら、ここ数日間は流れるプールを中心に、プール遊びに行く人が少ないような気がしないでもありません。

春休みに引っ越したため、昨年行った東武動物公園の東武スーパープールは遠くなりましたし、今年は新規開拓を考えています。候補はとしまえん横浜こどもの国東京サマーランドなどでしたが、結局、プールだけでなく、小学生の男の子の必須アイテムであるゴーカートで遊ぶことも含めて、多摩テックに行くことになりました。女房が生協でチケットを手配してくれました。自動車のない我が家のことですから、電車で行くことになります。
いろいろとプールをインターネットなどで比較して考えていたんですが、最近、いろんなプールのホームページを改めて見直すと、やっぱりというか、何というか、東京サマーランドなんかは流れるプールを念頭に置いているんだと思いますが、埼玉県ふじみ野市の事故の後、緊急点検を実施して異常のないことを確認した、などのお知らせがありました。ホームページにわざわざ書かなくても、事故の後ですから、いろんな安全点検がなされたことと思います。これまた、不謹慎な話かもしれませんが、ここ1週間ほどで、全国的に、それなりに、プールの安全性が高まっているのではないかと想像しています。
名前から想像される通り、東京サマーランドはもちろんのこと、としまえんやこどもの国なんかも、我が家が昨年行った東武動物公園の東武スーパープールと同じで、流れるプール波のプールに各種ウォータースライダーをテンコ盛りで備えているんですが、多摩テックは売り物はゴーカートですから、プールが中心ではなく、プールにはそんなにいろんな設備がそろっていないような印象を受けています。流れるプールや波のプールはホームページには見当たりません。直径30メートルで水深が120センチの円形プールの他は、各種スライダーが中心のようで、我が家の小学生は水深50センチの幼児用プールでは満足しないでしょうから、スライダー中心に遊ぶことになるような気がします。もっとも、プールに入る前のゴーカート次第のようで、ゴーカートで遊び切ってしまう気がしないでもありません。我が家の子供達は、あくまで、プールはついでに入る、との意識です。

おにいちゃんの塾の夏期講座がカレンダーのウィークデイと無関係に開かれているため、カレンダー通りの私の週末とおにいちゃんのお休みを勘案して、近く、多摩テックに遊びに行ってきます。もう、お天気は心配する必要はないことを祈ります。

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2006年8月 1日 (火)

路線価に見る地域間格差

本日の朝日新聞の夕刊によると、全国平均の路線価が14年振りに上昇したそうです。主として、大都市圏の上昇によるもののようです。
いつもの通り、朝日新聞のサイトをそのまま引用すると、以下の通りです。

相続税や贈与税の算定の基準となる06年分の路線価(評価時点1月1日)が1日、国税庁から公表された。全国約41万地点の標準宅地の平均路線価は1平方メートルあたり11万4千円で、前年を0.9%上回り、14年ぶりに上昇した。地方はまだ下落が続いているが、景気が緩やかに回復する中で3大都市圏がいずれも上昇に転じ、全国平均を引き上げた。
圏域別の平均額は、東京圏が前年を3.5%上回り26万4千円となった。大阪圏は0.7%高い14万9千円、名古屋圏も2.1%上昇し9万8千円。都心部やその近接地でマンション需要が旺盛なことや、都市再開発で商業地の利便性が高まったこと、ブランド店の進出などで集客力が上がったことなどが要因とみられる。
その他の地方圏は5.7%下落の5万円だった。大規模商業施設の撤退による中心商業地の空洞化などが要因とされるが、下落幅は2年連続で縮小し、下げ止まりの傾向が強まった。
都道府県別でみると、千葉、東京、愛知、京都、大阪の5都府県が上昇した。13年ぶりに上昇した東京のみにとどまった前年に比べ、大幅に増加した。
都道府県庁所在都市の最高路線価は、6年連続で上昇した東京都中央区の銀座中央通りが1872万円で、21年連続のトップとなった。
上昇率が10%を超える都市は、前年のゼロから7都市に増えた。中でも名古屋市中村区の名駅通りが26.4%、銀座中央通りが23.8%と、2都市が20%を超える急上昇となった。
上昇したのは15都市。東京、名古屋、大阪など前年も上昇した6都市に、さいたま、神戸、静岡、広島など9都市が新たに加わり、前年の2.5倍に増えた。
地方都市の多くは依然として下落傾向が続いているものの、下落率が拡大した都市は盛岡、長野、山口、徳島、松山の5都市にとどまった。

さらに、朝日新聞では、静岡市と清水市、岐阜県の飛騨市を例に、社会面で平成の大合併により合併した市を取り上げ、行政機能の本庁機能を保持した地域の路線価は上昇し、これを失った地域はさびれているようなレポートもまとめています。たった2市だけですので、サンプルが極端に少ないような気もしますが、記事で取り上げているのですから、代表的な傾向なのかもしれません。いかにもありそうな話ですので、ストーリーとしても分かりやすいです。
都道府県単位では、平均路線価が上昇したのは東京都、千葉県、愛知県、京都府、大阪府の5都府県だけですが、県内でも県庁所在地などでは路線価が上がっているところが少なくないようです。日本国内で都道府県別の格差が拡大しているとともに、同一県内でも県庁所在都市とそうでない地域の格差が広がっている格好です。要するに、全国レベルでは大都市圏が地価上昇を支え、県内レベルでも県庁所在地で地価上昇しているところが少なくないわけです。その他の地域は地価の下落が続いています。
私はこの地域間格差が広がっているのは、圧倒的に、小泉政権の進める構造改革の下で公共事業を削減してきたことに起因すると考えています。ですから、先週7月28日のブログでも取り上げたように、地域間格差是正のために構造改革を止めよう、という政策割当ての観点から間違った議論が出て来る素地はあると考えられます。でも、小泉政権以前は地域間格差是正のために公共事業を割り当てきたのだとすれば、それはとても奇怪なことであると私は考えています。結果としてそうなっていた可能性は排除されないものの、田中総理のころの「日本列島改造論」なんて、実はよく知らなかったりするんですが、このタイトルだけからすれば、意識的に公共事業を地域間格差是正に割り当ててきたような気がしないでもありません。
さらに、この格差という表現も分かりづらいです。今年の4月17日のブログでも取り上げた、伊藤美咲の大好きな私の米国人の弁護士の友人にいわせると、通常、格差とはdifferenceとかgapの訳を充てればいいらしいんですが、現在、日本で問題視されている格差は、明らかに、名詞ならinequlityで、形容詞ならinequal、つまり、直訳すれば、不平等となる英語を充てるべきである、といっていました。確かに、格差というよりも、地域間の不平等といった方がより正しい日本語表現だという気がします。でも、私は公務員だから分かるんですが、絶対に、政府はそんな表現は取らないと思います。政府がそう表現しないので、マスコミもそうは報道しないと思います。良し悪しは別にして、それが現実だろうという気がします。

今日の午後は多摩地区の大学に外出していました。夕方に帰りの中央線で吉祥寺に向かう道すがら、その大学の親しい先生から「吉岡さんは春休みに青山に引っ越したんですよね。地価格差の頂点ですねえ」と無邪気にいわれてしまいました。でも、ホントは私じゃなくて、私が借りているところが地価格差の頂点なんでしょう。賃借人の私は家賃を値上げされるばかりで、土地の値上がりからは何の利益も受けません。

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一体、ジャイアンツは何を考えているのか?

今夜も阪神は負けてしまいました。ジャイアンツにサヨナラ負けです。
一昨日の時点で首位中日と6ゲーム差でしたし、その前に、中日3連戦に3連敗した時点で、今年のペナントレースは諦めていたんですが、それにしても、ジャイアンツは何を考えているんでしょうか。中日に対してへたくそなピッチャーを出しておいて、タイガースには上原ですかねえ。
要するに、日テレの視聴率しか念頭にないんでしょうか。中日戦では力を抜いて、阪神戦には見せ場を作ろうとするのは、セリーグで中日に独走して下さいということです。まあ、タイガース戦で八百長してくれとはいいませんが、勝ち負けを考えて、リーグ全体のことをよく考えて野球をして欲しいもんだと思います。中日戦でがんばるよりも阪神戦でがんばった方が視聴率にはいいんでしょうが、プロ野球全体が沈みかねないことは念頭にはないようです。かつては球界の盟主を自任されていたようですが、今では見る影もありません。

阪神が負けた腹いせでジャイアンツに八つ当たりしているのは、重々、自分自身でも理解しているんですが、それでも、おさまらなくてブログに書いてしまいました。書き終えて、はしたないと思う意識が戻りましたので、これでヤメにします。今年は、もう、ブログで阪神タイガースを取り上げることはないような気がします。

今夜はもう少しまともなブログがもう1本あります。

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