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2006年10月23日 (月)

子供を守る親の権利と義務

このところ、教育現場でのいじめに加えて、親などの虐待の記事なんかも新聞でよく見かけます。朝日新聞の朝刊では「虐待で3歳児餓死、体重7キロ 遺棄致死容疑で父ら逮捕」との記事がありましたし、それから、夕刊の入稿には間に合わなかったようですが、朝日新聞のサイトでは「脳に病気の乳児、親権停止し手術 両親、宗教理由に拒否」との記事を見かけました。
どちらも、ネットの記事から最初のパラグラフだけを引用すると、以下の通りです。

22日午前10時55分ごろ、京都府長岡京市西の京の民家から「子どもがぐったりしている」と119番通報があった。救急隊員らが駆けつけ、心肺停止状態だった佐々木拓夢(たくむ)ちゃん(3)を病院に搬送したが、死亡が確認された。顔全体に無数の殴られたようなあざがあったうえ、体重が3歳児平均の半分ほどの約7キロしかなく低栄養による餓死だった。向日町署は23日未明、保護責任者遺棄致死容疑で運送業の父佐々木貴正容疑者(28)と内縁の妻の西村知子容疑者(39)を逮捕した。
生まれつき脳に病気を持つ乳児の手術を宗教上の理由で拒否した両親に対し、大阪府内の児童相談所が昨年2月、「親権の乱用にあたる」として親権停止の保全処分を大阪家裁に請求し、6日後に認められていたことが分かった。医師が一時的に親権代行者となって手術を実施。乳児は現在、親権を回復した両親に育てられている。親権停止決定には通常数カ月かかることが多く、短期間での決定は異例という。

我が家のように親バカの家庭では考えられないようなことが世間では起こっているような気がします。しつけと称して、子供に十分な食事を与えないばかりか、顔などを殴ったり、命すら危ない病気なのに宗教上の理由手術を拒否したりと、健全な常識では考えられないことです。私なら、子供の命が危険にさらされるような教義の宗教はさっさと改宗します。子供の命より大切な宗教が存在すると考えるだけでバカげています。
でも、引用しておいてナンですが、私は朝日新聞の報道態度にも疑問を感じます。ネットになかったので引用はしませんでしたが、夕刊の社会面では京都の3歳の餓死の続報の下で、「児童相談所、家庭訪問怠る」と題して、児童相談所も同時に槍玉にあげているからです。こんな事件はほとんど100パーセント近く親の責任、あるいは、今回の場合は実の父親とその内縁の妻の責任だと思うんですが、役所や社会全体に責任を拡散させるような報道態度は疑問です。

その昔に、私が在チリ大使館の経済アタッシェをしていた時には、外国における邦人保護の重要性をやかましくいわれたものでした。やや誇張した表現かもしれませんが、経済班がチリの経済成長率を一桁間違って本省に報告しても単なる笑い話で済むものの、チリで邦人保護に失敗したり、何らかのミスがあったりして死者やケガ人が出ることは許されない、といわれたものです。民間企業で海外駐在している人にはこの感覚が分からないかもしれませんが、外交官として在外公館に勤務している場合は、邦人の人命の保護は何よりも重要で、絶対に失敗やミスの許されない部分です。外国で犯罪を犯したり、不正に加担したりして警察に捕まった場合なんかはともかく、まっとうな邦人の生命と身体の保護は少々のことを曲げても外交的には絶対的な正義だと見なされています。
在外公館における邦人保護でもこんな具合なんですから、自分の子供を守るのは親にとって絶対の正義なんだと私は考えています。子供の安全を守るのは親の義務であり、同時に、大きな社会的責任を伴うものであると思います。その上に立って、親の権利とは子供の安全を脅かしたり、健全な成長を阻害したりするものを排除する権利だと思います。まあ、このブログでも取り上げた月の観察の宿題なんかは、ある意味で、子供の健康を損なう恐れがあるわけですから、小学校の担任の先生に一言申し上げるのも親の権利に含まれると考えています。

学校でいじめがあったり、家庭で親に虐待されたり、子供にとって受難の時代なのかもしれませんが、少なくとも、我が家では親バカといわれようと、何といわれようと、絶対の正義の感覚の下に、子供の安全と健全な成長を守るべく愛情を注ぎます。

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