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2006年10月16日 (月)

ピノチェット軍政下での犠牲者

今夜は朝日新聞の夕刊の2面に大きな写真入りでチリのピノチェット軍政下での犠牲者の記事が出ていましたので、エントリーをもう一本書きます。まず、いつもの朝日新聞のサイトから引用すると、以下の通りです。

ピノチェト元大統領の軍事独裁が90年まで続いたチリで、拷問の被害者として初めて大統領となったバチェレ氏が14日、サンティアゴ市内の秘密収容所「ビジャ・グリマルディ」跡を31年ぶりに再訪した。チリやアルゼンチンでは米国の支援を受けた軍事政権下での人権侵害について問い直す動きが活発化している。
バチェレ氏は医学生だった75年1月、母親とともに秘密警察に拉致され、グリマルディで2カ月間、尋問と拷問を受けた。反ピノチェト派の空軍将校だった父は拘束中に死亡した。現在は公園となっているグリマルディを母とともに訪ね、「痛みと悲しい記憶、恐怖が呼び戻された」と当時を振り返る一方、「命と自由と平和を取り戻す機会でもあった」と語った。
73-90年のピノチェト独裁下、約3000人が死亡・不明となり、約3万人が拷問を受けたとされる。グリマルディはその象徴的な存在だ。数千人が拷問を受け、約300人が行方不明になった。
ピノチェト氏の裁判はこれまで、元大統領としての免責特権や、高齢による健康上の理由から、多くが停止されてきた。だが、昨年から裁判再開の動きが徐々に進み、グリマルディでの拷問についても裁判で問われることになっている。

私はそもそもバチェレ大統領を知りませんでしたし、バチェレ大統領がピノチェット軍政下で拷問を受けた被害者だということも、もちろん、知りませんでした。こんなことを書くと、そんなの知らなくて当たり前じゃん、といわれてしまいそうですが、そこは、さすがに経済大国ニッポンの外交団の経済アタッシェでしたから、それ相応の面識はありました。ピノチェット独裁政権から民政移管された初代の大統領であるエイルウィン元大統領のころに私はチリに赴任し、大使の交代に伴う信任状奉呈に同行して、当時のエイルウィン大統領とスペイン語で会話したこともありますし、その次のフレイ元大統領とは、1994年3月の大統領就任式の直前の2月の夏休みに、私のゴルフクラブで出会って、私たちのパーティが大統領のすぐ後でプレーしたこともあります。さらに、現在のバチェレ大統領の前のロゴス前大統領も面識はありませんが、私がサンティアゴにいた当時の社会党の党首として顔と名前くらいは知っています。ちなみに、ロゴス大統領の長男がチリ外務省の顧問をしていた時に、APECの関係で私がチリに出張して面会した記憶があります。私がお仕えしたころの在チリ日本大使は、大使は天皇の名代公使は総理大臣の名代、そして、吉岡さんは大蔵大臣や経済企画庁長官などの経済閣僚の名代です、といい放った大使がいたりしました。ホントにエラいかどうかは別にして、エラそうにしていたことは事実です。
それはともかく、ピノチェット独裁下では政治的な強権の基で、シカゴ学派的な経済改革民主的な手続きを無視されて実行されたといわれています。南米はポピュリスト的な政権が多く出現したことがあり、例えば、財政の均衡を無視して税金を安くし、補助金を増やすなどのポピュリスト政策が取られた時代もありました。ですから、中年以降くらいの方は、南米といえば、ブラジルやアルゼンティンなんかで放漫財政のあげくにハイパーインフレとなっていたのを記憶している人もいると思います。それに対して、チリのピノチェット独裁政権はポピュリスト的な政策を取る必要もなく、民主的な国会審議などの手続きも無視して、ある意味では、国民の負担を軍事的・強権的に求めることが可能でしたから、かなり思い切った経済改革を進めたことは事実です。特に、ピノチェット大統領の前のアジェンデ政権は社会党と共産党の連立政権で、ポピュリスト的な色彩がとても強かったといわれていますから、それを否定して反対の政策を行った面もあるのだろうと思います。
その結果、今でもチリは南米を代表する市場経済的な経済改革を実施して、産業界や国民も経済改革を強く支持しているようです。例えば、年金は完全民営化されていて、民間の保険会社が運営しており、実態上、国民皆保険に近いんですが、政府が年金を徴収したり、給付したりすることはありません。国民は自己責任で年金会社を選びますし、もちろん、乗り換えることも自由です。社会党を含むコンセルタシオンと呼ばれる現在の与党連合も経済政策面ではピノチェット独裁政権の政策を踏襲しているように見受けられます。ですから、米加自由貿易協定にメキシコが加わってNAFTAが出来た後、南米では最初にチリがこれに加盟したりしています。南米のアキレス腱だったインフレもかなり抑えられています。南米で通貨危機があっても、チリにまで伝染(contagion)することはないようです。
逆にいうと、経済的にはポピュリスト政策が南米においてすら破綻し、経済改革路線が南米で真っ先に定着したチリにおいてこそ、ピノチェット軍事政権化での人権問題を取り上げる余裕が出来て、再び、政治の季節を迎えるのかもしれません。

経済評論の日記と海外生活の思い出の日記で迷った末に、海外生活の思い出の日記に分類しておきます。

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