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2006年11月 9日 (木)

どうして政府は効率的でないのか?

昨夜のエントリーは市場の失敗に政府が介入しても、政府が成功する保障はない、というところで終わりましたが、今夜は、どうして政府は効率的でないのかを考えたいと思います。
経済学の基本の希少性を軸に昨夜は考えましたが、今夜はもうひとつの基本であるインセンティブを取り上げます。経済学とは要するにお得の学問だからです。経済合理性とは難しい言葉なのかもしれませんが、要するに、人は自分の得になることをする、という前提です。ですから、経済学では人間性善説も性悪説も取りません。得にあることであれば、倫理的に好ましくないことでもする可能性を否定しません。
ここで大きな誤解は、中立的な政府であれば、中立的な解決策が模索されるだろうという期待です。すなわち、政府が効率的でないのは、政府が中立に振る舞おうとしているからだと私は考えています。市場の失敗を解決したいのであれば、出来る限り、その利害関係者の直接的な取引を交渉するのがもっとも効率的な可能性があるのではないかと私は考えています。
このもっとも醜い例が国際協力、ODAに見られると私は考えています。ODAの評判が悪いのは、第1に、ODAにかかわっている人達の中に、ODAを食い物にしているような人がいることです。ODAを受ける側の途上国には、政治的な腐敗の程度にもよりますが、ミスター10パーセントみたいな有力政治家やフィクサーのような人物なんかがいて、事業費の一定割合の賄賂を取る場合があるなどといわれたりしますし、日本のようなODAの供与国側でも、ODAゴロのような人がいることも私は見聞きしています。もちろん、多くのODAにかかわる人々は途上国の発展を願って情熱を傾けている人が多いんでしょうが、これだけ巨額のお金が動いているのですから、ODAにまつわる利権で私腹を肥やしている人がいるといわれれば信じる人も多いでしょう。
第2に、今夜のテーマに大いに関係あるんですが、ODAによる開発計画なんかが現地の利害関係者の利害を反映しない形で進められる場合があることも、ODAを非効率にしている大きな要因だと思います。ODAは市場の外で実施されることから、価格のシグナルにより合理的な行動をもたらすインセンティブに欠けます。どのような開発計画が合理的なのかは、ドナーとホストの政府で決められるのが通常のやり方ではないでしょうか。インセンティブの薄い専門家に開発計画を任せるのか、専門家ではないけれどもインセンティブの強い利害関係者に任せるのか、私は後者の方法も選択肢としてあり得るんではないかと考えています。

市場の失敗がある場合でも、中立的な政府に制度設計を任せるよりも、利害関係者の直接の取引の方が経済的には正しい答が出そうな気が私はしています。特に、外部経済のある場合なんかで、とても、単純な例ですが、公害をまき散らす工場と地域住民が直接に取引する場合を考えることが出来ます。工場と地域住民が公害の賠償額を直接取引すると、工場側は、地域住民の求める賠償額と公害除去装置の価格を比較して、工場側は合理的な方を選択します。要するに、安く済む方を選ぶわけです。もちろん、地域住民側も公害除去装置の価格を知っていて、公害をガマンして賠償金をもらうような金額設定をすることも可能でしょう。いずれにせよ、この直接交渉方式では主導権は地域住民側にあります。私はナイーブなエコノミストですから、両者の直接交渉により、両者ともに納得できる解決が得られるような気がします。
もちろん、ナイーブに考えればこの通りかもしれませんが、実際に、このようなシステムが機能しないと考える人がいても不思議ではありません。逆に、このような利害対立がある場合の調整役として、社会契約に則って政府が成立しているハズである、といわれれば、その通りかもしれません。
しかし、国民の教育水準が向上し、インターネットやマスコミによりふんだんに情報が提供され、しかも、政府の非効率がガマンならない水準にあると考えるのであれば、政府を抜きにして直接交渉に臨むのも、ある意味で、経済的に合理的な選択になるかもしれません。

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