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2006年12月11日 (月)

ピノチェト将軍が死去

チリの元大統領で、1973年に当時のアジェンデ政権をクーデタで倒して、1974年から90年までチリ大統領の職にあったピノチェット将軍が91歳で死去しました。長くなりますので最初の2パラグラフだけですが、いつもの朝日新聞のサイトから引用すると、以下の通りです。

73-90年にかけてチリで軍事独裁を敷いたピノチェト元大統領(91)が10日、急性心不全のためサンティアゴ市内の病院で死去した。同氏の軍事独裁下、約3000人が殺害・行方不明になったとされる。一方で社会主義政権を倒して経済を再建した救国の英雄と崇拝されており、国論は長く二分されてきた。だがここ数年は、軍事政権下の人権侵害などについて訴追が進んでいた。
地元テレビによると、病院前では支持者が集まり、国歌を歌って死を悼んでいる。一方で、「独裁者」の死を喜ぶ人々もサンティアゴ市内の路上に集っている。地元紙のアンケートでは、55%が国葬に反対している。

私は在チリ大使館に3年間勤務しましたが、その当時でも、ピノチェット将軍は軍の最高司令官として、隠然たる勢力を有していました。ある晩に、自動車を運転していて道に迷い、ピノチェット将軍の自宅近くの道に迷い込んで、カービン銃を持った兵士に制止されたこともあります。外交官ナンバーの自動車だったので、手荒なマネはされませんでしたが、顔の間近に銃口を突きつけられるのは怖かった記憶があります。
引用した記事にもある通り、左派を弾圧して大量の死者や行方不明者を出し、その被害者などから蛇蝎のように嫌われていた一方で、社会主義政権をクーデタで倒して自由主義的な経済改革を進め、完全に崩壊していたチリ経済を立て直した英雄であると称える人もいたりします。今日付けのFinancial Timesでは、この点を評してなんだろうと思いますが、controversialと表現していました。もっとも、現在の中南米には、ベネズエラのチャベス大統領とか、ボリビアのモラレス大統領とか、はては、キューバのカストロ議長とか、controversialな元首にはこと欠きません。
引用した記事にもある通り、国民の過半数が国葬に反対しており、軍葬として執り行われるようです。現職の大統領であり、ピノチェット軍政下での拷問の犠牲者でもあるバチェレ女史は早々に欠席を決めたそうです。経済的にはシカゴ学派をバックボーンにして成功を収めましたが、政治的には強権路線で国内の融和が実現されず、最後まで裸の王様だったような気がしないでもありません。
しかし、独裁者の末路は哀れなものといわれていますし、民主主義が必ずしも十分に成熟していない国では、独裁者が退陣することは、国外に亡命するか、国内に留まれば何らかの訴追を受けるか、ひどい時は暗殺されるか、と相場は決まっているんですが、私が駐在したことのあるチリとインドネシアでは、独裁者が退陣しても、それなりの訴追は受けたものの、高齢による体調不全などもあって、結局、長寿で国内に留まっているのは不思議なめぐり合わせだと思っています。お隣の韓国なんて、ずいぶんと経済成長を遂げたんですが、やっぱり、軍出身の元大統領は山に蟄居させられたりしているんですが、経済規模が韓国まで達しないチリやインドネシアで、軍出身の元大統領の独裁者が、亡命も暗殺もされずに国内で高齢まで生き長らえているのは、両国の国民性の故なのか、と考えたりしています。
少し脱線してしまいましたが、いずれにせよ、ひとつの時代が終わったと受け止めています。

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