青山七恵「ひとり日和」を読む
今日は久し振りの雨で、天気予報では風が強くて嵐のようなお天気を想像していたんですが、現時点までは、それほどでもない様子です。
2月10日発売の「文藝春秋」3月号で、選評とともに青山七恵さんの第136回芥川賞受賞作の「ひとり日和」を読みました。ちょうど、昨年の第134回芥川賞受賞作の絲山秋子さんの「沖で待つ」と同じように、スリリングな場面もなく、まったりとナチュラルな作品でした。なお、読書感想文ですから、今日のエントリーはネタバレが多々あります。ご注意下さい。
基本的には主人公が大人になって行く過程でのラブストーリーではないかと、私は思っています。ハタチの主人公は言うに及ばず、主人公の47歳の母の結婚話もあり、主人公がいっしょに住んでいた71歳の吟子さんとホースケさんのデートシーンもあって、3世代にわたる女性の恋の物語と読めなくもない気がします。でも、それぞれに決定的な結論に至るわけでもなく、サラリと1年間を描写した作品です。東京という「大都会でのソリテュード」と題した石原慎太郎さんの選評の通りかもしれません。選者の村上龍さんも選評の中でこの作品を推したことを明らかにしています。前にも触れたことがあるかもしれませんが、この2人がそろって推薦することはめずらしいと言う人もいたりします。
ストーリーは単純で、教師をしている母親が交換留学で中国に行ってしまうので、遠縁に当たる吟子さんの家に居候することになった主人公のアルバイトとそこでの恋物語を吟子さんのダンス仲間とのお付き合いに絡めて、淡々とストーリーは進み、最後は、主人公が正社員に採用されて独身寮に入るので、吟子さんの家を出て、別の恋が始まるあたりで終わっています。
評者の指摘にもある通り、主人公の手癖の悪さと言うか、小物を失敬して靴箱にコレクションする、と言う性癖が最後の最後で解決されるのは、お約束で、当然に予想される結果とは言うものの、主人公がホントの大人になる過程の必然として、とても自然な流れを形作っていると思います。今までの人生の集積とも言える、くすねた小物を靴箱から出して、死んだ猫の写真の額縁の裏に置いていくのも、少しテクニックが過ぎると評価する人がいるような気もしますが、単にバサッと捨てるのではない分、好感が持てると評価できると私は思います。
私は他の候補作を読んでいないので何とも言えませんが、石原慎太郎さんの選評にあるように、受賞作と佐川光晴さんの「家族の肖像」以外は論外、とまでは思わないものの、黒井千次さんの評価のように「自然体の勝利」であることは間違いないと思います。
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