テニスの全英オープンが始まる
今日も朝からいいお天気で、薄曇りながらも陽射しがあり、気温も上がりました。蒸し暑かったです。
テニスの全英オープン、すなわち、ウィンブルドン大会が始まりました。私は今年は予選を勝ち上がった森田あゆみ選手に注目していたんですが、さすがに、1回戦でイタリアのマラ・サンタンジェロ選手に負けてしまいました。28番目とはいえ、シード選手ですから、第2セットを取っただけでも、「よくやった」と言うべきなんだろうと思います。フォアもバックも両手打ちで強い球を打てる選手です。ネット上で「水入り」にも健闘の初舞台=森田、飛躍へのスタート地点に-ウィンブルドンと題して割合と詳しく報じていたので、今夜は時事通信のサイトから引用すると以下の通りです。
森田にとって不運だったのが、第2セット3-0とリードした直後の「水入り」。第1セットを簡単に6-1で奪ったサンタンジェロは、明らかに勝負を急ぎ、ミスが多くなっていた。そこを、森田が持ち味の両手打ちの強打で押し始めていた。45分後に再開した時、相手は落ち着きを取り戻していた。
予定より1日遅れとなった試合。全体を通せば、相手の長身から振り下ろす強力なサーブや、全仏ダブルス覇者らしいネット際のうまさに押された。だが、森田も四大大会初出場とは思えぬ堂々とした戦いぶり。最終セットも0-5と離されてから、3ゲームを連取。負けたとはいえ、見事な健闘だった。
昨年の全米オープンから参加している四大大会の予選会を初めて突破した。予選3回戦ではウィンブルドン8強の経験もある実力者のスアレス(アルゼンチン)を破った。15歳の時に日本テニス史上最年少でプロに転向した新鋭は、着実に成長を遂げている。
「悔しさとうれしさは半々くらい」と、敗戦後は悔しい表情を浮かべ、コートを後にした。それでも、「こういう相手とも十分に戦えると思った」と手応えをつかんだ。この日手にした経験と味わった悔しさが、17歳のスタート地点になるはずだ。
森田選手については、一昨年2005年に15歳でプロ転向し、そのまま全日本選手権で優勝した時から注目していたんですが、昨年の全米オープンからグランドスラム大会に挑戦していたとは知りませんでした。まあ、中年のスポーツ観戦への注目度なんてそんなもんです。まだまだ、夏の全米オープンもありますし、森田選手にはがんばって欲しいと思います。なお、ご参考までに、日本テニス協会 (JTA) がソネットでブログを開設していて、ウィンブルドン大会の情報なんかも充実しています。特にオススメは佐藤ひろしさん撮影の大きな写真が見られたりすることです。ウィンブルドン大会のホームページなんかでは、日本人選手の写真はそんなにたくさんは目にすることは出来ません。ご興味ある方は上のリンクからどうぞ。
私は関西生まれの阪神ファンですが、野球やサッカーのような団体競技と違って、テニスや相撲なんかは個人競技ですから、チームを応援するようなことがなく、個人プレーヤーを応援するわけですから、その対象が引退してしまえば競技そのものを見る機会がグンと減ったりします。私の場合は、相撲については元大関の先代貴乃花でした。今の一代親方の貴乃花親方の父親に当たります。一昨年に亡くなりました。1981年の1月場所の途中で引退しました。私の大学時代でした。その後数年間は、よく似たタイプで同じ部屋の若島津を応援していたりしたんですが、1987年の夏に引退しました。私はすでに就職して公務員になっていました。その後は相撲は余り見ません。また、テニスについては自分でもプレーするので相撲よりはずっと興味を持っていたりするんですが、長らく、伊達公子選手のファンでした。1994-5年のころが伊達選手の最盛期だったと思いますが、まったく時期を同じくしてドイツのグラフ選手も最盛期だったので、グランドスラム大会ではさすがに優勝までは届きませんでした。グラフ選手が1969年生まれ、伊達選手が1970年生まれですから、同世代の世界と日本のチャンピオンだったということが出来ます。伊達選手は世界ランキング4位まで上りつめたと記憶しています。その後、日本のテニス選手で世界ランキング10位に入ったプレーヤーはいないんではないでしょうか。
今年の現在進行形のウィンブルドン大会をタイトルにしながら、実は、昔の話の方が長くなってしまいましたが、これからも続く全米オープンなんかでも森田あゆみ選手を応援し続けたいと思います。
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