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2007年6月15日 (金)

再び消費者金融における上限金利規制について考える

昨日、梅雨入りしたと見られるにもかかわらず、今日は朝から割合といいお天気で陽射しもあり、気温も上がりました。かなり蒸し暑かったです。

ほぼ1年前の昨年の七夕の日の2006年7月7日付けのエントリーで、「グレーゾーン金利をどう考えるべきか?」と題して、私は消費者金融の上限金利規制について、貸出し金利を制限しようと、自由な市場原理に任せようと、アカロフ的な情報の非対称性は解消されないと結論しましたが、今日の日経新聞の経済教室で大阪大学の筒井教授が最近出したワーキングペーパーの分析結果を引用しつつ、アンケート結果に基づく行動経済学的な議論を展開しています。
まず、論文へのリンクは以下の通りです。ご興味のある方はダウンロード出来ます

もともと、消費者金融の上限金利規制については、昨年後半に経済週刊誌である『東洋経済』誌上において、大阪大学の大竹教授と慶應義塾大学の池尾教授の間で何回か論争がありました。大竹教授は上限金利規制を疑問視し、逆に、池尾教授は擁護する立場だったと記憶しています。どうでもいいことなんですが、お二人とも我が京都大学経済学部の同窓ですし、私も前から興味を持っていた分野なので、不十分な理解ながらもこの論争を拝読していた次第です。
もちろん、私は私なりのアプローチから、昨年の七夕のエントリーでは、アカロフ的な情報の非対称性と言うより、借り手の消費者の方にすら返済可能性に関する情報が欠落している可能性を指摘しましたが、上に引用した論文では、行動経済学的な観点から、借り手の双曲割引に基づく時間非整合性と衝動性に基づく非合理的な欲求行動に加えて、情報の非対称性をモデル化して分析しています。なお、簡単に用語を解説しておくと、双曲割引とは時間割引率が将来に渡って逓減して行くことで、自分の返済能力を過度に楽観的に考える恐れがありますから、時間に対して非整合的な行動になる可能性が高くなります。衝動性に基づく非合理的な欲求行動はそのままなんですが、要するに欲しくてたまらなくなって将来の返済可能性を軽視する傾向があることです。
それから、消費者金融に関しては自殺者も出るほどの取立ての厳しさも問題視されていましたが、この厳しさを過小評価していたり、「自分は取り立てにあわない」と自信過剰な場合は借入額が大きくなるバイアスもあり得ます。取立てにおける厳しさなんかは、基本的には消費者金融業者の悪質性によるわけで、業者の側の問題なんだろうと私なんかは考えるんですが、借りる側の認識の甘さも一因となる可能性も指摘されています。
時間割引率に対する双曲割引や取立てに対する自信過剰の場合は何らかの貸出規制を取ることが経済学的には合理性があると考えられるんですが、個人の平等の問題に触れかねませんから、現実には難しいことか考えられます。しかし、いずれにせよ、借り手の返済能力に関する情報が不完全な市場では、上限金利規制は借り手が過大に借りてしまう問題に対しては有効ではない可能性が高いと考えられます。私の直感によっても、経済学的なそれなりに精緻な理論構成によっても、同じ結論に達するわけですから、これは明らかだろうと思います。
ただし、考慮すべき消費者金融の問題は3点あって、第1に、借り入れる段階で借り手が過剰に借りる、あるいは、貸し手が過剰に貸す、つまり過剰与信の問題、第2に、返済する段階で借り手が返済困難になる問題、これは多重債務の問題と言い換えても同じです、第3に、異常に厳しい取立ての問題、の3点について問題を切り分ける必要もあります。一見したところ、第3の取立ての問題は金利水準とは関係が薄いように見受けられます。もっとも、無関係ではなく、金利水準が高い方が貸倒れの機会費用が高いですから、取立ても厳しくなる可能性が高まります。第1の問題は今日のエントリーで少し詳しく取り上げたように、金利水準を引き下げても解決できるとは限りません。しかし、第2の問題は金利水準とは債務が膨らむスピードであって、このスピードが違えば多重債務者になる確率も異なりますから、金利が低いほど問題が深刻化しない可能性が高いと思います。

結局、昨年七夕のエントリーの結論と同じなんですが、初期段階で借り手が過剰に借り入れたり、貸し手が過剰に貸し付けたりする過剰与信の問題は、借り手の返済能力に関する情報が不足している以上、金利水準からは独立の事象である、あるいは、金利水準の変更により解決できるわけではない、という気がしますが、債務が膨らんでいくスピードを落としたり、取立ての機会費用の観点からは金利を引き下げることに十分な合理性があるように思います。ハッキリいえば、今日の日経新聞の経済教室の論点は過剰与信のみを取り上げた、やや視野の狭い議論だという気がしないでもありません。

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