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2007年8月 7日 (火)

格差問題と単位の問題

今日も朝からいいお天気で気温もグングン上がり、蒸し暑かったです。

今朝の閣議で本年度の「経済財政白書」が閣議にかかりました。副題は「生産性上昇に向けた挑戦」です。何分、年1回の取りまとめられるぶ厚な分析ですから、私ももう少ししっかり読んだ後で日を改めて取り上げたいと思いますが、いろんな捉え方や評価なんかがあった中で、夕刊では格差や賃金の動向に関する報道が多かったように見受けられます。夕刊の報道を全部見たわけではないんですが、日経新聞では副題に即して成長に向けて生産性の向上が急務であるとのトーンを打ち出している一方で、朝日新聞や読売新聞では格差問題と賃金に焦点を当てた記事になっていました。なお、副題の生産性上昇については、昨年2006年10月24日のエントリーで、政策的に生産性を引き上げることについては、私自身も懐疑的な見方を示していますが、日経新聞の解説でも生産性向上策については踏込み不足とされています。もっとも、現状分析を旨とする白書ですから、政策提言のような内容を求めるのは少しムリがあるような気がしないでもありません。
ところで、エコノミストの間では、自然単位と効率単位という言葉があります。自然人という呼び方もありますから、自然単位は、要するに、基本的人権が付与された人間1人を単位にします。他方で、効率単位とはどれだけ稼ぐか、とか、消費するか、とかの市場における購買力で測ります。もちろん、所得をすべて消費するわけではありませんし、遺産を遺す場合なんかもありますので、一概には言えませんが、世代を連続したものと考えれば、概ね、市場での購買力は所得にほぼ一致すると考えて差し支えありません。もちろん、効率単位では自然単位とは違った概念ですから、平等や格差も違った形で出て来ます。
ここまで書けば理解する人も多いと思いますが、民主主義は自然単位の投票によって成立する一方で、市場経済では効率単位の購買力で動いて行きます。企業が新製品の開発をする場合なんかを考えれば分かりやすいと思うんですが、自然単位の人数が問題なのではなく、効率単位の購買力に基づく売上げ予測が重要になるわけです。購買力にほぼ等しい効率単位で計測される所得や消費が自然単位ごとに異なるのが格差になるわけです。
ですから、効率単位で動いている市場経済は、少なくとも、自然単位の格差を解消するメカニズムは内在していません。すなわち、格差が許容される水準を超えているとのコンセンサスが存在するのであれば、自然単位で決定を行う民主主義により、何らかの格差を是正する政策を決めなければならないわけです。この自然単位と効率単位が立脚する、民主主義と市場経済の微妙な差をどのように埋め合わせるか、それが政策課題となります。制度の親和性が完全ではないんだろうと思うんですが、不完全な親和性を自然単位のコンセンサスを得て、どのように修正するかを考えるべきであって、市場経済の成長により格差意識を緩和するのか、それとも、より根本的に所得の再分配を強化するのか、あるいは、さらに別の選択肢を考えるのか、市場経済ではなく民主主義の課題と言えます。

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