川上未映子さんの「乳と卵」を読む
今日も、朝からいいお天気でした。昨日よりも気温が上がり暖かくなって来ました。
「文藝春秋」3月号が発売から3週間たって、ようやく私の手元に回って来ました。いつもの通り、芥川賞受賞作の川上未映子さんの「乳と卵」全文が掲載されています。芥川賞選考委員の選評があるのはいつも通りなんですが、今回、びっくりしたのは「家には本が一冊もなかった」と題して受賞者の川上さんのインタビュー記事が選評と本文の間に掲載されていたことです。いつもは「受賞のことば」だけなのに、選考会当日からものすごい取材合戦と聞きましたが、「文藝春秋」の方でも破格の扱いといったところでしょうか。なお、今夜のエントリーはネタバレがあるかもしれません。読み進む場合はご注意下さい。
読んだ感想なんですが、一気に淀みなく読めます。文章に勢いがあります。すばらしい筆力と言えます。破格の扱いもうなずけます。ひょっとしたら、新しいスター誕生なのかもしれません。でも、大阪弁を多用するのであれば、国際的な評価は高まらない可能性もあります。そこは村上春樹さんとは違う点でしょうが、大いなる才能を感じさせる作品であることは間違いありません。この作品を評価できない石原慎太郎さんは選評で、「この作品を評価しなかったということで私が将来慙愧することは恐らくあり得まい。」と書いていますが、新銀行東京への400億円の資本注入の件で東京都議会で「慙愧に耐えない」と発言したと報じられていた直後だけに、もう一回「慙愧」することになるかもしれない可能性を指摘しておきたいと思います。
東京に住む主人公の夏子のところに、大阪に住む姉の巻子が豊胸手術のカウンセリングのために子供の緑子とともにやって来る、というストーリーです。2泊3日の短い夏の物語です。女性の感性で豊胸手術や生理などの広い意味での女性の肉体を題材にしたものですが、私のような中年のオッサンが読んでも理解に苦しむ部分はほとんどありません。この題材の点で石原慎太郎さんは脱落したのかもしれないという気がしないでもありません。文体は句点が少なく、かなり長いパラグラフも句点なしで一気に書き上げているのもあり、私の見たところでは、後にも述べる樋口一葉とともに、ノーベル賞を受賞したガルシア・マルケスの「百年の孤独」 "Cien Años de Soledad" のスペイン語の文体に似ている気がしないでもありません。もっとも、私はスペイン語を理解しますが、「百年の孤独」をすべてスペイン語で読み通したわけではありません。言葉が実に巧みに使われています。タイトルの「卵」は冒頭にもある通り、基本的には卵子のことを指すんでしょうが、ニワトリの玉子の方も結末近くで重要な役割を果たします。一言もしゃべらずにノートを使った筆談しかしなかった緑子が話し出します。「乳」も豊胸手術だけでなく、巻子の別れた元夫、すなわち、緑子の「父」も重要な役割を果たします。実に伏線に富んだ題名です。前回の芥川賞の選評であった石原慎太郎さんの「いいかげんにしてもらいたい」に対して正面から題名を考えたのかもしれません。
よく言われていることですが、この作品は樋口一葉へのオマージュとなっています。これがマンガの「ケロロ軍曹」だったら、パロディと呼ばれて、どこやらの画家だったら贋作と呼ばれるのかもしれませんが、言葉の正確な意味でのオマージュだという気がします。そもそも、句点で延々とつないでいく手法がそうです。主人公の名は夏子なんですが、樋口一葉の本名は奈津子ですし、住んでいるのは三ノ輪ですから、樋口一葉が住んでいて、現在も一葉記念館がある場所です。なお、私は独身時代に三ノ輪にアパートを借りて住んでいたことがありますので土地勘がありますが、明治通りと昭和通りの交差点を大関横丁と呼び、三ノ輪の周辺は台東区と荒川区の境目になります。私が住んでいたのはイトーヨーカ堂近くの荒川区内ですが、一葉記念館があるのは台東区だったりしました。
たったひとつだけ、標準語の「たくさん」という意味の大阪弁が「ようさん」になっていて、私は京都の出身ですから「ぎょうさん」だと思っていて、少しこの点だけは違和感があったんですが、文句なしの五ツ星です。女性はもちろんのこと、私のような中年のオッサンにもオススメします。作者である川上未映子さんの今後の作品に大いに期待します。
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