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2008年3月18日 (火)

祖母の100歳の誕生日に吉岡家のルーツを考える

今日も、朝からよく晴れていいお天気で、気温も上がり暖かでした。4月くらいの陽気だという気がします。

今日は私の祖母の100歳の誕生日です。昨年のゴールデンウィークに家族そろって施設に訪ねましたので、私は京都まで駆け付けることはしませんでしたが、祝電とお花を送っておきました。おそらく、私の叔父や叔母に当たる祖母の子供達が集ったんではないかと想像しています。なお、京都の叔父に聞くと、昨年9月の敬老の日に、今年度内に100歳を迎えるということで、当時の安倍総理大臣と京都府知事から表彰されたそうです。誠におめでとうございます。
吉岡家家紋・丸に九枚笹ということで、今日は我が吉岡家のルーツについて記録に残しておきたいと思います。まず、家紋は左にある丸に九枚笹です。私が身に付けたのは結婚式の折りに紋付を着た時1回だけです。我が家はいうまでもなく京都南部の家系で、私の父は仔細あって家を継ぐことをせず、今では郷里の吉岡家は私の叔父が継いで私の本籍地に当たる住所に住み続けています。私はチリとインドネシアと海外勤務を2回経験し、赤道をまたいだ引越しを2度もしましたが、私の叔父は生まれて以来、会社を定年退職した今まで、一貫して同じ住所に住み続けて引越しをしたことがありません。昔はともかく、21世紀の現在では、これもめずらしいと思います。明治以前は農民でしたから名字帯刀を許されていたわけではないんですが、一応、明治維新前から吉岡の姓を名乗っていたようです。近くに吉岡姓の家が何軒かあり、区別するために屋号があります。我が家は吉岡本家からの分家筋に当たり、権三の屋号を名乗っています。京都南部から京阪奈丘陵にかけての地域は大きな領主もなく、よく、碁盤の目のように入り組んでいると称されますが、我が家の家系は近衛さまのご領地だったそうです。亡くなった私の父によれば、我が家は江戸時代を超えて軽く500年くらいはさかのぼれるそうです。山城国一揆の際の山城のひとつの稲葉山城の一番名乗りを上げた吉岡彦左衛門を、私の父は無理やりに先祖にしていました。ものすごく怪しいと私は考えています。
その後、明治維新前後に権三の我が吉岡家は一度血統が絶え、近衛さまのご当主だか、ご隠居だかが使用人に生ませた女子を養女としてもらい受け、養子を招いて生まれたのが私の祖父です。ですから、私にも近衛さまの血が流れているのかもしれません。それはともかく、別の見方をすれば、私の祖父には血統として吉岡家の血は流れていません。だからというわけなんだと思いますが、今日100歳になった私の祖母は吉岡本家から権三の我が家に嫁いで来ています。吉岡家の DNA を入れたということなのだと私は解釈しています。近衛家から養女に来た私の曾祖母は、なかなかの文人だったようで、明治直前の慶応年間くらいの生まれだったと聞きましたが、当時の京都南部は識字率が高かったものの、中には文字の読書きが出来ない人もいて、代読や代筆をしていたりしたそうです。明治期の文学者として著名な堺の与謝野晶子とも消息のやり取りがあったと言います。
明治維新後の大きな歴史の節目は太平洋戦争なんですが、私の父が第1子の長男として生まれたのが昭和一桁ですから、終戦の年の昭和20年には20歳に達しておらず、また、私の祖父は逆に中年に達していたこともあり、戦争に徴兵された人間はいません。当時の風潮からすれば戦争に貢献していないということも出来るかもしれませんが、我が家からすれば年代的にエアポケットのような家庭だったとも考えられます。でも、徴兵された人間はいないんですが、立派なシェパードを飼っていて、この犬は徴用されて戦死したそうです。今では愛犬家も多いので、こういう言い方をすれば不謹慎に感じられるかもしれませんが、当時のかなり極限的な時代背景からいえば、犬で済んだのはラッキーともいえます。
このブログでも何度か書いたように、宗教は一向宗=浄土真宗の門徒です。京都南部は浄土宗が多くて、我が家も昔は浄土宗だったらしいいんですが、いずれかの時点で浄土真宗に宗旨替えしたようです。でも、浄土宗と浄土真宗は名前からしてもごく近い親戚筋に当たる仏教ですから、仏門に入る方々の神学論争は別にして、信心している我々庶民レベルでは大きな違いは感じられません。要するに、特段の自力の努力なくても、「南無阿弥陀仏」と念仏を称えれば極楽浄土に往生できるという、私のような怠け者には有り難い宗教です。

今夜は少し遅くなったのもあって、亡くなる前に私の父から聞き覚えた我が吉岡家のルーツについての覚書でした。どこまで真実でどこまでが作り話なのかは私には分かりようもありませんが、我が家の子供達にも伝えて行きたいと思います。私の場合は父が権三の吉岡家を継がず、私も京都を離れて東京に出て来てしまったんですが、やっぱり、アイデンティティーとしては大学まで住んでいたわけですから、父祖の地として京都を大切に思います。

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