米国文学はハードボイルドに限る?
今日も、昨日に続いて、朝からスッキリと晴れ上がっていいお天気になりました。気温も上がって、午後から霞が関官庁街を出歩いていた時には、少し額に汗ばむくらいでした。
少し前、4月11日付けのエントリーでみずほ証券の上野さんの『チーズの値段から未来が見える』を取り上げた時に、どうでもいい難点のひとつとして、上野さんがデニス・ルヘインの『シャッター・アイランド』をオススメしている力の入れように唐突感があると指摘しましたが、実は、私はルヘインの代表的なシリーズである「探偵パトリック&アンジー」ものは読んでいません。読んでいるのは『シャッター・アイランド』とルヘインの代表作の『ミスティック・リバー』だけです。『ミスティック・リバー』はルヘインの代表作といわれながらも、「探偵パトリック&アンジー」のシリーズのようにスピード感がないので、退屈だと評する向きもなくもありません。そして、これまた、どうでもいいことですが、私がルヘインを評価しているのはハードボイルドだからです。『ミスティック・リバー』がその代表だと感じています。
ということで、まず、Wikipedia のハードボイルドの解説から最初のパラグラフだけを引用すると以下の通りです。
ハードボイルド (hardboiled) とは、元来は「堅ゆで卵」(白身、黄身の両方ともしっかり凝固するまで茹でた鶏卵)のこと。転じて、感傷や恐怖などの感情に流されない、冷酷非情な、(精神的・肉体的に)強靭な、妥協しない、などの人間の性格を表す言葉となる。文芸用語としては、反道徳的・暴力的な内容を、批判を加えず、客観的で簡潔な描写で記述する手法・文体をいい、アーネスト・ヘミングウェイの作風などを指す。また、ミステリの分野のうち、従来の思索型の探偵に対して、行動的でハードボイルドな性格の探偵を登場させ、そういった探偵役の行動を描くことを主眼とした作風を表す用語として定着した。
私は個人的な趣味として、今夜のエントリーのタイトルの通り、米国小説はハードボイルドに限ると考えています。特に、戦間期の1920年代から30年代の小説です。引用にもあるように、ミステリでない分野ではアーネスト・ヘミングウェイ、ジェローム・サリンジャー、スコット・フィッツジェラルド、ミステリではダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、A.A.フェアの別名で書いたものを含めてアール・スタンリー・ガードナー、少し時代が下がって第2次世界大戦後になりますが、ミッキー・スピレーンやロス・マクドナルドなんかです。サリンジャーやフィッツジェラルドなどはハードボイルドに含めない場合もあるかもしれませんが、私は立派にハードボイルドだと受け止めています。村上春樹さんの『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の主人公もそのように考えていたような気がしないでもありませんが、記憶はとっても不確かです。上に明記した作家の本は邦訳されている限りで、ほとんど読んだ気がします。しかし、ガードナーのように余りに多作なもので、記憶から薄れているものも多いです。ミステリでは、ハメットのコンチネンタル・オプやサム・スペード、チャンドラーのフィリップ・マーロウ、ガードナーのペリー・メイスン弁護士やA.A.フェアのドナルド・ラム、スピレーンのマイク・ハマー、マクドナルドのリュー・アーチャーなど、個性的な探偵や弁護士が目白押しなのも魅力です。
ミステリでない分野の作家については、ヘミングウェイの『老人と海』なんか、独身時代に読みたくなるたびに文庫本を買い求めて、在チリの大使館に赴任した時には4冊も持っていました。サリンジャーとフッツジェラルドの代表作は、それぞれ、『ライ麦畑でつかまえて』と『グレート・ギャッツビー』なんでしょうが、高校生くらいに読んでおく本だと思います。また、サリンジャーについては、「グラース・サーガ」と呼ばれるグラース家の物語も大好きです。これまた、どうでもいいことですが、サリンジャーは生きていれば90歳くらいになるハズなんですが、まだ存命なんでしょうか?
そろそろ、着々と近づくゴールデンウィークを目の前にして、首位攻防戦である対中日3連戦の大事な第1戦ながら、冴えない展開の試合をテレビ観戦しつつ、タラタラとどうでもいい趣味の世界をまとまりなく書き連ねてしまいました。一応、読書感想文の日記に分類しておきます。
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