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2008年7月29日 (火)

日本に初めてオリンピックのメダルをもたらした競技とは?

今日も、いいお天気で気温も上がって、毎日蒸し暑い日が続いています。変わり映えのしないお天気ですが、日本の夏を感じます。

北京オリンピックのロゴ

今日は失業率の統計が発表されましたが、今夜のエントリーでは取り上げません。またまた、オリンピックの話題です。我が家で購読している朝日新聞ではオリンピックの開会式までのカウントダウンが始まっており、いよいよ北京オリンピックの開会式の8月8日まであと10日と迫りました。大いに盛り上がって来ているようです。私のこのブログでも、7月に入ってからだけでも、7月3日にはメダル獲得数の予想、7月12日にはメダルのデザインと記念紙幣なんかを取り上げており、今夜のエントリーでは知っている人が少ないと私が感じている、オリンピックにおいて日本が初めてメダルを獲得した競技に関するトリビアな日記です。
まず、正解はテニス競技なんですが、日本が近代オリンピックで初めて獲得したメダルがテニス競技だったことを知る人は少ないと思います。日本人が初めてメダルを獲得したオリンピックは1920年の第7回大会で、アントワープにて開催されました。獲得したメダルは銀メダルが2個で、どちらもテニス競技で獲得したメダルです。シングルスで熊谷一弥選手が、ダブルスで熊谷一弥選手と柏尾誠一郎選手のペアが銀メダルに輝いています。熊谷選手と柏尾選手の2人はウィンブルドン大会のチャレンジ・ラウンドのファイナルでビル・チルデン選手と名勝負を繰り広げた清水善造選手なんかとともに、前世紀20世紀初頭の我が国テニスの黎明期に活躍した名選手で、テニスをやる私なんかからすれば神様みたいな人達です。メダルは取っていませんが、清水選手はウィンブルドン選手権での対戦で、チルデン選手が転倒した際に、起き上がって打ち返せるような、ゆっくりとした球を送ったことで広く知られています。私は小学生のころに道徳か何かの教科書で見た記憶があります。その名も『やわらかなボール』という伝記のような本も出ています。
名前を挙げた3人について、熊谷選手は慶応義塾大学から三菱合資会社銀行部(後の三菱銀行)、柏尾選手と清水選手はともに東京高等商業学校(後の一橋大学)から三井物産です。なお、出身校や職場からして、柏尾選手と清水選手がペアを組むのが自然な気がしないでもないんですが、実は、熊谷選手と柏尾選手はともに米国のニューヨーク勤務、清水選手はインドのカルカッタ勤務だったことが関係しているようで、20世紀初頭の交通の発達していない時期に、この地理的な隔たりは大きかったのであろうことが容易に想像されます。生まれ年は熊谷選手が1890年、清水選手が1891年、柏尾選手が1892年ですから、ほぼ同世代といえます。ついでながら、チルデン選手は1893年生まれです。この当時の日本のテニス界はいわゆる軟式テニスの世界で、熊谷選手はまだウエスタングリップだったそうですし、清水選手のフォームは逆足であったといわれています。まさに我が国テニスの黎明期です。当時のテニスの名門校は東京高等商業学校と東京高等師範学校(後の東京教育大学、筑波大学)の両校だったんですが、この二強に早稲田大学と慶応義塾大学が割り込んで来て、両校の覇権を脅かしつつあった時期だそうです。
さて、オリンピックに戻って、熊谷選手はシングルスのファイナルで南アフリカ出身のルイス・レイモンド選手と対戦し、惜しくも負けました。どちらも左利きのサウスポー対戦だったようです。ダブルスの熊谷・柏尾組は英国のマックス・ウーズナム&ノエル・ターンブル組にやっぱりファイナルで敗れます。後日、熊谷選手はシングルスの銀メダルについて「日本代表選手として勝つべき試合に敗れ、悲憤痛恨の涙に暮れた」と回想しているそうです。私にはとっても立派な成績に見えるんですが、当時の熊谷選手は全米ランキング3位に位置しており、ファイナルの相手だったレイモンド選手よりも格上であったことに加え、柏尾選手とペアを組んだダブルスのクオーターファイナルでルイス・レイモンド&ブライアン・ノートン組に勝利を収めていたことから、このような発言になったと伝えられてます。いずれにせよ、オリンピックのテニス競技で銀メダルを取ったんですから、現在の我が国テニス界のレベルからは考えも及びません。1920年といえば、昭和の前の大正の御代ですから、我が国テニスの黎明期において、オリンピックの銀メダルに輝いたり、ウィンブルドン選手権のチャレンジ・ラウンドのファイナルまで進む選手がいたんだということは、ある意味で、驚くべきことだという気もします。
私が知る範囲では、女子の伊達公子選手なんか別として、最近の我が国テニスの男子選手の最高の成績は1995年のウィンブルドン大会における松岡修造選手のクオーターファイナルではないかと思います。中継ではなくニュースか何かで見たんではないかと覚えていますが、勝ってクオーターファイナル進出を決めた時、松岡選手はコートを走り回り、最後はコート上で大の字になって空を仰いでいたりして、かなり大げさに表現していたことが記憶に残っています。私は同じ日本人としてやや恥ずかしく感じたんですが、もしも、松岡選手がオリンピックで銀メダルを取ったりしたら、興奮してもっと突飛なことを始めそうな気もしないでもありません。オリンピックの銀メダルとは、それほどスゴいことだと思います。なお、ウィンブルドン大会以外のグランドスラム選手権に関しても、1918年の全米選手権で熊谷選手はセミファイナルまで勝ち進んでいて、松岡選手のクオーターファイナルを上回っていたりします。

今夜のエントリーでは、失業率統計をほったらかしにしつつ、北京オリンピックの開会式を10日後に控えて、我が国のオリンピックの歴史をひも解き、我が国に初めてのオリンピックのメダルをもたらしたのはテニス競技であった、という割合と知られていない事実に関するトリビアな日記でした。100年近い昔の日本の男子テニスは強かったんです。

このエントリーから2-3日の間、ブログの更新をストップします。すぐに再開しますので、ご容赦下さい。

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