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2009年8月14日 (金)

磯崎憲一郎『終の住処』(新潮社)を読む

磯崎憲一郎『終の住処』(新潮社)磯崎憲一郎さんの『終の住処』(新潮社) を読みました。言うまでもなく、第141回芥川賞を授賞された作品です。左の写真は新潮社から単行本として出版された際の表紙なんですが、初出は「新潮」6月号に収録されています。2008年2月1日付けのエントリーで紹介した『肝心の子供』(河出書房新社) と同じように、20年間ほどの極めて長い時間の流れを中編くらいの小説に収めたものです。なお、私は「新潮」6月号収録のものではなく、単行本でもなく、芥川賞受賞作品を読む際のいつもの通り、受賞作品を全文掲載している「文藝春秋」8月号で選評とともに読みました。ついでながら、選評と受賞作の間に挿入されていたインタビュー記事も読みました。作者が早大卒で三井物産勤務だということは知っていましたが、人事総務部の次長さんだとは知りませんでした。まず、新潮社のサイトから概要を引用すると以下の通りです。

30を過ぎて結婚した男女の遠く隔たったままの歳月。ガルシア=マルケスを思わせる感覚で、日常の細部に宿る不可思議をあくまでリアルに描きだす。過ぎ去った時間の侵しがたい磐石さ。その恵み。人生とは、流れてゆく時間そのものなのだ - 。小説にしかできない方法でこの世界をあるがままに肯定する、日本発の世界文学!
第141回芥川賞受賞作。

この通りです。あえて付け加える部分はないような気がしますが、いつもの通り、選評では山田詠美さんの評価に注目すべきです。上の引用にある通り、インタビューでも世界をあるがままに肯定するパングロシアンの雰囲気はよく出ていますし、さらに、選評でもガルシア=マルケスの影響を指摘する選者もいました。私もスペイン語を理解しますので、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』Cien Años de Soledad は読んだことがあります。でも、『肝心の息子』や『終の住処』は少し違うと感じています。『百年の孤独』はあくまで鉄の意志に貫かれた小説です。私は邦訳で読み通していて、部分的にスペイン語の原文を参照しただけですが、独特の文体を持っています。小説の対象とする期間が長いだけでは同列に論じることは難しかろうと思いますが、似通った雰囲気を出そうとしていることは事実かもしれません。もちろん、『終の住処』の語り手はホセ・アルカディオ・ブエンディアではありませんし、より以上に、主人公の不機嫌な妻もウルスラではあり得ません。
引用の通り、人生とは流れて行く時間そのものであり、血のつながりとか、ましてやDNAが家族を規定するものではないことは、私のブログでも『重力ピエロ』の感想文で取り上げた記憶がありますが、この『終の住処』ではさらに拡張して、結婚から出産、そして、表題の通りの住居の建築や購入まで、そして、最後は主人公の仕事で締めくくられます。仕事で締めくくる以上は主人公が男性になる確率が高いのは日本社会の現状を見れば当然かもしれません。

時代背景としてバブル景気や海外企業の M&A などもありますが、決して、「大きな物語」ではありません。しかし、非常に線の太い小説です。作者が伝えようとしたことはすべて伝わって来ます。

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