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2010年1月24日 (日)

重松清『小学五年生』 (文春文庫) を読み、文庫本について考える

重松清『小学五年生』 (文春文庫)

重松清さんの『小学五年生』 (文春文庫) を読みました。どうして読んだのかというと、下の子への読書ガイドのためです。上のおにいちゃんは中学生になって、東野圭吾さんのガリレオ・シリーズや伊坂幸太郎さんのミステリなどの文庫本をバンバン読み始めて、また、中学校からも読書案内に文庫本を紹介したりしています。もちろん、私も文庫本を読みます。もっとも、ジャカルタを出発する際に大量の文庫本と新書を処分してから、可能な限り文庫本は図書館で借りるようにしています。一昨年、堂目教授の『アダム・スミス』 (中公新書) を読んだ後、最近、新書は読まなくなったような気がします。いくつか読んで、論理の運びが雑に感じられるようになったからです。でも、猪木教授の『戦後世界経済史』なんかも読みたいと思わないでもないです。
個人の読解力にもよりますが、通常、文庫本は中学生くらいからと考えられていて、我が家でもおにいちゃんが昨年あたりから文庫本を読んでいます。下の子も今まで見慣れなかった小さいサイズの文庫本に大いに興味を示し、文庫本を読んでみたいと顔に書いてありましたので、私の方で少しセレクションをかけてみました。何冊か読んだ中で、この『小学五年生』がベストと判断し、この週末に東京に戻った際に下の子に与えました。すると、この文庫本に収められている「おとうと」は国語の教材として読んだことがあるそうで、せっせと読み始めてくれました。
私が愛読している「居眠り磐音 江戸双紙」シリーズなどのように書下ろし文庫本という例外もないではないんでしょうが、一般的には、何かの雑誌や新聞に連載されていた作品が単行本に取りまとめられ、何年かすると装丁を変えて文庫本として出版される、という段取りになるような気がします。本学の学生に、私と同じように伊坂幸太郎さんのファンがいて、文庫本になったら買って読むらしいんですが、かなりの通だという気がします。というのは、伊坂さんは単行本から文庫化する際に、必ず何かしらの修正を加えるという話は知る人ぞ知るといったところです。

久し振りに東京で過ごす週末に、子供達の顔を見て読書について考えてみました。『小学五年生』の感想は取り上げませんでしたが、もちろん、「読書感想文の日記」に分類しておきます。

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