落盤事故からの救出に見られるチリ人の国民性やいかに?
我が国のメディアでも広く報じられている通り、チリ北部コピアポ近くのサンホセ鉱山の落盤事故で地下約700メートルに2か月あまり閉じ込められていた33人が24時間近くかけて無事に救出されました。私は外交官として1990年代の前半の3年間チリの首都サンティアゴにある大使館に勤務した経験があり、それなりに、チリ人の国民性や気質なんかをを肌で感じていましたので、今夜は週末前の気楽な話題として取り上げたいと思います。まず、チリ人の国民性について、朝日新聞のサイトで見かけた論調は以下の通りです。
冷静沈着、まじめ、団結…チリ人の国民性、救出劇に見た
地下約700メートルに閉じこめられた作業員33人を約22時間半で救出したチリ。当初の想定より2カ月も早い迅速な救出活動は世界を驚かせた。なぜ成功できたのだろう。
元駐チリ大使で日本チリー協会副会長の小川元(はじめ)・文化女子大教授は救出開始直後、地球の反対側に住む友人たちに祝福のメールを送った。
現地は深夜にもかかわらず、「ありがとう」とすぐに返信があった。「全国民が自分のことのように見守っている」と実感した。「チリ国民は冷静沈着な面がある。この冷静さが33人の一糸乱れぬ団結につながったのだろう」
チリに10年以上住んでいた国際協力機構研究所・上席研究員の細野昭雄さん(70)によると、チリ人は約束や時間を守る気質から「中南米の英国人」と表現されるという。
計画を準備周到に進めるまじめさも特徴で、南米で働く日本人のビジネスマンは、チリについて「仕事がやりやすい」「忍耐力があり持続的な結束力がある」と評価することが多いという。今回の救出劇を、細野さんは「合理的、組織的で、まさにチリ人の良さが発揮された」と評価する。
「国内外から注目され、大統領にとっても、絶対に失敗できない作戦だったでしょう」と話すのは、東京出身でサンティアゴ在住の商社員、佐藤剛志さん(45)。長年、首都の日本料理店で板前を務め、地元の人と接してきた。
チリは約17年間に及ぶピノチェト軍政の後も、左右両派の対立が長く続いた。中道右派のピニェラ大統領は、テレビ局オーナーなどとして知られた大富豪。有能なビジネスマンと評価される一方で、貧しい人や左派からは「エリートの大金持ち」の批判を浴びがちな存在だ。その大統領がヘルメットをかぶり、地上に戻った貧しい作業員と抱き合った。佐藤さんは「幅広い支持を得ようと、救出に全力を傾ける姿勢を見せていました」と話した。
全国紙の扱いも大きいんですが、さすがに、私の知った名前、知り合いも取材を受けているんだということが実感できました。チリに駐在していた時、私はまだ独身でまったく料理はしませんので、板前姿の佐藤さんのすぐ前のカウンターで楽しくおしゃべりしながら、ほぼ毎晩のように夕食をとっていたことを思い出します。いつの間にか商社員にご転進のようです。細野教授は長らく筑波大学でラテンアメリカ研究に携わっていらして、奥様がチリのご出身だったように記憶しています。私が外交官をしていた当時には、細野教授を指導教員と仰ぐ大学院生が専門調査員として大使館に派遣されていました。
その細野教授の見立てにある通り、チリ人は英国人的な気質を有しています。それは移民の出身によるといわれています。すなわち、俗説ながら、南米で長い国境を接するチリとアルゼンティンはともにメキシコのように混血の形ですら現地のインディオがほとんど残っておらず、逆にいえばインディオは死滅した歴史があり、欧州からの移民の8割はスペイン人である点までは同じですが、残りの2割について、チリは主として英国人に少しフランス人が来たのに対して、アルゼンティンは多くがイタリア人であったといわれています。統計的な根拠は示せないんですが、例えば、私がサンティアゴに駐在した当時の大統領はピノチェット将軍から民政移管された直後のエイルウィン氏でしたし、その内閣の財務大臣はフォクスレイ氏で、名前から判断するに2人とも英国系の移民の末裔でしょう。ついでながら、ピノチェット将軍はフランス系です。他方、私がチリにいた当時に絶大な人気を誇ったアルゼンティンのテニスプレーヤーはサバティーニ選手でした。全米オープンを1990年に制した直後だった記憶があります。私も彼女のマネをしてタッキーニのウェアを買ったりしました。いずれもイタリア系の姓です。また、「母をたずねて三千里」のマルコはジェノバから母の出稼ぎ先であるブエノス・アイレスに旅をします。最近では、サッカーのアルゼンティン代表メッシ選手は明らかにイタリア系です。
移民の出身に基づく先天的に英国人的な国民性に加え、気候や自然条件が南米の中ではそれなりに厳しいことが、後天的にチリ人の気質にも影響を及ぼしています。南米の中の相対的な話ながら、気候が厳しく自然条件に恵まれないため、チリ人はそれなりに勤勉である必要があります。地図を見れば分かりますが、チリは北が砂漠、南が南極、東がアンデス山脈、西が太平洋となっていて、隔絶された島国に近い地理を示しています。赤道直下の熱帯も含めて温暖なブラジルと違って、サンティアゴ以南では薄着で路上生活をすれば凍死する恐れがありますし、アルゼンティンに広がる肥沃なパンパのように、小麦や牧畜に適した平野も少なく、それなりに勤勉でなければ生活に困ってしまいます。
さらに、国民性だけでなく、やや経済的なアプローチも加えると、事故が起き救出が実行されたのが鉱山であるという観点も考えに入れる必要があります。というのは、チリの主要輸出品のひとつは銅のインゴットであり、私が駐在していた1990年代前半では輸出の半分近くを占めていました。銅の他にも鉱物資源は豊富で、鉱山はメインストリームの職場のひとつといえます。現在の日本で自動車工場や電機工場に勤めるのと同じです。国営銅公社をはじめとする鉱山会社への就職を希望する優秀な大学生は少なくありませんし、鉱山の現場には指導力あふれるリーダーもいれば、規律正しく勤勉な労働者もいっぱいいます。
いくつかの偶然と必然が重なった落盤事故からの救出劇だったと感じていますが、私がチリから帰国して約15年、ほとんど話題になることのない南米の国にスポットライトが当たって、やや誇張された部分は少なくないものの、日本人の中にもそれなりに親しみを感じる人が増えたんではないかと私なりに喜んでいます。
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