ポール・コリアー『収奪の星』(みすず書房) を読む
コリアー教授の『収奪の星』(みすず書房) を読みました。著者はオックスフォード大学のエコノミストであり、ここ数年で、『最底辺の10億人』、『民主主義がアフリカ経済を殺す』などの話題の書を提供している開発経済学者です。私が読んで、ブログに取り上げるわけですから、決してトンデモ経済学者ではなく正統派のエコノミストであり、人目を引かんがために過激な議論を展開するわけではありませんし、データの裏付けのないまま極端な説を押し付けようとするわけでもありません。その意味で、大いに傾聴に値する議論を展開しています。まず、出版社のサイトから本の紹介を引用すると以下の通りです。
収奪の星
「大切な自然を私たちは台無しにしている。これによって最も痛手を被るのは、世界で最も貧しい人々である。この人たちにとって、この状況には生死に関わるような機会と脅威の両方が潜んでいる…自然をどのように活用すれば、先進国に過大な要求をすることなく貧しい国々の現状を変えられるか――これが、本書のテーマである」
(はじめに)
資源は最貧国にとってむしろ有害なのだろうか? 答はイエス。長期的には機会損失を招くのだ。そしてその原因はガバナンス、さらに言えば不正防止などさまざまなチェック・アンド・バランス機能にある。
では、資源を活かすにはどうしたらよいのだろうか? 本書は、資源の探査、政府によるその価値の確保から、資源収入の消費、貯蓄、投資まで、その活用のための決定の連鎖を丁寧に跡づける。
将来世代への責任をも視野に入れながら、<自然秩序の回復>と<世界の貧困撲滅>を両立させる道を示す、『最底辺の10億人』の著者が、クールな分析をもとに(ときにユーモアを交えつつ)語りかける、穏健かつ中庸な提案。
この『収奪の星』は「天然資源と貧困削減の経済学」と副題されており、石油や鉱物などの自然資源、再生産可能ではあるものの帰属が明確でなく乱獲のリスクにさらされている魚などの資源、地球環境問題、ハッキリと再生産可能な農産物、というか、食料、まで、幅広い分野で説得力ある議論を展開し、現世代だけでなく次世代への資源の引継ぎというカストディアンの倫理をもった資源利用の経済学を提唱しています。「カストディアン」とは、私の理解する限り、経済や金融の理論や政策ではなく実践の場でよく聞く言葉で、信託財産などの管理運用の職責に当たる人を指します。非再生資源と再生資源をはじめとして、地球環境も含め、現世代で枯渇させるのではなく将来世代にいかに引き継ぐかという観点を提供しています。
内容としては、引用にある通り、「穏健かつ中庸な提案」といえますが、部分的には、遺伝子組換え食品に対する態度などは違和感を覚える向きもあるような気もします。先日取り上げたサンデル教授の『それをお金で買いますか』も倫理の重視という意味で同じ観点を共有していましたが、この本のカストディアン的な倫理観を持って将来世代に現在の様々な資源や資産を引き継ぐ姿勢は、開発経済学だけでなく、例えば、我が国の財政についても一定の応用が可能な気がしてなりません。世代間の公平を重視する私のようなエコノミストの姿勢は、ある意味で、「カストディアン的」なのかもしれませんが、現在の日本では全く無視されて、投票行為という民主主義の根幹を通じながらも、いたずらに高齢者ばかりが優遇されているのも事実です。少子高齢化が進むのも当然です。
私は実は国際開発学会の会員であり、発展途上国の開発には大いに関心があります。でも、開発経済学の専門家だけでなく、グローバルな世界観を持ち世界経済や発展途上国の経済に何らかの興味のあるすべての方にオススメします。
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