今週読んだ新刊小説
以下は今週のうちに読んだ新刊小説です。目玉は何といってもスティーヴン・キングの『11/22/63』です。ほぼ50年前の1963年11月22日における米国ケネディ大統領の暗殺をテーマにしています。
まず、スティーヴン・キング『11/22/63』上下 (文藝春秋) です。2011年の現代社会に暮らしている米国ニュー・イングランドの高校教師が、1963年11月22日の米国ケネディ大統領の暗殺を阻止するためにタイム・トラベルをする物語です。ケネディ大統領暗殺の5年前の1958年の米国にタイム・スリップしますので、別の事件を解決したり、賭けでトラブルに巻き込まれたり、もう一度高校教師になって同僚の図書館司書と恋をしたり、いろいろとキングらしい細々したディテールが書き込まれています。最初の校務員一家の事件を起きないようにするための舞台が『It』や『不眠症』と同じメイン州のデリーの町で、登場人物も一部に重なったりします。結局、自分が正しいと思うように過去を修正することがホントに世界をよくし、自分の幸せにつながるのかどうか、とても深刻な問いを投げかけています。
次に、垣根涼介『光秀の定理』(角川書店) です。私はこの作者の作品はベトナムを舞台にした『午前3時のルースター』しか読んだことがないんですが、幅広い作風を感じました。この本の「定理」は、いわゆるモンティ・ホール問題と呼ばれている確率論です。このブログでも6年前の2007年11月14日付けのエントリーでこの確率問題を取り上げています。なお、オリジナルのモンティ・ホール問題は扉が3つでしたが、上の表紙の画像に見られる通り、4つのお椀に細かな修正が加えられています。基本的には、明智光秀の生涯を僧侶と武芸者の2人の主人公が傍観するというストーリーなんですが、当然ながら、最後に本能寺の変をなぜ光秀が起こしたのか、という問いに帰着します。2人の主人公による回答、すなわち、作者が読者に示す回答がやや物足りません。もう少し歴史をひも解いて、何らかの新規な見方を提示できなかったのかという気がしてなりません。
次に、姫野カオルコ『昭和の犬』(幻冬舎) です。作者は、15年以上にも渡って、何度か直木賞の候補にあげられながら、なかなか受賞に至りません。この作品は作者の得意とするエッセイと小説の中間的な位置づけで、基本は小説なんだろうと思いますが、いわゆる自伝的な小説に仕上がっています。地元の滋賀の小学校に上る前から、東京の大学に出て来て、さらに社会人となって中年になり親を介護するまで、とてもタイムスパンの長い小説であり、いろんな人生のステージにおける犬との関係を小説にまとめ上げています。私が考えるにとても重要な点ですが、関西在住時は「ブタ饅」と表現し、東京に移動してからは「肉饅」にしています。芸が細かいです。もっとも、この作品においては最初の方で関西弁、と言うか、滋賀言葉に標準語の解説を加えていたりします。これはいただけません。だったら、最初から標準語の小説を書くべきです。覚悟が足りないと見受けました。なお、タイトルは昭和だけなんですが、平成の犬も登場します。いろんな題材で、いろんな文体で、いろんな小説やエッセイをかける作者ですが、その意味で、この作品は代表作とはならないような気がします。
最後に、法月綸太郎『ノックス・マシン』(角川書店) です。これだけ、今年3月出版で半年超経っているんですが、まあ、今年の本ですから取り上げておきます。作者は言わずと知れた我が母校の京都大学のミステリ研出身の本格推理小説家で、この作品は短編集となっています。収録されている作品は、作者のホームグラウンドである本格ミステリというよりも、多分にSF的なファンタジーのような雰囲気が主になっています。タイム・トラベルの特異点、名探偵の助手などを構成員とする引き立て役倶楽部などの4本の短中編から成っています。一応、作者と同じ名前の小説家・探偵が父親の警視とともに活躍するシリーズの本格推理小説は、私はすべて読んでいると思いますが、特に長編では、いわゆる「オッカムの剃刀」的に単純な解決からほど遠い曲がりくねった推理を展開するところ、この作品の短中編はミステリでの謎解きではなく軽妙洒脱な仕上がりとなっています。
この週末には、図書館の予約が回って来て、浅田次郎さんの『黒書院の六兵衛』上下巻を借りることが出来ました。誠に恥ずかしながら、浅田次郎さんの時代小説は読んだことがないんですが、とても楽しみにしています。
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