先週の読書から
先週の読書は、かなり久し振りに読んだ経済書をはじめ、以下の通りです。
まず、ダニ・ロドリック『グローバリゼーション・パラドクス』(白水社) です。モノの貿易やカネの資本や金融などはグローバルに展開する中で、財政金融政策をはじめとする統治の世界は国内にとどまる、というパラドックスを扱っています。グローバル化する市場と統治を担う政府を対立的に捉えるのではなく、市場を補完する政府という見方を示しています。その上で、国内では政府は取引費用の低減を図っていますが、資本や金融のグローバル化の中では政府は一定の取引費用を維持する責任があるとしています。例えば、トービン税が思い浮かびます。また、国際金融に関するトリフィンのトリレンマになぞらえて、民主主義と国民国家とハイパー・グローバリゼーションの3つを同時に追求することは出来ないと論じます。p.234の図が面白いです。ハイパーグローバリゼーションを諦めればブレトン・ウッズの妥協の世界、国民国家を諦めればグローバル・ガバナンスの世界、そして、民主主義を諦めれば黄金の拘束服の世界となります。この「世界経済の原理的な政治的トリレンマ」(p.17)については、どこまで議論が正確かは私には分かりませんが、とても興味深いところです。原書は2011年の出版ながら、とても新しい視点を提供してくれます。
次に、橘木俊詔・広井良典『脱「成長」戦略』(岩波書店) です。逆に、この本はとても昔からある脱成長論、ゼロ成長論を展開しています。資源制約や環境問題などのために、日本のような豊かな先進国ではゼロ成長でいいじゃないかという議論で、私にはやや に見えます。新興国や途上国の成長は排除していない一方で、国民生活の豊かさでも生活水準でも、何でもいいんですが、どこの水準に達したらゼロ成長でよくて、どこまでなら成長を目指すのかが極めて曖昧で恣意的な議論だと私は受け止めています。ただし、ひとつだけ私も合意できる点があります。それは、GDPのような経済変数ではなく、幸福度をひとつの政策目標というか、尺度で考えるという点です。なお、この本は、月刊『世界』で展開された橘木教授と広井教授の対談をそのまま本にしています。ですから、私が常々主張しているような世代間格差の議論をpp.62-63で広井教授が強調しているんですが、橘木教授は無視していたりして、なかなか興味深い展開が垣間見えます。
次に、エリック・ シーゲル『ヤバい予測学』(阪急コミュニケーションズ) です。ビッグデータと似たようなものですが、少し違う予測学に関する入門書です。予測学については、3月21日の読書感想文のブログで取り上げたネイト・シルバーの米国大統領選挙の予測が極めて有名なんですが、この本はそれも含めて、ビジネスの世界の予測にも大いに着目して議論を展開しています。もちろん、データに基づく予測とプライバシーの保護の両立の難しさも焦点が当てられています。私が最も面白く読んだのは人工知能に関する章です。我が国でしたら電脳将棋、外国でしたらチェスの世界王者カスパロフを破ったディープ・ブルーなどを思い浮かべてしまいましたが、ディープ・ブルーの開発者と同じIBMはIBMなんですが、ワトソンがオープン・クエスチョン方式のクイズ番組「ジョパディ!」に挑戦するストーリーでした。これはこれで面白かったです。
残り2冊は小説で、しかも我が国の作者による作品です。まず、芦崎笙『スコールの夜』(日本経済新聞出版) です。日経新聞主催の第5回経済小説大賞受賞作品です。作者は財務省の公務員で、日経新聞のサイトには明記されていませんが、経歴からするとキャリア公務員のような気もします。もっとも、私と同じ世代のようですが、上級職試験を通ってノンキャリなんて財務省にはいっぱいいます。それはさておき、この作品は男女雇用機会均等法施行の直後に東大法学部を卒業して、都市銀行トップの帝都銀行に女性総合職1期生として入行し、さらに、女性総合職として初めての本店管理職となった女性の視点から、組織と個人の葛藤を銀行内の派閥抗争とともに描き出しています。わりと淡々とストーリーが進み、主人公のキャラが少し曖昧なこともあり、作者が何を訴えたいのかが私にはよく分かりませんでしたが、ひょっとしたら、純文学作品として読めばかなりの出来栄えなのかもしれません。『スコールの夜』というタイトルもカンボジアから来ているんでしょうが、不明のままに終わった気がします。やや感情移入が難しく、読み方が浅くて読解力に乏しい私向きではない小説だった気がします。
最後も小説で、これまた私向きではないんですが、樋口毅宏『甘い復讐』(角川書店) です。『スコールの夜』はまだ私の生活している世界に近い気がしないでもなかったんですが、この作品はやや描写がどぎついだけでなく、私の住む世界とかなり多くの点で違っていて、作中の登場人物の心理も取り上げられたイベントも、いずれも実感の湧かない小説でした。実際にこんな世界があるのかどうか、私にはサッパリ分かりません。
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