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2014年11月22日 (土)

今週の読書はいろいろ

先週から今週にかけては、かなり経済書や専門書を読んだつもりなんですが、どうもしっくり来ません。新刊書だけで経済書や専門書と小説を合わせて毎週4-5冊読んでいるので、ここ2-3週間はハズレの時期が続いているのかもしれません。だから、というわけなんですが、この週末には新刊書を買いに行く予定だったりします。

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まず、原田泰/齊藤誠[編著]『徹底分析 アベノミクス』(中央経済社) です。アベノミクスに対する賛否両論をバランスよく並べた経済書なんですが、どうも疑問が残ります。もちろん、筆者のうちの1人である高橋洋一教授などは経済学の限界を指摘していたりしますが、それでも、どういえばいいのか分かりませんが、アベノミクスという同じ経済政策を肯定的にも否定的にもどちらにも評価できる経済学という科学に対して、胡散臭さのようなものを感じ取る読者もいそうな気がします。専門的にいえば、バックグラウンドにあるモデルが異なるとしかいいようがなく、典型的には、論文の各章ごとに最後に配置されているQ&Aで、編者の1人である齊藤教授が何度か完全雇用の場合に成り立つ「フリードマン・ルール」をデフレ経済の分析で持ち出した質問を繰り返しているのに私は驚きましたが、いずれにせよ、「群盲象をなでる」がごとき印象を与えかねず、考え方や立場が異なれば同じ経済現象をいかようにも評価できるという経済学のよくない面も浮き彫りにされたように受け止めています。私自身はエコノミストとしては明らかにリフレ派であり、アベノミクスを肯定的に評価する立場なものですから、否定的な評価を下している論文には反論もあります。特に、先々週11月9日の読書感想文ブログにおいて伊東光晴教授の『アベノミクス批判』を取り上げた際と同じで、紋切り型でアベノミクスを「マネタイゼーション」とか、「ヘリコプター・マネー」とかのレッテルを貼って、そこで思考停止してしまうアベノミクス批判は見飽きた気がします。なぜ、長らく続いたデフレで苦しむ国民生活を目の当たりに見て、いろんな試行錯誤の結果として結論されたリフレ政策なのですがら、リフレ政策を批判する目的のレッテルがどうして批判されるべきなのかを論理的に解明して欲しいと思います。

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次に、八代尚宏『反グローバリズムの克服』(新潮選書) です。副題が「世界の経済政策に学ぶ」ですから、タイトルからして、もっと頭を働かせればよかったんですが、本書は反グローバリズムに対する批判書ではなく、世界経済や世界の経済政策の解説書です。対象は主として北米・欧州・アジアであり、仕方ありませんが、南米とアフリカは抜け落ちています。グローバリズムの分析に関しては、主として財貿易のTPPに主たる焦点が当てられており、「グローバリズム」で多くの人が思い浮かべる資本移動はやや従の扱いかと見受けました。海外の経済政策で称賛されているのは米国のレーガノミクス、英国のサッチャリズム、ドイツのシュレーダー改革です。いずれも、従来からの著者の主張に沿った新自由主義的な経済改革を実行したものと私は受け止めています。同じコンテクストで、シンガポールのリー・クワンユー政権下での経済政策もドイツのシュレーダー政権下の政策と引き比べられています。私が興味深く読んだのは、著者が欧州の通貨統合に否定的な点であり、逆の見方として、誠に北海道民には失礼ながら、北海道が円とは異なる通貨を持ち、その通貨が円に比べて20-30%低い水準に設定されれば、北海道の経済にプラスとの見方を示しています(p.118)。これはある意味で私も感化を受けるところがありました。最終章でも、著者は地域間格差については地域に任せて中央政府としては放置する姿勢を容認しています。それはそれで一貫しているような気がします。ただし、これも特に最終章の議論ですが、国民の選択に委ねるのがいいのか、それとも何らかの政府による格差是正的な政策が必要とされるのか、私の読み方が浅かったためかもしれませんが、どうもよく理解できない点が残りました。最後に、私自身は移民の受入れには疑問を持っています。すぐ近くに世界最大の人口大国が控えており、小笠原の赤サンゴを乱獲していたりするんですから、日本文化がどうこうという以前に日本の経済資源が心配です。

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次に、高瀬正仁『高木貞治とその時代』(東京大学出版会) です。自分がそうだからいうのではありませんが、高木貞治博士の名を聞いてすぐに数学者だと理解できる人は一定の教養の水準に達していると考えてよさそうに思います。著者は九州大学の教授であり専門は数学史です。そして、この本が対象としている高木貞治博士は近代日本におけるもっとも重要な数学者の1人だと私は認識しています。ただし、数学は極めて抽象度が高くて難解な学問分野であると理解されており、しかも、私の専門外ですから、完全にこの分野を私が把握しているとはとても思えません。ちなみに、私の本棚には高木博士の『解析概論 改定第3版』(岩波書店) が麗々しく飾ってあります。「改定第3版」は1961年発行です。この前年1960年に高木博士は亡くなっていますから、晩年の本もいいところです。今ではちょっと見かけない箱入りで大判の教科書です。本書では pp.295-96 のあたりで取り上げられている本です。私の学生時代の京都大学教養部の数学の授業のテキストだったのかもしれませんが、もはやまったく私の記憶から欠落しています。長らくこの『解析概論』はヤング定理から始まっていると覚えていたつもりなんですが、今日になって開いてみると違っていたりしました。本書は日本伝統の和算から明治になって洋算を取り入れ、さらに、近代国家の形成の過程における数学研究や数学教育の黎明期から戦後すぐの1950年代くらいまでの数学界について、幅広く対象とされています。ですから逆にいって、焦点は高木貞治博士にとどまらず、私のように高木博士以外の数学者はロクに知らない専門外の人間には少しハードルが高いかもしれません。最初に記しましたが、出版社は東大出版会ですし、目にしただけで拒否反応を起こす人がいそうな難解な数式は含まれていませんが、それでも学術書に近いと覚悟して読んだ方がいいような気がします。

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次に、堀啓子『日本ミステリー小説史』(中公新書) です。著者は日本近代文学を専門とする東海大学文学部の教授であり、本書は科研費補助金を受けた学術研究の成果となっています。ですから、それなりに学術書の体裁になっているんですが、内容は一般向けというか、タイトルから理解される通り、我が国のミステリ・ファン向けにも十分読み応えがあるようになっています。ただし、副題が「黒岩涙香から松本清張へ」となっていることに表れているように、平成やましてや21世紀のミステリは対象外になっています。誠に残念ながら、私が愛読している昭和末期から平成初期のバブル経済期に始まった新本格派ミステリ、おそらくその嚆矢は綾辻行人の『十角館の殺人』だと思うんですが、こういった京大ミス研の法月綸太郎や同志社の有栖川有栖などは取り上げられていません。でも、学術書ですから、ミステリの定義をしっかりと提示しており、時間をさかのぼった思考過程に求めています。当然ながら、本格ミステリはポーの『モルグ街の殺人』をもって始まります。我が国ミステリ文学は明治期の黒岩涙香などの翻訳小説、あるいは、海外原作のミステリの翻案から始まり、一度、明治26年19世紀末にピークを迎えた後、四半世紀の下り坂の雌伏の期間を経て、大正から昭和初期にかけて活躍した江戸川乱歩によって再興されます。「二銭銅貨」の衝撃がよく伝わってきます。さらに、15年戦争の期間は娯楽小説たるミステリは不遇をかこち、戦後になって金田一耕助、明智小五郎に続く神津恭介の三大名探偵の時代を迎えます。今週の読書一番の本はこれだったかもしれません。

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最後は今週の読書湯いい湯の小説である百田尚樹『フォルトゥナの瞳』(新潮社) です。ややネタバレなんですが、主人公は自分以外の人の死がおぼろげながら予測でき、近く死ぬ人は体が透けて見えるという特殊能力というか、何というか、そういう特性を持っていて、でも、その人の死を避けるような行動を取れば自分の体調悪化というリパーカッションがある、という設定です。なお、この特殊能力は主人公だけでなく、ほかにも何人かこの小説に登場します。ちょっと見では、「ハリー・ポッター」シリーズの第7巻あたりでも話題になった「より大きな善」に対する態度をどうするか、のようにも見えるんですが、私は違うと感じています。この小説であたかも賞揚されているがごとき、altruistic な態度というのは、あるいは立派な態度なのかもしれませんが、特に、この作者の小説で取り上げられる場合には、「より大きな善」が容易にニセモノと取り替えられるリスクを考えるべきです。この作者の作品で私が最初に読んだのは『永遠の0』で、主人公姉弟の祖父は、いかにも selfish に空中戦を避ける戦闘機乗員だったように見えながら、最後は特攻隊員として死神に囚われる、といったストーリーだったんですが、神風特攻隊でも「祖国防衛」などのニセモノにすり替えられた「より大きな善」という美名のもとに altruistic な行為を強要された歴史があることを忘れるべきではありません。selfish な思想や行為よりも altruistic な方がより価値あるように見える場合も少なくありませんし、実際にそうなのかもしれませんが、特にこの作者の作品を読んだ後の感想を述べるならば、市民としての幸福追求の権利をせいいっぱい発揮すべきことを訴えたいと思います。最後に、何らかの意味で「帳尻が合う」という考え方は、いわゆる平均への回帰も含めて、私は支持するんですが、この小説では少し奇怪な帳尻合わせが見られます。すなわち、altruistic に人の死を回避するというのがもしも「善」であるなら、主人公にはもっといいことが起こるハズなんですが、なぜか、死神の方の帳尻だけが合うようになっています。これも不思議な気がします。善悪の境がかなり恣意的に設定される危険を暗示していると私は受け止めています。

この週末は、なぜか、赤川次郎の「三姉妹探偵団」シリーズを大量に10冊くらい借りています。ほぼ「読書の秋」の季節も終わり、肩のこらない気軽な読書を楽しみたいと思います。明日と明後日は何もなければブログは書かずに、のんびりと過ごしそうな気がしないでもありません。

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