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2014年12月 7日 (日)

先週の読書は経済書を中心に20世紀の数学の天才を取り上げた本も!

先々週の読書が経済書なしだった反動でもないんですが、先週は経済書をかなり読みました。フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』、スキデルスキー父子の『じゅうぶん豊かで、貧しい社会』など、以下の5冊です。小説は私の好きな葉室麟の時代小説だけでした。

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まず、フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』(東洋経済) です。最初に取り上げておいて申し訳ありませんが、この著者については本の作者紹介以上にはよく知りません。開発経済学がご専門ながら、資産運用会社のエコノミスト・ストラテジストをしているようです。ヤップ島のフェイと呼ばれる石貨、さまざまなサイズの石のコインから始まって、貨幣にまつわる歴史やさまざまな経済学を渉猟しつつ、最後の結論は最後の第16章に取りまとめられているんだろうと思います。その渉猟の仕方なんですが、最初の方に何度か「三角測量」という言葉が出て来て、単純なクロスセクションや時系列といった2次元の直線的な観察ではなく、3次元的な幅広い角度からの観察が心がけられていて好感が持てます。ただし、どこまでそれが実践されているかは読者のご判断です。最初に、マネーの定義について「譲渡可能な債務」であると喝破し、金や銀といった裏付けとなる貴金属ではなく、その意味で、ロックの貨幣観を間違ったものとして退けます。実際に、ロックの議会証言に基づく改鋳は失敗に終わります。逆に、南海泡沫事件で悪名高きジョン・ローの貨幣観、すなわち、「貨幣を発行する主権者は、貨幣の供給量を調節して、民間商業と財政の需要を満たし、民間の債権と債務の残高に対応できるだけのマネーを供給する能力を持っていなければならない。」が正しいと結論します(p.258)。現在のフィアット・マネーそのものだと思います。例えば、市中に流通しているマネーはソブリン・マネーもありますが、バンク・マネーというプライベート・マネーも少なくありませんし、アイルランドやアルゼンティンが通貨供給を制限した際に民間取引で流通したプライベート・マネーの実例を引きつつ、古典派的なマネー・ヴェール説を完全に否定し、マネーが経済学の中心を占めるべきと説きます。その意味で、金融セクターを持たないリアル・ビジネス・サイクル(RBC)理論に基づくDSGEモデルは完全に否定されます。もっともです。ただし、最後の結論はやや尻すぼみで踏み込み不足の感があります。次に紹介するスキデルスキー父子の本を紹介しつつ、強欲を否定して倫理を強調したり、要するに、レバレッジを低下させるために高い自己資本比率の規制を活用するのか、などのありきたりな結論とともに、p.414にあるように「経済学を一から作り直す」といった大風呂敷まで、精粗区々に見受けました。銀行の役割についても流動性リスクと信用リスクの区別はややあいまいです。最後に、残念ながら、やや翻訳が雑です。著者が度量衡統一の意義について取り上げているにもかかわらず、単位の変換の計算がお粗末で間違っていたり、翻訳が間違いというわけではないとしても、タイプミスが散見されます。

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次に、ロバート・スキデルスキー & エドワード・スキデルスキー『じゅうぶん豊かで、貧しい社会』(筑摩書房) です。スキデルスキー父子による教養書なんですが、ロバートが父であり、ケインズ研究者、伝記作家として著名なエコノミストです。エドワードの方は政治学の研究者らしいですが、私は知りませんでした。原書の出版が2012年ですから、2008年のリーマン・ショックとその後の金融危機とグレート・リセッションを踏まえて、ケインズ研究者としての立ち位置から経済政策論を展開しています。というか、著者は経済政策論を展開する意図はなかったのかもしれませんが、官庁エコノミストとしての私はそのように本書を読んだということです。まず、成長促進に対する大きな疑問を提示し、ローマ・クラブ的な観点かと思ったんですが、そうでもなく、ケインズ的な観点から、生産性の向上とともに「足るを知る」と著者が称する「消費の飽和」を生じて労働時間が短縮されるんではなく、消費の飽和が生じなかった原因を探求します。世界の歴史に見る富の分析をしたり、イースタリンのパラドックスなどに示された幸福経済学を幻想として退けたりした結果、たどり着く結論は競争と強欲が消費の不飽和の原因と結論します(p.258)。特に、幸福経済学については「経済成長の追求から幸福の追求に乗り換えるのは、誤った偶像崇拝から別の誤った偶像崇拝に切り替えることにほかならない。」(p.178)と手厳しく批判を展開しています。ただし、現在の幸福経済学が否定しているエウダイモニアについては評価しているような印象を受けます。また、1950-60年代にケインズ的な完全雇用がほぼ達成され、それゆえに、完全雇用が経済政策の目標とはならなくなってしまい、その上、1970年代の2度の石油危機を経てケインズ経済学の限界が指摘された上に、1980年代に特に米英でレーガン政権やサッチャー政権といった保守政権が誕生して、ケインズ経済学から古典派経済学への回帰が生じた点も背景として指摘しています。これらの保守政権は効率性を追求して、逆に、政府が格差是正といった公平性の確保に乗り出す経済政策に否定的な姿勢を示し、倫理や徳目の追求から外れてしまった点を指摘します。ただ、最後の結論として、強欲抑制のための広告の制限とか、希少性の視点の放棄などは、少し結論として疑問を感じる部分もありますが、経済活動の倫理性を重視する見方は私も大いに賛同する部分があります。私の専門分野ではグラミン銀行とタイアップしたダノンの活動などがもっとクローズアップされるべき、と考えています。

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次に、松元崇『リスク・オン経済の衝撃』(日本経済新聞出版) です。著者は財務省、というか、当時の大蔵省でキャリアを始めて、内閣府の事務次官で退官しています。だから、というわけなんでしょうが、明快に現在のアベノミクスに対する大いなる支持を表明しています。ある意味で、私と同じ側面があると受け止めています。それはさて置き、この本のメッセージは、表題にある「リスク・オン経済」が1989年のベルリンの壁崩壊とともに始まった、という点と、先述のアベノミクスへの大いなる支持です。後は、かなり雑駁に著者の経済に関する感想を羅列した印象があり、特に大きなメッセージはなかった気がします。同時に、最初のベルリンの壁崩壊とともに「リスク・オン経済」が始まった、というのも、どこまで意味があるかは私には読み解くことが出来ませんでした。いくつか、本書から興味深い論点を都合よく抜き出すと、デフレ脱却の遅れは日銀の金融政策にあるという事実は当然ながら、その背景のひとつとして戦後の猛烈なハイパー・インフレへの恐怖心をいわゆる「岩石理論」、すなわち、なかなか動かし難いが、動き出すと止められない、になぞらえて展開しています。分からないでもありません。かつて、インフレ目標でハイパー・インフレになるといった荒唐無稽な議論がありましたが、戦後派のエコノミストでハイパー・インフレを知らない世代だからこそあり得ない議論をしていた可能性があります。また、かつては、経済のファンダメンタルズが為替を決める、とされていたものが、現在では為替がファンダメンタルズを決める、と大転換したのも同意します。韓国と我が国の電機産業のパフォーマンスの違いは、このブログで何度も指摘した通り、為替にあると私は考えています。決して、シャープやソニーのイノベーション力が低下したためではありません。そして、このイノベーションに伴う生産性の向上を製品価格の引下げにしか利用しなかった我が国企業家のアニマル・スピリットに対する批判も理解できる気がします。
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次に、高橋昌一郎『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書) です。著者は数学科出身の哲学者であり、国学院大学教授です。ですから、数学に関する造詣がかなり深いと期待できます。表題の3人はいうまでもなく20世紀の数学界に大きな影響を及ぼした知の巨人であり、基本的に、本書は3人それぞれを別章で扱って、各章の最初で3人の天才が自分自身の言葉で語った講演・論文などを提示した後で、数ページに渡って著者がこれらを解題し、章の後半は偉人伝的な人物紹介を行っています。まず、各章で最初に提示される講演・論文について簡単に紹介すると、ノイマンのシカゴ大学での講演録は、一般聴衆を対象にしているとはいえ、少なくとも私には、かなり難解です。ゲーデルの場合はギブス講演ですから、まさに米国数学会総会における数学者を対象にした講演であり、私なんぞがすんなりと理解できるハズもありませんし、チューリングの論文「計算機械と知性」についても数学ではないというものの、哲学の専門誌に掲載された論文ですから、決して一般向けというわけではありません。しかし、別の意味では、これらの20世紀数学界の最高の遺産のいくつかを日本語訳で読めるだけでも、すなわち、たとえ十分な理解に至らなくても読めるだけで幸福を感じます。ひょっとしたら、そういった私のような読者向けの本なのかもしれないと考えないでもありません。ちなみに、序章では「3人の天才に初めて触れる入門者を対象として書かれている」(p.017)と明記されていたりします。大陸欧州出身のノイマンとゲーデルがナチスから逃げ延びて米国に渡ったにもかかわらず、ともにナチスを相手に世界大戦を戦ったソ連の共産主義や唯物論などに対する強烈な反感を共有した点、英国出身のチューリングの同性愛の傾向など、よく知られた内容もありますが、人物紹介も適切だと私は受け止めました。最後に、人工知能(AI)に対するチューリング・テストは判定がかなりあいまいだと私は従来から考えていたところ、私の誤解を解く記述も発見しました。すなわち、「それが機械だと正確に判定できない確率は70パーセントを超えている」(p.233)というのが評価関数のようです。これもためになりました。私のように、難しい内容にとまどうことなく、あくまで読み進むことのできる人向けの本かもしれません。

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最後に、葉室麟『風花帖』(朝日新聞出版) です。19世紀前半、すなわち、江戸時代後期の九州小倉藩におけるお家騒動における下士の物語です。このブログにも書いたかもしれませんが、私は時代小説の本流は、江戸時代の天下泰平の下で、世襲という揺るがない「お家」に対して、政権交代などの浮沈のある家臣が心行くまでお家騒動を繰り広げる侍の物語であり、そこに武士の表芸である剣術の達人が大きな役割を果たす物語である、と考えています。その意味で、『たそがれ清兵衛』のいくつかの短編やこの作品、あるいは、佐伯泰英の居眠り磐音 江戸双紙のシリーズなどは典型的に私の考える時代小説といえます。ただし、大坂を舞台にした商人の物語、そのあたりから派生した高田郁の『銀二貫』やみおつくし料理帖シリーズなども決して評価していないわけではありません。というわけで、小倉藩のお家騒動・派閥争いに奔放される下級武士、そうです、剣術の達人である下級武士と、この作者らしい機微に富む男女関係が大きな筋になっています。悪役は決まって大男で、藩内の重役の倅です。かつて、主人公に武道試合で怪我を負わされ、最後は排除されます。とても、この作者らしくさわやかで潔いストーリーなんですが、やっぱり、疑問に感じるのは主人公がどうしてここまで人妻、というか、かつて縁談話があったとはいえ、人妻の女性に尽くすのか、という点です。まあ、作者もこの点は認識しているようで、尽くされる人妻の立場からも「申し訳ない」感が立ち上っているんですが、pp.205-210の主人公のモノローグでは物足りない気がします。キチンと主人公の幼少時からの基礎的な物語が必要です。そうでなければ、現代の言葉でいえば、単なる「都合のいい男」になってしまいかねません。武士が潔い存在かどうかは、時代にもよって異なり、江戸時代は主家に盲従する「潔い」存在だったのかもしれませんが、その前の戦国時代には裏切りや寝返りなど「何でもあり」の厳しい生存競争の時代だったわけですから、ここまで頑なな主人公の心映えというのは、もっとていねいに描写すべきと私は考えます。

今週も、経済書と教養書を合わせて何冊か借りています。でも、そろそろ、年末年始の読書計画についても考えないでもありません。昨年はエドワード D. ホックの短編集ばっかり読んでいた気がします。すなわち、サム・ホーソーン医師のシリーズ、オカルト探偵サイモン・アークのシリーズ、怪盗ニックのシリーズなどです。合わせて20冊超を取りそろえたと記憶しています。逆に、今年のゴールデン・ウィークにはリバタリアンのバイブルになっているアイン・ランド『肩をすくめるアトラス』を読んだりしました。超長編の大作です。持ち歩くのも不便なので家で読んでいた記憶が残っています。今年から来年にかけての年末年始休みをどうしようか、そろそろ図書館で予約を始めようかと考えているところです。

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