今週の読書は小説なしで経済書と教養書ばかりを5冊ほど!
今週の読書はなぜか小説なしの経済書や教養書ばかりの以下の5冊となってしまいました。
まず、ジェームス K. ガルブレイス『格差と不安定のグローバル経済学』(明石書店) です。著者は『豊かな社会』などで有名な経済学者のジョン K. ガルブレイス教授のご子息であり、ご自身もテキサス大学で経済学の教授だそうです。親子でリベラルな経済学者なのかもしれません。ということで、本書は経済的な不平等に関するデータの蓄積に関する学術書です。もちろん、そのデータを用いた研究成果もいくつか収録されており、社会民主主義的な政権が続くと平等度が高まる、といった当然の結果が計量経済学的に支持されていたりします。第6章の米国以下は各国の不平等に関する研究成果を示しています。また、欧州における賃金の硬直性は不平等度合いを低下させており、高失業につながっているかどうかは疑問視されていたりします。残念ながら、日本は研究のスコープには入っていないようです。学術書にしては、不平等の計測をどの指標に基づいてい実施ているのかが不明瞭です。タイル指標なのか、ジニ係数なのか、もう少し明確にすべきだという気もします。また、不平等の指標に関する解説も欲しい気がします。というのは、私は地方大学に出向していた際に、そういった貧困度や不平等度に関する指標の解説が世の中に出回っていないので、自分で紀要論文 "A Survey on Poverty Indicators: Features and Axiom" を書いてしまった記憶があるからです。なお、最後に、本書の原題は A Study of the World Economy Just Before the Great Crisis であり、必ずしも不平等にスポットを当てているわけではありません。学術書の内容からして、邦訳書のタイトルに「格差」を入れるのは何ら差し支えないと私は思う一方で、少なくとも「不安定」については、記述が皆無とはいいませんが、ややミスリーディングな気がします。本書では「不安定」はそれほど分析されていないので、その点は前もって理解しておいた方がいいように思います。
次に、小塩隆士『「幸せ」の決まり方』(日本経済新聞出版社) です。副題は「主観的厚生の経済学」となっています。ですから、英語でいえば subjective well-being もしくは subjective welfare を扱っている、ということになります。客観的な健康状態とか、犯罪や治安とか、所得などの指標に基づく幸福度や厚生ではなく、主観的に自分がどうれくらい「幸福」を感じるか、という研究を紹介した学術書です。「まえがき」のp.7でしょっぱなからいくつか興味深い結論が紹介されています。例えば、仕事が非正規であると不利なのは所得だけでなく、主観的な幸福度も低くなる、とか、貧乏な家に生まれると、その後の人生がかなり決まってしまう、とか、所得格差の大きな地域に住んでいると幸福感が低い、とかの分析結果です。また、著者は明確に主観的な厚生を政策目標とすることについては否定的です。生物学だか医学だかの観点から極端にいえば、ドーパミンだか何だかの脳内物質で幸福を感じられるとすれば、政策目標がその脳内物質を脳内に注入することになってしまいかねないのですから当然です。私はさらに幸福の経済学については主観的な幸福も客観的な厚生も懐疑的で、先週末の読書感想文のブログでロバート・スキデルスキー & エドワード・スキデルスキー『じゅうぶん豊かで、貧しい社会』を取り上げた際に、「経済成長の追求から幸福の追求に乗り換えるのは、誤った偶像崇拝から別の誤った偶像崇拝に切り替えることにほかならない。」との批判を紹介しましたが、基本的にこの意見に同意します。特に、この幸福の経済学に限らず、マイクロな経済分析をする場合、マクロも同様ですが、計量分析をかなり決定論的に扱う不安は残ります。少なくとも確率論的に分布で思考する必要がありますし、オーダーを考慮するプロビットやトービットで分析しているとはいうものの、相関関係と因果関係が混同されている恐れを感じざるを得ません。「まえがき」p.7の例でいうと、「貧乏な家に生まれる」のが原因で、「その後の人生」が結果であるのは時系列的に明らかですが、別の例で、幸福度とよく似た分析をする場合、喫煙習慣といわゆる「下流指標」にある程度の相関が見られる場合があったりして、どちらがどちらの原因になっているかは慎重な検討が必要ではないかと私は考えています。無条件に幸福感を結果と見なすのは疑問を感じます。もっとも、それはそれとして、人間、というか、日本人の幸福感について本書の結論はかなりもっともで、多くの人が合意できる内容であり、著者のいうところの社会の病理の解明には役立つかもしれません。
次に、P. シーブライト『殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?』(みすず書房) です。何に惹かれて本を読むかというといろいろあるんでしょうが、この本の場合は翻訳者に魅力を感じました。クルーグマンの著作などを数多く訳出している山形浩生さんの翻訳です。著者はトゥールーズ大学経済学部教授であり、専門は産業組織論と競争政策ネットワークの経済学とデジタル社会行動経済学だそうです。で、タイトルから経済に関する以外はイマイチ不明なので、何の本かというと、広い意味での経済史の本だと受け止めています。もっとも、経済学はダーウィン的な進化論が好きなんですが、そういった傾向ではありません。狩猟生活から農耕を始めた人類が信頼関係のもとで経済活動に精を出す、という物語です。もちろん、ノンフィクションというか、出版社から軽く想像される通り、リベラル・アーツ的な教養書に近いものです。ホッブズ的な万人の万人に対する闘いではなく、すなわち、自分が欲しい財を持っている相手を殺すことではなく、何らかの交換材料を持って経済的に交換するに至る過程と、その発展した歴史を跡付けています。まず、アダム・スミスの『国富論』で展開された協業に基づく分業の利益からお話が始まり、我々が買い求めるシャツを作って店頭に並べるまでの分業や交易といった経済活動が詳述され、その国際分業の中で個々人が占める位置を明らかにすべく、歴史をさかのぼったりします。というか、人類社会をリバース・エンジニアリングするといった方が正確かもしれません。本書で頻出するキーワードは「信用」ないし「信頼」と「視野狭窄」と私は受け止めました。私のブログといった貧弱なメディアで一言では何とも表現しにくい本ですが、経済学にルーツを持つ教養書であることは間違いありません。それなりに面白く読めます。
次に、上川龍之進『日本銀行と政治』(中公新書) です。1998年の新日銀法の施行から直近の2013年3月の黒田総裁就任と異次元緩和の発動くらいまでをスコープに収めた日銀による金融政策の歴史を跡付けています。時々の日銀金融政策の動向などは経済学の専門書ではなく、朝日新聞でフォローされているのが少し気にならないでもありませんが、私の理解する範囲ではかなり正確に日銀金融政策が記録されている気がします。その上で、日銀が追い詰められて、黒田総裁の下で大きくリフレ的な政策に舵を切った事実を終章において「政策の窓モデル」と適合的であると解説しています。すなわち、「新しい経済理論が登場し、それが政治リーダーに受け入れられ、政策転換が起きた」(p.259)ということになります。ただし、その前段で、いわゆる旧来の日銀理論に基づく政策運営の色彩の強かった2人の総裁、すなわち、新日銀法下で初代の速水総裁と一昨年までの白川総裁が政策運営の失敗により、日本経済の停滞を招いてレピュテーションが低かった一方で、早めに政策の手当をした福井総裁については政治リーダーからの評価が高かった点については本書でも正確に記されています。また、政治リーダーの側からの日銀へのコンタクトとして民主党の変節が取り上げられ、野党のころは日銀の独立性を尊重する姿勢が強かったにもかかわらず、政権交代の後は、国民の支持を取り付けるための景気浮揚の観点から日銀への注文が大きく増加した、と分析しています(p.268)。最後に、p.270以降で日本政治のウェストミンスター化、すなわち、小選挙区制の定着に伴う総理大臣への権限の集中が政治と中央銀行の関係にも影響を及ぼした、と結論しています。ウェストミンスター型の国では中央銀行の独立性は近年までかなり低かったとも紹介されています。いずれにせよ、政府と中央銀行の関係について興味深い分析を行っています。ただし、日本のケースからどこまで世界に普遍化することが出来るのかは不明です。
最後に、渡邉尚人『葉巻を片手に中南米』(山愛書院) です。誠に不調法ながら、私は葉巻についてはまったくたしなみがないんですが、もう20年以上も昔の1990年代前半に南米はチリの首都であるサンティアゴの日本大使館において経済アタッシェとして3年間勤務した経験がありますので、もちろん、スペイン語もそれなりに理解しますし、ラテンアメリカの生活を懐かしみつつ読みました。著者はもう定年も間近い外交官で、現在はウルグアイの日本大使館参事官だそうです。私の経験からして、たぶん、大使に次ぐ次席なんだろうと想像しています。著者の生活経験からなんでしょうが、ニカラグアとウルグアイの紹介が多い気がします。誠に残念ながら、チリについてはほとんど取り上げられていません。この本の著者は翻訳書もあることからニカラグアの詩人ルベン・ダリオに対する傾倒が見られ、中南米の文学者という意味ではガルシア-マルケスがトップだと思うんですが、そのあたりは著者の趣味でしょうから仕方ありません。3年間チリで過ごした私も知らないような中南米に関する薀蓄が傾けられており、とてもエキゾチックな雰囲気を味わうことが出来る本です。私のような葉巻には何の関心もない人間にも、中南米という切り口では読みどころがある気がします。逆に、葉巻にも中南米にも何ら関心ない向きにはオススメ出来ません。なお、p.159で1993年に常陸宮殿下ご夫妻がエクアドルをご訪問された際にガラパゴス諸島へお立寄りになったことなどが紹介されていますが、どうでもいいことながら、このエクアドルご訪問の直前にチリにもお立寄りになり、大使がご夫妻に付きっ切りでアチコチを訪れたりして大使館を上げてアテンドした中で、私と大使公邸のコックさんの2人だけはホテルにこもりっきりでさまざまなアレンジに携わったことなどを思い出してしまいました。家族で過ごしたジャカルタの生活も思い出深いものがありますが、独身で勝手気ままに過ごしたラテンアメリカの生活にも愛着があります。いずれも貴重な経験でした。
実は、阿部和重・伊坂幸太郎の共作になる『キャプテンサンダーボルト』を買い込んであるんですが、図書館に返却の必要がないため、なかなか読み始めません。来週こそは読み始めたいと考えています。
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