今週の読書は重厚な経済書『経済行動と宗教』と小説など
今週の新刊書の読書は一橋大学名誉教授の寺西先生による『経済行動と宗教』ほか、小説を含めて以下の3冊です。
まず、寺西重郎『経済行動と宗教』(勁草書房) です。実に重厚なテーマを重厚な先生が重厚に扱っています。宗教と経済ということになれば、当然、エコノミストでなくてもウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』ということになります。本書もそうですが、キリスト教のプロテスタントのうちでもカルヴァン派の教義はキリスト教の経済活動に対する弱点だった利子の稼得を許容し、職業観からも勤勉を重視し、経済発展に大いに寄与したとされています。そして、その逆の因果の流れを想定するのがマルクス主義であり、下部構造の経済が上部構造の意識や宗教を規定するとし、特に、宗教は階級的な抑圧に対する「アヘン」の役割を果たすとして、ほとんど排斥されたりします。本書では、ある意味で特殊な資本主義が花開いた日本について、スミスやマルクスが典型的な資本主義として分析対象とした英国と対比させつつ論じています。すなわち、英国のピューリタン的な教義が神の判断に対する絶対性を尊重して世俗的な周囲の他人への無関心を生ぜしめ、他人と距離を置く個人主義が発生したことから、需要者のニーズにこだわらない供給主導の経済が成立した一方で、日本では仏教の易行化から求道主義が生じ、他者を強烈に意識する需要主導型経済の成立を見た、ということになります。ですから、日本では製造業に限らず「ものづくり」を重視し、あるいは、本書では触れられていないと思いますが、接客における「おもてなし」の精緻化などが進んだ、ととらえているようです。なお、これも直接触れられずにインプリシットに「におわせている」だけですが、英国に関しての仮説はピューリタンが建国した米国ではさらに強烈に成り立つ、と著者は考えているのではないかと私は想像しています。ということで、結論として、私は本書の立論が成立しているかどうかは、何とも判断がつきかねます。でも、50-50ではなく、やや否定的な立場に近いような気もします。万人にオススメできる書物ではありませんし、中には途中で投げ出す読書子もいるかもしれませんが、ご興味ある方に限って読めばいいんではないでしょうか。
次に、柚月裕子『パレートの誤算』(祥伝社) です。正月ドラマでテレ朝の「最後の証人」を見て、このブログでも取り上げましたが、その原作者の最新刊の小説です。私はこの作者の作品は、『最後の証人』の佐方貞人シリーズで、短編集の『検事の本懐』と『検事の使命』も最近になって読んでいたりします。というjことで、この作品は瀬戸内海の片田舎の市役所における生活保護の不正受給に関するサスペンス小説です。反社会的な組織として暴力団もからんできます。ただ、かなり駄作です。プロットもありふれていますし、主人公や市役所の職員のキャラも実に適当に作られています。キャラがはっきりしているのは警察の刑事だけかもしれません。プロットとにいたっては謎らしい謎もなく、実に底が浅い小説です。最後に主人公が助かるかどうかだけがサスペンスフルな場面かもしれませんが、主人公の妙齢の女性が死ぬような結末になるとはだれも考えませんから、先が読めに読めてしまいます。検事にせよ、弁護士にせよ、佐方貞人シリーズのリーガル・サスペンスを期待する向きにはオススメできません。かなり水準は落ちます。
最後に、東京大学史料編纂所[編]『日本史の森をゆく』(中公新書) です。歴然としていますが、日本史のトピックが集められています。副題は「史料が語るとっておきの42話」となっています。私のような地方出身で地方大学を卒業している者からすれば、東京大学史料編纂所の編集と聞くだけで有り難そうな気がしますし、中身についても、いわゆる通説を補強する見解から、通説と異なって別の見方を提供する論考まで、いろいろと取りそろえられています。42話もあるんですから当然ながら、興味ある分野もあれば、それほどでもない話題もあることは覚悟すべきです。通説と異なる見解ながら、私としては納得できる見方を示した小論としては、有田焼などの九州北部の焼き物は、豊臣秀吉の朝鮮遠征から連れ帰られた陶工が源流となっている、という通説に対し、陶工の交流は従来から盛んであって、むしろ、朝鮮遠征によって陶工が帰国できなくなって九州北部に定着した、という見解です。そうかもしれないと思わせる内容を含んでいるような気がします。また、京都の南禅寺は観光対象としては湯豆腐とともに有名ですが、実は、北禅寺と西禅寺が実在していたものの、なぜか、東禅寺はなかった、というのも、だからどうだということではなく、ちょっと職場の飲み会での話題にするのに適したお話だという気がしないでもありませんでした。なお、お寺に関して私が職場の飲み会で話題にして同僚に質問するのは、「京都で有名な清水寺は何宗のお寺か?」というものです。清水寺は知らない人はいないでしょうが、ネットで調べればすぐに正解にたどり着くものの、パッと聞かれて宗派を答えられる人は少ないような気がします。
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