今週の読書は図書館の予約の巡りが悪く、やや以前に発行された小説なども含めて以下の通りでした。どうでもいいことながら、来週もどうもショボそうです。
まず、アンドレアス・ワグナー『進化の謎を数学で解く』(文藝春秋) です。著者はスイスにあるチューリッヒ大学の進化生物学教授であり、本書は生物進化をテーマとしていて、ハッキリ言って、かなり難しい内容です。「進化」evolution という言葉をあまり用いずに、むしろ、「新機軸」inovation を使っています。これは趣味かもしれません。生物学に限らず、物理学や化学などの自然科学はもとより、経済学などの社会科学においても、コンピュータの進歩とともにモデルの構築とシミュレーションによる分析に大きくシフトしつつありますが、本書も進化生物学における数学の活用、コンピュータによるシミュレーション分析などを正面から取り上げています。経済学もそうですが、基本は微分方程式を解くことに対して、解析的に式のまま解けることは実務上ほとんどないわけですから、むしろ、再帰的にコンピュータによるシミュレーションで微分方程式を解くことになります。といった方法論は私でも理解できたのですが、進化生物学の中身については理解が及びませんでした。生物の始まりについて、自己複製子ではなく代謝(metabolism)として始まった、と言われても私のような専門外の人間には何が何だか分かりません。その上に、共通の文化的なバックグラウンドが乏しいせいか、比喩がこれまた理解できません。図書館のたとえはまだしも、国王と家臣団の例なんぞは私にはまったく理解できませんでした。よく分かったのは、進化生物学者の服装は通常のドレスコードを満たすことが少なそうだということぐらいでした。ある程度覚悟して読み始める必要があるのかもしれません。
次に、夏川草介『神様のカルテ 0』(小学館) です。この著者のシリーズの第1巻である『神様のカルテ』の始まる前のお話が5編の短編として収録されています。医師国家試験直前の栗原一止とその寮の仲間たちの交流、本庄病院の内科部長・板垣医師と収益性重視の姿勢を貫く事務長・金山弁二の不思議な交流、研修医として本庄病院で働くことになった栗原一止の医師としての働き、山岳写真家である一止の妻・片山榛名の結婚前の山でのエピソードなどが収録されています。このシリーズのタイトルとなっている「神様のカルテ」というワーディングは本庄病院の板垣先生がアカシック・レコードを指す言葉として使い始めたことを初めて知りました。このシリーズが好きな読者は読んでおくべき本のような気がします。第1話の『神様のカルテ』と『2』は映画化されたと記憶していますが、『3』やこの作品『0』も映画化されたりするんでしょうか?
次に、鈴木光司『タイド』(角川書店) と『樹海』(文藝春秋) です。『リング』のシリーズで知られている著者のホラー小説2冊です。『タイド』は明らかに『リング』シリーズの最新刊であり、主人公はこの作品の世界では柏田誠二と名乗っていますが、前のシリーズでは高山竜司として32年、二見馨として20年、この作品で柏田誠二として4年を過ごしている人物です。この作品では予備校の数学教師をしています。嗜眠性脳炎を発症するパーキンソン病で体が石化する奇妙な症状を呈する予備校の教え子を救うため、貞子の弟を探すストーリー展開となっています。そして、柏田というか、高山は驚愕の事実を知ってしまいます。なお、やや不思議な気もするんですが、『タイド』の登場人物の中で『リング』を熟読している人もいたりします。本書は『リング』シリーズに属するホラーですが、知らなければSFだと思う人がいるかもしれません。それから、次の『樹海』はタイトル通り、富士山の樹海にまつわる短編集で、いくつかリンクしている短編もありますが、収録されている短編すべてがつながっている連作短編集ではありません。この作者のホームグラウンドであるホラー小説の雰囲気を強く持っている作品もあれば、そうでなく、淡々とした人と人の奇想天外なつながりを扱っただけの作品もあります。最後に、この作者の『リング』からのシリーズ、というか、貞子のシリーズのファンであれば『タイド』は読んでおくべきだという気がしますが、『樹海』は必ずしもオススメしません。
次に、島田荘司『星籠の海』上下 (講談社) です。この作品は私が見逃していた島田荘司の御手洗潔シリーズの最新刊で2013年10月に出版されています。私は確認していませんが発売時には帯に「国内最終章」とあったそうです。ということは、残されたのは海外編だけなのでしょう。また、世に出てから私は1年半も遅れて読みましたが、どうも、東映で映画化されるらしいです。でも、島田作品としてはややレベルに問題ありかもしれません。まず、1993年の『ロシア幽霊軍艦事件』の直後の夏ですから、1993-94年ころの時代設定のハズなんですが、やたらと携帯電話が活躍します。確かに、バブル経済の時期に巨大な携帯電話が登場したのは記憶していますが、この作品で活躍するようには一般には普及していなかったように思います。もっとも、私は1992-93年ころには日本におらず、南米チリの大使館勤務でしたので、日本におけるそのころの携帯電話事情については自信ありません。それから、いわゆる倒叙型のミステリ記述になっており、御手洗潔が展開する奇想天外な推理の妙味がすっかり影を潜めています。読者は御手洗の謎解きを聞くまでもなく、ストーリー展開の中で何が起こったかを把握してしまっているわけです。御手洗潔シリーズには倒叙型のミステリは不適当だという気がしました。しかも、本書は『占星術殺人事件』や『ロシア幽霊軍艦事件』などのように遠い昔の出来事の遠隔推理ではなく、御手洗潔がリアルタイムで事件に臨んだ密接推理ですから、いっそうその感が強いです。そしてとどめとして、最後の解決に際して禁じ手の超法規的対応がなされています。こんな奥の手が使えるんであれば、ほとんどの事件は解決できてしまいそうな気がしないでもありません。ホームズがワトソンを陪審員に見立てて「無罪」評決を下した作品もありましたが、少なくとも、私の目から見て順法精神がひときわ強そうな東野圭吾作品ではあり得ない結末だと考えられます。ということで、映画化されても私は見ないような気がします。でも、宣伝などでどこまで話題になるのかにも左右されそうです。いずれにせよ、島田荘司も年齢とともに衰えたのかもしれません。
最後に、おおたとしまさ『名門校とは何か?』(朝日新書) です。本書で「名門校」は大学ではなく、高校を対象としています。また、単に名門校の紹介に終わっているだけでなく、「教育とは何か」、「学校とはどうあるべきか」といった本質的な問いにも答えようと試みている姿勢が伺えますが、少なくとも紙幅のボリュームの大きな部分を占めているのは名門校に対する提灯持ちだったりします。でも、まったくの自慢話ながら、私と上の倅が卒業した高校、さらに、下の倅が通っている高校の計3校を少なくともを取り上げていますので、提灯持ちとは言いながら、実は大いによしとしておきたいと思います。ほとんどの名門校について、リベラルアーツ=一般教養の重視、自由闊達な校風、などが上げられていて、本書では「自由」、「ノブレス・オブリージュ」、「反骨精神」の3つを我が国名門校の特徴として上げています。それはそれで金太郎あめのように極めて画一的な日本の「名門校」の印象があり、逆に、自由度少なく服装などの生徒への生活指導が厳しい学校の方が新鮮に見えたりします。特に、私の母校の場合、制服のない高校でしたし、校則も「勉学にいそしみやすいxx」などが並んでいて、本書の中でも特にいい加減な学校と見なされているような気がします。私のように出身の母校が「名門校」のひとつとして取り上げられていて、「素直にとてもうれしい」という単純な人間向きの本かもしれません。もしそうならば、目次を確認の上で読み進むのがいいような気がします。ただ最後に、名門校とはいっても、我が国の名門高校と英国のイートン校やハロー校などの超名門パブリック・スクールとを同列ではないとしても比較したり、さらに、我が国の名門高校の生徒に「ノブレス・オブリージュ」を求めたりするのは少しムリがあるような気がするのは私だけでしょうか?
最近のコメント