今週の読書はジェームズ・リカーズ『ドル消滅』ほか全6冊
今週の読書は、ジェームズ・リカーズ『ドル消滅』をはじめとする経済書ほか、以下の6冊です。久し振りに、新書を含まず、新刊のミステリ小説が含まれています。
まず、ジェームズ・リカーズ『ドル消滅』(朝日新聞出版) です。この著者の前著で同じ出版社から出た『通貨戦争』とともに本書も米国でベストセラーになっています。いかにも、陰謀論者の比率が高いといわれている米国で流行りそうな気がしないでもありません。私は前著も読んでいて、このブログに2012年11月22日付けの読書感想文をアップしています。前著と本書は基本的なラインは当然ながら同じで、前著では、リーマン・ショック後の世界経済の低迷から近隣窮乏化政策的な「通貨戦争」が始まっており、このままでは米ドルが暴落して国際通貨体制が崩壊し、市場がパニックに陥るので金本位制に戻るべきである、という主張を展開しています。そして、前著をさらに展開した本書では、米国政府の財政赤字はサステイナブルではないことからドルは必ず崩壊するとし、その前提で、選択肢としては金本位制に戻るか、IMFの発行するSDRを世界の基軸通貨として市場を整備するか、の2つを提示しています。ユーロやポンドや円や人民元が米ドルに変わる基軸通貨となることは考慮さえされていません。まあ、そうなんでしょうね、という感じです。最後のむすびで、ドル崩壊時の資産ポートフォリオとして、金20%、土地20%、絵画10%、資源などの実物資産を含むオルタナティブ・ファンド20%、現金30%を著者はオススメしています。筆が滑ったんですかね。荒唐無稽と読むか、あり得る未来像と見るか、意見は分かれるかもしれません。
次に、小池和男『なぜ日本企業は強みを捨てるのか』(日本経済新聞出版社) です。著者は労働経済学、特に、人材育成を専門とする研究者で法政大学名誉教授です。本書では最初の何章かでコンビニ、ソフトウェア、自動車などの産業にかかる文献サーベイやヒアリングなどに基づいて、シュンペーター的な革新が実現されるにはかなり長期にわたる期間が要されることなどを明らかにし、後半の章で企業ガバナンス論などを展開した上で、短期的な利益を追い求めずに日本企業本来の姿である長期的な利益の追求をすべきとして、最終章で長期保有株主の優遇と従業員を役員会に出席させてその利害を反映させることなどを提言しています。いかにもオールド・ファッションな日本企業論だという気もしますが、特に2点だけ指摘しておきたいと思います。すなわち、第1に、企業活動において短期の利益と長期の利益がトレードオフなのかどうかについては私は疑問に感じています。直観的には、おそらく、トレードオフで相反する部分とそうでなく同じ方向を向いている部分が混在しているように感じています。著者も薄々気づいていて、p.179では長期の利益の計測が難しいと書いていたりします。第2に、文献サーベイの研究を進める場合、その文献の背景まで考える必要があるんではないかと思います。例えば、最終章の結論を導くに当たって、著者はマイケル・ポーターの "Capital Disadvantage" を大いに引用しているんですが、この論文は1992年に出版されており、ほぼ日本のバブル経済のピークのころに米国企業を批判する内容となっています。ですから、1990年前後のバブル経済のころの日本企業や日本経済を考えるんであれば、かなり大きな下駄をはいている可能性があるので、かなり割り引いて見るべきです。逆に、1990年代末の第2期クリントン政権期、それも後期のころの米国企業の分析についても同じです。
次に、ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』(文藝春秋) です。著者は歴史学と会計学を専門とする南カリフォルニア大学の研究者です。本のタイトルから明らかな通り、会計帳簿から世界の経済紙をひも解いています。出発点は複式簿記が編み出されたルネッサンス期の北イタリアです。それから世界の政治的あるいは経済的な覇権の行方に従って、スペイン、オランダ、フランス、英国、米国などを舞台に世界史の解説が続きます。私の専門分野ではないのでよく知らないながら、日本はともかく、ドイツが『帳簿の世界史』の舞台に現れません。そういうことなんだろうと思います。それにしても、本書の冒頭第3章あたりなんですが、北イタリアのフィレンツェで複式簿記が編み出されたにもかかわらず、実学の会計学には興味が向かわず、ルネッサンス期とはいえ、新プラトン主義などのリベラル・アーツに学問的な地位を譲ったというのは、分からないでもありません。私の属する経済学・経営学・商学などのスクールでいえば、一橋大学商学部よりも東京大学教養学部の方に人気が集まった、ということなのかもしれません。違うかもしれませんが。また、最終章で1929年10月の暗黒の木曜日の株価大暴落から始まる世界大恐慌と2008年9月のリーマン・ショックは防げたかどうかを論じています。少し私の見方は違います。こういった恐慌は、たとえ、その経路を正確に記帳していても、資本主義経済から排除することは出来ない、というのが私の考えです。ですから、マルクス主義のように市場経済を否定したり、ケインジアン経済のように積極的に政府が市場経済に介入したり、といったことが真剣に考慮されているわけです。
次に、中嶋洋平『ヨーロッパとはどこか』(吉田書店) です。米州大陸などを除いて、伝統社会におけるヨーロッパとはアジアやアフリカよりも統一性ある概念と我々も考えています。それは先進国が多いからなのか、それとも、統一性の概念の基礎にある何かがあるのか、ということなんですが、後者の統一性の概念の地理学的な基礎を探求しようとする学術書です。著者は大学院の専門教育を受けた研究者です。基準としては、地理学的基準、政治的基準、文明の3点を上げています(p.23)。結局、p.117以降で展開されるキリスト教ではないか、という結論を私の勝手な解釈で結論として下してしまいました。ただ、本書ではそこまでの頑健な結論を導いているわけではありません。その大きな理由は、著者が文明の基礎として古典語、特にラテン語の役割を見落としているからではないかと私は考えています。地理学的にはナポレオン3世的な自然国境も大事なのかもしれませんが、経済学的には関税同盟や統一通貨圏の設定、さらには、政治的な国家連合や連邦国家まで見通すと、やっぱり、キリスト教的な文明が統一性の基礎ではないか、という気がします。ひるがえって、アジアやアフリカにはそういった地域的なまとまりを促進する文化的・宗教的な基礎が欠落している、としかいいようがありません。また、本種で空想的社会主義の創始者であるサン=シモンについて、統一ヨーロッパに対する思想的な影響力を紹介しています。それなりに興味深い観点だという気がしないでもありません。
次に、米原謙『国体論はなぜ生まれたか』(ミネルヴァ書房) です。著者は近代政治思想史を専門とし、大阪大学を拠点として来た研究者です。明治維新の少し前の尊王攘夷思想の基礎となった国学などにおける国体論の萌芽から始まって、大正時代くらいまでを時代的な対象としています。すなわち、いわゆる天皇機関説から始まった国体明徴運動が昭和10年前後の1930年代半ばですから、そこまでを対象としているわけではありません。タイトル通りに、国体論の誕生までが本書のスコープであり、その後の消長はスコープから外れています。議論は政体と国体への分割、すなわち、万世一系の天皇家による慈愛に満ちた体制として国体を捉え、その基で実際の政策遂行機関としての議会・政府・裁判所などの統治機構を政体として考え、後者の特に政府については革命権まで許容する一方で、国体については日本国のアイデンティティとして変更や廃止は考えられない、とするやや右翼的な見方を批判的に展開しています。私自身は、この前の『ヨーロッパとはどこか』で展開したように、国体の基礎となる国家については、少なくとも中性くらいまでの歴史を振り返ると、何らかの宗教的な基礎がある場合が多いと受け止めているんですが、実は、多くの研究者が一致している通り、我が国の神道というのは宗教学的にはおよそ宗教の体をなしていないと考えるべきで、その連想にしか過ぎないものの、国体というのもおよそ実態はほとんど何もない、と考えています。最終章の皇太子裕仁による台湾行啓を奉迎する際の受入れ側の対応など、何かのテレビでたまたま私が見た北朝鮮のマスゲームのように、国家としての一体性を確認するイベントであったと喝破しています。ご慧眼かと受け止めています。
最後に、久し振りのミステリ小説で、麻耶雄嵩『あぶない叔父さん』(新潮社) です。主人公はややひなびた地方にあるお寺の次男坊であり、高校1年生から2年生になるころが対象となっています。著者は言うまでもなく新本格のミステリ作家であり、法月綸太郎や綾辻行人などと同じく我が母校の京大ミステリ研のご出身です。基本的には連作短編集なんですが、主人公の高校生の周辺で殺人を含む事件が頻発します。新本格ミステリの特徴です。そして、主人公の父親、すなわち、お寺の住職の弟で寺の敷地内に事務所を持つ便利屋を営んでいる叔父さんがその謎解きをしてくれます。ただし、決して探偵的な役割ではなく、便利屋さんですから、何らかの役割を負って奇怪な事件に関わっていたりもします。地方を舞台にしている点、主人公が子供である点、謎解きが絶対確実である点、などから同じ著者の作品である『神様ゲーム』と『さよなら神様』とも共通点を持った作品だともいえます。ただし、絶対確実な謎解きをしてくれるのが、大人の叔父さんなのか、小学生の姿形でこの世にいる吉田君なのかの違いは大きいかもしれません。また、吉田君と違って、叔父さんは犯人を名指しするだけでなく、事件の謎解きを詳しく主人公に解説したりします。ややブラックな味付けは評価が分かれるかもしれません。
| 固定リンク
コメント