今週の読書は『日本沈没』以外に岡部直明『ドルへの挑戦』ほか
今週はシルバー・ウィークの読書として『日本沈没』第1部と第2部を読書感想文として取り上げましたが、それ以外にもチョコチョコと図書館から借りて読んでいたりします。『ドルへの挑戦』や『「人間国家」への改革』など、以下の通りです。
まず、岡部直明『ドルへの挑戦』(日本経済新聞出版社) です。著者は日経新聞のジャーナリストです。為替の関係で日経新聞の記者さんといえば、本書の参考文献にも上げられている『日米通貨交渉』の著者である滝田洋一さんの名前が上がることも多いんですが、本書の著者はさらにシニアな方だと記憶しています。さすがに、エコノミストではなくジャーナリストですので、為替や通貨の問題は経済学だけでなく地政学的な観点からも考慮すべきであるということを十分にわきまえた著者だと思います。ですから、米国が世界の警察官から降りたのはオバマ政権の考えだけではなく、ブッシュ政権下でイラク戦争やリーマン・ショックなどの失政の結果であるとか、シェール革命によってエネルギー自給が可能となった米国は安全保障の重点を中東からアジアや太平洋にリバランスする方向にあるとする見方は私も同意します。その上で、1997年金融危機の際に山一證券や拓銀を破綻させた清算主義について、2008年のリーマン証券の破綻と同じように批判したり、あるいは、中国主導のAIIBに日米ともにそろって加盟すべき、といった意見は傾聴に値するような気がします。
次に、田中辰雄/山口真一『ソーシャルゲームのビジネスモデル』(勁草書房) です。著者は2人とも経済学、特に計量経済学の研究者です。タイトルになっているソーシャルゲームとは、プレイヤー間でコミュニケーションやアイテムのやり取りが行われるゲームで、いわゆる規模の経済が大いに働く形式と考えてよさそうです。我が家の倅たちが小学生のころにやっていたクロノスや、現在のラグナロクなどが当てはまるんではないかと思います。このソーシャルゲームでは、我が家の倅たちのように無料で遊んでいる大勢のプレイヤーとともに、何らかのアイテムを有料で入手しているプレイヤーがいます。その入手方法のひとつにコンプガチャがあり、数年前に射幸心を煽るなどとして消費者庁から規制を受けたのは記憶に新しいところではないでしょうか。経済学的に著者が解明する通り、p.90 図3-3 に明らかなように、不確実性のあるガチャがある場合、その分、需要曲線は左にシフトしますが、有料プレイヤーがガチャで入手したうちで不要なアイテムを交換に出したり、あるいは、他のギルド内のプレイヤーなどに無料で与えたりしますので、その分だけ需要曲線はもう一度右にシフトします、といった特徴的な需要構造があります。しかし、もっとも私が興味あったのは第5章の依存性や射幸性の分析です。操作変数(IV)を用いたGMM法による定量分析により、著者たちは射幸性については認めつつも、パチンコ・パチスロよりもソーシャルゲームは射幸性と依存性が決して高くなく政府規制は不要との結論を導き出していますが、私は極めて怪しいと受け止めています。GMM分析に耐えるほどのサンプル数なのかどうかが疑問ですし、操作変数の取り方にも恣意性が残ります。その昔に、消費者金融会社の業界団体から多額の寄付を受けて、消費者金融は消費者の流動性制約を緩和する素晴らしい機能があるとする研究成果をバンバン出していた経済学の研究者がいましたが、こういった業界に偏重しつつ政府規制に否定的な成果を示す研究成果は、かなりの精査が必要ではないかと私は考えます。社会科学や経済学の分野でも「原子力ムラ」に近い形で研究成果を出す研究者がいないとも限りません。
次に、神野直彦『「人間国家」への改革』(NHKブックス) です。著者は財政学や公共経済学を専門とするエコノミストであり、東京大学の名誉教授です。本書のタイトルにもなっている「人間社会」というのが、カッコつきでもあり分かりにくいんですが、要するに、人間が単なる生産や消費などの経済活動に対する関わりだけから見られるんではなく、まさに人間として評価される社会、ということなんだろうと思います。例えば、p.190 では、「膨張する市場を抑制しつつ、社会システムを大きくしていくこと」と表現しています。ただし、家族機能よりも地域コミュにテュを活性化して拡大する必要性を説いていますので、やや分かりにくいんですが、私から見れば、マルクス主義的な疎外を本書なりに表現しているのだと受け止めています。それに加えて、本書における著者の主張は大いに私の共感するところであり、社会的なインフラとセイフティネットの充実のために租税負担を引き上げる必要があることなどは、まったくその通りだという気がします。ただ、従来からの私の主張のように、日本は徴収した租税を公共事業で還元する「土建国家」であるために、社会保障で還元する「福祉国家」に比べて租税負担が極めて回避的になりがちである点は指摘されていません。重要なポイントだと思います。また、しきりと西欧や北欧の福祉国家の例を持ち出していますが、これも土建国家と福祉国家の違いを無視しているような気がします。まず、福祉国家建設のための努力を強調しておきたいと思います。全体を通して、「知識社会」というキーワードが示されていますが、私には少し意味不明でした。
次に、ポール・ロバーツ『「衝動」に支配される世界』(ダイヤモンド) です。著者はジャーナリストで、印象としてはかなりリベラルなジャーナリストではないでしょうか。私の知っている範囲では、ナオミ・キャンベルなどの考え方に近い印象です。原書は昨年2014年の出版で、原題は The Impulse Society、邦訳のタイトルも準拠しているようです。本文にも「インパルス・ソサイエティ」とそのままの言葉で何度も出てきたりします。タイトルから見て、7月18日付けの読書感想文で取り上げたベンジャミン R. バーバー『消費が社会を滅ぼす?!』のように私は受け止めていて、「欲しいもの」と「必要なもの」の分離、あるいは、「爬虫類脳」に従った消費行動、といった内容も含まれていますが、より幅広い指摘もあります。すなわち、生産性の向上とともに経済社会は豊かになってきたんですが、市場に直結することにより短期的な視野の行動が主流になったり、効率一辺倒の思考パターンや経済の金融化などです。すべてを経済的な効率性で測ることに対する反発は当然に理解しますが、例えば、労働組合運動の退潮などに原因を見出そうとする著者の主張には歴史的な不可逆性というムリがありそうな気がします。私は読んでいないんですが、少し前に流行った『里山資本主義』という本がありました。本書も同じような観点で昔を懐かしんでいるだけで、ほとんど何の解決にもならないような気がしてなりません。
次に、茂木誠『世界史で学べ! 地政学』(祥伝社) です。著者は駿台予備校の世界史の講師だそうですが、我が家の上の倅は世界史を取ってなくて知らなかったようです。それはともかく、マハン流のシーパワーとマッキンダー流のランドパワーを対比させて地政学を世界史から説き起こすという意味で、割合とオーソドックスな見方を示しているような気がしますが、もちろん、地政学ですからナショナリスト的な見方であることはいうまでもありません。中東を分割したサイクス・ピコ協定なんぞは、確かに、高校の世界史で習って以来の登場かもしれません。読者として想定されているグループが不明なんですが、大学受験生ということでもないでしょうし、その筋の専門家には物足りなさそうな気もする一方で、私のような専門外の人間にはそこそこ勉強になるのかもしれません。専門外の私は、中国では宦官がシーパワー派で科挙に合格した完了がランドパワー派だったとは知りませんでした。本書では現象面に現れる事実を淡々と書き連ねており、まさに大学受験に必要な社会科の授業というカンジで、逆にいうと、個々の事実に共通する法則性のようなものは解明しようとすらしていません。すなわち、ニュートン的なエピソードであれば、リンゴが落ちるという事実がいっぱい記述されていながら、万有引力の法則には到達していません。でも、地政学というのは融通無碍で、そんなものかもしれないと考えないでもありません。
最後に、島田裕巳『戦後日本の宗教史』(筑摩選書) です。著者は私の専門外でよく知らないんですが、宗教学者・作家と本書では紹介されていますが、p.240 には一時山岸会に所属していた旨の記述もあります。なお、本書のタイムスパンは戦後ですから1945年から50年間、1995年までです。どうして最近の20年を対象に含めなかったのかは不明です。ですから、幸福の科学などは出てきません。1995年3月のオウム真理教による地下鉄サリン事件で終わっています。宗教史を紐解く視点は3つあり、副題にもなっていますが、天皇制・祖先崇拝・新宗教の3点です。ただし、祖先崇拝については柳田國男の業績などを援用しているものの、私には従来から純粋には日本的とは言い切れない要素、すなわち、儒教的な要素を含んでいるんではないかとやや批判的な見方もあるかもしれません。特に、新宗教では創価学会に多くのスペースが費やされています。教団としての規模や政党結成の動きなどから当然かも知れません。なお、私の宗教観について簡単に述べると、宗教とは非合理的なものであり、現世に関する問題解決に用いるのは避けた方がいいと考えています。我が信ずる一向宗=浄土真宗は死後の解脱、すなわち、極楽浄土への往生だけを約束しています。それに対して、創価学会=公明党はやや現世利益の実現を強調し過ぎて、政治的な圧力団体となっているんではないかと疑問を持っています。ただ、天皇制については国家神道都の関係は時間の経過とともに薄れつつあるような気もします。神道とは、ほとんど宗教的な教義を持たないという意味で非常にまれな宗教ですし、さすがに戦前的な国家神道に逆戻りする恐れは小さいと感じています。本書では宗教史を対象としている一方で、宗教の教義に関する分析がほとんどなくて、少し物足りない思いをする読者がいるかもしれません。
実は、村上春樹『職業としての作家』を買い求めました。何となくまだ読んでいません。今年のノーベル文学賞は誰に輝くんでしょうか?
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