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2015年10月10日 (土)

今週の読書は久し振りに感銘を受けた『減反廃止』ほか

今週の読書は、久し振りに感銘を受けた『減反廃止』から、極めてバカバカしくもおもしろい『ホワット・イフ?』など、以下の通りの8冊です。経済書や教養書などのノンフィクションばかりでなく、私の好きな時代小説も入っています。

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まず、荒幡克己『減反廃止』(日本経済新聞出版社) です。著者は農業経済学の研究者であり、農水省勤務から大学に転じています。民主党による2009年の政権交代によって農政のアジェンダに上った個別保障政策と減反廃止ですが、経済学的にデータに基づいたフォーマルな定量分析とともに、農業政策の現場におけるヒアリングの成果などを総合して、極めて説得力ある議論を展開しています。実は、私は30年余り前に役所でのキャリアをスタートさせた時、米価の決定に関係する仕事も担当していたりしたんですが、長らく、カルテル的に生産数量を制限する政策とともに価格を引き上げるのは政策の向かう方向として矛盾していると感じて来ましたが、完全に理解できたわけではないものの、米価統制や減反実施の始まった当時の農政の実情というものがほのかに分かった気がします。農政の中でもコメ対策というのは、今回のTPP大筋合意を受けた論調などを見ても、改革の方向はかなり明確である一方で、implementation というか、実行の仕方に工夫を凝らさないと、必ずしも方向性だけで乗り切れるものではありません。その意味で、ビッグバン的な大規模な方向転換ではなく、漸進的な政策転換を目指す著者の議論にも一定の説得力を私は感じます。私とは専門が違うので、定量分析ではあっても、ヘックマン・モデルとか、知らない分析手法がいっぱいなんですが、本書ではそれなりにフォーマルな定量分析の結果を下敷きにして、政策の方向性を明示しつつ議論を進めています。p.83の表2-1の日米における過剰農産物対策の比較などの事実関係の整理もいい出来ですし、減反と食料自給率の関係なども整合的に把握されており、我が国の農政はしょせん貧困対策と考えるエコノミストが少なくない中で、現在の農政を考える上で大いに参考になる本書なんですが、その上で、今後の農政の展開として、農協改革と農政との関係、さらに、つい先日大筋合意したTPP対策としての農政のあり方、の2点についてさらなる分析が追加されれば、大いに我が国の農政への理解がさらに深まりそうな気がします。

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次に、ジェフ・マドリック『世界を破綻させた経済学者たち』(早川書房) です。著者は米国の経済評論家・ジャーナリストであり、経済学の専門教育を受けています。その上で、2008年のリーマン・ショック以降の金融危機について、現在の主流派の経済学が危機を予測できず、さらに、なすすべもなく世界経済を大不況 Great Recession と混乱に陥れた、との観点からアダム・スミス以来の主流派経済学の7つのポイントを厳しく批判しています。原題の Seven Bad Ideas ということなんですが、構成が序章プラス7章から成っており、この7章がそれぞれの Bad Ideas に当たるんではないかと思います。私が読んだところ、見えざる手、緊縮もしくは均衡財政、規制緩和と競争重視の市場主義、インフレ・ターゲット、投機の奨励、グローバリゼーションと自由貿易、データ偏重の7点であると考えています。先週の『市場は物理法則で動く』によく似た観点であり、現在の主流派の経済学が科学であるかどうかを極めて強く疑問視しています。ですから、先週の『市場は物理法則で動く』で書いた通り、「バブルやバブル崩壊後の金融危機を予測できない現在の主流派の経済・金融モデルは欠陥がある」と同様に、経済・金融モデルだけでなく、そもそも経済学そのものに大きな欠陥がある、という結論なのかもしれません。特に、強い批判は保守的な右派の経済学に向けられており、エコノミストとしてはシカゴ大学のミルトン・フリードマン教授が批判の対象とされています。私も大いに賛成です。1980年ころからの米国のレーガノミクス、英国のサッチャリズム、そして我が国の中曽根総理が主導した国鉄民営化などの底流にある経済学が特に強く批判されていると受け止めるべきです。そして、欠陥を是正する方向としては、エコノミストに対して不確実性を認める倫理的責任を主張し、格差の是正や雇用者の権利の充実、さらに、ルールや規制を課す強力な政府、あるいは、良識とコミュニティへの責任を重んじる社会的伝統の復活などを主張しています。

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次に、イアン・スマイリー『貧困を救うテクノロジー』(イースト・プレス) です。出版社のサイトを含めて解説などがないため、比較的私の専門分野に近いとはいえ、実は著者についてはよく分からないんですが、途上国の経済開発プロジェクトに携わっているNGOの幹部と見受けました。本書と同様の内容の出版を10年近く前にしているような記述もあり、本書の原題もそれらしく Mastering the Machine Revisited となっています。ということで、本書では途上国の経済開発に関して、私の専門のような開発経済学の視点ではなく、工学とか技術論の視点から論じています。すなわち、途上国に持ち込む技術については「小型、単純、安価、非暴力」の4つの観点を重視した現地に適した技術であるべき、との指摘です。最後の「非暴力」はよく理解できないんですが、ハッキリいって、やや、途上国をバカにした欧米的な上から目線の見方であることは否定できませんし、ここ10年ほどの中国の経済発展を考慮に入れれば、こういった指摘は的外れであることは明らかなんですが、一部の途上国では成り立つ可能性もなしとはしません。特に、グラミン銀行のようなマイクロ・ファイナンスによって資金調達されるのは、本書の指摘するような技術であろうという気はします。本書ではシューマッハー『スモール・イズ・ビューティフル』に基づいた議論を展開していますが、私のような先進国政府をバックにして経済開発のあり方を議論するエコノミストと違って、NGOが活動するような草の根的な技術協力を論ずる場合には成り立つ論点かもしれないという気はしました。それにしても、p.97あたりではNGOの負の側面を論ずるなど、それなりにバランスの取れた論考ではありますが、中国の経済発展を見た後では、いかにも古き良き時代の技術協力論、という気がしてなりません。『スモール・イズ・ビューティフル』に基づいて、「小型、単純、安価、非暴力」の技術、省エネかまどやマイクロ水力発電などを途上国の伝統的セクターである農村に導入すれば、かえって労働力を生存セクターに止め置いて、資本家セクターへの労働移動を阻害し、ルイス的な転換点を遅らせることにつながりかねないような気がします。

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次に、デイヴィッド J. ハンド『「偶然」の統計学』(早川書房) です。著者は英国の王立統計学界の前会長であり、インペリアル・カレッジ・ロンドンの数学科の名誉教授ですから、ややお年を召してすでにリタイアしているのかもしれませんが、数学や統計学のバリバリの研究者です。原題は The Improbability Principle となっており、本書では「ありえなさの原理」として紹介されています。ということで、極めて確率的には起こりえない事象について、翻訳者さんには悪いんですが、偶然というよりもキチンとした確率論の観点から論じています。片方にボレルの法則として、確率が小さくて十分に起こりそうもない出来事は起こりえない、を置き、逆の片方に超大数の法則として、確率が極めて小さくても十分に大きな数の機会があれば起こってもおかしくない、を対置しています。その上で、ユングのシンクロニシティ(共時性)、カンメラーの連続の法則、シェルドレイクの形態共鳴などから、起こりそうもないことが起こったと感じるメカニズムを説明しようと試みています。ラプラスの悪魔が否定され、アインシュタインとは逆に神はサイコロを振る確率論の世界において、確率が低くて起こりそうもない事象に対する我々凡人の受け取り方というものが明らかにされます。ただ、論理としてはかなり難しいといえ、理解するにはそれ相応の能力が要求されるかもしれず、私ごときにはなかなか理解がはかどらない部分もありました。

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次に、ポール・ドーラン『幸せな選択、不幸な選択』(早川書房) です。著者は英国の経済学研究の中心のひとつであるロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の行動科学の教授であり、ノーベル経済学賞を受けたカーネマン教授との共同研究成果もあるとのことですから、基本的には経済心理学の研究者であろうと私は受け止めています。そしてその上で、本書では幸福、経済学的には主観的な幸福について、マイクロな個人レベルの幸福について、快楽とやりがいの継続と定義して両方の観点から分析をしています。すなわち、個人レベルの単なる快楽だけではなく、家族や社会の他の人々との関係性におけるやりがいも幸福の大きな要素と捉え、かなりレベルの高い幸福論を展開しています。本書の結論のひとつは、幸福は注意(attention)の配分の影響を強く受ける、というもので、現代人にとっては注意はかなり希少なリソースであり、ぶっちゃけていえば、ポジティブなことに注意を向け、ネガティブなことからは注意をそらせば、必ず幸福の総量はアップする、ということになります。これはおそらく真実ではないかという気が私はしています。もっといえば、本書の日本語タイトルの「選択」という言葉は、この注意の配分を表現しており、原題の Hapiness by Design も注意の配分をデザインするということなんだろうと私は受け止めています。そして、本書はどうすればそのような注意の配分が可能かについて、実にプラクティカルに解説をほどこしていたりします。ただ、本書について私がややネガティブに受け止めたのは、やっぱり幸福感というソフトなものは計測が可能であったとしても政策の目標にはならない、ということでした。本書を読んで直観的な理解として、著者は人生相談を展開しているような印象を持つと私は考えています。政府の役割として、あるいは、政策のあり方として、マイクロな個別の人々や家族に対してコンサルティングを実施して、主観的な幸福感を高めることを政策目標にすべきと考える国民は少なそうな気がするのが、最大の理由です。また、p.136で指摘されているように、薬物で幸せになりたいと希望する被験者はわずか4分の1だそうです。ただ、私自身としては国家公務員として、職場の仲間の何人かは人生相談に向いているような気がしないでもありません。

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次に、ルイス・ダートネル『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』(河出書房新社) です。著者は英国宇宙局の研究者らいいんですが、サイエンス・ライターとしても有名だそうです。原題は The Knowledge How to Rebuild Our World from Scratch となっていましす。タイトルから理解できる通り、何かのきっかけで現在の文明社会が崩壊、本書では大破局とよんでいますが、文明が崩壊した際の工学的な、あるいは、テクノロジー面からのリカバリーについて記したマニュアルです。まずは、何か残されたもの、例えば、スーパーマーケットのボトル・ウォーターなどを確保するところから始まって、農業による生命の維持、化学的あるいは物理学的な原材料の調達、医療や医薬品の確保、輸送機関からコミュニケーション、最後の方では公共財としての時刻と場所の確定なども含まれています。細かな内容はエコノミストの私には分からないものも少なくないんですが、少なくとも考えさせられる内容を含んでいることは確かです。政府において社会科学を研究する者の立場から、公共財として所有権の明確化や確立とともにそれを保障する治安維持の重要性についても考えを巡らせました。本書では、p.27の最初の方で「深刻な危機が訪れれば、社会契約はなし崩し」と指摘しつつも、それ以上は深入りしていませんが、工学的あるいは技術的な側面に焦点を当てた本書のスコープに入っていない重要なポイントのひとつです。せっかく、食料生産に精を出して生命を維持することができても略奪が横行するのであれば意味がありません。著者がどのように考えているのか知りたいところです。

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次に、ランドール・マンロー『ホワット・イフ?』(早川書房) です。著者は物理学の研究者としてNASAに勤務した後、現在ではインターネット・コミック作家となり、ネット上でさまざまな質問を受けて回答しているという変わった経歴を持っています。パレード誌のマリリン・ボス・サバントのような立場の人ではないかという気がします。例のモンティ・ホール問題の確率論で有名なIQ228の女性です。ということで、光速の90%の速さの剛速球をバッターに投げたらどうなるか、とか、人類総がかりでレーザーポインターで照らしたら月の色はどうなるか、とか、いろいろと荒唐無稽で突拍子もない思いつきに基づいて読者から寄せられる質問に対して、物理と数学とマンガでこれらの疑問を徹底解明しようという趣旨です。受けた質問のうち半分くらいはかなりダメージの大きな破壊的結果で終わる、との回答のような気もします。もっとも、怖すぎて、か、バカバカしすぎてか、回答をしていない質問も収録されています。基本的には、決定論的に計測しているんですが、中には確率論的に蓋然性を計測している回答もあります。いずれにせよ、回答はいろんな仮定を置いた上での計測結果を示していると考えてよさそうです。およそ現代社会の実用には役立たないと思いますが、「頭の体操」的に思考実験をしているのであると考えて読み進めばいいんではないでしょうか。なお、海から水を抜けば陸地がどう広がるか、という質問への回答がありましたが、今年はパリでのCOP開催で地球温暖化に関する議論が盛んになりそうですので、逆に、海面が高くなればどうなるか、についての回答もあったほうがよかったような気がします。

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最後に、岩井三四二『太閤の巨いなる遺命』(講談社) です。関が原の合戦の後、侍を捨てて長崎で商人となった男が、消息を絶った同僚を探して南洋に赴き、太閤殿下豊臣秀吉の遺命による巨大軍船作りに遭遇するという時代小説です。ともに侍から商人に転じた2人の男の友情と主家への忠誠が鮮やかに描き出されています。天下分け目の関が原から一発逆転を狙う豊家の大作戦も文字通り水泡に帰し、2人の男は九州に帰って商売に精を出すというラストなんですが、p.186第3章第2節から山岡右近が延々と独白する豊家の戦略とこの小説の背景説明がややくどいながらもひとつのハイライトと考える読書子もいるかもしれません。でも、私はこの小説は大阪人の好きな太閤さんをモチーフにしながらも、しかも、太閤さんですから時代小説でありながらも、海洋ロマン小説、男性的な友情を盛り込んだ海洋冒険小説がこの作品の本質なんではなかろうかと受け止めています。ラストの白兵戦の迫力に圧倒されます。

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