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2015年10月 4日 (日)

先週の読書は関志雄『中国「新常態」の経済』ほか

経済書や専門書などの読書とともに、先週は村上春樹さんのエッセイ『職業としての小説家』をとうとう読みました。以下の通りです。

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まず、関志雄『中国「新常態」の経済』(日本経済新聞出版社) です。著者は野村ホールディングズの著名なエコノミストですし、私ごときから解説は不要だと思います。本書の前にも2009年の『チャイナ・アズ・ナンバーワン』と2013年『中国二つの罠』と、中国を扱った著書があるようですが、私は中国経済は専門外で意図的に避けているような側面もあって、これらの本は読んでいません。本書では、最近時点での中国経済の成長率の低下について、いわゆる停滞とか失速と捉えるのではなく、中国政府首脳のいうように、あるいは、本書のタイトルにもなっている通り、「新常態」ニュー・ノーマルと捉えています。その原因は、いわゆる一人っ子政策などによる人口動態に起因する生産年齢人口の減少と農村部における余剰労働力の枯渇、すなわち、私の専門のひとつである開発経済学でいうところのルイス的な意味での転換点の到来であると見ています。後者の見方からは、クルーグマン教授が指摘したような要素投入を増加させるような成長から、生産性の向上による成長が要請されるんですが、市場経済が未熟であることから生産性向上をもたらすイノベーションが阻害されかねない要因となっていると指摘しています。ただ、ルイス的な転換点とともに、格差に関するクズネッツの逆U字カーブの転換点も同時に到達しつつあり、この先、所得格差が是正されれば新たな消費の喚起につながる可能性も示唆しています。ただし、その実現のためには、市場経済化のいっそうの進展とともに、シャドーバンキングなどの適切な規制や地方政府の資金調達などが課題であることが示されています。もちろん、本書のp.275で指摘されている通り、中国の経済社会は全体として見て、日本の1970年代と同程度の発達度合いであり、40年遅れからのキャッチアップが可能であることはいうまでもありません。

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次に、トラン・ヴァン・トウ/松本邦愛/ド・マン・ホーン『東アジア経済と労働移動』(文眞堂)です。著者は東南アジア経済の研究者で、何がテーマかは本書のタイトルから明らかだと思います。基本的に、科研費の研究成果として学術書の体裁なんですが、ややレベルが低い気がします。それだけに、というか、逆に、バリバリの研究者ではない一般のビジネスマンなどにも分かりやすくなっている気はします。第1部の国内労働移動ではタイ、ベトナム、中国を取り上げ、ルイス的な意味での転換点を探っていますが、定量的な転換点を示す年次の同定 identification ではなく印象論的な転換点の設定だという気がします。私が学術書っぽくないと考える理由のひとつです。第2部では国際労働移動を取り上げて、主として労働力の送り出し国としてインドネシア、フィリピン、ミャンマー、ベトナムを、また、第3部では受け入れ国として日本、台湾、韓国をそれぞれ対象として分析を試みています。多くを望むのは酷かもしれませんが、記述的な統計処理だけが目立ち計量経済学的な分析はありませんし、論点としては本国送金 remittances をもう少しクローズアップして欲しい気がしますし、国としてはシンガポールがスポッと抜け落ちていますし、いろいろと物足りない気はします。開発経済学を専門分野のひとつとするエコノミストである私としては、控えめに言っても強くオススメする気にはなれません。

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次に、マーク・ブキャナン『市場は物理法則で動く』(白揚社) です。著者は米国人の物理学研究者であり、サイエンス・ライターとして何冊かベストセラーも出しています。また、本書でも『ネイチャー』の編集者のころの経験が出て来たりします。原初のタイトルは Forecast であり、2013年に出版されています。正のフィードバック、すなわち、均衡から外れるとどんどん均衡から遠ざかる方向に向かう力について言及し、経済学では、あるいは、そもそも私たち人間は正のフィードバックから生じる結果に対する想像力に欠ける、といった論点から出発し、さらに、経済には均衡がないことを論証しようと試みています。この論証が成功しているかどうかは怪しいんですが、少なくとも2008年のサブプライム・バブルの崩壊後のような金融危機の際は均衡を外れていることは確かですし、歴史的にも1929年の暗黒の木曜日から始まった世界恐慌においても同様です。その上で、効率的市場仮説や特異な現象のべき乗分布、ミクロ的な基礎付けを持ったマクロ経済学に基づくDSGEモデルへの批判などを展開していますが、ズバリ、本書のもっとも重要な主張は、バブルやバブル崩壊後の金融危機を予測できない現在の主流派の経済・金融モデルは欠陥がある、もしくは、使用に耐えないから別のモデルを考えるべきである、ということに尽きます。あるいは、別の表現を使えば、現在の主流派のモデルは科学的ではなく、単なる信仰の対象に過ぎない、といっても同じことです。その上で、本書ではデータ革命(p.358以降)という言葉を使っていますが、スモール・ワールドなどで有名なコーネル大学のダンカン・ワッツ教授のようなビッグ・データを用いた極めて複雑で、おそらく、大量のパラメータを推計するモデルに対する期待を表明している、といったところではないでしょうか。私は基本的に賛成なんですが、モデルとはすべての現実を説明するためのツールではないし、現実の経済の動きの肝になる部分を説明できればそれでいいんではないかと思っています。さらに、やや逃げの姿勢かもしれませんが、バブルとか金融危機・経済危機については、微分方程式で表現されたモデルで予測するのは不可能です。歴史を跡付ける微分法的式で把握できる範囲を超えて、確率論的なシフトが生ずることがあり、その時点で歴史は微分可能性を失うんではないかと私は考えており、物理学でも許容されている特異点、ブラックホールのようなものではないか、とも思わないでもありません。

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次に、ロジャー・ブートル『欧州解体』(東洋経済) です。著者は英国の資産運用機関のエコノミストであり、欧州共通通貨のユーロには否定的で、英国についてもEUから脱退すべきとのイデオローグだったりします。例えば、本書p.211にある通り、2012年のウォルフソン賞を "Leaving the euro: A practical guide" と題する論文で受賞したりしています。ということで、本書はEUを解体し、ユーロを廃止して各国通貨に戻るべき、との論調を展開しています。ただ、経済学的な関税同盟や最適通貨圏の理論に関する理解や実践についてはやや不足している印象を持ちました。もちろん、ユーロの流通やEUの結成については、経済学の最適化行動だけで説明できるものではなく、政治・外交・安全保障なども含めた総合的な観点から検討されるべき課題であることはいうまでもありませんが、ユーロの導入やEU加盟が巨大市場の追求という形で広がりを見せているのも事実であり、経済の観点が強く作用していることは認めざるを得ません。厳密には違いますが、一種の規模の経済といえます。ただ、本書の著者はアセモグル/ロビンソンの『国家はなぜ衰退するのか』などの論点から制度の重要性を指摘し、EUや共通通貨のユーロの欠陥をこの点から解明しようと試みています。特に、共通通貨ユーロの導入については金本位制とのアナロジーにより、強烈なデフレ圧力をもたらしたと指摘しています。こういった議論の上で、英国を例にとってp.300-301の図表9-1にあるような選択肢の中で、かなり緩やかな連合形態である自由貿易協定型を推しています。このあたりは、現時点で決定的な結論を導出するのが難しい課題について、エコノミストのポジション次第で、何とでも結論できそうな気もしますし、もしそうであれば、本書の著者のポジションがそうなんであろう、としか私には思えません。

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次に、ウォルター・ミシェル『マシュマロ・テスト』(早川書房) です。著者は長らくスタンフォード大学の心理学の教授を務め、あまりにも有名なマシュマロ・テストを心理学の実験として主催しています。マシュマロ・テストは心理学の実験ながら、経済学的に解釈すると、要するに自制心を強化し、時間割引率を低下させることの重要性を強調しているわけです。今すぐに欲望を満足させようとするホットシステムを冷却するクールシステムを強化し、自制心を高める必要があると説きます。何となく、ではありますが、カーネマン教授の『ファスト&スロー』を読んだエコノミストの端くれとしては、システム1とシステム2、あるいは、ファストとスローの違いに関係つけながら読んだりしました。そして、20年余りに及ぶ追跡調査の結果、後で2個もらえるマシュマロのために現在の1個を我慢できる4歳児は、その後、肥満の割合が小さい、コミュニケーション能力が高い、ドラッグや犯罪に手を染める確率が低い、などの特徴があることが明らかにされています。しかし、問題はこの自制心や時間割引率の低さが前頭前皮質の活性化と大いに関連するらしいが、それは先天的な遺伝子による違いなのか、後天的な恐育や訓練によるものなのか、ということです。もちろん、「どちらも」ということなんでしょうし、ストレスとの関係も大いにあるんでしょうが、重点の置き方によっては本書の第18章にも取り上げられているように、公共政策のあり方が決定的に違ってくる可能性がありますし、場合によっては、前頭前皮質を活性化させる薬物の配布が優先順位の高い政策に上げられることすら考えられなくもありません。というのも、幸福の経済学について突き詰めると、もしも主観的な幸福度を経済政策の主要な目標に据えると、脳内物質のセロトニンを分泌させる薬物を国民に配布するのが一番の経済政策、ということになりかねないからです。突き詰めて、前頭前皮質の活性化もセロトニンも、薬物の配布というのが政策の主要目標とはならないことを念頭に置いておく必要があります。

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次に、モイセス・ナイム『権力の終焉』(日経BP社) です。著者はコロンビアの開発省を経験したなどと紹介されていますが、ジャーナリズムの世界の人なのか、アカデミックな世界なのか、政界なのか、不明です。ただ、本書の最初に引用されているように、FacebookのザッカーバーグCEOのブッククラブ第1回の課題書に選定されるや、全米で20万部超のベストセラーとなった話題作だそうです。もっとも、私から見れば、メガプレーヤーに対するマイクロパワーというネーミングを別にすれば、前評判ほどは大して独創的とも学術的とも思えませんでした。現在進行中の権力のあり方については、本書のタイトルのように「終焉」と捉えるよりも、「分散」もしくは「希薄化」ではないかという気がします。著者は本書で、国際政治、国内政治、経済、宗教、労組などにおける「権力の終焉」を跡付けていますが、パワーそのものが絶対量として減少して消滅しているわけではなく、多数の自然人や機関・組織に分散されただけだという気がします。例えば、自民党政府から連立政権に移行した、といった印象ではないでしょうか。本書で3M革命、すなわち、p.125の表4-1に示された豊かさ革命(More)と移動革命(Mobirity)と意識革命(Mentality)が権力の変容の要因としていますが、少なくとも、絶対王政の後から権力は分散を続けており、フリードマンの『レクサスとオリーブの木』の「黄金の拘束服」のようなp.171の例を別にすれば、その傾向が最近になって大きく変化したとは考えられません。最後の11章における対応策の提言も貧弱と言わざるを得ません。「政治的イノベーション」なんて、何を考えているんでしょうか。もっとも、本書では、この「権力の終焉」について、インターネットの出現、米国の衰退と中国の台頭という国際政治で進行している事態を直線的に結びつけてしまうことについては警戒的なスタンスを堅持しており、これについては正しい見方だという気がします。また、私のようなエコノミストが本書を酷評する一方で、本書をFacebookのCEOが推す理由も何となく分かる気がします。しかし、そんなんでいいのかという気もします。すなわち、本屋さんに行ったら『ワーク・ルールズ!』が平積みされていて売行き好調を思わせるんですが、グーグルと同じ人事制度にすれば、グーグルと同じような売上げ増や利益を達成できるわけでもなかろう、と私のようなひねくれたエコノミストは考えてしまいます。まあ、分からないでもないんですが、女優さんと同じ化粧品を使いたがり、同じブランドの服を着たがる女性と同じ心理なのかもしれません。でも、FacebookのザッカーバーグCEOのオススメ本を読んだからといって、どこまでタメになるか、ならないか、はその人次第だという気がします。

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次に、村上春樹『職業としての小説家』(Switch library) です。著者は日本を代表する小説家のひとりであり、数年前からたびたび内外でノーベル文学賞の候補に名前を上げられることもあります。本書はその著者のノンフィクションの自伝をエッセイの形に取りまとめた作品です。紀伊国屋がネット通販に流れるのを阻止すべく初版印刷分の90%を押さえた、と違った方面で話題にもなりました。ということで、私が読んでいて、明らかに第7章と第8章の間に断絶がある、というか、第8章が浮いている印象を受けましたが、第6章までと第12章はすでに連載などで明らかにされており、第7章から第11章までが書き下ろしだそうです。非常に常識的な著者個人の生活や創作活動を淡々と記述していて、いわゆる破滅型の芸術家や作家とは違う、ということは基から明らかなんですが、いっそう明らかになった、といったところかもしれません。他方、私が読んでヘンな印象を持ったのが第8章です。学校について書いていて、小賢しい教育評論家のような学校教育批判を展開しています。そうではなくて、私が知りたかったのは偉大なる小説家の青春時代です。年代的に中学校から高校、大学はいわゆるローティーンから20歳過ぎまでの青春時代真っ盛りです。学校で何を学ぶかはもちろん重要ですが、同級生はもちろん、先輩や後輩も含めた近い年齢の友人と青春時代を過ごしたか、それがどのように小説家になる際に影響を及ぼしたか、そういったあたりを知りたかった気がします。本書では著者の学校のころの友人はまったく登場しません。第9章では作家自身と同じ年代の主人公の小説を書かない言い訳までしています。もちろん、親しい、もしくは、親しかった友人をワイドショー的な興味の対象にしないための配慮もあるんでしょうが、どのような青春時代の過ごし方が、あるいは、どういった同性異性の友人が、小説家となる際に、あるいは、なってから、著者に影響を及ぼしたかを明らかにして欲しかった気がします。青春小説の大好きな私からのささやかな疑問でした。

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最後に、エマニュエル・トッド『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』(文春新書) です。著者はフランスの歴史学や人口学の研究者らしいですが、私は興味ある分野とはいえ専門外でよく知りません。今年2-15年6月13日付けの読書感想文のブログで中公新書の『フランス現代思想史』を取り上げた際に、いわゆるソーカル事件について軽く触れ、フランスのマルクス主義の歪んだ一面を指摘しましたが、本書もそういった批判を免れないんではないかと私は考えます。基本的に新しい順で著者のインタビューを翻訳して編集した本なんですが、ハッキリ言って、相矛盾した意見の表明やまったく意味不明の発言も散見され、読後感としては、著者というか、インタビューを受けたこの人はフランス人的な完成からドイツを嫌っているんであろう、という印象しか残りませんでした。国境を接した独仏の両国間、両国民間の感情というものは島国に住む日本人にはやや理解し難いものがあります。特に、私は南米チリの日本大使館に外交官として赴任し、長々と国境を接する隣国であるアルゼンティンに対するチリ人の極めて複雑怪奇な感情に接し、その思いを強烈にした記憶があります。国境を接していなくても、日韓関係なんかは一部にそういった感情的なもつれのようなものがありそうな気もします。まあ、そんなカンジの本であり、話題の書ではあるものの、広くオススメすべきかどうかは悩ましいところです。

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