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2015年12月12日 (土)

今週の読書は経済書と専門書・教養書と伊坂幸太郎『陽気なギャングは三つ数えろ』ほか全部で7冊!

今週の読書感想文は、経済書と専門書・教養書と、いつものエンタメ小説は伊坂幸太郎『陽気なギャングは三つ数えろ』で、さらに、新書も2冊読んで、以下の7冊です。

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まず、根井雅弘『経済を読む』(日本経済評論社) です。著者は我が母校である京都大学経済学部の研究者です。菱山先生のお弟子さんと書いてありますが、私も菱山先生の講義は取りました。単位をいただいたかどうか、どのような評価だったのかなどはハッキリしません。本書でも取り上げられているケンブリッジ学派のスラッファの教科書だったように記憶しています。ということで、話題を戻すと、本書は3部構成であり、第1部が古典を、第2部が時事問題を、それぞれ取り上げ、第3部が書評となっています。いきなり本書冒頭の p.4 で「学問を功利主義的に利用しようとする見解には賛成できない」と古典に入る前にあり、経済学とは政策科学の面もあるものの、私もそれなりに賛成です。その昔に読んだサイモン・シンの何かか誰かを取り上げた科学ノンフィクションだったと思うんですが、「学問に王道なし」でも有名なユークリッドの教室のエピソードが紹介されていて、無謀にも学問をすることによってどんな利益があるか、と質問した生徒がいたそうで、ユークリッドはその生徒にいくばくかの小銭を与えて放校にしたそうです。それはともかく、第1部の古典では冒頭のケインズに次いでマルクスが取り上げられていたりして、さすがは我が母校の京都大学の先生であると感心したりしています。ただ、ジョーン・ロビンソンの解説では不確実性だけでなく、ケインズ的なアニマル・スピリットも解説して欲しかった気がします。さらに、第2部の時事問題の冒頭で、アルヴィン・ロスの言を引いて、エコノミストがすべての社会・経済問題に対して回答を持っているわけではない、というのはその通りだと思うんですが、そう思っていない経済学帝国主義者がまだいて、その経済学万能バブルが2008年に見事に弾けたことも理解していないエコノミストもまだ存在するのは私には極めて不可解です。

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次に、奥村宏『資本主義という病』(東洋経済) です。著者は産経新聞のジャーナリストからシンクタンクの研究員となり、以前から何冊かの本を出版しているらしいんですが、誠に申し訳ないながら、私はよく知りませんでした。決して大部な本ではないんですが、何が主張のポイントなのかは、私程度の読解力ではハッキリしません。でも著者の意図を忖度すると、要するに、最後の結論で明らかにされているように、法人企業たる株式会社が巨大化し過ぎて無責任体制となったことから、これらの株式会社を分割して適度なサイズにすることが必要、という結論のようです。スミスのころのような完全競争市場を取り戻すという主張なのかと思いましたが、そうでもないように見えますし、ホントによく判りません。いずれにせよ、私はエコノミストというよりもヒストリアンとして、時計を逆回転させて昔の経済状態に戻すのはムリがあるような気がします。そうではなく、このブログでも何度か主張したように、その昔の株式会社が適度なサイズであった時代ではなく、現在は株式会社のサイズも大きくなりましたし、その根底には規模の経済が働いているわけで、収穫逓増や外部経済や公共財供給、あるいは独占・寡占などの進んだ現代経済においては、初期資本主義の「見えざる手」が経済社会全体の調和をもたらした時代とは異なり、何らかの政府の市場への規制や介入が必要です。それが講座派的な2段階革命論の最初の段階なのか、社会民主主義ないし社会改良主義なのか、あるいは、社会主義やマルクス主義とは関係ない別の見方なのかは私には不明ですが、政治献金の仕組みとも相まって、今のままで資本や企業の論理だけがまかり通るような現状を何とかしなければならないという点だけは重ねて主張しておきたいと思います。

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次に、エヴァン・オズノス『ネオ・チャイナ』(白水社) です。著者は英国出身でハーバード大学を卒業し、シカゴ・トリビューン紙やニューヨーカー誌でジャーナリストを務めています。本書の原題は Age of Ambition であり、2014年の出版です。本書は、第1部に富、第2部に真実、第3部に心のよりどころ、とそれぞれタイトルを付し、細かく24章構成として、「『情熱』と『独裁体制』という2つの勢力が衝突するさまを描いた」と本書を位置づけた上で、大きな変革の波に翻弄されながらも中国人らしくしたたかに生きる人びとや、戦う姿勢を崩さない反体制派の人権活動家、あるいは、若き愛国主義者たちの姿を通して等身大の中国の本質に迫ったノンフィクションのルポに仕上げています。著者がジャーナリストとして取材した範囲だけでなく、個人と国家の関係にも大いに着目し、例えば、世銀のチーフ・エコノミストを務めた林毅夫が台湾の軍人という地位を捨てて海峡を泳いで大陸中国に亡命したほどの中国に対する思い入れなども明らかにしています。400ページ余りで上下2段組みのボリュームですが、ピュリツァー賞最終候補作に残った意欲作です。とても実践的な中国人が法輪功などの当局から弾圧されかねない宗教に傾倒したり、あるいは、メンツを重視するということは実は不公正を拒否することであると喝破したり、それが故にエリート官僚の不正や癒着に厳しい目を向けたり、また、広く法や制度による統治や統制ではなく、人脈に頼った人生を切り開こうとするのはなぜなのか、ある程度のところは理解できた気がします。もちろん、これで現代中国の経済社会がすべて解き明かされるわけではありませんが、メディアなどでは取り上げにくい生の中国を疑似体験できる書物となっています。

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次に、牧野愛博『戦争前夜』(文藝春秋) です。著者は朝日新聞のジャーナリストであり、ワシントン勤務の経験あるソウル支局長という朝鮮半島の専門家らしく、北朝鮮や朝鮮半島にフォーカスを当てつつ、朝鮮半島の有事のほかにも、台湾海峡や尖閣諸島の有事も取り上げ、無条件の平和を享受するがごとくの日本国民に冷水を浴びせるかのように、突発的な有事の可能性が高まっている現状に警鐘を鳴らさんとしています。もちろん、朝日新聞のジャーナリストですから、正面切って集団的自衛権をはじめとする安倍内閣の有事法制を支持する立場を明らかにしているわけではありませんが、決して有事法制無用論に陥っているわけではないことは当然です。特に、本書で重視しているように私が感じたのは北朝鮮の核問題です。しかも、北朝鮮の金正恩体制の下で個人崇拝と個人独裁が強化され、逆から見て体制が非常に不安定化し、独裁者の暴走に歯止めが利かなくなる中で、中国からのコントロールが弱体化して、しかも、前の韓国大統領から始まり、ここ数年で日韓両国の関係が改善されない中で、日韓の同盟国たる米国の不安が高まっている現状がワシントン取材などから明らかにされています。我が国やアジア一般では中国の海洋進出が耳目を集め、日中関係では尖閣諸島にスポットが当てられる場合が多いんですが、我が国独自の拉致被害という観点だけでなく、北朝鮮の核問題の重要性にフォーカスした本書の主張も、米国をはじめとする国際社会の視点も意識して、重要な論点と考えるべきと、私も専門外のトピックながら感じたりしました。

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次に、伊坂幸太郎『陽気なギャングは三つ数えろ』(祥伝社) です。陽気なギャングのシリーズ第3作ですが、第2作から10年近くも間が空いています。ギャング4人は久し振りに銀行強盗もしたりして、サザエさんスタイルにより年齢は変わりないような印象ですが、理由は不明ながら主人公たちの子供は着実に成長している様子です。主人公というのは銀行強盗の実行犯である4人で、リーダー格の地方公務員で人間ウソ発見器の成瀬、天才スリで虫や動物に詳しい久遠、しゃべり出したら止まらない演説名人の響野、極めて正確な体内時計とそれに見合った自動車運転技術を兼ね持つ雪子の4人です。シリーズ第3作の本作品では週刊誌記者の火尻を相手に、アイドル宝島沙耶や違法賭博場の連中も巻き込みつつ、悪徳週刊誌記者の成敗に立ち回りを見せます。もちろん、最後にはヒール役の火尻を懲らしめるわけですが、いつもの通り、小説らしく極めて都合よくストーリーが進みます。一応、主人公4人は銀行強盗をするんですが、それは現金を入手するためというよりも、火尻との何らかのきっかけを結びつけるため作者に必要不可欠な場面だったといえます。また、おもちゃ箱のように次々にいろんな出来事や登場人物を並べておきながら、敵役の火尻をやっつける最後にはすべての伏線が収束するという意味で、いかにも伊坂作品らしく仕上がっています。私や我が家の上の倅のように、この作者のファンであれば、読んでおくべき作品といえるかもしれません。

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次に、森岡孝二『雇用身分社会』(岩波新書) です。著者は関西大学経済学部教授を務めていた経済学者であり、おそらく、マルクス主義経済学に基づく社会政策論が専門ではないかと思います。過労死などにも詳しいように見受けられます。ということで、タイトルにあるような狭義の雇用身分だけでなく、幅広く雇用や労働について、特に、タイトル通りの貧困や不平等についても考察した新書です。現在の雇用や労働に関する政府規制はいわゆる「岩盤規制」として、資本の側からかなりむき出しの攻撃対象となっていますが、それに対抗するには、本書のアプローチは少し疑問が残るような気もします。ひとつには、低賃金の克服には本書が示唆するようにスト権を構えて労使で対決するのも一案かもしれませんが、労働者の側から生産性を高めるという視点は考えられないものなのでしょうか。あるいは、デフレを脱却して物価と賃金が好循環をなせるような金融政策の取り組みもアベノミクスにより実施されているところであることは言を待ちません。資本の側からの攻撃に対して、デモやストで階級闘争的に対抗するのもひとつの手段かもしれませんが、労働者の側で再生産不可能な雇用条件や賃金であれば、社会的に現在の生産体制がもたないわけですから、自ずと限界があることから、グローバルな競争の中で日本企業が崖っぷちに立たされているのも事実です。ただ、私としては圧倒的に本書の立場も理解できます。日本の経済社会を考えると非正規雇用の拡大はそろそろ限界に達しつつあります。日本の場合は生産性向上の大きな手段のひとつがいわゆるOJTがとなっており、長期に及ぶ正規職員でないと職場での生産性向上のためのトレーニングが十分でなくなり、非正規雇用の未熟練労働が今以上に広がると、賃金は抑えられるとしても生産性との見合いで、労働のコスト・パフォーマンスが悪化しかねない、むしろ資本の利潤率が低下する可能性すらある瀬戸際に立っているような気もします。消費との関係も考慮しつつ、政府においても賃上げへの協力を民間企業に要請したりしているところですが、最低賃金は政府が決められるとしても、もっとシステマティックに賃上げが進むような税制とかを考える必要があるのではないでしょうか。私はエコノミストとしてはマルクス主義に理解ある方だと自負しているんですが、単に、労使の力関係で階級闘争的にゼロサムの仮定を置いて労働者が資本からぶん取るんではなく、労使双方にメリットのあるようなウィン・ウィンの解決策があるんではないかと期待しています。

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最後に、堀裕嗣『スクールカーストの正体』(小学館新書) です。著者は何冊か教育に関する著書があり、本職は中学校の国語の教師だそうです。タイトル通り、本書ではスクールカーストについて解明を試みており、結論として、コミュニケーション能力、すなわち、自己主張力、共感力、同調力の3つのコンポーネントから成る総合力としてのコミュニケーション能力によってスクールカーストは決定される、と主張しています。そして、これら3つを併せ持つスーパーリーダーは今となってはほとんど存在しない一方で、3つのうち自己主張力と共感力は高いものの同調力が低い孤高派タイプ、共感力と同調力は高いものの自己主張力が弱い人望あるサブリーダー、のほか、共感力は低いが自己主張力と同調力が高い残虐なリーダーがクラスの中心となる場合、最後の残虐なリーダーがいじめの首謀者になる可能性が高いと分析しています。さらに、教師にもスクールカーストがあり、例えば、生徒を引っ張る父性型教師、生徒に寄り添う母性型教師、生徒と親しくなろうとする友人型教師などが混在していると結論し、様々な組み合わせで問題が生じたり、無事に学校生活を乗り切ったり、いろんなケースや事例を紹介しています。本書でも指摘していますが、初等中等教育の児童や生徒の場合、1年間ずっと同じクラスのメンバーで学校生活を送らねばならず、人間関係を円滑に処理する必要がとても高いわけで、しかも、中学校や高校となれば性的な要素も入る場合があり、いわゆる思春期の感じやすい成長期を学校で送らねばならず、さらにさらにで、その昔には身近なグループ内の他愛ない小規模ないざこざで済んでいたことでも、最近ではネットでアッという間に広範囲に情報が飛び交いかねないリスクもあります。私も教員の経験がありますが、18歳以上の学生の通う大学でしたし、クラス担任を引き受けたわけでもなく、学生諸君というのはほぼ成人に匹敵するような独立した個人として遇すべき対象でした。もしも、小学校高学年ないし中学生くらいのお子さんについて、それなりの心配あるなら、本書第1章の図1から図2、図3を立ち読みするだけでも参考になりそうな気がします。

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