今週の読書はエーコ『異世界の書』など8冊!
今週の読書は、図書館の予約の巡り合せのためか、経済書・経営書がなく、教養書や専門書をはじめとして小説や新書も含めて以下の8冊です。エーコ『異世界の書』、ブライソン『アメリカを変えた夏 1927年』、ブロトン『世界地図が語る12の歴史物語』など、かなりボリュームのある本が目白押しでした。
まず、上村達男『NHKはなぜ、反知性主義に乗っ取られたのか』(東洋経済) です。NHKの経営委員を務めた経験から、早稲田大学法学部の教授であり、企業ガバナンスの専門家である著者から、NHKにおける業務執行の最高責任者である籾井会長を反知性主義の観点から批判する本です。籾井会長については放送内容に政府介入を許容する発言を繰り返し、不偏不党の放送法の基本理念から反していることは明らかですから、私は本書にとても期待していました。でも、少し期待外れの点もあったりします。まず、大前提として、上村教授の籾井会長批判は、ほぼすべての点において私の見方と一致し、当然ながら、至極まっとうな批判であることを認めつつ、いくつかの点で筆が滑ったというか、本論から関係ない点まで記述が及んで、やや私から見て疑問が残るないし不適当という点について、少しだけ書き残したいと思います。第1に、本書には国民の視点というものはまったくありません。すべてが専門家たる上村教授の視点で貫かれています。NHK経営委員として活動しているときも、一部たりとも国民を代表するとのお考えはなかったようで、あくまで法制審議会や金融審議会に参画し、10年間もCOEプログラムを主導した専門家としての上村教授の上から目線で書かれています。籾井会長の業務執行は受信料を支払って放送を受信する国民の観点から、とても不適当であったと私は考えていますが、そういった視点、あるいは、少なくとも国民を忖度する視点を上村教授はまったく持ち合わせておらず、この国民がNHKから放送を受信するという視点の欠落はかなり残念と言わざるを得ません。第2に、同じことかもしれませんが、国民の民意と専門家の意見では上村教授からすれば、後者の専門家の意見が国民の民意に優越するかの議論を展開してしまっています。籾井会長の不適切性の原因を安倍内閣の反知性主義に求めるとすれば、安倍内閣を選挙で選んだ国民の民意をどう考えるべきか、この点に関する上村教授の見方が示されていないのは疑問が残ります。立憲主義に対する国民の無理解について p.177 に記述がありますが、表現の自由の下で明らかにされた専門家の意見を汲み取りつつ、もちろん、NHKをはじめとするメディアで報道されるさまざまな事実を勘案しつつ、選挙などで明らかにされた国民の民意は、専門家の意見に優越すると私は考えています。NHKについても、日銀についても私の考えは同じです。ですから、専門性が高いとか、公共性が高いからといって、主権在民の民主主義下において、国民の民意を無視した公共的な組織の運営はあり得ません。そして、ある程度の期間が必要な場合も少なからずあるかもしれないものの、究極的には国民は正しい選択をするものと期待しています。この点は蛇足かもしれませんが、公務員としての私の信念です。第3に、NHK経営委員としてのご自分の責任について、やや見苦しい言い訳が散見されるような気がします。この点は著者自身も認識しているようなところがありますので、簡単に触れるにとどめます。最後に、繰返しになりますが、籾井会長に対する本書の批判が極めて正当なものであり、私も大賛成であるにもかかわらず、第2章までで筆が止まらず、第3章が長々とNHK会長問題とは関係の薄い著者の持論の展開に終わってしまったのが極めて残念です。実は著者の眼目は第3章にあるのかもしれませんが、もしそうでないならば、第2章までの本論が極めて的確だけに、第3章があることで、いくぶんなりとも、民主党政権下で任命されたNHK経営委員が、その後の政権交代した現内閣を全否定しただけの書、と見なされる確率が高まってしまうことを危惧します。
次に、渡辺靖『沈まぬアメリカ』(新潮社) です。著者は慶応大学湘南キャンパスの研究者で、文化人類学やアメリカ研究を専門としています。本書では、明示的ではありませんが、軍事や経済などのハード・パワーの面からは衰退論も現れた米国ながら、文化などのソフト・パワーではまだ比較優位が揺らぐほどではない、という観点からの米国文化論を展開しています。ということで、リベラル。アーツに重点を置くハーバード大学などの高等教育機関、小売店舗を展開するウォルマート、キリスト教のメガチャーチ、テレビ番組のセサミストリート、政治コンサルタント、ロータリークラブ、ヒップホップ音楽などを取り上げています。米国のソフト・パワーというのは、まあ正直なところ、ありがちな観点なんですが、通常は、コカコーラとマクドナルドの食文化から始まって、リーバイスのジーンズなどの衣料品文化、ハリウッド映画やディズニーランドなどの娯楽文化、アマゾンや各種SNSなどのインターネット文化などが上げられるんですが、コカコーラとマクドナルドの食文化は肥満激増の観点から否定されるのはやむを得ないとしても、娯楽文化については米国というよりもカリブの流れを強く引いたヒップホップ音楽というのは、やや奇をてらった印象があります。ウォルマートの安売り文化も逆から見れば雇用者の犠牲、極言すればブラック企業と見なされかねないような雇用者の労働条件を基本にしているわけですから、やや疑問が残ります。チャリティの精神は見習うべきものがあるとしても、ロビイストが重要な枠割りを果たす政治の進み方は、弁護士が強い影響力を保持する訴訟社会とともに、反面教師にしかならないような気もします。それから、いつも私が考える疑問点に、どうしても文化論のカテゴリーに入らないので仕方ないんですが、米国のソフト・パワーの大きな源泉のひとつは英語ではないか、というのがあります。もちろん、英語は米国の前に世界の覇権国だった大英帝国の成果ではないか、という見方もできますが、外交上の言語はおそらく19世紀半ばくらいまではフランス語であったわけで、例えば、シャーロック・ホームズの小説にもフランス語で書かれた条約が紛失する、というのがあったりするほどですから、大英帝国もさることながら、米国の国力の興隆がそれなりに役割を果たしているんではないか、と私は常々考えていたりします。そして、最後の最後に、ハード・パワーとソフト・パワーの関係についてももう少し考えておく必要がありそうです。すなわち、軍事力や経済力で世界展開しているからこそ、その職分から衣料品や娯楽などが世界に広まった可能性が高いんではないかと私は考えており、例えば、日本でパン食が広まったのもいわゆる進駐軍の影響だろうと考えられますし、そういった例は他にもあろうかと思います。逆に、ソフト・パワーに基礎を置いてハード・パワーの優位に立つ、という場合もなくはないんでしょうが、このソフトとハードの両方のパワーの関係は、少なくとも独立ではあり得ません。
次に、ウンベルト・エーコ『異世界の書』(東洋書林) です。著者は私が紹介するまでもなく、イタリアを代表する文化人であり、記号論や中世研究を専門とするボローニャ大学教授です。私が読んだ小説だけでも『薔薇の名前』、『フーコーの振り子』、『前日島』、『バウドリーノ』と並びます。『薔薇の名前』はショーン・コネリー主演の映画も私は見ました。また、『バウドリーノ』はこのブログでもほぼ5年前の2010年12月23日付けで読書感想文をアップしています。原書は2013年に出版されています。と、前置きが長くなりましたが、本書は科学的には存在が疑わしい、もしくは、完全なフィクションの「異世界」について取り上げています。文章部分は著者の書いた部分と引用したテクストからなり、文章部分だけではなく、モノクロだけでなくフルカラーの画像が満載です。ギリシア・ローマの古典古代から地球が球形であったことは知られており、すなわち、対蹠地について「異世界」と捉えたり、バビロンの空中庭園やエペソスのアルテミス像などの世界の7不思議、などの古代から本書は始まって、おおむね時代を下ります。中世くらいまでは宗教的な「異世界」が中心になりますが、近代に入ってユートピアなどにも焦点が当てられています。税抜きで9500円は高価に見えますが、これだけの構成と図版をもってすれば、決して高過ぎるわけではないと受け止める読者も多そうな気がします。また、私は通して読みましたが、本棚に置いて時折パラパラとページをめくるのもいいかもしれません。最後に、私はパスしましたが、同じ出版社から出ている『美の歴史』、『醜の歴史』、『芸術の蒐集』の最近のエーコ教授の3部作を先に読んでおけば、あるいは、もっと有益な読書になるかもしれません。
次に、ビル・ブライソン『アメリカを変えた夏 1927年』(白水社) です。著者は人気のエッセイ作家、あるいは、ノンフィクション作家であろうかと思います。というのは、私の頭の中ではエッセイとノンフィクションの差は大きくなく、例えば、日本人女性である酒井順子さんがアングロ・サクソン系の男性であれば、こういった下調べの行き届いたエッセイというか、ノンフィクションを書きそうな気もします。本書ではタイトルの通り、1927年夏の米国にスポットを当てています。夏ですから、5月から9月が対象です。その時期に何があったかは、本書の最後の方の p.536 にまとめてありますが、リンドバーグが大西洋横断飛行を成し遂げ、ベーブ・ルースが長らく破られなかった大記録のシーズン60ホーマーをかっ飛ばし、アル・カポネが著名人としては最後の夏を過ごし、サッコとヴァンゼッティが処刑されています。また、ピンポイントで1927年夏ではないかもしれませんが、ジャズが流行し、ラジオが全盛期を迎え、フォード社のT型フォードが製造を中止したりしています。最初の5月の部の第4章冒頭にありますが、1927年の米国というのは世界でも突出して経済的な繁栄を享受していた国です。もちろん、よく知られている通り、禁酒法という人類史でもまれな悪法の下で闇酒でギャングがのさばった時代でもありますし、何よりも、直後の1929年10月にはウォール街の株価が暴落してバブルが弾け、長い長い大不況に突入するわけですが、そのバブル崩壊前の米国の繁栄の頂点ともいえます。特に大きなスポットが当てられているリンドバーグとベーブ・ルースの偉業は改めてその偉大さが実感させられます。ただ、最後に、ひとつだけ難点をいえば、邦題に見るように、1927年夏で米国が何かを「変えた」あるいは「変わった」とは私は考えていません。ピークを越えたのた確かですが、原題は ONE SUMMER: America 1927 ですから、「アメリカを変えた」という趣旨は含んでいないだけに、何か、もっといいタイトルがあったような気もします。それから蛇足で、サッコとヴァンゼッティの事件を歌ったジョーン・バエズの曲を紹介して欲しかった気がします。
次に、ジェリー・ブロトン『世界地図が語る12の歴史物語』(バジリコ) です。著者は英国の研究者でロンドン大学教授を務めており、専門は地図製作学や時期としてはルネッサンス期に重点があるようです。英語の原題もほぼ邦題と同じであり、原初の出版は2012年です。本書も最初にオールカラーの地図の図版が置かれているほか、タイトル通りの12章構成の各章にもモノクロの地図が配されています。古代から現代に向かって歴史を下る自然な形で構成されており、ただ、時代ごとに地域というかスポットを当てる国に工夫が凝らされています。というのも、古代はギリシアからローマ中心で、場合によってはエジプトやメソポタミアから始まって、どうしても欧州中心になりがちな傾向は致し方ないんでしょうが、アジアの代表は中国でも日本でもなく、1402年ころの韓国が取り上げられています。中国や日本を差し置いて韓国を取り上げるのは、テーマが何であれ、それほど見かけたことがないような気がしないでもありません。もっとも、北を上にして地図を書くのは中国の影響とも指摘されていますから、本書でも中国の存在が無視されているわけでは決してありません。テーマは単なる地図ではなく、世界地図ですから、ある意味で、世界観を反映します。ですから、最初は、科学的というよりも信仰に基づく宗教的な色彩の強かった世界地図が、時代とともに正確性という科学的な要素をより強め、加えて、狭かった古典古代の時代の世界から、新大陸の発見を典型とした世界の広がりを受けて、世界地図も大きく変化してきた歴史があります。科学性に基づきつつ、大航海時代などには実用性も加味されるようになり、世界地図の進化が見られます。世界地図製作の上で大きな貢献をなしたメルカトル図法が数学的に当時では利用不可能な対数や積分法の理解が必要だったことは、なかなか興味あるエピソードと私は受け止めました。ただ、第8章のマネーと題する章では、世界地図を活用した思いがけないビジネスを期待して読み進んだところ、世界地図そのものを売り出すビジネスだったので、少し肩透かしを食らった気がしないでもありませんでしたが、最後を Google Earth で締めくくるのは秀逸な構成と感じました。11月28日付けの読書感想文で『地図から読む江戸時代』を取り上げましたが、時代の世界観や国家意志を如実に表現するのは地図とともに暦だと私は考えています。その意味で、『天地明察』はすぐれた小説だと思ったんですが、暦のノンフィクションも機会があれば読みたいと考えています。
次に、門井慶喜『東京帝大叡古教授』(小学館) です。誠に申し訳ないながら、私はこの著者を知らなかったんですが、この作品は今年上半期の第153回直木賞の候補作のひとつでした。ご存じの通り、東山彰良が『流』で受賞した回の直木賞です。まあ、私は不勉強にして読んでいませんが、『流』にはかなわないと選考委員から判断されたんでしょう。それはともかく、タイトル通りに、日露戦争前後の明治期の東京帝国大学を舞台にした基本的にミステリしたてのエンタメ小説なんですが、主人公ではないものの、謎解き役が東京帝国大学法科大学の政治学教授という文系の学者となっています。ミステリの謎解き役は、今まで東野圭吾のガリレオこと湯川准教授のように、理系の典型的には数学を専攻する学者が多かったような気がします。テレビ・ドラマのレベルではありますが、ガリレオ湯川准教授も正解にたどり着く直前にはやおら数式を解き始めていたように記憶しています。しかし、この作品の謎解き役は政治学教授、『日本政治史之研究』全3巻で名を馳せた役どころ、というのはかなり変わり種と言えます。しかし、命名が宇野辺叡古(うのべえーこ)なんですから、上でも取り上げた『異世界の書』や『薔薇の名前』の作者であるウンベルト・エーコ教授に似せていることが明白であり、ややセンスを疑われかねない蛮勇の命名だという気もします。日露戦争のころのいわゆる七博士意見書を題材に、東京帝国大学教授やジャーナリストも関係して、七博士が連続殺人に巻き込まれるというストーリーです。何と、夏目金之助まで登場します。謎解きは穴だらけで、最後もウヤムヤに終わりますが、それなりに楽しめる小説です。あるいは、七博士連続殺人の犯人ではなく、叡古教授に阿蘇藤太と名づけられた主人公を解明するほうが謎解きとして面白かったりするのかもしれません。
次に、日本文藝家協会[編]『ベスト・エッセイ 2015』(光村書店) です。ちゃんと数えていないんですが、70人余りのエッセイ、ざっと3-5ページくらいの短めのエッセイを収録しています。かなり多数の作品が収録されていますから、いくつかは大好きになり、ほかには好ましさが感じられないエッセイもあったりするんではないかと思います。当然ながら、作家やエッセイストなどのもともと文章を書く仕事をしている人が多いような気がしますが、ジャズ・ミュージシャンの綾戸智恵さんも書いていたりします。子供のころの体験やご近所のウワサなどの身近な題材を取り上げていたり、あるいは、逆に日常を離れた旅行した紀行文だったり、いろいろなんですが、天下国家の大きな話題のエッセイは少ないような印象を持ちました。私の目から見て、まったく脈絡なく並べてあり、どういった順で収録されているのかの法則性は発見できませんでしたが、あるいは、何かあるのかもしれません。収録作のタイトルと著者の一覧は出版社のサイトにあります。大きさは文庫本のようにコンパクトでなく普通のサイズでそれなりにぶ厚い本ですから、ポケットに入るわけではなく必ずしも持ち運びがラクとはいえませんが、時間潰しのための軽い読み物として重宝するかもしれません。
最後に、井上たかひこ『水中考古学』(中公新書) です。著者はよく知りませんが、タイトルから明らかなように、水中に没した考古学的資料を解明する学問領域についての本です。ですから、対象はほぼ沈船といえそうです。沈船以外ではアレキサンドリアのクレオパトラの謎に迫ったりもします。実は、私はクライブ・カッスラーによるNUMAのダーク・ピットを主人公とするシリーズが好きで読んでいたことがあり、本書でも言及のあるトレジャー・ハンターのマイケル・ハッチャーのような活躍物語を想像していたんですが、むしろ、水中の遺物の保存などが本書の中心となっている気がします。よりアカデミックなのかもしれません。p.132 から近代の海難事故として、タイタニック号とともにコラム3で取り上げられているトルコ船エルトゥールル号遭難事件は、日本とトルコの友好の物語として「海難1890」と題して映画化され、ちょうど封切られているんではないでしょうか。
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コメント
先日、「政治家に対して放送法の遵守を求める」という件のネット署名とかやりました。そんな事もあり一番上の本などは少々興味がありますが、なかなか読むところまで行きません。
現政権やNHKに対して、色々と思うところもあるんですが、ご迷惑がかかるといけませんので、これくらいにしておきます。
投稿: YH | 2015年12月19日 (土) 18時57分
そうですね。
私も還暦近くまで生きていると何だかんだといろいろあります。不都合があるんで書き切れません。
投稿: ポケモンおとうさん | 2015年12月19日 (土) 19時07分
相変わらず守備範囲が広いですね。下手な新聞書評より参考になります。真ん中あたりにあった地図の本など、やはり図書館で借りようかと思います。
投稿: kincyan | 2015年12月23日 (水) 10時35分
先週の読書の中では、世界地図の物語とともに、やっぱり売れているというか、ブランソンの『アメリカを変えた夏 1927年』も面白かった気がします。米国の黄金時代、いわゆる「金ぴか時代」のピークの物語です。
投稿: ポケモンおとうさん | 2015年12月23日 (水) 17時19分