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2016年8月 7日 (日)

先週の読書は経済書や教養書に小説と新書まで含めて計8冊!

少し多めに読んでしまって、先週は8冊です。先週の6冊よりも新書をパラパラと手速く読んだ分、それと、昨日に米国雇用統計が割り込んで営業日ならぬ読書日が1日多かったのが寄与して、2冊多いのかもしれません。読書感想文は手短かに済ませておきたいと思います。

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まず、坂井豊貴『「決め方」の経済学』(ダイヤモンド社) です。著者は慶応大学の経済学の研究者で同じような著作が何冊かあり、私も読んだことがあります。ということで、民主主義の下で、例えば、選挙で東京都知事を選ぶということになれば、当然のように多数決ということになり、先日その民意が示されたところです。しかし、本書の著者は、過去何冊か私が読んだ同じ著者の解説書や入門書と同じで、ボルダ・ルールやウェイト付きの投票などを持ち出して、現在の選挙の投票制度のような単純多数決に対置しています。著者は、決して、単純多数決を批判しているわけではないんですが、ほかのオルタナティブを示しているわけです。ただ、この著者の本を読んでいて残念に思うのは、第1に、「決め方」が羅列されていて、いくつかの異なる選択対象や目的に対して、いくつかの選択手段がある、というだけで、私の表現に従えば、「決め方の決め方」、すなわち、「決め方」の評価関数があいまいです。どういった選択対象あるいは選択目的に対して、どういった選択方法がいいのか、また、そのセカンドベストな選択方法はなにか、さらにさらにで、その選択方法のコスト、経済的なコストや社会的なコストがどうなるのか、これらが明らかではありません。繰り返しになりますが、この著者の本どれを読んでも、「決め方の決め方」まで掘り下げられていません。ただ、この本については、一見多数決で決めているように見えて、実は暴力的に決定されているケースに話が及んでいるのは進歩かもしれません。ということで、第2に、この著者の本は何冊か読みましたし、本書の裏表紙の見返しにも何冊か著作リストがありますが、どれも同工異曲で同じことを何度も聞かされたような気がします。ボルダ・ルールやスコアリングの方法論などは何度も同じ内容を読んだ気がしますし、時局に合わせて憲法改正や大阪都構想の府民投票結果などを盛り込んで、著者なりに工夫しているんですが、どれか1冊を読めばそれでいいような気もします。できれば、その1冊には「決め方」に関する評価関数、くだけていえば、「決め方の決め方」が書かれているともっといいような気がします。

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次に、中島隆信『高校野球の経済学』(東洋経済) です。著者は慶応大学商学部教授であり、お子さんも高校の野球部員だそうですが、これまでにも『大相撲の経済学』や『お寺の経済学』などの著書もあります。これらのご著書を私は読んだことはありませんが、ちょうど我がタイガースも高校野球に甲子園を明け渡したところですし、季節感にもピッタリなので本書は借りてみました。著者は高校野球の本質について、というか、高校野球連盟(高野連)の考える高校野球の本質について、勝つことを目的としたスポーツとしての競技性、教育の一環としての教育性、郷土愛を燃え上がらせるような文化性、そして、かつてのオリンピックのようなアマチュアリズムの権化としての非商業性の4要件を上げ、p.202に図示しています。高野連が甲子園球場に球場使用料金を支払っていないとか、逆に、NHKから放映権を受け取っていない、などの非商業性は私も薄々聞いてはいたんですが、フェアプレーがここまで徹底されているのも、やや不気味な気がしましたし、過酷な投手起用についても教育としての役割を超えて競技性に偏りすぎているとの本書の指摘はもっともと受け止めました。ただ、野球がスポーツとして非効率なのはいいとしても、教育のひとつの手段として適当なのか、あるいは、2020年東京オリンピックも見据えて国際性についても高校野球の視点から論じて欲しかった気はします。確か、最近号で週刊「東洋経済」は高校野球の特集を組んでいた記憶があり、繰り返しになりますが、季節柄、戦争と高校野球についてはメディアでも注目されているような気がします。

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次に、町田祐一『近代日本の就職難物語』(吉川弘文館) です。明治末期日露戦争機の不況の時期から昭和初期までの本書のタイトルと通りの内容です。大学を出ても、修めた学問にふさわしいホワイトカラーの職がなく、就職せずにアルバイトや仕送りなどで暮らしている「高等遊民」について、簡単な歴史をひも解いています。それなりに学問を修めた「高等遊民」は適当な就職ができないと、いわゆる「危険思想」に取り込まれて、「不穏分子」となる恐れがあって、政府をはじめとして産業界や大学も対応に苦慮します。政府からは、思い切った大学入学者半減案も持ち出されたりしていたようです。大卒生の希少性を維持するために、いつぞやの大臣が新設大学の許可を取り消す、なんぞといった騒動もありましたが、その昔はもっとえげつないことを考えていたようです。しかし、もう少し現在に近い時点まで視点を移動させて、戦後の人手不足の中で新卒一括採用に至る経緯までカバーしておけば、ほぼほぼ完璧だったという気もします。それにしても、就職からあぶれた就職難民を「自己責任」とか「高望み」と批判する既得権益者の世代が、いつの時代でも存在するのだということが実感できました。私のようなエコノミストとしては、新卒一括採用とともに、就職のバックグラウンドとなる景気についてももう少し掘り下げて欲しかった気もします。

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次に、山村博美『化粧の日本史』(吉川弘文館) です。現在の女性のお化粧という狭義の意味だけでなく、髪型や刺青なんかも含めた概念としての化粧の日本史です。さすがに、実感があるのは徳川期以降であり、特に、明治維新からの文明開化の時期には西洋風の服装とともに、髪型や狭義の化粧も西洋化したのは当然ですし、第2次大戦期に「贅沢は敵だ」とばかりにパーマや華美な化粧も排斥されましたが、戦後になって米国一辺倒の世の中で、米国流の化粧や衛生面からの洗顔や入浴などの習慣も導入された様子がイキイキと描き出されています。時代や地域の化粧の中心地として、日本ではかつての京の公家から江戸の歌舞伎などの芝居や吉原に移った経緯、さらに、価値観の相違として、諸外国や現在の日本のようにパッチリと大きな目が好まれるのではなく、我が国の古典古代や平安時代から徳川期くらいまでは浮世絵に描かれたような細くて切れ長の目が好まれていたなど、忘れられた過去の事実にも目が向いてしまいます。その昔の日本独自のお歯黒と眉剃りはすでに現在ではほとんど見られなくなり、西洋にならった化粧になびくようになったとはいうものの、まだまだ日本の独自性を発揮する化粧や服装の文化もあります。例えば、化粧ではなく服装が中心かもしれませんが、現在の日本を代表する「カワイイ文化」の化粧にも触れて欲しかった気がします。ただ、映画「テルマエロマエ」では、日本人は「平たい顔の一族」と呼ばれていて、彫の深い立体的な顔になるためには、美容整形を別にすれば化粧しかないわけで、そのあたりの苦労は、特に女性の苦労かもしれませんが、よく理解できたような気がします。

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次に、石原慎太郎『天才』(幻冬舎) です。今年上半期の大ベストセラーです。私が見たトーハンのサイトでは2016年上半期ベストセラー第1位であり、4位の『羊と鋼の森』や5位の『君の膵臓をたべたい』や6位の『火花』などの小説の上位を占めていました。作者の「長い後書き」にこの小説を書いたきっかけが明らかにされていますが、政権与党の自民党の中では金権腐敗批判の急先鋒だった政治家としての著者が、その批判の先となる田中角栄を1人称で書き下ろした小説です。著者ご本人もp.123に1回だけ登場します。p.148をはじめとして、田中角栄の転落を売国の陰謀のように描き出していますが、何せ日本のような経済大国の総理大臣を務めた人物ですから、政治を離れた生い立ちなどの私生活も含めて読ませどころがいっぱいあります。巻末に参考文献を30冊ほど上げてあるのも評価できます。田中角栄が亡くなったのは1993年ですが、江戸所大の武士が主人公の小説が大好きな私としては、もはやこの作品は時代小説に近いのかもしれません。

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次に、湊かなえ『ポイズンドーター・ホーリーマザー』(光文社) です。タイトルから明らかな通り、母娘の確執をモチーフにしており、この作者独特のモノローグの手法も駆使して、読後感の悪い「イヤミス」に仕上がっています。私は男親ですし、我が家は倅2人で娘はおらず、こういった母娘関係には疎いんですが、男親と息子の関係についてはオイディプス・コンプレックスで説明する場合があり、母娘関係は同様にエレクトラ・コンプレックスを持ち出す場合もありますが、本書はかなり違った見方を提供しているように思います。基本は、「マイディアレスト」、「ベストフレンド」、「罪深き女」、「優しい人」、「ポイズンドーター」、「ホーリーマザー」の5話を収録した短編集なんですが、短編集のタイトルとなっていることからも理解できるように、最後の2編は連作になっています。アチコチの書評でも見かける通り、この著者のデビュー作で、私の考えるに、いまだに代表作の筆頭に上げられる『告白』の原点に回帰した作品です。『告白』は娘の死に直面した母親が教師としての顔を持って生徒に迫る内容でしたが、この作品では、母と娘の関係についてどちらからも自分自身が被害者であり、「被害者はコッチで加害者はアッチ」、という、いかにもジコチューな女性たちを小説で取り上げています。ミステリとしての謎解きの部分はいろんな評価があるものと思いますが、ドロドロした人間関係やいかにも毒のある言動と行動、などなど、ある意味では、この作者の力量をいかんなく発揮した作品ではないでしょうか。私はこの作者の作品としては、『告白』に次ぐ代表作ではないかと受け止め、高く評価しています。

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次に、岩瀬昇『原油暴落の謎を解く』(文春新書) です。著者は三井物産で長らく石油のブジネスに従事してきた実務家です。タイトルから明らかな通り、2015年夏場からの国際商品市況での石油価格暴落について焦点を当てています。本書の分析も基本的に同じなんですが、私は今回の石油価格暴落は過去の、例えば、1980年代や本書でも注目している1997年末のジャカルタの悲劇の後の逆オイル・ショックとは要因が違うと考えています。すなわち、過去の石油価格暴落の時には、少なくとも、世界経済全体としては順調な拡大期にあり、1980年台はドル高が、1997-98年はアジア通貨危機が問題点となっていましたが、このところの石油価格低落はハッキリと世界経済、特に石油大量消費で成り立っている中国などの新興国経済の低迷に起因します。もちろん、米国のシェール革命による供給サイドの要因も無視できませんが、過去の、特に1970年代の2度に渡る石油危機、これは石油価格を上方シフトさせるショックでしたが、下方シフトさせるショックも含めて、かなり多くの石油価格ショックは供給サイドに起因していましたが、今回は需要サイドにもっとも大きな原因があるように私は感じています。また、本書でも作者が嘆いているように、アラブの王様とロックフェラーの取引で石油価格が決まっているわけではなく、市場における需給で価格が決まるという経済学の基本をしみじみと感じました。

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最後に、井上寿一『昭和の戦争』(講談社現代新書) です。著者は学習院大学の学長を務める政治外交史の研究者であり、同じ出版社の講談社選書メチエ『終戦後史 1945-1955』も私は読んだ記憶があります。昨年2015年9月12日付けで読書感想文をアップしてあります。ということで、本書は副題が「日記で読む戦前日本」とされており、昭和3年の張作霖爆殺事件から始まって、いわゆる満州事変・日中戦争、さらに、欧州で始まった第2次世界大戦、太平洋戦争からその終戦=敗戦までをスコープとしています。もちろん、日記に当たったからといって、特に何か新しい発見があるわけではありませんが、基本的には軍人や政治家などの木戸日記、あるいは、天皇陛下側近の侍従武官長だった奈良日記などが主たる日記のソースになりがちなところ、財界人や学者、さらに、永井荷風や山田風太郎などの作家、さらに、コメディアンの古川ロッパなどのやや庶民的な視点を取り入れて、かなり一般ピープルの感触に近い戦争観を描き出そうと試みています。何となく、私の勉強不足や認識不足なのかもしれませんが、国際連盟脱退に至る過程などで、脱退回避を強力に模索した時期があったことなどを勉強させられましたし、日米開戦前から一定の知的水準に達した階層では日米間の広い意味での国力の違いには十分な認識が浸透しており、開戦前の昭和15年の段階ですでに米国からの爆撃機の空襲に関する恐怖が存在した一方で、真珠湾攻撃に成功したために、一気に対米強気論に転じた人も少なくなかった印象を本書では醸し出そうとしているような気がします。さらに、日中戦争では戦意を煽るような記事を書けば新聞の部数が伸びる、などの一般国民の認識の一端を伺わせる記述もあります。最後に、もう少し、新聞記者などのジャーナリストの日記を取り上げて欲しかった気もします。

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