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2016年10月 1日 (土)

今週の読書もいろいろあって計8冊!

今週も、話題の書や私の関心事項の経済書を中心に全8冊読みました。なお、どうでもいいことながら、来年1月からWOWOWにおいて仲間由紀恵主演でドラマ化される予定で、大いにリマインドさせられた宮部みゆき『楽園』も借りて読みました。大きなインパクトあった『模倣犯』と違って、すっかり忘れていたんですが、ほぼ思い出しました。

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まず、佐藤仁『野蛮から生存の開発論』(ミネルヴァ書房) です。著者は東京大学東洋文化研究所の教授であり、開発論を専門にしているようですが、誠に申し訳ないながら、私の専門である開発経済学ではなく、社会科学の開発論よりは人文科学の開発論に近いようです。私の知る限りでも、例えば、経済開発や発展・成長が進むと複婚から単婚に移行するなど、文化や習俗の観点から開発を論じる分野は確かにあります。その意味で、本書の最初の方で著者が「正義」の問題を持ち出しているのに私は強く共感します。ノーベル経済学賞の受賞者であるセン教授のケイパビリティ論やロールズ教授の「基本財」の概念に基づく議論を展開しています。私もそもそも経済学を志したのは貧困の問題であり、まさに、我が母校の先達である河上肇教授などの視点から貧困撲滅などの政策目標実現のために開発経済学を専門としており、途上国で経済開発を進めるのは、先進国で格差を是正するのと同じように、一定の正義があると考えています。まあ、どこまで開発を進めるかとか、格差をまったくなくした完全な平等が目標とされるべきか、などの議論がありますので、あくまでも一定の正義としかいいようがありませんが、それでも、近代的な経済学を学んだエコノミストには価値判断を嫌う人も少なくありません。ということで、第Ⅰ部と第Ⅱ部はセンやソトに基づく開発論を議論していて、ハッキリいって、そう面白くもないんですが、第Ⅲ部は日本の開発政策や行政について論じていて、それなりに面白かったです。でも、どうも議論の出発点が違っていて、我が国の援助行政が戦後賠償から始まったかどうか、なんてことは開発経済学を専門とするエコノミストは気にもしないんではないかと私は受け止めています。政府に米国のUSAIDのような包括的な援助組織があるかどうかも、あまり援助の本質とは関係ないと見なすエコノミストもいっぱいいそうです。ただ、日本の援助行政、特に円借款が商業ベースで進んでいるのを苦々しく見ているエコノミストは多そうな気がします。また、日本の経済発展の経験が途上国の発展モデルになるかどうかは的確なポイントを突いていますが、それが明治維新までさかのぼるのか、高度成長期なのかは議論のあるところでしょう。著者は前者の明治維新を重視しているようですが、私は先月の研究成果で公表した通り後者の高度成長期がいいんではないかと考えています。

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次に、東京新聞・中日新聞『人びとの戦後経済秘史』(岩波書店) です。大雑把に昭和初期の1940年ころから20世紀いっぱいを対象にして、オモテの正史ではなく、東京新聞と中日新聞の経済部記者が取材した秘史を収録した本です。なかなか面白く読めます。終戦までは統制経済とか、暗い話題で満載なんですが、戦後の経済史では何といっても1950年代半ばからの高度成長期がオモテの正史のトピックとなり、大衆消費文化や耐久消費財の普及、特に、三種の神器と呼ばれたテレビ・洗濯機・冷蔵庫にスポットが当たったりするわけですが、秘史では即席ラーメンとか回転寿司とかの大衆に受け入れられた日本独特のイノベーションが取り上げられたり、経済成長のウラ側で深刻さを増した公害などの環境問題にも光が当てられています。まあ、秘史ですから、それほど系統的な歴史観が示されているわけではなく、トピック的な個別の歴史的事情が取り上げられているわけですが、その中でも面白かったと感じた点をいくつか上げておきたいと思います。まず、p.39に株価の推移のグラフがあります。株式市場は現在ほど東京中心ではなく、大阪はもとより名古屋などの株式市場もそれなりの重要性はもっていたことと想像していますが、それでも、東証株価は一見するところ1945年春ころから反発に転じており、終戦を見据えつつ市場が反応していた可能性が示唆されている、との解説はやや牽強付会ながら、そうかもしれないと思わせるものがあります。それから、1956年昭和31年の「経済白書」の名文句である「もはや戦後ではない」をしたためた当時の担当課長である後藤課長が、p.114ではテレビの黎明期にあって、「テレビは将来、壁掛け形になる」と見通していたとされています。官庁エコノミストの大先輩ながら、ここまで先が読めるというのも、ある意味で、恐ろしいことだという気がしました。なお、本書でもチラリと紹介されている中日新聞の「記者たちの戦後経済秘史」のサイトは以下のとおりです。

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次に、白井聡・内田樹『属国民主主義論』(東洋経済) です。読んでいて、本書がこの2人による対談2冊目で、1冊目は『日本戦後史論』というタイトルで昨年の出版らしいです。アマゾンのレビューによると典型的な逆U字カーブで、5点のフルマークも多いが、真ん中の3点よりも1-2点の方が多い結果となってます。どのサイトか忘れましたが、ブログで「居酒屋談義」と形容している例もあったりしましたので、まあ、そんなカンジで受け取る読者も多いのかもしれません。著者は2人とも関西にある女子大学系のホームグラウンドを持つ研究者であり、中身を読んでいて、少なくとも学生時代くらいまではいわゆる全共闘系のトロツキストなのではないか、と想起させられる部分もあったりしました。本書は「名は体を表す」といいますか、要するに、戦後の日本は米国の従属国である、ということに尽きます。かなり明確に講座派的な歴史観であり、私も本書の第1章については大いに同意する部分があります。しかし、その後の従属国論から展開される第2章以降の霊性とか、コスパ化とか、消費者化とか、幼稚化などをキーワードにした議論の展開はどこまで対米従属と関係しているか、私には大いに疑問です。まあ、確かに安全保障政策や、特に沖縄の基地などは存在先にありきで後付けで論理を構成しているところがあり、論理的なほころびを見つけたところで何の解決にもならないのは同意しますが、本書ではおそらく米国の属国を脱しないといけない、という問題意識があるんではないかと勝手に推測するものの、方法論としては民主主義で解決するのか、そうでなく、極論では暴力革命的な実力行使で解決するのか、といった観点は見受けられません。もっとも、世界一の軍隊を有する米国相手に暴力革命的な実力行使はどこまで実効性あるかの疑問が大きく、プラグマティックには「暴論」でしかあり得ません。エコノミストとして興味深かったのは「コスパ化」なんですが、どうも価格理論の理解が私と違うらしく、著者2人の需要曲線はフラットなのかもしれません。最後に、私が従来から胡散臭いと受け止めている「地産地消」に似た考えがヒトラー・ユーゲントの発祥であり、自分の身体を形作って養っている大地をどこかに特定することにより、容易に排外主義やレイシズムに陥る危険がある、という指摘は、それなりに納得できる論理だったような気がします。現状で、本書のアマゾン・レビューは前著の『日本戦後史論』と違って、まだ逆U字形になっておらずベルカーブに近いんですが、私の評価はやや低い方かもしれません。

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次に、リチャード・スティーヴンズ『悪癖の科学』(紀伊國屋書店) です。著者は英国の心理学研究者であり、「悪態をつくことにより苦痛を緩和する」研究により、イグノーベル賞を受賞しています。英語の原題は Black Sheep だったりします。ということで、本書では世間一般で悪い行いとされていることに、何らかの効用があるんではないか、という視点で書かれています、でも、ノッケから「この本に書いてあることは、頭から信じこまないほうがいいだろう」(p.13)と著者自身も宣言してます。8章から成っており、セックス、飲酒、悪態、スピード狂、恋愛、ストレス、白昼夢やサボり、臨死体験や死後の世界、となっています。セックスでは実在の米国大統領名から命名されたクーリッジ効果、すなわち、相手を返れば性欲が増進される、というのが実証されていますし、飲酒では常識的な結果でしょうが、まったく飲酒しないと多量の飲酒の間のほどほどの飲酒が健康にいいとの結果が得られています。また、私が音楽を聞く時に求める適度な緊張感という意味で、ストレスには善玉と悪玉があるという説も取り上げられています。でも、とりわけ私が感銘をうけたのが悪態の章で、悪態を4種類に分けて、社会的悪態、不快表現の悪態、侮蔑的悪態、様式的悪態とした上で、卑猥語などは仲間内の親密な間柄ではOKだとか、いろいろと実証されています。日本のサラリーマンの間でも、酒を飲みながら上司の悪口をいう、というのは適度なストレス解消に成っていると考えられなくもないですし、それなりの効用もあろうかと思います。アイスバケツ・チャレンジでは悪態をつくほうが有意に長くバケツの冷水に耐えられたとの結果が示されています。実は、私も海外生活ではついつい冗談半分に日本語で悪態をつくことが多かった気がします。例えば、レストランに入ってウェイターを呼ぶ時に、「おーい、ハゲ、こっちに来い」とか、日本語でにこやかな表情で呼びつけたりすると、チリ人は日本語を理解しませんので、ウェイターの方もにこやかに「シ、セニョール」とかいって注文を取りに来たりするわけです。まあ、海外生活もストレス満載ですから、こういった半ばジョークの悪態で紛らわしてたのかもしれません。来週からノーベル賞各省の受賞者の発表が始まりますが、それに先立ってすでに明らかにされているイグ・ノーベル賞にご興味ある向きにはオススメです。

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次に、海部陽介『日本人はどこから来たのか?』(文藝春秋) です。著者は国立科学博物館(科博)に勤務する研究者です。タイトル通りの疑問に最新の研究成果で答えようと試みています。上の表紙画像にもある通り、日本にホモ・サピエンスが入ったルートのうちの沖縄ルートについては実証実験まで試みられたようです。ということで、日本、というか、日本の国が成立するずっと前の時代の現在の日本の地域、極東に10万年前にアフリカを出たホモ・サピエンスがいかにして到着したかについて、本書で著者はいくつかの仮説を提供しています。短く表現すると、本書のp.202-203にかけての2パラ、ということになりますが、それをまるごと引用しては著者に失礼そうな気もします。本書では、3万8千年前から日本列島において突如としてホモ・サピエンスの人類遺跡が爆発的に現れたことから、そのころにいくつかのルートをたどってホモ・サピエンスが日本に到着したと考えています。かつては、インドからインドシナ半島などの海岸域を陸上で移動してきたと考えられていたんですが、著者はインドで整合的な遺跡が発見されないことから、この海岸線移動説ではなく、対馬ルート、沖縄ルート、北海道ルートの3ルートが並立して存在し、それまで原人や旧人のいなかった日本に定着し、それ以降も弥生人などの渡来人を次々と受け入れて来た、と結論しています。天孫降臨のような馬鹿げた神話ではなく、日本人が様々なルーツをもっていて、アジアの兄弟たちと同じ遺伝子DNAを共有している仲間だということが実感されます。私のように経済成長率や物価の上げ下げに一喜一憂しているエコノミストと違って、とても雄大で歴史のロマンを感じるテーマです。こういった読書は私のような貧相な者でも人格に余裕を与えてくれそうな気がします。

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次に、ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』上下(河出書房新社) です。著者はイスラエルの歴史学者です。歴史の研究者ですから人文科学系だと思うんですが、本書の第1部と第2部は進化生物学的な解説となっています。英語の原題はほぼ邦訳と同じで、2011年の出版です。第1部が認知革命、すなわち、ホモ・サピエンスの誕生というか、動物ではなくヒトとしての現生人類の誕生です。第2部が農業革命、これはスンナリと理解できると思います。第3部の人類の統一を経て、第4部の科学革命で締めくくられています。大雑把な印象としては、ジャレド・ダイアモンド教授の『銃・病原菌・鉄』をはじめとする一連の著書に似通ったカンジで、ハッキリいって、二番煎じの感を免れません。でも、問題設定は少し違っていて、人類においては「虚構」が他人との協力を可能にし、他人との絆が文明をもたらした、と結論し、その「虚構」とは国家、貨幣、企業などなど、ということになります。では、その虚構に基づく文明は人類を幸福にしたのかどうか、ということになれば、主観的な幸福感で考える限り、脳内化学物質のセロトニン、ドーパミン、オキシトシンの分泌で決まってしまいかねず、かといって、本書ではアリストテレス的なエウダイモニアや生活の質(QoL)への言及はありません。歴史学の観点からは突っ込み過ぎともいえますし、歴史学を離れては突っ込み不足にも見えます。化学ではなく物理学で考えて、人間の脳のバックアップをハードディスクで取れるとすれば、それは何なのか、という問いかけは本書にもありますが、2011年というやや中途半端な出版時期のせいか、人工知能(AI)はどこにも触れられていません。繰り返しになりますが、歴史の研究者が歴史学のスコープを超えて、進化生物学も含めた人類の進歩について振り返っているんですが、ジャレド・ダイアモンド教授の二番煎じですし、こういったテーマは人文科学系でもいいのかもしれないものの、進化生物学を含めた自然科学系の著者の方が解説がスムーズな気もします。すなわち、本書では歴史の法則性のようなものは見当たりませんし、歴史学の方法論ではスコープを外れるトピックを扱っている気がします。前評判の割には、読み終えて少し物足りなさが残りました。

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最後に、フェルディナント・フォン・シーラッハ『テロ』(東京創元社) です。私はこの作者の短編集の『犯罪』と『罪悪』、さらに、長編の『コリーニ事件』は読んだ記憶があり、たぶん、このブログでも読書感想文をアップしていると思います。その最新刊ではないかと思います。2015年の出版です。ということで、いろんなメディアに取り上げられているのでネタバレではないと思うんですが、本書は2013年7月26日にドイツ上空でハイジャックされた旅客機が、テロリストにより7万人の観客が詰めかけるサッカースタジアムに墜落させようとされたところ、スクランブル発進した空軍少佐が独断で旅客機を撃墜するという結末を迎えます。乗客164人を殺して7万人を救った彼は英雄なのか、それとも、犯罪者なのか。本書ではこの旅客機の撃墜場面はなく、裁判場面しか収録していません。一般人が審議に参加する参審裁判所に委ねられ、空軍幹部の証言のほか、検察官の論告、弁護人の最終弁論ののちに、なんと両論併記で有罪と無罪の2通りの判決が用意された衝撃のラストに続きます。日本とは法体系が明らかに異なるとはいえ、憲法以下の法治国家という原則を遵守すべきならば有罪でしょうし、超法規的措置、というか、自然法体系を認めて、かつ、功利主義的な判断を下すのであれば、という二重の前提の下では、あるいは無罪の可能性もあり得るのかもしれません。人間の尊厳を原理に据えるカントと利害を可算と考えて比較考量するベンサム的な功利主義との哲学上の対立とも読めます。私ごときに結論を出せるハズもないんですが、なかなか興味深い視点を提供してくれる小説です。

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