いろいろあって、昨日の土曜日に米国雇用統計が割って入ったために、読書日が通常より1日多く、先週の読書はとうとう11冊に達してしまいました。以下の通りです。今週はさすがに11冊よりは減ると思いますが、それでも一定のボリュームには達しそうで怖いです。
まず、デービッド・アトキンソン『新・所得倍増論』(東洋経済) です。英国人アナリストの日本経済シリーズ5部作の完結編だそうです。まず、著者が指摘するのは、日本経済のボリューム感ではなく、1人あたりの質感の重視です。ですから、我が国は欧州の先進国に比べて人口規模が大きいことから、例えば、GDP規模では米国と中国に次いで世界第3位といいつつも、国民1人当りのGDP、本書ではこれを生産性と呼んでいますが、1人当りの生産性では世界でも27位に沈む、といった指摘があります。もうひとつの指摘は、1990年のバブル経済の崩壊の時点で日本的経済システムは終焉したという点です。実は、これは戦後の秘\日本経済システムの終焉ということなんだろうと思います。すなわち、終身雇用、年功賃金などです。その上で、本書ではアベノミクスの政策方向を全面的に肯定し、問題は経営者にあると指摘します。国家財政の大赤字も、人口減少も、社会保障や特に年金のサステイナビリティも、企業経営には関係ないとうそぶき、生産性を上げるのは経営者の責任と指摘し、かつての外圧に代わって、政府や国家が企業経営者にどんどんプレッシャーをかけることを推奨します。ここまで来ると私にはやや疑問なんですが、言わんとするポイントは理解します。私がこのブログで、かねてより指摘している点と同じですが、我が国では企業家のアニマル・スピリットが不足しているんだろうという気がします。逆にいえば、そこまで貪欲に企業経営をしなくても、ホンワカとした経営で十分だった時代が終わったということだと思います。
次に、リチャード・ドッブス/ジェームズ・マニーカ/ジョナサン・ウーツェル『マッキンゼーが予測する未来』(ダイヤモンド社) です。著者はそれぞれ在住地の異なるマッキンゼー研究所の研究者であり、英語の原題は No Ordinary Disruption となっていて、2015年の出版です。現在、世界で起きている大きなトレンドの変化を4つ指摘し、すなわち、都市化の進展に伴う経済活動の重心=中心地の移動、シンギュラリティも考えられ得る技術の発展がもたらす大きなインパクト、高齢化の進展という人口動態の変化、グローバル化の進展に伴い世界が相互に結合する度合いの深化です。これらを4つの破壊的な力と指摘し、近未来のビジネスを支配しつつあると結論しています。ですから、過去の経験に基づく直観をリセットしなければならないとの主張です。ということで、マッキンゼーの主張ですので、なかなかに説得力ありそうな気もするんですが、実は、事実認識といい、これらの4つの破壊的な力への対策、とういうか、対応などの提言といい、かなりの部分が、今まで見たことがあるものがほとんどで、決して新味はありません。少なくとも現在の世界のビジネスの展開についての第Ⅰ部の事実認識についてはほとんど新しい見解は見られません。第Ⅱ部の直観力をリセットするための戦略的思考に関しても、ハッキリいって、新味はありません。まあ、従来からの世間一般の主張を後追いしただけのような気もしますが、マッキンゼーが取りまとめた、というところにポイントがあるのかもしれません。かなりのボリュームの本ですが、邦訳がいいのかスラスラと読めて負担は大きくありません。
まず、松島聡『UXの時代』(英治出版) です。作者は企業家であり、ロジスティック関係の企業の経営者です。「UX」というのがなにか不明だったんですが、User Experience なんだそうです。モノ・空間・仕事・輸送の4大リソースに関して、新しいビジネス・モデルを提案しようとチャレンジしているんですが、でも、中身はシェアリング・エコノミーとか、IoT、人工知能、ビッグデータ、センサー、ロボティクスなどなど、もはや言い古された感のある手垢の付いたビジネスについて、相も変わらない見方を示しているだけであり、特に新味はありません。ひとつの謳い文句として、「垂直統制から水平協働へ」というのが本書の特徴のひとつして打ち出そうとしているようですが、これに限らず、概念の曖昧な語句をさも斬新そうにいくつか内容なく並べているだけの感があります。でも、それだけにスラスラと淀みなく短時間で読み切ることができます。出張で2-3時間ほど新幹線に揺られる際の片道の読書量にピッタリの気がします。でも、ほとんど何も身につかなさそうな恐れもあります。すくなくとも、ユーザ・エクスペリエンスというのは、太古の昔から人間が協業に基づく分業を展開する上で必要だった概念であり、特に今になって気づく人も鈍いというか、少しどうかという気もします。
次に、ジェイン・メイヤー『ダーク・マネー』(東洋経済) です。著者は「ニューヨーカー」誌のジャーナリストで、英語の原題はそのまま Dark Money であり、2015年の出版です。主としてコーク兄弟を中心に、右派リバタリアンの超大金持ちが金にあかせて民主主義を歪めるさまをルポしたノンフィクションです。1月28日に『大統領を操るバンカーたち』の読書感想文をあっぷしましたが、政府の権力者に直接的に影響力を行使するのもありなんでしょうが、本書では選挙民への影響力により民主主義を歪める、という方向で議論が進められています。私が読んだ範囲では、直接のインタビューを別にして、もっとも主要なソースはコーク一家の歴史を編纂したジョージ・メイソン大学のコピン准教授ではないかと想像しています。そして、以前なにかの本のレビューでオバマ政権を取り上げた際に、リベラルでとてもいい政策の方向だったが、米国大統領当選のすぐ後の2010年の中間選挙で、議会が共和党多数のねじれ状態になったため、大きな妥協を余儀なくされて政策の実行が不十分だった、という裏側には、本書のような事情があったんだろうと、これも想像しています。コーク兄弟などの右派リバタリアンがいかに悪辣な方法で利潤を上げ民主主義を歪めているかを、これでもかこれでもかと米国ジャーナリストらしく実例を上げています。また、いくつか気づきの点を上げると、米国のティーパーティー運動は指揮官ばかりだった米国の右派リバタリアンに実働部隊の人員を供給したと本書では分析しています。また、p.585 でホンの少ししか触れていませんが、2016年の米国大統領選前に出版された制約がありながら、現在のトランプ米国大統領は「コーク兄弟にたてついた」とし、めったにいないコーク兄弟を無視できる共和党候補者のひとりであると評価しています。なかなか、鋭い分析かもしれません。
次に、佐藤愛子『九十歳。何がめでたい』(小学館) です。著者はご存じの通りの直木賞作家ですが、エッセイでも切れ味鋭いところを見せています。本書のもととなる連載エッセイが「女性セブン」に掲載され始めた2015年には90歳を超えていて、このタイトルに決まったらしいです。通常、日本に限らず、世界中で観察される事実なんですが、中年くらいでボトムを記録した後、年齢が上がるとともに幸福度がU字型に上昇すると言われていて、私なんかも定年まで指折り数えてあと何年、という段階で幸福度が上がったのを実感している一方で、本書の著者はタイトルの通り、また、本書の色んな所で怒ったり、あるいは、「憤怒」という普段では使わないような名詞が出て来たりして、怒りを爆発させています。その昔のTVドラマで「意地悪ばあさん」というのがありましたが、女性は年齢が上がって「憤怒」がわき起こりやすくなったりするんでしょうか。謎です。ただ、男女ともに、年齢を加えるに従って、進歩とか、成長とか、発展とか、前進とかに熱意を示さなくなるのは本書でも実証されているような気がします。私はまだまだ成長が必要と考えるエコノミストなんですが、定年に達し、もっと年齢が行くと、ゼロ成長でもいいんじゃないか、と考え出すようになるのかもしれません。これも謎です。ともかく、著者が隋書に怒りを爆発させるエッセイなんですが、イヤミはありませんし、決して上から目線ばかりでもありません。なかなか楽しくスラスラと読めます。
次に、東野圭吾『素敵な日本人』(光文社) です。作者はいわずと知れた売れっ子のミステリ作家です。本書は必ずしも日本人に大きく関するというわけでもなく、また、いわゆる連作短編集ではなく、通常のミステリ短編集です。「正月の決意」、「十年目のバレンタインデー」、「今夜は一人で雛祭り」、「君の瞳に乾杯」、「レンタルベビー」、「壊れた時計」、「サファイアの奇跡」、「クリスマスミステリ」、「水晶の数珠」の9編の短編を収録しています。冒頭に収録されている「正月の決意」については、私は他のアンソロジーか何かで読んだ記憶があります。町長や教育長などのエラい人の醜態が面白く、主人公夫婦のリアクションが絶妙です。また、最後に収録されているからなのか、最後の「水晶の数珠」も印象的でした。一族に代々伝わる水晶の数珠の持つ不思議な力、でも、一生で1度しか使えないこの力の使いどころに作者の加賀恭一郎シリーズなどの人情話への傾倒が出ているような気がします。また、どの短編というわけでもなく、かなりどす黒いユーモア、まあ、ブラック・ユーモアに近いきわどさも満ちています。家族をテーマにした「レンタルベビー」や「今夜は一人で雛祭り」も面白かったですし、特に後者は格差問題も視野に入れているのか、と思わせる部分もあります。なお、先週の読書の中で本書だけは買い求めました。あとは図書館で借りています。
次に、綾辻行人『人間じゃない』(講談社) です。作者はご存じ新本格派の旗手のひとりであるミステリ作家です。表紙画像に見られる通り、未収録作品集であり、短編から中編くらいのボリュームの作品を5編収録しています。収録されているのは「赤いマント」、「崩壊の前日」、「洗礼」、「蒼白い女」、「人間じゃない」です。最初の「赤いマント」は館シリーズの『人形館の殺人』の後日譚となっていて、扉にもある通り、もっともストレートな短編ミステリです。また、「崩壊の前日」は『眼球綺譚』に収められている「バースデー・プレゼント」の姉妹編、「洗礼」も『どんどん橋、落ちた』の番外編であり、ギターの5弦と6弦だけをつかんだダイイング・メッセージが示されており、犯人当てミステリの趣向で、読者への挑戦も挿入されています。「蒼白い女」は『深泥丘奇談・続々』に収録されている「減らない謎」の前に位置するエピソードであり、最後に、本書のタイトルをなす短編「人間じゃない」も精神病棟を舞台にした『フリークス』の番外編となっています。それにしても、私はこの作者の本はほとんど読んだつもりですが、記憶に残っている部分は少なく、改めて新鮮な気持ちで読むことが出来ました。記憶容量が少ないのは一般に人生を送るうえで不利になる場合が少なくありませんが、ミステイル小説を読む場合に限ってはそうではないことを実感します。まあ、ミステリばかりではなく、ややおどろおどろしいホラー作品も含めて、特に脈絡なく収録されているのは致し方ないところかもしれません。でも、私のような綾辻ファン、新本格ファンはちゃんと読んでおくべき作品であろうと受け止めています。さらに、この機会に元の作品も読んでおくべきなのかもしれませんが、そこまでは手が回りませんでした。
次に、安生正『Tの衝撃』(実業之日本社) です。『生存者ゼロ』でデビューした作家の最新作です。実は、直前の『ゼロの激震』を昨年読んだんですが、要するに、地下深く掘って、ほぼ無尽蔵と考えられる地熱発電のプラントを作ったところ、マグマが北関東から首都圏に南下して来てとってもタイヘン、というプロットだったことは理解したものの、ほとんど技術的なテクノロジーも小説の筋立てのプロットも理解できずに、結局、読書感想文に取り上げるのを諦めた記憶があります。それに比べればかなりマシですが、それでも、判りにくい小説です。要するに、自衛隊の護衛がついて搬送されていたプルトニウムが、何者か、明らかに自衛隊と同程度か上回るくらいの戦闘能力を持つという意味で、ほぼほぼ軍隊により強奪され、その後、自衛隊と米軍と北朝鮮に加え、自衛隊内の別行動をする一派が加わり、わけの判らない入り乱れての戦闘行為やテロまがいの要人暗殺や拉致もありで、ハッキリいって、何のリアリティもありません。ドラえもんの4次元ポケット並みの荒唐無稽さだと思いますが、ただ、手に汗握るサスペンスだけは満載です。
次に、齋藤純一『不平等を考える』(ちくま新書) です。著者は政治学の研究者であり、本書においては、不平等について経済学的な側面ではなく政治学から解き明かそうと試みています。その際の基本概念は包摂性と対等性であり、加えて、対等平等な個人としての連帯です。例えば、ロールズ的なアンダークラス、我が国の戦前の古い表現でいえば「二級市民」のような存在を認めるのは包摂ではなく排除を意味し、もちろん、対等ではないことから、個々人の間での連帯が成立しない、ということになります。とくに、本書で指摘している通り、政治的な側面を考えるとしても、最近の「失われた20年」で徐々に実質賃金が低下し、あるいは不安定な非正規雇用が広がり、かつてのような安定した国民生活を送ることが困難となった階層が存在することから、市民社会に不安と分断がもたらされているわけですから、平等とともに貧困の問題も併せて解決すべきであると私は考えています。特に、本書では著者が「包摂性」を引き合いに出す場合、雇用されている、もしくは、労働している点をかなり重視しているように私は考えており、高齢化が進み年金生活者の比率が高まる中で、少し疑問に思わないでもないんですが、著者も非正規雇用という語りで法殺されつつも分断ないし不平等な状態に置かれている現状に関する理解も示しています。ただ、労働と包摂の関係をここまで強く規定すると、繰り返しになりますが、非労働力化した高齢者の包摂をどう進めるのかが私は疑問です。ですから、p.161 以下でベーシック・インカムについて著者の考えが展開されていますが、労働を重視する立場から、ベーシック・インカムについてはかなり否定的な印象を持ちました。年金生活者も同様なのかもしれません。高齢化の進む我が国に適用する場合に、疑問が残ります。
最後に、綾辻行人ほか『自薦 THE どんでん返し』と乾くるみほか『自薦 THE どんでん返し 2』(双葉文庫) です。上の表紙画像を見ても明らかなんですが、なかなか豪華な執筆陣によるアンソロジーです。まず、収録作品は綾辻行人「再生」、有栖川有栖「書く機械」、西澤保彦「アリバイ・ジ・アンビバレンス」、貫井徳郎「蝶番の問題」、法月綸太郎「カニバリズム小論」、東川篤哉「藤枝邸の完全なる密室」、乾くるみ「同級生」、大崎梢「絵本の神様」、加納朋子「掌の中の小鳥」、近藤史恵「降霊会」、坂木司「勝負」、若竹七海「忘れじの信州味噌ピッツァ事件」の各6篇計12編です。いくつか、ほかのアンソロジーで読んだ記憶のある作品も含まれています。しかし、少なくとも私も考えるどんでん返しになっている作品は少なかった気がします。私が考えるどんでん返しとは、典型はジェフリー・ディーヴァーの作品なんですが、ラスト近くでほぼ解決された事件が、角度を変えてみるとまったく違う犯行や犯人が浮かび上がる、というのはどんでん返しのミステリであり、本書の多くの作品は単なる意外な結末、と称するべきなのではないかと思います。例えば、乾くるみの『イニシエーション・ラブ』をどんでん返しと考える読者は少なく、単なる意外な結末、と考える読者が多そうな気がします。すなわち、読者はそれなりにミスリードされるわけですが、ほぼ決まりと考えられていたひとつの解決を廃して、別の謎解きがホントの解決だった、というわけではありません。でもでもで、このアンソロジー2冊は、ジェフリー・ディーヴァー的な本格的「どんでん返し」を期待する読者には物足りないかもしれませんが、とても意外な結末で面白いミステリを求める向きには大いにオススメできると思います。
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