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2017年9月23日 (土)

今週の読書は話題の経済書をはじめ計5冊!

今週は話題の経済書をはじめ、以下の計5冊とかなりペースダウンしました。これくらいが適当な読書量ではないかという気もしますが、さらにもう少し減らすのも一案ではないかと思わないでもありません。

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まず、 アンドレアス・ワイガンド『アマゾノミクス』(文藝春秋) です。著者は東独生まれで、アマゾンのチーフ・サイエンティストの経験もある人物です。科学者というか、起業家というか、そんな感じです。英語の原題は Data for the People であり、今年2017年の出版です。そして、英語の原題よりも興味あるのは上野表紙画像の右下に見える英語のサブタイトルであり、post-privacy economy をいかに消費者のために作り上げるのか、といった問題意識のようです。ということで、私は従来からプライバシーには2種類あって、片方が市場である消費生活で何を買ったとかのプライバシーは、もはや成立しない、と考えています。ただ、もうひとつのプライバシー、典型的にはベッドルームのプライバシーは守られるべきだと思います。タダ、ビミョーなのは片方が市場であって、市場でないような、政府による大きな規制のもとにある市場との取引、典型的には医療や教育などの場合は、個別に考えるべきだという気もします。ただ、本書の著者の見方は、私のべき論ではなく、事実として、ベッドルームのプライバシーすらも守られていない、という考えが第4章以下で強く主張されています。例えば、ベッソルームとはいわないまでも、在宅か不在かはスマート・メーターの電気の使用状況により判断できる、とか、町中の至る所に設置されている監視カメラとか、スマホのGPSにより個人の位置情報はほぼほぼ完璧に把握されている、とかです。その上で、英語表現的にいえば、get even だと思うんですが、一方的に消費者から企業に情報を提供するだけではなく、企業が収集し蓄積している自分に関する情報の開示を求める必要を論じています。あるいは、企業と対等な情報を収集するため、例えば、コールセンターへの電話は消費者サイドの承諾を得た上で録音されていますが、消費者には録音データは開示されませんから、同時に消費者の方でも企業サイドの承諾を得た上で録音するとか、といった消費者サイドでの対応も必要と論じられています。確かに本書を読むと、私のように2種類のプライバシーを分けて論じるのは、現実問題として、もはやその段階を超えているのかもしれないと感じさせられます。最後に、タイトルがよろしくありません。アベノミクスのように、アマゾンの経営上のポリシーとか、アマゾン的な新たな経済学を思い浮かばせるようなタイトルですが、中身はプライバシー情報に基づく企業と消費者の緊張関係を論じています。

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次に、坂野潤治『帝国と立憲』(筑摩書房) です。著者は東大社研の歴史学者であり、ご専門は日本近代政治史です。ですから、私はかなり楽しみに読み始めたんですが、読後は少し失望感もありました。すなわち、本書の主眼は帝国主義と立憲主義のせめぎあいの中で前者が優位を占めて、結局、日本が侵略戦争に突入してしまった、という反省から、戦争回避の可能性を歴史から探る、というものだったハズなんですが、サブタイトルにも見られる通り、日中戦争の開戦回避というかなり局所的な話題に終始したきらいがあります。実は、私も歴史の大きな流れには興味があり、例えば、地方大学に出向していた際に学生諸君に質問し、コロンブスが1492年の新大陸を発見しなかったら、現時点まで米大陸は発見されていなかったかどうか、を問うたところ、当然ながら、あのタイミングでコロンブスが米大陸を発見しなくても、誰かがいつかは発見していただろう、という見方が圧倒的でした。同じことは昭和初期の中国との開戦にも当てはまるような気がします。ですから、あおのタイミングで、あの場所で日本が中国に侵略戦争をしかけていなかったとしても、大きな歴史の流れとして日中戦争は起こっていた気がします。その根本的な歴史の流れの解明を私は期待していたんですが、1874年の台湾出兵に始まる日中戦争への大きな歴史の流れを解き明かす試みは、少なくとも本書ではそれほど明らかにはされなかったと受け止めています。私の専門分野ではないので、著者が別の学術書か何かで明快な解答を与えてくれているのかもしれませんが、残念ながら、本書ではクリアではありません。というか、私程度の読解力と歴史に対する素養ではクリアに出来なかったのかもしれません。圧倒的な大国、あるいは、歴史上の先進国として仰ぎ見ていた中国に対する侵略行動については、もっとさかのぼらなければ解明できない可能性がある、としか私には考えようがありません。侵略や植民地化で特徴つけられる帝国主義を防止するものとして立憲主義を対置した時点で、少し問題意識が違っていたのではないか、という気もします。また、立憲は立憲主義ではなく、帝国は帝国主義とは違う、とする著者の言葉遊びにもなぞらえられかねない主張も私の理解を超えていました。

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次に、新藤透『図書館と江戸時代の人びと』(柏書房) です。著者は図書館情報学を基礎に、日本近世史を専門分野とする研究者です。著者のおかげなのか、編集者が優秀なのか、構成がとてもシンプルかつ明解で、読み進むに当たってヘンにつっかえたり戻ったりする必要もなく、とても助かります。我が国の古典古代である飛鳥時代の聖徳太子のころから説き起こして、近代的な西洋文化に基づく図書館が出来る大昔からのわが国特有の図書館的な機能を持った施設の歴史をひも解いています。さすがに、第1章の古代から中世にかけての図書館はそれほど史料もないのか、大雑把にしか概観できていませんが、第2章と第3章の江戸時代が本書のタイトル通りにメインとなる部分であり、第2章の幕府の図書館、第3章の地方の藩校などの図書館などなど、興味深いエピソードが満載です。特に、私のような東京都内各区立図書館のヘビーユーザとして、毎週最低でも3-4冊は借りるタイプの読書をする人間には、とりわけ身に染みる部分もあって興味深く読めました。私のようなヘビーユーザでなくても、図書館や読書に対する関心が高まるような気がします。特に、我が国の図書館や読書の歴史を考えると、欧州中世にキリスト教の教会が知識や情報を独占し、そのために庶民が理解できないラテン語を大いに活用した歴史があり、それをルターの宗教改革やグーテンベルクの活版印刷が大きな変革を準備したのとは違い、決して識字率などが高かったわけではなかったものの、それなりに地方でも教養ある教育が実施されており、しかも、漢字だけでなくかな文字の普及もあって、読書の普及も見られたような気がします。本書本来のスコープである江戸幕府期に紅葉山文庫が整備充実され、系統的な収集と管理が行われて、しかも、改革者たる8代将軍吉宗が大いに利用したくだりなど、やや吉宗が借り出した書籍のリストがウザい気もしますが、それなりに興味深いものがあります。加えて、江戸時代に小山田与清が商人として築いた財を投じて江戸の町で解説した私設図書館など、当時の文化水準の高さを象徴する新発見、というか、私にとっての新発見もありました。ただ、図書館についての本ですので、例えば、グーテンベルクの活版印刷に相当するような蔦屋の印刷出版業に関して少し情報が不足するような気もします。図書館は図書を収集・管理するわけですから、出版される本と借りる読書人から成立していることは忘れてはならないと思います。

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次に、岡本和明・辻堂真理『コックリさんの父』(新潮社) です。タイトルの人物は一世を風靡したスプーン曲げのユリ・ゲラーとともに、1979年代の我が国オカルト界を席巻した中岡俊哉という人物です。実は、私は1970年代のそのころに、いかにもオカルトに興味を持ちそうな中高生だったんですが、まったく記憶にありません。なお、著者のうち、最初の著者はこの中岡俊哉のご令息で、後の方の著者は放送作家だそうです。ということで、主人公の中岡俊哉は「オカルト」というよりは、ご本人は心霊科学の研究者などと称していたようなんですが、本書はその生い立ちから始まって、戦争期に渡満し、その後もしばらく中国大陸にとどまって、北京放送のアナウンサーをしたりした後、我が国に帰国し、中国大陸の怪奇物語などを少年誌に寄稿しつつ、次第に超常現象の第一人者の1人とされ、テレビ番組で活躍したり、といった人生を概観しています。2001年に亡くなったそうです。10代で満州に渡ったあたりもそうですが、かなり冒険的な人生観をお持ちだったのかもしれません。ユリ・ゲラーのスプーン曲げには終始懐疑的だったようですが、クロワゼットの透視力を信頼してテレビでも取り上げたりした後、本書のタイトルであるコックリさんの体系的な解明に努めたりしています。コックリさんについては、私の中高生のころに流行ったりしていましたが、私はまったく信じておらず、やったこともありませんし、親しい友人がやっているかどうかも知りませんでした。そして、中岡俊哉はコックリさんの後、心霊写真やハンドパワーの方に向かいます。心霊写真については、ちょっと違うかもしれませんが、例の「貞子」の元になった『リング』のビデオテープへの念写などがオカルト界では有名かもしれませんが、私は可能性あると考えているのは、限りなく医療行為に近くて胡散臭いんですが、ハンドパワーの方です。というのは、医学の世界では、経済学のような因果推論というものはほとんど重視されておらず、単なる統計的な有意性で病気やケガを治しているように私には見えるからです。例えば、統計的にはセックスと妊娠はほぼ無相関なのだそうですが、明らかに因果関係をなしているのは、高校を卒業したレベルの知性を持った日本人であれば理解していることと思います。同様の知性があれば、喫煙と発がんの間に一定の相関があることも情報として知っている可能性が高いと私は考えますが、不勉強にして、その因果関係はどこまで明らかになっているかは私は知りません。おそらく、単に統計的に有意な発がん率の差が喫煙者と非喫煙者の間にある、という事実だけではないかと想像しています。その昔は、ナイフでケガをしたら、傷口とともにナイフの方にも塗り薬を塗布していたらしいですから、このあたりはオカルトに近いのかもしれません。

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最後に、前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社新書) です。著者は紛れもなくバッタの研究者です。バッタの中でも、アフリカで数年に1度大発生し、農作物に大きな被害を与えるサバクトビバッタだそうです。エコノミストの私はもちろん専門外であり、相変異を示すものがバッタ(locust)、示さないものがイナゴ(grasshopper)というのも知りませんでした。当然に実感ありませんが、日本人研究者がサハラ砂漠のバッタを研究することもあるんだ、というくらいの感想です。そして、人工的な研究室で飼育実験ばかりで野生の姿を見たことがなかったバッタの研究のため、ポスドクで研究資金を獲得してモーリタニアの研究所に2年間の予定で滞在し、本書はその間の研究とともに生活などを中心に取りまとめられています。新書としては異例のぶ厚さなんですが、読んで驚いたのは、バッタという昆虫に対しても、アフリカ途上国に対しても、著者がまったく上から目線を示していない点です。同じ高さの目線で、というよりも、ひょっとしたら、著者の自虐趣味かもしれませんが、さらに低い視点からバッタやモーリタニアを詳しく描写しています。私も開発経済学の専門家として、途上国に入ることもありますし、「指導」と称する業務を担当したこともありますが、こういった現地事情や現地人はもとより、研究対象に対する真摯な姿勢は見習いたいものだと感じました。ただ、現地語に対する学習意欲が異様に低い点は気にかかりましたが、私もジャカルタ滞在の折にマレー・インドネシア語を勉強しようとも思わなかったですし、スペイン語圏の大使館勤務をしながら、せっせと英語を勉強していたクチですから、大きなことはいえません。バッタに関する研究については何の基礎知識なくとも、モーリタニアやバッタに関して、とても実態に迫ったノンフィクションが楽しめます。

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