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2017年11月11日 (土)

今週の読書も経済書は少ないながらも教養書や小説をがんばって計8冊!

今週は少し仕事の方に余裕があり、夜はせっせと読書に励んでしまいました。経済書らしい経済書は読まなかった気がしますが、地政学をはじめとして教養書・専門書の方はそれなりに読みましたし、小説と新書も2冊ずつ借りて読みました。計8冊、以下の通りです。

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まず、山田謙次『社会保障クライシス』(東洋経済) です。著者は野村総研で社会保障や医療・介護関係のコンサルタントを務めています。まあ、社会保障については、もっとも大口で所得に直接に影響を及ぼす年金ばかりが注目を集めていますが、本書では医療や介護に目を配り、2025年にはいわゆる団塊の世代がすべて75歳超になって後期高齢者になることから、現在の歳入構造のままでは政府財政が破たんするリスクがある、と警告を発しています。本書の冒頭で、そもそも、として、現在の政府の歳入と歳出の総額を上げていて、要するに、歳入、というか、国民の側から見た税負担はかなり低く抑えられている一方で、歳出は社会保障を中心に北欧などの高福祉国並みの規模になっている点を明らかにしています。一時、政府財政について「ワニの口」と称されていましたが、現在でも歳入と歳出のギャップは縮小しておらず、さらに、2025年には団塊の世代がすべて75歳超となり、医療と介護を中心に大きな公的負担の増加が見込まれる、と結論しています。200ページ余りの短い論考ですから、要約していえばそれだけです。本書の特徴のひとつとして、かなり判りやすく数字をキチンと上げている点があり、例えば、75歳超の後期高齢者になると、医療・介護費用がこれまでとは段違いに多くなる点については、医療費は全国民の平均は年間30万円程度である一方で、70歳で80万円、80歳になると90万円に上昇したり、加えて、介護が必要になる人の比率は、65歳では3%程度だが、75歳を過ぎると15%に上がり、80歳で30%、90歳で70%となる、などと解説を加えています。そして、恐ろしいのは、バブル崩壊後の就職氷河期・超氷河期に大学卒業がブチ当たり、正規の職を得られずに不本意非正規職員にとどまっている世代に、この大きな負担がシワ寄せされることです。そして、その上で、本書の著者はいくつかの解決策を提示しており、最大の解決策として国民負担率上昇の容認を上げています。明示的に、国民負担率をGDP比で60%まで許容すべきであると主張しているわけです。この負担サイドの解決策に加えて、給付サイドでは、現在のように自由に医療機関を選んで受診することを止めて、かかりつけ医の指示で受診する医療機関を指定するなど、医療提供体制の縮小を受忍する必要がある、としています。私の従来からの指摘として、マイクロな意思決定の歪みがマクロの不均衡につながっている点があり、それを付け加えておきたいと思います。本書とは直接の関係ありませんが、例えば、日本人は勤勉でよく働いて、統計には表れない生産性の高さを持っている一方で、企業サイドの資本の論理から非正規雇用を拡大して、個人及びマクロの労働力のデスキリングが進んでいるのは明白なんですが、少子高齢化についても、かなり近い減少を感じ取ることができます。すなわち、少子化の一員として、子どもや家族に対してはとても政府は厳しくて、社会保障の分け前もほとんど及ばないという事実がある一方で、高齢者にはとても手厚い社会保障が給付され、高齢者にオトクな経済社会体系ができ上がっています。子どもを出産して子育てするのに不利な社会経済である一方で、高齢者には優しい社会経済であるわけですから、少子高齢化がゆっくりと進むのは当然です。統計などでエビデンスを求めるのはムリなんですが、若者が東京に集まるのと同じ原理で、国民が子どもを産まなくなって高齢者に突き進む現象が観察されるわけですから、シルバー・デモクラシーに抗して社会保障のリソースを高齢者から子どもや家族に振り向ける政策が求められていると私は考えています。

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次に、高橋真理子『重力波発見!』(新潮選書) です。著者は東大理学部を卒業した朝日新聞の科学ジャーナリスト、なんですが、定年近い私よりもさらに年長そうなので、かなりのベテランなんだろうと思います。タイトル通りの内容で、約100年前にアインシュタインの一般相対性理論から予想された波である重力波についての解説です。そして、その前提として、ニュートンから始まる古典物理学や天文学、もちろん、アインシュタインの相対性理論から時間や暦の理論まで、一通りの基礎的な知識も前半部分で展開され、私のような専門外のシロートにも判りやすく工夫されている気がします。科学ジャーナリストとして、一般読者の受けがいいのは宇宙論と進化論であるとズバリといい切り、私もそうかという気がしてしまいます。重力波がどんなものかが分かれば、宇宙の成り立ちが理解できるといわれている点は理解した気になっていますが、誠に残念ながら、私には重力波の観測がどこまで重要な科学的事業であるかは判断できず、せいぜい、ノーベル賞に値する事業なんだと受け止めるくらいです。でも、重力波の基となる時空の歪み、そして、その時空とは何かについて、少しは理解が進んだ気がします。時間については、本書にもあるように、その昔は世界中で不定時だったわけで、日本の例なら、夜明けとともに日付が変わり、日暮れまでを等分していたわけです。もちろん、夜は夜で等分されていましたから、日の長い夏と逆の冬では時間の長さが違っていたわけですが、それは相対論的な違いではありません。それから、暦については、まさに権力の賜物であり、『天地明察』にある通りで、ユリウス暦とはローマ皇帝の権力の象徴でしょうし、グレゴリオ暦からは欧州中世における教会の知性と権力をうかがい知ることができます。なお、どうでもいいことながら、何かで読んだ不正確な記憶ながら、その昔は、というか、ローマ時代の前は月は1年に10か月だったところ、ひと月30日くらいにそろえるために、無理やりに1年12か月にしたらしいといわれています。2か月不足するので、7月にはジュリアス・シーザーの名が、8月にはアウグストス・オクタビアヌスが入れ込まれています。英語にも名残りがありますが、9月のSeptemberは明らかに「7」ですし、10月のOctoberも「8」です。タコをオクトパスと英語でいうのは足が8本だからです。さらにどうでもいいことながら、日本の数字の数え方は中国の影響で10進法ですが、英語は12進法で13からは10+3、というか、3+10のように表現しますが、ラテン語では15進法です。16から10+6で表現します。1年の月数を12としたのはひと月の日数が30日という区切りなんでしょうが、それをローマ時代に決めた後、その当時としては後進地域だった英語圏で数字の数え方が固まったような気がしないでもありません。たぶん、それまで英語圏では数字の数え方はとてもいい加減だったのではないかと勝手に想像しています。最後の最後に、私が知る限り、世界のかなり多くの言語圏で日本語でいう「新月」が誕生の意味、まさに「新しい」という意味で捉えられています。英語ではNew Moonといいますし、ラテン語でもご同様です。私はこの年になってもまだ知りませんが、満月を「新しい」と受け取る民族がどこかにいるような気もします。最後に、本書の書評に立ち戻って、なかなか私のようなシロートにも判りやすい良書だと思います。何かの折に触れた著名な物理学者、典型はニュートンとアインシュタインですが、も頻出して親しみを覚えるのは私だけではないような気がします。

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次に、ジェイムズ・スタヴリディス『海の地政学』(早川書房) です。著者は米国海軍の提督であり、NATO最高司令官も務めた海軍軍人出身です。もう一線を引退していますが、さすがに国際機関でも活躍しただけあって該博な地政学的センスは引けを取りません。どこまでホントか私は知りませんが、ヒラリー・クリントン上院議員が大統領候補となる際の副大統領候補最終6人にまで残り、また、トランプ新米国政権からは、国務長官ないしは国家情報長官のポストをと打診されたが断った、とのウワサもあったりするようです。ということで、本書は、まず、太平洋と大西洋から始まって、いくつかの地政学的に重要な海洋について歴史をたどっています。すなわち、地中海の覇権をめぐる古典古代におけるトルコとギリシア、あるいは、ギリシア諸国間、また、ローマとカルタゴなどの海戦、コロンブスやマゼランらに代表される大航海による新大陸などの発見、前世紀における太平洋を舞台にした日米の艦隊戦、台頭する中国や核・ミサイル開発を進める北朝鮮の動向などなど、古今東西の海事史に照らして地政学の観点から現下の国際情勢を見定め、安全保障にとどまらず、通商、資源・エネルギー、環境面にも目を配りつつ、海洋がいかに人類史を動かし、今後も重要であり続けるかを説き明かそうと試みています。地政学的な観点からは、いわゆるシーパワーとランドパワーがあり、日本はほぼほぼ後者になろうかと思うんですが、私なんぞも知らないことに、本書の著者によれば、日本は陸上自衛隊の支出を減らし、海上自衛隊の支出を増やしているそうです。また、専門外の私には及びもつかなかった視点として北極海の地政学的な重要性、特に、単純にこのまま地球温暖化が進むとすれば、2040-50年ころのは北極海がオープンな海になる可能性も否定できず、その地政学的な位置づけも論じています。そして、最後はシーパワーの重要性を強調するわけですが、「海を制するものは世界を制する」という安全保障の観点一点張りな論調ではなく、海を「世界公共財 (グローバル・コモンズ)」と捉えて、世界全体のネットワーク協力を勧めて締めくくっていたりします。基本的に、老人の回顧録的なエッセイなんですが、語っている内容は豊富です。ただ、最後に、基本的に米国の相対的な国力が低下し、平和維持活動などの「世界公共財 (グローバル・コモンズ)」を提供することが難しくなった現状を踏まえているんでしょうが、米国が関与したベトナム戦争は「世界公共財 (グローバル・コモンズ)」の提供だったのかどうかの視点はありません。当然ですが。

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次に、日本安全保障戦略研究所[編著]『中国の海洋侵出を抑え込む』(国書刊行会) です。著者は何人かいますが、防衛相や自衛隊関係の人ではないかと思います。タイトル通りに、いかにして中国の海洋進出を抑えるか、がテーマなんですが、決して日本単独ではなく、安保条約を結んでいる同盟国の米国はもちろん、自由と民主主義や法による統治などの価値観を同じくするオーストラリアやインド、さらには、ASEAN諸国も含めて、東アジアないしアジア広域の問題として取り上げています。そして、結論を先取りすれば、要するに、米国や世界の国連軍などの介入を待てる短期間は持ちこたえられるように軍備を拡大するとともに、有利な地政学的状況を作り出しておく、ということで、当然といえば当然の肩すかし回答なんですが、それに至る事実関係がそれなりに参考になるような気もします。例えば、世界とアジア・太平洋・インド地域の軍事バランス、中国周辺主要国の対中関係の現状、米国の対中軍事戦略および 作戦構想、さらに、中国の東シナ海と南シナ海における軍事力と戦略などに関して、私のような専門外のエコノミストには初出の気がします。お恥ずかしい話ですが、米国のリバランスとピボットが同じ意味で、欧州からアジアに戦略的リソースをシフトすることだとは私は知りませんでした。ただ、単に中国のことを考えればいいというものでもなく、自由と民主主義のサイドにいないロシアと、何といっても北朝鮮がかく乱要因として存在しており、なかなか先を読み切れないのも困りものです。最後に、現象面としては、尖閣諸島の例なんかを目の当たりにして、中国の海洋進出はとても判りやすいんですが、さらに突っ込んだ分析として、予防のためもあって、どうして中国が海洋進出するのか、という謎にも取り組んで欲しい気がします。本書では、中華帝国の再興くらいの誠に心許ない観念論で乗り切ろうとしているんですが、唯物論的に何の必要があって中国が海洋進出を試みているのか、エネルギーをはじめとする資源なのか、あるいは、他に経済外要因も含めて何かあるのか、私は興味があります。それにしても、専門外の私にの能力・理解力不足から、とても難しげな本だった気がします。

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次に、長岡弘樹『血縁』(集英社) です。著者は警察を舞台にしたミステリが人気の売れっ子作家です。私はこの作者の代表作のひとつである『傍聞き』や『教場』などを読んだことがあります。ということで、この作品は血縁や家族に関する短編ミステリ7編、すなわち、「文字盤」、「苦いカクテル」、「32-2」、「オンブタイ」、表題作の「血縁」、「ラストストロー」、「黄色い風船」が収録された短編集です。3作目の「オンブタイ」は何かのアンソロジーに収録されているのを読んだ記憶がありますので、今回はパスしました。冒頭作のタイトルである「文字盤」とは、言語障害者が意思表示のために使うコミュニケーション支援道具だそうで、コンビニ強盗の解決に役立ったりもします。次の「苦いカクテル」と「32-2」は、どちらも法律問題を題材にしており、前者はかつて読んだことのある三沢陽一の『致死量未満の殺人』とおなじようなストーリーで、後者は相続に絡んで推定死亡時刻を定めた民法の条文です。「オンブタイ」を飛ばして、「血縁」はミステリというよりホラーに近く、交換殺人を取り上げています。でも、姉が妹を亡きものとしようとする動機が私にはイマイチ理解不能でした。最後の2作「ラストストロー」と「黄色い風船」はいずれも刑務官、ないし、刑務官退職者が主人公で、なかなか含蓄鋭いストーリーです。「32-2」、「オンブタイ」、「血縁」をはじめとして、どうもイヤ味な人物が続々と登場し、読後感はそれほどよくなかった気がしますし、いつものことながら、いわゆる本格ミステリではなく、状況証拠の積み上げで確率的に犯人を指し示すのがこの作者の作品の特徴のひとつですから、やや物足りない読後感も同時にあったりします。殺人事件については、現実社会で観察される殺人は、この作品にあるように、血縁、というか、家族内での事件がもっとも、かつ、飛び抜けて多いといいます。まあ、座間の事件のようなのはレアケースなわけですので、この作品はかなり現実に即した、とはいわないまでも、現実的なプロットなのかもしれませんが、家族で殺し合う作品がいくつか含まれている分、読後感は悪いのかもしれません。

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次に、相場英雄『トップリーグ』(角川春樹事務所) です。著者は売れっ子のエンタメ作家です。そして、この作品では、役所の名前以外はすべて仮名、というか、架空の名前なんですが、テレビのニュースや新聞の報道にそれなりに接していれば、読めば自然と理解できるようになっています。三田電気という仮名で東芝の経理操作事件を取り上げた『不発弾』と題された前作から続いて、総理大臣は芦田首相ということなので、まあ、何と申しましょうかで、同じシリーズといえなくもありませんが、この作品では、戦後最大の疑獄のひとつであるロッキード事件が題材に取られています。田中元総理が渦中の人となり、商社のルートや右翼のルートなどの3ルートがあり、米国発の汚職事件で我が国の内閣が吹っ飛んだ事件でした。そのロッキード事件を背景に、2人のジャーナリストを主人公に、そして、現在の安倍内閣の官房長官を政界の要の人物に据え、物語は進みます。軽く想像される通り、ロッキード事件で解明され切らなかった右翼のルートが現在の政府首脳まで連綿と連なっている、という設定です。そして、タイトルのトップリーグとは、決して、ラグビーのリーグ戦ではなく、政治家に食い込んでいくジャーナリストの中でも、特に便宜を図ってもらえるインナーサークルの構成者と考えておけばよさそうですが、ラストでそのトップリーグにも、政界らしくというか何というか、表と裏があることが理解されます。命の危険まで感じながら取材と裏付けを続けるジャーナリストとアメとムチで迫る政界トップ、さらに、癒着といわれつつも情報を取るために政治家に密着するジャーナリスト、どこまでホントでどこからフィクションなのか、私ごときにはまったく判りません。まあ、キャリアの国家公務員でありながら、いわゆる高級官僚まで出世も出来ず、霞が関や永田町の上っ面だけしか私は知りませんのでムリもありません。そして、この作品の最大の特徴のひとつは、作者がラストをリドル・ストーリーに仕上げていることです。ストックトンの「女か虎か?」で有名な終わり方なんですが、取材と裏付けを進めた主人公のジャーナリストがアメとムチで迫る政府首脳に対して、報道するのか、あるいは、握り潰すのか、ラストが明らかにされていません。まあ、報道する道が選ばれれば、現実性に対する疑問が生じますし、逆に、握り潰す道が選ばれれば、ジャーナリストとしての矜持の問題が浮上します。いずれにせよ、どちらの結末にしようとも、一定割合の読者から疑問が呈されることになる可能性があり、その意味で無難な終わり方なのかもしれませんが、小説の作者として、何らかの結末を提示する勇気も欲しかった気もします。評価の分かれる終わり方と見なされるかもしれません。

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次に、古谷経衡『「意識高い系」の研究』(文春新書) です。著者は論評活動をしているライターのようで、多数の著書があるらしいですが、私は初めて読みました。なかなか、簡潔かつ的確に要点を把握しており、それを、実例に即して展開していることから、私のような意識の低い読者にもよく理解できた気がします。ただ、私は「系」という感じ、というか、言葉は、英語でいうシステムであって、太陽に対する太陽系のように理解しており、本書のように何かの接尾辞として「もどき」を表現するのは慣れていなかったので、最初は少し戸惑った気がします。本書では「意識高い系」の生態や考え方を批判的に分析していますが、まず、その特徴として、いわゆるリア充との対比を試みていて、リア充がスクール・カースト上で支配階級に属し、それゆえに、土地を離れる必要もなく、地元密着の土着系(この「系」はシステムであって、もどきではない)であるのに対して、意識高い系はスクール・カーストでは中途階級であったのが最大の特徴で、それゆえに、リセットのために上京したり、あるいは、もともと東京であっても大学入学を機にリセットする下剋上的な姿勢がある、というもので、さらに加えて、意識高い系は具体的なものを忌避して抽象的なイメージに逃げ込み、泥臭く努力する姿勢を嫌う、という点を上げています。そして、当然のことながら、事故に対する主観的な評価が、周囲からの客観的な評価に比較してべらぼうに高い、という点は忘れるわけにはいきません。もともとは、2008年のリーマン・ショック後の2009年の就職戦線に出て来た一部大学生のグループらしいんですが、私の周囲の中年に達したビジネスマンにも同じような傾向を持つ人物は決していないわけではないような気もします。私自身は世代的にSNSで自分のキャリアを盛るようなことを、SNSがなかったという意味でそもそも出来なかったわけですし、一応、小さな進学校の弱小とはいえ運動部の主将を務め、成績は冴えませんでしたが、スクール・カーストの中途階級ではなかったように思います。かといって、生まれ育った京都の地から上京して就職して、そろそろ定年を迎えようというわけですから、リア充でもありません。ただ、泥臭く努力することはもう出来ない年齢に達した気もします。たぶん、我が家の本家筋で、私と同じ世代の従弟が京大医学部を出て医者をやっているんですが、彼なんぞが本書でいう土着リア充の典型ではないかという気もします。それにしても、ハイカルの文学やエッセイだけでなく、サブカルのマンガや映画、もちろん、SNSをはじめとするネット情報など、とてもたんねんに渉猟して情報を集めた上での、なかなか鋭い指摘をいくつか含む分析を展開した本だった気がします。私は新書は中途半端な気がして、あまり読まないんですが、こういった本はとても興味深く読めました。

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最後に、旦部幸博『珈琲の世界史』(講談社現代新書) です。著者はバイオ系の研究者であり、この私のブログの昨年2016年5月14日付けの読書感想文で取り上げたブルーバックスの『コーヒーの科学』の著者でもあります。ということで、タイトル通りに、コーヒーの歴史をひも解いています。何となくのイメージながら、緑茶や紅茶などのお茶、あるいは、お酒という名称で一括りにしたアルコール飲料などに比べて、コーヒーはかなり歴史が浅い印象があります。本書でも起源はともかく、歴史としてはせいぜい数百年、アフリカのエチオピアを起源に、欧州からインドネシアや米州大陸をはじめとして世界各地に広まっています。Out of Africa というタイトルの映画がありましたが、ホモ・サピエンスの我々現生人類と同じでアフリカから世界に広まった飲み物です。タイトルは世界史なんですが、高校の社会かよろしく、1章を割いて日本史も語られています。著者によれば、日本におけるコーヒーはガラパゴスのように独自の進化を遂げているようです。そして、前世紀終わりから21世紀にかけてはスターバックスなどのスペシャルティ・コーヒーの時代に入ります。私はコーヒーはかなり好きで、京都出身ですのでウィンナ・コーヒーで有名なイノダがコーヒーショップとして馴染みがあるんですが、いわゆるチェーンの喫茶店としては、ドメなチェーンとして古くはUCC上島珈琲、今ではコメダ珈琲や星乃珈琲など、我が家の周囲にもいくつか喫茶店があります。もちろん、海外資本としてはスターバックスが有名で、青山在住のころには徒歩圏内に3-4軒もあったりしました。こういった喫茶店、カフェに入ってひたすら読書したりしています。また、子供達がジャカルタ育ちなもので、温かい飲み物を飲むのは我が家では女房だけで、よく見かけるタワー型の魔法瓶すらなく、子供達や私は冷たい飲み物限定だったりするんですが、少なくとも私はオフィスではホットのコーヒーを飲みます。1日2~3杯は飲むような気がします。本書の著者も冒頭に書いていますが、歴史だけでなく、好きなコーヒーのうんちく話を少し知っていれば、プラセボ効果よろしくコーヒーがさらにおいしくなるような気がします。

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