今週も、またまた、しっかりと内容も高度ならボリュームもあるという経済学の学術書、教養書や専門書を合わせて、小説抜きで計7冊でした。知り合いのエコノミストから、どうしてそんなに読書が進むのか、という質問を受けたりするんですが、第1に、図書館で借りていていますので、金銭的な負担はごく少なくなっています。第2に、やっぱり、睡眠時間を削って読書に当てているような気がします。今年の新語・流行語に「睡眠負債」というのがありましたが、大いに思い当たるフシがあります。年末年始休みはタップリ寝たいと思います。

まず、神林龍『正規の世界・非正規の世界』(慶應義塾大学出版会) です。著者は一橋大学の准教授であり、専門はマイクロな労働経済学です。出版社からしても、400ページをかなり超えるボリュームからしても、それなりに高度な計量経済学的な手法を用いた分析であることからしても、本書は完全な学術書と考えるべきであり、とてもキャッチーなタイトルながら、一般のビジネスパーソンにはやや敷居が高いかもしれません。ということを前提に、本書で主張されている正規と非正規に関する結論を、あえて誤解を恐れずに短く表現すると、少なくとも、本書でスコープとしている2007年までのデータに基づく限り、正規から非正規にシフトしているわけではなく、18~54歳に限ったコアな労働力人口に占める正規の割合は45%から50%近くで1980年代から大きな変化ないことを考えると、繰り返しになりますが、マクロの労働力で見て正規から非正規にシフトしたわけではなく、自営業というインフォーマル・セクターから非正規にシフトしたと考えるべきである、ということになります。実は、本書でも指摘している通り、我が国の労働経済学では自営業というインフォーマル・セクターを無視してきたことは確かであり、第3部で分析されているように、日本の自営業が1980年代初頭ですら労働力の25%超を占め、さらに、2015年くらいまで一貫してそのシェアを低下させてきたのは、私もほのかに認識していたとはいうものの、ほとんど初見に近い見方であるといわざるを得ません。2015年時点でほぼほぼ他の先進国と同じ10%くらいのシェアに低下しましたので、今後の動向については先進国と似た動きをする可能性もありますが、少なくとも、個人のパーソナル・ヒストリーというマイクロなレベルではなく、マクロなレベルで正規から非正規にシフトしたのではなく、自営業から非正規にシフトした、というのはデータを見る限り、かなり真実に近いと私は受け止めました。さらに、リーマン・ショック後に注目された派遣労働者についても、せいぜいが100万人から150万人のレンジであって、6000万人を超える我が国の就業者から見れば、決してシェアは高くない、というのも事実であろうと思います。加えて、過去の慣行とまで見なされるようになった日本的雇用慣行、すなわち、長期雇用、年功賃金、企業内組合、についても、第3の労働組合がいまだに企業内組合であるのは、組織率が大きく低下した点を別にすれば、おそらく誰にでも観察される事実であろうとは思いますが、長期雇用や年功賃金も必ずしも崩壊したわけではなく、コアな正規雇用者にはまだまだ残存している可能性も本書は示唆しています(p.147)。そうかもしれません。というか、それだけに、政府でモデル世帯のように見なされている夫婦と子供2人で専業主婦、というか片働きの世帯というのは、大きく社絵を落としながらも、まだ、モデル的な世帯形態としては有効性がいくぶんなりともあるのかもしれません。そして、現在、使用者側から強く主張されている解雇規制の在り方については、本書でも指摘されているように、日本では米国などと比較して、ボーナスのシステムなどがあって賃金の柔軟性が高く、ケインズ経済学で仮定される賃金の下方硬直性が低いことから、解雇をひとつの極端な方法とする量的な調整の必要性が低かったのが一因と考えています。すなわち、現在の労働規制緩和を進めてしまうと、賃金調整の柔軟性が高く、しかもその上、量的な調整の柔軟性も高い、という何でもありのオールマイティーな労働調整の権利を使用者側に与えかねない不安が私にはあります。いかがなもんでしょうか。最後に、とても有益な読書だったんですが、2点だけ指摘しておきたいと思います。第1は、先ほどの正規と非正規のシフトについては、私も慎重に書きましたが、2007年までのデータに基づいた結論ではないかという気がします。リーマン・ショックとその後の Great Recession を経て、この結論がそのまま通じるのかどうか、データの利用可能性とともに再検証が必要かもしれません。第2は、p.164で、2007年データでは有期契約の方が無期契約よりも時間賃金が高い要因として、プロフェッショナルな契約社員が増加している点を上げていますが、違う要素も含まれていると思います。すなわち、景気変動による調整要員であるがゆえに、サブプライム・バブル崩壊直前の好況期には、それなりのプレミアムを上乗せした賃金が必要とされた可能性があると私は考えています。

次に、島澤諭『シルバー民主主義の政治経済学』(日本経済新聞出版社) です。著者はシンクタンクのエコノミストであり、世代間不平等について、いくつか論考も発表しているようです。本書では、計量的な手法により、中位投票者モデルに基づいて、いわゆるシルバー民主主義にはなっていない、すなわち、中位有権者の高齢化の進行が、社会保障支出における高齢者VS現役世代の比率を上昇させているかどうかを検定した結果、実証的には注意年齢の係数が有意にマイナス、逆符号となるとの結果を示しつつ、でも、シルバー優遇は生じている、との結論を取っています。そして、シルバー民主主義が否定される代わりに、というか、何というか、現役世代と引退世代が結託して将来世代からの移転を受けている、要するに、財政赤字が問題である、との結論に飛びついています。計量的に中位投票者モデルに基づいてシルバー民主主義が否定されるのは、私としても、実証分析の結果ですのでそうだろうとは思うんですが、いきなり、財政赤字悪者論に飛躍し、財政赤字は財政的な幼児虐待とする結論は理解できません。しかも、財政赤字に対しては、本書では説得的な対応策が示されているとはいいがたい気もします。私自身は、シルバー民主主義ないしシルバー優遇は、民主主義の生物学的な限界であり、誠に情けない結論ながら、解決策らしきものは見いだせていません。せいぜい、楽観的に高齢者の利他的な動機に訴えるとか、間接民主主義の下で、本書でも注目している「民意」を政治家が歪める、くらいしか考えつかず、何ら説得的な解決策でないのは理解しているつもりです。でも、本書では真っ向から民意を反映するのがいい政治のように評価しているような気もします。しかし、少なくとも、英米における2016年の国民投票の結果、すなわち、BREXITとトランプ大統領の当選については、国民投票で結果が示されてしまえば、もうどうしようもありませんが、間接民主主義では、民意から遮断された政策決定が可能な気もします。もちろん、それはよくないという、何らかの価値判断はあり得ると思います。ということで、かつて、私が読んだ本で田原総一朗『頭のない鯨』というのがあって、その昔は、選挙で当選した代議士の要求であっても、当時の大蔵省の主計局が査定で予算を削ってしまえば政策として実現しない場合もある、として、間接民主主義下での民意と政策の遮断を論じていたような気がしますが、それにしても、現在ではそういった大蔵省=頭がなくなった日本経済という巨大な鯨が漂流している、というイメージかもしれません。ともかく、本書のように最後に財政赤字が悪い、と結論すれば、世代間不平等は財政赤字解消により縮小するかどうかは、基本的に独立事象であって関係ないと考えるべきですので、本書の重要なテーマであるシルバー民主主義や世代間不平等の議論はかなり歪められかねないと危惧しています。それよりも、必ずしも定量的な評価でなくてもいいので、国民=主権者が年齢を重ねる、すなわち、老いる場合に選好関数にどのような変化が現れるか、といったもっと大きなテーマも考えて欲しい気がします。

次に、クレイトン M. クリステンセンほか『ジョブ理論』(ハーパーコリンズ・ジャパン) です。著者はクリステンセン教授以外にも何人かコンサルタント会社の幹部などが名を連ねているんですが割愛します。クリステンセン教授については、破壊的イノベーションに関する理論などで著名なハーバード・ビジネス・スクールの研究者です。本書の英語の原題は Competing against Luck であり、2016年の出版です。邦訳タイトルに「ジョブ」という単語を入れていますが、英語の原タイトルにはありませんし、雇用や労働などとは関係なく、イノベーションの源泉として「ジョブ」という言葉を定義し直しています。ジョブの定義やジョブ理論の概要は本書ではp.58本書でから始まります。簡潔に要約すると、頻出する表現として job to be done というのがあり、要するに、顧客が成し遂げたい必要な作業の本質、ということになろうかという気がします。その意味で、「ジョブを雇用(hire)する」という表現を使っています。なお、本書ではジョブとニーズを違うと強調していますが、私のようなシロートには重なり合うところが好きうなくないような気がします。誰の表現か忘れましたが、顧客はドリルが欲しいんではなく、穴を開けたいのである、といった趣旨かと私は受け止めました。本書の表現に即していえば、イノベーションの成否を分けるのは、地域と人口動態で分類した顧客データ、すなわち、東京在住の30歳台男性の消費の特徴とか、この層はあの層と類似性が高いとか、顧客の68%が商品Bより商品Aを好むなど、や、市場分析、スプレッドシートに表れる数字ではなく、鍵は「顧客の片づけたいジョブ(用事・仕事)」である、ということになります。そうでなければ、英語の原題にあるように、行き当たりばったりで運まかせのイノベーションになってしまう、ということなんだろうと思います。行き当たりばったりのイノベーションのほかにやや批判的な見方をされているものがいくつかあり、例えば、ビッグデータは顧客が誰かは教えてくれても、なぜ買うのかは教えてくれない、とか、同じ文脈で、相関関係ではなく因果関係が重要であり、同時に、数値化できない因果関係にこそ、成功するイノベーションの鍵があるとか、高齢者向けの紙オムツの例を出して、自社製品も他社製品も買っていない無消費の層を取り込む必要性、などに目を向けるべきと強調しています。本書で取り上げられている成功例は、主として、大企業であってニッチを埋めたスタートアップではありません。すなわち、イケア、ゼネラルモーターズ(GM)のオンスター、サザンニューハンプシャー大学の通信講座、プロクター&ギャンブル(P&G)、エアビーアンドビー、アマゾンなどなどです。そして、その意味で、本書の手法はいわゆるエピソード分析であり、データ分析ではありません。本書の最後の方にはその言い訳があり、イノベーションについてのデータ分析の偏りを批判していますが、私には同様の疑問があり、エピソード分析では常に成功例しか表面に現れず、水面下に沈んだ失敗例についても興味あります。キチンと、失敗例の原因も明らかにされていれば、それなりに、エピソード分析も意味ありそうな気もしますが、少なくとも本書には見られません。そこは残念に感じました。

次に、 オーウェン・ジョーンズ『チャヴ 弱者を敵視する社会』(海と月社) です。著者は英国の評論家であり、かなり若い人です。英語の原題は CHAVS です。タイトルは、Councile Housed and Violent の頭文字を取ったもので、直訳すれば「公営住宅に住み、暴力的」ということになります。低所得の労働者階級に対する蔑称です。本書は、一言で表現すれば、サッチャー政権以降の新自由主義的な経済政策の下で、労働者階級 working class がいかに崩壊し、マルクス主義的な用語を用いれば、ルンペン・プロレタリアートに近くなったか、についてジャーナリスト的な筆致を持って跡付けています。このブログでも、『ヒルビリー・エレジー』、『アメリカを動かす「ホワイト・ワーキング・クラス」という人々』、『われらの子ども』などで、米国における同じような労働者階級の現状については取り上げて来ましたが、本書では英国における労働者階級の現状にスポットを当てています。米国における新自由主義的な経済政策運営は1981年のレーガン政権からなんですが、英国では1979年のサッチャー政権からです。標準的なエコノミストの理解とは少しズレがあるかもしれませんが、本書の主張では、いずれも、新自由主義的な経済政策により自国通貨が増価して製造業の空洞化を招くとともに、労働組合などに対する厳しい対決姿勢やあからさまな弾圧により、中流階級が就いていたメインストリームの製造業の decent job が失われ、本書の表現では、コールセンターの電話対応やそれこそスーパーのレジ打ちや清掃作業のような職しか残らなくなったとしています。そして、CHAV がさらに低所得の生活保護受給者をバッシングし、移民を敵視し、社会保障給付が削られていくばかりになり、メディアでは貧しい人々を野生動物のように観察し、さらし者にしている現状、そこに、日本でも一時流行った「自己責任」という言葉で福祉をさらに削減し、低所得者を貶めて弱者を蔑む風潮を助長している社会について考えようとしています。しかし、残念ながら、いかにして包括的な経済政策が必要か、あるいは、そういった経済政策はどういうものか、については十分な議論がありません。というか、そこまで論考が及んでいません。マルクス主義は救いにはならないんでしょうか。かつての労働組合活動のような団結した運動が消滅させられ、社会が分断され、それが差別につながり、底辺への競争や貧困の罠が社会のいろんなところに見られる中、先ほど上げた米国に関する本で要約されているような現実や本書でフォーカスしている英国の現状は、ひょっとしたら、日本の未来かもしれません。私自身は現在のアベノミクスは新自由主義的というよりも、『この経済政策が民主主義を救う』で主張されていた通り、かなりリベラル、あるいは、左翼的といっていい経済政策運営をしているように受け止めていますが、日本の将来を考える上でも重要な1冊だという気がします。
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次に、柳田辰雄[編著]『揺らぐ国際システムの中の日本』(東信堂) です。編者の柳田教授は開発経済学も含めて、経済学に軸足を置きつつ学際的な領域の研究を展開している東大教授です。奥付けの著者略歴にあるように、今世紀に入ってからJICA専門家としてインドネシア財務省に派遣されており、国家開発企画庁に派遣されていた私と任期が重なっており、私も何度かジャカルタでお会いした記憶があります。ということで、著者とタイトルにも引かれて読んでみましたが、かなり期待外れでした。本の内容としては、経済学を含めて学際的というよりは、システマティックでもなくバラバラに寄せ集めた内容と考えるべきです。2部構成となっており、第1部で国際システムの理論、第2部で国際システムの制度がタイトルとなっています。でも、特に第2部は通貨制度、貿易制度、などなど、単発で連携なく各分野の解説が並べられています。そのレベルも、偏差値が高い高校ないしは偏差値が低い大学の初学年といったところのような気がします。その昔に私が出向していた大学であれば、副読本くらいの扱いではないかという気がします。入ったばかりの1年生であっても、教員がついて授業で開設するようなレベルではなく、ヒマを見つけては自分で独習する素材ではないかという気がします。ただ、各章が短く記述されてコンパクトであり、エッセンスを手軽に理解する、というか、深い理解を求めるよりも、学際的と称して幅広く、広く浅い基礎知識を得るにはいいのかもしれません。本書の読書に対して、大きな期待は禁物です。今週の読書の中で、というか、最近にない一番のハズレでした。

次に、岩間優希『PANA通信社と戦後日本』(人文書院) です。聞きなれない通信社名ですが、戦後1949年に「アジアの、アジア人による、アジアのための通信社」として宋徳和により香港で設立され、その後、時事通信に吸収され、今では時事通信フォトの社名になっている通信社で、設立資金がタイガーバームの創業家から出たという逸話もあるそうですが、判然とはしません。現在の業務内容からしてもフォトジャーナリズムを中心とする通信社であったことが判るんではないでしょうか。著者はジャーナリズム論を専門とする研究者ですが、学術書というカンジではなく、一般向けの教養書としてスラスラと読むことも出来ます。各章ごとに中心に据えられている人物がいて、第1章ではフォトジャーナリストの岡村昭彦にスポットが当てられています。ベトナム戦争取材による写真が有名で、その後、米国のライフ誌にも寄稿していたりして、それなりの知名度があるように思います。第2章は設立者の宋徳和からPANA通信社を任された元報道カメラマン・近藤幹雄による経営努力、また、第3章はPANA通信社を傘下に収めて「太平洋ニューズ圏」を夢見た当時の時事通信社社長であった長谷川才次の野望にスポットが当てられています。なお、岡村昭彦は経営合理化を進めた近藤社長と袂を分かってPANA通信社を離れています。しかし、読ませどころは日本国憲法制定にも影響を与えたといわれる創業者の宋徳和の生涯を描く第4章、それから、損がポールが日本軍政下で「昭南市」と称されたころに日本語教育を受けた東南アジア総局長・陳加昌を扱った第5章であろうと思います。決して日本人中心のPANA通信社史観ではなく、香港やシンガポールといった華人中心ながらも、それなりに日本を離れたアジアの大都市にフォーカスしたジャーナリズム論が活写されています。また、決して、本格的に取り上げられているわけではありませんが、我が国やアジアのジャーナリズムに大きな影響を及ぼした連合通信の消長なども興味あるところです。日本以外は華人社会中心ながら、アジアとは何か、アジアに根差したジャーナリズムとは何か、もちろん、本書ではオリンピックのメダリストを報じるのではなく、地元選手の活躍や成績を中心に報じる、という意味での地域性もあり得る可能性を示唆しつつ、本書はなかなか興味深いテーマを追っている気がします。私には専門外のテーマですので以下の日経新聞や朝日新聞の書評もご参考です。

最後に、尾形聡彦『乱流のホワイトハウス』(岩波書店) です。著者は朝日新聞のジャーナリストであり、ホワイトハウスのブリーフィングにも出席した経験があるらしいです。ジャーナリストの舘賀から米国も前にオバマ政権と現在のトランプ政権を対比させ、トランプ政権の行く末や日本の対応のあり方なども論じています。やや一方的な印象を持ったのは、現在のトランプ政権のロシア疑惑について、オバマ政権末期に捜査が開始された、というのはまだいいとしても、ニクソン政権期のウォーターゲート事件との類似を指摘して、トランプ米国大統領の弾劾の可能性まで示唆するのは、対立政党の幹部であればまだしも、ジャーナリストとしてはやや行き過ぎた気がしなくもありませんでした。また、第2章のホワイトハウスにおける取材のインナーサークルに関する自慢話は、なかなか面白かったんですが、これだけを読んで、著者がそれなりの高齢に達している印象を持ったところ、奥付けのプロファイルを見てまだ40代だというので少しびっくりしました。ただ、ジャーナリズム論というか、取材の実態をかんがみるに、日本では公式の記者会見場での質疑もさることながら、個人的なコネクションによる裏ブリーフのような場での情報収集も重視されるのに対して、米国、特にホワイトハウスなんだろうと思いますが、公式の記者会見場でのやり取りに緊張感を持って臨み、そこでキチンとした質問をして回答を得る重要性が強調されており、まさか、この著者が裏の情報収集ルートにアクセスを持っていなかったとは思えませんから、日米の表と裏の使い分けの違いはそうなんだろうという気がしました。私自身のオバマ政権とトランプ政権に対する評価としては、本書の著者の見方にかなり近く、オバマ政権の時の国際的にオープンかつリベラルな政策の方を強く支持していますので、その政策的な対比についても本書の見方には共感できるものがありました。ただ、オバマ政権下での安全保障政策でもっとも注目すべきであるのは、私はごく初期のプラハでのスピーチであり、全文をこのブログに引用したほどですが、本書での位置づけはそれほどでもなく、やや、不満に思わないでもありません。でも、それなまだ私の専門外なので許容範囲としても、オープンでリベラルなオバマ政権と現在のトランプ政権で、もっとも大きな対比をなすのは移民政策ではなく通商政策だと私は考えています。その意味で、TPPから脱退、というか、署名前でしたので、TPPに不参加を表明したトランプ政権の政策につき、本書で何らの言及がなかったのには失望しました。
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