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2018年10月13日 (土)

今週の読書はちゃんとした経済書はなく計7冊!

先週はティロル教授の重厚な経済書を読み、来週に予定している読書の本はすでに図書館回りを終えていて、ラヴァリオン教授の『貧困の経済学』上下を借りましたから、またまた重厚な経済書に取り組む予定で、今週はその谷間でマトモな経済書はなし、ということなのかもしれませんが、数はこなした気がします。以下の計7冊です。

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まず、橘木俊詔『ポピュリズムと経済』(ナカニシヤ出版) です。著者はご存じの通り、私の母校である京都大学経済学部の名物教授だった経済学研究者です。本来は労働経済学などのマイクロな分野が専門と記憶していますが、ご退官の後は、幅広く論評活動を繰り広げているようです。ということで、タイトル通りの内容なんですが、英国のBREXITの国民投票とか、大陸欧州における極右政党の伸長とか、何よりも、米国におけるトランプ政権の誕生とかの話題性を追って、ポピュリズムについて論じています。でも、本書こそがポピュリズム的な内容である点には著者ご本人は気づいていないようで、何か「もののあわれ」を感じてしまいます。ポピュリズムについて、典型的には、私はナチスを思い浮かべるんですが、著者は、その昔の「左右の全体主義」よろしく、南米のペロン大統領や最近までのチャベス政権などを念頭に、左翼のポピュリズムの存在も視野に入れたと称しつつ、右派の米国トランプ政権やすランスの国民戦線ルペン党首などの極右政党についても、左右両方のポピュリズムと称して同一の切り口で論じようとムチャなことを試みて失敗しています。どうしてムチャかといえば、右翼的なナショナリズムが内向きで排外的で、そして何よりも、ポピュリズムの大きな特徴である多元主義の排除と極めて大きな親和性がある一方で、左翼はインターナショナリストであり外向きで体外許容性に富んでいます。まさに多元主義の権化ともいえます。ナチス的な雇用の重視を持って、著者はポピュリズムの特徴と捉えているようですが、笑止千万です。俄勉強でポピュリズムを論じると、このような本が出来上がるという見本のような気がして、私も肝に銘じたいと思います。

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次に、稲葉振一郎『「新自由主義」の妖怪』(亜紀書房) です。著者は明治学院大学の研究者であり、社会哲学が専門だそうです。本書では、マルクス主義的な歴史観、すなわち、唯物史観を持って新自由主義の資本主義の段階を解明しようと試みていますが、私の目からは成功しているように見えません。19世紀後半にマルクスが大英博物館にこもって『資本論』を書き上げた時点では、ビクトリア時代の大英帝国がもっとも発達した資本主義国家であり、マルクス主義的な歴史観からすれば、資本主義から社会主義に移行する場合、もっとも発展した段階にある資本主義国が社会主義に移行するのが必然と考えられます。しかし、英国に社会主義革命は起こらず、レーニンの分析によれば独占資本が支配的とな理性産物だけではなく資本の輸出が行われるような帝国主義の段階が資本主義最後の段階であり、社会主義の前夜とされるようになります。さらに、まったく発達した資本主義ではなかったロシアとか中国で革命が成功して社会主義に移行し共産主義を目指すことに歴史的事実としてなるわけですが、他方で、欧米や日本などの先進国ではスミスなどの古典派経済学的な夜警国家を超えて、不況克服などのために、あるいは、いわゆる市場の失敗の是正のために、国家が積極的に資本主義に介入して国家独占資本主義が成立します。資本の側からはケインズ政策を応用した福祉国家の成立とみなされます。そして、1970年代の2度の石油危機と同時にルイス的な二重経済が終わりを告げて、典型的には日本の高度成長期が終了して、ケインズ政策の有効性が疑問視されて、1980年ころから英国のサッチャー政権、米国のレーガン大統領、日本の中曽根内閣などにより新自由主義的な経済政策、あるいは、その背景となるイデオロギーが幅を利かせ始めます。こういった歴史的事実に対して、本書の著者は、極めて唐突にも、産業社会論を持ち出したり、ケインズ政策への賛否などを考察した上で、マルクス主義的な歴史観と新自由主義の背景に同一とまではいわないものの、かなり似通った要因が潜んでいると指摘します。私には理解できませんでした。マルクスのように英国に発達した資本主義の典型を見たり、あるいは、レーニンのように資本輸出に特徴づけられた帝国主義が資本主義の最終段階であり社会主義の前夜であると見たりするのは、それぞれの個人の歴史的なパースペクティブにおける限界であり、生産力の進歩が見られる限り、何と名付けようと、どのような特徴を持とうと、資本主義は生き残りを図るわけですから、おのおのの観察者のパースペクティブに限定されることにより、資本主義の最終段階=社会主義の前夜を設定するかは異なるはずです。この自明の事実を理解せずに、教条的にマルクス主義的な歴史観からして、どの段階が資本主義の最終段階=社会主義の前夜かを論じるのはまったく意味がないと私は考えます。

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次に、グレゴワール・シャマユー『ドローンの哲学』(明石書店) です。著者はフランスの国立科学研究所の研究者であり、専門は科学哲学だそうです。原書のフランス語の原題は Théorie du drone であり、直訳すれば「ドローンの理論」となり、2013年の出版です。タイトルはかなり幅広い門構えになっているんですが、本書で焦点を当てているのはドローンの軍事利用、しかも、ほとんど偵察は取り上げておらず、殺人や破壊行為に限定しているように私は読みました。もちろん、こういった戦争や戦闘における殺人や破壊行為にドローンを用いる非人道的な面を強調し、強く非難しているわけです。ただ、私から見て戦争や戦闘そのものが大きく非日常的な非人道的行為であり、そこで用いられる兵器ないし何らかの道具は非人道的な色彩を帯びざるを得ないという気がします。銃でもって人を殺せば殺人罪に問われる法体系の国が多いと私は推察しますが、戦争において戦時法体系化で銃器で敵国の兵隊を殺せば、あるいは、勲章をもらうくらいに推奨ないし称賛される行為となり得る可能性があります。ですから、通常の刑法の体系とはまったく異なる戦争法規があり、実感はないものの、軍法会議という裁判形態があることはよく知られた通りです。加えて、銃器や戦闘機、軍艦などは戦争や戦闘に特化した兵器である一方で、とても非人道的に見える究極の兵器としては核兵器があり、これはその爆発力を平和利用することも可能です。もちろん、核兵器を平和利用した原子力発電その他であっても、事故の際の甚大な破壊的影響は残るとの意見はあり得ますが、ドローンは平和利用がより可能、というか、そのような破壊的な危険が極めて小さい道具といえます。その意味で、平和利用ではなく、ドローンを戦争や戦闘で利用する非人道性を強く非難すべきであると私は考えており、本書の著者の視点とのズレが大きいと感じました。

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次に、デイヴィッド・ライク『交雑する人類』(NHK出版) です。著者はハーヴァード大学医学大学院の遺伝学を専門とする研究者であり、ヒト古代DNA分析における世界的パイオニアといえます。本書の英語の原題は Who We Are and How We Got Here であり、今年2018年の出版です。日本語タイトルからは判りにくいんですが、要するに、現生人類ホモサピエンスないしその直前くらいのネアンデルタール人やデニソワ人などの旧人類を視野に入れ、現生人類の起源について、地球上でいかに移動し接触し交雑したか、特に、ホモサピエンスの出アフリカ以降の移動・接触・交雑を追って考察しています。ただ、本書でも指摘していますが、DNA分析でなく文化的な考古学的出土品、例えば、土器とか石器を研究対象とする場合、ヒトが移動したのか、それとも、その文化が伝えられたのかの識別が困難なんでしょうが、DNAで直接分析を実施するとヒトが移動し、かつ、邦訳タイトルにあるように、新旧人類間での接触と交雑があったのかどうかが明確に把握できます。その結果、交雑の中で遺伝的な特徴を失ってしまったゴースト集団の動向も含めて、とても興味深い事実が多数提示されています。加えて、第2部では地域別にヨーロッパ、インド、アメリカ、東アジア、アフリカにおける人類史をひも解いています。そして、やや論争的なのが第3部です。現生人類はホモ・サピエンスの1種であるのに対して、いわゆる人種がいくつか観察されるのも事実であり、白人もしくはコーカソイド、黒人もしくはネグロイド、そして、モンゴロイド、とあり、加えて、ナチスの時代に遺伝学はアーリア人の支配を正当化するために大きく歪められた、という歴史があるのも事実です。本書ではそれほど取り上げていませんが、旧ソ連でもスターリン的に歪められた遺伝学の系譜があったような気もします。本書の著者は、人種は遺伝的な特徴を備えた側面もあり、決して100%社会的なものではない、と考えているように私は読みましたが、本書が強調しているのは、人類集団間において些細とはいえない遺伝学的差異がある、ということであり、これは、人類集団間には実質的な生物学的差異はなく、集団内の個人間の差異の方がずっと大きい、とする「正統派的学説」とは異なります。さらにいえば、「政治的正しさ」ポリティカル・コレクトネスに反していると解釈されても不思議ではありません。トランプ政権下の分断的な米国政治情勢下では許容される可能性が大きくなった気もしますが、私にはやや気にかかりました。

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次に、ジム・アル=カリーリ[編]『サイエンス・ネクスト』(河出書房新社) です。我が家は5分も歩けば県境を超えて埼玉県に行けるような位置にあるんですが、その隣接の埼玉県にある市立図書館の新刊書コーナーに借りてもなく並べてあったので、ついつい手が伸びてしまいました。英語の原題は What's Next? であり、2017年の出版です。編者は英国の物理学の研究者であるとともに、テレビやラジオの科学番組のキャスターを務めているようです。ということで、第1部の人口動態や気候変動などの経済学とも馴染みの深い分野から始まって、第2部の医療や遺伝学、第3部の細菌話題のAIや量子コンピューティングやインターネット上の新技術、第4部の素材や輸送やエネルギー、第5部の惑星間航行やタイムトラベルや宇宙移民といったSFに近い話題まで、世界の科学者はいま何を考えているのか、幅広い分野の科学者たちが極めて判りやすく解説しています。内容がとても多岐に渡っていますので、私のような科学とはやや縁遠く専門分野の異なる人にも、何らかの興味ある部分が見い出せそうな気がします。英語の原題を見ても理解できる通り、邦訳タイトルとは少しニュアンスが違っていて、科学だけでなく社会動向や工学を含め、さらに、惑星間航行に基づく宇宙移民といったSFに近いようなトピックも含めていて、とても幅広く興味深い話題を集めています。私のようなエコノミストからすれば、社会の生産や生活に及ぼす技術動向が気にかかるところで、特に、AIなどが雇用に及ぼす影響などがそうです。現在までは新技術は雇用を奪う以上に新しい雇用を生み出してきており、ですから、歴史的に振り返ればラッダイト運動などは「誤った方向」だったと後付で言えるんですが、現在進行形のITC技術革命、2045年と言われているシンギュラリティの到達などなど、気にかかるところです。本書をちゃんと読めば何かのインスピレーションを得られるような気がします。

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次に、ドナルド R. キルシュ & オギ・オーガス『新薬の狩人たち』(早川書房) です。英語の原題は The Drug Hunter であり、邦訳タイトルはかなり忠実に原題を伝えていると考えてよさそうです。著者2人は、そのドラッグハンターとジャーナリストの組み合わせです。経済学は、数学を用いた精緻なモデル設計によって物理学や化学と親和性が高い一方で、医学や薬学とは作用の経路や因果関係が不明ながら経験的な数量分析により効果が計測できるという類似性も持っていると私は考えています。もちろん、私の専門に近い経済社会の歴史的な発展を生物的な進化に見立てる場合もあります。ということで、私は他のエコノミストと違って医学や薬学の本も読書の対象に幅広く含めていて、本書のその一環です。本書では近代以降における薬、特に新薬発見の歴史を植物由来の薬、合成化学から作る薬、ペニシリンなどの土壌に含まれる微生物から抽出した薬、そして最近のバイオ創薬まで、場は広く薬が生まれた歴史を跡付けています。アスピリンが初めて患者に投与されてから70年超の年月を経てようやく受容体が特定された、などなど、どうして薬が効くのか、その作用機序が明らかでなくても、何らかの実験により統計的に薬効が認められるか脳性が大きく、そこが実験のできない経済学、というか、マイクロには実験経済学という分野が広がっているものの、景気変動に関して財政学や金融論を中心としてマクロ経済への影響という点では実感が不可能な経済学とは違うところです。もちろん、経済学に引きつける必要はありませんが、薬の歴史についてのちょっとした豆知識的な話題を集めています。ただ、日本ではほとんど存在を感じさせませんが、クリスチャン・サイエンスのように医学的な治療や薬物の摂取を拒否する宗教も、例えば、米国では大きな違和感なく社会的存在として認められていますので、その点は忘れるべきではないかもしれません。

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最後に、市田良彦『ルイ・アルチュセール』(岩波新書) です。フランスのマルクス主義哲学者であるタイトルのアルチュセールに関する本であることは明らかなんですが、それをイタリア的なスピノザの視点から解き明かそうと試みています。すなわち、アルチュセールについては、偉大な哲学者という側面と妻を殺めた狂気の人という両面の評価があり、まったく同時に、マルクス主義に立脚している一方でカトリック信者であることを止めなかった、という両面性も考える必要があります。マルクス主義といえば、あるいは、そうなのかも知れませんが、私から見れば、アルチュセールはマルクス主義の本流を大きく外れるトロツキストの理論的基礎を提供しているような気がしてなりません。それは、フランスの構造主義、あるいは、ポスト構造主義に立脚するマルクス主義がかなりの程度にそうなのと同じかもしれません。本書で特にスポットを当てているアルチュセールの研究成果は『資本論を読む』であり、誠に残念ながら、フランス語を理解しない私にとっては邦訳が1989年であり、すっかり社会人になってからの時期の出版ですので、手を延ばす余裕もなく、よく知りません。なお、本書の著者は神戸大学をホームグラウンドとする研究者であり、私の母校での1年先輩、すなわち、浅田彰と同門同学年ではなかったかと記憶しています。参考まで。

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