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2019年3月 2日 (土)

今週の読書は本格的な生産性に関する経済専門書からエンタメ小説まで計8冊!

今週の読書は生産性に関する経済書をはじめとして、教養書や専門書などを含めて、さらに、米国大統領経験者が共著者となっているエンタメ小説まで、以下の通りの計8冊です。今日も図書館回りはすでに済ませており、文庫本が入るので、来週もそれ相応の冊数を読みそうな予感です。

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まず、森川正之『生産性』(日本経済新聞出版社) です。著者は経済産業総研の副所長であり、官庁エコノミストです。生産性、特にサービス業の生産性を専門分野のひとつとしています。本書では、「実務家」という表現で、ビジネスパーソンにも判りやすく、決して学界の専門家だけを対象とはしていません。広く生産性についての解説や実証研究などのサーベイを盛り込んでいます。もっとも、生産性と成長率の関係についてだけは、あまりに長期の関係ですので、これだけはアプリオリに生産性が向上すれば成長率も高まる、と仮定しているように見えます。ただ、現在の「長期不況」= secular stagnation の一因としての生産性との関係については、IT技術革新の成果が2000年代半ばまでに出尽くしたのと教育投資による人的資本の改善がピークアウトした2点をインプリシットに主張しています。そうかもしれません。また、最近話題になっているトピックについてもいくつか取り上げられており、例えば、AIやロボットによる雇用の代替効果については、そもそもカールワイツのような2045年シンギュラリティに素朴な疑問を呈するとともに、代替される労働は日本でもせいぜい10%足らずとの実証研究を引用していたりしますし、政府の進める働き方改革は、生産性向上に対する効果については疑問であり、労働者の福利改善と理解すべきと主張しています。外国人労働の受け入れについても、地方経済活性化の効果は限定的と分析しています。ただ、本書は供給サイドと生産性の関係だけを論じており、私から見て生産性について論じる場合、需要との関係が本書には決定的に欠けているような気がします。すなわち、あくまで短期的な関係かもしれませんが、資本生産性であれば、短期的には稼働率と生産性は正の相関関係があります。かなり正確に比例関係といっていいかもしれません。労働生産性は資本生産性ほどの比例的な関係ではありませんが、需要との相関は高いと考えるべきです。需要が高まれば労働生産性も高まります。ですから、本書のような長期的な視点ももちろん重要ですが、中期的に、例えば、バブル崩壊後の「失われた20年」で我が国の生産性が停滞したのは、イノベーションや人的資本や教育とかではなく、我が国の需要が盛り上がらなかったからではなかろうか、という短期的な視点をまったく無視するのは適当ではないような気がします。

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次に、デービッド・アトキンソン『日本人の勝算』(東洋経済) です。著者は、ゴールドマンサックスのエコノミストを務め、今では京都で美術工芸社の経営者をしています。何冊かのシリーズで似通った本を出版しているんですが、私もいくつか読んでいて、少しずつビミョーに論調を変化させていますが、経済実態が変化しているんですから、それは当然としても、底流にあるのは、日本人の労働者が優秀である一方で、経営者は水準が低く、高スキルの労働者を低賃金で雇えているのだから、日本企業に競争力があるのは当たり前である、という事実です。本書では、特に、高齢化や少子化などの影響により、社会保障財源のためにも優秀な日本人労働力をさらに生産性を高める必要がある、という論旨で一貫しています。ですから、今年始まる外国人剤の受け入れや消費税率の引き上げなどに小手先の政策対応ではなく、本書では最低賃金の引き上げによる賃金の全般的な底上げにより、逆に、効率や生産性を高める、という方策を推奨しています。その背景には、同様の最低賃金引き上げを実施した英国の例が引用されています。加えて、成人教育の充実も半ば強制的に実施することを提唱しています。本書では言及されていませんが、ノーベル賞も受賞したアカロフ教授が高賃金による贈与経済的な高生産性の実現をモデル化しています。やや、アカロフ的なモデルとは違っていますが、高賃金で経営者に労働の効率化を図り、同時に、労働者のインセンティブも高める、という結果に関しては、ここ何年か試みられた「官製春闘」に似た発想かもしれません。でも、今春闘はこれをギブアップして、安価な外国人労働力の導入という真逆の政策に切り替えたわけですし、「1人勝ち」とメディアに称される安倍内閣ですらできなかった賃金引き上げですから、どこまで本書の政策提言が有効なのかは、私は測りかねています。

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次に、ジョン・ルイス・ギャディス『大戦略論』(早川書房) です。著者は米国イェール大学の研究者であり、米ソ冷戦史が専門です。英語の原題は On Grand Strategy であり、邦訳タイトルはそのままだったりします。2018年の出版です。本書は、著者が米海軍大学校で講じた「戦略と政策」の内容も踏まえ、古典古代のペルシャ戦争やペロポネソス戦争から始まって第2次世界大戦までを対象に、孫子、マキアヴェリ、クラウゼヴィッツの3大家をはじめ、トゥキュディデスからリンカーンまで古今の戦略家・思想家を数多く取り上げ、大戦略の精髄を凝縮して戦略思考の本質を浮き彫りにすることに挑戦しています。ということで、大戦略とは、著者によれば、無限に大きくなる可能性ある願望に対応して、それを実現する能力が有限であるため、その間でバランスをとる必要がある、ということだとされています。本書ではまったく取り上げる素振りもありませんが、東洋の片隅に位置する我が国近代化の過程の中では、日清戦争と日露戦争、特に後者の終わり方に典型的に現れていると私は考えています。そして、このバランスを失したのが第2次世界大戦の終わり方であり、バランスを取るために必要と著者が力説する常識=コモンセンスが当時の我が国には欠けていた、ということになろうかと思います。ただ、私自身はその前段で緻密な情報収集と分析の能力も不可欠だと考えます。そして、本書では一般的な自然科学や社会科学で応用されるようなモデルを前提とする分析ではなく、歴史を分析しケーススタディを繰り返すことを重視しています。個別のケーススタディから汎用的なモデルを抽出して理論構築するのではなく、歴史学の観点から個別の事実を数多く集めて、それを応用することにより将来のあり得る事態におけるよき選択の導きを見出す、という方法論を取っているわけです。そして、繰り返しになりますが、そのスダンが理性であり、常識ともいいかえることができる、と結論しているわけです。個別の観察された事実から共通する要因としての理論やモデルを構築するのではないのは、近代科学の方法論ではないんですが、それだけに戦争というのは各ケースでモデルとして抽象化できる要素は少ない、もしくは、より平たくいえば共通性がない、と著者が考えているのだと私は受け止めています。そうかもしれません。ニュートンはリンゴが落ちるのを見て万有引力の法則を導いたわけですが、古典古代の戦争から第2次世界大戦までの戦争の歴史をかえりみても、共通のものさしで図れる部分は少ない、ということです。なお、どうでもいいことながら、歴史家の意見が一致する点で、米国の歴代大統領のうちでもっとも歴史的な貢献が高いのはリンカーンだと本書の著者は示唆しています。これも、そうだろうという気がします。

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次に、ウンベルト・エーコ『ウンベルト・エーコの世界文明講義』(河出書房新社) です。著者は、ご存じの通り、現代のイタリアのみならず世界を代表する知識人でしたが、2016年に亡くなっています。イタリア語の原題は Sulle spalle dei giganti Umberto Eco であり、著者死後の2017年の出版です。本書は、基本的に、最終章を除いて、2001年から15年までのミラネジアーナという文学・文化・芸術イベントにおける著者の講義・講演の記録を取りまとめたものです。ただ、何年か抜けていますので、15年間で15章ではなく11章です。それに最終章を加えた12章構成となっています。おそらく、エディタの編集にして正しいのではないかと私は思いますが、議論はあるかもしれません。すなわち、エーコ教授が生きていれば違う編集をした可能性は排除できません。それは別にして、本書の各章に通底するのは、美と真実に関する著者の見方、あるいは、美学と真実について延々と10年超に渡って語っている、というのが私の印象です。そして、読者としての私にすれば、美よりも真実の方に力点を置く読み方になってしまいます。でも、専門外ですから当然としても、かなり難解です。真実の相対性を否定し、絶対性を力説することから始まり、真実に対比する概念として、嘘、間違い、偽造などから、秘密を経て、最後は陰謀まで引っ張ります。嘘と間違いは意図の有無で区別されるので判りやすく単純な一方で、最終的な陰謀については、秘密結社が企むものもあって、とても胡散臭いわけですが、そこは、さすがのエーコ教授といえ、薔薇十字団やテンプル騎士団の伝説、フリーメーソンやユダヤの議定書といった陰謀説の歴史と同じ文法で、ケネディ暗殺や9.11テロに関する陰謀説に対する著者の考え方がかなりクリアに示されます。こういった数々の実例を上げつつ、「陰謀症候群の歴史は、世界の歴史と同じくらい古い」と述べる著者の博識には舌を巻きます。その上で、特に『ダ・ビンチ・コード』については明記して取り上げています。ダン・ブラウンのラングドン教授シリーズについては、私は最新刊の『オリジン』まですべて読んでいるつもりですが、さすがに、フィクションの小説では底が浅い、というか、逆に、エーコ教授の知識の該博さには圧倒されます。美と真実のうちの校舎の真実について長々と感想文を書きましたが、前者の美に関しては、数多くの図版をフルカラーで収録し、それを眺めるだけでも本書の価値あり、と考える読者もいそうな気がするくらいです。

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次に、相澤冬樹『安倍官邸vs.NHK』(文藝春秋) です。著者はNHK大阪放送局(BK)の記者として森友事件の取材にあたった経験を持つジャーナリストです。今はNHKを辞職して大阪日日新聞の記者のようです。ということで、本書は森友事件の取材メモのような体裁で、NHK内部での取材メモやメールのやりとりなども赤裸々に引用されていますが、私のような読者が期待する森友事件の真実を明らかにする目的で公刊されたわけではないようです。ですから、事件発覚後の著者の取材過程や関係者の動向などは本書でかなり明らかにされていますが、事件発覚前、というか、実際に誰によって何がどのような意図のもとになされたのか、という事件をさかのぼった事実解明は本書の眼目ではありません。この点は忘れずに読み進むべきです。本書のタイトルは、いかにも安倍官邸からの圧力に抗してNHKのジャーナリストが報道しようと試みたプロセスを収録しているように見えますが、私が読み逃したのかもしれないものの、安倍官邸からの圧力はまったく出現しません。少なくとも、本書の著者が安倍官邸からの圧力を感じたとは思われません。もちろん、NHK報道局長などの幹部からの圧力が著者の記者にかかったことは記述されていますし、おそらく、直接ではないにしても忖度レベルかも知れないですが、何らかの安倍官邸からの圧力はNHKに対してあった可能性は否定できないものの、本書では実証されていません。広く知られた通り、大阪地検特捜部の結論は全員不起訴、すなわち、公判維持は困難、ということだったのですが、森友事件の実態とともに、この地検特捜部の意思決定の過程にも光を当ててほしかった気がするんですが、ここも消化不良で終わっています。私の期待が筋違いだったのかもしれませんが、ジャーナリストとしての取材の心がけや取材対象との接し方などの記者としてのあるべき姿はよく見えるんですが、NHK内部の幹部と現場記者との関係はともかく、安倍官邸との関係についてはタイトル倒れのような気がします。森友事件に関しては、かなりの程度に事実関係は明らかになりながら、その事実の背景、特に安倍官邸との関係については、何も国民には明らかにされていないわけですから、ジャーナリストとしてその点を掘り下げてほしかった気がします。

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次に、太田省一『テレビ社会ニッポン』(せりか書房) です。著者は社会学者・文筆家であり、テレビと戦後日本社会の関係をメインテーマとしています。本書は、タイトル通りに、テレビ論なんですが、「人はなぜテレビを見るのか?」という問いを発して、回答としては、視聴者が自由を得るためであり、テレビは自作自演的習性、つまり「自分でやったことなのに素知らぬふりをする」習性を持つ一方で、視聴者は番組に出演したり、ツッコミを入れたりしながらも、テレビを実質放置しており、戦後、暗黙の共犯関係によるテレビ社会ニッポンが誕生した、と主張しています。テレビの65年余りに及ぶ歴史を検証し、転換期にあるテレビと視聴者の未来、ポストテレビ社会を展望しようと試みています。 ということで、通例通りに、1950年代のテレビ放送の始まりに際して、プロレス、あるいは、力道山から話が始まります。そして、テレビから放送されるコンテンツとしてはプロレスをはじめとするスポーツはすぐに忘れられて、基本的に、いわゆるバラエティとワイドショーに的が絞られます。ドラマについては目配りされますが、バブル期のトレンディドラマくらいが取り上げられるだけで、ニュース報道にてついてはワイドショーで代表されている印象です。そして、私がもっとも不満に感じているのはアニメがまったく無視されている点です。そして、アニメが無視されていますので、21世紀の現代におけるテレビとゲームの関係がスッポリと抜け落ちています。典型的にはポケモンです。もちろん、ドラえもんやジブリについても、本書では何の言及もありません。ついでながら、ウルトラマンなどの特撮もアニメほどではないにしても、サブカルながら我が国を代表する文化です。忘れるべきではありません。加えて、米国テレビからの影響についても、ワイドショーがスポンサーのヴィックスの関係もあって、NBCの Today をベースにしている点しか触れられておらず、『クイズ100人に聞きました』がABCの Family Fued をベースにしているとかも、まさかと思いますが、ご存じないんでしょうか。テレビ初期の『ライフルマン』や『逃亡者』などについても、我が国テレビ界への影響力という点では忘れるべきではありません。何か所か「テレビが社会になった」という点を力説していますし、有名な「1億総白痴化」も言及されていますが、テレビ業界の内幕を中心とした内容のような気がします。少し物足りない読後感でした。

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最後に、ビル・クリントン & ジェイムズ・パターソン『大統領失踪』上下(早川書房) です。著者は1990年代に2期8年の米国大統領を務め、弾劾裁判にも生き残ったクリントン元大統領と米国の売れっ子エンタメ小説作家パターソンです。英語の原題は The President Is Missing と邦訳タイトルはそのままであり、2018年の出版です。要するに手短かにいえば、タイトルそのままに米国大統領がホワイトハウスから失踪する事件です。そして、どうしてかといえば、米国を標的とする強力なサイバーテロに対処するためです。ということで、現在もしくは近未来をの米国を舞台にしたエンタメ小説であり、サイバーテロリストと電話で連絡を取り合い、そのテロリストが命を狙われていた際にCIAエージェントの1人を犠牲にしてまでもテロリストの命を救った、という嫌疑で議会の公聴会への出席を求められ、場合にっよっては弾劾裁判にも進もうかという男系の米国大統領がホワイトハウスから失踪し、サイバーテロの防止が可能な人物との接触を試みます。そして、結局、ドイツやイスラエルの首脳と協議のうえでカギとなるウィルス無力化のパスワードを探しつつ、国内の対立党との政争や駆け引きに神経を消耗し、さらに、ロシアとの対外関係にも気を配る、というストーリーです。加えて、大統領自身の暗殺を狙うテロリストとシークレットサービスとの攻防戦も見ものです。さらにさらに、で、政権あるいはホワイトハウスの内部にも内通者がいることが明白で、そのあぶり出しや最後のどんでん返しなどなど、エンタメ小説としての面白さが満載です。主人公の米国大統領がどの政党なのかは明記されていませんが、政党のシンボルがロバですから民主党と推察されます。共著者の1人がクリントン元大統領なんですから当然です。そして、私が見た範囲では初めてかもしれないと思うのが、米国大統領が1人称でストーリーを進めている点です。大統領が話者となっている章とテロリストの側の章とが入り混じっているんですが、米国大統領がストーリー・テリングをしている小説なんて、私は初めて読みました。でも、ホワイトハウス内部の事情やシークレットサービスとの関係など、大統領経験者でなければ知りえない情報が盛り込まれているのかもしれません。ミステリとしてのホワイトハウスないし政権の内通者については、かなり底が浅くてすぐに判りますが、エンタメ度はかなり高くて楽しめる読書でした。いつもながら、翻訳者のひとりである越前敏弥の訳はとてもスムーズでリーダブルでした。

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