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2019年4月27日 (土)

今週の読書は経済書や『左派ポピュリズムのために』をはじめ計8冊!

今週は、以下に9冊リストアップしていますが、読んだのは実は8冊です。最初に置いたのは、ご寄贈いただきましたのでフォントも大きくして宣伝に努めております。今週の読書は経済書に加えて左派応援書もあります。経済成長懐疑的なタイトルの本もありますが、中身はジャーナリストらしくキチンと整理されたもので、闇雲に反経済学的な内容では決してありません。今日から10連休という人も多いような気がしますが、私は特に遠距離の外出はしませんし、読書感想文は定例の土曜日に限らず随時アップし、いつも通りに、読書とスイミングに励みたいと思います。ブログに取り上げる予定の経済指標の公表は米国雇用統計くらいのもので、日本国内の経済指標公表は少しの間お休みです。

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まず、ヤニス・バルファキス『黒い匣』(明石書店) です。しかしながら、ご寄贈いただいたのですが、先月末の定年退職前に私が在籍していた役所の研究所にお届けいただき、私の手元に来るまで少しタイムラグがありましたので、誠に恥ずかしながら、読み始めたものの読み終わっていません。2段組みで600ページ近いボリュームですので、かなりの読書量を誇る私でも時間がかかっています。今日から始まる長いゴールデン・ウィーク中には何としても読み終えて、貴重なご寄贈本ですので単独にて取り上げたいと予定しています。それほど時間はかからないつもりですので、今しばらくお待ち下さい。

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まず、クリス・ヒューズ『1%の富裕層のお金でみんなが幸せになる方法』(プレジデント社) です。本書の英語の原題は First Shot であり、2018年の出版です。著者のクリス・ヒューズは、何といっても、ハーバード大学に進学しマーク・ザッカーバーグのルームメイトとなり、ファイスブックの共同創業者から億万長者となったことで米国でも有名であり、次いで、その巨万の富を足がかりに、2008年の米大統領選でオバマ陣営のネット戦略を指揮したり、リベラル系の老舗雑誌を買収して経営に乗り出したりしています。本書は、基本的には、著者の半生を綴った自伝なんだろうと思いますが、アメリカの堅実な中流家庭に育った努力型の秀才と自称しつつ、自身の半生を振り返っていて、恒例の方の自伝のように自慢めいた部分がなくはないものの、自身の半生で、あるいは、米国の経済社会で、反省あるいは修正すべきポイントもいくつか提示されています。例えば、ですが、ザッカーバーグのルームメイトという運の良し悪しが、ファースト・ショットとして、何世代も継承されるような格差を生む「勝者総取り社会」に疑問を感じ始めます。フェイスブックの株式公開により巨万の富を得た点は、宝くじに当たったようなものだと自覚しています。ほとんどの米国人はこういった幸運に恵まれず、自動車事故や入院などのための緊急出費も捻出できないのに、他方で、幸運を持って億万長者になれる、それはそれで、米国的なサクセスストーリーなのかもしれませんが、そんなことが可能になる社会は何かが歪んでいると考えています。私はこれも健全な思考だと受け止めています。そして、著者自らの富と経験を注ぎ込んで、米国ではなく、サックス教授らと発展途上国における経済開発の実践に取り組んだりしています。それらの結果として、解決策が年収5万ドル未満層への保証所得にあるとの結論に至っていますが、同時に、所得制限なしのユニバーサルなベーシックインカムには否定的です。その原点は職業的な天命のようなものにあるんではないか、とうかがわせる記述がいくつかあったりします。私自身は、著者の主張するような「負の所得税」まがいの保証所得ではなく、ユニバーサルなベーシックインカムが正解だと考えています。というのは、著者は職を持って働いて、何らかの賃金、というか、所得を得ることの重要性を指摘しているわけですが、それは取りも直さず資本主義的な経済活動への参加を促しているわけです。私は、必ずしも経済活動でなくても、例えば、無償のボランティアなどの社会参加活動でもOKだと考えています。もちろん、私のような考えには、現在も存在する生活保護を悪用するような反社会的組織のようなものがつけ込むスキがあったりするわけですが、所得を得られる敬愛活動だけでなく、必ずしも金銭的な報酬を目的とせず、広く社会参加活動を重視すれば、やっぱり、ユニバーサルなベーシックインカムの方がより優れた制度ではないでしょうか?

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次に、デイヴィッド・ピリング『幻想の経済成長』(早川書房) です。著者は Financial Times をホームグラウンドとする英国のジャーナリストであり、東京支局長の経験もあります。英語の原題は The Growth Delusion であり、2018年の出版です。ジャーナリストらしく、GDP/GNPがクズネッツ教授により開発された歴史なんぞをひも解きつつ、GDPないし経済統計の正確性や計測すべきポイントなどを明らかにした上で、経済政策の目指すべきポイントについての議論を展開しています。類書では、経済統計のメインをなすGDPについて否定したり、あるいは、エネルギーや環境とのサステイナビリティの観点からゼロ成長を推奨したりといった、私のようなエコノミストの目から見てメチャメチャな経済成長否定論ではなく、GDPの統計としての把握のあり方と現在の経済活動とのズレ、あるいは、GDP出は買った経済規模と国民の幸福感のズレ、などを正面から議論の対象にしています。まず、本書では自身がなかったのか、明記していませんが、スミスの『国富論』では経済社会における富とは製造業だけが生み出せるものであり、サービスはまったく無視されていた点は重要です。20世紀に入ってクズネッツ的なGDP/GNPではサービスは当然に経済活動に含まれて、生産高に算入されるわけですが、本書でいえば、第5章に明記されているように、インターネットの普及に伴って、一部のサービスが専門業者の生産から家計で生産するようになって、GDP/GNP統計に反映されなくなったのは事実です。例えば、従来でしたら旅行代理店に行って宿の手配をしていたところ、家や職場からインターネット経由でホテルの予約ができるようになっています。また、Airbnb や Uber などのシェアリング・サービスの普及もGDP/GNPの観点からは成長率の押し下げ要因となる可能性があります。ただ、これらが国民生活の幸福度や利便性の観点からマイナスかというと、そんなことは決してありません。逆に、選択肢の増加などによって幸福度にはプラスの影響すらありえます。こういった観点からインターネットやモバイル機器を使いこなす若者の幸福観を論じたのが、日本でいえが古市憲寿だったりするわけです。こういった統計としての限界、というか、GDP/GNP統計が開始された時代から経済モデルが明らかに変化したわけですから、新しい統計が必要なわけで、統計家かエコノミストがサボっているのか、あるいは、能力が不足しているのか、新しい指標がまだ出来ていないわけです。そこで、ブータン的な幸福度指標が注目されたりするわけですが、本書でも疑問を呈しています。主観的な幸福度を政策目標にすることについては私はハッキリ反対です。極めて極端な主張かもしれませんが、健康状態が悪くて寿命が短くても、消費生活が貧しくても、識字率が低くても、薬物により主観的な幸福度が高ければOK、ということになりかねないからです。ですから、主観的な幸福度あるいはエウダイモニアではなく、客観的な生活の利便性や豊かさ指標のようなものを国民の合意により形成する必要があると私は考えています。健康指標、文化指標、もちろん、経済指標などの組み合わせからなる総合的な社会指標の統計が必要ではないでしょうか?

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次に、伊藤元重『百貨店の進化』(日本経済新聞出版社) です。著者は我が国を代表するマクロ経済分野や国際経済学の権威の1人です。なぜに、百貨店についての本を書いているのかは不思議な気もしますが、百貨店協会創設50週年で20年前に百貨店の本を書いているようですし、私の記憶でも『吉野家の経済学』の共著者だったように覚えていますから、こういった経営的な分野もお得意なのかもしれません。ということで、バブル崩壊直後の1991年に売上のピークを迎えて、その後はいわゆるジリ貧状態にあり、売上げだけを見れば、百貨店よりもコンビニの方が伸びているわけながら、百貨店の草分けともいえる三越をはじめとして、いわゆる老舗のお店が少なくない、というのも百貨店業界だったりするわけで、著者も、100年継続する企業であるからには、それなりに時代の変化への対応力があるんではないか、と示唆しています。確かに、アマゾンや楽天などのネット通販に加えて、メルカリなどのネットを通じた中古品販売も急成長しており、ジリ貧の百貨店業界とは好対照をなしている一方で、アマゾンがリアルの実店舗の展開を始めたりしているのも事実です。もちろん、これだけ外国人観光客の訪日が増加してる中で、インバウンド消費の恩恵に預かれるのは、ネット通販ではなく実店舗、特にドラッグストアと百貨店であると私も聞いたことがあります。逆に、成長著しいアジアをはじめとする海外展開も必要です。我が家が今世紀初頭にジャカルタで3年間暮らした折にも、ジャカルタにあるそごうですとか、シンガポールの高島屋に足を運んだ記憶があります。我が家のジャカルタ生活から20年近くが経過し、インターネットの普及や発達とともに消費者が利用可能な情報は飛躍的に増加しており、消費者の選択の幅も広がっている一方で、消費の実店舗の場合、いまだに集積に一定のメリットがありますから、レストランのように隔絶した世界にある一軒家のレストランでの消費は別にして、物販の消費の場合は集積した百貨店やショッピングモールに利便性が認められるのも忘れるべきではありません。アパレル製品、特に、婦人服と一蓮托生で成長を享受してきた百貨店の歴史はその通りなんでしょうが、高齢化と人口減少が進めば消費のパイは確実に減少を続けます。その小さくなる一方のパイの奪い合いの中で、本書にはない視点ながら、「働き方改革」の進行する中で、個人消費者相手に休日が少なく営業時間が長い百貨店が、どのような経営戦略を持って成長を図る、あるいは、地盤沈下を食い止めるのか、私自身は百貨店は大好きですし、それほど買い物はしないまでも、モノではなくコトを消費する場として重要だと考えていますから、これからの合従連衡の業界集約とともに、本書のタイトル通りの「百貨店の進化」に期待しています。

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次に、シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』(明石書店) です。著者はベルギー出身で現在は英国ウェストミンスター大学の研究者です。英語の原題は For a Left Populism であり、邦訳タイトルはほぼほぼ直訳といえます。2018年の出版です。私は少し前まで、県庁エコノミストにして左派、というビミョーな立ち位置にあったんですが、そのころから、立命館大学の松尾匡教授のご著書などを読むにつけ、かなり硬直的と言うか、教条的な左派の訴えに対して、もっと国民の幅広い層から指示されるような経済政策を提示すべき、と考えてきたところで、本書は、経済学ではなく政治学的なアプローチながら、基本は同じような発想に基づいているような気がします。ということで、極めて正しくも、戦後の政治経済史について、本書では1970年代までの経済が順調に成長してきた時代について、福祉国家の拡大、労働運動の前進、完全雇用の政治的保証といったケインズ的な経済政策に支えられたものと捉え、そのケインズ主義的な経済政策が1970年代の2度に渡る石油危機でインフレが進む中での景気後退というスタグフレーションにより終焉し、新自由主義的な経済政策が取って代わった、と理解しています。すなわち、本書の著者のホームグラウンドでいえば英国保守党のサッチャー政権であり、本書では登場しませんが、米国ではレーガン政権なわけです。我が国では中曽根内閣といえるかもしれません。そして、英国のサッチャー政権の炭鉱ストに対する態度は、これまた、本書には登場しませんが、米国レーガン政権の航空管制官ストに対する姿勢と基本的な同じなわけです。そして、こういった新自由主義的な経済政策を背景に、企業活動が野放しに利潤追求を行い、そして、経済格差が拡大したわけです。しかしながら、2007~08年の Great Recession の中で、大銀行は政府から資本注入を受けて救済される一方で、教育や社会福祉といった政府支出は大いに削減され、不景気による失業の増大も相まって、国民生活は急速に悪化を示したわけですから、新自由主義的な経済政策も破綻した、と考えるべきです。そして、2016年の英国のBREXIT国民投票や米国大統領選挙でのトランプ大統領の出現、あついは、フランス大統領選挙での国民戦線の躍進をはじめとする大陸欧州でのポピュリスト政党の支持拡大などにより、ケインズ的な福祉国家、新自由主義に続く第3の段階が始まったわけです。そして、本書では、ポスト構造主義とマルクス主義をブリッジする理論的な政治学のフレームワークを提供しようと試みています。それが、ラディカル・デモクラシー、あるいは、本書の著者の表現を借りれば、民主主義の根源化、ということになります。これだけを見ると、日本社会に即せば講座派的な二段階革命論に近い気がして、私は好感を持ちました。民主主義は1人1票という完全平等論に基づいていますが、資本主義は購買力、すなわち、手持ちの利用可能な貨幣量によってウェイト付された平等観です。ですから、資本主義をラディカルに民主主義化することが必要で、それは社会主義革命に先立つわけです。二段階革命論の正当性といえます。ただ、経済学に基づく経済政策も実践的かつ経験的な面が大きいんですが、政治学というよりも、本書のターゲットは政治的な運動論でしょうから、経済学よりもさらに実践的かつ経験的な結果を出すことが求められます。ですから、今後の左派政党による実践を待ちたいと思います。

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次に、ヘレン・トムスン『9つの脳の不思議な物語』(文藝春秋) です。著者は医学部出身ながら医者ではなく、英国のジャーナリスト・サイエンスライターです。英語の原題は Unthinkable であり、2018年の出版です。単純なものであれば、命令にも必ず従ってしまう「ジャンパー」と呼ばれる人々がいる、というウワサのような情報からお話が始まり、最後もそれで締めくくられます。その中で、邦訳タイトルにあるように、人間の脳に関する9つの奇妙な症例について、その症状を呈しているご本人や周囲の人に対するインタビューなどを通じて明らかにしようと試みています。本書でも何度か言及されているように、オリバー・サックスの著書のような趣きがあります。ということで、それが第1章から第9章まで並んでいて、具体的に章タイトルを上げると、第1章 完璧な記憶を操る、第2章 脳内地図の喪失、第3章 オーラが見える男、第4章 何が性格を決めるのか?、第5章 脳内iPodが止まらない、第6章 狼化妄想症という病、第7章 この記憶も身体も私じゃない、第8章 ある日、自分がゾンビになったら、第9章 人の痛みを肌で感じる、となります。古典古代から、人間らしい心や知能の働きは頭の脳ではなく、心臓に宿ると考えられていましたが、現在では脳の働きとされていることは広く知られている通りであり、同時に謎の多い分野でもあります。各省全部を取り上げるわけにもいきませんが、例えば、第1章では生後9か月から、日々の完全な記憶がとどめられている症例であり、逆にいえば、忘れるということの意味も同時に問うています。第2章では自分の家で迷子になっておトイレにも行けないような症例、一般的には方向音痴と称される例の極端なものが取り上げられます。もちろん、逆に、『博士が愛した数式』のように、極端な短期しか記憶がとどめられない例も取り上げられています。こういった脳の働きにおけるいくつかの症例を取り上げつつ、必ずしも、以上と成城の議論には深入りしていませんが、やや関心も向けつつ、議論を進めています。私の関心が向いたひとつの例は第4章で、特に、育った環境の異なる双子についても、かなりの性格の一致が見られる、というものです。それだけを取り上げると、性格は環境ではなく遺伝子で決まる、と結論しそうになりますし、私の実体験としても、我が家の倅2人の兄弟について見るにつけ、遺伝子の働きは偉大だと感じずにはいられませんが、その遺伝子がどのように受け継がれるかについては少し疑問も残ります。また、何らかの問題行動、反社会的な行動、あるいは、ハッキリと犯罪行為があった場合などについては、本人の意思や判断の免罪を主張するようで、違和感もあります。すなわち、およそ地球上で最高の治世を持つと考えられる霊長類の人類にして、単なる遺伝子の運び手であるとすれば、いったい、自分とは何なのか、最後の究極の疑問に突き当たる気もします。

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次に、有栖川有栖『こうして誰もいなくなった』(角川書店) です。作者の作家デビュー30周年を記念して、平成最後にいろいろと、というか、ハッキリいって、脈絡なく、作者ご自身の単行本未収録作品を集めています。「有栖川作品の見本市」というのが宣伝文句ですし、上の表紙画像にその雑多な雰囲気が見られると私は考えています。この雰囲気は、先週の4月20日付けの読書感想文で取り上げた山内マリコの『あたしたちよくやってる』と似ているんですが、『こうして誰もいなくなった』は小説のみを収録していて、エッセイなどは含んでいません。作者ご本人の前口上にもあるように、ファンタジー、ホラー、本格ミステリがグラデーションをなすように並べられているようで、発表順といった編年体とかではありません。ただ、未収録作品集だけに、作者のシリーズに登場する江神二郎とか、火村英生といったおなじみの名探偵は登場しません。まあ、仕方ないんでしょう。収録作品は以下の14編で、最後の本書タイトルと同じ表題作は短編というよりも、独立した単行本として発行されてもおかしくないような内容の本格ミステリで、後述の通り、クリスティ作品『そして誰もいなくなった』を下敷きにしていますが、結末は大きく違っています。ということで前口上が長くなりましたが、収録作品は、「館の一夜」、「線路の国のアリス」、「名探偵Q氏のオフ」、「まぶしい名前」、「妖術師」、「怪獣の夢」、「劇的な幕切れ」、「出口を探して」、「未来人F」、「盗まれた恋文」、「本と謎の日々」、「謎のアナウンス」、「矢」、「こうして誰もいなくなった」となっています。なお、あとがきに作者ご本人から、かなり詳しい解説が提供されていますので、立ち読みの範囲でもかなりの情報を得ることが出来そうな気がします。なお、作者ご自身の単行本に未収録とはいえ、何らかのアンソロジーに収録されている作品も多く、逆に、ラジオ番組の朗読用原稿なので今まで活字になっていない作品もありますが、私は4話が既読でした。収録順に、「線路の国のアリス」は推理作家協会編集のアンソロジー『殺意の隘路』にて、また、「劇的な幕切れ」はアミの会(仮)編集のアンソロジー『毒殺協奏曲』にて、「未来人F」は『みんなの少年探偵団 2』にて、「本と謎の日々」は『大崎梢リクエスト! 本屋さんのアンソロジー』にて、それぞれ読んだ記憶があります。特に、「劇的な幕切れ」が収録されている『毒殺協奏曲』は、つい今月の4月7日付けの読書感想文で取り上げています。でも、やっぱり、もっとも印象的なのは表題作の「こうして誰もいなくなった」です。130ページ余りの本書の中でも最大のボリュームですし、クリスティ作品と同じく通信の途絶した孤島での連続殺人事件です。不勉強な私にはお初の登場で、響・フェデリコ・航という奇抜な名探偵が登場します。同じ京都系の新本格ミステリ作家である麻耶雄嵩作品のメルカトル鮎に少しネーミングが似ていて、事件解決に邁進します。江神二郎とか、火村英生と同列に論ずるべき名探偵ではないかもしれませんが、密かにシリーズ化することを期待している読者もいそうな気がします。私は江神二郎と火村英生の2人で十分です。ひょっとしたら、火村英生だけでも十分かもしれません。

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次に、佐々木閑『大乗仏教』(NHK出版新書) です。著者は京都にある花園大学の仏教学科の研究者であり、仏教に対するかなり柔軟なお考えの持ち主と私は見ました。青年と講師の間の問答形式に基づく講義の形で議論が進み、最後の補講で『大乗起信論』パッチワーク説が明らかにされます。仏教は、本書では別の用語を用いていますが、いわゆる小乗仏教と大乗仏教に分かれて、後者が北伝仏教と呼ばれるように、中国や我が国に入って来ています。それなりのボリュームの信徒数を誇る世界の3大宗教たる仏教をわずかに2分類するのはムリがあり、キリスト教をカトリックとプロテスタントとギリシア正教の3分類するくらいの粗っぽさだという気がしますが、その大乗仏教が護持する経典であるお経についての解説書と考えても本書は成り立つような気がします。そして、本書の著者の論を待つまでもなく、仏教は釈迦の提唱した原始仏教から、本書の副題である「ブッダの教えはどこへ向かうのか」の通り、かなり大きく変容しており、それはそれで宗教として民衆の役に立っている、というのが本書の著者の議論だと私は受け止めています。大乗仏教も小乗仏教以上に釈迦の唱えた原始仏教から離れているのも事実だろうと思います。本来は、輪廻転生の中で釈迦やブッダに出会って菩薩となり、仏教的な修行を始め自らもブッダになることを目指すのが仏教的な道なんでしょうが、私の信奉する浄土真宗や浄土宗などは単に「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えるだけで輪廻転生から解脱して極楽浄土に生まれかわれる、とする教義ですし、本書でも座禅を中心教義、というか、中心となる修行と考える禅宗は修行の宗教といえます。そして、禅宗は中国発祥であり、インド発祥ではなく、釈迦の始めた原始仏教から直接に派生したものではありません。まあお、それをいい出せば、大乗仏教がすべてそうなんでしょうが、その仏教の多様性こそが中国や日本で受け入れられたひとつの要因ながら、逆に、日本の仏教はヒンズー教に極めて近いと著者は主張し、それゆえに、仏教が創始されたインドにおいて仏教がヒンズー教に取って代わられたゆえんである、とも指摘します。このあたりは私にはよく理解できませんでした。でも、釈迦やブッダに出会って仏教に覚醒し、菩薩として修行を始める、というのが、釈迦やブッダに代わって真実の書であるお経に出会うことに変容し、それ故に、お経に対する「南無妙法蓮華経」というお題目が日蓮宗の信徒に広まったのも、この年齢に達して初めて知りました。私はすべての日本人が仏教徒ではないことは理解しているつもりですが、日本の文化や風俗の中にかなりの程度に仏教的な、釈迦の提唱した原始仏教ではないにしても、日本的に変容した仏教がベースになっている部分もあり、本書の値打ちはそれなりに高いと受け止めました。

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最後に、アガサ・クリスティ『ミス・マープルと13の謎』(創元推理文庫) です。火曜日クラブの延長戦なのか、始まりなのか、いわゆる安楽椅子探偵のミス・マープルの13の事件に渡る謎解きが楽しめます。100年近い、というか、90年前に原作がアガサ・クリスティによって書かれ、60年ほど前に邦訳書が出版されているそうですが、創元推理文庫創刊60周年記念による新訳刊行だそうです。大昔に読んだ記憶がないでもないんですが、クイーンの国別シリーズ、コチラは角川文庫からの新約とともに、やっぱり、文章が読みやすくてスンナリと頭に入ってくるような気がします。収録されている短編は、「<火曜の夜>クラブ」、「アシュタルテの祠」、「消えた金塊」、「舗道の血痕」、「動機対機会」、「聖ペテロの指の跡」、「青いゼラニウム」、「コンパニオンの女」、「四人の容疑者」、「クリスマスの悲劇」、「死のハーブ」、「バンガローの事件」、「水死した娘」の13話であり、最後の作品だけは夜に語られたものではなく、スコットランドヤードの元警視総監であるヘンリー・クリザリング卿にミス・マープルが犯人名を書いたメモを託して、ヘンリー卿が地元警察の捜査に同行したりします。まあ、短編ですから、とてもアッサリとミス・マープルが謎を解き明かしてしまうのは、やや物足りないと感じる読者もいるかもしれませんが、謎の中身は割と殺人事件も少なくなく、さすがのクリスティ作になるミステリだと感じさせます。

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コメント

佐々木さんの大乗仏教は、読んでみようかと思います。私も浄土真宗なのですが、原始仏教との関係という点を、理解してみたいと思います。

投稿: kincyan | 2019年4月27日 (土) 21時01分

私は従来から禅宗や浄土宗・浄土真宗は仏教ではなく、特に後者の「南無阿弥陀仏」系は一神教として、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に近く、これらと日蓮宗を除く仏教諸派はヒンズー教に近い、というその昔に教わった宗教学の講義の上田先生の言葉を信じていますが、まさにその通りなのかもしれません。

投稿: ポケモンおとうさん | 2019年4月27日 (土) 22時18分

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