今週の読書は青春小説の金字塔『横道世之介』の続編をはじめ計6冊!
相変わらず、今週の読書も経済書をはじめとして、小説まで含めて計6冊を読んでいます。私の好きな青春小説の中でも、おそらく、一番に評価している吉田修一の『横道世之介』の続編も読みました。来週の読書はほぼ手元に集め終わっており、何と、経済書よりも小説の方が多くなりますが、やっぱり数冊読む予定です。
まず、井上智洋『純粋機械化経済』(日本経済新聞出版社) です。著者は駒澤大学のマクロ経済学の研究者で、本書は読み方にもよりますが、経済書と考えるよりも文明についての教養書や哲学書として読む読者も多そうな気がします。私のように経済書と考える読者は、第3章と第4章で論じられている人工知能(AI)により仕事が奪われるか、とか、労働のインプットを必要としない純粋機械化経済における格差、などに比重を置いた読み方になりそうな気がしますし、文明論とか哲学書と考える読者は最後の第7章と第8章あたりに興味を持ちそうです。まあ、出来はともかく、この最終章あたりは『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』のような雰囲気が感じられます。AIがどういった仕事や職業を奪う、というか、代替するのかについては英国オックスフォード大学のフレイ-オズボーンの研究成果に言及されており、実は、AIによる純粋機械化経済は労働のインプットを必要としないことから、資本ストックの限界生産性の逓減が生じなくなり、経済成長が一気に加速する、と結論しています。ただ、私は疑問で、AIによる純粋機械化経済で成長が一気に加速するのは生産性、というか、供給サイドであって、需要サイドがこれに追いつかなければ、単なる過剰生産のデフレに陥りかねません。その中で、本書では言及されていませんが、「スーパースター経済」のような格差が一挙に拡大する可能性を示唆します。Average is over. というわけです。なお、AIによる経済成長の爆発的な加速を本書では「テイクオフ」と名付けていますが、もちろん、ロストウ的な比喩といえます。その上で、狩猟採集経済から農業経済への第1の分岐、さらに、いわゆる狭義の産業革命に伴う農業経済から工業経済への第2の分岐に続き、近い将来に、AI利用による爆発的な経済成長の加速が実現できるかどうかによる第3の分岐が生じると指摘します。そして、ユニバーサルなベーシックインカム(BI)の必要性などが解明されます。特に、私の印象が鮮明だったのは、主流派経済学で半ば自明な前提とされている長期均衡について著者が否定している点です。マンキュー教授のその昔のテキストなどでは短期の不均衡と長期の均衡から経済のお話が始まり、長期には伸縮的な価格調整により雇用も含めて市場均衡が実現されるとされていますが、実は、私自身も懐疑的なんですが、著者はこの長期の均衡を否定し、長期にも雇用をはじめとする不均衡が残る可能性を示唆します。おそらく、私の直感なのですが、この著者の長期の不均衡理論をキチンとモデル化して突き詰めれば、いわゆる現在貨幣理論(MMT)が成立する可能性が出てくるような気がします。ただし、これは人類がAIを使いこなせれば、という前提であり、場合によっては、人類ではなくAIが主人公になる経済も視野に入れる必要があると私のような悲観派は考えています。そのAIが主人公になる経済社会では、人類は現在のイヌ・ネコのようなAIのペットになるのかもしれません。
次に、巣内尚子『奴隷労働』(花伝社) です。著者はフリーのジャーナリストであり、Yahoo! ニュースの連載を大幅に加筆し書籍化されています。副題が「ベトナム人技能実習生の実態」となっているように、ベトナム人を中心に技能実習制度の下での移住労働者の人権侵害の実態について取り上げています。低賃金の単純作業でありながら、技術協力や国際貢献の名の下に、外国人技能実習生がパワハラやセクハラにとどまらず、モロの暴力があったり、雇用の場だけでなく強制的に住まわせられる住居の家賃でも不当な高額を請求され、転職もままならず、徹底的に虐げられる現場を取材して明らかにしています。ただ、その背景に、ボージャス教授の『移民の政治経済学』にあったように、外国人労働者の受け入れによって膨大な利潤を企業が得ているという経済的な事実を本書では見落としています。ですから、あとがきの中で、、謝辞の前の事実上最後の技能実習制度の構造的問題の小見出しで「日本社会におけるモラルハザード」を原因に上げているのには、実にがっかりさせられました。企業の活動目的が利潤の極大化であり、人権擁護や、ましてや、国際協力ではないことは理解できないのでしょうか。本書の中でも、特に、ベトナム人技能実習生を中心に取り上げているわけですから、送り出す側のベトナムで、国策として「労働輸出」が奨励されている背景にマルサス的な貧困があるのかどうか、仲介するベトナム側の企業の業務のクオリティに関する情報が一党独裁政権下で何らかの不都合ないか、といった取材、さらに、受け入れ側の日本では、「モラルハザード」はまったく取材されていないようですし、ましてや、技能実習生を受け入れている企業の収益状況などは視野にないようです。少なくとも、送り出すベトナムでも、もちろん、受け入れる日本でも、企業が利潤極大化の行動の一環として技能実習生を送り出し、あるいは、受け入れている、という事実は忘れるべきではありません。そして、その基礎の上に、我が国の現状の労働市場でどれほど人手不足が実感されているのか、そして、その人手不足にもかかわらず賃金上昇が鈍い背景として女性や高齢者の労働市場参入とともに、本書でも指摘されているように、すでに30万人に上る外国人労働者がどのように作用しているのか、などなどの解明が望まれます。もちろん、今上げたポイントはジャーナリストの手に余る可能性もありますから、その場合は研究者を巻き込むことも必要でしょう。ただ、「モラルハザード」で済ませる程度の問題として著者が認識しているとすれば、本書の値打ちが大いに下がるような気もします。加えて、左派・リベラル派を標榜する私の基本的な姿勢を明らかにすると、ホントに人手不足であるなら、市場でその情報が非対称性を克服して十分に活用され、労働力の希少性に見合った賃金の価格付けができないと市場経済の意味はありませんし、その希少性に見合った賃金を支払えない企業は市場から退出すべきです。さらに、外国人の移住労働者については情報の非対称性が日本人よりも大きいでしょうから、政府の役割もそれだけ大きくなるべきと考えます。
次に、岡山裕・西山隆行[編]『アメリカの政治』(弘文堂) です。著者・編者は米国政治の研究者と考えてよさそうです。基本的には、大学初学年などのテキストと私は受け止めていますが、米国政治に関心あるビジネスパーソンでも十分に読みこなせる内容です。2部構成となっており、第1部で総論として歴史、機構、選挙と政策過程などが概観された上で、第2部において人種とエスニシティや移民、ジェンダー、教育と格差などの政治学上の争点を解明しようと試みています。本書でも鋭く指摘しているように、我が国では考えられないような政治上の争点が米国にはいっぱいあります。典型的には銃規制であり、先日の我が国の参議院議員選挙などの国政選挙レベルで銃規制が争点となることはありえない、と私をはじめとして多くの国民は感じていますが、米国で銃規制がまったく進まないのは、これまた、多くの日本国民が感じているところではないでしょうか。移民による国家としての成立と先住民やアフリカ系米国人への人種差別なども我が国では実感ありません。ダーウィン的な進化論を否定し聖書の『創世記』の天地創造を初等・中等教育で教えることは、欧州のキリスト教国でも選択肢にならないのではないでしょうか。さらに、北欧とは真逆と考えられている自己責任を強調する社会福祉政策についても、なかなか理解しがたいと受け止める読者もいそうな気がします。私はいまだに理解できなかったのは、世界における米国の軍事力のあり方であり、すなわち、20世紀初頭の第1次世界大戦への参戦を躊躇し、モンロー主義という孤立主義を貫いていた米国が、第2次世界大戦後は当時のソ連との冷戦を考慮しても、突如として世界の警察官になり、そして、21世紀の現在はその地位から下りようと模索しているのは、専門外の私には理解できませんでした。こういったように、それぞれの分野の米国政治の専門家が、それぞれの分野において何がどのような文脈で争点化し、それらをめぐってどのような主体がいかなる立場で政治過程に関与し、どのような政策が作られ、執行されてきたのかを解説することに力点が置かれており、コンパクトで判りやすいテキストに仕上がっています。米国の政治についてはいまだにフランス人思想家であるトクヴィル『アメリカのデモクラシー』が金字塔として引用されますが、本書についても、外国人労働者の受け入れなどが進み国際化が進展する我が国の現状を考え合わせれば、大いに参考になると私は評価しています。
次に、ホルヘ・カリオン『世界の書店を旅する』(白水社) です。著者は、スペインの文芸評論家であり、本書は著者が世界を旅行した際に訪れた書店についてのエッセイです。スペイン語の原題は Librerías であり、まさに、複数形ながら、書店、というか、本屋、そのものです。英訳書のタイトルは Bookshops となっており、基本は英訳書が邦訳の底本隣、必要に応じてスペイン語原書を参照したと邦訳者があとがきで書いています。スペイン語原書は2013年の出版、英訳書は2016年の出版です。まず、どうでもいいことながら、私は英国にいったのは国際会議で短期間だったので少し判りにくいんですが、米国では首都ワシントンDCで連邦準備制度理事会(FED)のリサーチ・アシスタントをしていたころ、bookshopは米国ではおかしい、bookstoreが正しい、と訂正された記憶があります。というのは、米国人にとって shop とは、何か作業をするところであり、典型的には workshop や散髪屋さんの barber's shop があります。それに対して、store は製品を置いておくだけ、というニュアンスです。もう30年前になりますが、私がFEDにいた1989年にワシントンDCにタワーレコードが出店したので、リサーチ・アシスタント仲間で繰り出そうと相談していたところ、私が record shop というと、record store と訂正された次第です。ちなみに、タワーレコードの後に、そのころ米国進出を果たしていたキリンイチバンをみんなで飲みに行った記憶があります。それはともかく、残念ながら、本書ではワシントンDCの本屋は出てきません。米国で一番注目されているのはストランド書店です。ニューヨークは4番街にあり、私も行ったことがあります。これもどうでもいいことながら、私はエコバッグはストランド書店のデニム地のものを使っています。それから、大使館の経済アタッシェとして3年間勤務したチリの首都サンティアゴではロリータ書店が何度か言及されています。誠に残念ながら、私は記憶がありません。でも、隣国アルゼンティンの首都ブエノスアイレスのノルテ書店については、ほのかに記憶があり、アレではないか、と思わないでもない建物が脳裏にあったりします。我が国の書店では、東京の丸善が黒澤明との関係で言及されています。しかし、京都出身の私は、丸善といえば、私の学生時代に河原町通蛸薬師にあった京都丸善です。そうです。梶井基次郎の「檸檬」に登場し、爆弾に見立てられた檸檬で木っ端みじんにされるのを主人公が想像する京都丸善です。
次に、奈倉哲三『天皇が東京にやって来た!』(東京堂出版) です。著者は歴史の研究者です。副題、というか、実は「錦絵解析」というのがくっついていて、私はこれに大いにひかれて借りました。私は自分でも自覚していますが、天皇個人についてはともかく、天皇制に関しては日本人の中でもかなり少数派に属すると考えていて、天皇が東京に行くかどうかについてはまったく興味ありませんが、明治期初年の東京について、さらに、その当時の東京の人が天皇をどう受け止めていたのかについては興味あります。加えて、上の本書の表紙画像を見ても理解できるように、税抜き2,800円にもかかわらず、フルカラーのとても見ごたえある図版がふんだんに盛り込まれており、誠に失礼ながら、歴史研究者の文章を一切読まずに、フルカラーの図版をながめるだけでも値打ちがあるような気がします。ということで、明治天皇は2度江戸、というか、東京に行幸して、2度めの行幸でそのまま東京に居ついたわけですが、本書では第1回目の東京行幸、言葉を替えれば、はじめての東京行幸の際の錦絵を解析して、歴史的な知見を得ようと試みています。錦絵の一覧はpp.18-20に取りまとめられています。2度めの東京行幸については、京都の公家衆に明治天皇を取り込まれることを回避すべく、東京に行きっ切りになることが想定されていたんでしょうが、第1回目の東京行幸については、東京府民はすべてが新政府に完全に服したわけではなく、江戸城が無血開城したこともあって、反政府的な勢力も一掃されたわけではない中で、新政府、というか、天皇の朝威を示し恩恵を施すことを目的としていました。東京滞在中に、天皇は武蔵の国の一宮である氷川神社を訪れ、東京府民へ御酒下賜を敢行し、東京府民は2日間に渡って天盃頂戴を祝います。それらを錦絵に収めているわけですが、一瞬ですべてを記録する写真とは違いますから、隅々まで正確に描写できているわけもなく、それなりに版元や絵師の思い入れがある部分が散見されるわけです。ですから、記録や報道に徹して出来るだけ客観的な描写を試みた例の他に、新政府寄りの姿勢を示す例、逆に、反政府的な要素を入れようと試みた例があります。行列を描写した錦絵が多いんですが、御酒下賜と天盃頂戴の錦絵にも見るべきポイントはあります。酒樽に、やたらと、「天下泰平」が多く見受けられます。江戸城は無血開城したとはいえ、上野彰義隊などの市街戦はあったわけで、平和を願う一般市民の気持ちは今も昔も変わりないことを実感しました。
最後に、吉田修一『続 横道世之介』(中央公論新社) です。タイトルから明らかなように、吉田修一御本人による青春小説の金字塔『横道世之介』の続編です。私はもともと青春小説が好きで、特に、『横道世之介』は愛読し、高良健吾と吉高由里子が主演した映画も見ました。ということで、この作品は、世之介が与謝野祥子と別れて、さらに、大学を卒業したものの、バブル最末期の売り手市場に乗り遅れて、パチプロ、というか、フリーターをしている1993年4月からの12か月が対象期間となっています。世之介と大学からの親友の小諸=コモロンのほか、パチンコ屋や理容室で顔見知りになった浜本=浜ちゃんという女性の鮨職人、小岩出身のシングルマザーの桜子と子供の亮太、また、その兄や父親などの日吉一家、などなどが登場します。そして、世之介は桜子に2度に渡ってプロポーズしながらも受け入れられず、さりとて、明確に別れるでもなし、といった、相変わらずのちゅつと半端な恋愛状態が続きます。このあたりは、前作の与謝野祥子との恋愛関係の方が濃厚だったと評価する読者もいるかもしれません。そして、最後は、東京オリンピック・パラリンピックで桜子の子供の日吉亮太の活躍と、亮太に向けた桜子の兄、というか、亮太の叔父からの手紙で終わります。前作は世之介の母の手紙で終わっていたような記憶がありますので、それを踏襲しているわけです。そして、何といっても、桜子の兄の日吉隼人が勝手に投稿した地方都市主催の写真コンテストで世之介の写真が佳作に入賞し、賞の審査委員長だった大御所的な存在のプロの写真家の事務所に出入りし、手伝いなどをしつつカメラマンに成長していく萌芽をにおわせます。そして、何よりも、この写真の師匠が世之介の作品を「善良」であると評価し、この「善良」というキーワードが世之介について回ることになります。もちろん、世之介が電車の事故で亡くなるという事実に変更はありません。ただ、世之介の運転が桁外れに安全運転であることとか、コモロンとの米国旅行とかの軽い話題に交じって、何ともさりげなく、桜子の兄の隼人の中学生のころの喧嘩の贖罪といった思い出来事をサラリと紛れ込ませ、それでも、全体として世之介の善良さを全面に押し出して、いろんな登場人物の前向きで現状を肯定して先に突き進む姿勢を明るく描き出し、とてもいい仕上がりになっています。ここまで書けば、続々編がありそうな気がしますが、世之介が電車事故で亡くなるという事実に変更はないわけですから、前作のお金持ちの令嬢だった与謝野祥子に対して、本作では元ヤンのシングルマザーである日吉桜子と、世之介の恋愛対象が大きくスイングしたわけですので、真ん中の中道を行く恋愛が次にあり得る続々編で見たい気もします。それから、おそらく、前作と同じ読後の感想なんですが、私自身は世之介のような善良な人間にはなれそうもありませんので、世之介のような善良な友人・隣人が欲しい気がします。
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