今週の読書は子育てに関する経済書をはじめとして計4冊!!!
今週の読書は、ややタイトルが紛らわしいながら、子育てに関する一般向けの経済書を2冊、売れっ子ミステリ作家による連作短編の小説、さらに、著名社会学者による新書の計4冊です。これらの新刊書読書のほかに、読み逃していた東野圭吾『魔力の胎動』(角川書店)を文庫本の宣伝で見つけて文庫本になる前の単行本で読み、また、須賀しのぶ『革命前夜』(文春文庫)の2冊を読んだんですが、どちらもFacebookに触発されて読んだので、重ねてFacebookでシェアすることはしませんでした。新刊書の読書は、先週土曜日の読書感想文で、1月21冊、2月17冊、3月も17冊、と書いたんですが、月曜日の3月29日に大学の同僚教員からいただいた新書を読んで読書感想文をポストしたので、3月は18冊、1~3月で合計56冊になりました。4月の読書感想文は今のところ本日分だけの4冊です。
まず、マティアス・ドゥプケ+ファブリツィオ・ジリボッティ『子育ての経済学』(慶應義塾大学出版会) と山口慎太郎『子育て支援の経済学』(日本評論社) です。著者は、ドイツ出身の米国大学の研究者、イタリア出身の米国の大学の研究者、そして、東大の研究者です。まず、『子育ての経済学』の方は英語の原題は Love, Money and Parenting であり、2019年の出版です。計量的なエビデンスを用いつつも、著者2人の幅広い経験に基づいて、さまざまな地域的な特徴を備えた子育て論を展開しています。育児スタイルについてバウムリンド教授の研究に基づき、親が子供に押し付けがちな専制型、逆に子供の自主性に任せる迎合型、その中間的なタイプで親が子供を誘導する指導型の3類型を考え、さらに、放任ないし無関与を加えて、親の方からの反応性と子供の選択への関与により4分類しています(p.47)。その上で、ホバリングして子供のすべてに関与しようとするヘリコプター・ペアレント、あるいは、中国的なタイガー・マザーなども分析の対象としています。その昔の子育ては放任型ないし無関与であったところ、何よりも、1960-70年代ころから子育てに注目が集まるようになったもっとも大きな経済的要因として、格差の拡大を上げています。ベッカー教授的な視点から子供の人的資本の蓄積を図っておくと、その後の成人してからの子供の幸福に差が出る、というわけです。もちろん、学校制度についても重要であり、日本やフランスなどのように、いわゆる受験が人生を大きく左右しかねない社会では親の子育ての熱心度が上がるのも当然です。子育て指南書ではありませんが、子育ての大きなマクロの枠組みについて明快な分析結果を提供しています。いずれにせよ、親は経済も含めた時代の流れに合致するように、子供が幸福になるべく最善を尽くす、という思想が底流にあります。そして、格差が大きくて、教育のリターンが大きいと、親の子育てへの関与が大きくなる、という分析結果が示されているわけです。他方、『子育て支援の経済学』についてはもっとマイクロな計量分析が中心になっています。というか、分析の結果については、当然ながら、時代や国や地域により差が大きいことから、分析結果よりも分析手法に重点が置かれているようにすら見受けられます。加えて、子供が出来てからの子育てだけではなく、そもそも夫婦ないしカップルが子供を作ろうとするかどうか、別の表現をすれば、少子化対策まで少しさかのぼった分析から始まっています。そのため、差の差分析、回帰不連続デザイン、操作変数法、媒介分析、RTCなどがしょっちゅうボールドの太字にされていたりして、やや読みにくいと感じる人もいそうな気がします。すなわち、各章は少子化対策とか、育休分析とか、学校教育の分析とかのテーマがあるんですが、分析方法が何度も何度も同じように繰り返されます。私のようなエコノミストですら、専門外であれば分析方法の説明の重複が多くて読みにくい、と感じてしまいます。もちろん、それらの分析の結果として、現金給付よりも保育所整備などの現物給付が有効だったり、女性の時間的な余裕が必要だったり、といった政策的な方向性は決して軽視されているわけではありませんが、なぜか、印象に残らないようになっている気すらします。同じ著者の前著である『「家族の幸せ」の経済学』(光文社新書)は、私のこのブログでも一昨年2019年10月12日付けの読書感想文で取り上げていて、ソチラは国民生活の中での一般的な結婚や育児、夫婦関係などを扱っていて、とても好評だったのですが、本書は「経済セミナー」の連載をそのまま単行本にしたこともあって、社会問題としての子育てを分析対象にし、政策効果の計測やその結果の各国比較などが大きなウェイトを占めています。私のようにエコノミストながら子育て方面は専門外で一般ピープルに近い読者からすれば、「二匹目のドジョウ」に失敗した、ように見受けられなくもありません。
次に、中山七里『銀齢探偵社』(文藝春秋) です。著者は、ベストセラー連発のミステリ作家であり、私なんぞが紹介するまでもありません。主人公の2人は、まず、裁判所判事を体感した80歳の高遠寺静とその10歳年下で名古屋の不動産デベロッパーにして商工会議所の会頭を務める経済界の名士の香月玄太郎です。高遠寺静は『静おばあちゃんにおまかせ』に登場しており、香月玄太郎も『さよならドビュッシー』の香月遥の祖父として登場しています。加えて、上の表紙画像の副題の「静おばあちゃんと要介護探偵2」に見られるように、この2人は『静おばあちゃんと要介護探偵』、すなわち、このシリーズの第1巻で共同して事件解決に当たっています。ただし、第1巻では舞台が名古屋だったのに対して、この第2巻では東京になっています。高遠寺静が練馬の病院へ健康診断に行くと、名古屋から香月玄太郎がんの手術でやって来た、という安直な設定です。5話の連作短編から構成されていて、とてもストーリーがテンポよく進みます。ミステリとしてはそれほど凝ったものでなく、謎解きとしては物足りないと感じる読者もいるかもしれませんが、繰り返しながら、物語のテンポがいいのと登場人物のキャラが際立っているので、楽しくスラスラと読めます。ただ、最後の方は、3月13日付けの読書感想文で取り上げた『毒島刑事最後の事件』と同じように、人を操って犯罪を犯すというパターンなので、光文社と文藝春秋の出版社が違えど同じようなトリックになってしまっている点が心配です。さらにさらにで、この第1巻と第2巻の後日譚が『静おばあちゃんにおまかせ』だろうと思いますが、孫の高遠寺円が主人公で、静の助力を得て事件解決に当たる謎解きながら、静はすでに死んでいる幽霊という設定になっています。毒島刑事シリーズの接続はそれほど難題でもなかった気がしますが、この高遠寺静と円のシリーズはどうつなぐんでしょうか。興味あるものの、危うい気すらします。
最後に、上野千鶴子『在宅ひとり死のススメ』(文春新書) です。著者は、東京大学を退職したものの、我が国でもっとも有名な社会学者の1人です。本書は、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『男おひとりさま道』(文春文庫)、『おひとりさまの最期』(朝日文庫)の3部作に続く最終巻だそうです。といっても、私はその前の3部作を読んでいませんので、悪しからず。一般的には恐ろしくも「孤独死」と呼ばれているのですが、本書のタイトルでは「在宅ひとり死」と改められています。現象としては同じだろうと私は受け止めています。独身シングルで70歳を超えた著者なものですから、当然ながら、タイトル通りに、「孤独死」だか、「在宅ひとり死」をオススメしているわけです。すなわち、家族から離れて1人暮らしをし、もちろん、老健施設などにも入らず、慣れ親しんだ自宅で自分らしい最期を迎えることの幸せが詰め込まれており、その最新事情も著者自身が取材していたりします。具体的に、医師・介護士・看護師などのコーディネートを考慮したり、費用を試算したりというコンテンツもあります。ただ、私個人の心配として、「在宅ひとり死」に至るまでの経済的なコスト、すなわち、所得や貯蓄面での必要ライン、さらに、防災や治安面での懸念がどこまで解消されるべきか、といったご自分の「覚悟」以外の客観的な条件整備については情報が不足しているような気がします。まあ、かけ声だけで終わっているのは政府の政策と同じかもしれません。
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