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2021年5月 8日 (土)

今週の読書は経済書なしで地政学や民俗学の専門書など計4冊!!!

今週の読書は、経済書や経営書はなしで、サイバー空間に着目した地政学、あるいは、餅という食べ物に着目した民俗学、のそれぞれの専門書は読んだものの、専門分野の経済やビジネスなどの読書はありません。それに、やや物足りなかった新書とミステリ小説の文庫を合わせて計4冊です。今年に入ってからの新刊書読書は1~3月に56冊、4月に18冊、そして、5月に今日取り上げた4冊と、計78冊となっています。なお、新刊書ならざる読書は、中山七里『連続殺人鬼カエル男』と『連続殺人鬼カエル男ふたたび』、ベルンハルト・シュリンク『朗読者』などを読んだのですが、ともに、Facebookのグループの人がシェアしたのに触発されての読書でしたので、重ねて私からFacebookでシェアすることはしませんでした。ついでながら、所属学会の編集になる『時代はさらに資本論』は、まだまったく手もつけられていません。

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最初に、土屋大洋『サイバーグレートゲーム』(千倉書房) です。著者は、慶應義塾大学の研究者です。19世紀から中央アジアをめぐるロシアと英国の覇権争いは「グレートゲーム」と呼ばれていますが、そのサイバー・バージョンこそが現代のグレートゲームだと考える著者の考えが表されています。本書の中身としては、サイバー攻撃、また、サイバーセキュリティに関して、選挙とフェイクニュース、サプライチェーン、インテリジェンス、外交、防衛などについての問題を取り上げています。少しびっくりしたんですが、こういった地政学の解説書では、インテリジェンスや外交・防衛が主眼となっているんだろうと私は考えていましたが、それらより前にサプライチェーンという経済の課題が論じられています。ファーウェイや中国企業を対象にした米国の厳しい取扱い、制裁を含めた中国企業の問題があると考えられます。加えて、サイバー攻撃の基礎となる技術面の攻防は軍事的な要素よりも、むしろ、経済的な要素の方が大きいのかもしれません。経済はさておき、本来のセキュリティについて考えると、サイバー攻撃の場合、従来の武力攻撃と違って、誰が攻撃しているのかが決して明白でないという大きな特徴があります。そして、おそらく、攻撃された側も攻撃主体を特定しても明らかにしないケースが少なくないものと思います。それを本書では、アトリビューションと呼んで、予期のしにくいアンティシペーションと対にして論じています。私は決して賛同しませんが、核兵器や通常戦力による攻撃に関しては、先制攻撃を受けたとしても報復力を温存できれば、特に核兵器の場合、抑止力となります。しかし、サイバー攻撃の場合は攻撃者の特定(アトリビューション)ができないならば、報復も難しくなってしまう場面も考えられますから、十分な抑止力を確保できない場合があります。特に、日本はインテリジェンスを始めとしてサイバー攻撃に対応能力がどこまであるか、極めて疑問が大きいことなどから、最後の章では日本に関する議論を展開しています。中でも、2012年のロンドン・オリンピックでは2億件のサイバ攻撃があったといわれており、今年、もしも東京オリンピックを開催するとすれば、ケタ違いの攻撃を受ける可能性を指摘しています。私も専門外ですので、不明な点がいっぱいあり、ついつい、ゴールデンウィークでのんびりしている期間の読書でしたので、マンガ『ケロロ軍曹』であれば、例の陰険で性格の悪そうなクルル曹長の担当する分野ではなかろうか、という目で読み進んでしまいました。

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次に、安室知『餅と日本人』(吉川弘文館) です。著者は、民俗学の研究者です。民俗学の先達として、柳田国男と坪井洋文を引きつつ、タイトル通りに、お餅について民俗学的な観点から考察を進めています。フィールドワークとしては、埼玉県三郷市と長野県の分析結果が示されています。すなわち、餅は通常生活のケではなく、ハレの場に供される食べ物であり、同様に、お祝いなどの際に「赤飯を炊く」という表現がある赤飯とは違って、特にお正月の年神との関係が強調されています。鏡餅なんかが典型となります。逆に、赤飯は社会性がやや低くて家族内、ないし、個人的な祝い事に供される、ということのようです。私の記憶でも、私が高校生くらいまで、ばあさんが年末に餅つきをして、親戚一同に配って回っていたのを思い出します。そして、どうして年末に餅つきをするかといえば、お正月にはお餅を雑煮にして食べるわけで、その雑煮についても地域的なバリエーションを研究しています。雑煮はかなり強く家風を反映し、アンケート結果によれば、居住地に従って作るのが過半を占めているほか、夫の出身地に従うと妻の出身地に従うが、それぞれ10%ほどです。我が家では今年の正月が京都に戻ってから最初の正月だったのですが、白味噌に丸餅、和人参と大根の紅白に男だけ頭芋入り、となります。最後の補論では、トンカツ入りの雑煮、なんてバリエーションも紹介されています。加えて、第2部では餅なし正月が論じられています。しかも、ネガな禁秘として餅なし、という観点ではなく、むしろ、ポジないもやめんを積極的に餅の代わりに供する、という視点を強調しています。餅から話題が離れますが、私の知る限り、京都なのか、関西なのかは判りませんが、「にらみ鯛」という縁起物があります。食事のたびに膳に上げるものの、正月3が日の間は箸を付けず、1月4日になって焼き直したり温めたりして食べる風習です。私の家は典型的なワーキングクラスでしたので、尾頭付きの鯛なんぞは、めったにお目にかかれませんでしたが、お金持ちの家ではこういった風習もあります。コチラはネガな禁秘といえます。最後に、たぶん、京都言葉だと思うのですが、お餅のことを「あも」と呼びます。豆腐の「おかべ」などとともに、女房言葉ともいわれます。今年に入って叶匠壽庵に梅の花を見に行ってお土産に「あも」を買って帰ったのを思い出します。

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次に、松波晴人『ビジネスマンのための「行動観察」入門』(講談社現代新書) です。著者は、大阪ガスの行動観察研究所で行動観察を実践しています。行動観察とは、基本的に許可を得て行動を観察し、著者によれば、付加価値の提案と生産性の向上を目的としているようです。私が誤解していたのは、基本的に許可を得て、あるいは、上司の命令で、観察される対象が観察されていることを認識しているとは、思ってもみませんでした。というのは、本書の冒頭にもあるように、インタビューなどであれば、いわゆる選挙のブラッドリー効果のように世間的に受けのいい回答をしながら、実は秘密投票の場ではインタビューと異なる行動を取る、というのがあり得て、そうであれば、行動観察も観察されていることを認識した上での観察なら同じではないか、同じとはいわないまでも、少なからぬ行動バイアスがかかるような気がするからです。加えて、最後の方に、工場労働者を観察して得られた科学的管理のテイラー・システムをビジネスマンのもっとソフトな行動に応用したものだと考えるのですが、そのあたりの違いは著者もご認識されていないようです。ですから、結局、本書全体が著者の会社のビジネスがいかに素晴らしいか、という宣伝に終止しているような気がします。要するに、行動観察のやり方を、特に、観察対象が観察されていることを認識していない中での行動観察のやり方を明らかにするよりも、その行動観察の結果がいかに素晴らしくて、売上の増加をもたらしたか、に力点が置かれています。やや失望感を禁じえませんでした。その上、もう少しテイラー・システムのように定量化出来る部分がありそうな気がするのですが、その点でもやや踏み込み不足な気がします。特に、営業マンの行動観察については、観察結果はそれなりに得られたものの、まったくの分析不足でベスト・プラクティスの普及には大きな課題が残っています。私が考えるに、ほかの科学的な分析も多かれ少なかれ同じような要素はありますが、こういった行動観察の場合2つの方向があります。すなわち、不明な点があるので解それを明するケース、もうひとつは、感覚的に理解ないし解明されているが、定量的に確認するケースです。おそらく、営業マンの実践パターンについては、後者のケースが少なくないのですが、それが定量的に把握されないのは致命的です。私がよくやる判りにくいゴルフの練習に当てはめると、ドライバーをスイングして250ヤードほどかっ飛ばしてフェアウェイセンターに置く、というのではアドバイスにはならないのです。その結果を得られるようにするために、何が必要化を、例えば、ヘッドアップしないとか、脇を締めるとか、キチンとした因果関係ないし相関関係を特定して、良好な結果をもたらす要因を分析する必要があります。その点で、本書はいささか物足りない読書でした。

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最後に、ジェフリー・ディーヴァー『オクトーバー・リスト』(文春文庫) です。著者は、米国のミステリ作家で、私が紹介するまでもありません。ラストのどんでん返しに特徴を持っています。ということで、本書の大きな特徴は時間をクロノロジカルにさかのぼって記述されていることです。最初は、数年前に読んだ七月隆文の京都本『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』を思い起こしてしまったのですが、やや違いました。なお、『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』は2016年6月25日に読書感想文をポストしています。どう違うかというと、本書ではホントに出来事、というか、イベントをさかのぼって記述していて、時間がさかのぼる異世界を描き出す『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』のようなSFではありません。まあ、ミステリ作家ですから、少なくとも謎解きにSF的な知識を応用するのはノックスの十戒に反しているような気もします。ただ、最後にどんでん返しのあるディーヴァーの作品ですから、おそらく、米国などでは許されている警察のおとり捜査であろうということは、私も十分に理解して、というか、予想していました。だたし、ディーヴァーの作品ですので、どんでん返しが2回あるわけで、もうひとつのどんでん返しについては予想もつかずに、最後の第1章まで進んでしまいました。ただ、出版社のうたい文句にあるように、白と黒とが章ごとに目まぐるしく入れ替わる、というのは流石に宣伝文句として割り引いて受け止めた方がいいと思います。苦労して書いていることは一目瞭然で、私の方でももっとじっくりと読み込む必要があるのかもしれませんが、さすげに、それほど複雑なストーリー展開ではありませんし、サラッと読む私のような読書法では矛盾点を発見することもできませんし、それほど叙述に騙されるということもありません。叙述でミスリードするのであれば、綾辻行人のほうが上手を行くような気がします。もちろん、日本人には馴染みのない名前の叙述、例えば、ギャビーとガブリエラが同一人物であることなどは、そういった名前に馴染みのない日本人には不得手かもしれませんが、海外生活を経験した日本人も少なくありませんし、それほど、騙される人が多いとも思えません。最終的な感想として、まあ、努力賞といったところかもしれません。がんばって、それなりの努力のあとはうかがわれるものの、もう少し、といったところかもしれません。少なくとも、手放しで新機軸を盛り込んだ傑作とはいいかねます。

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