今週の読書はノーベル経済学賞受賞エコノミストによる経済書をはじめ計4冊!!!
今週の読書は、ノーベル経済学賞受賞のエコノミストによる新たな角度からの経済書、教養書や専門書に加えて新書まで、以下の通りの計4冊です。それから、10月2日付けで読書感想文を明らかにした竹下隆一郎『SDGsがひらくビジネス新時代』(ちくま新書) が本日の朝日新聞の読書欄で取り上げられていました。そして、いつもお示ししている本年の読書の進行ですが、このブログで取り上げた新刊書だけで、1~3月期に56冊、4~6月も同じく56冊、7~9月で69冊、さらに、先週までの10月分が8冊に、今日取り上げた4冊を加えて、合計189冊になりました。たぶん、あくまでたぶん、ですが、11月中には200冊を超えるのではないかと予想しています。
まず、ロバート J. シラー『ナラティブ経済学』(東洋経済) です。著者は、2013年にノーベル経済学賞を受賞した米国イェール大学のエコノミストです。本書の英語の原題は Narrative Economics であり、2019年の出版です。基になる論文は、2017年1月の米国経済学会会長演説であり、Robert J. Shiller (2017) "Narrative Economics," American Economic Review 107(4), April 2017, pp. 967-1004 に収録されています。ということで、ナラティブ経済学とは、私の受け止めでは、行動経済学のひとつとして、何らかの不合理な経済行動が、マイクロな個人の選択行動だけではなく、マクロの景気循環などに対しても、何らかの影響を及ぼす、という考え方ではなかろうかという気がします。特に、「ナラティブ」ですので、何らかの物語の影響を考慮しているわけです。ナラティブがバイラルになる点が重要視されています。もちろん、すべてのナラティブがバイラルになるわけではないものの、いくつか、説得的なエピソードもあるにはあります。でも、例えば、日本のバブル後の長期停滞については、バブル経済期に良寛の「清貧」思想が広まって、その後の消費減退につながった、という視点はまったく同意できません。キチンとした経済合理的なマイクロ・マクロな経済主体の行動がバックグラウンドにあると考えるべきです。もしも、我が国のバブル崩壊後の長期停滞について、何らかの非合理的な要素を見出そうとすれば、むしろ、日銀の恐ろしく合理性に欠ける金融政策運営ではなかったかと私は考えています。ただ、現時点では行動科学については、行動経済学をはじめとして、例のアリエリー教授の捏造データを基にした研究などから、ひどく胡散臭い印象を持たれていることも事実です。当然ながら、本書の執筆や邦訳時点では、こういった行動科学に対する懐疑的な見方は少なかったでしょうから、やや気の毒ではあります。いずれにせよ、やっぱりノーベル経済学賞受賞者のアカロフ教授との共著である『アニマル・スピリット』でもそうでしたし、純粋な機会的判断ではなく何らかの消費者や投資家のマインドが、単独でも集合的にでも、経済に大きな影響を及ぼす可能性はあります。特に、バブル経済の発生については十分考えられることですし、バブルの発生を防止するという観点からはナラティブがバイラルになる研究もアリかもしれません。もっとも、著者自身も自覚しているようですが、かなり大量のデータを数十年に渡って収集し、それらを間違いない形でデータ分析できるだけのキャパを必要とするわけで、どこまで主流派の合理的な経済学に対抗できるかどうか、私はやや不安です。さらに、タイトルはあくまで経済学を対象として始まっていて、本書冒頭でも経済学を俎上に載せてナラティブがバイラルになるプロセスを考慮しているように見受けたのですが、途中から、対象は経済学ではなくて経済にすり替わっています。やや理論展開の整合性にも問題あるかもしれません。ただ、地に落ちた感のある行動経済学に代替するポスト行動経済学、すなわち、個々人のマインドを質問した調査結果から分析を始めるのではなく、本書でもデータを取っているGoogle NgramsやProQuestなどのような報道やSNSなどからより信頼性が高い、というか、捏造されにくいデータを用いたポスト行動経済学としての期待ができそうな気がします。
次に、ファリード・ザカリア『パンデミック後の世界 10の教訓』(日本経済新聞出版) です。著者は、インド出身でCNNの報道番組のホストなどを務める米国のジャーナリストです。英語の原題は Ten Lessond for a post-Pandemic World であり、2020年の出版です。まず、単純に10の教訓を並べると以下の通りです。
- LESSON 1
- シートベルトを締めよ
- LESSON 2
- 重要なのは政府の「量」ではない、「質」だ
- LESSON 3
- 市場原理だけではやっていけない
- LESSON 4
- 人々は専門家の声を聞け、専門家は人々の声を聞け
- LESSON 5
- ライフ・イズ・デジタル
- LESSON 6
- アリストテレスの慧眼 - 人は社会的な動物である
- LESSON 7
- 不平等は広がる
- LESSON 8
- グローバリゼーションは死んでいない
- LESSON 9
- 二極化する世界
- LESSON 10
- 徹底した現実主義者は、ときに理想主義者である
要するに、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)パンデミック後に考えるべき教訓は10あるわけですが、パンデミックから何を学習するかという視点も重要で、私の印象に残ったのは、やはり、経済学的な観点から第3店目の市場原理だけではダメというポイントです。パンデミックに限定しても、1980年代からの米国レーガン政権や英国サッチャー内閣の新自由主義的な経済政策により、考え方によれば現在の日本でも、市場原理を医療分野に徹底すればユニバーサルな医療は失われ、経済力のあるなしで医療を受けられる程度が決まってしまい、従って、命に軽重が出る、ということです。ただ、それほど取材に基づく文章ではないジャーナリストの出版物ですので、かなり漠たる印象論を述べるにとどまっているポイントも少なくありません。世界の経済や医療やパンデミックの実態はとても複雑なのですから、同時に、経済学的な用語で言えば「一般均衡論」的に解法を探さねばならないのです、ややその点でヌケがあるような気がしてなりません。
次に、加藤陽子『この国のかたちを見つめ直す』(毎日新聞出版) です。著者は、日本近現代史を専門とする東大教授であり、同時に、昨年の菅内閣による日本学術会議任用拒否の6人の1人でもあります。ということで、本書は毎日新聞に毎月連載された著者のエッセイとコラムを中心に収録されていて、著者の専門分野である「国家と国民」、「天皇と天皇制」、「戦争の記憶」などをはじめとして、「東日本大震災」や「世界と日本」などのテーマまで幅広くを論じています。長期に渡った安倍内閣から役所の行政まで含めて、日本の統治機構、というか、政治経済のシステム全体が大きく劣化したと感じているのは私だけではないと思いますが、著者の専門分野である近現代史における天皇制の視点から、あるいは、21世紀の震災やチョコッとだけながらパンデミックまで含めて、幅広く論じられています。どうしても、新聞のコラムですのでひとつのテーマに対するボリュームとして圧倒的に不足しており、やや物足りない気はします。歴史学者ですので、全体像をもう少し示して欲しかった気がしますが、かなり限定した取扱に終止している気がします。というのも、安倍内閣以来のヘンなやり方として、都合のいい事実だけに着目して都合の悪い点を排除し、もしくは、目をつぶって、総合的・包括的な観点から政治や行政を進めるやり方ではなく、あくまで、少数派の都合のいい方向でしか物事を進めない、というのがありましたから、もう少しボリュームをとって歴史の包括的な理解を示し、場合によっては、反対の見方も提示しつつ議論を進めた上で、正統的な解釈を示して欲しかった気がするからです。例の「ごはん論法」に見られるように、歴史も切り取り方によっては別の見方が出来てしまう場合もあり得ないことではありません。ですから、幅広い観点からの歴史解釈のためには、新聞で許されるスペースの枠内でのエッセイでは物足りない気がして仕方ありませんでした。
最後に、崔吉城『キリスト教とシャーマニズム』(ちくま新書) です。著者は、韓国出身の社会人類学者で、広島大学の名誉教授です。キリスト教徒でもあります。ということで、私もほのかにしか知らなかったのですが、韓国ではキリスト教徒が人口の30%近くを占めていて、宗教信徒としては最大勢力だそうですが、その韓国でのキリスト教の浸透ぶりのバックグラウンドにあるシャーマニズムについて取り上げています。著者だけでなく、私の目から見ても、呪術的なシャーマニズムや土着的な迷信っぽい物が非科学的に見え、まあ、宗教ですから、キリスト教が科学的とはまったく思わないのですが、伝統社会のシャーマニズムからすれば、キリスト教の方がよっぽど近代的な装いに見えることは確かです。おそらく、聖徳太子の時代の日本では仏教がそのような目で見られていて、仏教徒とは進歩的な勢力、という受け止めだったのだろうと想像しています。他方で、日本と違って韓国でここまでキリスト教が受容された背景として著者はこのシャーマニズムを指摘しています。やや逆説的な気もするのですが、本書での議論はそれなりに説得的です。総じて、韓国におけるキリスト教の受容とシャーマニズムの関係は複雑ながら、近くて遠い国である韓国の宗教事情には参考になったものの、私は韓国に限らず一般的なキリスト教とシャーマニズムの内容を期待していただけに、少し肩透かしを食ったような気になってしまいました。
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コメント
最後の本は面白そうだと思いましたが、シャーマニズムとキリスト教の解剖と対比まではやっていないようですね。それにしても30%という値には恐れ入ります。強国に囲まれていたので、宗教に頼らざるえなかったのですかね。
投稿: kincyan | 2021年10月17日 (日) 10時10分
確かに、韓国ではキリスト教徒の占める比率が我が国に比べて格段に高くなっています。文中にも書きましたが、この本の筆者についてもご同樣で、おそらく、聖徳太子の時代の日本では仏教が進歩的な人の旗印になっていたのと同じで、キリスト教信者が韓国では教養ある文化人のひとつのアイコンになっているような気がします。
投稿: ポケモンおとうさん | 2021年10月17日 (日) 15時48分